アンダルシア

『アンダルシアのロバ』

……私はロバが好きである。あの哀しみを含んだ目、荷駄を運ぶ為の、ひたすら働く事を宿命付けられたあの小柄な体形。『ピノキオ』や『ブレ―メンの音楽隊』や、寓話『ろばを売りに行く親子』にも登場するロバは、哀愁やノスタルジアを具現化した…何か特別な生き物のように思われる。

 

 

しかしロバを観たくてもたいていの動物園にはなかなかいない。珍しくロバが観れる動物園がある事を知ったので、さっそく出掛けてみた。……その場所は私のアトリエから近い川崎の高台にある『夢見ヶ崎動物公園。』……名前の「夢見ヶ崎」という言葉が何やら意味深なので気になり調べてみると、果たして、動物園裏側には寺が五つも建ち、墓地や川崎の空襲で亡くなった人達を祀る巨大な慰霊塔があり、しかも実際に自殺者が最も多い事で知られる関東でも指折りの心霊スポットの由。

 

しかしその日の私にそれは興味が無く、唯ひたすらにロバ、ただそれだけが目的であった。……寒い日だとロバは小屋から出て来ないというので、電話を入れて確認してから観に行った。…………園内の日陰の暗くて寒い所にそのロバはいた。久しぶりに観る哀愁を含んだ何物かがそこにいた。……そして眼前のロバを観ていると遠い記憶が甦り、かつて訪れたアンダルシアの日々を私は思い出していた。

 

 

 

1990年の晩秋から翌年の秋迄の1年間、生活の拠点はパリであったが、その間に私は4回、スペインを訪れている。その中でも特にアンダルシアは忘れ難い場所である。2回目の春にスペインを訪れた時、私はマドリッドから南下してアンダルシアグラナダセビリアを10日間ばかり訪れた。グラナダのアルハンブラ宮殿ヘネラリフェ、大聖堂は定番であり、勿論私も訪れたが、その日の目的は、グラナダの郊外にあるカルトゥハ修道院であった。バロック様式の粋を極めた宮殿のような大伽藍も見事であるが、私はここでしか観れない異端審問の残虐極まる実録の様を描いた絵画を観たかったのである。

 

アルハンブラ宮殿を遠望に視る、ジプシ―の巣窟のあるアルパイシンの丘でタクシ―を拾い、私は件の場所を目指した。覚えたての暗記した言葉で運転手に「quiero ir a la Monasterio de la Cartuja」(カルトゥハ修道院に行きたい)と言うと、「entiendo!」(了解だよ!)の返事。私はあっさり通じた嬉しさで、言わなくてもいい言葉でヨイショした「me gusta granada la mejor de espana!」(私はグラナダがスペインで一番好きなんだよ)と。…これがいけなかった。この剽軽な運転手はよほど嬉しかったのか、突然高い奇声をあげたかと思うや、それこそ車で混みあったグラナダの道を、アミダくじの中を車で時速300Kmでとばすようにうねりながら、猛スピ―ドで走り続けたのであった。私はやはりスペインのカダケスの細い断崖の道をダリの家を目指してボンネットバスで揺られながら行った時に、堕ちれば谷底という体験をした事があるが、その時と同じく「今日死ぬのか!」という恐怖を味わったのであった。ともあれ、郊外にある修道院へはアッという間に着いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は軽装であり、手にした旅のガイドブックは澁澤龍彦『ヨ―ロッパの乳房』ただ1冊であった。この本の中でアンダルシア、特にグラナダについて語っている事の本質は、この土地特有の「永遠」という感覚の覚えである。……この地に流れている悠久の感覚。流れ去る時間の哀しみ、その中に刹那、私達は生き、死んでいく、その永劫の中に在る事のポエジ―。そして、終には美しき忘却との合一。…………その哀しみの中にロバがいる!……美術史上の絵画の中でロバが登場する作品が幾つあるか、ふと想った。……ゴヤ、ピサロ、ピカソ、ルノア―ル等……が次々に浮かんだが、私が一番好きな作品は、ミロの初期の代表作『農園』の中に登場するロバである。……この作品を所有していたヘミングウェイは「この絵には、スペインに行ってその土地で感じる全てと、スペインから遠く離れていて感じる全てがある。誰も他に、こんなに相反した二つのものを同時に描きえた画家はいない。」と書いているが、この短い言葉の中にこの絵の魅力の本質が全て書かれている。……その絵『農園』の中の、画面右寄りに小さくロバが描かれているのである。

 

 

ミロ『農園』

 

 

ゴヤ『カプリチョス』

 

 

 

……ピサロやルノア―ルを除けば、ロバを描いているのは皆、スペインの画家である。しかも皆、ロバの本質をよくとらえている。……ロバ、ロバをこの地で視てみたい!……そう思い詰めるように、このグラナダの坂を上がり降りしていると、人気の絶えた或る石段の上で、私の気持ちが通じたように、ロバが1頭繋がれたままの姿でいるのに遭遇した。近寄ってみても私を恐がるでもなく、ロバは自身の運命を知っているかのように黙ったままであった。周りはあくまでも静かで無人であった。……すると急に石段の下から泣き叫ぶ少年の声がしたかと思うと、小さな子供たちの集団が上がって来た。視ると、仰向けに倒された少年の両手を左右の少女が引っ張ったまま笑いながら石段を上がって来るのである。一段ごとに少年の頭、体が石段にぶつかり、少年は泣き叫んでいる。それを子分のような数人の少女達が面白がってついてくる。グラナダの一場景と言えばそうであるが、まるでスペインの映画監督ルイス・ブニュエルダリの合作映画『アンダルシアの犬』の一場面みたいだなと思った。残虐な場景も、描きようによっては美しい詩情と化す。……かくして、そのロバとグラナダの子供達の一幕の場景は、私の中で永く記憶に残る事となった。

 

とまれ、その1年間で私はスペインに4回行ったわけであるが、帰国直前、イギリスからパリを経由して帰国するのであったが、スペインへの想いは高まって、最期は、イギリスからパリに入り、その夜の夜行列車で私はグラナダへと向かったのであった。……スペインを離れる時、いつも決まってその度に彼の地に、私は重大な忘れ物をしてきたような想いに駆られて仕方がない。……それを、先日観たロバから卒然と思い出したのであった。……忘れ物とは何か?……私にはまだその答えが見えていない。

 

 

 

 

 

 

 

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