月別アーカイブ: 11月 2011

『個展始まる!!』

本日(11月27日)から、福井県立美術館での私の個展が始まった。広い七つの展示室にわたって二十歳時の処女作から今年の新作まで、総数二百点以上が一堂に展示されている。版画、版画集、オブジェ、ミクストメディア、コラージュ、写真、美術刊行物までと様々な展開が、美術館のスタッフの方々によって実に分かり易く、かつ緊張感を持って構成されている。

 

 

 

私は、講演や、同時期にE&Cギャラリー(福井)で開催される個展などもあり、約19日間、福井のホテルで連泊である。又、新聞で私の記事を読まれた中学時代の同級生が発起人として立ち上がり、実に45年ぶりの同窓会を企画してくれている。〈故郷は遠きにありて思うもの〉、〈故郷忘じ難く候〉…等々、故郷へ抱く想いは人によって様々であるが、これを括りとしての回顧展といった想いは全くない。むしろ、これをステップとしての新たな出発点だと思っている。

 

 

さて、美術館での個展において、もう一つ重要なのがカタログ(図録)であるが、これが実にすばらしい内容になっていて、私は大いに気に入った。今回の個展を担当して頂いた学芸主任の野田訓生氏の連日徹夜での尽力と情熱の結晶、そして、それを見事なハイレベルのセンスで形にして頂いたデザイナーの伊藤達雄氏に、この場を借りて感謝を申し上げたい。テクストは、飯沢耕太郎谷川渥四方田犬彦中村隆夫川田喜久治野村喜和夫、そしてランボー研究家のClaude Jeancolas氏。また、私の初めての個展時のテクストを書いた池田満寿夫氏の名文の再録、そして館長の芹川貞夫氏の実に密な論考までと極めて多彩。他に類のないカタログに出来上がっている。

遠方の方でカタログをご希望される方は直接、福井県立美術館の方にお問い合わせください。購入可能です。展覧会は12月25日まで開催中。詳細は美術館のホ-ムペ-ジを御覧下さい。

 

 

 

福井県立美術館 TEL:0776-25-0452 / FAX:0776-25-0459

 

 

 

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『この本、「光の王国」が面白い!!』

私が勝手に「平成の寺田寅彦」と呼んでいる分子生物学者の福岡伸一氏が、秀逸なフェルメール論『フェルメール・光の王国』という本を刊行した。私も以前に紀行文の取材でパリのパサージュに関する執筆を頼まれた、ANAの機内誌「翼の王国」に長期連載していたものを一冊にまとめたものである。『デルフトの暗い部屋』というフェルメール論を、私は10年以上前に文芸誌の「新潮」で発表したが、それは、フェルメールの謎に光を当てるために、レーウェンフックスピノザを重要な存在として登場させたものである。福岡氏の視点もいささか重なったものがあるが、氏の独自な切り口には共振するものがある。本質にまったく言及していないフェルメール論は数多くあるが、久しぶりに、フェルメールの絵画が持つ不思議な引力の秘密に迫り、その正体を解かんとする労作である。ぜひ御一読をお薦めしたい。

 

さて、最近、12月から来年にかけて私の本の刊行予定が次々と入り、打ち合わせが続いて個展の時以上に多忙な日々となっている。一つは28日から始まる福井県立美術館での個展のカタログの校正チェック。それから、まもなく沖積舎から刊行される私の写真と詩を切り結んだ、今までにない形の写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』の早急な制作進行。そして今月急に入って来た、拙著『モナリザ・ミステリー』の文庫化の話と、久世光彦氏との共著『死のある風景』を新装化した再版の話である。それとは別に詩人・野村喜和夫氏の詩と私の作品を絡めた詩画集(思潮社刊行)の為の打ち合わせと作品制作。1月の個展(森岡書店)のための新作・・・。このように続々とお話を頂くのはありがたく、私は各々に期待以上に応えたいと思っている。プロの骨頂とプライドにかけて。しかもこれとは別に、展覧会に絡めて福井新聞に私の半生記『美の回想』の連載(八回)を書き始めている。師走という程に年末は忙しい。『モナリザ・ミステリー』は新たに発見した事も書き加える為、執筆もある。風邪など引いている場合ではない。写真集は早々と購入予約も入り始めており、ありがたい!!!とにかく〈頑張りたい〉の日々を今、慌ただしく生きている。

 

 

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『平賀源内登場!!』

子供の頃、私はピアノと算盤が苦手であった。それを前にすると、手がかじかんで体が固まってしまうのである。当時は算盤塾が盛んで、私もしぶしぶ行かされた。苦手意識は「割り算」に入って極まった。全く頭も手も動かないのである。進まない私を囲んで、友達からの「頑張れ!」「絶対出来るから!!」の声が連呼し、立ち上がって私を囲む彼等の影にすっぽりと包まれて、私は情けなくなってしまった。そして、...「今日でこの塾をやめよう!!」と決意した。

 

決意はしたものの、まともに話しても親は承知する筈がない。家路は遠く、気は重い。しかし、玄関の前に立った時、私には秘策が閃いていた。両親を前にして私は、こう切り出した。「今は算盤の時代だけれど、大人になる頃には絶対に卓上でも出来る計算機が発明されている筈。・・・だから将来を考えると、算盤塾に払う月謝がもったいないのでは・・・」と。父親は腕を組み、しばらく考えた後にこう言った。「お前の言う事が正しいかも。解った、塾はやめろ!!」。・・・今から考えると、8歳の子供の発想とは思えないが、窮地に追い込まれた時、私の考えは飛躍する。そして、予見は当り、事実その時代がやって来た。

 

・・・そんな思い出話を、先日の高島屋の個展で、訪れて来てくれた友人に話していると、友人は破顔するように笑いながら、しかし真顔に戻ってこう言った。「ひょっとすると、時代を逆算すると、1960年頃に卓上計算機の着想など未だ誰もしていなかったのではないかな。その道を進んでいたら、日本のジョブズ氏になっていたかもしれない!!」彼の言葉を聞いて、私は少し、体が熱くなった。

 

今、思い返してみると、自分は案外、進取の気概を持っているように思う。振り返ってみると、日本人として初めて銅版画の分野に写真製版(フォトグラビュール)の技法を導入したのは私であり、その後も多くの版画家が大学で習った技法だけに終始している中、独自な技法を考案して、幾つも作品の中に取り込んでいる。そして表現の領域を確実に広めて、昨今は写真においてもデジタル技法の中に、誰も着手していない意想外の技法を考案し、入れている。(・・その詳細は、もちろん秘密。)

 

又、今回、写真で掲載した「ウォーターグランド」なる銅版画の材料を考案発明し、商品化して、それは市場に数年前から出廻っている。デューラー以来、銅版画制作の技法は500年以上全く変わらずにあった。つまり、エッチングをする隙、油性のグランド液を版の上に垂らして乾かし、その後に鉄筆で削って硝酸の中に入れ、腐食の後に、匂いの強い油性溶剤でグランドを拭き取るのであるが、これが辛い。そこで私は油性ではなく全く臭いが無く、製版が容易になった画期的とも言える水性の液体グランドを開発したのであった。

 

6年前に版画集制作の為、私の刷師である加藤史郎氏の工房にいた時、ある素材を見ていて、急に閃いたのである。しかし閃いたものの、それに裏付けはない。ただ、私の脳裏には、それが開発され、商品化されて店の棚に並んでいる光景が鮮やかに光って、ありありと見えるのであった。この開発に実際に当たったのは刷師の加藤氏であり、私はひたすら「必ず出来る筈!!」と言って彼を励まし続けた。だから本当に出来た時、私自身が驚いたのであった。数年かけて開発に取組み、完成にこぎつけた加藤氏の能力は、他の刷師が及ばないものがあり、彼も既存の版画技法にこだわらない為、私とはベストのコンビと云えるものがある。私はこの新材料を「ウォーターグランド」と命名し、レンブラントの自画像をラベルに入れ、画材を販売している会社に売り込んだ。そして、即、商品化となった。この商品で銅版画を作れば、有機溶剤を使わない為、全く吐き気も生じず、室内での制作でも部屋に臭いがこもらない。実は、これは世界における版画史上革命的な開発なのである。又、考え方によっては脱技法も可能であり、新しい版画表現の可能性もかなり秘めている。文化庁の海外研修でフィンランドに行った作家からの報告によれば、エコロジーの進んだ彼の国でも水性グランドを研究しているが、未だ完成には至っておらず、つまり、この商品は銅版画における最先端を行っているとの由である。・・・・・

 

 

二十代のはじめの頃、私が自分もかくありたいと思っていた人物がいた。・・・それは江戸の発明家でプランナーでもあった平賀源内である。彼は日本に初めて銅版画技法を導入した人物でもある。私は仕事場に彼の肖像画を掛け、日々眺めていたものであった。彼は戯作も書き、自らの人生を面白くブロデュースした人である。人生は一回きり。私も彼のように〈非常の〉人生を生きたいと思っている。

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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