月別アーカイブ: 4月 2024

『一から三へと拡がっていく話』

…まずは近況から。…先だって、法政大学出版局から『記憶と芸術』(共著)と題する本が出版され、その中の執筆者の一人として『記憶と芸術/二重螺旋の詩学』と題した文章(原稿用紙約30枚)を寄せている。

 

執筆者は13名。敬称を略して掲載順に書くと、私・小針由紀隆・谷川渥・水沢勉・宮下規久朗・海野弘・秋丸知貴・進藤幸代・萩原朔美・高遠弘美・虎岩直子・中村高朗・丸川哲史の諸氏。…執筆依頼が来た時は個展の作品制作で一番忙しい時であり、お断りしようと思ったが、送られて来た執筆者の名前を見て、美術作品の実作者は私と萩原朔美さんだけで、皆さんほとんどが美術評論家ばかりだったので、(これは読者の人に比較してもらうのに絶好の機会‼)と思って引き受けた。

 

…執筆者で私が面識があるのは、谷川さん中村さん萩原さんだけで他の方は全く存じあげない人ばかりで勿論その著書も知らない。しかし出来上がるであろう本の大体の予想はつく。ただ、海野弘さんだけは別格で、私はその著書を読んでおりひそかに尊敬もしている人。海野さんが参加されるならば…というのも引き受けたもう1つの理由。先月、駿河台の明治大学で出版記念会が開かれ、盛況であった。ただ、お会いしたかった海野さんはその途中で急逝され、掲載予定であった「プル-ストに関する未発表の文章」ではなく、『生の織物』という文章がご遺族の方からの意向で掲載されている。…実作者と評論家との視点や文章の違いにもしご興味がある方は、ぜひのご購読をお勧めする次第である。

 

 

…さて、では本題に入ろう。……昨年の末くらい頃であったか、私は友人の人たちと会って話をしている度に、決まってこの話を話題にしたものであった。すなわち「この世には決まって何らかの二元論的な摂理のようなものがあって、例えば善があれば悪がある。光があればその傍には決まってそれに相当するだけの闇が在り、そのバランスの絶妙な調和によって世界(特に人間関係)は成り立っていると思うわけですよ。しかし、あの二人にはそれが見えない。一見したところ明る過ぎるし破調が無い。その事がどうも不自然でならない。…その裏にもう一つの何かがある筈、きっと何かが動いているに違いない!」と。………途中でピンときた方もおありかと思うが、そうあの二人とは、大谷選手と通訳の水原一平の事である。…私がそう話すと決まって、皆さんお笑いになる。そして考え過ぎと言わんばかりに次の話題へと移ってしまわれるのであった。…しかし、見えない先に不穏を感受してしまう私のセンサ-は、話題が変わっても尚もピコピコと揺れるのであった。…ちょうど、雲一つ無い晴天の空の彼方に、遠雷の不穏な音を早々と聴きとってしまうように。

 

…はたして、年が明け、3ヶ月が過ぎた頃にその事件が明るみになった事は周知の通り。…私はやはりこの世には二元論的な摂理がある事を確認して得心のいくものがあった。…水原一平。…大谷選手の光の余波を受けて世間は、この人までも、実はよく知らないながらも自然と善いイメ-ジを抱いてしまっていたように思われる。…古い例で恐縮であるが、「何処の誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」という『月光仮面』のあの歌詞のように。

 

…想えば、水原一平という軽みある名前がそもそも、善い人と思ってしまう響きがありはしないだろうか。…(一平~ちょいと一平やぁ、何処にいるんだぁい)と、おかみさんが呼ぶと舞台の袖で(へぇ~い)とかん高い少年の声が返ってでも来るような。…これが水原一平でなく、例えば速水龍蔵、古鬼塚昌也、パンチ吉村…といった名前なら少しは警戒をしようものを。………桁外れの札束が動くギャンブル賭博、その重度の依存症であると本人は事件が発覚時に動機の理由に自ら挙げて来た。…そう話せば、多くの人間に有りがちな脳の病という普遍性に視点が転嫁して、賭博以前の犯行へと至る個的な闇が薄らいでいく事を、追い詰められた中で考えたのでもあろうか。

 

……信頼していた相手から裏切られる事を「飼い犬に手を咬まれる」というが、この事件にピッタリとすることわざは「吉凶禍福は糾える縄の如し」よりも、単純に「好事魔多し」の方が近いかもしれない。…江利チエミ島倉千代子の場合は信じていた身内に金銭を根こそぎ取られたが、要は、このような事件の犯人は自分の実力を勘違いし、自分が尽くした事は大きい筈、故にその見返りがあって然るべきという、見当違いの歪みを抱いてしまうのであろうか。…「七年目の浮気」というタイトルがあったが、その逆で「信じたい相手(雇い始めた人間)が七年間、何も事件を起こさなければ、漸くその相手を信用して大事を任せる事が出来る」という、商人の道の知恵があるという事を聞いた事があるが、ちなみに水原一平は、大谷選手とこのサポ-ト関係を築くにあたり、何年前にそれが成立したのか、ふと知りたいと思った。

 

 

…一平の事を話したのなら、三平についても何か話さないと片手落ちだよ、という読者の方からの声がいま一瞬聴こえたので、では三平についても少し書こう。先日の夜半にテレビで六代目桂文枝(昔の桂三枝)が大学で学生を相手に講義をしている姿が出たので、その話芸を観たくなり、話に聞き入っていた。…その講義の最後に林家三平の臨終時の話になった。

 

…三平がまさに今、逝くというその時に、主治医が三平の耳元で大声で叫んだ。(しっかりして下さい!…ご自分の名前が言えますか!!)と。…すると三平は切れ切れのかすれた声で、自分の名前をこう言ったという。…(……カヤ マ…ユウゾウ)と。…学生達は爆笑したが、私は三平という芸人の性(さが)を垣間見た思いがしてゾッとした。…人は亡くなる時はさすがに自分というものを留めおく事に固執するものだと思うが、この恐るべき自己放棄を知ってその笑いの底に暗澹たる不気味ささえも思ったのであった。

 

 

……この三平のように、最期の瞬間まで、虚構という芸の凄みに徹した俳優の例として、…正に死ぬ直前に、自分がデビューした時に演じた弁慶が、死んでもなお目を見開いたまま死んでいたという伝説を自らが演じて目を見開いたまま死んでいった名優の緒形拳がおり、また森繁久彌のライバルだった俳優の山茶花究が、末期の時に枕元に森繁久彌を手招きして呼び、森繁の肩に最期の力をかけて逃げられないようにして、掠れる声で森繁の耳元でこう言ったという(……なぁ繁ちゃん、……一緒に逝こう‼)と。瞬間、森繁は恐怖におの退いて真顔で腰を抜かすと、それを見届けた山茶花究は、してやったりとばかりに、にゃっと笑って息絶えたという。

 

…昔、学生の頃にベルクソンの名著『笑い』を読んだ事がある。笑いの底にある複雑な底無しの闇を知って驚いた事があるが、ブログを今書いていて、久しぶりにこの名著を再読したくなって来た。……今回のブログのタイトル『一から三へと拡がっていく話』は、そのまま拡がって、いつしかバラバラになってしまったようである。……次回のブログはゴジラや勝新太郎、丹波哲郎といった濃いキャラクターが続々と登場する予定。…乞うご期待である。

 

 

 

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『断章・二つの展覧会を観て』

 

先ずは写真展から。…先日、東京国立近代美術館で開催中の『中平卓馬 火-氾濫』展(4月7日まで開催)を観に行った。会場の展示が、中平卓馬の作品世界の固有な鋭さを映すように工夫がされていて、その知的配慮とセンスの良さに先ず感心する。

 

 

 

…中平の写真作品は、我が国を代表する写真家の一人川田喜久治の写真が持つ作品世界と共に、不穏な気配、凶事の予感に充ちていて特に惹かれるものがある。しかし川田の作品が個々に時代性を孕みながらも、普遍性という先の時間にもその効力を十分に併せ持っているのに対し、中平のそれはあくまでも60年代のオブセッションの闇に、そのレンズの切っ先が、あたかも同士討ちのように突き刺さっている、そう私には見えたのであった。

 

中平の言葉「…写真は本来、無名な眼が世界からひきちぎった断片であるべきだ」と語っているが、この世界という言葉はこの場合、彼が生きた60年代のそれに錐を揉むような鋭い集中を見せている。…中平の写真には、まるで殺人犯が逃げる時に視えているような風景の映しといった感の脅えがあるという意味の事を、以前に写真評論家の飯沢耕太郎さんに雑談の折りに話した事があったが、その特異なものが何から由来したものなのかを見つけ出す事が、今回、展覧会を訪れた主たる目的であった。…………広い会場の中で寺山修司と組んだ連載の雑誌が幾つか展示されていたのを見た瞬間、「これだ!」と閃くものがあった。…寺山の特異な言語空間(文体)を視覚化すれば、それはそのまま中平のそれと重なって来る。…もう一度、私は「これだ!」と思うものがあった。…寺山の文章が持っている固有な犯意性(犯人は本能的に北へと逃げる-北帰行の心理)とそれが重なったのである。……もう1つ思った事は、川田喜久治の作品各々が一点自立性を持っているのに対し、中平のそれは、引きちぎったメモの切れ端のように見えた事であった。…正に先に書いた中平の言葉そのものを映すように。……

 

 

先日の29日に、ア-ティゾン美術館で開催する展覧会『ブランク-シ/本質を象る』展の内覧会に行く。会の開始は3時からであるが、夕方に用事があるので午後の早い内に美術館に入った。取材中のプレス関係の人が沢山いたが、会場が広いので作品に集中して観る事が出来た。…先の近代美術館の展示と同じく、実に展示に配慮が行き届いていて感心する。展覧会への気合が伝わって来るというものである。…作品の高さ、そして最も大事な照明の具合。その配置。その何れもが作品各々に与えているのは、美というものが放つ超然とした品格である。

 

……周知のようにブランク-シは、ロダンから弟子になる事を求められたが拒絶した。ここに近代とそれ以前との明らかな分断がある事を彼の表現者としての本能が直観したのである。その独歩への意志と矜持と自己分析力が、彼をして時代を画するモダニズムの高みへと押し上げた。…そして、彼の作品の本質が意味するものを見極めていたのはマルセル・デュシャンである。その関係の豊かな物語りが、或る一角の展示の妙に現れていて、いろいろと再確認する機会ともなったのであった。

 

…内覧会の特典は展覧会の図録が付いて来る事であるが、今回の図録は読み応えのある内容で実に面白く、私は帰宅してから一気に読み終えてしまった。この図録はブランク-シについて考える時に今後の一級の資料ともなるに違いない。………中平卓馬の展示では、表現者として写真にも挑んでいる私にいろいろと考える機会を与えてくれ、またこのブランク-シ展では、今、正に制作中の鉄の作品、そして今、構想中の石の作品への善き刺激となる揺さぶりを与えてくれたのであった。…質の高い展覧会を折に触れて観る事は大事な事である。…中平卓馬展は今月の7日迄開催。…そして、このブランク-シ展は始まったばかりで7月7日迄の開催である。

 

 

…最近は制作に入り込んでいるので、なかなか出掛ける事は叶わないが、今、板橋区立美術館で4月14日迄開催している『シュルレアリスムと日本』展と半蔵門にある執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館で4月30日から開催する予定の『砂の時間』展だけは、ぜひ観ておきたいと思っている。…………実は今回のブログでは、『一から三へと拡がっていく話』と題して昨今の事件騒動について書く予定であり、この展覧会の事はその序章のつもりで書き始めたのであるが、体力と字数がここで燃え尽きてしまったようである。…次回は、その事件の話から、優れた芸人だけが持っている性(さが)と、その狂気について具体的に書く予定。……その頃はさすがに桜も散っている頃か。ともかくも、…乞うご期待である。

 

 

 

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