月別アーカイブ: 7月 2019

『……1通の脅迫状から』

今回のブログは『君は、こまどり姉妹を見たか!?』と題して、私達の記憶の外へと消えつつある「こまどり姉妹」から文章が始まり、やがて転じて私の銅版画の画面の特質である、左右が似て否なる左右非対称(ア・シンメトリ―)への偏愛の分析・資質について書こうと思っていた。……しかし、昨日京都の伏見区で起きた。京都アニメ―ション会社が放火され、33人の死者・36人が(犯人を含む)重軽傷が出るという痛ましい大惨事を目の当たりにして、急きょ書く内容を変更した次第である。才能豊かな夢多き若者達が、屈折した逆怨みの、夢の欠片など全くない一人の愚者によって、前途を突然断たれてしまったという不条理のこの極まり。異常者に対するやり場のない怒りがエンドレスに虚空を泳いでしまう今回の悲惨な事件。……報道によると、この会社には、以前から発信者不明の執拗な脅迫メールが届いていたというが、それが今回の犯人と結び付くか否かをいま調査中であるという。想うに、おそらくはこの犯人で間違いないであろう。……さて、この〈脅迫状〉なる代物。いつ頃から世に在るのかと、ふと起源について考えてみた。……思い浮かぶのは、桜田門外の変の井伊直弼と、明治11年に起きた、紀尾井坂の変の大久保利通暗殺事件である。犯人は、事前に各々に対し暗殺を示唆する脅迫状を送りつけている。しかし、井伊直弼、大久保利通、共に臆する事なく毅然としており、遂に凶事へと繋がっていった。……そして今一つ思いだすのは、6年ばかり前に、この私に届いた、屈折した人間から送られて来た脅迫状の事である。私は先日のテレビの報道画面で、放火魔が路上で仰向けに転がったまま、警官に取り押さえられている姿を見て、私に脅迫状を書いた犯人の事が重なるように思い出されたのであった。……この件は、以前にこのブログで『からさわぎな手紙来たる』と題して書いたのでご記憶の方も多いかと思われる。……私に対し面と向かって堂々と言えないこの小心者の犯人は姑息にも、自分の名前ではなく、既に亡くなって久しい木版画家の小野忠重という男の名前で、私に対し、作家活動や旺盛な個展発表を控えるように、と長文を綿々と書き、便箋5枚の最後に、「……この手紙を無視すると、さぁどうなるかな!?……せいぜい駅のホ―ムでは気をつける事だな。」という殺人予告めいた文章で閉じられていた。これはもはや立件に相当する明らかな犯罪である。……私は手紙を読んでいる途中から犯人を絞りこみ(というよりも、すぐこの姑息な男が、版画家のKである事は見破っていたが)、……あの男が……このような不気味な裏の顔があったのかと哀れみ、かつ無視するつもりでいたが、その最後の文章を読み、今はニヤリと暗い悦に入っているであろう、この男に不測の角度からの一撃を食らわしてやろうと決め、『からさわぎな手紙来たる』と題して、脅迫文の陰湿な手紙の画像をブログに大きく掲載し、この欄の読者に向けてオ―プンに開示した。(ちなみに、私と犯人の両方を知っている読者の何と多い事か!)……まさか、ブログで自分の暗部をアップされようとは!!、……全く予期だにしていなかった犯人はかなり慌てたらしく、数日後に、今度は女性に成りすました不気味な手紙を送りつけて来たが、さすがに私は無視する事にした。……世の定理に倣うならば、この男はやがて自滅していくに違いない。……私はそのように読み、果たして、私の前から次第にこの男は消えていった。……とまれ、この時に書いた『からさわぎな手紙来たる』は、このブログの読者の方々の反響が大きく、また犯人が誰であるかも多くの人に直に伝わったようである。…………反響の大きさ、手応えは、それ以前のブログに書いた『勝新太郎登場!!』(砧にある東宝撮影所で、あるきっかけから出会い、私を役者志望の貧乏な苦学生と勘違いして、延々と、あのドスの効いた声で、役者の心構えを説教してくれた勝新太郎への思い出を綴った内容)と、『未亡人下宿で学んだ事』(森進一の名曲「襟裳岬」の詞から転じて、藤原定家の新古今和歌集に移っていく話)と並び、この陰湿な脅迫状を題材にした『からさわぎな手紙来たる』は、作者として思うに、傑作ブログ三部作に入るようである。……次回は、突発的な事が無ければ、「創造と無意識との関係」、及びイタリアの写真家セルジオさんと私との競作展の打ち合わせについて書く予定です。……乞うご期待!!

 

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『闇の深さ』

 

先日、横浜のそごう美術館で開催していた『水木しげる・魂の漫画展』を観に行った。なかなか上手い会場構成で、生誕から亡くなる迄の水木しげるの波乱万丈の歩みがよくわかり、見応えのある内容であった。初期の油絵を観ると、既にセンスの冴えが光り、後の水木ワ―ルドが開花する、その胚種のようなものが見て取れる。会場では各所に原画がたくさん展示されていたが、特に目を引いたのは、水木しげるの代名詞とも云える、神社の湿った裏の空間や、時間が停まったような民家の暗がり、闇だまり、あるいは黄昏の語源である「誰そ彼!?」の暮れなずまんとする、その闇への移行時に息づき始める「もののけ」の気配を現す為に描かれた、実に細かい線や、点打ちの鬼気迫る描画作業の苛酷さを映す原画の生々しい痕跡であった。……その密度たるや実に凄まじい。点打ちの苛酷さで、アシスタントだったつげ義春などは、毎日が腱鞘炎の日々であったという。……昨今の若い画家が、「幻想」などと云って、安直にただ細かさが売りだけの線描を描いて自足しているが、残念ながらその密度、強度、深み、すなわち現そうとする世界の立ち上がりのリアリティ―において雲泥の差があると云っていい。別な言い方をすれば、1本の線にも、それが描かれた時代の何か本質的なものが刻印されるという事であろうか。まさに1本の線さえも、作者の意図を越えて、その生きていた時代さえもありありと映すという事であろう。…………見えるものと見えないものが交差する、その十字路のような場に息づく不可解な気配、そのアニマの魂の交感。もはや現代に生きる我々がなかなか感じられなくなってしまった感覚、……怖いが、なぜか懐かしい、その郷愁にも似た世界を求めて、会場には実にたくさんの観客が訪れていた。 ……………………その水木しげるが描いた人物に、・民族学者・生物学者で粘菌の研究でつとに知られる「南方熊楠」と、仏教哲学者で妖怪を研究し「お化け博士」と呼ばれた「井上円了」がいる。特に最近は、私は井上円了に興味が傾いており、もっと深く首を突っ込んでみようと思っている。南方、井上の両氏とも実際に不思議な霊的体験を度々経験しているが、かく言う私もまた、四国丸亀の友人宅では、既に亡くなって久しい友人の祖父が二階で確かに歩く足音を聞き、以前のブログでも書いたが、上野の芸大の写真センタ―では、終戦時に集団自決した連隊の一兵士の、明らかに軍人が履く硬い靴音が、寝ている私の周りをひたすら歩きまわる音を聞いたり、幾つかの不可解極まる事を体験しているが、その不可思議な数々の出来事の謎の裏付けや分析を井上円了の書物の奥に探そうと思っているのである。……彼は生涯をかけて全国を歩き回り、数々の不思議な話を収集しているが、そこに私の好奇心がいま向かっているのである。……見えるものと見えないものが交差する十字路のような場。それは、クレーも語っているが、私どもが関わっている芸術というものの根源とも、実は深く結び付いているのである。

 

……6月の初旬辺りからオブジェの制作に熱が入り、アトリエにある大きな二つの作業テ―ブルの上に、次々と新作が並んでいく。7月は特に重要な月で、これからの1ヶ月間が最も集中した日々になっていくかと思われる。異常な長雨は憂鬱なものであるが、こと制作に於いては、意外にも集中を促してくれるのである。

 

 

 

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