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『回想・浜田知明さん』

……先月の16日、午後から私の作品集の色校正に向かう前に少し時間があったので、引き出しを開けてオブジェの断片に使うコンパスを探していた。その引き出しは工具以外は入っていない筈なのに、何故か1枚の葉書がそこに紛れこんでいた。……妙だなと思って手に取ると、それは以前に版画家の浜田知明さんから頂いた年賀状であった。自筆の青いインクで「これからも良い作品を作り続けていって下さい。浜田知明」と書かれた、私への励ましの文が記されていた。……一瞬ヒヤリとする予感が背筋を走った。以前に、佐谷和彦さん(画廊の立場から日本の現代の美術界を強力に牽引された)が亡くなられる数日前に、夢の中で、背中に眩しい光を放ちながら、私に満面の笑みを送ってくる佐谷さんの夢をみた、その2日後に佐谷さんは急死されたのであるが、それに似た感覚がその時に卒然と立ったのであった。……果たしてその翌日の17日に浜田さんは逝去された。享年100才。その報は、いま私の個展を開催中のCCGA現代グラフィックア―トセンタ―館長の神山俊一さんから頂いた。

 

私が独学で銅版画を始めたのは19才の時であった。当時は版画が活況で、『季刊版画』という密度の濃い季刊誌を読みながら、その中に登場する、駒井哲郎、棟方志功、池田満寿夫……といった人達の記事を読みながら、自分も版画史の中に入っていくような作品を作りたいという熱い想いに没頭するような日々を送っていた。その後、幸運にも駒井哲郎、棟方志功、池田満寿夫といった先達に評価されて、版画家としてスタ―トしたのであるが、若年の私には、いま一人の意識する先達がいた。それが浜田知明さんである。浜田さんと同じ壁面に作品が飾られるという体験をしたのは、私が30才の時、東京都美術館が企画した『日本銅版画史展』であった。そして、実際に浜田知明さんに出会えたのは翌年に開催された『東京セントラル美術館版画大賞展』の受賞式の時であった。この展覧会で私は大賞を受賞したのであるが、その選考委員の一人に浜田さんがおられたのであった。式の時に、やはり選考委員であった池田満寿夫さん達と話をしていると、会場の奥から浜田さんが、私を鋭くじっと見ながら近づいて来られた。版画の分野を越えて、戦後の日本美術史にその名を刻む人を前に、まだ若僧の私はいささか緊張した。しかし、浜田さんは開口一番、笑みを浮かべて「あなたの今回の受賞作『アンデスマ氏の午後』を大分の美術館に入れたいのですが、まだ在庫はありますか?」と云われたのであった。その作品は、この展覧会の直前に番町画廊で開催した個展で完売してしまっていたのであるが、私は自分用に取ってあるAP版ならありますと答えたのであった。……それから浜田さんはご自分で開発された秘伝の技法というべき貴重な隠しテクニックをその時に詳しく教えてくれたのであった。……私にとって必要な、しかし前に進むには未だ知らない技術を、浜田さんは拙作を観て鋭く感じとられていたのである。……しかし、その後、浜田さんは熊本に住まわれていてなかなかお会い出来ず、年賀状のやり取りが続いたのであるが、後に版画集の個展を熊本の画廊で開催した時に、浜田さんは二日続けて画廊に来られ、長い時間、じっくりと私は浜田さんとお話しをする幸運な機会を持てたのは、今思い返しても貴重な体験であり、表現者としての財産となっている。「私はあなたの作品が大好きなんですよ」と何度も云われた浜田さんに、私の作品のどういった面が好きなのですか!?」という大事な、当然聞いておくべき事を聞いておかなかったのは不覚であるが、それが何であるかは、実は私は想像がついている。後日、私が熊本の個展を開催した画廊の人が運転する車で空港へと向かって行く時に、浜田さんと偶然、道で再会したのであるが、その時に私に向かって強く手を振っておられた光景は、何故か駒井哲郎さんのありし日の姿と重なって今もありありと眼に浮かぶ。駒井哲郎、浜田知明。このお二人は精神が無垢なままに通じ合う、戦後のある時代を共有するパイオニアであった。……そして版画の黎明期を支えるべく、真摯に版画と向かい合った先駆者であった。私は彼らから銅版画のみに潜むエッセンスを吸収したが、それは通史としての版画史の核に通じるものでもある。……浜田知明。この澄んだ魂と、反骨にして深く人間の不条理を凝視し続けた人の事は、私は年賀状に青いインクで書かれた励ましの言葉と共に決して忘れないであろう。

 

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『紀尾井坂の変』

前回のメッセ―ジは、もはや凶器と化した水の脅威について書いたが、加えて夏は酷暑がそこに追い討ちをかけている。一昨年より去年、去年より今年の夏が明らかに異常な猛暑が過酷化し、遂に気象庁が「今日は命にかかわる危険な暑さ」という表現を普通に使い始めた。来年の夏からは、猛暑が「酷暑」「炎暑」という表現に変わるらしい。太平洋高気圧とチベット高気圧。この二つが日本の上に居座るというかつて無い異常な事態。2年後の夏のオリンピック、特にマラソンは猛烈な炎暑の中での凄惨な光景がデスゲ―ムのように魔口を開けて待っているに違いない。…………ところで、あの女性は何という名前だったか?……ミランダ・カ―?……いや違う。ケイト・ブルンネン!?……いやかなり違う。あぁ、そうであった、滝川クリステルであった。そのクリステルがしたり顔で言った「お・も・て・な・し」とは、祇園や柳橋の料亭、御茶屋の女将の手慣れた接遇や気配りをイメ―ジするのは間違いで、来るべき更なる炎暑のアスリ―ト達への洗礼こそが、すなわち「お・も・て・な・し」の秘めた真意だったように、今となっては思われてくる。おもてなしとは、表無し。……つまりは、もう一つの裏の意味の響きがあったように思われて来るのである。 ……さて、このあたりで話題を変えて、少しひんやりとした話に移ろう。

 

地下鉄の赤坂見附駅を下りて弁慶橋という橋を渡り、紀尾井町方面を目指して行くと、左手にホテルニューオータニが見えてくる。そこに至って真向かいに目を遣ると、鬱蒼と木々が繁り、何やらひんやりとした冷気さえ漂う公園がある。今は「清水谷公園」と呼ばれるそこは、明治11年5月14日の早朝に馬車に乗って赤坂仮皇居へと向かう、時の内務卿・大久保利道が不平士族六名によって暗殺された現場で、今はそこに巨大な石碑が建っている。……前年の9月に西南の役で自刃した西郷隆盛。その半年後に暗殺された大久保利通の事実上の相討ちであった観がある。この二人は正に薩摩を代表する両頭として語られるが、実際の人物の格は少し違う。或る人物が両者を評してこう言った。すなわち「大久保は完璧な銀の玉である。一方の西郷はキズのある金の玉である」と。けだし名言、至言であるが、この言葉の意味は、大久保は目的遂行の為には容赦のない鉄の心を持った完璧な人物であるが、しかし、どうあがいても、金の玉の西郷には及ばない、という事である。二人は誰よりも固い友情で結ばれていたと多くの歴史小説はドラマチックに書くが、友情という概念は明治以降に入ったもので、もっとリアルな心情を探ってその時代を凝視していくと、自尊心が異常に高かった大久保の内面から見えてくるのは、西郷に対する秘めた嫉妬、更には大久保自身の凄まじい野心を実現する為には如何に西郷の求心力が〈今は〉必要であるかという、強かな計算が見えてくる。……この辺りの二人の微妙にして特異な関係は、日本ではなく、むしろキュ―バ革命を成功させたチェ・ゲバラとフィデル・カストロの関係が、或いは類として近いかと思われる。勿論、高潔にして革命に理想の詩を見たゲバラが西郷であり、根っからの政治家であり、八方の心を掴む事に長けていたカストロが、大久保のそれと重なる。また、倒幕への目的遂行の為に実質的にタッグを組んだ相手は、西郷は家老の小松帯刀であり、大久保は公家の岩倉具視が最も近い。……明治9年に西郷が最も心を許した桂久武という人物に宛てた、大久保政権を激しく批判した書簡(近年に公にされた)で、西郷は「自分の志が伸びないのは大久保一蔵〈利通〉あるを以て也。大久保は人のする処を拒み自ら功を貪り、……陰に私意を逞しくしている」と記し、最後に「彼の肉を食うも飽かざるなり」と激烈な批判を浴びせている。……一方、大久保は暗殺される直前に馬車の中で読んでいたのは、自分宛ての西郷からの古い手紙であったという。……西郷を死へ追いやった事への悔恨であろうが、この辺りもゲバラを結局は死へ追いやったカストロの心情と、私にはだぶって見えてくるのであるが、如何であろうか。

 

……私は、4月辺りから度々この大久保利通暗殺現場の前を通り、紀尾井町に至る近道がある清水谷公園内の石段を登っていく日々が続いている。紀尾井町の文藝春秋ビル内にある、美術と文芸に関わる老舗の出版社「求龍堂」から8月初旬に刊行予定の私の作品集『危うさの角度』の為の打ち合わせや色校正のチェックが厳しく続いているのである。オブジェ、コラ―ジュ、版画、写真、そして詩を収めた、美術書としては類例のない作品集にすべく、質的に高い内容にするために妥協のないチェックが続き、普通の作家ならせいぜい2回で終わる色校正のチェックが、先日5回目の校正で、私はようやくOKを出した。来週はいよいよ印刷の本番が埼玉の印刷所で行われるのであるが、私は担当の編集者の人と一緒に印刷所に行き、2日間の通しで立ち会う事になっている。……9月9日まで、福島のCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催中の個展。8月22日~9月8日まで東京の不忍画廊で開催予定の『現代日本銅版画史展』。……10月10日から日本橋高島屋・美術画廊Xで開催予定の個展と、予定はびっしりと詰まっているが、拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』に続いて求龍堂から刊行される作品集は、また別な神経が使われるので、完成の日までは気持ちが休まらない、この夏である。……ともあれ考えている事は、妥協のない制作であり、また新たなる領域への挑戦である。外も暑いが、私の内面もまだまだ熱い夏が、今しばらく続くのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『ニッポン・キトク』 

数年前の、このメッセージ欄で、「人類は間違いなく水で滅びる」と断言したレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引いて、温暖化現象による水の被害は年々加速的に甚大となり、もはや打つ手が無く、 唯々受け身でこの崩壊現象に流されていくしかないであろうと書いたが、この度の西日本ほぼ全域にわたる、かつて無い被害の大きさを見ると、どうやら予見は当たっていたように思われる。加速的に、つまり、釣瓶落とし的な速さで私達の現実に危機的な状況が迫っているのである。……ダ・ヴィンチは、最初は「人類は火で滅びる」と予見したが、途中で火を水へと、その考えを書き変えている。彼の明晰な頭脳の中で、火がなぜ水に変わったのか、その根拠は書いてないが、その沈黙が却って不気味である。ともあれ、背後の裏山を背負って生きている人は、年々増している降水量の増加が間違いなく山崩れへと繋がっていくわけだから、本気で何らかの決断をしなくてはならない時期に否応なく来ていると思われた方が良いであろう……自分だけは大丈夫。……今まで何も起きなかった。……ご先祖様が守ってくれているから……は、命取りになってしまうのである。

 

……ところで、もはや好き嫌いではなく、エアコンがなくては夏を乗り切れない時代になってしまったが、そもそも最初にエアコンを考えた、人類にとって感謝すべき人は、はたして誰だろうか!?……私の素朴な問いに、「それは1758年にベンジャミン・フランクリンと、ケンブリッジ大学で化学の教授をしていたジョン・ハドリ―が蒸発の原理を使って物体を急速冷却する実験をしたのが、すなわちエアコンの始まりである」と、ケペル先生のように忽ち導いてくれた物知りな友人の言に沿って調べて行くと、彼らの後にウィルス・キャリア(1876~1950)という人物が現れ、1902年に噴霧式空調装置(すなわちエアコン)を作った事、そしてその後の1930年にフロンガスの開発……を経て今日に至っているという経緯をはじめて知った。もし今、エアコンがなかったら……と考えるとゾッとする。間違いなく毎日、とてつもない数の死者が出て、世界は断末魔的な末期を呈していたであろう事は間違いない。……しかし、現在のこのエアコンの機能。間違いなく来るであろう更なる高温の時に備えて、今よりももっと冷却の温度設定を低くする改良が確実に要求されて来るであろう事は想像に難くない。

 

以前に週刊新潮の連載『死のある風景』で一緒に組んでいた久世光彦さんの著書に『ニホンゴキトク』という本がある。美しい響き、奥深い翳りの韻と色気のある日本語が次々と死語となって消えていく事への久世さんなりの警鐘であったが、私はそれを越えて、もはや昨今の日本が面し呈している様を見て「ニッポン・キトク」と言いたい衝動に駆られている。……あまりに殺伐とした感がますます日本全体を不気味に覆っているが、……その最たるものが、先日逮捕された大口病院の看護師・久保木愛弓が起こした事件であろう。……現在で20人くらいの殺害を自供しているが、まだ20人くらいの不審な急死をとげた患者がこの病院にはいるので、調べが進んでいくと、ひょっとすると合わせて40人くらいが殺害されたという前代未聞の数に達する可能性も多分にある。……この大口病院、アトリエからかなり近い所にその病院(事件の現場)があり、私も以前に何回か診てもらった事がある。その時、或いは後に犯人となるこの看護師が傍にいたかもしれないと想うだけで、もはや真夏の怪談よりも背筋の寒いものがある。……話はかわって、アトリエのある妙蓮寺駅前に面して「妙蓮寺」という名の古刹があり、毎日のように葬儀があり、「メメント・モリ(死を想え)」を私に思わせる場となっている。……昨日は、近くに住んでいた歌丸師匠の葬儀が行われていた。参列者2500人くらいの人が、晩年になるにつれて更に深まっていった、この名人の芸と人柄を惜しんで見送っていた。……私は中学時代、何故か落語が好きで、学校から帰るとテレビの前に座り、5代目志ん生、8代目文楽、6代目圓生……といった、今では伝説的な名人の芸を、それとは知らず、ごく普通の気楽な気持ちで味わっていた。……しかし、何故か正座をして聴いていたのは自分でも妙ではある。その後で、ベルクソンの『笑い』という著書を読み、「笑い」なるものの、複雑な感覚の生理を知る事になった。笑い、その本質を深めていくと間違いなく狂気の域に近づく、それは恐ろしい領域なのだと思う。…………さて、次回は一転して、〈大久保利通〉という計り知れない野心家・鉄人の暗い内面にわけいった、題して『紀尾井坂の変』を書く予定。……次もまた乞うご期待である。

 

 

 

 

 

 

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『……どんでん返しは無いのか!?』

ある日、TVの画面に映った歌手の平井堅の顔を観ていたら、ふと画家の中村彝(なかむらつね)が描いた、ロシアの盲目の詩人・エロシェンコ氏に似ていると思い気になって調べてみたら、実際のところあまり似ていなかったのは意外であった。また、昨日、TVの画面に映る自称「紀州のドンファン」こと野崎幸助氏の顔を観ていたら、今度はふと、ジャパネットたかたの前社長の顔とダブったので画像を比べてみたら、またしても似ていなかった。二連敗である。……どうもその事が気にかかり、何人かの友人に電話で聞いてみると、やはり彼らも、言われてみると確かに、この組み合わせは似ているという。……しかし、実際はかなり違っている。脳の記憶力などは、ことほどさようにいい加減で記号的なもので、あまり当てにはならないものだと実感した。そこから浮かぶのは、マジックミラー越しに、複数の人間の中から、目撃者が犯人を指し示す「目撃者証言」の捜査方法の怖さである。……目撃証言者のその日の気分や体調、はたまた単にその面(つら)が気にくわないという気紛れな主観や無意識が作用して誤認逮捕、冤罪の可能性すら見えてくる。……とまれ、「紀州のドンファン」から話がずれて、最初に考えていた内容を少し逸脱してしまったようである。…………さて、「紀州のドンファン」。おぉ、遂に出た御三家の登場であるが、拝顔したところ、故人には失礼ながら身の丈が合わず、せいぜい「和歌山のドンファン」あたりが相応しい。この人物はドンファンを自称するには残念ながら大きな艶ある華がない。ドンファンとは、周知のようにスペインの伝説上の放蕩者であるが、色事師かつ美男子であり、実力を持って恋の駆け引きを楽しんでいる。私は思うのだが、ドンファンよりもむしろ、井原西鶴の『好色一代男』の主人公こと世之助に故人は近いように思われる。しかし「紀州の世之助」という言葉の響きは、全く紀州と世之助の釣り合いが合うようで合わず、まぁここはドンファンに指を折るのか。……さて、人生第一義の拝金主義に染まった氏の映像を観て、その人生に羨ましさよりも、何やら薄ら寒い孤独な寂しい影を覚えたのは私だけではないだろう。確かに、有り余る使いきれない金は、その実無きに等しいという言葉は至言である。……さて、今回のこの事件、絵に描いたように構図がはっきりしていて、脚本家がこういうミステリ―の案を出したら即却下されるような単純さであるが、この先にアッと驚くようなどんでん返しは仕掛けられてないのであろうか!!。もしそうでなかったら、あまりにもこの事件は実がなく、底の浅い顛末に終わってしまって、あまりにも哀しい。………………さて、毎日様々な事件が起きて、世相は本当にかしましい。そのメディアの喧騒、人々の関心の移り、……その推移が目まぐるしく移っていくのを、藪の中の暗がりのような心中を持って、じいっと待ち望んでいる人物が、少なくとも、そして確かに二人(もちろん男性!!)いる、という事を私達は忘れてはならない。……藪の中に潜み、隙あらば更に奥の葉群らの闇に、自身のその存在を消し去ろうと目論んでいる人物が、少なくとも二人いる事を私達は忘れてはならない。

 

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『日本語の不毛なる行方』

私はいちおう美術家であるから、毎回書くこのメッセージ欄は、どうしても美術、あるいは芸術全般について書く事が多い。しかし、時としてどうしてもこの人間は如何かな!?……と思う場合は、時事的な内容についても書いている。近い記憶にあるのでは、かつて元総理だった菅直人について書いたことがあった。この男もまた「権力は内から腐る」の言葉通り情けなくも変わっていったのを目の当たりにして、またこの男の零落ぶりに唖然として、私は冷ややかな視点で書いたのであった。そして実のない、ただパフォーマンス好きなこの男が、人目を引くために、おそらくは後にやるであろう〈お遍路姿〉がふと目に浮かび、私は予言的に『君はお遍路に行くのか!?』というタイトルで書いたら、それから半年もしない内に、菅直人は頭を剃り、私の予言通りに、杖を持ってお遍路に出掛けた時は笑ってしまった。

 

さて今回は、日大アメフト部の前監督と、前コ―チについてさすがに若干言及したいと思う。……〈責任は私がすべて負う〉という発言とは裏腹に〈私は何も指示していない〉という矛盾した発言を繰り返す前監督。また日大の人事権を握るその男の傍で監督の伝令役として生きる前コ―チ。……先日この二人は、自らを火に油を注ぐような明らかな虚偽に充ちた記者会見をして更に世論の反感をかい墓穴を掘ったが、今朝、実にタイミンゲよく公表された文春デジタルの、前監督の生々しい肉声を捕らえた音声記録は、刑事告訴された場合に動かざる証拠になる事は必至であるが、しかし、さすがにここに至って文科省がやるべき事はあるであろう。前監督は理事として大学の人事権を握っているというが、監督は辞任しても人事権を握るこの理事という要職には頑なに固執している観がある。しかし、世論の怒りが収まるのは、この前監督が自らの意思で大学を去るという最終章を見ない限りは、おそらく鎮まらないであろう。日大の広報課の、まるで子供の使いのような話し方には失笑を禁じえないが、いまここに来て、実質的に問われているのは日大の教職員諸氏の変革への動きであろう。もし、ここで彼らによる何らかの動きが無い場合は、この日大という教育機関(?)は、根底からその存在の意味を失墜するであろう。「国家の根幹は教育である」と語った初代文部大臣の森有礼の言葉から、もはやかなり遠い所に日大の現在は来てしまったように思われるが如何であろうか。

 

話は変わるが、「責任を取る!!」……この言葉からどうしても思い出してしまうのは、1968年に京都国立近代美術館でロ―トレック展の開催中に起きた、名作『マルセル』盗難事件である。日本で起きた史上最大の名作盗難事件というのもショッキングであったが、何よりショッキングであったのは、その責任が事件発覚前夜から当直であった守衛に向けられ、追い込まれたその守衛が割腹自殺して果てた事である。……何もそこまでやる事はないであろうと、当時の私は思ったものであるが、その直後に痛々しい戦慄が日本中に駆け巡ったのを今もありありと覚えている。……この守衛の人生について思う時、真逆の連想として浮かぶのは、戦時中に多くの前途ある若者を「特攻隊」として無惨に死地に送り込み、特攻の日にその若者達に向かって「後ですぐに俺も行くから!!」と言いながら、自らは決して飛び立つ事なく終戦を迎え、なおも戦後を生き延びた上官達の事である。……彼らの姑息な振る舞いを主題にして追い詰めたドキュメンタリーが放送されたのをテレビで観た事があるが、年老いた、かつてのその上官は「顔だけはどうか映さないで下さい」と震えるように懇願しながら、演技か本心か定かではないが、忸怩(じくじ)たる想いを語りながら、声を震わせていたのであった。これも一つの人生とはいえ、観ていて何とも後味の悪い番組であったのを、これまたありありと覚えている。……とまれ、昨今の世情(特に政界)に多分に見られるのは、凛とした責任を取らずに詭弁を弄してなんとか逃げようとする傾向である。英文は構造が論理的に緻密な為に意味の方向性に拡大解釈が作用する事はないが、この点、日本語は曖昧で、解釈に主観という幅が入り、何とも絞り込めないものがある。文芸の分野ではそこに可能性があるのであるが、こと現実に於ては、その逃げが、その人間の人生を寂しく、ひたすら寒いものに染め上げていく。……なんだか昨今の日本は、そして日本語は、豊かだった嘗ての抒情からは遠く、無機的な不毛な方向に堕ちていっているように感じるのは、私だけなのであろうか。

 

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『おぉ、レトロフト』

3年前の秋に私の個展を開催された、鹿児島のギャラリ―「レトロフト」のオ―ナ―の永井友美恵さんからお便りが届いた。……開けてみると、朗読会のお知らせと一緒にお手紙が添えられていた。レトロフトでは、今年の2月から朗読会「朗読と音」を開始し、最初が梶井基次郎の短篇『闇の絵巻』で、続く第2弾〈5月19日に開催予定〉が、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』で、それに併せて、以前にこのメッセージ欄で私が熱く書いた『128年の時空を越えて』を紹介したいとの由である。むろん私に異存はなく、むしろ内容が内容だけに、鹿児島に私も行って参加したいくらいであるが、病み上がりで仕事がたまっているこの身としては、遠くから会の成功を見守るしかないのが残念である。しかし、浅草十二階―凌雲閣という、明治・大正を象徴するこのイコンに寄せる我が想い。もの狂い……とまで言っていい、浅草十二階への熱い想いは、現代の人たちに、ましてや、浅草の現場から遠い、鹿児島の若い人達に、果たしてどれくらいリアリティ―が伝わるのか、実際に立ち会ってみたいものである。出来るならば、私が入手した浅草十二階の遺構、赤煉瓦を見せて直に手で触れて頂ぎ、時空を繋げる旅を触覚的に体験して頂きたいくらいである。……正に、眼を閉じて直に触れてみる事で初めてありありと見えてくる、浅草十二階のざらついた生々しい触感、今一つの『押絵と旅する男』になり得るかと思うのである。

 

 

鹿児島の中心地にあるギャラリ―「レトロフト」は、その設立理念が高く、また実際に文化の発信地として活動を活発に行っている画廊として、出色の存在である。そしてその建物の実際の構造も、夢見の中の、例えばピラネ―ジの『牢獄シリ―ズ』や、30年代の魔都上海の巣窟の場面にでも登場しそうな謎めいた気配を帯びていて、今もって懐かしく、まさにレトロフト自体が、江戸川乱歩の小説の舞台として相応しい造りを成している。……3年前の個展の折りは、ご主人の永井明弘さんが、午前中は「城山」の西南の役の現場を中心に毎日、幕末史の私の疑問を解く逍遙にご同行頂き、午後はレトロフトの個展会場にて、来訪する人達との出逢いの場を作って頂いたりと、懐かしい思い出に充ちているのである。……まさか、そのレトロフトで、浅草十二階の事が朗読会として話題になろうとは、予期してなかっただけに面白く、また考えてみると、レトロフトほど、それに相応しい場はないようにも思われるのである。……

 

 

会期: 5月19日(土曜) 開場19時15分

開演19時30分

会場:レトロフトチトセリゼット広場

参加費1800円(お茶付)・要予約

 

お申込・お問合せ:email:info@retroftmuseo.com

電話099―223―5066

 

主催レトロフト

 

 

 

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『インフルエンザA型に』

3月の富山の画廊・ぎゃらり―図南(川端秀明さん)、……そして4月の東京の画廊・ギャラリ―香月(香月人美さん)での各々の個展が成功のうちに終了した。新しいコレクタ―の方々が各々の画廊で共に増え、個展はやはり「継続こそ力」である事をあらためて実感する。そして、常に実験性を絶やすべきではない事を実感する。……先ずは、個展を成功へと導かれた川端秀明さん、香月人美さんにあらためて御礼を申し上げたいと思う。……そして、遠方からも含めて、個展にいらして頂いた全ての方々に。また、私の作品を昔から変わらず愛しておられるコレクタ―の方々。そして、今回の個展を出会いとして、新たに私の作品をコレクションされた方々に、感謝の気持ちを捧げたいと思う。……皆さん、本当に有難うございました。

 

……個展とは、しかし様々な意味でかなり体力を消耗するという事を、個展終了後に今回は身をもって知らされた。……個展が終わりホッとする間もなく、深夜に急に悪寒と40度より確実に高い熱に突然襲われてしまったのである。翌日、病院で検診すると、インフルエンザA型との由で1週間くらいは安静に……と言われて、久しぶりの床に伏せる日々が続いた。しかし、のんびりと休みたい気持ちもあるが、迫っている〈やるべき事〉を前にすると、グルグルと頭が回る。

 

前回のメッセージでも少し触れたが、先ずは6月から9月まで福島の美術館―CCGA現代グラフィックセンタ―で開催される大規模な私の版画の個展。……求龍堂から刊行される私のオブジェ作品集の様々な打ち合わせと、詰めの進行。……以前に求龍堂から拙著『美の侵犯―蕪村vs西洋美術』が刊行された直後から、オブジェの作品集刊行の企画は立ち上がっていたが、担当編集者の方と私のスケジュ―ルがなかなか合わず、漸く、満を持しての具体化を見たのである。……また今年の10月からは、都内でも最も大きな空間である、日本橋高島屋・美術画廊Xでの個展(今回で毎年連続通算10回目となる)の為の制作が待っている。毎回、少しずつ新たな試みをしながら歩んで来た、美術画廊Xでの個展。継続は力なりで、この個展を楽しみにしている人達が年ごとに増え、私も制作に力が入るというもの。…………さてさて、今回は珍しく病床からのメッセージ記述となってしまい、正岡子規や宮沢賢治の晩年の姿が枕元に浮かんで仕方がないが、次回は全快した脳みそで頑張って書きますので、乞うご期待なのであります。

 

 

 

 

 

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『銀座・画廊香月個展PART②』

ずいぶん昔、まだ20代の頃に、犬山市にある「明治村」を訪れた事があった。広大な敷地の中に、移築した実際の漱石の家や帝国ホテルなどの貴重な遺構が数多く点在し、まさにタイムスリップの醍醐味があって、一日中、嬉々としながら過ごしたのであった。夕刻、明治村の閉門の時が来て出る時に、「もし、この広大な敷地の中の貴重な建物の中に、そっと人が潜んでしまったらどうなるか!」……その点の警備の事に興味が湧いて、係員に訊ねた事があった。係員の答は素晴らしかった。「閉門30分後になるといっせいに犬を放して潜伏者を見つけ出します」。

 

刑務所から逃走して向島の中に10日以上潜んでいるという男の話は、辞職に追い込まれた財務省の男や新潟県知事の弛んだ話よりもよほど面白く、私は興味を持って注視している。逃走者1名VS警官2000名。……品川区ほどの広さがあるという向島。その中で今もなお(尾道に泳ぎ渡ってしまった可能性もあるが)逃走劇は続いているのである。……未だ捕まらないという今回の報道を見て、私が思い出したのは、先ほど記した明治村の犬を放つという話であった。島民を向島の一ヶ所に集めて、性格の荒いド―ベルマンをいっせいに八方から放つと、さてどうなるか!?……それを私はいま想像しているのである。この向島には20年ばかり前に訪れた事があるから、この想像は1種のリアルさを帯びて浮かんでくる。

 

この向島には1000軒以上の空き家があり、その家々をチェックしている警官は、家のチェックが終わるとその家の目立つ場所に〈チェック済み〉の緑のシ―ルを貼って次の捜査に向かうという。……しかし、その緑のシ―ルを貼ってある家(既に捜査済み)に、そのチェック法を知ってか知らずか、逃走者が夜陰に乗じて密かに入ってしまったら、事は厄介である。……この逃走している孤独な男の、追い詰められた「眼差し」に、光眩しい西海道、春ことほぎの向島の空や海や緑陰は、はたしてどのように映っているのであろうか。……この男の脅える視線がそのままにカメラのレンズとなって風景を撮したら、その写真は犯意を映した陰りのマチエ―ルを帯びて、なかなかに面白い写真が出来そうな気もする。あぁ、そのような犯意を帯びた視線のままに、また撮影の旅に出たいと思う、春四月末の私なのである。

 

―さて、24日まで開催中の銀座・画廊香月での個展も後半に入った。連日、遠方からも個展を観にはるばる来られる方が多く、私の現在の表現世界をゆっくりと時間をかけて鑑賞されている。私が造り出すオブジェの表現世界。個々がこの世に一点しかないオリジナル故に、各々の作品をどなたがコレクションされていくのかを見届ける事は、私の表現行為における、ある意味での最終行為である。私は、その作品をこの世に立ち上げた。……そして、コレクションされた方は、これから後、その作品と長い時をかけて対話を交わし、様々なイメ―ジを紡いでいく、もう一人の紛れもない作者なのである。その意味で、個展の最終日まで、私の表現活動は続いているのである。……この個展の後は、6月から開催される郡山のCCGA現代グラフィックセンタ―での、版画を主とした大規模な個展。……また求龍堂から刊行される、私のオブジェ(近作を主とした)の作品集の打ち合わせ……と、多忙な日々が待っているのである。

 

 

 

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『吾妻橋を渡って』

……「吾妻橋のまん中ごろと覚しい欄干に身を倚せ、種田順平は松屋の時計を眺めては来かかる人影に気をつけている。女給のすみ子が店をしまってからわざわざ廻り道をして来るのを待合しているのである。/橋の上には円タクのほか電車もバスももう通っていなかったが、二、三日前から俄の暑さに、シャツ一枚で涼んでいるものもあり、包をかかえて帰りをいそぐ女給らしい女の往き来もまだ途絶えずにいる。…… 」……永井荷風の小説『墨東綺譚』の1節であるが、荷風の小説には、このように吾妻橋〈画像掲載:新旧の吾妻橋の写真〉が度々登場する。吾妻橋……あづまばし。荷風は隅田川にかかる橋の中で、この吾妻橋が一番好きだと記しているが、風情があって、寂しさや哀感があり、私もまた好きな橋である。特に往来の人々が影の中に姿を隠してしまう日没の頃が良い。荷風が『墨東綺譚』を書いたのは昭和十一年頃であるが、それから80年後の夕刻の吾妻橋を、機会があってここ最近、私は度々渡るようになった。……硝子によるオブジェの新たな可能性に挑むべく、理化ガラスなどの制作で第一人者の八木原敏夫さんの工房を訪れ、八木原さんの話される詳しいガラスの製作過程の中から、ガラスが持つ危うさと共にエロティシズム、郷愁、二元論……と云った、ガラスでしか出来ない表現メソッドと、私の内なる硬質なるものへの資質的偏愛を絡めて、未踏の表現の形に達したいと考えているのである。八木原敏夫さんは三代目というから、八木原ガラス工房の歴史は古い。……最初に訪れた時には、プラハの錬金術師の実験室を想わせるその造りに驚いたものである。数多のガラスの表に数ヶ所からの光が鋭く射し込み、室内は金属質的な硬質な緊張感に充ちていて、私はたいそう興奮したのを覚えている。……その八木原さんは緻密で積算的な、実に精度の高い技術の持ち主であり、私は、破壊・アクシデントの方向にその可能性を見ているという真逆の方向を目指しているので、建設的で理想的な話が八木原さんとは出来、その場で閃く事が以前から度々あった。……実は、私のガラスのメチエへの拘りは20年以上も前からあり、文芸誌『新潮』で、『水底の秋』と題した随筆の中で、私はガラスのメチエへの強い想いを綿々と書いている。……だから、今、私がガラスに挑むのは必然的な展開なのである。これから私の表現の中で、鉄、箔などと共に、ガラスはますます重きを置いたものとなってくるのを予感として感じ取っている。

 

 

 

 

 

……さて、今年の6月16日から9月9日までの長期に渡って、福島県須賀川市にあるCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催される私の個展「北川健次: 黒の装置―記憶のディスタンス」展の準備がいま佳境に入っている。カタログのテクストは、詩人の野村喜和夫さんが実に鋭く、緊張感を帯びた、詩的断章とも云うべきテクストを既に書かれ、拙作の版画『肖像考―Face of Rimbaud』を使った巨大なポスタ―と美麗なカラ―のチラシの校正刷りがようやく終わった。テクスト執筆は、野村喜和夫さんと共に、美術館側からは、木戸英行さん、神山俊一さんが各々の視点から書かれるので、今はその執筆完成を楽しみにしている段階であり、執筆が完了次第、一気に展覧会の準備は最後の詰めへと入っていくのである。……作品は、私の版画やオブジェのコレクタ―の方からお借りするので、その作品の受け取りが5月の連休明けに待っている。……昨年の9月に、私の前に個展を開催された加納光於さんの展示を観に、会場の美術館を訪れたが、実に清潔感が漂った中に緊張感があり、また天井からは美しい採光が入って、理想的な空間である。展示は、私の版画(処女作~最後の版画集まで)を主体に、近作のオブジェも展示される事になっており、2011年に開催された福井県立美術館での個展内容とはかなり異なった構成になるので、全く違った角度からの私の表現世界が新たに立ち上がるかと思われる。……まだ会期は少し先であるが、乞うご期待を願う次第である。

 

 

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『魔所―〈十二階下〉』

前回のメッセージで書いた通り、私の手元にはいま、明治、大正時代を象徴する異形な高搭―浅草十二階(凌雲閣)の赤煉瓦が、ほとんど完全な姿で2つ、半分のが1つ、小さな欠片が1つ在る。……「浅草二丁目の建設作業中の現場の地中深くから浅草十二階の遺構が出て来た!!」という報道がネットや新聞で一斉に流れるや、沢山の人が現場に押しかけた。そして現場の人の好意により、運よくタイムリーに、出土した浅草十二階の煉瓦を入手出来た人達がいたという。しかし、ネットを読むと、配布された煉瓦の多くが、ショベルカ―で砕かれた為に小さな欠片であったらしい。……その煉瓦の配布が終了してから既に日が経ち、私が現場に行ったのはようやくの10日後であった。しかし、私の〈想ったものをこちらに手繰り寄せる念力の、尋常でない強さ〉がまたしても発揮されたらしく、奇跡的に、あたかも私の到来を何者かが待っていたかのように、工事現場の目立たない場所に、その時に降っていた流れるような春の雪にうっすらと埋まるようにして、完全な姿のままに在る赤煉瓦を私は見つけたのであった。そして、その内の完全な形状をした煉瓦はアトリエの医療戸棚の中に収まり、小さな欠片は『浅草十二階』というタイトルの美しい本と共に、本棚の中に収まっている〈画像掲載〉。明治20年代に撮られた十二階と瓢箪池の水の写真が美しく本の表紙に配され、その手前に原物の赤煉瓦の欠片を配した眺めは、まるで不思議なタイムスリップの妙がある。江戸川乱歩が名作『押絵と旅する男』の文中に書いた妖しい言葉「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこりんな代物でございましたよ。」という文を読むたびに「あぁ、自分はあまりに遅く生まれてしまった!!」という、過去の人達への羨望が少しは薄らいだのであった。…………祭りの後のように静かな日が過ぎたある日、私はふと、あの現場に再び行ってみたくなった。遺構は保存される事なく、工事を続行する為に、おそらく十二階の遺構はまもなく完全に閉じられて、128年前の明治の「気」と「時間」の中に永遠に封印される頃であろう。……そう想うと、矢も盾もなくなり、私は現場へと向かった。……現場に着くと果たして、工事は続行されてかなり進んでおり、先日見た遺構もほとんどが柵の中に隠され、わずかに1ヶ所を残すのみとなっていた。おそらく明日は完全に閉じられてしまうのであろう。ギリギリで間に合ったという感である。前回に見た時は、現場はシ―トで覆われていたが、今日は二人の作業中の人がいるだけで、埋める工事が着々と進んでいる。見ると、今日は珍しく地上から現場へと降りる梯子が掛けられている。……寒空の下、私はマスクをとって作業中の人に大声で声をかけた。

 

「すいません、文化財の仕事に関わっている者ですが、貴重な文化遺産が埋められてしまうので、ちょっと梯子を降りて間近で見せて頂けますか!?」……すると、「ああ、いいよ!!降りてらっしゃい」という嬉しい返答が返って来た!!……逸る気持ちで梯子を降り、私は浅草十二階の、深い時間の澱を湛えたその実物を間近で眺め、直に手で触れた。そのひんやりと湿気を帯びたザラツキの感触が、私の感覚を震わせる。想えば、雑誌『太陽』の江戸川乱歩特集でも、私は「浅草十二階」への思いを熱く書き、浅草に来る度に空の高みを仰ぎ見て、既に消えた非在の高搭―浅草十二階のまぼろしを幻影の内に何度、私は透かし見たことであろうか。……それが今、不思議な時間隧道の捻れを経て、私の眼前に在る事の不思議!!不思議なタイムスリップが現実に起きている事の奇跡!!。 ……作業員の方に伺うと、その方は先日の騒動の時に新聞社から取材を受けられたとの事。「凄い数の人が、数日間、ここに押し掛けて来たよ!」との由。その時にショベルカ―で砕かれた赤煉瓦の欠片が見物人に配布され、またたく内に無くなってしまったようである。見物人は、ネット越しに、この現場を熱心に見下ろしていたという。そして、私は改めて、自分の強運を思った。…………正面を見ると、良い状態のまま、赤煉瓦が露出している。私は「もうこの遺構が見れるのも最後だと思いますので、もし宜しければ記念に少し頂けますか!?」と問うと、「ああ、いいよ」と、その作業員の方(おそらくはこの現場の責任者のようである)は言われ、ハンマーで大きな形のままにザックリと取り出して、私に渡してくれたのであった。……かくして、最後の最後に私は本当に器の広い良い人と出会え、最後にまた1つ、赤煉瓦を入手する事が出来たのであった。……さようなら浅草十二階、さようなら、ノスタルジアに満ちた明治の人よ、その夢見のようなあやかしの時空間よ!!……浅草十二階の遺構の最後の姿を眼に焼き付けたその足で、私が次に向かったのは浅草―等光寺(歌人・土岐善麿の生家)であった。……等光寺、そこは歌人・石川啄木の葬儀が行われた寺である。……そして再び私は浅草十二階の現場に戻り、浅草花屋敷の裏側―知る人ぞ知る、かつて私娼窟が在った、通称「十二階下」と呼ばれた魔所を探訪して廻ったのである。

 

「十二階下」……そこは魔都上海の響きにも通じる魔所、……盛りの時は3000人以上の女達が蠢めいていた私娼窟、すなわち性の饗宴、狂いの場でもあったが、そこは同時に近代文学の発芽をも促した温床の場でもあった。黄昏時、浅草十二階の高搭がその巨大な影を不気味に落とす頃に、夜陰に紛れるようにして「十二階下」の魔所に通った若き文学者達は多彩を極めている。……谷崎潤一郎、川端康成、芥川龍之介、永井荷風、石川啄木、室生犀星、北原白秋、高見順、高村光太郎、金子光晴、江戸川乱歩、画家では竹久夢二……etc。わけても室生犀星は、上京するや、上野駅からこの「十二階下」に直行し、そのままに溺れていったという経緯がある。「……ふしぎに其処にこの都会の底の底を溜めたおりがあるような気がする。夜も昼もない青白い夢や、季節外れの虫の音、またはどこからどう掘り出して来るかとも思われる十六、七の、やっと肉づきが堅まってひと息ついたように思われる娘が、ふらふらと、小路や裏通りから白い犬のように出てくるのだ。……〈中略〉それが三月か四月のあいだに何処から何処へゆくのか、朝鮮かシナへでも行ったように姿を漸次に掻き消してしまうのだ。」(室生犀星『公園小品』より。…………まるで寺山修司の芝居のような、ミステリアスな艶と謎と危うい引力を、この十二階下は秘めている。

 

十二階下の魔窟に軒を並べている娼家の客となった犀星。……しかし、もっと顕な記述を遺しているのは石川啄木である。啄木は、暗号のように密かに綴った『ロ―マ字日記』(岩波文庫)の中で「……女の股に手を入れて手荒くその陰部をかき回した。」と記し、「微かな明かりに、じっと女の顔を見ると、丸い、白い、小奴そのままの顔が、薄暗い中にぽ―っと浮かんで見える。予は目も細くなるほど、うっとりとした心地になってしまった。」「若い女の肌は、とろけるばかりに温かい」と素直に精細に書き綴り、十二階下は奇跡的に「地上の仙境」であるとさえ記している。…………「浅草の/凌雲閣にかけのぼり/息がきれしに/飛び下りかねき」・「不来方(こずかた)の/お城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心」・「函館の/青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花」……。私は石川啄木の墓のある函館の立待岬にかつて行った事があるが、何もない、ただ海風だけが荒く吹いている寂しい所である。

 

大震災が起きて数多の人心が絶望感に打ちひしがれている時に、目をぎらつかせながら被災地を野良犬のように駆け回っている者たちがいる。……盗人たちである。あれはもはや別な生き物かと思われるが、…………それと似たような危うい男が、関東大震災の直後に被災地を好奇の目を持って駆け回っていた事を知る人はあまりいない。誰あろうその人物とは、ノ―ベル賞作家の川端康成である。『文学』(岩波書店)の「浅草と文学」特集号の中で〈大正十二年九月一日に関東大震災が起こった時には、地震発生から二時間とたたぬ内に、彼(川端康成)は本郷駒込千駄木町の下宿から浅草の様子を見に行ぎ、浅草の死体収用所や吉原の廓内、本所の被服厰跡や隅田川河畔で無数の死体を眺め回った。〉とある。ここに記述はないが、川端と共に途中から行動を共にした人物がいるのを私は知っている。……芥川龍之介である。川端と芥川。……意外な結び付きに思われるかもしれないが、菊池寛が間にいる事を思えば直に結び付くであろう。〈類は友を喚ぶ〉ではないが、川端、芥川、共に最後が自死である事を思えばまた見えてくる事もある。浅草十二階の下には瓢箪池という大きな池があり、主に其処で溺死したのは、十二階下に棲まう未だ幼さを残す私娼たちであった。周知のように川端康成は目を通しての視姦、死体愛好の強度な癖を持っていた。『雪国』の中に登場する主人公の島村以外は、芸者駒子以下誰もが既にして死者である事は知られているが、『片腕』『たんぽぽ』他何れも、この世でなくかの世の話である。横光利一の葬儀の弔辞で川端は「僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく」と語り、以後は日本の抒情歌を綴る事に専心した。かそけき抒情の花の下、その地中深くにはネクロフィリアの暗い根が不気味に息づいているのである。

 

…………アトリエに戻り、作業員の人から頂いた浅草十二階の赤煉瓦の表に付いていた土を洗い流していると、その一辺が黒く溶けたようになっているのが見えて来た。熱に強い煉瓦がこのように黒いとは……!? そして私はその黒ずみが、他でもない関東大震災時の猛火の惨事の様をありありと映す証しである事を理解した。……黒ずみは、煉瓦の内部にまで浸透し、その激しさを如実に物語っていて、この煉瓦は特に貴重な物と思われる。…………今、私が手にしている煉瓦のすぐ間近に、川端康成のあの烏のような眼があり、石川啄木がおり、そして私が唯一、先生とよぶ寺田寅彦(物理学者、俳人、随筆家)が、そして数多の文学者達がおり、そして消えていったのである。

 

 

 

 

 

 

 

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