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『巴里に命を刻む二人の話』

前回のブログの舞台は京都であったが、今回は一転してパリである。……年末、そして先日に歌人の水原紫苑さんから、パリでの現地詠を含んだ歌集『快楽Keraku』(短歌研究社刊行)と、昨年過ごしたパリ滞在の日々を短歌、写真と共に綴ったエッセイ集『巴里うたものがたり』(春陽堂書店刊行)が送られて来た。……最近、私は森有正の『遠ざかるノ―トル・ダム』を読んだばかりで、今はモンマルトルの坂道を主題にした鉄の立体も作っている折であり、正にパリづくしである。

 

水原さんはわが国の現代短歌の紛れもない第一人者である。30年以上前に比較文化学者で評論家の四方田犬彦氏宅の何かの集まりの時にお会いしたのが始まりと記憶しているので、お付き合いはかなり古い。自宅が近いという事もあり、才ある表現者として身近に感じる存在である。ご本人は柔にして自然体の人であるが、次々と刊行される短歌に綴られた表現世界は、美しい日本語で開示された幻視の領土が拡がり、光と底無しの闇が交差する危うさがある。そして何れの作品もその完成度はきわめて高い。

 

 

「シャルトルの/薔薇窓母と/見まほしを/共に狂女と/なりてかへらむ」

「彫刻と/オブジェのあはひ/ゆく蝶を/ひたにおそれき/ことのは以前」……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何れの作品にも、鋭く研がれたナイフの切っ先のような鋭さと、時に美しい狂気すらある。新刊『巴里うたものがたり』のエッセイの本は、私がかつて1年近く住んでいたパリが舞台なので、実に愉しく懐かしく一気に読んでしまった。水原さんが滞在したホテル・カルチェラタンは、私がいたサン・ジェルマン・デ・プレ界隈にも近く、記憶が重なって、自分が旅人であるような錯覚すら覚えてしまった。……文中、オペラ座に和装で行くのを願うが、狙われる事は必至なので友人に忠告されて断念する下りは、与謝野晶子のパリ滞在(明治45年)、林芙美子がパリに滞在した(昭和六年)時とは隔世の感がある。しかし晶子や芙美子にとってパリが一過性の街であったのと違い、この人は、また3月からパリに行くが、パリでの客死すら厭わない覚悟が透かし見えて来て引き込まれる。……滞在中はソルボンヌに学び、日々のエッセイを書きながら、写真家が被写体を狩るように、又は鋭く呼吸するようにして集中して一気に短歌を詠んでいく。……なるほど、この人はこのようにして歌を詠んでいるのかというのが垣間見えて面白い。

 

先日、私はヴェネツィア行もお薦めしたが、既にそれもこの春からの予定に入っているという。……限り無く美しい日本の言の葉によって紡がれる、西洋の硬く乾いた硬質なマチエ―ルとの対峙がどのようなイメ―ジの化学反応を産んで、更なる深化へと、この人を導いて行くのか見届けたいものである。……以前からの私の願望であるが、ヴェネツィアを舞台にした壮麗な歌集の出現を、水原紫苑女史に期待しているのである。……そして、この度刊行されたこの二冊をぜひ読まれる事を、このブログの読者諸氏にお薦めする次第である。……さて次は、パリで客死した画家・佐伯祐三の話。

 

 

 

……先日、東京ステ―ションギャラリ―で開催中の佐伯祐三展を観た。10代の中学生の時に画集で出会って以来、佐伯祐三は今もって一番好きな画家である。……佐伯の集中力(一点を仕上げるのに要した時間は僅かに30分から2時間)は神憑り的で、しかも完成度も高い。パリに行き、佐伯がフォ―ヴィスムの画家ヴラマンクに油絵の作品を見せた時に、「このアカデミック!」と一蹴され、強いショックを受けたという逸話は有名であるが、実はこの逸話には先に続きがあって、ヴラマンクは「しかし、色彩感覚は良いものを持っている!」と佐伯を誉めているのである。……佐伯の作品を観ると、確かに優れた色彩感覚がそこに視てとれるのと同時に、彼の作品の骨となっているのは、作品の奥に透かし見える幾何学的な秩序感覚の先鋭な才気であり、また硬質さに対するオブセッションとフェティシズムである。

 

佐伯はゴッホに傾倒していた事もあって、その死もゴッホと重ね合わせるように、神経衰弱、肺炎の悪化による自殺未遂、そして狂死という事で、何れの佐伯祐三伝説も同じように書かれているが、しかし、私には以前から引っ掛かっている〈或る事〉があった。それは現存する数葉の写真の中にある。……寒風の中、街頭に出てひたむきに描く佐伯祐三の姿。しかし、その横に佐伯の幼い娘(彌智子)が写っているのであるが、ずいぶん以前から私はそこに違和感を覚えていたのである。……集中して挑むように画布に向かう佐伯祐三。……何故その真剣勝負の時に、気が散る存在の幼い娘がいるのか?

 

 

 

 

……常識的に視て、佐伯が絵に集中する時には常に妻の米子が娘の面倒を見る筈である。……佐伯は午前早くから写生に出て、暗くなるまで描く事に没頭していた筈。……その長い時間、では米子は何処で何をしていたのであろうか……。佐伯祐三の死因については諸説ある。……中には事件性すら思わせる説もあるが、私の推理は、……佐伯がある時を契機にして何かに憑かれたように作画に集中して神経を磨り減らして行くのであるが、それは何もゴッホへの傾斜、自己の完成度への焦り……といった伝説的なものではなく、原因は、もっと身近なパリの日常生活の〈或る時〉にあったと私は視ている。……或る事実を知ってしまった佐伯が、その怒りを他者でなく、自らへ向けた自傷行為の果てに墜ちていった、詰まりは緩慢なる自殺行為の果ての客死であったと私は推理しているのである。……この推理と近いものを、例えば美術史の裏面までも詳しい山田五郎氏(評論家・編集者・コラムニスト)なども考えているように思われる。

 

 

 

荻須高徳

 

 

 

薩摩治郎八

 

薩摩千代

 

里見勝蔵

 

藤田嗣治

 

 

 

……とまれ、これは推理するに足るドラマ性を多分に含んでいるのであるが、そこに登場する人物達の画像をここに掲載するに留めて、ひとまず今回のブログの筆を置く事にしよう。……年表の表に書かれた物語はあくまでも表皮に過ぎない。「事実は小説よりも奇なり」という言葉をここに残して。

 

 

 

佐伯祐三「カフェのテラス」

 

 

佐伯祐三「ガス灯と広告」

 

 

佐伯祐三「広告貼り」

 

 

 

……さて、今月は11日に歌舞伎座の二月大歌舞伎『女車引』と『船弁慶』を観劇予定。……翌12日は荻窪のカラスアパラタスで、勅使川原三郎佐東利穂子両氏による今年初のアップデイトダンス公演『月に憑かれたピエロ』(2月14日迄、公演開催中)、……そして翌13日は、先月の寒波で延期されていた名古屋に行き、俳人の馬場駿吉さん、名古屋画廊の中山真一さんとの打ち合わせで、俳句と私の作品との接点の可能性について語り合って来る予定。……異なる優れたジャンルに積極的に触れる事が、自身の表現に善き展開をもたらして来る。……絶え間無い充電と、制作の日々が今月も続くのである。

 

 

 

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『京七条・油小路に雪が降る』

……あれは今から何年前であったか、パリで知り合った、国際芸術祭BIWAKOビエンナ―レの主催者の中田洋子さんという人から招待作家として出品を依頼された事があったので「いいですよ」と快諾し、その打ち合わせで会場予定の近江八幡に行く事になった。東京の作家4人が新宿で合流し1台の車で向かうわけであるが、その日の夜は、西から数年に1度という大型の台風が直に襲ってくるという最悪の日であった。かなり強い台風なので気にはなったが、「面白いではないか」という事で夜の9時過ぎに出発した。……浜松に近づいた辺りから車が揺れるくらいに嵐が激しく吹き荒れて来た。高速道路の脇から海水の飛沫が飛び散り、なおも行くと、何台かの車が横転したまま打ち捨ててあり、不思議な事に前も後にも先ほどまで見えていた車の姿が全く消え去り、ただ私達を乗せた車だけが、暗闇の中を不気味なくらい静かに走り続けている。あれほど吹き荒れていた風もいつしか止み、外に視る闇は全く静か、車内の4人もみな息を詰めたように無言である。……口火を切ったのは私であった。「ひょっとすると、我々はもう死んでいるのかも知れないね。……さっきの何処かで車が衝突し、今、冥土に向かって我々を乗せた車が静かに走っているのかも知れないねぇ」……その言葉にホッと安堵したのか、皆が一斉に笑った。

 

 

……先日の25、26日は名古屋~京都に行く事で予定が入っていた。25日のお昼に馬場駿吉さん(元名古屋ボストン美術館館長・俳人)と名古屋画廊で待ち合わせをして、画廊の中山真一さんと三人でお話しをしてから夕方に京都に行く予定であった。しかし、24日の夜半に中山さんから連絡があり、10年に1度という豪雪と寒波が明日来るので2月13日に延期しましょうというご提案があった。了解し、私は25日午前に直行で京都に入った。途中の米原辺りから新幹線の外はホワイトアウトで何も見えない。まるで映画「八甲田山」のようであり、京都もさぞやと思ったが、駅に着くと吹雪が去った後で雪は止んでいた。

 

 

 

京都では4人の人に会う予定で約束済みであった。その中のお一人が京都精華大学で教授をしている生駒泰充さん(画家)。生駒さんは旧知の友で、以前に私が『モナリザミステリ―』(新潮社)を刊行した際に、精華大で講演を企画してくれて喋った事がある。ドイツ在住の造形作家.塩田千春など沢山の人材を育てているが、生駒さんの感性と直感力は私と何故か重なるので話題が尽きないのが嬉しい。……10年ぶりに到来した寒波で大学が休校になった為に生駒さんの授業がなくなり、京都駅で私達は早く待ち合わせが叶い、先ずは三十三間堂に一緒に行く事になった。

 

……生駒さんが面白い話を切り出した。アンディ・ウォ―ホルの代表作のマリリン・モンロ―のあの作品の着想は、彼が1956年に来日した際に京都に来て三十三間堂の1001体の千手観音仏像を視たときに閃いたのでは!?という興味深い仮説を語ってくれた時に、私の直感が激しく揺れた

そして頭の中で1001体の(顔の表情が各々微妙に異なる)仏像と、マリリンの顔(しかし意図的な刷りの変化で顔の表情は各々に異なる)が、例えるならば完璧だったアリバイが一気に崩れるようにそれらはピタリと重なった。

 

 

……以前に私が拙著『美の侵犯―蕪村x西洋美術』(求龍堂)の中で見破ったキリコが隠している、あのキリコ絵画の特徴である異なった多焦点が、実は後期ルネサンスの建築家パラディオの作品『オリンピコ劇場』の多焦点の効果と遠近法の崩しから着想している!という着眼法と正に重なったのである。……机上で考えている評論家にはおよそ閃かない、私たち実作者だけに視えて来る舞台裏、現場主義の視線があるのである。私が前回のブログの最後に書いた「過去は常に今よりも新しい」という言葉の真意が正にそこにあるのである。

 

……私達の様々な話題は尽きなく、次に四条木屋町の老舗喫茶「フランソワ」でも熱く語り合い、次にお会いする約束の京都高島屋美術画廊の福田朋秋さん(福田さんは、このブログでも度々登場されている)に生駒さんをご紹介した後、3人で一緒に先斗町のおばんざい老舗『うしのほね』本店に席を移し、福田さんも交えて更に尽きない話の井戸の底へと私達は落ちていった。……先斗町のその店の窓外に見える夜の鴨川がいかにも情緒的であった。……恋人同士ならば柔らかな話の間もあるのだろうが、私達は、今話しておかねば後悔するという感じで様々な話に耽ったのであった。……なので、お二人と別れた後で、祗園一力の隣に予約していた宿に帰った時は、喉が乾いて水ばかり呑んでいた。

 

 

翌26日は3つの目的があった。……先ずは、美術.写真集などを数々出版している青幻舎の編集長、田中壮介さんに久しぶりにお会いする約束が午前10時からあるので、祗園から河原町を歩いて会社のある三条烏丸御池へと向かった。……途中で老舗旅館の俵屋、柊家が目に入ったので、柊家の方の古風な造りを眺めていた。文政元年(1818年)からの老舗であり、文豪川端康成の常宿としても知られている。……ここは文人墨客の店。……逆光で映った私の姿風情にオ―ラでも感じ取ったのか、中から「もしよろしかったら、中へお入りになりませんか?」という柔らかい声が。……では、と言って中へ入り、宿の人と暫く川端康成の逸話などをお聞きしながら時が過ぎていった。…………おっ、こうしてはいけない、田中さんとの約束の時間が……と思い、青幻舎の場所を訊くと、ご丁寧に詳しく書いた地図を渡してくれたのには更に感謝であった。「次回、京都に来た時はお世話になります」と言って旅館を出、目的地へと向かった。

 

 

青幻舎の中で田中さんとお話しをした後で席を移し、近くにある趣のあるカフェで続きのお話しを交わした。田中さんとの会話はいつも話が弾んで面白い。……しかし、私は予定を詰め過ぎていた。……次に会う約束をしている平尾和洋さん(立命館大学教授・建築家)と12時に近くの烏丸御池のカフェで待ち合わせなのである。田中さんとお別れした後で、カフェで平尾さんと10年ぶりくらいの再会。以前は立命館大学の工学部で私がダ・ヴィンチの建築家としての視点から講演をして以来かと思うが、気の合う同士なので、すぐに話は本題に。……しかし、私の京都行の目的がもう1つ残っていた。……京都七条.油小路にある、新撰組伊東甲子太郎ほか数名が暗殺された現場を訪ねる事が残っていたのである。……平尾さんにその話をすると好奇心の強い平尾さん、では一緒に行きますよ!との事。二人でタクシ―に乗り、現場である本光寺へと向かった。

 

現場に着いてみると既に先客の幕末史ファンがいた。若い男性、外人の二人組。……以前は赤穂浪士の忠臣蔵は海外で知られていたが、新撰組もそこそこ知られ始めているのであろうか。とまれ皆さん熱心である。……男性が持っているタブレットを見せてもらうと、伊東暗殺直後に駆けつけた伊東の門下生(かつては新撰組)達が惨殺された詳しい現場跡がわかって、私の興奮はしきりである。

 

伊東甲子太郎は容姿端麗、人望が高く、既にして名士。……元治元年(1864年)に新撰組に加盟する。参謀としていきなり要職に就くが、佐幕派の新撰組と伊東の倒幕の異なる方針をめぐって次第に対立、やがて脱隊して、薩摩藩の支援で東山高台寺の月真院に「御陵衛士」として本拠を置く。この時に新撰組発足以来の藤堂平助ほか多くの隊士が伊東を慕って新撰組から去った。

 

慶応3年(1867年12月13日―旧暦で坂本龍馬が暗殺された3日後。ちなみに伊東は近江屋に潜伏していた龍馬と、同席していた中岡慎太郎に、暗殺の動きがあることを告げて警告をしている)の夜に、伊東は新撰組局長の近藤勇から呼ばれ、近藤の妾宅で接待を受ける。酔った伊東はその帰途は上機嫌であったらしい。伊東は思ったであろう(…そういえば、先ほどの席に近藤はいたが、副長の土方(歳三)はいなかった。…おそらくあの男は私に臆したのであろう。新撰組の屋台も私によってほぼ分裂し瓦解した。…土方、…新撰組を作り上げたあの策士も、もう終わりだな……)

 

……その時、はたして土方は何処にいたか。……伊東甲子太郎が歩いて来る先の暗闇、七条油小路の民家の暗闇にいて、その切れ長の鋭い目を光らせていた。……そして数十名の新撰組もまた民家の陰で息を潜めながら、その時を待っていたのである。……一瞬、闇に光が走り、鋭い槍の切っ先が伊東の首を貫いた瞬間、北辰一刀流の剣客であった伊東の体はくるりと一閃し、自分を突き刺した男を切り下げて、絶命した。「奸賊ばら!」……闇に響いたこれが、伊東の最期の言葉であったという。

 

土方の作戦はこれに止まらず、伊東一派の粛清にあった。寒さで忽ち凍てついた伊東の遺体を路上に放置し、番所の役人を月真院に走らせて、これから遺体を収容しに来る伊東一派を誘い出す囮としたのであった。そして土方の読みどうりの乱闘となって三名が戦死。他は逃げ去り明治まで生き残る。……その乱戦の現場を、その場にいた幕末史ファンの男性のタブレットで知り、私と平尾さんは移動してその場所に立った。……その乱闘の様子を民家の中で秘かに目撃していた老婆の証言が資料として残っていて、私はそれを想いながら、京都行最後の目的を果たしたのであった。……ふと平尾さんを見ると、先ほどから寺の庭に出来ている大きな蜜柑に関心が移っているようである。……冷たい風が吹いて来た。小雪がその風に乗って京都がまた白くなって来た。京七条・油小路に今し雪が舞っている。…………平尾さんと再会を約しながら京都駅前で別れ、私は帰途についたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『兎は何処に跳ねるのか―2023年初春』

……大晦日の夜は、永井荷風の『日和下駄』を読みながら夜の9時半頃に寝床に入り、いつしか眠ってしまった。だから除夜の鐘を聴く事もなく、翌朝に目を醒ましたら、世間が2023年になっていたので、どうも年を越して新年を迎えたという感じが今一つない。むしろ何時もと同じく、地球がただ一回りしたというだけの自然な感じである。……

 

作品の制作は、次の展開に向けて常に始まっているので、年末も新年もない。12月末は、オブジェに使う硝子瓶の上辺を正確に平らにする為に、浅草の吾妻橋を渡った先にある硝子工房の八木原製作所に行き、八木原敏夫さんにお願いして1000度以上の高熱の火で硝子瓶を加工して頂いた。その熱する為の機械(装置)がまた面白く、感心する事しきりである。……八木原さんは医大の医療器具などの精密な硝子製品も含めて幅広く作っておられる超絶な技術の持ち主なので、その仕上がりは見事なものである。……6年前に知人の硝子作家の方から八木原さんをご紹介されて以来、私の中に眠っていた硝子への想いが一気に開いて、今はオブジェの中に、硝子がイメ―ジの変容の為に参入してくる事が多くなって来た。錬金術師の家のような工房の中で毎回交わす八木原さんとの会話から、次のイメ―ジへの閃きが出てくる事も多く、幸運な導きに充ちた八木原さんとの出会いは本当に有り難いものがある。

 

 

昨日(1月10日)は、鉄の作品の打ち合わせの為に、金属加工の超絶な技術を持っておられる田代富蔵さんと日暮里でお会いして二時間ばかりお話をした。田代さんはご自身がオブジェの作品を作って発表しておられファンも多く、私とはイメ―ジで交差する点もあるので、話がいつも具体的である。富蔵さんは昨年の秋からパリの坂道を主題にした連作を制作中で、話を伺っていて煽られたらしく、今、私の頭の中はモンマルトルの坂道を上がり下りしている次第である。

 

……荷風は名作『日和下駄』の中で、「坂は即ち地上に生じた波瀾である」と書いているが、誠に坂という作りはミステリアスな物語性を多分に秘めて静かに沈黙しているのである。

富蔵さんと、日暮里の御殿坂で別れた後、私はタモリの書いた『タモリのtokyo坂道美学入門』にも登場する富士見坂に行くべく、先ずはその手前にある諏方神社に立ち寄った。

 

 

……この辺りは高村光太郎古今亭しん生靉光幸田露伴北原白秋長谷川利行……等々、文人墨客が数多く住んだエリアで昔日の風情がまだ残っている。諏方神社に入って行くと、ふと気になる物があり、私の目はそこに注がれた。……神霊が依り憑く対象物として神社の至る所に下がっている、白い和紙で出来たあの物である。……今までさほど気にならなかった、あの白い和紙の作り物に何故か目がいったのである。

 

ご存じの方もおありかと思うが、この物は依代(よりしろ)と言い、神道に関する用語で、神霊がそこに寄り着く物を意味するらしい。日本では古代からあらゆる物に神や精霊、魂が宿ると考えられており、依代の最古のものは縄文時代の土偶に始まり、人々はその依代の形(かたしろとも云う)から、信仰と畏怖の念を直感するという。……「様々な物象に神が宿るという点では、以前に私が書いたフェルメ―ル論『デルフトの暗い部屋』(単行本『モナリザミステリ―』に所収』)に登場したスピノザの『エチカ』における汎神論(神は世界に偏在しており、神と自然は一体であるという考え)に或いは近いかと思う。」

 

 

 

私は既存の宗教とは一切無縁の人間であるが、その私をして、この依代なる物の一瞬にして崇高さ、さらには畏怖の念さえ立ち上がらせるこの造形センスの完成度の高さは凄いものが在る!と、その時につくづく感心したのであった。……この造形センスの上手さに比べたら、例えば70年代に流行り病のように美術界を席巻し消え去っていった、あの「コンセプチュアルア―ト」なるものの作家達の造形センスの無さ、更には、その自分の作品の意味付けを(表現力不足を補うかのように)喉を枯らしながら必死で喋っている往時の姿が一瞬過って、忽ち去っていったのであった。……彼らは必死で喋って、なおも何も立ち上がっては来なかった。意味を計り知ろうと真面目に絞る人もいたが、その姿には苦しいものが見てとれた。

 

……しかし、眼前に視る依代は無言にして神聖感を伝えて来る。……この明らかな差。私たち人間の内部に沈潜している、それはアニミズム的な原初性との共振なのか。……縄文時代に既にその造形の原形が出来ていたという話を知って、私は想像した。遥かに遠いその昔、ある人物が依代なる物を作るべく、その形象作りに挑戦している、その姿を。

 

…………現代の美術では、作品に意味付けをせんとして関係項、関係項(意味を解放し、人ともの、もの同士の相互関係を重要視する)とかまびすしいが、例えば、竜安寺の石庭は、遥か昔にそれを無言で現してなおも気品に充ちている。白砂に15個の石を置いて、洋々たる海原に浮かぶ小島を象徴したと云うが、その意味を越えて、私たちの内心と静かに観照し合う力がそこには在る。……何よりも先ずは、視た瞬間に観者の心を鷲掴みにしてしまう超越的な力がそこには在るのである。そして芸術表現とは、そのようなものであらねばならないと私は思っている。……「過去は常に今よりも新しい」…… 私は今、この言葉が一番気に入っているのである。

 

 

 

 

 

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『年末だから石川啄木について語ろうの巻』

①今から7年ばかり前の事、坂道を歩いていたら、一瞬パチッという音がして右膝に痛みが走った。どうやら一瞬捻ったらしい。しまった!と思ったがもう遅い。……運悪く明日は成田を発ち、ベルギ―とパリに、写真撮影とオブジェの材料探しを兼ねた旅に行くという、その前日のアクシデントであった。……ご存知のようにブルュッセルは坂の多い街である。痛みを堪えて歩くのは難儀したが、それなりに収穫の手応えはあった。

 

……以来、膝の痛みを我慢していたが、先日急に痛みが酷くなったので整形外科に行きMRIで膝の断層撮影をおこなった。……診断の結果、3ヶ所に異常が見つかり、〈膝蓋骨軟骨損傷〉〈骨挫傷〉〈内側半月板断裂〉が見つかった。3つの字面を視て、壊れたピノキオになった気分であった。……そして思った。病名や身体の部位というのは、どうしてこんなに痛々しい名前なのであろうかと。半月板などは、まるで老舗の煎餅屋で売っている京風の薄い煎餅のようで、いかにも割れそうではないか。そこで自分なりに楽しい病名を考えた。……〈膝わるさ〉〈骨のおむずがり〉〈骨ぐずり〉……そういう診断が出たら、「まぁ、しょうがないなぁ……」と、よほどメンタルに良いと思ってしまう、この年末である。

 

 

②前回のブログで、世田谷美術館で開催中の藤原新也展の事を書いたらすぐに反響があり、「観て来ました。良かったです」「実にタイムリ―な企画展で写真と言葉の力に圧倒されました」といった意見が多かったが、中にこんな問いのメールがあった。「あの時代、学生運動の騒乱と挫折の反動を受けてインドに行った人の多くが、ブログに登場したTさんのように、無気力な姿となって帰国したのに、なぜ藤原新也さんはそうならなかったのでしょうか?」という問いのメールである。……私はなにも藤原新也氏本人ではないので、そんな事はわからないが、1つだけ、自分も写真を撮っているという経験を踏まえて、ふと想い至る事はあった。

 

……あれは8年ばかり前であるが、1週間ばかり厳寒の冬のヴェネツィアで写真撮影に没頭していた時があった。そして日程をこなして、マルコポ―ロ空港から飛び立った。……すると、遠ざかる眼下のヴェネツィアの街を視ていて、ふと妙な感慨が立ち上がった。「自分は本当に眼下に視るヴェネツィアに、この1週間いたのだろうか?」という妙な感慨が沸き上がったのである。……1週間、ヴェネツィアで過ごしたという実感がまるで無いのである。……そしてその理由がすぐにわかった。普通の旅と違い、撮影が目的の時はカメラが媒体となって被写体を追い求める為に、自分の眼と合わせて、カメラレンズの単眼をも併せ視る為に写真家は自ずと「複眼」となり、被写体という獲物を狩る為の醒めた客観性が入って来るのである。……その点、撮影を目的としない所謂普通の旅は、云わば裸形の剥き出しの感性となり、衝撃も無防備な迄に諸に受けるのである。つまり、写真家は、あくまで攻めの姿勢を持った、視覚における狩人と化すのである。……それに加えて藤原新也氏は海峡ゆずりの太い気質が加味して、六道めぐりのような凄惨な場面をも、経文の声でなぞるようにフィルムに収め得たのではあるまいか、時に阿修羅界の眼で、時に餓鬼界の眼で、……と私は思うのである。

 

 

 

③……12月の冬枯れになると、毎年、神田神保町には救世軍の数人の吹奏楽者が奏でるサ―カスのジンタのような哀愁ある響きが流れ、まるで中原中也が急に背後から現れそうで面白い。「昔と変わってないなぁ」と想い美大の学生だった頃を思い出す。…………その頃は大学よりも、神保町の古本屋巡りに通っていた方が多かった。書店で買った本を持って決まって入るのは趣のある老舗の喫茶店『ラドリオ』であった。……ふと本を読むのをやめて、壁の薄暗い一隅を視ると、そこに額に入った色紙書きの短歌があり、私はそこにいつも眼をやって、二十歳頃の未だ定かではない自分のこの先を思いやった。

 

……「不来方の/お城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心」……作者は石川啄木である。不来方はこずかたと読む。意味は盛岡の事であるが、不来方と書くのが啄木の上手さ。……「盛岡のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」では抒情性もなにも立ち上がっては来ない。不来方の字面と響きから遠い浪漫性が立ち上がり、最後の〈十五の心〉へと体言止めの一気読みが貫いて、私達の内心が揺れるのである。

 

……………啄木の短歌はずっと惹かれているが、今、何故か気になっているのはこの一首、「函館の/青柳町こそ/かなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花」である。……安定した職を求めて盛岡から北海道へと流離する啄木を函館に迎えたのはこの地の短歌のグル―プであり、彼らは青柳町に住む場所さえも啄木に与えたのであった。……そのグル―プ達が歓迎の場で興に乗り、啄木に恋歌を披露する者までいた。矢車草は夏の季語。「かなしけれ」は、この場合、「心を強く惹かれる」として使われている。……だから意味は、函館の青柳町にこそ私は今、強く心惹かれている。恋歌まで披露する友もいるではないか。季節は夏、夏の真盛りなのである。……となるが、心惹かれるを〈かなしけれ〉と詠む事で、啄木の個人的体験を離れて、読む私達の内にある切なさを覚える感情が揺らいで、またしても一気に普遍へと一変するのである。

 

……この場合、活きているのが「函館」そしてそれに続く「青柳町」という響き(音・韻)である。函館で、何かが立ち上がり、青柳町という響きで、イメ―ジの舞台が読み手である私達の想像力を動員して鮮やかに、そして哀しく現れるのである。……つまり作品は私達の内で初めて完成するのであり、言葉の効用は、その為の装置なのである。この〈作品は観者や読み手の想像力を揺さぶって人々のイメ―ジを立ち上げる装置である〉という考えは、私自身の創作における考えと重なってくる。……試しに別な言葉を入れ換えてみよう。……「青森の五所川原こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花」。……青森より函館、五所川原より青柳町の響きが格段に佳く、哀しみも立ち上がって来るのである。

 

 

今、私はドナルド・キ―ン氏の『石川啄木』を読んでいるのであるが、この日本語が奏でる響きの美がもたらす効果が、果たして英訳すると、どれくらい伝わるのか、もっと云えば、本当に伝わっているのか?という疑問がどうしても湧いて来てしまうのである。

……特に翻訳が難しいと思うのは、言葉の前後がバッサリと無い俳句や短歌において、外国語という全く改変された音や響きで、意味や抒情の深度は本当に伝わるのであろうか……という疑問が、この年末の私を捕らえているのである。……逆に言えば、例えばランボ―の詩の翻訳が、小林秀雄中原中也堀口大學鈴村和成、……諸氏によって全く違うのも同様である。…………外国語の翻訳が上手い人は、つまりは日本語が上手いということになるが、……そのような事をつらつら思いながら、ドナルド・キ―ン氏の『石川啄木』を読んでいる、年の暮れの私なのである。

 

 

 

 

 

 

④……12月24日のイブの夕方に、実に美麗で重厚な嬉しい献呈本が送られて来た。……この国の短歌の分野を代表する歌人、水原紫苑さんの歌集『快楽Keraku』である。

 

本の表紙はご自身の撮影したパリのサントシャペル教会のステンドグラス。表紙全体から、タイトルの快楽に通じる薔薇の香りが放射するように漂って来るようである。

 

……水原さんは三年前にパリに行く予定であったが、コロナ感染の拡大の為に断念していたのが、ついにパリ行きを決行し、現地で詠んだ短歌を含めた第十歌集の刊行である。この水原さんの歌集については新年の最初のブログで詳しく書こうと思うが、幻視者にして魂の交感を綴る言霊の歌人による歌集を、これから読みこんで行くのが愉しみである。

 

……右に石川啄木歌集、左に水原紫苑歌集を抱えて、どうやら今年の暮れは、除夜の鐘を聴く事になりそうである。

 

 

 

 

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『レンズを持って旅をする男の話 (前回のつづき)』

……線状降水帯が、正に世田谷美術館の真上を通過しているという激しい豪雨の中、館内に入ると、『祈り・藤原新也』展は沢山の観客が詰めかけていたが、観る者をして沈黙へと促すような作品の為か、息をのんだように静かであった。

会場は作者の初期から現在に至る迄の写真作品が、まるで大河の流れのように巧みに構成されており、実に観やすかった。しかし初期の『メメント・モリ』の、記録性を越えた凄惨な写真と、作品中に配された文章の妙が持つ相乗したインパクトは、わけても圧巻であり、藤原新也はここに極まれりという感は、やはり強い。

 

 

 

 

 

ガンジス川の岸辺に転がる、膨らんだ白い死体の硬直した足先を喰らう黒犬、その左に立って虚ろな目を放つ茶色い犬、その足元に立っている烏の姿……。そこに添えられた一行のコピ―文。……「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」。……これを視た瞬間、人々の背筋に走るのは間違いなく冷たい戦慄であろう。しかし、意味を理解してのそれは戦慄ではない。……藤原新也が書いた文章の、意味がわかるようで掴み切れない謎かけの不可解さ故の戦慄であり、ここで使われた「自由」という言葉のあまりの多義性故に、人は戸惑いを覚え、自分の見えない背中の暗い部位を慌てて覗くように揺らぐのである。「自由」そして「正義」という言葉ほど多面性、多義性を帯びた言葉はないであろう。……また、文章の出だしを人間と書かず片仮名のニンゲンにする事によって、次に漢字で書かれた犬の字面がニンゲンより優位に立ち、そこから一気に「食われるほど」と来て、「自由だ。」で、読む人の背筋に揺らぎと戦慄を作り出す。写真と文章が相乗して実に上手い。藤原新也は殺し文句を知っている。…………いま私は、藤原新也の文章の実存的なくぐもった低い呟きと、その体温に近い人物が、確かもう一人いたな……とふと思い、しばらく考えてから、そうだ、自由律俳句の俳人・種田山頭火があるいは近いのではと、閃いたのであった。

 

山頭火の俳句、……「沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ」・「いさかえる夫婦に夜蜘蛛さがりけり」・「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」・「松はみな枝垂れて南無観世音」…………は、藤原新也が写真集『メメント・モリ』の作品中に入れた文章とかなり近似値的ではあるまいか。……藤原新也の「ありがたや、一皮残さず、骨の髓まで」・「契り一秒、離別一生。この世は誰もが不如帰(ほととぎす)。」・「人体はあらかじめ仏の象を内包している。」……。藤原新也の写真に、山頭火の俳句をそっとまぎれこませても面白い相乗が立ち上がる、……そんな事をふと想ったりもしたのであった。

 

 

 

とまれ、今回の世田谷美術館の『祈り・藤原新也展』は、ぜひご覧になる事をお薦めしたい必見の展覧会である。写真展であると同時に、視覚による現代の経文に触れるような、深い暗示性と示唆に充ちた内容である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……藤原新也の写真集『メメント・モリ』の中に、私が最も好きな頁がある。全編、死の気配と記録性に充ちた重い内容の中で、その頁だけがフッと息がつけそうな安らぎに充ちたその頁には、車窓から写した山河と農村の建物と畑と光の煌めき……が写っていて、左頁の端に「こんなところで死にたいと思わせる風景が、一瞬、目の前を過ることがある。」という文章が添えられている。

 

 

 

 

この頁の写真と文章を読んだ時に、すぐに想い浮かんだのは「確かに自分にもそう思う瞬間があった!」という同じ感慨であった。……バルセロナからグラナダへと向かう12時間の長い列車の旅の車窓から視た、或る瞬間の風景、……或いは、ヴェネツィアのジュデッカ運河で視た真夏の花火、または夜半のアドリア海で視た銀色に光る春雷、…………。想いは尽きないが、そのような永遠を想わせる絶体風景を暗箱の中に封印した魔術師のような人物が、今、京橋のギャラリ―椿で個展(12月24日まで)を開催中である。

 

……その人物の名は桑原弘明君。私が最もその才能を高く評価している、超絶技巧の持ち主にして視覚の錬金術師と評していい人物である。……桑原君の作品の緻密さの芯を画像でお見せする事は不可能に近い。0.2㍉、0.5㍉……大きくても僅か数㍉のサイズで作られた室内の木馬や、窓、中世オランダの室内、螺旋階段……といった物が、絶体静寂の韻を帯びて、永遠に停止したままに、精緻に作られた暗箱の中で謎めいた呼吸をし、それを視る人の内心の孤独と豊かな対峙をしているのである。

 

 

 

 

 

 

桑原君が今までで作った作品(scoPe)総数はおよそ160点、最初に作った2点以外は、全てコレクタ―諸氏の所有するところとなっている。その1点の制作に要する時間はおよそ2ヶ月以上。毎日、視神経を酷使する苦行にも似た制作スタイルのそれは、驚異の一語に尽きるものがある。……私も同じく、版画作品の刷った総数はおよそ5000枚以上になるが、全てコレクタ―諸氏や美術館の所有に入り、またオブジェも既に1000点以上を作ったが、アトリエに残っている僅かのオブジェ以外は全てコレクタ―諸氏や美術館の所有するところとなっている。

 

……先日、個展開催中の画廊を訪れ、久しぶりに桑原君と話をしたのであるが、手元に作品がほとんど残っていない事、そして作品が、それを愛してくれる熱心なコレクタ―の人達に大事にされ、その人達の夢想を紡ぐ人生の何物かになっているという事は、表現者として一番幸せな事なのではないか、……そして、私達が亡くなった後の遠い遥かな先において、もはや匿名と化した私達の作品の各々の有り様、そしてそれを視る全く私達の知らない人達の事を考える時、その時が最も夢想の高まる時であるという点で、私達は意見の一致をみたのであった。……桑原君の仕事は凄まじい迄の緻密さであるが、只の細密に堕する事なく、彼はリアリティというものが私達の脳内において初めて結晶化するという事を熟知している点が、彼の作品を他と差別する質の高さに繋がっているのであろうと思われる。

 

……藤原新也という、あくまでも現実に起きる万象に対象を絞りながら、レンズを持って旅をする男。……かたや、桑原弘明君のように錬金術師のごとく密室に隠って、視る事の逸楽や至福をスコ―プ内のレンズを通して立ち上げんとする、あたかも玩具考の如く空想の地を旅する男。……対照的な二人のレンズを持った旅人達の各々の個展であるが、いずれも見応えのある内容ゆえに、このブログでお薦めしたく筆をとった次第である。

 

 

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『12月のMemento-Mori』

①……最近、以前にも増して老人によるアクセルとブレ―キの踏み間違いによる悲惨な事故(年間で約3800件!)が起きていて後を絶たない。私は運転免許が無いので詳しくはわからないが知人に訊くと、アクセルとブレ―キのペダルの形が似ていて位置が近いのだという。それを聞いた時、〈それではまるで、…こまどり姉妹ではないか!!〉私はそう思ったものであった。双子の姉妹のように瓜二つでは駄目だろう。

……せめて、「早春賦」を唄う安田シスタ―ズ(由紀さおり・安田祥子)くらいに見分けがつかないと駄目だろう。……そう思ったものであった。最近、その構造の見直しや改良が行われているというが、本末転倒、車社会になる以前にもっと早くから改良すべき、これは自明の問題であろう。とまれ、私達はいつ暴走車の被害者になるかわからない。毎日がメメント・モリ(死を想え)の時代なのである。

 

 

 

②12月に入り、いきなりの寒波到来であるが、ふと、先月に開催していた個展の事を早くも幻のように思い出すことがある。たくさんの方が来られたので、毎日いろんな話が飛び交った。今日は、その中のある日の事を思い出しながら書いてみよう。

 

……その日の午後に来廊した最初の人は、友人の画家・彌月風太朗君であった。(みつきふたろう)と呼ぶらしいが、些か読みにくい。私は名前を訊いた時に、勝手に(やみつきふうたろう)君と覚えてしまったので、もうなおらない。茫洋とした雰囲気、話し方なので、話していて実にリラックス出来る人(画家)である。彼は、このブログに度々登場する、関東大震災で消滅した謎の高塔「浅草12階―通称・凌雲閣」が縁で、お付き合いが始まった人である。ちなみに彼は私が安価でお分けした凌雲閣の赤煉瓦の貴重な欠片(文化財クラス)を今も大切に持っている。

 

 

(……ふうたろう君は、今、どんな絵を描いていますか?)と訊くと、(今は松旭齊天勝の肖像を描いています)との返事。私も天勝が好きなので嬉しくなって来る。松旭齊天勝、……読者諸兄はご存じだと思うが、明治後~昭和前を生きた稀代の奇術師・魔術の女王。小説『仮面の告白』の中で、三島由紀夫は幼い時に観た天勝の事を書いている。実は個展の前の初夏の頃に、私はプロマイドの老舗・浅草のマルベル堂に行って、松井須磨子と松旭齊天勝のプロマイドを求め店の古い在庫ファイルを開いたが、(お客さん、すみませんが今は栗島すみ子からしかありません)といわれた事があった。…ふうたろう君は(天勝の肖像は来年に完成します)と言い残して帰っていった。

 

 

 

③彌月君の次に来られたのは美学の谷川渥さん。この国における美学の第一人者で、海外でもその評価は高く、私もお付き合いはかなり古い。拙作に関しても、優れたテクストの執筆があり、拙作への鋭い理解者の人である。昨年もロ―マの学会から招聘されてバロックと三島由紀夫についての講演を行い、今回はロ―マで三島由紀夫に関しての彼のテクストが出版されるので、まもなく出発との由。……常に考えているので、突然に何を切り出しても即答で返って来る手応えのある人である。

 

……さっそく、(三島由紀夫のあの事件と自刃の謎について、いろんな人が書いているが、結局一番読むに値するのは澁澤(龍彦)じゃないですか)と私。(いや、もちろん澁澤ですね。澁澤のが一番いい)と谷川氏。(他の人のは、自分の側に引き付けすぎて三島の事を書いている。つまりあえて言えば、自分のレンズで視た三島を卑小な色で染めているだけ)と私。(全く同感、つまり対象との距離の取り方でしょ、そこに尽きますよ)と谷川氏。……今回はこの種の会話が画廊の中で暫く続いた。……そう、澁澤龍彦の才能の最も優れた点は、各々の書く対象に応じた距離の取り方の明晰さに指を折る。……そして谷川さんも私も、三島由紀夫の存在が魔的なまでに、〈視え過ぎる人の謎〉として、ますます大きくなって来ているのである。

 

 

④……その日の夕方に、東京国立近代美術館副館長の大谷省吾さんが画廊に来られた。……以前に書いたが、澁澤龍彦の盟友であった独文学者の種村季弘さんは、私に「60年代について皆が騒ぐが、考える上で本当に面白く、また大事な事は、60年代前の黎明期の闇について考える事、その視点こそが一番大事だよ」と話してくれたが、大谷さんは正にそれを実践している人で、著作『激動期のアヴァンギャルド・シュルレアリスムと日本の絵画―一九二八―一九五三』(国書刊行会)は、その具体的な証しである。昨年に私は大谷さんと画家・靉光の代表作『眼のある風景』(私が密かに近代の呪縛と呼んでいる)について話をし、それまで懐いていたいろいろな疑問や推測について、実証的に教わる事が大きかった。…画廊から帰られる時に、今、近代美術館で開催中の大竹伸朗展の招待券を頂いた。……以前にこのブログで、三岸好太郎の雲の上を翔ぶ蝶の絵と、詩人安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」との関係についての推理を書いたが、収蔵品の質の高さとその数で群を抜いている東京国立近代美術館に行って、また何らかの発見があるのでは……と思い、個展が終了した後に行く事にした。

 

……1階の大竹伸朗展は圧倒的な作品の量に観客達は驚いたようである。描く事、造る事においては、我々表現者に始まりも無ければ終わりも無いのは当たり前(注・ピカソは七割の段階で止める事と言い残している)であるが、こと大竹伸朗においては、日々に直に実感している感覚の覚えかと思われる。……ジェ―ムス・ジョイスから青江三奈、果てはエノケンまで作者の攻めどころは際限がないが、同時代に生まれた私には、ホックニ―ラウシェンバ―グティンゲリー他の様々な表現者のスタイルがリアルに透かし見え、当時の受容の有り様が、今は懐かしささえも帯びて映ったのであった。しかしこの感想は、例えば観客で来ている修学旅行中の中学生達には、また違ったもの、……見た事がない表象、聴いた事がないノイズとしてどう映るのか、その感想を知りたいと思った。

 

……階上に行くと、件の靉光の『眼のある風景』と松本竣介の風景画が並んで展示してあり、また別な壁面には、親交があった浜田知明さんの『初年兵哀歌』があり懐かしかった。……私が今回、興味を持ったのは、ひっそりとした薄暗い壁面のガラスケ―スに展示してあった菱田春草の『四季山水』と題した閑静の気を究めたような見事な絵巻であった。咄嗟に、ライバルであった横山大観の『生々流転』、更には雪舟の『四季山水図』との関係を推理してみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑤……昔、美大にいた時に、私と同じ剣道部にTがいた。Tは確か染織の専攻だったと記憶するが、演劇の活動もするなど、社交的な明るい人物であった。剣道部でも度々私はTと打ち合ったが、Tの剣さばきには強い力があった。……そのTが夏休みにインドに行くと言って私達の前から姿を消した。……しかし、夏休みが終わり後期が始まってもTは大学に現れなかった。……秋が終る頃に、大学にようやくTの姿があった。私達はTの姿、その顔相、その喋りを視て驚いた。Tは魂が抜けたように一変していたのであった。……ただ喋る言葉は「……虚しい、空しい……」の繰返しで、その眼はまるで生気を失い、虚ろであった。……Tがインドに行って一変した事は間違いないが、そこで何を視て人が変わってしまったのかは、当時の私達には無論わかろう筈がなかった。

 

……Tはまもなく大学を去り、故郷の高松でなく、京都に行った事だけが風の便りに伝わって来た。清水で陶芸をやるらしい……という噂が流れたが、それも根拠がなく、Tは結局、私達の前から姿を消し、今もその行方は誰も知らない。……Tがインドで視たもの、それは、この世と彼の世が地続きである事、つまり地獄とは現世に他ならない事の証を視てしまったのだと私達は推理した。……そして、インドという響きは、あたかも禁忌的な響きを帯びて私達は語るようになった。未だ視ていない国、しかし、そこに行っては危うい国、私達の生の果てまでも視てしまう国……として。

 

…………1983年に写真家・藤原新也の写真集『メメント・モリ』が刊行された時は、大きな衝撃であった。そして、その写真を通して、私はTが一変したその背景をようやく、そして生々しく知る事になった。………………個展が終わって間もない或る日、世田谷美術館から招待状が届いた。『祈り・藤原新也』展である。……私が美術館に行ったその日は、まもなく激しい豪雨になりそうな、そんな不穏な日であった。……(次回に続く)

 

 

 

 

 

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『晩秋に書くエトセトラ』

……11月中旬はコロナ感染者の急増に加え、寒暖が入れ変わる日が続き、人はみな心身ともに疲れる毎日であったが、下旬になってそれらが少し落ち着いてきたようである。

……家路へと続く石畳や、庭の光が障子を通して白壁に映す綾な模様には風情さえ感じられ、今、季節はひとときの寂聴の韻に充ちている。

 

……内覧会のご招待状を頂いていたが、自分の個展と重なったために行けなかった展覧会が二つあった。DIC川村記念美術館の『マン・レイのオブジェ』展と、ア―ティゾン美術館の『パリ・オペラ座―響き合う芸術の殿堂』である。……個展が終わり、ようやく時間が取れたので出掛ける事にした。今回のマン・レイ展は、オブジェをメインにした展示である。マン・レイは写真、絵画、オブジェ…と表現者として幅が広いが、写真が圧倒的に評価が高いのに比べ、オブジェの評価はいささか落ちるものがある。数少ない友人の一人であったマルセル・デュシャンはマン・レイの機知に富んだ諧謔精神の良き理解者であったが、それを直に映した彼のオブジェはいわゆる美のカノン的なものから逸脱するものが多分にあり、故に難しい。私見であるが、マン・レイのオブジェの中で最も優れている作品は何か?と訊かれたら、私はア―ティゾン美術館が収蔵している天球儀をモチ―フとしたオブジェであると即答するが、はたしてそのオブジェも展示されていて、展示会場で群を抜いた光彩を放っていた。

 

 

 

 

マン・レイの会場を出ると、別室でジョゼフ・コ―ネルの作品が一点新たに収蔵されたのを記念した特別展が開催されていた。……拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊行)の中で書いたコ―ネルの章を読まれた方の多くは、私の書いた内容に戦慄と更なるコ―ネルへの興味を懐いた方が多いと聞くが、確かにコ―ネルは唯のノスタルジアの角度だけでは捕らえられない危うい謎を多分に秘めた人物である。……あれは何年前になるであろうか、ある日、川村美術館の学芸課長の鈴木尊志さんから連絡があり、コ―ネルと私の二人展が企画された事があった。その展覧会の主題が芸術における危うい領域への照射というものであり、打ち合わせの時に私が発した言葉「危うさの角度」に鈴木さんが着目し、展覧会のタイトルに決まった。直後に鈴木さんの勤務先美術館の移動(現・諸橋美術館理事)が俄に決まった為に展覧会は企画の時点で止まったが、実現しておれば別相の角度からのコ―ネルのオブジェや私のオブジェが放つ、ノスタルジアの裏の危うさの相が浮かび上がって、面白い切り口の展覧会になっていた事は間違いない。

 

 

……コ―ネルに関してはもう1つ話がある。今から30年以上前になるが、竹芝の「横田茂ギャラリ―」でジョゼフ・コ―ネル展が開催された事があった。……横田茂氏は日本にコ―ネルを紹介した第一人者で、当時、多くの美術館に入る前のコ―ネルの秀作が数多く展示されていた。私はコラ―ジュ作家の野中ユリさんと連れだってギャラリ―に行き作品を観ていた。……会場の中の一点、カシオペアを主題にした、実にマチエ―ルの美しい作品を観ていた時、ふと(この作品、実にいいなぁ)と思った瞬間があった。すると気が伝わったのか、画廊主の横田さんが現れて、私にその作品の購入を勧められたのであった。価格は確か500万円であったと記憶する。横にいる野中さんは(500万なんて安いわよ!北川君、買いなさいよ)と高い声で気軽に言う。私の知人でコ―ネルのコラ―ジュを300万円で購入した人がいたが、それから比べたら、というよりも、遥かに今、目の前に在るカシオペアの作品はコ―ネルの作品中でも秀作である。…500万円……、清水の舞台からもう少しで飛び降りる気持ちになったが、やはりやめる事にした。……私はルドンジャコメッティヴォルス……といった作品は数多くコレクションしているが、コ―ネルは何故か持つべき作家ではないと直感したのであった。……その後で、コ―ネルの評価は天井知らずに上がり、今、メディチ家の少年をモチ―フにした代表作のオブジェは6億円以上に高騰しており、察するに私が500万円での購入を断念した、あのカシオペアの作品は1億以上はなっていると思われる。しかし、それで善かったのである。

 

 

……ア―ティゾン美術館の展覧会はオペラ座の豪奢な歴史を表・裏の両面から体感できる凝った展示であった。しかし私が特に惹かれたのはマルセル・プル―ストの『失われた時を求めて』の第三篇「ゲルマントのほう」の直筆原稿が観れた事であった。……銅版画で私はプル―ストのイメ―ジが紡がれる過程を視覚化した作品を作っているので、その原稿に修正の線が引かれた箇所を視た時はむしょうに嬉しかった。

……ドガのバレエを主題にした油彩画の筆さばきにはその才をあらためて確認したが、マティスの風景画『コリウ―ル』に視る色彩の魔術的な様は、特に私の気を惹いた。「豪奢.静謐.逸楽」はマティスの美に対する信条であるが、私がマティスから受けた影響の最たるものは、この言葉であり、私はその言葉を自分が作品を作る際に課している。……それに常なる完成度の高さと、微量の毒を帯びた危うさ、……これが私が自身の作品に注いでいる全てである。……更に加えれば、表現者たる者としての精神の貴族性、それが加わるであろうか。美術館の別なコ―ナ―では、デュシャンのグリーンボックスやコ―ネルの函の作品が展示されていて、密度の濃い展覧会になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……さて、まもなく12月である。高島屋の個展が終わってまだ間もないが、早くも私は次なる表現に向けて加速的に動き出している。オブジェの制作に加えて、新たな鉄の表現、全く別な文脈から立ち上がった新たなオブジェの表現、……加えて、第二詩集の執筆、……等々。今年の冬はいつもよりも熱くなりそうである。

 

 

 

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『冬のいそぎ/…個展を終えて』

個展が終わった翌日の夜、見事な皆既月食と天王星食を視た。この二つの現象が同時に起こるのは442年ぶりというから1580年・天正8年の安土桃山時代(本能寺の変の2年前)。この年の信長は、石山本願寺、加賀、能登攻略戦の真っ最中。しかし知的好奇心が強い信長の事、間違いなく安土城の天守閣か戦場の野にいて、この天上の月が消えて赤く染まるという異変に強い興味を示したであろう事は、想像に難くない。……太陽と地球と月が一直線に列び、地球の影が投影して月が翳るという事を知る、今日の夢なき知識だけの時代と違い、何を想うてか、ともかく鋭い眼をぎらぎらさせて刺すように確かに視ていたように思われる。その信長の肖像画は20近くあるが、その中で最も似ているといわれる、宣教師ジョバンニ・ニコラオが画いた写実的な肖像画(織田家の菩提寺・三宝寺所蔵)を掲載しておこう。……次にこの現象が起きるのは322年後の2344年との事。……かつて無かった規模の自然界の崩壊と、人類による大惨事の嵐が去った後の全くの静寂の夜に、天上を観る人の姿などはこの地球には存在せず、僅かに咲く野の花に、朧な月影は何かを落としてでもいるのであろうか。

 

 

 

 

 

 

……個展の間は懸念していた台風もなく、連日晴天の3週間が無事に過ぎた。昨年もそうであったが、個展が始まる1ヶ月前辺りからコロナの感染者が次第に減り始め、故に来廊される方は多く、個展は盛況の内に終わったのであるが、今回も個展が終わるや正にその翌日から、感染者の数が急上昇を見せ始め、今月の20日頃はかなりの数に達しているように思われる。……個展が無事に終わった今想うのは、確かに私の運気は強く、何かのバリアにいつも守られているように思われて仕方がない。……思い出すのは3年前の3月初旬の事。……1月にこの国にも最初のコロナ感染者が出て以来、もの凄い勢いで全国的に感染が拡がって来た時に、富山のぎゃらり―図南で私の個展が開催された事があった。ほとんどの県は感染者が続々と出ていたが、何故か富山や山形はその時はまだ感染者がゼロであった。しかし、全国的に感染の包囲網が加速的に拡がり、富山にも明日か明後日に……と迫っているように思われた。私は初日に画廊を訪れ、画廊のオ―ナ―である川端さんご夫妻と再会し、翌日の夕方に横浜に戻った。その日、富山駅で列車に乗る前に私は強く「2週間の会期中は絶体に富山に感染者は出るな!!」と念じて、富山を去った。……連日、全国的に感染者が更に続出しているという危機の中、しかし富山はゼロの日が続き、私の念は効いているように思われた。……そして、2週間の個展の会期中は感染者ゼロが続き、会期が終わったまさに翌日、「会期中は出るな!」という私の念の有効力が閉じるように、富山に最初の感染者が出た時は、さすがに自分の念の強さは正に「陰陽師」並みだと思ったのであった。……川端さんには私が富山を去る時に「個展開催中は絶体に出るな!」と念じていた事をメールで伝えてあったので、それが叶った事を電話でお話したら、興味深く笑っておられたのを、今も懐かしく覚えている。

 

 

個展会期中の10月29日に韓国・ソウルの繁華街、梨泰院で156人が圧死したというニュ―スはリアルな事故として伝わって来た。なぜリアルかというと、あの事故と似た経験を昔、私も体験しているからである。……中学時代、学校の講堂で全校生徒が集まって何かの式典をやっていた時と記憶する。……式典が終わり、1つの狭い出口から生徒が次々と出る時に、前方と後ろから生徒が倒れでもしたのか、突然ねじれた人のうねる波が一斉に襲って来て、何層にも重なった耐えられない程の重さの生徒の山が出来、息が詰まる苦しさと痛さと叫び声の中、正に阿鼻叫喚と化したのであった。他人の体が予期しない凶器となり、叫びがいっそうのパニックと化すのである。……私が体験したそれは、韓国の事故の規模からすれば人数は遥かに少ないが、それでもその時の「死」を一瞬垣間見た恐怖は、今もトラウマとして残っているから、韓国のその現場の地獄絵図と化した様はリアルに想像出来るのである。……事故後、兎の長い耳を付けた数人が「押せ」「押せ」と言っていたのを聞いたという目撃談らしき話が出たが、政府と警察が事故の責任を散らす為の作られた談話とも思われる。ともあれ日常の中に「死」は、影を隠して潜んでいるのである。

 

 

……73点の新作オブジェの個展が終了した翌朝、私の頭の中は早くも切り替わって、次なる言葉による美の顕在化、……すなわち詩集の制作へと向かっているようである。……個展の最終日に画廊から戻った夜は、たまっていた疲れもあり、さすがに早く寝た。しかし、その翌朝、目覚めの時に、頭の中はひんやりとしていて、いつの間にか寝ている間に「水を包む話―ブル―ジュ」という言葉が立ち上がっていて、起きた時に、自分が既に詩集へと意識が向かっているのを実感した。……個展の会期中に出版者の人と画廊で詩集の打ち合わせをしたが、今はそこに集中する時である。第二詩集『自動人形の夜に』、言葉による新しい試みと挑戦が待っているのである。

 

 

 

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『美の速度』

……2週間ばかり前の事であるが、アトリエの前の桜の樹の上で蝉が鳴いていた。まさかの空耳かと思い外に出て樹上を仰ぐと、高みの色づいた葉群のところで確かに蝉が見えた。雌の蝉も仲間も死に絶え、蝉はたいそう寂しそうであった。……また先日は、上野公園のソメイヨシノが狂い咲き、観光客が不気味がっている光景を報道で観た。……明らかに狂っている。ここ数年来、加速的に世界の全てが異常の様を呈して来て、底無しの奈落へと堕ちていく観が見えて来るようである。若者達は灰色の閉塞感の中に在り、AIだけが先へと向かって優位の様を見せている。若者達は便利極まるスマホに追随し、自らの脳に知の刺激を入れて高めようという気概は失せ、皆が不気味なまでに同じ顔になっている。……薄く、あくまでも軽く。……

 

芸術は、人間が人間で在る事の意味や尊厳を示す最期の砦であるが、昨今は、芸術、美という言葉に拘る表現者も少なくなり、ア―トという雲のように軽く薄い言葉が往来を歩いている。元来、美は、そして芸術は強度なものであり、人がそれと対峙する時の頑強な観照として、私達の心奥に突き刺さって来る存在でなくてはならない、というのは私の強固な考えであり、この考えに揺らぎはない。……だから、私の眼差しは近代前の名作に自ずと向かい、その中から美の雫、エッセンスを吸いとろうと眼を光らせている。……美は、視覚を通して私達の精神を揺さぶって来る劇薬のようなものであると私は思っている。

 

 

 

 

 

……さて、いま日本橋高島屋の美術画廊Xで開催中の個展であるが、ようやく1週間が過ぎ、会期終了の11月7日まで、まだ12日が残っている。

 

今回発表している73点の新作は、ほぼ5ケ月で全ての完成を見た。換算すると150日で73点となり、約2日でオブジェ1作を作り終えた計算になる。頭で考えながら作るのではなく、直感、直感のインスピレ―ションの綱渡りで、ポエジ―の深みを瞬時に刈り込んでいくのである。……この話を個展会場で話すと、人はその速さと集中力に驚くが、まだまだ先達にはもっと速い人がいる。

 

例えばゴッホは2日に1点の速度で油彩画を描き、私が最も好きな画家の佐伯祐三は1日で2点を描き、卓上の蟹を画いた小品の名作は30分で描いたという。またル―ヴル美術館に展示されているフラゴナ―ルの肖像画は2時間で完成したという伝説が残っている。……話を美術から転じれば、宮沢賢治は1晩で原稿250枚を書き、ランボ―モ―ツァルトの速さは周知の通り。先日、画廊で出版社の編集者の人と、次の第二詩集について打ち合わせをしたが、私の詩を書く速度も速く、編集者の人に個展の後、1ケ月で全部仕上げますと宣言した。ただし、ゴッホ、佐伯祐三、宮沢賢治……皆さんその死が壮絶であったことは周知の通り。私にこの先どんな運命が待ち受けているのか愉しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

……ダンスの勅使川原三郎さんと話をしていた時に、私の制作の速度を訊かれた事があった。私は「あみだクジの中を、時速300kmの速さで車を運転している感じ」と話すと、勅使川原さんは「あっ、わかるわかる!!」と即座に了解した。この稀人の感性の速度もまたそうである事を知っている私は、「確かに伝わった」事を直感した。この人はまたダンス制作の間に日々たくさんのドゥロ―イングを描くが、先日の『日曜美術館』でその素描をしている場面を観たが、もはや憑依、自動記述のように速いのを観て、非常に面白かった。以前に池田満寿夫さんは私を評して「異常な集中力」と語ったが、かく言う池田さん自身も、版画史に遺る名作『スフィンクスシリ―ズ』の7点の連作を僅か3週間で完成しているから面白い。

 

 

……私が今回の個展で発表している73点の新作のオブジェ。不思議な感覚であるが、作っていた時の記憶が全く無いのである。7月の終わりになって完成した作品を数えたら73点になっていた、という感じである。……また、夢はもう1つの覚醒でもあるのか、こんな事があった。……夕方、作品を作っていて、どうしても最後の詰めが出来ないまま、その部分を空白に空けたまま眠った事があった。……すると明け方、半覚醒の時の朧な感覚の中で、作品の空白だった部分に小さな時計の歯車が詰められていて、作品が完璧な形となって出来上がっているのであった。(……あぁ、この歯車は確かに何処かの引き出しの中に仕舞ってあったなぁ……)と想いながら目覚め、朝、アトリエに行った。しかし、なかなかその歯車が簡単には見つからない。様々な歯車があって、みな形状が違うのである。アトリエに在る沢山の引き出しの中を探して、ようやく、その夢に出てきたのと同じ歯車を引き出しの奥で見つけ出し、取り出して空いた箇所に入れて固定すると、作品は夢に出てきた形の完璧なものとして完成を見たのであった。

 

……また、夢の目覚めの朧な時に、10行くらいの短い詩であるが、完全な完成形となって、その詩が出来上がっていた時があった。……私は目覚めた後に、夢見の時に出来上がっていたその詩の言葉の連なりを覚えているままに書き写すと、それは1篇の完成形を帯びた詩となって出来上がったのである。…………たぶん夢の中で、交感神経か何かが入れ代わった事で、作りたいと思っている、もう一人の私が目覚めて、夢の中で創るという作業を無意識の内にしているのであろうか。……とまれ、眠りから目覚めのあわいの時間帯に、オブジェが出来上っている、或いは言葉が出来上がっている……という経験は度々あるのである。………

 

私が自分に課しているのは、1点づつ必ず完成度の高みを入れるという事であるが、今回の個展に来られた方の多くが、作品の完成度の高さを評価しているので、先ずは達成したという確かな手応えはある。……今回の作品もまた多くの方のコレクションに入っていくのであろう。私は作品を立ち上げた作者であるが、それをコレクションされて、自室で作品と、これからの永い対話を交わしていくその人達が、各々の作品の、もう1人の作者になっていくのである。……個展はまだ始まったばかりであり、これから、沢山の人達との出会いや嬉しい再会が待っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『十月・神無し月の五つの夜話―澁澤龍彦から勅使川原三郎まで』

①……今や四面楚歌に窮したプ―チンが新たに発令した100万人規模の兵士追加動員令。しかし死んでたまるかと、この愚かな兵役命令を嫌って国外に脱出するロシア人達の車列の長さ。……ロシア各地方の役場が慌てて発行したずさんな召集令状には、年寄りや病人も入っていたというが、あろうことか既に亡くなって久しい死者にまで発行されたという杜撰さ。……それを知った私は想像した。旧式の銃を担いで村役場前に集合した、蒼白くうっすら透けてさえ視えるその死者達の不気味な群れを。そして私は昔読んだ或る実話を思い出した。

 

……それは、今から118年前の日露戦争時の話である。日露併せて22万人以上の死者が出たこの戦争が終った後に、日本軍の戦史記録者が記した記録書にはロシア兵の捕虜が語った興味深い言葉が残っている。

 

「日本軍が突撃して来る時の凄さは本当に怖かった。屍を踏みつけて来るその様は怒濤のようであった。中でも一番怖かったのは白い軍服を着た一団であった。撃っても撃っても倒れないので、遂に我々は恐怖で狂ったようにその前線から逃げ出した。……」という記述。これは一人の証言でなく、何人もの捕虜達が語っている記録である。……もうおわかりであろう。日露戦争時の日本の軍服は茶褐色(カ―キ色)で統一されており、白い軍服を着た一団などは存在しない。……そう、彼らは戦死した死者達が一団となって突っ込んでくる幻影を視たのである。しかし、一人でなく沢山の捕虜達が同時にその白い軍服の兵士達を視たという事は、……幻でありながら、実在もしていた……という事である。

 

 

②先日、10月2日から鎌倉文学館で開催される『澁澤龍彦展』のご案内状が奥様の龍子さんから届いたので、初日の2日に観に行った。しかし先ずは久しぶりに澁澤龍彦さんの墓参をと思い、菩提寺の浄智寺が在る北鎌倉駅で下車した。

 

……駅前の広場に出た瞬間に、30年以上前の或る日の光景が甦って来た。それは澁澤さんの三周忌の法要の日で、その広場には沢山の人が集まっていた。俗な組織や団体とは無縁の、つまりは群れない個性的な一匹狼の面々ばかりなので愉しくなって来る。私はその時、確か最年少であったかと思う。……顔ぶれを思い出すままに書くと、種村季弘出口裕弘巌谷國士高槁睦郎吉岡実四谷シモン金子国義池田満寿夫野中ユリ……それに舞踏、写真、文芸編集の各関係者etc.……その中に中西夏之さんの姿が見えたので「中西さん、一緒に行きましょうか」と声をかけ、浄智寺を目指して歩き出した。折しも小雨だったので、この先達の美術家との相合傘であった。

 

中西さんに声をかけたのには訳があった。……最近刊行された中西さんの銅版画集の作品について思うところがあったので、いい機会なので訊いてみようと思ったのである。その時に語った言葉は今も覚えている。「この前、銅版画の作品集を拝見して思ったのですが、銅版画家が発想しがちな積算的な制作法でなく、真逆の引き算的な描法で現した事は試みとして画期的だったと思いましたが、版を腐蝕する時にどうして強い硝酸でなく、正確だが表情が大人しい塩化第二鉄液を選んで制作してしまったのですか?……中西さん、もしあれを薄めた硝酸液で時間をかけて腐蝕していたら、あのような乾いた無表情なマチエ―ルでなく、計算以上の余情と存在感が強く出て、間違いなく版画史に残る名品になっていましたよ。」と。

 

…………中西さんは暫く考えた後で「あなたの言わんとする事はよくわかります。実は作り終えた後に直ぐにその事に気がついていました」と語った。……やはり気づいていたのか、……私は自分の表現の為にも、その是非を確かめたかったのである。……私達が話している内容は中西夏之研究家や評論家には全くわからない話であろう。……私達は今、結果としての表象についてではなく、そのプロセスの技術批評、つまりは表現の舞台裏、云わば現場の楽屋内の表現に関わる事を確認していたのである。……その後、私達は作る際に立ち上がって来る、計算外の美の恩寵のような物が確かに存在する事などについて話し合いながら鬱蒼とした木々に囲まれた寺の中へと入って行った。

 

しかし奥に入っても、誰もいないので、不思議な気分になった。神隠しのように皆は消えたのか?蝉時雨だけが鳴いている。…………そう思っていると、中西さんがゆっくりした静かな声で「……どうやら私達は寺を間違えてしまったようですね」と言った。話に没頭するあまり、澁澤さんの法要が行われる浄智寺でなく、その手前にある女駆け込み寺で知られる東慶寺の中にずんずん入って行ってしまったのである。浄智寺に入って行くと既に法要が始まっていて、座の中から私達を見つけた野中ユリさんが甲高い声で「あなた達、何処に行ってたの!?」が読経に交じって響いた。…………想えば、あの日から三十年以上の時が経ち、中西さんをはじめ、この日に集っていた多くの人も鬼籍に入ってしまい、既に久しい。

 

……澁澤さんの墓参を終えた後に、三島由紀夫さん達が作っていた『鉢の木会』の集まりの場所であった懐石料理の『鉢の木』で軽い昼食を済ませて、由比ヶ浜の鎌倉文学館に行った。

三島の『春の雪』にも登場する、旧前田侯爵家別邸である。

 

澁澤龍彦展は絶筆『高丘親王航海記』の原稿の展示が主で、作者の脳内の文章の軌跡が伺えて面白かった。先日観た芥川龍之介の文章がふと重なった。

 

……この日の鎌倉は、海からの反射を受けて実に暑かった。永く記憶に残っていきそうな1日であった。

 

 

 

 

③……話は少し遡って、先月の半ば頃に、線状降水帯が関東に停滞した為に夕方から土砂降りの時があった。……このままでは先が読めないし危険だと思い、アトリエを出て家路を急いでいた。雨は更に傘が役にたたない程の物凄い土砂降りになって来た。……帰途の途中にある細い路地裏を急いでいると、先の道が雨で霞んだその手前に、何やら奇妙な物が激しく動いているのが見えた。……まるで跳ねるゴムの管のように見えた1m以上のそれは、激しい雨脚に叩かれて激昂して跳ねている一匹の蛇であった。雨を避ける為に移動するその途中で蛇もまた私に出逢ったのである。

 

……細い道なので、蛇が道を挟んでいて通れない。尻尾の後ろ側を通過しようとすれば、蛇の鎌首がV字形になって跳ぶように襲って来る事は知っている。私の存在に気づいた蛇が、次は私の方に向きを変えて寄って来はじめた。……私は開いた傘の先で蛇の鎌首を攻めながら、まるで蛇と私とのデュオを踊っているようである。……やがて、蛇は前方に向きを変えて動きだし、一軒の無人の廃屋の中へと滑るようにして入っていった。暗い廃屋の中にチョロチョロと消えて行く蛇の尻尾が最後に見え、やがて蛇の姿が消え、無人の廃屋の隙間から不気味な暗い闇が洞のように見えた。

 

 

 

 

 

④…3の続き。

蛇に遭遇した日から数日が経ったある日、自宅の門扉を開けてアトリエ(画像掲載)に行こうとすると、隣家からIさんが丁度出て来て、これから散歩に行くと言うので、並んで途中まで歩く事にした。

 

 

 

 

 

Iさんは私と違い、近所の事について実に詳しい。……そう思って「Iさん、先日の土砂降りの日に蛇に出会いましたよ。暫く雨の中でのたうち回っていましたが、やがて、ほら、あの廃屋の中に消えて行きましたよ」と私。すると事情通のIさんから意外な返事が返って来た。「いや、あすこは廃屋じゃなくて人が住んでいますよ」。私は「でも暗くなった夕方も電気は点いていないですよ」と言うと、「電気が止められた家の中に女性が一人で住んでいて、時々、狂ったような大声で絶叫したり、また別な日にそばを歩くと、ブツブツと何かに怒ったような呪文のような独り言をずっと喋っていて、年齢はわかりませんが、まぁ狂ってますね。」と話してくれた。

 

私は、あの土砂降りの雨の中、その廃屋の中に入っていった一匹の蛇と、昼なお真っ暗な中に住んでいる一人の狂女の姿を想像した。……あの蛇が、その女の化身であったら、アニメ『千と千尋の神隠し』のようにファンタジックであるが、事は現実であり、その関係はいっそうの不気味を孕んでなお暗い。芥川龍之介の母親の顔を写真で見た事があるが、母親は既に狂っていて、その眼は刺すように鋭くヒステリックであった。……与謝蕪村に『岩倉の/狂女恋せよ/ほととぎす』という俳句がある。蕪村の母親は芥川龍之介の母親と同じく、蕪村が幼い時に既に狂っていて、最後は入水自殺であった。

 

……ともあれ、その廃屋の中に一匹の蛇と一人の狂女が住んでいるのは確かのようである。……昔、子供の頃に、アセチレンガスが扇情的に匂う縁日で『蛇を食べる女』の芸を観た記憶がある。芸といっても手品のように隠しネタがあるのでなく、女は実際に細い蛇を食べるのである。だからその天幕の中には生臭い蛇の匂いが充ちていた。……周知のように、蛇の交尾は長く、お互いが絡み合って24時間以上、ほとんど動かないままであるという。……ならば、もしあの蛇が雄ならば、狂女もずっと動かないままなのか?……。文芸的な方向に想像は傾きながらも、その後日譚は綴られないままに、私は今日も、その暗い家の前を通っているのである。

 

 

 

⑤先日放送された『日曜美術館』の勅使川原三郎さんの特集は、この稀人の多面的に突出した才能を映してなかなかに面白かった。番組は今年のヴェネツィアビエンナ―レ2022の金獅子賞受賞の記念公演『ペトル―シュカ』(会場はヴェネツィア・マリブラン劇場)の様子や、勅使川原さんの振り付けや照明の深度を探る、普段は視れない映像、また彼がダンス活動と共に近年その重要度を増している線描の表現世界などを構成よくまとめた作りになっていて観ていて尽きない興味があった。

 

……その線描の作品は、荻窪のダンスカンパニ―『アパラタス』で開催される毎回の公演の度に新作が展示されているのであるが、1階の奥のコ―ナ―に秘かに展示されている為に意外と気付く観客が少ないが、私は早々とその妙に気付き、毎回の展示を、或る戦慄を覚えながら拝見している一人である。……踊るように〈滑りやすい〉トレペ紙上に鉛筆やコンテで描かれたそれは、一見「蜘蛛の糸のデッサン」と瀧口修造が評したハンス・ベルメ―ルを連想させるが、内実は全く違っている。ベルメ―ルが最後に到達したのは、幾何学的な直線が綴る倒錯したエロティシズムの犯意的な世界であったが、勅使川原さんのそれは、ダンス表現の追求で体内に培養された彼独自の臓物が生んだような曲線性が、描かれる時は線状の吐露となって溢れ出し、御し難いまでの強度な狂いを帯びて、一応は「素描」という形での収まりを見せているが、この表現への衝動は、何か不穏な物の更なる噴出を辛うじて抑えている感があり、私には限りなく危ういものとして映っているのである。(もっとも美や芸術やポエジ―が立ち上がるのも、そのような危うさを帯びた危険水域からなのであるが)。……想うに、今や世界最高水準域に達した観のある彼のダンス表現、……そして突き上げる線描の表現世界を持ってしてもなお収まらない極めて強度な「何か原初のアニマ的な物」が彼の内には棲んでいるようにも思われて私には仕方がないのである。

 

……三島由紀夫は「われわれはヨ―ロッパが生んだ二疋の物言う野獣を見た。一疋はニジンスキ―、野生自体による野生の表現。一疋はジャン・ジュネ、悪それ自体による悪の表現……」と評したが、あえて例えれば、彼の内面には、ニジンスキ―とジャンジュネのそれを併せたものと、私が彼のダンス表現を評して「アルカイック」と読んでいる中空的な聖性が拮抗しあったまま、宙吊りの相を呈しているように私には映る時がある。……以前に松永伍一さん(詩人・評論家)とミケランジェロについて話していた時に、松永さんは「完璧ということは、それ自体異端の臭いを放つ」と語った事があるが、けだし名言であると私は思ったものである。そして私は、松永さんのその言葉がそのまま彼には当てはまると思うのである。……異端は、稀人、貴種流謫のイメ―ジにも連なり、その先に浮かぶのは、プラトン主義を異端的に継承したミケランジェロではなく、むしろ世阿弥の存在に近いものをそこに視るのである。

 

……さて、その勅使川原さんであるが、東京・両国のシアタ―Xで、今月の7日.8日.9日の3日間、『ドロ―イングダンス「失われた線を求めて」』の公演を開催する。私は9日に拝見する事になっていて今からそれを愉しみにしているのである。また荻窪の彼の拠点であるダンスカンパニ―『アパラタス』では、勅使川原さんとのデュオや独演で、繊細さと鋭い刃の切っ先のような見事な表現を見せる佐東利穂子さんによる新作公演『告白の森』が、今月の21日から30日まで開催される予定である。そして11月から12月は1ヶ月以上、イタリア6都市を上演する欧州公演が始まる由。……私は最近はヴェネツィアやパリなどになかなか撮影に行く機会が無いが、一度もし機会が合えば、彼の地での公演を、正に水を得た観のある彼の地での公演を、ぜひ観たいと思っているのである。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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