私の手元に、今一冊の本がある。ヨゼフ・ガントナー教授が著した、レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年に抱いた〈世界水没のヴィジョン〉についての研究書である。おそらくは人類最高の知的怪物といっていいレオナルド・ダ・ヴィンチ。『モナリザ』以降に彼が辿り着いた考察の最終ヴィジョン。……それは、人類は水によって完全に滅亡するという結論であった。途中までは火であったが、彼はそれを修正して水、……すなわち大洪水によって人類は死滅すると、500年以上も前に確信を持って予言しているのである。
ここ10年くらい前までは、それはダ・ヴィンチ固有のヴィジョン、というよりも〈幻想〉として映っていた。しかし昨今の世界各地で起きている大洪水の凄まじさは、温暖化による海面の上昇、そして気化した水が再び天上から激しい雨となって襲来し、山の地中深くに入った水が山を裂き、土砂崩れとなって多くの人命を奪っている様を見ると、真顔でダ・ヴィンチの予言の序章がリアリティーを帯びていよいよ幕を明けてきた事に慄然とするのである。いわゆる地獄の釜開きである。
新幹線や車で地方に移動する際に、窓外の彼方に見る山裾に民家が集まっている事に、私は以前から疑問を覚えていた。あんな危険な所によく住めるな、というのがそれである。その事を問うと、おそらく返ってくる答えは次のようなものであろう。「今まで何も起きていなかったから大丈夫」「御先祖様が守ってくれている」「街中よりも自然と共生しているようだから」……etc.。そして結果としての(想定外)がまた起きてしまった。
驚いた事に、今回広島で起きた山崩れの場所― 八木地区という所は、市が作った危険地域を示す対象マップから外れていたという。しかし、この「八木」という地名が、元々はそうではなく、昔は「蛇落地悪谷」というオドロオドロしい地名であることを知った時、私は、それを暗いものとして封印し、安全地帯を装った事の代償を見たのであった。しかもこの地に古くからある神社の額絵には、蛇を退治する竜がおり、その横には、山頂から流れ出した大量の水が地崩れとなって落ちていく様が描かれていたのであった。「今まで何も起きていなかったから大丈夫!!」ではなく、そこは明らかな危険区域であって、今までに何度も山崩れが起きていた事を、住民は〈封印〉された事によって気付かなかっただけなのである。その八木を危険区域から軽々に外してしまった市への責任追及は免れないであろう。
全国の役所で作成している危険区域は50万ヶ所以上というが、上記の流れで行くと、その何倍もの区域がその対象になるかと思う。芭蕉の句「五月雨を集めてはやし最上川」や、光秀の「時は今雨の下しる五月かな」の強い雨は未だ叙情の内に在ったが、もはやここ数年来降るようになった雨は、私たちの知っていた雨とは大きく変質して、魔の水と化してしまった事をもっと認識すべきかもしれない。そして、かつては地名のその字面からその場を示す風景が見えていたのが、実に無味乾燥な地名、センスの欠けた地名へと多くの地名が変えられてしまったが、地名とは、実は生者と共に死者のためにも元来は在る事を知るべきであろう。魂の行き場を失くした彼らは、山中の奥深くの〈闇溜まり〉となって静かに息づいているのかもしれない。こうしてみると、川端康成の小説「山の音」が、いっそう不気味な夜の叙情として映ってもくるのである。