月別アーカイブ: 4月 2019

『巴里炎上』

……あれは、3年くらい前の9月頃であったか、ベルギ―とパリに撮影に行った時の話。まだイスラム過激派組織(IS)が盛んにテロ活動をしていた時、私と写真家のM氏はバスに乗っていて「ISがパリのメイン観光地を狙うとしたら、次は何処を標的にすると思うか!?」という物騒な話をしていた。そして私は言った。「自分がISだとしたら、狙うのはル―ヴル美術館かノ―トルダム寺である」と。……最も打撃が大きいのは、この二つであると考えたのである。……その翌日、私はセ―ヌ沿いの古書店「Shakespeare and Company」の脇の道を撮影の為に歩いていると、パトカーが何台も停まっていて不穏な気配。……後日知ったのだが、私が危ない発言をしていた正に同じ頃、以前にISのテロリスト達が射殺されたのを恨んだ女性たち四人組が、正に私の予言通り、ノ―トルダム寺院に、ガスボンベを積んだ車ごと激突しようという杜撰なテロ計画が進んでおり、私が古書店の脇を通る数刻前に、計画を察知したパリ市警によって、その通り近くで決行直前に逮捕されたのであった。(この未遂事件は後日、NHKでも特番で報道されたので、ご覧になった方も多いかと思う。)……ともあれ、その時、ノ―トルダム寺院は危うく難を逃れたのであった。

 

 

しかし、歴史的にも象徴的な意味でも最もパリの心臓部と云える、そのノ―トルダム寺院が、原因未だ不明の火災によって炎上し、建物の中心上層部がことごとく灰塵に帰した。その炎上する様は中継で報道され、世界中が驚愕し、悲しんだ。……私がその炎上する様を観て、すぐ脳裡に重ね合わせたのは昭和25年に起き、三島由紀夫が題材とした『金閣寺炎上』を撮影した記録映画の場面であった。観念の美と現実の美が相乗して燃え盛る様は、悪魔的なまでに美の顕現化した姿であり、私達の原初的な感覚を揺さぶって、ある意味エロティックでさえもある。私はノ―トルダム寺院が巨大な黒のシルエットとなり、その後ろで加虐的なまでに燃え盛る業火の様を見て、今、この瞬間に、暗夜のノ―トルダムに一目散に走った俊敏な映像作家が必ずやいるに違いないと想った!……1ヶ所に定点観測のようにビデオカメラを設置して、この瞬間に、美の結晶的刻印を絡め取らんと冷静に凝視している俊敏な人物が、悲嘆にくれる民衆の群れ中に紛れ込んで、間違いなくいるに違いないと想った。もしいたとしたら、その人物は私の稀有な美的同胞であるに違いない!!……サイレントで流されるノ―トルダムの崩れいく映像の姿は、もはや神の代わりにAI なるものを絶対神として仰ぎはじめている、愚かな現代の歯止めなき傾向に対して、我々にとって真に貴重な物は何だったのか!?を突きつけながら、過去の時間の知の殿へと去り行く告別の姿としてもそれは映ったのであった。……そして美とは毒を孕んだ強度にして麻痺的なものであるという意味でも、ノ―トルダムの燃えいく姿は、多くの示唆を含んだものとして私には映ったのであった。……しかし、世の多くの人々は、この度のノ―トルダム寺院炎上を、人類史的な意味や世界遺産的な意味も含めて大いなる損失と叫んでいるが、実は、その意味で今回のノ―トルダム寺院炎上よりももっと大変な、取り返しのつかない事が、それ以前に、このパリで現実に起きてしまっているという事に全く気付いていないのである。……それについて、次回、強い憤りと共に私は書きたいと思っている。

 

 

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『春の雪』

昨日、北関東地方を中心に大雨が降り、やがて雪となって、散り始めた桜の花びらの上に白く積もった。……いわゆる「春の雪」である。三島由紀夫の絶筆『豊饒の海』4部作の第1部のタイトルはまさしくその『春の雪』。輪廻転生・唯心論などを絡めたこの長編小説の序としては「春の雪」というイメ―ジは暗示的でたいそう美しいが、しかし、昨日、現実に降った春の雪は、気象の狂いを如実に示し、今夏の更なる気温の上昇を暗示してたいそう不気味極まるものがある。日々定まらない気象の変動で、私達の内面の疲労はそうとう疲れきっているに違いない。

 

さて、元号が「令和」というのに決まった。旧きを辿れば、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と幕末には激しく入れ替わり、明治、大正、昭和、平成……と続き、この度の「令和」であるが、明治辺りから元号の響きが緩んで来たのに対し、この度の「令和」は、また聖武天皇の天平時代に戻ったような、今と馴染まない復古調となり、意味を砕けば、人々の間の最も大事な和を冷やすようで、いささか冷たく素っ気ない。……元号というのは例えるならば、夏休みが終わった9月の新学期の教室に突然現れた転校生のようなものに似て、ある日突然の感がある。最初は馴染まなかったであろう昭和や平成……。しかし、事情があって次の転校生と入れ替わりで遠くに去っていくのを知るや、たちまち感傷的になり、去っていく同窓生に「本当は、お前の中に俺の思い出がたっぷり入っているんだよ!」と、取って付けたような寂しさひとしおとなるのであるが、この度の「令和」は、かなりひんやりとしていて、あまり向こうからも打ち解けて来ないように思われる。担任は「まぁ、みんな、うまく付き合ってやってくれよ」と云うのであろうが、「令」の語感の冷たさには、それにしても他に無かったのかと、万葉集に詳しい、その学者さん達の、マニアックな知識は結構だが、肝心な言霊の受容センスの無さには、いささかの「おむずがり」も出ようというものである。

 

 

 

 

 

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