月別アーカイブ: 7月 2017

『Morisotに恋して』

……突然であるが「模写」というものはいい。頭ではなくて、手と眼を通した色彩や線のなぞりからは、模写の対象であるその画家の、描画の際に移行していく意識や逡巡さえも伝わってきて、実に豊かなエッセンスの吸収や、作品への理解が出来て、実作者にしか見えない様々なものが身に付いてくるのである。筆法は文体にも似て、作者の密なるものがそこから透かし見えてくるのである。……高校生の頃は、よくこの模写をした。日本では佐伯祐三、西洋絵画では主にモネ、ドガ、そしてセザンヌあたりを熱心に模写したものである。しかし、マネはやがて卒業して、むしろ前代のマネやタ―ナ―に私の関心は移っていった。特にマネはどうしても解けない知恵の輪のように平明でありながら、その実は不可解な謎に充ちている。その謎の最大なるものは、マネはモネ達の新しいイズム、つまりは印象派の価値を最大に認めて支援しながらも、何故マネは、近代のその先へと進まず、足踏みするように自らを前代の中に押し込んでしまったかという謎である。

 

マネ(1832~1883)のその意識の深部に迫るべく、同時代を生きた、例えばボ―ドレ―ル(1821~1867)と比較して検証がなされる事が多いが、視点が社会学の域を出ていない為に、検証はきまって尻切れ蜻蛉に終わっている事が多い。……しかし、社会学ではなくて比較文化論的に絞って考えると意外に見えてくるものがある。つまり、西洋の謎を東洋の地―日本に移してみると、似たケ―スに辿り着くのである。その対象とは、マネとほぼ同時代を生きた明治の時代の人、夏目漱石(1867~1916)や森鴎外(1862~1922)と、モネ(1840~1926)とはやや遅れるが大正時代の人、芥川龍之介(1892~1927)や志賀直哉(1883~1971)を比較してみると面白い事が見えてくる。その検証の切り口として、乃木将軍の殉死(明治45年―1912年)の例を考えてみるとわかりやすい。乃木将軍の死に際し明治の人はこぞってショックを覚え、、漱石は『こころ』を、そして鴎外は『興津弥五右衛門の遺書』を書いているのに対し、芥川は乃木将軍の死に突き放した違和感を覚え、志賀は日記に「下女かなにかが無考えに何かした時と同じような感じがした」と素っ気ない。つまりは成長と共に形づいてくる個人の意識よりも、いつ生まれたかという時代の衣装、さらには意匠に、先ずもって決定的に我々の感受性は括られているという事が、このケ―スから見えてくるのである。マネがモネの才能や次代のモ―ドに理解を示したのと同じく、漱石は芥川の新時代の才能や更なる文学空間の拡がりを理解して芥川を文壇へと導いたが、自身の理念は生涯、明治の人であり続けたのと重なって来よう。私事になるが、私が美大の学生時に最初に出会って意識した表現者としては、銅版画の詩人と云われた駒井哲郎がいた。影響力のある人だけに、学生達は教祖を慕う信者のように、駒井の世界こそが銅版画の範であるかのごとく染まっていったが、二十歳の私はかなり醒めていた。駒井の感性のリアリティ―をいたずらに模倣する事に危険を覚え、何よりも、自分の表現空間の有り様を未知の方に見て、自分のリアリティは駒井哲郎とは違う、まだ先の地平に待っていると確信していたのである。……そして結果は正しかったと私は今、断言出来るのである。……これは表現者の場合だけでなく、普遍的に、人は誰もが、その生まれた次代軸の座標によって、感性を揺らしながら宿命的に生きていくのである。

 

……さて話をマネに戻すと、最近私はマネが描いた不気味な「ベルトモリゾ」の肖像が存在する事を知って驚いた。近代絵画の中で最も美しく描かれた一人に、マネの弟子であった画家のベルトモリゾがいる。美形のモリゾをマネはよほど気に入っていたらしく、およそ10点ちかいベルトモリゾの肖像が残っている。……美しかりしベルトモリゾ。しかし、もう一点のグロテスクな婦人像もまたベルトモリゾである事は、最近まで知られていなかった。……モリゾと親交があったルノア―ルでさえ「ヴェ―ルを被ったとても醜い婦人像」と記して気付いていない。またベルトモリゾ自身が「私は醜いというか、奇妙な姿をしています。詮索好きな人たちの間では妖婦と呼ばれているようです」と、姉に宛てた手紙に書き送っているが、確かにこのグロテスクな肖像は、ゾラの小説『ナナ』の娼婦像の悲惨を越えて、私がかつてロンドンで追い求めた『エレファントマン』の骨格標本(ロンドン病院所蔵)に似て、あくまでも怪異である。しかし、この二点は共に同年の作というから、そこから否応なしに画家とモデルとの私小説的なドラマが見えて来よう。さらには日記の秘められた叙述のようなものが……。ちなみにベルトモリゾは、マネの弟のウジェ―ヌと1874年に結婚しているが、この二点が共に描かれたのはその2年前である。……ピカソの主題は常に私小説的であり日記のようなものであったと云われるが、ピカソに限らず、表現者の創造のアニマとヴェクトル、そして表現の衝動はみな、日常の実人生の中から立ち上がってくる。日常性から形而上への性急なる昇華。その現場に立ち入れないところに、或いは評論の限界なるものも、あるように思われるのである。

 

 

 

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『突然、喉が……』 

先日、スパンア―トギャラリ―のオ―ナ―の種村品麻さんと話をしていたら、実に嬉しい逸話を話してくれた。品麻さんのお父上はドイツ文学者の種村季弘さんであるが、この人の眼力は三島由紀夫も絶賛したくらい、物の本質を見極める名人である。種村さんは、美術家から依頼されて個展の序文も書かれるので、その御礼や交遊の記念にと、美術家たちは自作をプレゼントするので、種村さんのコレクションの数たるや実に多い。この点は双璧と評された澁澤龍彦さんと似ている。北鎌倉の澁澤さん宅に今に残るコレクションもやはり多くの寄贈から成り立っているのである。……その種村品麻さんいわく、「親父が自分で購入したのは、北川さんとハンス・ベルメ―ルの作品だけですよ」と。……確かに拙作の『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』は、種村さんを特集した日曜美術館でも特別に愛蔵されている感じで映像に流れた事があったが、それよりも、私が高く評価しているベルメ―ルと対である点が実に嬉しく、私は素朴に喜んだ。そして私の作品について執筆する構想を抱いておられたが、果たせず亡くなられた事の具体的な詳細を私は品麻さんからお聞きした。確かにこれほど自信の裏付けとなる心強いものはない。……しかし、喜びのすぐ後で予期せぬ悲劇が私を襲った。突然声がかすれて来て、遂には言葉が出なくなってしまったのである。品麻さんも私の急な変調を心配されたが、また出直しますよとかすれ声で云って、私は画廊を出たのであった。……度々私を襲うこの奇妙な病気、しかし遂に咽頭癌の症状が出たかと私は焦ったのである。

 

過去に確か4回はあったと思われる、この奇病。さっそくクリニックで診てもらったところ、急性咽頭炎と診断された。全治2週間は要するとの事である。タブレットで調べてみると、美輪明宏さんも患い舞台をキャンセルした由。……歌は歌わないが、喋るのが存在の証しのようによく喋る私にとって、喋れないというのは1種の死刑宣告にも似た酷がある。更にタブレットで調べてみると恐ろしい事が記してあった。この病気が悪化した場合、最悪は喉から肺に至る気道が炎症によって塞がれる為に呼吸不全で死に至るとの由。……2週間経っても快復しないので、内科から耳鼻咽喉科のクリニックに変えてみたら、ようやく改善の兆しが見えてきた。……私はそこの看護婦さんから面白い事を聞いた。声がかすれている為にどうしてもヒソヒソ声で喋るようにしてしまうが、却って声帯の筋肉を弱くしてしまい、治った後もずっと小声になってしまうので、どうしても伝えたい時には、普通の喋りで簡潔に!と教わったのである。私がそれを聞いてすぐに連想したのは、瀧口修造さんの事であった。今では、その存在は伝説と化しているが、その瀧口さんが、全く聞き取れない感じで小声で喋るのは有名な話で、先日読んだ立花隆著『武満徹・音楽創造への旅』の文中で武満さんも言及しており、かなり聴き逃した貴重な話があった由である。その小声の原因は、奥さんが小声で喋るので、それに瀧口さんが合わせている内に小声になってしまったのである。その瀧口さんの小声での囁きは、あたかも聖なる話の秘技的な伝達であるかのように今日では神話化されているが、事実は声帯の筋肉の衰弱にあったとは面白い話かと私は思う。……今では神話化して伝わっている、その瀧口修造さんが小声で話される現場に偶然遭遇した事がある。……私がまだ美大の学生であった時、銀座の西村画廊で開催中の草間彌生展に行った時に、会場に瀧口さんが座っておられて、その横に草間彌生が座って、小声で話す瀧口さんの言葉を聴き逃すまいとする真剣な姿があった。自分の存在を全く主張しない事によって逆にブラックホ―ルのような強度な存在感を放っている、その老人の姿を最初に見て、ただ者ではない事は察したが、近寄って、その老人が瀧口修造さんである事を知って私もまた緊張したのを今もありありと覚えている。瀧口さん亡き後、その周囲にいた美術家のほとんどが俗世の欲に自身を落としてしまったが、それを思うにつれ、ますます瀧口さんの存在だけがより美しく、より孤高化していく観を覚えるのは私だけではないであろう。……閑話休題、長かったこの病気も日に日に快復してきているので、オブジェの制作もまもなく加速していく事であろう。暫く休んだ分、いま猛烈な創作への意欲が湧いているのである。

 

追記:   先月、ギャラリ―・サンカイビでの個展の時に、私はコレクタ―の土手秀人さんから実に貴重で興味深い贈り物を頂いた。……生前に瀧口さんが愛蔵されていた古い皿である。瀧口さんが亡くなられた後に、瀧口さんのコレクションの整理に関わった骨董商から土手さんへと渡り、そして縁あって私のアトリエに漂着したという次第である。青い絵具で一気に描かれたとおぼしき植物の線が部分的に滲んで妙味があるが、日本の器とは絞りきれない情趣があって面白い。推測するに、その器を諒とした感性を想えば、小林秀雄、永井龍男、堀辰雄、中原中也達と関わりのあった「山繭」の時代に入手した器かと思われる。…………また、画廊の視点から現代の美術の分野を牽引し、今では伝説的な画廊となった佐谷画廊の佐谷和彦さんは長年『オマ―ジュ瀧口修造』展を企画して、タピエス、デュシャン、そして、武満徹さんや駒井哲郎さん達が関わった実験工房と瀧口さんとの関連を軸に展覧会を毎年開催して来られたが、そのオマ―ジュ瀧口修造展の最後の作家として考えていたのが私の個展であった。私は佐谷さんからその企画構想がある事を打ち明けられた時は、荷が重いです、と語ったが、佐谷さんがやって来られた展覧会の唯一無二なレベルの高さを思えば、私は佐谷さんが抱かれた私への評価を素直に受け取って、以後の表現活動に鞭打つ覚悟である。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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