……突然であるが「模写」というものはいい。頭ではなくて、手と眼を通した色彩や線のなぞりからは、模写の対象であるその画家の、描画の際に移行していく意識や逡巡さえも伝わってきて、実に豊かなエッセンスの吸収や、作品への理解が出来て、実作者にしか見えない様々なものが身に付いてくるのである。筆法は文体にも似て、作者の密なるものがそこから透かし見えてくるのである。……高校生の頃は、よくこの模写をした。日本では佐伯祐三、西洋絵画では主にモネ、ドガ、そしてセザンヌあたりを熱心に模写したものである。しかし、マネはやがて卒業して、むしろ前代のマネやタ―ナ―に私の関心は移っていった。特にマネはどうしても解けない知恵の輪のように平明でありながら、その実は不可解な謎に充ちている。その謎の最大なるものは、マネはモネ達の新しいイズム、つまりは印象派の価値を最大に認めて支援しながらも、何故マネは、近代のその先へと進まず、足踏みするように自らを前代の中に押し込んでしまったかという謎である。
マネ(1832~1883)のその意識の深部に迫るべく、同時代を生きた、例えばボ―ドレ―ル(1821~1867)と比較して検証がなされる事が多いが、視点が社会学の域を出ていない為に、検証はきまって尻切れ蜻蛉に終わっている事が多い。……しかし、社会学ではなくて比較文化論的に絞って考えると意外に見えてくるものがある。つまり、西洋の謎を東洋の地―日本に移してみると、似たケ―スに辿り着くのである。その対象とは、マネとほぼ同時代を生きた明治の時代の人、夏目漱石(1867~1916)や森鴎外(1862~1922)と、モネ(1840~1926)とはやや遅れるが大正時代の人、芥川龍之介(1892~1927)や志賀直哉(1883~1971)を比較してみると面白い事が見えてくる。その検証の切り口として、乃木将軍の殉死(明治45年―1912年)の例を考えてみるとわかりやすい。乃木将軍の死に際し明治の人はこぞってショックを覚え、、漱石は『こころ』を、そして鴎外は『興津弥五右衛門の遺書』を書いているのに対し、芥川は乃木将軍の死に突き放した違和感を覚え、志賀は日記に「下女かなにかが無考えに何かした時と同じような感じがした」と素っ気ない。つまりは成長と共に形づいてくる個人の意識よりも、いつ生まれたかという時代の衣装、さらには意匠に、先ずもって決定的に我々の感受性は括られているという事が、このケ―スから見えてくるのである。マネがモネの才能や次代のモ―ドに理解を示したのと同じく、漱石は芥川の新時代の才能や更なる文学空間の拡がりを理解して芥川を文壇へと導いたが、自身の理念は生涯、明治の人であり続けたのと重なって来よう。私事になるが、私が美大の学生時に最初に出会って意識した表現者としては、銅版画の詩人と云われた駒井哲郎がいた。影響力のある人だけに、学生達は教祖を慕う信者のように、駒井の世界こそが銅版画の範であるかのごとく染まっていったが、二十歳の私はかなり醒めていた。駒井の感性のリアリティ―をいたずらに模倣する事に危険を覚え、何よりも、自分の表現空間の有り様を未知の方に見て、自分のリアリティは駒井哲郎とは違う、まだ先の地平に待っていると確信していたのである。……そして結果は正しかったと私は今、断言出来るのである。……これは表現者の場合だけでなく、普遍的に、人は誰もが、その生まれた次代軸の座標によって、感性を揺らしながら宿命的に生きていくのである。
……さて話をマネに戻すと、最近私はマネが描いた不気味な「ベルトモリゾ」の肖像が存在する事を知って驚いた。近代絵画の中で最も美しく描かれた一人に、マネの弟子であった画家のベルトモリゾがいる。美形のモリゾをマネはよほど気に入っていたらしく、およそ10点ちかいベルトモリゾの肖像が残っている。……美しかりしベルトモリゾ。しかし、もう一点のグロテスクな婦人像もまたベルトモリゾである事は、最近まで知られていなかった。……モリゾと親交があったルノア―ルでさえ「ヴェ―ルを被ったとても醜い婦人像」と記して気付いていない。またベルトモリゾ自身が「私は醜いというか、奇妙な姿をしています。詮索好きな人たちの間では妖婦と呼ばれているようです」と、姉に宛てた手紙に書き送っているが、確かにこのグロテスクな肖像は、ゾラの小説『ナナ』の娼婦像の悲惨を越えて、私がかつてロンドンで追い求めた『エレファントマン』の骨格標本(ロンドン病院所蔵)に似て、あくまでも怪異である。しかし、この二点は共に同年の作というから、そこから否応なしに画家とモデルとの私小説的なドラマが見えて来よう。さらには日記の秘められた叙述のようなものが……。ちなみにベルトモリゾは、マネの弟のウジェ―ヌと1874年に結婚しているが、この二点が共に描かれたのはその2年前である。……ピカソの主題は常に私小説的であり日記のようなものであったと云われるが、ピカソに限らず、表現者の創造のアニマとヴェクトル、そして表現の衝動はみな、日常の実人生の中から立ち上がってくる。日常性から形而上への性急なる昇華。その現場に立ち入れないところに、或いは評論の限界なるものも、あるように思われるのである。