東京と横浜をつなぐ東横線に「元住吉」という名の駅がある。その駅を出て、商店街を抜けてしばらく行くと、急に人家が絶えて、彼方の小高い丘の上に巨大な建物が在るのが見えてくる。知的障害者の子供達が通う学校である。野犬が多いのか、遠くから犬の鳴き声が不気味に聞こえてくる寂しい場所であった。……今から40年ばかり前に、その丘を目指して歩いている一人の青年がいた。……まだ美大生の頃の私である。知人の紹介で、夜になると無人となる校舎の夜警の仕事を、その日からバイトでする事になったのである。
下校する障害者の子供達とすれ違いながら学校に着くと、校長から幾つかの注意を聞かされた。開口一番に校長が私に言ったのは(―ともかく、侵入してきた不審者と遭遇したら、闘わずに、とにかく逃げて下さい!)という言葉であった。この言葉には切迫した実感があった。私が夜警のバイトをする事に決まってすぐの日に、都内の学校の警備員が、侵入した不審者と深夜に遭遇して斬殺されるという事件が起きたばかりだったからである。犯人は刑務所を出所したばかりの暴力団員で、金目当てで日本刀を持って校舎のガラス窓を割って忍び込み、警備員と鉢合わせして切りつけてきたのである。……警備のバイトならば楽をして、好きな読書がおもいっきり出来ると踏んでいた私のよみは少し外れて、私もさすがに緊張した気持ちになっていた。部活で剣道をやっていたので腕に多少の自信はあったが、相手が日本刀ではいささか分が悪いというものである。………………私は木刀を持って、深夜の無人の広い校舎を廻ったのであるが、廊下の角に来たら直角に曲がらず広く半円を描くようにしてまわるようにした。角に隠れている不審者に刺されない為の用心である。また、懐中電灯は点けずに消したままにして歩く事にした。幸い、私の特技は、足音を立てずに歩ける事だったので、これは幸いした。……しかし、妙なもので、警備員室の寝床の中で本を読んでいると、私以外は無人のはずの校舎の遠くからカタ―ンという、あるはずの無い音が小さく聞こえてくる時が度々あった。……まぁ、その時に読んでいた本が悪かったのかもしれない。ともかくその時に読み耽っていたのは、泉鏡花の奇譚小説『歌行灯』であった。
先日に相模原の知的障害者施設で起きた戦後最大の凶行事件を知って私が思い出したのは40年前の夜警の、あの時の体験であった。しかし、私の場合は無人であったが、今回の事件の際には数人の職員と、19名の犠牲者を含めて多くの入所者がいた。―そこに犯人の男が深夜にガラス窓を破って入って来たのである。戦後最大の凶行はかくして起きたのであるが、世界の犯罪史上最大と言われる「津山30人殺し」が起きたのは昭和13年である。以前にこのメッセージ欄でも書いたが、私がその犯行現場となった、今に残る岡山県美作加茂の貝尾部落を訪れて、もはや数年の時が経つ。今も長雨の夜になると決まって、その時の体験を思い出す。被害者の身内であった老婆から私は現場で事件の詳細を伺ったが、あの時の老婆はもう泉下の人となっているに違いない。……関東の梅雨明けは遅く冷たい長雨が続いていたが、そんな時には何故かあの凶事の事を思い出して、窓外の庭の木々の葉群らにふと目をやってしまうのである。