月別アーカイブ: 1月 2015

『二人の寅次郎』

テレビで昔の映画の再放送を見ていると不思議な感覚を覚える時がある。登場する俳優たちの多くが既に亡くなっている場合、ふとそこに集まっている今は亡き俳優たちの、語り、笑い、泣くシーンを見ていて、それが「あの世」の光景に見えて仕方がない時があるのである。

 

それを最も顕著に覚えるのは日本映画では、例えば、渥美清主演による『フーテンの寅』シリーズである。葛飾柴又のあの茶の間は、いつも決まったカメラアングルの為か、絶対空間としての死者たちの集合場に見えて、時折ひんやりとした気持ちになる事がある。

 

それはさておき、主人公のフーテンの寅こと車寅次郎は、何よりもその名前が良い。単純・侠気・行動力が、その名前にありありと現れている。しかし、この寅次郎という名前が、150年前の或る人物から採っている事を知っている人は案外少ないかと思う。その150年前の人物とは、・・・・誰あろう、吉田松陰である。松蔭の本名は吉田寅次郎。何故彼の名前から採ったかと言うと、日本全国を歩き巡ったその行動力に拠るらしい。伊能忠敬・間宮林蔵に次いで、徒歩で日本全国を歩いた距離の最長者はおそらく吉田寅次郎であるが、そこから車寅次郎の名前を決めたという事を、以前に『フーテンの寅・制作秘話』をテレビで見ていて知り、妙に感心したのを覚えている。車忠敬・車林蔵ではなく、やはりあのフーテンの寅は車寅次郎がピタリとはまってくるものがある。その舞台となった柴又に美味しいウナギの店があるというので行った事があった。実際のその場所が虚で映画の中が実となって映るほどに、その場所は張りぼてに見えて妙であった。実を飲み込んで、虚が実以上に鮮やかに見える時、そこにリアリティーが立ち上がる。「フーテンの寅」は卑近で俗で、そこにはおそらく何も無い。しかし「継続は力なり」を実証するように、あの映画には何か名状し難い、心の琴線に触れるものが結晶化して、封印されているように思われる。・・・・・・・・・・・何とも不思議な映画である。

 

さて、大事な展覧会のお知らせを。今月24日より2月初旬まで、銀座の画廊 ― 中長小西で、瀧口修造・松本竣介・山口長男、そして私の作品(私は四点出品)他が展示されているのでぜひ御覧頂ければと願っている。私のは珍しい試みの作品。今回展示されている瀧口修造の作品は彼の中でも秀逸であり、一点自立性の強さを孕んでいて美しい。クオリティの高い展覧会になっている。

 

 

 

《中長小西》

東京都中央区銀座1-15-14 水野ビル4F

電話:03-3564-8255

時間:11時~19時まで。日曜休廊。

 

 

そして、今月の28日から2月3日まで、横浜の高島屋美術画廊で私の個展『Stresaの組鐘 ―  偏角31度の見えない螺旋に沿って』(PartⅡ)を開催します。コラージュを中心とした展示ですが、私の「現在」が開示されています。出品点数は50点以上。会期中は毎日在廊の予定。ご高覧頂ければ嬉しいです。

 

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『横浜が消えていく』

今月14日付の新聞の1面を見て唖然とした。そこには「明治の遺産無惨」と題して、明治末期に建てられた旧三井物産横浜支店倉庫の解体が進み、もはや外観は半分近く無くなり、白い化粧煉瓦や屋根の断面が露出している事を報じていたのである。記事によれば、富岡製糸工場と並ぶ「世界遺産級」の評価があった建物との事。製糸工場を残した群馬県の良識に比べ、神奈川県の無策はかくも甚だしい。・・・・後は駐車場になるとの由。

 

今から三十年前に、この三井物産倉庫の隣に私は二年ばかり住んでいた事がある。近くの万國橋やキリコの絵に登場しそうな赤煉瓦倉庫など、古き横浜の風情が未だ残っていて、深夜に近くの横浜港に停泊している船から鳴らされる汽笛が情趣たっぷりに響いていた。山下公園近くに住んでいた時には、すぐ近くの同潤会アパートが解体されるというので、深夜に立入り禁止の柵を超えて忍び込んだ事があった。住人はすでに立ち退いていた筈であったが、何故か一室だけが灯りがもれていたので近寄ってみると、静かにレコード盤から「テネシーワルツ」が流れていて、私は陶然とした気分で聞き入ったもので。/ある。そこには有島武郎大佛次郎の小説のイメージ世界の延長が確かにあった。

 

忍び込んだと云えば、山手の西洋館がその頃には空き家となっているのが多く、旧友と共に入り込んで、「物語」の終わった劇場のような空間や、地下室を見て廻ったことがある。今は近代文学館になっている敷地には、以前には、ポーのアッシャー家のような煉瓦作りの家が朽ちたままに在り、その空き地では、コクトーの小説のごとき、危うい気配を持った外国の少年たちが、夕暮れの中の暗い影となって遊んでいた。そして、その先には精神病棟が在ったが、その建物は、明治末期に英国人の妻が夫を砒素で毒殺した後に廃墟となっていた所を、安価で買い取って造られた事を、私は知っていた。小説の題材となりそうな「物語」の気配が、その頃の横浜には未だ幾つも転がっていた。

 

土地には各々、様々な固有の趣があるが、横浜の場合それは異国情緒とノスタルジアであろう。かつて三島由紀夫が横浜を舞台にして書いた「午後の曳航」にはそれが漂っていて、そこに毒が絡んで、小説の最終行近くで殺人が描かれている。・・・・・本来、都市には陰と陽が両輪のように在って、それが都市空間に独自な情趣を立ち上がらせている。例えば、ヴェネツィアがそうである。イタリアに限らず、フランスほか西欧の多くは、建物の古い外観を残し、内側の補強をして、過去からの時の流れを受け継ぎながら、情趣豊かな「現在」を紡いでいる。先に述べたような、この国のヴィジョンなき無策とは異なり、行政には豊かな発想力と知恵がある。

 

横浜からは、もはや「横浜」たらしめていた情趣は無くなり、「物語」の気配が消えていって既に久しい。私はこの情趣が好きでこの地に長く住んできたのであるが、今後、さぁどうしたものかと想う時がある。想いながら、アトリエへと続く坂道を今日も上がり下りしているのである。

 

 

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『新春は巴水から』

新年あけましておめでとうございます。私からの年賀状を先ずは画像でお送りします。この写真は、昨年のイタリアでの撮影時にローマで撮ったものに手を加えたもの。低い大理石の机の下でふと見つけた羊の彫刻。「これを来年の年賀状に使おう!」と思って撮った写真です。

 

 

さて、新年早々に日本橋高島屋で開催中の川瀬巴水(かわせはすい)展に行く。巴水はいい!!広重の叙情のエッセンスを継いだような哀しみがあり、私たちとは少し時代を異にするが、その画面の気配の中に、私たちは自分の失って久しい影を、ありありと見てとってしまうのである。私たちの感性は、実は新しい発明を享受する事になど、とっくに疲れ切ってしまっている。詩人の中原中也が叫んだように、電話以降の発明は、人間の本質にある大事なものを、実は壊していくにすぎないのである。不足感の中に流れるゆったりとした時の流れ。人と人との心の交流。四季の風情。私はゴヤやベルメール、そしてジャコメッティ、ヴォルスなど、こちらに向かって突いてくる作品を愛する者であるが、アトリエに掛けてあるそれらの中に、巴水の版画をひっそりと掛けて見たいと、いつしか思うようになっている。何もけっして疲れているのではない。巴水の主題と私のそれとは、表相を異にしながらも、ノスタルジアへの強い想いが在るという点で一致していると思うからである。さぁ、新しい年が始まった。今年も新たな表現の領域に挑ばなければならない。その為には、イメージの狩人としての未知なる感性の武器を磨いていかなくてはならない。新たなる未知の表現世界。今、少しづつそれが見えて来ているのである。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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