4月の初旬に、久しぶりに福井に帰郷した。個展のためであったが、今回はもう1つの目的があった。それは私が小さい時にたびたび父に連れられて行っていた、親戚のいる小さな村にある池を見に行く事であった。……2年前に兄の納骨の時に従妹と会った際、私が小さい頃によく遊んでいた池に連れて行きたいという話になり、私は一緒に車でその村に行き、その池を見た。見て、疑問が湧いて来た。……全く私には見覚えがなかったからである。しかし従妹たちは私がその池をとても気にいっていて、村に来た時には真っ先にその池に行き、いつも暗くなるまで遊んでいたのを、今でもよく覚えているという。……過去という消え行く時間に対しては異常に執着があり、それは私の作品の主題の一つにさえなっており、過去の記憶に関しては、全てが繋がるくらいに視覚的に覚えているだけに、全く幼年時代の記憶から、まるでその池の事を書いた記述のある頁だけが引き裂かれたように抜け落ちている事が、その後ずっと気になっていた。だから、個展が開かれるのを機に、もう一度その池を見に行きたくなったのである。……4月初旬。福井駅に着くと従妹達が迎えに来てくれて、先ずはその池へと車で向かったのであった。しかし、池の近くにある神社や、遥かに見る山河の眺めは記憶のままに私を迎えてくれたのであったが、その池だけは2年前と同じく、記憶から抜け落ちたままにあくまで静かであった。
……しかし、池の事を除けば、幼年時代の記憶のままに見るこの静かな村の眺めは、21世紀の今の殺伐とした騒音を離れて、タイムスリップしたようにその豊かな抒情を湛えており、たちまち私は夭折の詩人、立原道造の代表作『のちのおもひに』の冒頭の一節を思い出した。
夢はいつもかへって行った/ 山の麓のさびしい村に/ 水引草に風が立ち/ 草ひばりのうたひやまない/ しづまりかへった午さがりの林道を/……………………………………………………………………………………
私は、立原の詩を思い出しながら、私が今ここにいる意味に気づいた。それは表現者の私の無意識の内に棲まう、創造への衝動を立ち上がらせている事に気づいたのであった。……私は記憶から欠落しているこの池を、次の詩集に書き加えようと本能的に計っている事に気づいたのである。……記憶からの欠落・水・水底、時間が停まったままの風景、時空間の歪み……。かつて読んだレイ・ブラッドベリ(アメリカの幻想文学の第一人者)の代表作『みずうみ』は、SFと抒情詩を絡めた最高傑作であるが、私はそれに挑むかのように、眼前に静まり返っている池を何物かに見立てて書こうと思っている自分自身に、ようやく気づいたのであった。第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』に続く次の詩集のタイトルは、既に決めてある。……眼前の池が如何なる風に変容するのか、そして果たして、その水底から暗く秘められた「何」が浮かび上がって来るのかは、私自身まだわからない。とまれ、池の光景を今度はしっかりと記憶に留めて、私はアトリエに戻って来たのであった。
……続いて、フランス北西部、ブルタ―ニュ地方にある池、……通称『洗濯女のいる池』と、パリのパサ―ジュの話を書く予定であったが、この実際に現存する池の話は不思議さと不気味さを存分に含んでおり、立原道造のあまりに美しい詩が、それは今回でなく次回にぜひ書けと言うので、気合いを入れてちかじかの続きとして挑もうと思う。よって、読者諸兄には乞うご期待なのである。
〈追記〉……ブラッドベリの『みずうみ』のあらすじは、以下のような内容である。
……結婚したばかりの一人の青年が妻を連れて故郷に帰って来る。そして村のはずれにある湖に連れて来る。妻はその美しい眺めに感動するが、しかし主人公の青年には、この湖への辛い過去の記憶があった。
青年がまだ幼い頃、仲がよく、いつも一緒に遊んでいた美しい少女がいた。二人はよくこの湖に来て遊んでいたが、或る日、二人を悲劇が襲った。湖で少女が溺れ、遂に死体は浮かんで来なかったのである。……時が経ち青年は都会に出て、やがて結婚した。……そして新婚の妻に自分が育った懐かしい故郷を見せたくなりはるばる列車に乗って帰郷する。……そして、件の湖を妻に見せる。妻は美しい眺めに驚嘆するが、青年は今まで記憶から封印していた過去の悲しい思い出を、いつしか思い出していた。……………… その時であった。湖の対岸で何人かの人が湖面を指して騒ぎ始めたのであった。子供の水死体が浮かんだのである。幼い死体は岸辺に運ばれる。青年はその岸辺に駈けて行き、その水死体を見て愕然とする。死体は、青年が幼い時にこの湖に沈んだまま遂に浮かんで来なかった、あの美しい少女なのであった。しかも不思議な事に、死体は全く腐乱しておらず、正につい先ほど水死したかのように、あの時の少女そのままの美しい姿なのであった。…………遠くから妻が近付いて来て、夫である青年に声をかけた。青年は振り返り妻の顔を見る。しかし青年の目に映ったのは、全く見覚えなどない、知らない女性の顔なのであった。