月別アーカイブ: 2月 2022

『アンダルシアのロバ』

……私はロバが好きである。あの哀しみを含んだ目、荷駄を運ぶ為の、ひたすら働く事を宿命付けられたあの小柄な体形。『ピノキオ』や『ブレ―メンの音楽隊』や、寓話『ろばを売りに行く親子』にも登場するロバは、哀愁やノスタルジアを具現化した…何か特別な生き物のように思われる。

 

 

しかしロバを観たくてもたいていの動物園にはなかなかいない。珍しくロバが観れる動物園がある事を知ったので、さっそく出掛けてみた。……その場所は私のアトリエから近い川崎の高台にある『夢見ヶ崎動物公園。』……名前の「夢見ヶ崎」という言葉が何やら意味深なので気になり調べてみると、果たして、動物園裏側には寺が五つも建ち、墓地や川崎の空襲で亡くなった人達を祀る巨大な慰霊塔があり、しかも実際に自殺者が最も多い事で知られる関東でも指折りの心霊スポットの由。

 

しかしその日の私にそれは興味が無く、唯ひたすらにロバ、ただそれだけが目的であった。……寒い日だとロバは小屋から出て来ないというので、電話を入れて確認してから観に行った。…………園内の日陰の暗くて寒い所にそのロバはいた。久しぶりに観る哀愁を含んだ何物かがそこにいた。……そして眼前のロバを観ていると遠い記憶が甦り、かつて訪れたアンダルシアの日々を私は思い出していた。

 

 

 

1990年の晩秋から翌年の秋迄の1年間、生活の拠点はパリであったが、その間に私は4回、スペインを訪れている。その中でも特にアンダルシアは忘れ難い場所である。2回目の春にスペインを訪れた時、私はマドリッドから南下してアンダルシアグラナダセビリアを10日間ばかり訪れた。グラナダのアルハンブラ宮殿ヘネラリフェ、大聖堂は定番であり、勿論私も訪れたが、その日の目的は、グラナダの郊外にあるカルトゥハ修道院であった。バロック様式の粋を極めた宮殿のような大伽藍も見事であるが、私はここでしか観れない異端審問の残虐極まる実録の様を描いた絵画を観たかったのである。

 

アルハンブラ宮殿を遠望に視る、ジプシ―の巣窟のあるアルパイシンの丘でタクシ―を拾い、私は件の場所を目指した。覚えたての暗記した言葉で運転手に「quiero ir a la Monasterio de la Cartuja」(カルトゥハ修道院に行きたい)と言うと、「entiendo!」(了解だよ!)の返事。私はあっさり通じた嬉しさで、言わなくてもいい言葉でヨイショした「me gusta granada la mejor de espana!」(私はグラナダがスペインで一番好きなんだよ)と。…これがいけなかった。この剽軽な運転手はよほど嬉しかったのか、突然高い奇声をあげたかと思うや、それこそ車で混みあったグラナダの道を、アミダくじの中を車で時速300Kmでとばすようにうねりながら、猛スピ―ドで走り続けたのであった。私はやはりスペインのカダケスの細い断崖の道をダリの家を目指してボンネットバスで揺られながら行った時に、堕ちれば谷底という体験をした事があるが、その時と同じく「今日死ぬのか!」という恐怖を味わったのであった。ともあれ、郊外にある修道院へはアッという間に着いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は軽装であり、手にした旅のガイドブックは澁澤龍彦『ヨ―ロッパの乳房』ただ1冊であった。この本の中でアンダルシア、特にグラナダについて語っている事の本質は、この土地特有の「永遠」という感覚の覚えである。……この地に流れている悠久の感覚。流れ去る時間の哀しみ、その中に刹那、私達は生き、死んでいく、その永劫の中に在る事のポエジ―。そして、終には美しき忘却との合一。…………その哀しみの中にロバがいる!……美術史上の絵画の中でロバが登場する作品が幾つあるか、ふと想った。……ゴヤ、ピサロ、ピカソ、ルノア―ル等……が次々に浮かんだが、私が一番好きな作品は、ミロの初期の代表作『農園』の中に登場するロバである。……この作品を所有していたヘミングウェイは「この絵には、スペインに行ってその土地で感じる全てと、スペインから遠く離れていて感じる全てがある。誰も他に、こんなに相反した二つのものを同時に描きえた画家はいない。」と書いているが、この短い言葉の中にこの絵の魅力の本質が全て書かれている。……その絵『農園』の中の、画面右寄りに小さくロバが描かれているのである。

 

 

ミロ『農園』

 

 

ゴヤ『カプリチョス』

 

 

 

……ピサロやルノア―ルを除けば、ロバを描いているのは皆、スペインの画家である。しかも皆、ロバの本質をよくとらえている。……ロバ、ロバをこの地で視てみたい!……そう思い詰めるように、このグラナダの坂を上がり降りしていると、人気の絶えた或る石段の上で、私の気持ちが通じたように、ロバが1頭繋がれたままの姿でいるのに遭遇した。近寄ってみても私を恐がるでもなく、ロバは自身の運命を知っているかのように黙ったままであった。周りはあくまでも静かで無人であった。……すると急に石段の下から泣き叫ぶ少年の声がしたかと思うと、小さな子供たちの集団が上がって来た。視ると、仰向けに倒された少年の両手を左右の少女が引っ張ったまま笑いながら石段を上がって来るのである。一段ごとに少年の頭、体が石段にぶつかり、少年は泣き叫んでいる。それを子分のような数人の少女達が面白がってついてくる。グラナダの一場景と言えばそうであるが、まるでスペインの映画監督ルイス・ブニュエルダリの合作映画『アンダルシアの犬』の一場面みたいだなと思った。残虐な場景も、描きようによっては美しい詩情と化す。……かくして、そのロバとグラナダの子供達の一幕の場景は、私の中で永く記憶に残る事となった。

 

とまれ、その1年間で私はスペインに4回行ったわけであるが、帰国直前、イギリスからパリを経由して帰国するのであったが、スペインへの想いは高まって、最期は、イギリスからパリに入り、その夜の夜行列車で私はグラナダへと向かったのであった。……スペインを離れる時、いつも決まってその度に彼の地に、私は重大な忘れ物をしてきたような想いに駆られて仕方がない。……それを、先日観たロバから卒然と思い出したのであった。……忘れ物とは何か?……私にはまだその答えが見えていない。

 

 

 

 

 

 

 

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『……ブログの連載、十二年目に突入!!』

……ふと来し方を思い返すと、このブログの連載も12年近く続いている事になる。……早いものである。今まで『未亡人下宿で学んだ事』や名優勝新からこっぴどく説教された『勝新太郎登場』など、たくさんの自称名作のブログが生まれて行き、未知の人達とのご縁も増えていった。ネットの拡散していく力である。……多くの読者に読まれている事はなによりであるが、時折、意外な角度からオファ―が来て驚く事もある。

 

……以前のある日、電車に乗っていると突然フジテレビのニュ―ス番組制作部から電話が入り、『モナリザ』の古い写し絵が発見されたので、今夕、ダ・ヴィンチについて番組の中で自説の推理を自由に喋って欲しいという話が飛び込んで来た。訊けば私のブログを毎回読んでおり、また私の本の読者でもあるという。……この写し絵(推察するに弟子のサライが描いた)に関しては私も興味があったので快諾して自説を喋った。……また先日は、TOKYO・MXTVから連絡が入り、これもまたダ・ヴィンチについて、樋口日奈(乃木坂46)やAD相手に番組の中で喋って欲しいので、市ヶ谷のソニ―ミュ―ジックビルに来て欲しい……という突然の話。これは私の日程が合わず、代わりに知人のダ・ヴィンチ研究家のM氏を紹介したが、さぁその後どうなったであろうか……。

 

……また、最近、二つの出版社から、私の今までのブログから抜粋してまとめた本を刊行したいという話を各々頂いたが、これは私のブログに対する趣旨とは異なるのでお断りした。樋口一葉日記や作家達の戦中日記と同じく、私的な備忘録―生きた証しであり、また読者の日々の気分転換になれば……という思いで書いているので、このままが一番いいのである。

 

 

しかし、そういった角度とは違う、このブログへの反響といったものもある。……というのは、昨年に刊行した私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』を私のサイトで購入出来る方法を載せたところ、購入希望者が一時期ほぼ毎日のようにあり、合わせて200冊以上、署名を書いてお送りする日々が続いたが、さすがに最近は落ち着いていた。

 

……しかし、何故か2週間くらい前から再燃したように詩集の購入を希望される方からの申し込みがまた入るようになり、この2週間で新たに40冊ちかい数の申し込みがあり、詩集の見開きに黒地に銀の細文字でサインを書き、相手の方の署名・日付も書いてお送りする日々が続いている。

 

……しかしなぜ突然、詩集の購入希望者が再燃するように増えたのか知りたくなり、申し込み書に連絡先が記してあるので、失礼ながら謎を解きたくなり数人の方に伺った。……その理由はすぐにわかった。前回のブログに載せた『ヴェネツィアの春雷』(『直線で描かれたブレヒトの犬』所収)の詩を読まれて気に入り、また併せて書いた私の詩に於ける発想法が面白かったというのである。……現代詩はわからない、ピンと来ないと思っていたが、こと私の詩に関しては、その言葉の連なりに酔う事が出来、自分の中から直に自由なイメ―ジが沸き上がり、もっと読んでみたくなったのだという。……かつての中原中也や宮沢賢治がそうであったように、書店を通さない直に購入希望者を募るという方法はアナログ的ではあるが、よりその人達とのご縁が生まれる可能性に充ちており、私はこの方法が詩集のような少部数の出版には合っていると思う。

 

 

 

 

 

……では最後に、第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』に入っている詩の中から、三点ばかり、今日はこのブログでご紹介しよう。(詩集には八十五点の詩が所収)……先ずは、前々回のブログに登場した、私が泊まったヴェネツィアのホテル『Pensione Accademia』の真昼時の裏庭に在った日時計を視ながら着想した詩。

 

 

 

『アカデミアの庭で』

日時計の上に残された銀の記憶/蜥蜴・ロマネスク・人知れず見た白昼の禁忌/水温み 既知はあらぬ方を指しているというのに/ヴェネツィアの春雷を私は未だ知らない

 

 

『光の記憶』

光の採取をめぐる旅の記憶が紡いだ仮縫いの幻視/矩形の歪んだ鏡面に映るそれは/永遠に幾何学するカノンのように/可視と不可視との間で見えない交点を結ぶ

 

 

(……この詩は、写真作品の撮影の為にパリやベルギ―、オランダを駆け回った時の記憶を再構成して書いた作品。)

 

 

『割れた夜に』

亀裂という他者を経て/アダムとイブと/独身者は花嫁と重なって/アクシデントに指が入る。/コルセットに感情を委ねて/少し長い指が犯意と化す。/四角形の夜/あらゆる罪を水銀に化えて/アクシデントに指が入る。

 


 

(作品部分)

 

(……この詩は、20世紀美術の概念をピカソとパラレルに牽引した謎多き人物マルセル・デュシャンの代表作『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』から着想した詩。周知のように、未完であったこの作品を運ぶ途中に、トラックの運転手の荒い運転により発生した偶然の予期せぬ事故で硝子の表面に扇情的な美しい亀裂が入り、この作品の最終の仕上げが他者を経て完了したという逸話がある。……私の思念していた「アクシデントは美の恩寵たりえるのか!?」という自問を詩の形に展開したもの。)

 

(作品裏側)

(作品全体)

 

 

 

……さて次回のブログは一転して、舞台はスペインへ。旅人というよりも異邦人と化した私の追憶『アンダルシアのロバ』を書く予定です。乞うご期待。

 

 

 

 

 

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『ダリオ館の怪―in Venezia』

今回は、前回の京都の話から一転してヴェネツィアの話。かの地に現在も進行中の或る館にまつわる怪異譚の話である。……その館の名はダリオ館(Palazzo Dalio―1479年に商人のジョヴァンニ・ダリオが娘の婚資の為に建立)。アカデミア橋を渡り、グッゲンハイム美術館に向かう途中の大運河沿いにある館で、多色の大理石を使った円盤の目立つ造りが運河に面し、半ゴチック、半ルネサンス様式の一目でそれとわかる特徴的な作りである。

 

(その外観と内部の画像を掲載しよう。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は今までに5回ヴェネツィアを訪れているが、そのダリオ館の名とそこにまつわる奇怪な話を知ったのは3回目・2002年の時であった。……後に刊行する事になる拙著『「モナリザ」ミステリ―』(新潮社刊)のダ・ヴィンチの足跡を実際に辿る為に先ずはロ―マから北上し、フィレンツェ・ミラノ・そしてパリへと至る取材の旅の途次にヴェネツィアに立ち寄ったのである。……季節は春であった。私はこの地に在住している建築家のS氏と会うため、サンマルコ広場にある「Cafe.Florian」で待ち合わせて、夕刻にゴンドラに乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴンドラは、私が部屋をとってあるアカデミア橋河岸沿いのウェスティン ヨーロッパ &レジ―ナの側にある船着場から出発し、ゴンドリエ―レ(船頭)の巧みな漕ぎによって、忽ち私たちは大運河の中心へと滑り出た。すると突然、彼は漕ぐのを止めて対岸にある一軒の古い館を私たちに指差した。……それがダリオ館との出会いであった。S氏の通訳によると、その館では、創建時から悲劇が起こり、ダリオの娘の結婚相手が刃物で刺殺され、悲嘆した娘は館内で自殺。二人の息子も強盗によって殺された。その後も、私が好きなフランスの詩人アンリ・ド・レニエはダリオ館の伯爵夫人から館に招待されるも重病にかかりヴェネツィアを去るが、その際に「館には何故か異様に巨大な鏡と時計があった」「深夜に人の呟くような声がした」と語っている。その後、館の所有者となった大富豪の愛人が自殺。

 

 

有名なテノ―ル歌手がダリオ館を買う契約書に署名の為にヴェネツィアに行く途中で車の事故で重傷。その後はトリノの伯爵が館の庭で刺殺される。……有名なロックバンド「ザ・フ―」のマネジャ―はダリオ館滞在中に麻薬にのめり込み後に逮捕・破産。しかしまだそれまでは軽かったかもしれない。その後は所有者が次々とこの館で動機不明の自殺が続く。……私が最初にヴェネツィアに滞在していた時はまだ存命だった所有者は、その2年後にピストル自殺。

 

 

……私がゴンドリエ―レから話を聞いた時、彼は心配気に「今は、ウッディ・アレンがダリオ館購入に乗り気だ」という。そしてこう付け加えた。「彼は間違いなく死ぬだろう!!」と。……それを聞いた私は「館に忍び込んで自殺者が続く原因を調べてみたいものだね」と軽く口にした。「止めておけ!!」その言葉を塞ぐようにゴンドリエ―レの鋭い言葉が返ってきた。……その後、ウッディ・アレンはまわりの忠告を聞いて購入を断念したという話が後日に入って来た。

 

 

……しかし、と私は思う。しかし、私の場合になぜ、このゴンドリエ―レのように暗く思い詰めたような、つまりは面白い人物に出逢うのであろうか?……謎をこよなく愛する私の何かが呼んでいるのでもあろうか?……実際、このゴンドリエ―レは私が「もっとダリオ館の近くまで寄っていってほしい」という希望を受けて、ゴンドラを館の傍に滑るように寄せてくれたのであるが、この大運河に浮かんでいる観光客を乗せた他のたくさんのゴンドラからは陽気なカンツォーネが明るく高らかに流れているのであった。

 

 

……「止めておけ!!」、私の言葉を塞ぐようにゴンドリエ―レはそう忠告した。しかし、私の中では次第にダリオ館への興味が膨らんで行き、4回目の撮影では無人と化していた館の裏側から近づき、5回目にヴェネツィアを訪れた時は、本気でダリオ館の塀を登って館の庭に侵入する気で、暗がりの中を近づいた。すると、意外にも館内に灯りがともっていた。そして館には、現在の管理をしている会社名「オリベッティ社(タイプライタ―の創業社)」のプレ―トが闇の中でうっすらと見えたのであった。……この体験は私をして創作のイメ―ジとなって閃き、『ヴェネツィアの春雷』という連作となり、コラ―ジュ、オブジェにそれは結び付いていった。そして昨年に刊行した第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』所収にも『ヴェネツィアの春雷』というタイトルで登場する事となった。

 

 

 

『ヴェネツィアの春雷』

「水のメランコリ―が元凶ならば/並びの人はみなラグ―ナに沈む/ビザンツの黄金/ヴェネツィアの伝承を徒然として/

 

夜の一人称が元凶ならば/ダリオは/タイプライタ―が打たれる前に/引き金を引く/打つ音の前に自らを撃つ/灰にしてその人も沈む/

 

〈巨大な時計〉〈深夜の呟き〉/………………………………/レニエのきれぎれの言葉は/迷宮に引き込む雅語の葬列/方位を狂わす図法という叙述/

 

〈狂わされたのか〉或いは〈狂ったのか〉/韻は韻のままに雅びを孕んで/アドリアの海に/一条の銀が走る。/

 

 

 

 

 

 

 

……今までのブログでも書いて来たが、私は津山三十人殺しの現場に行き、また八王子の山中で起きた立教大学女子大生殺人事件でも現場に行き(私と大人数の警視庁が現場に入ったのはまさに同日であった)、また版画家・藤牧義夫が突然、その姿を消した最後の現場(向島・小梅)にも赴いてその謎を詰めて推理し、またその他にも虚構ではない実際に起きた現場に度々訪れ、……そして、上野の芸大の写真センタ―内では、深夜に研究室で頭から寝袋に入って寝ている時に、私の周りを、明らかに軍隊の陸軍が履く革靴の硬い音が響き、私が寝袋から顔を出した瞬間にそれは消えた、……などの、……つまりは土地の記憶、場の地霊か何ものかが成したとしか思えない不穏な事件現場に向かうのであるが、思うに、この世とかの世が地続きであるような交感の場に惹かれる傾向が異常なまでに私は強いのであろう。簡単に言えば不穏なものへの好奇心、大人になり損ねた子供と言えば足りるか。……こういう間に、よく数々の作品を作ったり、詩や文章の執筆が出来るものだと我ながら可笑しくなってしまう時がある。

 

……さて、今回のダリオ館の話。次回、ヴェネツィアを訪れた時はどのようにしてダリオ館に入ろうかと日々の思案が続いている。今までも非公開の場所を様々な秘策を練って突破して来ただけに、難題な程、私は異常に燃えるのである。ダリオ館の並びはベギ―グッゲンハイム美術館などの豪奢な館が並び、その一つの館の購入相場がだいたい200億はするという。……しかし、最近驚くべき話が飛び込んで来た。……オリベッティ社が手放したのか知らないが、このダリオ館という物件、あまりに不吉だというので買手がつかなかったのであるが、最近買手が現れ、何とたった12億円(10分の1以下の価格!!)で購入したという。……たった12億!……ならば何とかならなかったのかと自分を責めてみる。そして思う。……無理だったと。

 

しかも、面白い話が飛び込んで来た。……このブログを書く為にふとダリオ館の〈現在〉を調べたら、何と、次第に知れ渡って来たダリオ館の話に興味を持つ人が増えて来たらしく、事前に申し込めばツア―でこの館に入れる事が可能になったのである。しかし、たったの15分だけであるという。……たいていの見学者はそれで満足するかもしれない。しかし、私が考えているのはダリオ館に泊まり、かつてレニエが聞いたという深夜の呟きを聞き、巨大な鏡や時計を見、やがて私に近づいてくるであろう危うい気配を静かに待ち、その妖しい〈気〉と対峙しながら、どっぷりとその〈気〉を体感し、どうしても、この館の謎を理詰めで解き明かしたいのである。……たとえ相討ちで私が亡くなったとしても……。一説によると、ダリオ館の前にその場所は、墓地であったという。

 

原因を解くには、その場所の古い歴史から先ずは探っていく必要があるであろう。……ダリオ館と私。……この関係はしばらく続いていきそうである。……あの時に偶然(本当に偶然だったのか!?)出逢ってしまった、まるで何かへの導きの為に、或いは私を待ち受けていたかもしれない、あの時のゴンドリエ―レに感謝を覚えながら。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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