月別アーカイブ: 1月 2017

『「月天心」を聴きながら』   

アトリエの中に、30年以上も前に骨董店で買った白い医療戸棚がある。この硝子戸の中には、創造の原点と深く関わっている物が多く入っているが、引っ越しの為にそれらを箱詰めにする事にした。掲載した画像はその時に撮したもの。……Rimbaud.、瀧口修造とブルトン、私が留学時に過ごしたパリの下宿の入り口の写真、その近くのJacob通りの医療器具店で買った聴診器、加納光於さんから頂いた珍魚の頭蓋骨、浅草12階(陵雲閣)の古写真…などが無造作に見えるが、わけても気に入っているのが、『金閣寺』を執筆時の頃に撮られた三島由紀夫の写真である。この写真は直に撮った人から頂いた写真で、世に出ていない珍しいものであるが、後の巨匠然とした顔ではなくて、その魔的な才能が剥き出しのままに出ているので気に入っている写真である。

 

 

……閑話休題、肝心の引っ越しの方の片付けと箱詰めであるが、単調な作業ゆえに音楽を聴きながらやると捗るので、そうする事にした。しかし、クラシックのワグナーやバッハは、こういう時には少し重く、モ―ツァルトのCDは何故かこの片付けの場に無く、武満徹は、逆に捗らない。ちあきなおみの『黄昏のビギン』は、素晴らし過ぎて放心してしまうので、ここはやはり、長年慣れ親しんだビ―トルズを聴き、陽水の「九段」や「ジェラシー」を聴き、一青窈の「月天心」を聴いて作業をすると、これがなかなかに捗って良い。…………月天心、……これは漢詩の中に度々登場する言葉であるが、与謝蕪村の俳句にも登場し、拙著『美の侵犯―西洋美術×与謝蕪村』でも、この言葉について言及している。……そう言えば、以前にも書いたが、一青窈は、蕪村や漱石などの文芸にも詳しいが、それを曲の前面には出さず、いわば隠し主題にしているので曲に膨らみがある。いわゆる「二相の異なった文脈を仕掛ける」という術であるが、…………ふと、最近の彼女が、ひと頃に比べて存在感が薄くなっている事に、床掃除をしながら気がついた。(本人からすれば大きなお世話かもしれないが……)。ともあれ、ひと頃の独自な表現世界がぱったりと消え、精彩を欠いているのである。少し前に、60年代に流行った歌謡曲をカバーして祇園の歌舞練場などでコンサートを開いていたが、私はこの安易な戦略を危険だな……と見ていた。魔法が消えたのかどうかは知らないが、独自な音楽空間を掘り下げる茨の道を避けているように映ったのである。まぁ、曲は編曲者の今1つのマジックでいかようにも化けはするが、まぁいろいろな事情があるのであろう。……しかしともあれ、私の危惧は当たったように思われる。…………そう思いながら、医療戸棚の中の、件の三島の写真に再び眼がいき、その写真を撮った当時に文芸評論家の小林秀雄と対談で交わした言葉を、壁の汚れを拭きながら思い出した。

 

確か「美をめぐるかたち」と題して交わされた小林・三島の対談は、最初は軽い冗談から始まりながら、次第に相手の喉元に刃の切っ先を突きつけていく真剣勝負の観があって印象深いものがある。……小林「この道は違う。この方向性も自分のものではない。そう考えていくと自分の可能性は狭くなるが……」、三島「そのかわり表現力は確実に深まっていく。」……いま記憶を頼りに書いているので言葉は少し異なるが、まぁこういった感じで、三島文学の、明晰な主観が紡ぐ美の伽藍に迫っていくものであるが、初めて読んだ19才時に、私はこの対談の文中から多くを得んとして、随所に線引きをしたものである。……一青窈を例に引くまでもなく、ジャンルを越えて私ども表現に関わるものにとって、作品世界の幅を拡げながら、かつ深め、かつ展開を成していく事は至難であるが、ともかく大事なことは継続であり、排すべきは自己模倣のパタ―ン化であり、手強きは、普遍と時世粧とのバランスであるが、最大に大事なことは、感性という、下手をすれば忽ち錆び付いてしまう、この……捕らえ難き内なる魔物を如何に棲まわせておくか、という意識的な認識と、その批評眼が重要である。……………………水回りの汚れはなかなかにしつこいものであるが、どうにか磨き終えて、私の引っ越しの準備はいちおうの完了となった。……新天地では、また新しい表現の展開を見る事になるであろう。この数ヶ月の間、転居の準備の為に、全く制作に集中出来ない日々が続いているが、私の中で、未生ながらも次なるものが感性の内に胚種しているという実感がある。……2月からは集中的な制作の日々が待っているのである。

 

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『引越し狂想曲』 

日本列島を猛烈な寒波が襲い、各地が豪雪にみまわれているが、私の棲む横浜は幸いにも晴天が続き、おかげでアトリエの引越し作業が快調に進んでいる。……とは言っても19年ぶりの転居なので、さすがに荷物の種分けが大変で、時に放り出したい気分になってしまう時がある。そんな中で、昔撮影した懐かしい写真が出てきたりすると、ついつい見いって、昔日のその日、その時の記憶の中に入り込んでしまうのである。

 

今回のブログに掲載するのは、その中の数枚である。……2枚横に連続して並べているのは、共にベルギ―の古都ブル―ジュの博物館に展示してあった、実際に使われていたギロチンである。……覚えておられる方もおありかとおもうが、以前のブログで、私はこのギロチン台の上に登り、首を入れる板を上げて自分の首をさしこみ、振り向いて真上に吊り下げてある巨大な刃を、冷や汗を出しつつ見た事がある事を書いた。まぁ今のように監視カメラがなく、警備員もいない、のんびりとした27年前の頃ならではの事である。ギロチン台は二つ展示されていたが、私が首を突っ込んだのは、どちらであったか、……たぶん向かって右側の方であったかと思われるが、はたして私の前に何人の首を、このギロチン刃はあの世へと送ったのであろうか!?。さて、バラバラに展示したのは主にスペイン、そしてパリであるが、ダリのアトリエのあるカダケス、タピエスの版画の原版、アンダルシアのアルハンブラの離宮…………。パリのノ―トルダム寺院の前で友人のお嬢さんと写っている昔日の私がいる。………………、片付けの作業をしていると、20代、30代、40代の各々の時期で、美術雑誌の特集や取材でいろいろと喋っている記事が出てきて面白かった。なるほど、こんな事を喋っていたのかと新鮮に思い出されて懐かしいが、私はそれらの雑誌を全て処分する事にした。段ボ―ル箱の底に沈んでいく昔日の私よ!……そうすると、生まれ変わったように、新たな自分の何らかの生成が入れ代わるようにして体内に生じてくる感がある。…引越しとは、一種の生前葬のようなものであり、生まれ変わって身軽になる儀式のようにも思われる。……次回のメッセージは、その新天地からの発信である。気分を一新した内容にぜひのご期待を!!

 

 

 

 

 

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『私とは何者!?』 

明けましておめでとうございます。今年もメッセージの執筆、徒然なるままに書いていきますので、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。……さて、前回の『そは何者!?』がなかなか好評でしたが、今回はその対象を自分に向けて書いてみますので、暫しお付き合い下さいませ

 

……大晦日が迫った28日の夕方、私は電車で荻窪に向かっていた。その夜の7時から勅使川原三郎氏と佐東利穂子さんの今年最後のダンス公演が、会場のKARAS APPARATUSで開催され、私はその第三部のト―クでの出席を、言語学者の春原憲一郎さんらと共に依頼されていたのであった。向かう車中で、私は、大野一雄や土方巽たちの最後の舞踏が、指先だけでの踊りであった事をふと思い出していた。大野一雄のそれは観た事があるが、土方の場合のそれは、まさに臨終の場での、指先だけの揺れるような踊りであったと、その場に立ち会った人から聞いた事があった。役者の最後の演技は「眼」に極まるというが、やはり舞踏家やダンス表現者の最後の表現は「指先」に極まるのか!?……と考えて、では勅使川原氏の場合はどうなのかと、ふと想像を巡らした。……しかし、そのような最後の表現の場はまだまだ先の事であり、おそらくそれを観る事なく、私は先に逝くであろう……などと、遠い夢見の気分でいる内に、電車は荻窪駅に着いた。…………暗い会場の中で暫し開場を待つ内に突然、鋭い照明が舞台の一角を指した。……そこに椅子に座ったままに目を閉じた勅使川原氏がおり、それを観た私は慄然とした。……先ほど、ふと閃いた勅使川原氏の指先でのダンス表現を観てみたい……という私の想いに、それでは!!とあたかも応えてくれるかのように、正にその指先に神経の張りを集中した見事なダンスを氏は見せてくれたのであった。私は先ほど個人的に想い描いていた光景が、現実に目の前で展開している事の不思議に、我が目を疑った。と同時に、また〈あの事〉が起きてしまった!!という感慨に包まれてもいた。…………ダンス公演、そしてト―クが終わった時は既に深夜。観客やスタッフが帰った後で私達は朝まで話し合ったのであるが、勅使川原氏によると、指先による表現は、氏自身にとっても実に初めての試みであったという。……

 

〈あの事〉……とは、ふと思った事や、目に浮かんだ事が、場所を変えて同時に進行したり、時間をずらして目の前に立ち現れるという、いわゆる予知現象の事であるが、私が度々それを我が身に体験するようになったのは、……やはりあの、昭和39年8月24日に東京の世田谷で起きた、某る有名俳優夫妻の長男が深夜に絞殺された事件が始まりであったかと思われる。その時の私は12才。遠く離れた福井にいて、深夜の夢の中に、突然あまやかな夢を破るようにして映りはじめた、風呂場で若い女中が幼児を水中に浸けて絞殺しているという凄惨な映像がフラッシュするように頭の中で始まったのである。……嫌な夢を見たなと思った私は、その朝のテレビの画像を見て唖然とした。……先ほど夢の中で物凄い表情で幼児を絞殺していた、正にその女が、第一発見者として白々しく涙を浮かべて喋っているのであった!!。結局、警察の追及で女は自供したのであるが、私は自分に起きた、この不思議体験に戸惑っていた。……その体験を後年に、澁澤龍彦の三回忌の折りに、何人かと一緒になって車座で話していると、宮迫千鶴さんが腕組みをしながら「それはコリン・ウィルソンが超常現象を書いた本の中に似た話があったけれど、あなたひょっとして、それを体験する前に、脳に鋭い刺激を体験する事はなかったの?」と聞くので、「そう云えば、その前に歯科医院で虫歯を治療する際に、医者が神経を金具で掻き回して引きずり出された事があった」という話をすると、「それよ、それ。全く同じ内容の事をコリンウィルソンが書いているわよ。……事故などで脳に鋭い刺激や損傷を受けた人間に時々現れる不思議な予知能力の話がまさにそれよ!!」と興味深く話していたのも遠い日の思い出である。

 

その後の私の人生の折々に予知現象や不可解な事は度々起きたが、いつしか、あぁまたか!という感じで、それは日常化していった。……しかし、あの時の事は特に鮮烈な感覚として、今も記憶に新しい。…………それは、今から数年前の事であるが、私は電車(またしても電車)に乗っていて渋谷に向かっていた。電車の中で私は……あのバルセロナに在るサグラダファミリア教会(聖家族贖罪聖堂)は、どうして、あの場所に建っているのだろう!?あの場所である必然的な理由があるのならば知りたいものだ!……とふと思った次の瞬間に、何故か頭上の網棚に目がいった。そこに折り畳んだ新聞があった。興味を覚えて立ち上がって手に取ってみると、日経新聞であった。見るともなく開いてみると、文化欄が目に入り、何気なく見て驚いた。……今、まさに私が思った問いに答えるかのように、その欄には建築家が書いた随筆で、「何故、サグラダファミリア教会はあの地に立てられたのか」と題した一文が載っていたのであった。……その文によると、カタロニア人が精神の拠り所としているモンセラット山の地下道から聖なる〈気〉が這ってバルセロナへと続き、その〈気〉が地下から上に向かって地上で噴き出している場所、まさにその場所に、あのサグラダファミリア教会が立てられたのであるという論旨なのであった。……ふぅ~ん、そうだったのかぁ、私は納得するようにただ頷くだけであった。頷きながら、私は私の横に悪戯好きな黒い悪魔が一匹、いつからか常に私にくっつくようにしている光景をイメ―ジした。昔、私の口中の神経を掻き回して引きずり出した藪な歯科医に最初は怒ったものだが、私はいまあの藪医者に静かな感謝の気持ちを抱いている。私の人生を面白くしてくれた契機を、あの医者は作ってくれたのであるから。……とまれ、ロシアなどではそういう能力をもった子供たちは、拐われ集められて対核兵器に備える為の軍事目的の1つとして使われているという話がまことしやかに伝わっている。また、私がこういう話を書く事で利用されるから、あまり書かない方が良いよと忠告してくれる人もいるが、大丈夫、私はまだ健在でここにいる。少なくとも、新年を迎えた私がここにいる。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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