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『近況―春から続く展覧会の中で……』

4月24日にアップしたブログで、詩人の高柳誠氏からは新刊の詩集が、そして同じく詩人の野村喜和夫氏からは対談集(私との対談も所収)が送られて来た事はご紹介したが、先日は、いまパリに滞在中の歌人の水原紫苑さんが1月の2冊同時刊行に続いて歌集『快楽』を、そして美学の谷川渥氏が『三島由紀夫/薔薇のバロキスム』を、ちくま学芸文庫から刊行し、先日、西麻布でその刊行記念講演が開催され、私も出席した。

 

……ことほどさように、我が文芸の友人諸氏は健筆を振るってますます盛んに表現領域の開拓に意欲的であるが、……ふとその眼差しを美術の分野に転じれば、私と同じ頃に登場した版画家や画家はことごとく、その存在が薄墨のように目立たなくなってしまって既に久しい。全く発表しなくなったか、発表しても、小林旭のヒット曲「昔の名前で出ています」ではないが、同じパタ―ンの繰返し、或いは旧作を弄くっているだけで、その作家における「現在」が無い。特に版画の分野はそのほとんどが死に体のごとく、沈んだ沼の底のごとくである。しかし、その理由は判然としている。未開の版画にしか出来ない表現というのが実は多々ある筈なのに、既存の版画概念の範疇内で作り、複眼性、客観性を欠いた、つまりは批評眼が全く欠けている事に気づいていないのである。

 

「私は版画家だけにはなりたくない」と日記に記したパウル・クレ―の、その文章の強い意思の箇所に、銅版画を作り始めたその初期に鉛筆で線を強く引いた事を私は今、思い出している。…………私は、美術の分野では15年前に、自分が銅版画でやるべき事は全て作り終えたという発展的な決断の元、次はオブジェ制作に専念すべく意識を切り替え、既に1000点以上のオブジェを作り、文芸の分野では、詩作や美術論考の執筆をやら、そして写真も……と、分野を越境して制作しているので、その比較が俯瞰的にありありと見えてしまうのである。

 

私個人の展覧会に話を移せば、4月は1ヶ月間にわたって個展を福井で開催し、5月24日から6月12日迄は西千葉の山口画廊で個展『Genovaに直線が引かれる前に』を開催。……そして今月の10日から24日迄、日本橋の不忍画廊が企画した『SECRET』と題したグル―プ展で、池田満寿夫さん他6名の作家の作品と共に、私のオブジェや版画が多数出品されている。本展では、私のオブジェの中では大作と云える、イギリス・ビクトリア期の大きな古い時計を真っ二つに切断したオブジェ(画像掲載)や、銅版画『回廊にて―Boy with a goose』(画像掲載)も出品しているので、是非ご覧頂きたい。また詩も作品に併せて各々に書いているので、こちらもお読み頂ければ有り難い。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、10月11日から10月30日迄の3週間にわたって、日本橋高島屋の美術画廊Xで個展を開催する予定で、現在アトリエにこもって制作が続いている日々である。その間にも充電と称して、ブログに度々登場する、不穏な怪しい場所、ミステリアスな場所へと探訪する日々が続いている。……こちらもまた追ってブログで書いて登場する予定であるので、乞うご期待である。

 

 

……さしあたっては湿気の多い病める梅雨なので、いっそそれに相応しい阿部定事件のあった荒川区尾久の現場跡にでも行ってみようかと思っている、最近の私なのである。

 

 

 

 

 

 

 

不忍画廊『SECRET』展

会期: 6月10日~24日 (休廊日:月曜・火曜)

時間:12時~18時

東京都中央区日本橋3丁目8―6 第二中央ビル4F

TEL03―3271―3810

東京メトロ銀座線・東西線・都営浅草線「日本橋駅」B1出口より徒歩1分

東京メトロ半蔵門線「三越前駅」B6出口より徒歩6分

http: //www.shinobazu.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『個展、最終週に入る』

10月19日から始まった今回の個展も、11月7日(月曜)迄の、いよいよ最終の週に入った。……毎日、個展会場である日本橋高島屋の美術画廊Xに出ているが、私の作品を愛してくれる熱心なコレクタ―の人達、親しい友人、……そして新しく出逢えた縁ある人達が次々と来られ、貴重な日々が続いている。

 

昨日は夕方から俳人の馬場駿吉さん(元・名古屋ボストン美術館館長)が名古屋から来られ、ヴェネツィアのお話しなどがたくさん話題に上った。馬場さんは瀧口修造さん、加納光於さんをはじめとして50年代後半からの美術界を知る最も重要な目撃者、証人でもあり、ヴェネツィアを主題にした馬場さんの句集『海馬の夢』などで、私はヴィジュアルで加わったりもして、最も永いお付き合いをさせて頂いている先達の方である。……私の交流は美術よりもむしろ文藝や他の分野の方が多いので、今回もその方面の方が特に目立つ。今回の個展は、今までで最も完成度の高い作品が一堂に揃っているという評価を多くの方がされており、作品をコレクションされる方は、どの作品に決めるかの自問自答を永い時間をかけて考えておられ、正に個展会場が真剣勝負の場所になっている。

 

画廊を一周して即断で決める方、2時間くらいじっくり熟考される方、数日考えて決める方、……「コレクションという行為もまた創造行為である」という言葉があるが、その現場の真剣勝負を私は毎日、作者として視ているのであり、作り手として最も手応えを覚える場面でもある。(……先日、30代の男性の方であるが、画廊に午前早くに来られて作品と出逢い、昼食でいったん画廊を離れてからまた戻って来られ、実に6時間という熟考の後で作品を2点購入された方がいるが、この方が最長記録かと思う。昔、私はスペインのプラド美術館でゴヤを、そしてオランダでフェルメ―ルを長時間観続けた事があったが、この男性の方には脱帽する。) ただ、作品は版画と違いオリジナルが一点しかこの世に存在しないので、迷って決まらず、いったん帰られた方と入れ違いに、その作品と本当に縁のあった方が来られて決める場面が度々あり、数日考えてからコレクションを決めた方が再び画廊に来られた時に、作品が既に他の方のコレクションになっているのを知って落胆されるという場面が、今回も数回あるが、それは仕方がない事かと思う。作品もまた、真に作品を永く愛してくれる「その人」の到来を待っているのである。

 

……作品を選ばれる方は、今回は大学生の方から八十代の方までとやはり幅が広い。世代を問わず、各々の作品の中から自在にイメ―ジを紡いでおられるのであろう。或る女性の詩人の方は『Cadaquesの眠る少年』というタイトルのオブジェ作品を選ばれたが、この一点で新しい詩の世界が一気に拡がり、数点の詩が書き下ろせると喜んでおられた。その詩が出来上がるのが私も楽しみである。…………かくして今回の個展でも、多くの作品がわがアトリエから旅立って行き、作品との永い対話を交わしていく人達が、各々の作品から様々なイメ―ジを紡いでいく、次なるもう一人の作者になっていくのであろう。(……話は少し変わるが、前回のブログで第二詩集刊行予定の事を書いた事で私の詩集の存在を知った方から、私の第一詩集について詳しく知りたいという問い合わせを画廊に来られて訊かれる事があるので、このサイトの別な所に詳しく書いてある事を申し添えておこう。……今も詩集購読の申し込みがアトリエに届き、第一詩集も根強い人気が続いているのは作者として嬉しい事である。)

 

 

……さて、今回の個展、いよいよ最終週に入った。天候に恵まれ、懸念していた台風も去った。……残る七日間、また不思議なご縁のある方との出逢いや、親しい人達との再会が待っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『美の速度』

……2週間ばかり前の事であるが、アトリエの前の桜の樹の上で蝉が鳴いていた。まさかの空耳かと思い外に出て樹上を仰ぐと、高みの色づいた葉群のところで確かに蝉が見えた。雌の蝉も仲間も死に絶え、蝉はたいそう寂しそうであった。……また先日は、上野公園のソメイヨシノが狂い咲き、観光客が不気味がっている光景を報道で観た。……明らかに狂っている。ここ数年来、加速的に世界の全てが異常の様を呈して来て、底無しの奈落へと堕ちていく観が見えて来るようである。若者達は灰色の閉塞感の中に在り、AIだけが先へと向かって優位の様を見せている。若者達は便利極まるスマホに追随し、自らの脳に知の刺激を入れて高めようという気概は失せ、皆が不気味なまでに同じ顔になっている。……薄く、あくまでも軽く。……

 

芸術は、人間が人間で在る事の意味や尊厳を示す最期の砦であるが、昨今は、芸術、美という言葉に拘る表現者も少なくなり、ア―トという雲のように軽く薄い言葉が往来を歩いている。元来、美は、そして芸術は強度なものであり、人がそれと対峙する時の頑強な観照として、私達の心奥に突き刺さって来る存在でなくてはならない、というのは私の強固な考えであり、この考えに揺らぎはない。……だから、私の眼差しは近代前の名作に自ずと向かい、その中から美の雫、エッセンスを吸いとろうと眼を光らせている。……美は、視覚を通して私達の精神を揺さぶって来る劇薬のようなものであると私は思っている。

 

 

 

 

 

……さて、いま日本橋高島屋の美術画廊Xで開催中の個展であるが、ようやく1週間が過ぎ、会期終了の11月7日まで、まだ12日が残っている。

 

今回発表している73点の新作は、ほぼ5ケ月で全ての完成を見た。換算すると150日で73点となり、約2日でオブジェ1作を作り終えた計算になる。頭で考えながら作るのではなく、直感、直感のインスピレ―ションの綱渡りで、ポエジ―の深みを瞬時に刈り込んでいくのである。……この話を個展会場で話すと、人はその速さと集中力に驚くが、まだまだ先達にはもっと速い人がいる。

 

例えばゴッホは2日に1点の速度で油彩画を描き、私が最も好きな画家の佐伯祐三は1日で2点を描き、卓上の蟹を画いた小品の名作は30分で描いたという。またル―ヴル美術館に展示されているフラゴナ―ルの肖像画は2時間で完成したという伝説が残っている。……話を美術から転じれば、宮沢賢治は1晩で原稿250枚を書き、ランボ―モ―ツァルトの速さは周知の通り。先日、画廊で出版社の編集者の人と、次の第二詩集について打ち合わせをしたが、私の詩を書く速度も速く、編集者の人に個展の後、1ケ月で全部仕上げますと宣言した。ただし、ゴッホ、佐伯祐三、宮沢賢治……皆さんその死が壮絶であったことは周知の通り。私にこの先どんな運命が待ち受けているのか愉しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

……ダンスの勅使川原三郎さんと話をしていた時に、私の制作の速度を訊かれた事があった。私は「あみだクジの中を、時速300kmの速さで車を運転している感じ」と話すと、勅使川原さんは「あっ、わかるわかる!!」と即座に了解した。この稀人の感性の速度もまたそうである事を知っている私は、「確かに伝わった」事を直感した。この人はまたダンス制作の間に日々たくさんのドゥロ―イングを描くが、先日の『日曜美術館』でその素描をしている場面を観たが、もはや憑依、自動記述のように速いのを観て、非常に面白かった。以前に池田満寿夫さんは私を評して「異常な集中力」と語ったが、かく言う池田さん自身も、版画史に遺る名作『スフィンクスシリ―ズ』の7点の連作を僅か3週間で完成しているから面白い。

 

 

……私が今回の個展で発表している73点の新作のオブジェ。不思議な感覚であるが、作っていた時の記憶が全く無いのである。7月の終わりになって完成した作品を数えたら73点になっていた、という感じである。……また、夢はもう1つの覚醒でもあるのか、こんな事があった。……夕方、作品を作っていて、どうしても最後の詰めが出来ないまま、その部分を空白に空けたまま眠った事があった。……すると明け方、半覚醒の時の朧な感覚の中で、作品の空白だった部分に小さな時計の歯車が詰められていて、作品が完璧な形となって出来上がっているのであった。(……あぁ、この歯車は確かに何処かの引き出しの中に仕舞ってあったなぁ……)と想いながら目覚め、朝、アトリエに行った。しかし、なかなかその歯車が簡単には見つからない。様々な歯車があって、みな形状が違うのである。アトリエに在る沢山の引き出しの中を探して、ようやく、その夢に出てきたのと同じ歯車を引き出しの奥で見つけ出し、取り出して空いた箇所に入れて固定すると、作品は夢に出てきた形の完璧なものとして完成を見たのであった。

 

……また、夢の目覚めの朧な時に、10行くらいの短い詩であるが、完全な完成形となって、その詩が出来上がっていた時があった。……私は目覚めた後に、夢見の時に出来上がっていたその詩の言葉の連なりを覚えているままに書き写すと、それは1篇の完成形を帯びた詩となって出来上がったのである。…………たぶん夢の中で、交感神経か何かが入れ代わった事で、作りたいと思っている、もう一人の私が目覚めて、夢の中で創るという作業を無意識の内にしているのであろうか。……とまれ、眠りから目覚めのあわいの時間帯に、オブジェが出来上っている、或いは言葉が出来上がっている……という経験は度々あるのである。………

 

私が自分に課しているのは、1点づつ必ず完成度の高みを入れるという事であるが、今回の個展に来られた方の多くが、作品の完成度の高さを評価しているので、先ずは達成したという確かな手応えはある。……今回の作品もまた多くの方のコレクションに入っていくのであろう。私は作品を立ち上げた作者であるが、それをコレクションされて、自室で作品と、これからの永い対話を交わしていくその人達が、各々の作品の、もう1人の作者になっていくのである。……個展はまだ始まったばかりであり、これから、沢山の人達との出会いや嬉しい再会が待っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

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個展「射影幾何学―wk.Burtonの十二階の螺旋」、……始まる。』

10月19日(水)から11月7日(月)迄の3週間、東京日本橋・高島屋本店6階の美術画廊Xで、新作オブジェ73点を一堂に発表する個展『射影幾何学―wk.Burtonの十二階の螺旋』がいよいよ始まる。……今年の3月から集中的に制作して来た成果が、世に問われるのである。……個展案内状は私と画廊から、コレクタ―の人達を中心に既に送られており、受け取った人達から案内状に掲載されている作品についての問い合わせが、早くも画廊に届いているようである。18日が作品の展示作業であるが、オブジェは版画と違い、全て一点しか存在しないので、気に入った作品との出会いを求めて、展示作業時に早くも画廊に来られる方がおられるのが最近の傾向である。

 

今回のブログでは、その作品中から八点ばかりを取り上げて掲載する事にしよう。…………しかし、やはり作品は各々のオリジナルが持っているマチエ―ルを通して、そのアニマを実際に享受して頂くのが一番醍醐味があるので、ぜひ会場に来られて作品を直で体験して頂きたいと思う。……一点、一点が各々に全く違うイメ―ジで、これが73点、関東では最も広い画廊空間に並ぶのである。……不思議な感覚であるが、作品もいよいよ緊張するのか、画廊に展示された瞬間から急にその息をはっきりと呼吸し始める。そして、静かなその息が全体に拡がって、画廊空間にえも言われぬ緊張感を漂わせ、それが現実を凌ぐ虚構の華となって輪舞を開始するのである。

 

 

「Jeanne-Marieの七つのリング」

 

 

「左を向いたVirginia Woolfの肖像」

 

 

「Opera Garnierの盗まれた時間」

 

 

「Anna Pavlovaの肖像Ⅰ」

 

 

「Nijinsky―頭文字「N」のある肖像」

 

 

「Veneziaの視えない扇」

 

 

「水晶譚―分割されたNijinskyの肖像」

 

 

「SCHONBRUNNの停止する時間」

 

 

 

…………かつて、1890年から1923年の33年間、この世に、えも言われぬ不思議な引力を持った十二階から成る高塔が建っていた。……あたかもそれは究極にして完璧なる一つの巨大なオブジェのようであった。……その妖かしの塔は、数多くの文学者や詩人達の想像力を刺激して、数多くの名作が生まれていった。……そして或る日、それは夢の中に視る逃げ水のように倒壊し、忽然と消えていった。

 

この十二階の塔の設計者の名はwk.Burton(ウィリアム.k.バルトン)。今回の個展のタイトルに登場する実在した人物である。バルトンは、シャ―ロック・ホ―ムズの著者として知られるコナン・ドイルと幼児期から親交が深く、ドイルは彼に『ガ―ドルスト―ン商会』という一篇の謎めいた小説を献呈している。…………この十二階の高塔への私の思い(執着)は、時々このブログでも書いているが異常なまでに強く、それを特集した本にも、その熱い思いを記している程である。云わばこの高塔は、私自身の存在と重なった分身、或いは自身の映し姿のようにも思われてならないのである。

 

 

……ともあれ、私は今回の個展に際し、とっておきの禁忌領域を遂に登場させる事にした。……その十二階の高塔の螺旋階段をもの凄い速度で駆け上がった時に垣間見た様々な幻視(73の場面から成る様々な無言劇、或いは寸秒夢)を透かし視て、各々の作品の中に封印したのである。……………………

 

 

 

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『梅雨入り前の良き日に記す事』

前回のブログでご紹介した千葉の山口画廊での個展『二十の謎―レディ・エリオットの20のオブジェ』が好評の中、6月13日(月)まで開催されている。私は初日にお伺いしたが、画廊に入るや、画廊のオ―ナ―の山口雄一郎さんによって構成された展示空間の緊張感漂う気配が直に伝わって来て思わず唸ってしまった。……作品の展示の高さ、作品の構成、照明、タイトルを書いたキャプションの作りの巧さ。……いずれをとっても神経の細やかさ、美意識が作品と共鳴し、自分の作品でありながら思わず見入ってしまったのであった。私には珍しい事である。

 

 

 

 

 

 

……画廊にいると、次々と来廊者が来られる。千葉での個展は初めてであるが、皆さん、山口さんとは旧知であることが伝わって来て、たちまち今回の個展に私は手応えを覚えたのであった。机の上を見るとプリントがある。手にとって読むと、それは前回の『画廊通信』とはまた別に山口さんが書かれた拙作についてのテクストであった。山口さんが本展に懐いている熱意が伝わって来て嬉しかった。全文が一気に書かれたと思われる、私の作品の核に言及した文章なので、今回のブログでご紹介しよう。

 

 

《北川 健次   Kitagawa Kenji 》

 

黒く塗られた密やかな箱の中で、絢爛と醸成される幻惑の浪漫、それは不穏に謎めくようなアトモスフィアをまといつつ、ミステリアスな異界を現出させる。鋭利な詩的直感をもとに、解体された無数のエレメントを再構成して創り出された、多様なイメージの錯綜する別次元の時空。このガラス越しに浮かび上がる鮮明な異境を見る時、私達はいつしか非日常の境界に、条理を超えて燦爛たる闇を彩なす、見も知らぬ魔術の領域へと踏み入るだろう。見る者を妖しく誘なって已まない、類例なき「装置」としてのオブジェ、それは巧みに添えられたタイトル=詩的言語のもたらす不可思議の暗示と相俟って、濃厚な意味を帯びつつも決して解き得ない謎を生起する。

 

北川健次──駒井哲郎に銅版画を学び、棟方志功・池田満寿夫の強い推薦で活動を開始、フォトグラビュールを駆使した斬新な腐蝕銅版で、版画界に比類のない足跡を刻む。以降、その卓越した銅版表現を起点に、コラージュへ、オブジェへ、写真制作へ、更には詩作や美術評論へと、ボーダーを超えた自在な表現を展開しつつ、留まる事を知らない意欲的な活動を続けて現在に到る。その極めてユニークな制作は、ジム・ダインやクリスト等の著名な美術家にも賞讃され、アルチュール・ランボー・ ミュージアムやパリ市立歴史図書館等からも出品依頼を受けるなど、名実共に国際的な評価を獲得して来たが、 実は多彩な変容を見せる表現活動の根幹は、或る揺るぎない方法論に貫かれている。

 

コラージュ──前世紀の大戦間にエルンストの「コラージュ・ロマン」という言葉から始まったこの手法は、以降様々な派生形を生みながら、現代技法として定着するに到っているが、その原義を最も正統に継承する者として、のみならずその可能性を極限まで拓きゆく者として、北川健次という存在は他の追随を許さない。コラージュ・ロマンというエルンストの命名は、今や北川芸術の表徴として甦るのである。

山口雄一郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『山口画廊・山口雄一郎さん/私の個展に寄せて』

……美術の分野で、今では伝説的な人となった佐谷画廊の故.佐谷和彦さんは70年代の後半から90年代終わり迄、画商の立場から美術界を牽引した人である。その優れた企画力と実行力において他の追随を許さない突出した人物であった。企画したクレ―展は会期中に三万人以上が来廊し、ジャコメッティ矢内原伊作展、オマ―ジュ瀧口修造展など、その全ての展覧会が美術館クラスの質を誇り、本物を求める多くの人たちがそこに集まった。

 

 

……私がお付き合いをしたのは、80年代半ばからである。佐谷さんがコレクションされている私の巨大なオブジェ作品は、来日したクリストの眼に留まり賞賛を受けたが、またご自宅にも度々伺って様々な話をした思い出があり、それは私の大きな財産である。その佐谷さんが、他の画商と決定的に違うのは、毎回の展覧会で質の高いカタログを制作し、そこに佐谷さんの展覧会に寄せる意図が明瞭に書かれた文章が載っている事である。その文章も含めて幾冊もの著作があり、最期の本となった『佐谷画廊の三十年』(みすず書房)では、デュ―ラ―の『メレンコリアⅠ』の隠された謎をめぐって、佐谷さんと一緒に私も登場し、謎を推理する人物として書かれている。いろいろ思い出はあるが、…………思うに、この人は何よりも先ず矜持の人であった。画商という仕事にプライドを持ち、高い知的好奇心を持って、次々と挑むように企画を立ち上げ、その骨太の豊かな生涯を全うした。その生きざまは見事の一言に尽きる。……佐谷さんは画廊を閉じる際に私に「毎回の展覧会のカタログ作りは大変だったが、やっておいて本当に善かった。結局、画廊のやってきた仕事で生きた形で残るのは、そのカタログに書いた事だけだよ」と言われた事があった。確かにそうだと私は思った。そして、佐谷画廊の事を知りたい今の世代の人達が、その著作から多くを吸収しているという。…………佐谷さんの著作と、カタログを私は時々読みなおしてふと思うのだが、なぜ画商で、佐谷さんのように、自分が企画する展覧会について文章を書く人物がいないのか?それは自信であり、また一身に責任を負う事であり、ひいては画廊側からの具体的な発信の証しなのではないか?……これは最近特に思う素朴な疑問であった。

 

 

………………そんな折、昨年、一つの出逢いがあった。私が刊行した詩集を注文して来られた方の中に、その方がいた。……名前は山口雄一郎さん。……署名を書いてお送りした私の詩集に対し、なかなか鋭い感想が送られて来て、大いに興味がひかれるものがあった。「手応えのある面白い人」がいる!!……私は好奇心の強い人間なので、さっそく連絡を入れて、お会いする事にした。お会いして、その人が千葉で山口画廊というギャラリーを開いている事を知った。タイプは違うが、佐谷さんの事をふと思い出した。……「確かな言葉を持っている人」……私はそう思った。そして、2022年5月25日、つまり明日から私の個展『二十の謎―レディ・エリオットの20のオブジェ』が山口さんとの出逢いに端を発して開催される事になった。……. 誠に出逢いとは不思議なものである。

 

そして、展覧会の為に山口さんは長文(何と原稿用紙12枚!!)のテクストを書かれ、12頁から成るカタログ(冊子)、『画廊通信』が先日アトリエに届いた。……展覧会の案内状を掲載すると共に、このブログでは例外的であるが、山口さんが書かれたそのテクスト全文を以下に掲載する事にした。……私の無意識の部分をも鋭く書かれているので、ぜひお読み頂く事をお願いする次第である。

 

 

 

 

『画廊通信 Vol.229    コラージュ ── 異界への扉』

 

今回の案内状に載せた文中で、その極めてユニークな 作風を形容して「幻視のオブスクーラ」と記したが、これは字数の関係による無理な略語で、正確には「幻視の カメラ・オブスクーラ」と記すべきものである。邦語で は「暗箱」と訳されるカメラ・オブスクーラは、例のフェ ルメールが制作に用いたとされる事から、近年にわかに 人口に膾炙した感があるが、これに関連した作家自身の印象的な記述が有るので、ここにその一節を抜粋してみたい。以下は北川健次著「デルフトの暗い部屋」から。

 

あれはまだ私が小学校に入る前であったから、おそらく四、五歳の頃だったと思うが、今でも忘れられない 光景がある。それは雨戸の小さな節穴から午前の一条 の光が暗い室内にさしこみ、壁の一点に魔法のように 逆さまに映っていた庭の一隅の光景である。その小さ な楕円の形をした光の面には、濃緑色をした棕梠の葉 と薄黄色の小花、そして大小の淡い光の珠がぼんやりと映っていた。それを見た時、はじめは誰かが仕掛け た何やら遠い彼方の不可思議な映像を、透かし視てい るような気分であった。それが庭の光景であることに 気付いたのはしばらく経ってからのことである。しか しそれとわかっても、最初に覚えた不思議な感覚は消え去ることなく、むしろそれが既知のものであるがゆえに、虚と実のあわいを見るかのような捕えがたい謎 めいた印象となって、記憶の底に残っていった。その時の体験が、今日のカメラの原型となったカメラ・オ ブスクーラの原理であり、あのフェルメールが絵を描 く際に多用したといわれる装置の仕組みそのものであることを知ったのは、さらに時が経ってからである。

 

 

北川健次ーこの異能の美術家を知ったのはいつの事であったろう、今となっては最早定かではないのだが、一つ確かな事は知り得た当初から、既に北川さんは銅版画の急先鋒として、革新的な作品を次々と発表されていた事だ。フォトグラビュールを駆使したその斬新な腐蝕銅版は、比類なき独創性と高い完成度が相俟って、当時の版画界でも傑出したオリジナリティーを誇っていた。その卓越した銅版表現を起点として、コラージュへ、オブジェへ、写真制作へ、果ては詩作や美術評論へと、稀有の表現者は自らの領域を自在に広げつつ、八面六臂とも言える活動を展開されて現在に到る訳だが、そのボーダーを超えた幅広い表現の根底には、共通して或る特有の「匂い」が、まるで持続低音のように流れている。謎めいた不可解な幻妖とでも言おうか、見慣れた日常の裏 に潜むあの不条理の闇が、洗練された浪漫のあでやかな彩りの陰で、そこはかとない怪異を醸成する、それは言うなれば、不可思議な幻惑に満ちた「異界」の匂いなのだ。作家の体臭とも言えるそんな背理の匂いが、何処から来ているのかを推し量る時、考えるまでもなく上述の鮮烈な原体験が、ありありとその起端を語るだろう。或る朝に雨戸の節穴から、ゆくりなくも入り込んでいた小宇宙、それが薄闇に怪しく浮かぶ様を目撃した少年は、我知らず異界への扉を開いてしまったのだ。おそらくはそれから現在に到るまで、日常とは別次元としての異界は作家と共に在り、常に創作の源泉となって来たに違いない。それ故か、上に「怪異」と云う言葉を使いはしたけれど、それは決して邪悪な昏冥でもなければ、陰湿な妄念でもない、むしろ未知へのときめきに満ちた、めくるめくような魅惑を孕むものだ。

 

あの日少年の目覚めた「暗い部屋」は、そのまま「カメラ・オブスクーラ」の語源でもあるように、暗箱と云う魅惑の装置そのものであった。そして今、作家の手から作り出されたオブジェもまた、黒く塗られた箱の中の闇に、別次元の異界を映し出す。この鮮明に浮かび上がる沈黙の映像を見る時、私達はいつしか日常の裏側に広がる、見も知らぬ魔術の領域へと踏み入るだろう。言わば北川さんの仕掛けるオブジェとは、異界への扉を開く暗箱装置に他ならない。

 

 

近代の寓話 ── Tower of Babel

 

 

 

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』絶賛発売中──この文言を作家のサイト上に見つけたのが、北川さんと面識を得る端緒となった、ちょうど一年ほど前の事である。以前からブログ等を拝読して、美術家にあらざるような文才に、常々感銘を受けていた折りでもあり、遂に詩集が出たかと雀躍して、早速注文を入れたと云う訳だ。程なく届いたサイン入りの詩集(丁寧なお手紙も添えられていた)は、正に期待通り、昨今の詰まらない詩人など軽く凌駕する内容であったから、過分にも私はこんな感想をしたためて、作家宅へとお送りした。

 

「今回詩集を拝見して、言語表現においても、美術表現 と全く変わらない世界を展開されている事に、改めて目を瞠る思いでした。以前からブログのエッセイは時折読ませて頂いておりましたが、特有の謎めいた雰囲気と、確固とした論理の相俟った文章には、いつも魅せられております。絢爛たる語彙の響きと、不可解なアフォリズムの綾なす世界、そこから鮮やかに喚起される『謎』そのものの魅力に、北川さんの視覚表現と共通する美学を感じております。なお、遅ればせながら作品集も拝見致しました。解体された無数のエレメントを知的に(もち ろんその根底には鋭い詩的直観が有ると思いますが)再構成し、そこにタイトル=詩的言語をぶつける事によって生起する、濃厚な意味を帯びつつも決して解き得ない謎、ここにはコラージュの本質を成すデペイズマンの、磨き抜かれた究極の具現が在ると思いました。それが通常のコンセプチュアル・アートの陥りがちな、脆弱な知的遊戯に終わる事なく、常に豊潤な浪漫の香りを帯びて いる事に、美術表現としての尽きない魅力を感じます」

 

 

Muybridgeの背面の肖像

 

 

 

と云う具合で、顧みれば未だ作品の一つも持たざる身で、誠に僭越な物言いであったが、それから3 週間ほどを経た或る午後、一本の電話が入った。「北川健次です」と云う不意の一言を耳にした驚きは、きっとお分かり頂ける事と思うが、今度ぜひ話をしたい、と云う更なる一言は、私にとっては最早、事件とも言えた。但し、その時は折しも銀座の永井画廊における個展の最中で、直後にはお茶の水のギャラリーにおける個展、更 には日本橋高島屋・美術画廊Xの個展も控えられて、作家自身多忙を極めておられたので、実際にお会い出来たのは秋口に入った頃である。雨の中を軽装で現れた先鋭の美術家は、あの謎めいた作風からは意外とも思えるような、至って快活で飾らないお人柄であった。たぶん私と会って、買い被りを後悔された事と思うのだが、何せ私にとっては千載一遇のチャンス、是非ともお願いしたいと展示会を申し込んで、目出たく今回に到ると云うのが概ねの経緯である。以降も幾度かお会いする機会があり、当店までお越し頂いた事もあって、その度にお話をさせて頂きつつ驚嘆した事は、その広範に及ぶ比類なき博覧強記と、そこから導出される鋭利な推論の面白さである。言うまでもなくそれは「絵画の迷宮」や「美の侵犯」と云った著作に結晶されているのだが、その謦咳に直に触れ得た経験は、正に至福の感興に満ちたものであった。そしてそんな豊饒の土壌が有ってこそ、あの絢爛たるイメージの交錯を生み出す、コラージュの鮮やかな策略が可能になるのだと、密かに首肯したのであった。

 

初期の銅版画から近年のオブジェに到るまで、多岐に亘る表現を展開しつつも、一貫して作家が自らの手法として来たのが、即ち「コラージュ」である。換言すれば北川さんの創作とは、コラージュの多彩なヴァリエーシ ョンであると言っても過言ではない。現在は、画面に何かを貼り付ければ何でもコラージュと称しているが、これはむしろパピエ・コレに近いもので、本来のコラージュとは似て非なるものだ。その歴史を遡れば、90数年前に刊行された一冊の奇書に辿り着くのだが、これが当時としては実に奇妙な絵本で、古い挿絵本や博物図鑑から切り取った図版を、何の脈絡も無しに貼り合わせて作られたものであった。タイトルは「百頭女」、作者は気鋭のシュルレアリストとして名を馳せていたマックス・ エルンストである。この面妖な書物に付けられた「コラージュ・ロマン」と云う副題から、その魅惑に満ちた歴史が始まった訳だが、同様に前掲の手紙に記した「デペイズマン」と云う言葉も、アンドレ・ブルトン(『シュルレアリスム宣言』の著者)が同書に寄せた緒言で用いたことから、美術用語として定着したものだ。この発端から見ても、コラージュとデペイズマンは切り離せない概念である事が分かるのだが、試みにデペイズマンを定義すれば、このようになるだろうか──無関係な要素を自由に組み合わせる事によって、思いも寄らない意外性を生み出し、受け手に混乱・困惑を齎す方法。即ちコラージュとは、デペイズマンの実践に他ならない。

 

以降コラージュは「アッサンブラージュ」や「フォトモンタージュ」、更には「ボックスアート」へと派生してゆく事 になるのだが、北川さんは長年に亘る創作過程の中で、それら全てを自家薬籠中の物とされているので、ここでは「コラージュ」と云う言葉のみで統一したい。思えばこの「本来の」コラージュを、北川健次と云う作家ほど純粋に追求し、徹底してその可能性を拓き続けた人は居ないだろう。今一度繰り返せば、先の手紙に「ここにはコラージュの本質を成すデペイズマンの、磨き抜かれた究極の具現が在る」と記したのだけれど、これは決して大仰な物言いではなく、むしろ「磨き抜かれた」の前に「生涯を懸けて」と入れるべきだったと、今はそう考え ている。かつて偶然に作られた暗箱の闇で異界に遭遇した少年は、後年「コラージュ」と云う幻惑の魔術を駆使して、日常に慣れ親しんだイメージを大胆に錯乱し、あたかも金属を自在に変成させるあの錬金術のように、世界の要素をことごとく組み換えて、新たな奇想に満ちた異界を現出させる、類例なきカメラ・オブスクーラの製作者となった、この正に「生涯を懸けた」一人の美術家の足跡こそが、そのままコラージュの行き着いた究極の地を提示するのである。以下は北川さんのブログから。

 

それにしてもコラ―ジュという技法は、尽きない不思議に充ちた技法であると、あらためて実感している。ピカソやエルンスト達が多用したこのコラ―ジュは、20世紀美術が生んだ、エスプリと謎を孕んだミステリアスな技法である。異なったイメ―ジの断片を、同一空間に配置転換する事で立ち上がる、イメ―ジの化学反応。それは夜に視る夢のように、何処か懐かしいノスタルジアをも秘めている。(中略)……コラージュこそが私の紛れもない原点であり、これこそが表現における最深の秘法、イメ―ジの錬金術なのである。

 


イカロスになろうとした少年の話

 

 

 

まだまだ語りたい事はある。北川さんの詩や評論について、ボックスアートについて、錬金術について等々。しかし、もう紙面も尽きるようである。それに、意味の撹乱を第一義とするコラージュを前に、これ以上の長広舌も不用であろう。後は暗箱の中に仕掛けられた、絢爛たる魅惑の魔術に、存分に身を委ねて頂くのみである。

(22.05.08)    山口雄一郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『コラ―ジュの珍しい個展始まる』

今月2日から17日(日)まで、東京・本郷のア―トギャラリ―884で個展『秘苑/フロ―リアンの夢の夜に』が始まった。……今回の個展は、30点以上のコラ―ジュ作品の展示を主とした今までになかった珍しい内容で、他にオブジェ3点、版画2点、写真3点の合わせて40点近い作品を展示している。

 

今回は新しい試みとして「美術表現は、マチエ―ル(表層の画肌)が全てである」という持論を具体化すべく、作品を額とガラスから外し、コラ―ジュの手技、その表層のリアリティをお見せしたく、直で視てもらえる展示方法になっている。なので、来廊された方は、普段観る事の出来ない直の作品をすぐ近くで観て、今までと違う新たな感想を話される方が多い。作品をコレクションされた方には個展が終わり次第、額装してお渡しするのであるが、今回の珍しい展示法の試みはなかなか好評である。

 

今回の個展は、タイトルに「秘苑」の文字がある如く、また時期が時期であるためにひっそりと、秘めた感じで開催しようと思い、個展のDMを遠方の方にはお出ししてなかったのであるが、ご覧になった方が発信している情報が伝播しているのか、個展の事を知った遠方の方も来廊され、今回の珍しい試みの個展を堪能されている。

 

……それにしてもコラ―ジュという技法は、尽きない不思議に充ちた技法であると、今あらためて実感している。ピカソやエルンスト達が多用し開示したこのコラ―ジュは、20世紀美術が生んだ、エスプリと謎を孕んだミステリアスな技法である。異なったイメ―ジの断片を、一つの同一空間に配置転換する事で立ち上がるイメ―ジの化学反応。それは夜に視る夢のように、何処か懐かしいノスタルジアをも秘めている。……十二面体の幾何学的な夢。あるいは書かれなかったロマネスク異聞。そして視る度に異なって映る水晶幻想……。コラ―ジュは視覚で綴るポエジ―の叙述、そして観者が記憶の遠近法を駆使して垣間見る夢の技法なのである。……そして今回の個展を開催してあらためて想う。……コラ―ジュこそが私の紛れもない原点であり、これこそが表現における最深の秘法、イメ―ジの錬金術なのだと。

 

 

 

 

北川健次展『秘苑/フロ―リアンの夢の夜に』

 

ア―トギャラリ―884

東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884 お茶の水ビル1F・TEL03―5615―8843

2022年4月2日(土)~4月17日(日)

11時~18時 月曜日(休み)・最終日は16時まで

〈JR・丸ノ内線・千代田線各.「お茶の水駅」より徒歩5分〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『大規模な個展を開催中』

……東京日本橋・高島屋本店6階の美術画廊Xで、新作オブジェ70点以上が一堂に展示された大規模な個展が、10月20日から始まった。会期は11月8日までと、まだ会期は長いが、個展前日の作品展示作業の時から観に来られる方もいて、その場で早々と数点のコレクションが決まるなど、個展の手応えが早くもあった。……そして初日の幕が開くや、奇跡的にコロナの感染者が激減しているという追い風もあり、個展を待ち望んでいた沢山の来廊者で連日、会場は賑わっている。8月、9月のコロナ感染爆発でその頃は開催も危ぶまれたが、10月に入るや、不思議なまでに信じがたい感染者激減の奇跡が現れはじめ、個展が始まると共に、遠方からの熱心なコレクタ―の方々も遙々観に来られ、久しぶりの嬉しい再会が叶っている。……正に奇跡的な好機での個展開催である。

 

 

毎年、秋に開催されている高島屋美術画廊Xでの個展は今回で13回目になる。この企画展の当初から美術部の福田朋秋さんが長年担当されていて、その眼識の高さは実に鋭く、かつ的確なので、私は福田さんに全幅の強い信頼を寄せている。2月頃から開始した制作も次第に没頭の日々が続くと、さすがに未明の混沌の中に入ってしまう時がある。……私はかなり客観的な複眼で自作を分析出来ると思っているが、それでも時として次第に、大海の中での凪に入った舟のように視えなくなってしまうのである。……そういう時に、福田さんから受ける作品への感想や確かな批評は、再びの自信を呼び起こし、最後の追い込みへと入って行くのである。

 

 

今回の個展の打ち合わせを兼ねて、福田さんがアトリエに来られたのは9月のはじめ頃であった。……アトリエに列べた数々の新作を視るや、速断で、今回の作品が今までのオブジェの中で(その数は既に1000点近くに達している)最も、自在なイメ―ジへと誘う深度と完成度の高さに達している事を指摘された時は、さすがに私も安堵を覚え、かつ確信も実感したのであった。だから、今回の個展は必ずや実現したかったのであるが、9月のその頃はまだ先が見えない感染爆発の渦中にあり、多くの展覧会が中止となっていた頃であった。しかし、私はこのブログでも度々書いて来たが、陰陽師と呼ばれるまでの強い運気と、想いが必ず叶い、手繰り寄せてしまう事が出来る予知的な神通力を持っているので、心中の何処かで期するものがあった。……今思い返せば、確かに9月のその頃、不思議に楽観視しているものがあった。……そして、個展がある10月に入るや、信じがたい現象が起こり始め、感染者激減へと動きはじめたのであった。

 

 

今回の個展は、福田さんが速断で指摘したように、今までの個展の中で最も完成度の高いものとなっており、それと同じ感想を来廊された人達も語っている。……それを証すように、画廊の中で30分以上はゆうに過ごす方が多く、完成度の高い作品が多いので、コレクションする作品を決める迄に2時間以上、作品と対峙して決められる方もおられ、作者としての手応えを実感しているのである。

 

 

昔、私がまだ20代の頃、先達の池田満寿夫さんが私に語ってくれた事がある。「作品への一番確かな批評は、批評家の言葉でなく、作品を観る人達がどれだけ時間をかけて作品の前に佇み、作品と対話するか、つまり、その時間の長さである」と。……私は会場に毎日いて、その言葉を実感しているのである。

 

 

 

 

 

……今回の個展のタイトルは『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』。……縦長の広い画廊空間を劇場に見立て、その中に70点以上のオブジェが各々に放つ幻視を鮮やかに立ち上げようというのが主題の根本にある。本展では、今まで無かった鉄や石による「立体書簡」という連作にも挑戦し、会場に異彩を放っている。……まだご覧頂いてない方は、ぜひご来場頂いて、久しぶりの再会や、嬉しい出逢いとなる事を願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』

会期:10/20~11/8  時間:10:30~19:30

会場:高島屋本館6階/美術画廊X

〒103-8265 東京都中央区日本橋2丁目4−1

お問い合わせ ㈹:03-3211-4111

 

 

 

 

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『狂える夏の調べ』

①「夏日烈々」という言葉が正に相応しい猛暑の中、最近の私は本郷の坂道をよく歩いている。谷中と共にここ本郷一帯は、風情、情緒…といったものが、東京の地で最後に残っている場所である。そして、一葉、啄木、宮沢賢治…が、その天才を燃焼させるがごとく、あまりにも短い生を駆け抜けた舞台でもある。

 

その本郷にある画廊「ア―トギャラリ―884」で、今月の31日まで「北川健次展―鏡面のロマネスク」が開催中である。この画廊での個展は三回目になるが、昨年の秋・12月に予定されていたのがコロナ禍で延期され、満を持しての7月10日からの開催となったもの。コロナ禍とはいえ、私の個展は何故かいつもぶれずに強く、今まで未発表だった珍しい作品も展示してある事もあり、連日観に来られる方が多く、好評の中、会期はいよいよ最終章へと入った。画廊の中は心地好い冷気が充ち、たいそう居心地が良いのか、来られた方はのんびりと時を過ごされている。……ご興味のある方の為に、場所や日時を以下に記しておこう。

 

 

 

『ア―トギャラリ―884』

○東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884 お茶の水ビル1F

○TEL/FAX .03―5615―8843

11時~18時 月曜休み

(最終日は16時まで)

 

JRお茶の水駅・丸の内線お茶の水駅・千代田線新お茶の水駅下車

➡順天堂医院本館➡サッカ―通り手前角寄り。(駅から徒歩7分くらい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②日活のロマンポルノ全盛期にその異才を発揮し、その後に『櫻の園』『遠雷』『海を感じる時』『ヌ―ドの夜』……など、数々のヒット作を企画・製作し、この国の映画史にその名を刻んだ成田尚哉氏が、享年69才で昨年の9月11日に逝去してから早くも一年が経とうとしている。……本当に早いものである。その成田氏は度々このブログでも登場したが、三年前の晩秋に、私は彼に樋口一葉の裏日誌(いわゆる、文藝とミステリ―の融合)のような、妖しくも奇想に充ちた映画を作ってもらおうと思い立ち、彼を誘って本郷菊坂を中心にロケハンのように二人で歩き、老舗の鰻屋『鮒兼』で、…明治26年、霧の中の浅草十二階の暗い内部の描写から始まる場面構想を熱く語ったものである。……あぁ、あの時、二人でこの道を、あの階段を歩いたなぁ……と想いだしながら、先日も西片町、真砂町、菊坂、初音町……を歩いた。

 

……その成田尚哉氏の一周忌に合わせた追悼展の企画が現在進行中である。……彼は映画の分野でその異才を存分に発揮しながらも表現欲は留まる事を知らず、その才能をオブジェやコラ―ジュにも加速的に発揮し、私は彼の表現者としての深度が年々深まっていくのを間近で目撃していたのであった。その集中の様は凄まじく、後から思うと、自分の生の時間が残り少ないという事を、どこかで予感していたようにも思われる。

 

……追悼展の事は昨年の秋に企画が早々と決まり、彼が作品を発表していた下北沢の画廊『スマ―トシップ』の三王康成氏と私、そして奥様の成田可子さんとの打ち合わせが、平井のご自宅で五月と先日の二回、行われた。……私は六月末に個展案内状に載せるテクスト文を書き上げ、三王氏がデザイン構成他を担当し、順調に仕上げの段階に入った。成田尚哉氏の追悼展は今年の9月10日から18日までであるが、会期が近づいたら、またこのブログで詳しくご紹介する予定である。

 

 

③……異常な長雨の梅雨がようやく去ったと思ったら、入れ替わるように、明らかに昨年の夏を越える感の異常な猛暑の夏の到来である。……そして、強力な感染力を持つデルタ株がいよいよその凄みを増すという8月に向かい、最悪のタイミングで、拝金主義にまみれたオリンピックが蓋を開けようとしている。BBCなどの主要な海外メディアは揃って「今回の東京オリンピックは史上最悪のオリンピックになる!」と至極当然の論調である。……先日、イギリスのジョンソン首相は「コロナウィルスとの共生の道を選ぶ」という指針を示し、その流れが今、注視されている。この共生への道は、最初はその早急さ故につまずくと思われるが、やがて定着していくであろう。…….. さて、私はこのジョンソン首相がけっこう好きである。世界に感染が拡がり始めた当初に、私の考えと同じく、ウィルスのどしゃ降りの中に突っ込んで潜り抜ける姿勢(農耕ではなく遊牧、騎馬民族的な、この期に及んで是非も無し、強い者のみが抗体を獲て残ろうぞ!という中央突破的な考え)を提案し国民の顰蹙をかい、結果、本人もコロナに感染し、一時は生死の境をさ迷った。……しかし、いつも何かに追われているように必死な、さすがにシェ―クスピアの国を想わせる演劇的表情過多のこの人は、度々様々な着想を提案し、けっこう闘っているのが伝わって来て、何処かの国のボ~っとした覇気の無い、眼力の無い人物の無策、詭弁、信念の無さに比べると遥かに良い。いや面白い!!。

 

……彼が提案した「ウィルスとの共生」という考えは、完全な収束を願うよりも一番理に叶っている。地球が誕生したのは今から46億年前。ウィルスは30億年前に出現。人類は未だ20万年の歴史しかない。地球全史を1年に圧縮すれば、ウィルスは5月に生まれ、人類が生まれたのは大晦日の夜の11時頃にすぎないという。つまり圧倒的にウィルスの方が大先輩なのである。しかもウィルスは不気味なまでに賢く、人類の進化にも寄与している部分が大であるという。スペイン風邪の猛威は何億という人間を死に至らしめたが、何故か自然収束して、その姿を消した(正確には隠した!……それはシベリアの凍土の下に姿を隠し、また出現の時期を計っているという説もある)。そのウィルスは人類がいないと自分達も繁殖しないので、自らの意志があるかのように、人類をギリギリまで追い詰めて、最後は生かしておいて、後日の変異した我が身の温存をそこに計るのである。……この辺り、新宿の盛り場で、ボコボコに相手を殴ったチンピラが「今日はこれくらいにしてやるから感謝しろよ!!」と、毒のある捨て台詞を言いながら厳つく去っていく姿と少しだぶる。

 

……とまれ「お・も・て・な・し」が、正しくは「コロナで貴方をお・も・て・な・し」となった今日。選手村は予想された事だが陽性者の巣窟と化し、デルタ株はねずみ講のように拡がり、今年の8月は正に『八月の狂詩曲』ならぬ『八月の狂死曲』となるであろう。…………今年の夏は至るところで、死影のような今まで見たことがない陽炎が立つように思われる。

 

 

 

 

 

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『銀座・永井画廊での展覧会が終了』

先日の7月3日、永井画廊での展覧会『北川健次展―彼らは各々に、何をそこに視たのか』が、連日盛況の内に無事終了した。このコロナ禍で来場される方の入りがさすがに気になっていたが、始まってみると、連日たくさんの方が観に来られて、本当に有り難がった。棟方志功さん、駒井哲郎さん、池田満寿夫さんの三人の版画史の先達と、自選した私の代表作とのぶつかり合いという展覧会の切り口の妙、そして、永井画廊と画廊主の永井龍之介さんの知名度の高さ、また、現代の版画の状況への懐疑と問題提示、などが展覧会の開催意義と重なり、多くの目利きの方を刺激する展覧会となった。

 

 

 

 

会期中に来られた棟方志功さんのお孫さんの石井頼子さんからは、棟方志功さんについて詳しく書かれた著書『棟方志功の眼』がアトリエに届き、私は面白く、また懐かしく読み耽った。そして実に鋭くこの鬼才の本質に触れられていて、棟方志功解釈に於いて多くの得るところがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また最終日には、駒井哲郎さんのご長男の駒井亜里さんが、画廊に来られて実に45年ぶりの嬉しい再会が叶った。私が美大の学生時、亜里さんには一度だけ駒井さんのお宅でお会いした事がある。痩せて貧乏学生だった私に、駒井さんから、奥様が作られたカツ丼をご馳走して頂き、そのテ―ブルに亜里さんもおられて私達は一緒に食べたのであった。金もなく毎日ろくな物を食っていなかったので、本当にその時のカツ丼の美味しかった事が懐かしく思い出される。(……駒井さんは、懐が深く実に優しく、そして厳しかった。……確かその日の私は、かなり過激な事を駒井さんに喋りまくり、食ってかかったというのに……)

 

画廊で、私と永井さんは、亜里さんから、駒井さんの制作時の貴重な逸話を伺い、その作品に秘めた駒井さんの意図が見えて来て興味深いものがあった。……私は亜里さんに、全く誰も気にかけていない駒井さんの作品で、孤高の民俗学者にして国文学者であった、折口信夫(釋迢空)を描いた肖像(一点だけのモノタイプ作品)の行方について伺った。……以前に『文芸読本』の折口信夫特集の表紙を飾っていた作品で、駒井さんの中では異質な作品であるが、駒井さんの精神の闇が如実に出ている逸品である。しかし、駒井哲郎展では全く展示された事のない作品で、私はずっとこの作品の事が気になっていたのである。亜里さんは、たぶん自宅に在る筈と言われ、探して頂けるという事なので、私はそのオリジナル作品をぜひ拝見したく、その日が今から待ち遠しい。ちなみに、この折口信夫特集の執筆者は、西脇順三郎、小林秀雄、柳田国男と揃っており、三島由紀夫の小説『三熊野詣』の老いた国文学者のモデルであり、何とも奇怪でグロテスクな感さえある三島の鋭い描写であるが、駒井さんが描いた折口信夫のそれとピタリと重なるものがあり、実は駒井芸術における重要な作品のひとつと私はかねがね睨んでいたのであるが、例えば学芸員達には、全くその作品の事が頭から抜け落ちているらしい。

 

 

 

 

最終日に、池田満寿夫さんのパ―トナ―であったヴァイオリニストの佐藤陽子さんも来られる予定であったが、線状降水帯の激しい豪雨で熱海の山頂から凄まじい量の土石流が流れ落ちて来て、新幹線が運行停止の可能性が出て来た為に上京が不可能になり、久しぶりの再会(山の上ホテルでの澁澤龍彦さんの三十回忌以来)は叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

私が池田満寿夫さんと出会った時、池田さんは芥川賞を受賞する前の最も多忙にして、最も感性が鋭い時であった。駒井さん、棟方さんは私にぶれない表現者としての矜持と自信を与えてくれたが、実質的にプロの作家への道を作って頂いたのは、その後の学生時に出会った、まことにこの池田さんの導きが大きかった。……棟方志功さんと同じくヴェネツィアビエンナ―レ展の版画部門国際大賞を受賞したこの人は、版画に留まらず、作家、陶芸、彫刻、映画監督、写真家……と実に多才であったが、この国の実に偏狭な価値観は、その実の芯を視ずに、表面的な器用さと誤解し、それが池田さんにとってはかなり抵抗感があったと思われる。今、私は版画に終止符を打ち、オブジェ、美術に関する著作執筆、写真、詩と様々に自由に展開し、存分に手応えを覚えているが、僅か40年前のこの国の狭い偏見は、当時この人に対して不当なものがあった。またその華やかさに対して、世の人々が抱いた羨望や嫉妬もそこに動いていた感は確かにあった。……今、時代的に見て、淘汰か否かの渦中にあるが、池田さんの優れた作品に対して、眼力のある人が数人出て来たならば、この人の正しい評価は間違いなく確かなものになっていくという確信が私にはある。ただ、この人の多才な才能の幅に渡ってあまねく語れる論者、識者が未だいないだけの話である。専門だけに留まらず、分野を越境して語れる側の人材があまりにいないだけの話なのである。池田満寿夫再考、再評価が実に待たれるのである。

 

……今回の展覧会場―永井画廊で、池田満寿夫さんと棟方志功さんの作品が隣どうしに並んだのであるが、おそらくこの組み合わせは今までに無かった、永井龍之介さんの着眼力と創意性の確かさから出たものである。比較文化論的に言えば、強度で意外な物がぶつかり合う事で、今まで見えなかった新たな意味がそこに鮮やかに立ち上がる。……棟方志功さんの作品も動くし、また池田満寿夫さんの作品も動いて、今までに無かった新たな妙味がそこに立ち上がるのである。……初日前日、私が展示の為に画廊に来た時、既に全作品が床に並べて立て掛けてあったが、私は一目観て、永井さんの構成のセンスに唸った。そして、そこに今までに無かった新たな可能性の揺らぎをも直感したのであった。

 

会期中に永井さんに「日本美術史の名作の中で、永井さんがこれ一点は何かと問われたら、何と答えますか?」と伺ったら、即座に長谷川等伯の『松林図屏風』という答えが返って来た。私ならば今は宗達の『舞楽図屏風』であるが、……問題はその思考の速度である。芭蕉の「考えるは常住の事、席に及びて間髪を入れず」ではないが、私は時々この質問を相手にする事がある。その返しの速度と何を返して来るか!?を知りたいのである。会期中、度々私と永井さんは、古今東西の美術史を越境した様々な話をして実に愉しい時間を過ごせたのであった。こういう体験は最近実に珍しい事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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