月別アーカイブ: 6月 2023

『1987年……阿部定が消えた夏・後編』

このブログは毎月2本、だいたい2週間に1本のペ―スで書いているが、前回のブログは阿部定に至る前の引っ張りが長かったせいか「後編を早く読みたい」との声を多数頂いたので、予定を早めて本日書く事にした。幸い、10月11日から開催される予定の高島屋(美術画廊X)の個展の制作も順調なので、忙中閑ありの気持ちで今日は暫し楽しんで書く事にしよう。

 

 

………………頭髪が伸びたので、昨日髪をバッサリと切りに行った。中年くらいの男性の美容師がカットをしている時に私が「阿部定という名前は知ってますか?」と突然問うと「あっ知ってますよ!」との答え。「では、その阿部定が愛人だった男性の局部を用意していた庖丁で切り取って逃げ去り、捕まった事件は知ってますか?」と問うと「え~マジですか?阿部定ってそんな事をやったんすか!」と驚いた。動揺したのかハサミをパチパチと動かしている。

 

…………どうやら〈ア・ベ・サ・ダ〉という名前の独特な毒のある響きだけは小さい時から覚えていたらしい。ナベサダ(ジャズの渡辺貞夫)でなく、阿部サダヲ(俳優)でもなく、やはりドスンと響く名前は阿部定に指を折る。阿部定という響きには毒がある。何か事件を犯さなくては収まらない濁った凄みがある。更に云えば、苗字の阿部よりも名前の定(サダ)の方に怨念の韻がある。阿部と定が絡んで暗い日陰にどくだみ草の花が咲く。

 

…………さてその阿部定。畳屋「相模屋」の末娘として神田に明治38年に生まれる。(阿部定は本名)。幼少時はお定ちゃんと近所でも呼ばれ、評判の美少女であったらしい。乳母日傘(おんばひがさ)の恵まれた環境であった。しかし14歳の時に慶應の学生に強姦されて以来、生活が一変して乱れはじめ浅草界隈を根城にした不良娘へと変貌。浅草の女極道「小桜のお蝶」と張り合ったりの乱行が目立つようになり、結局見かねた父親に勘当され、女街の世界に売られてしまう。

 

名前を吉井昌子、田中加代……などと、小林旭の名曲『昔の名前で出ています』のように変名しながら芸妓、娼妓、妾、仲居と流転した後に運命の男―石田吉蔵(料亭・吉田屋を経営)と不倫関係になる。やがて石田の妻の知るところとなり二人は出奔。……二子玉川、渋谷丸山町……などの待合や旅館を道行きのように転々と流れ、二人は漂着したように事件の現場となった東京都荒川区西尾久の待合『満佐喜』に逗留。……ひたすらの性愛に浸る時間を過ごした果てに吉蔵を絞殺して局部を切断し、それを持って逃亡。3日後に品川の宿で大和田直の偽名で潜伏中に逮捕される。時に1936年(昭和11年)5月16日、226事件が起きた3ヶ月後の世が政情不安の中での猟奇的かつ禁忌的な出来事に世の中が震撼し、かつ湧いた。

 

 

 

 

その後の裁判では、切断された吉蔵の局部のホルマリン漬けが法廷に登場し、裁判長から(これを見て、今、あなたはどう思いますか?)と問われ、阿部定は静かに、しかし張りのある声で答えた。(……とても懐かしい想いがします)と。

 

吉蔵を腰ひもで絞殺した後、部屋の額の裏に隠しておいた牛刀を取り出し定は局部を切断、現場の布団に血文字で「定吉二人キリ」と書いて失踪したこの事件。

殺された吉蔵はつまりはマゾヒストであったと処理され、定は法廷陳述の際に「あの人(吉蔵)は歓んで死んでいった」と語り、この吉蔵の抵抗なく従容と死んでいった事件が記されているが、果たしてどうなのか?……阿部定の動機と行為にばかり関心がいって語られているが、私には少し気になることがある。つまり、最期の最期に於いて何故吉蔵は抵抗しなかったのか?という事への疑問である。

 

 

 

……ここに1つ例を出そう。1948年に愛人の山崎富栄と玉川上水で心中自殺した小説家・太宰治の例である。どしゃ降りの雨で水かさが増す中、ようやく二人の水死体が上がった。二人は同意の上の心中と思われているが、死体は語るの言葉通り、そこには面白い現象が現れていた。

愛人の山崎富栄の死に顔は達成した満足感に充ちた顔であったが、一方の太宰は、水中の最期の時に至って、逃げ出そうともがき苦しんだ苦悶の相を浮かべながら死んでいたという。二人を縛った紐は何重にも固く結ばれ、あまつさえ、富栄の足が太宰の体をしっかりと絡めとり、逃げ出せぬまま苦悶の内に死んでいったと、現場を記録した伝聞にはある。

 

 

 

……もう1つ逸話を書こう。富栄は心中の前日に鰻屋に一人で行き鰻の肝焼を店にあるだけ注文して食べたという。

店の主人が不審に思ってこう訊いた。(お客さん、なぜそんなに鰻の肝ばかり食べるんだい?)と。富栄は静かにこう言ったという。(あした、ちょっと力の要る仕事があるのよ)と。

 

……私はこの逸話を知った時に背筋を冷たく走るものがあった。昔視た、交尾中の上に乗ったカマキリの雄を、下の牝が振り向くように雄の頭からパリパリと乾いた音を立てて食べはじめ、やがて跡形も無く雄を食い尽くしてしまった光景が甦って来たのであった。

 

 

……吉蔵は、その時、どういう想いで死んでいったのか?……机上の空論のように考えていても何も見えては来ない。蛇の道は蛇ではないが、阿部定、吉蔵に繋がるその筋の友人(輪島在住)に考えを訊く事にして電話を入れた。私の友人としては異色の存在に入るその男は西鶴の世界を地で生きているような性豪の徒であり、顔つきも吉蔵に似た艶のある男である。暗黒舞踏の土方巽ともかつて親交があったが、果たして何で食べているのか、私は今もって知らない。名前を出せないので仮にTとしておこう。

 

……私の質問にTは自らの実体験を重ねるように明るく答えてくれた。「連日の性愛で当然男(吉蔵)は放電し、その失っていく分、相手の女(阿部定)は充電し、無限連続のように艶を増してくるわけだよ。怖いよ女性性の心奥は(笑)。……そう云えば、以前に信州の旅館『大黒屋』という所で、痴戯のつもりで吉蔵のように女性に首を絞められた事があるが、頭が熱くなって思考が鈍るけど、その分脳内モルヒネが次第に溢れて来て、もうどうでも良くなって来るんだよ。今思えば危なかったね。

 

……その吉蔵という男に拍車をかけたのは、当時の軍の台頭によって時代が傾いていった世相とも関係があるんじゃないかな。……昔、君(私)が現場に行ったという岡山の津山三十人殺しの事件は確かその翌年だったよね。吉蔵と、その津山の犯人は刹那的になったという点で似ているんじゃないかな。」

 

 

…………先日、私は、出所後に阿部定が商っていたという台東区竜泉に在ったおにぎり屋『若竹』の跡地を訪れ、その足で三ノ輪駅から都電の荒川線に乗り宮ノ前駅で降り、現場となった待合『満佐喜』跡地を訪れた。

……現在その場所は、阿部定に入れ込んで活動中の女優、安藤玉恵さんの祖母が土地を買い取り、一部は駐車場になっていて昔日の面影は何もない。……ただ数ヵ月前に行った田端435番地の芥川龍之介の自宅跡地と同じく、その土地の記憶が語って来る物語りの余韻というものを私は現場跡から透かし取る事は出来た。……要するに、かつて起きた物語りに対する追憶の感覚と享受である。

 

 

……さて、本日のブログの終わりに来て、私が気にいっている逸話を1つ書こう。……待合『満佐喜』で阿部定事件が起きて世の中が騒然としている最中に、一人の好奇心の強い男性が現場となった『満佐喜』の女将に掛け合い、事件のあったその部屋を観に入った事があった。……新宿紀伊國屋書店を築いた創業者の田辺茂一氏である。田辺氏は、未だ凄惨な事件の余韻が生々しく残る部屋に一番乗りで入って満足気であった。……しかしその部屋の入り口で女将が静かに語った言葉で消沈してしまった。満佐喜の女将はこう語ったという。「この部屋を観に来られたのは、実は田辺様が初めてではありません」と。唖然とした田辺氏が「そいつは何処の誰だい!?」と慌てて訊くと女将は静かにこう言った。「殿方ではありません。和服を着た清楚な感じの物静かな御婦人でした」と。………………「怖いよ女性性の心奥は!」。そう私に語った友人のTの言葉がここでリフレインとなって響いて来る。

 

……とまれ、昭和史を駆け抜けた阿部定は、やがて消息を絶った。亡くなった愛人・石田吉蔵の眠る久遠寺(山梨県身延町)には、阿部定失踪後も命日には花束が届いていたが、それも1987年には絶えたという。

 

…………1987年……阿部定が消えた夏。

 

和服姿の彼女が去っていく、その老いた後ろ姿を追うように、浅草寺仲見世傍にある老舗の甘味処『梅園』。阿部定と吉蔵が事件の数日前に立ち寄ったというこの店の軒先に掛けてあった風鈴が、その時、風にそよいでチリリンとなったか否かは誰も知らない。

 

 

……さて前回にお約束した、もう一人の毒婦・高橋お伝と、文豪・谷崎潤一郎、そしてそこに絡んで来る私との不思議な巡り合わせのトライアングルを併せて書く予定でしたが、文章の流れから考えて後日に書く事にしましたのでご了承頂ければ有り難いです。……乞うご期待。

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『1987年……阿部定が消えた夏』

 

 

 

 

……1989年の7月某日午後。私は上野の博物館を観た帰りに、公園内にある老舗甘味処『新鶯亭』で名物の鶯団子を食べながら、自分の前途について(さて、これから私はどうしたものか)と、柄にもなく思い詰めていた。…………自分の制作(当時は銅版画)の展開という問題以外に、西洋美術史にまつわる幾つもの未だ私の中で仮説の域にある推論を実証へと展開してみたい、……また美術の領域を越えて欧羅巴で起きた様々な歴史的事件や未解決のミステリ―(特に英国ビクトリア期)の現場などを実際に訪れて、自分の眼で確認しイメ―ジの充電を濃密にしてみたい等々……つまり、ここに至って頭の中で20以上に膨らんだ様々な主題を、机上の文献だけの説を越えて実地に歩き、ことごとく解いていきたいという強い想いに駆られていたのであった。しかし日本を出てそれらの主題を順に片付けていくには、最低でも海外での長期滞在は1年間は必要であろう。だがそれの支えとなる軍資金が無い。……さて金策をどうしたものか?その策がまるで浮かばない。

 

……暗澹とした暗い気持ちのまま地下鉄の銀座線に乗り、渋谷へと向かった。電車の中で吊革にもたれていると「……次は虎ノ門です」という放送が耳に入った。……瞬間、正に天恵のように卒然と閃くものがあり、私は虎ノ門駅で途中下車した。向かう先は当時の文部省であった。省内に入り文化庁の扉を開き窓口で(……在外研修員の応募はいつからでしょうか?)と問うと、担当者らしき人が現れ(既に募集は始まっていてまもなく〆切です)と言われた。美術、音楽、映像、演劇、舞踊……など芸術全般に関する各分野から毎年一人づつ選ばれ、海外の希望する研修先に派遣される制度があった事を、先ほどの車内で「虎ノ門駅」と耳にした瞬間に俄に思い出したのである。

 

説明を聞くと、この制度は書類などの手続きの段階が面倒であるが、もはややるしかない。……やると決めたら私の行動力は光の速度よりも早い。……訊くと、まもなく〆切らしいがタイミングとしてはギリギリ大丈夫との事。毎年全国から沢山の応募者がいる事は何となく噂で聴いていたので「ちなみに版画の部門は今、応募者は何人ぐらいですか?」と訊くと「現時点で800人を越えています」との答。………倍率は800倍かぁ。しかし正直云って倍率はなんら問題ではない。肝心なのは研修のテ―マの方である。自分で云うのも何であるが、私はこういう時、テ―マを立ち上げるのが実に早い。

 

帰りの電車の中でテ―マはすぐに出来上がった。……スペイン・カタロニアの画家ミロタピエスが多用している「カ―ボランダム」という技法があるが、何故か日本には入っていない未知の技法である事を知っていたので、「何故それはスペインのカタロニアだけにとどまっている未知の技法なのかを突き止め、その技法を修得し日本に導入する事で、版画の分野全体の質的向上を具体的に計る」という事をテ―マにして、略歴、日本美術評論家連盟による推薦文、(そして、動く時は一気に動いて入手した)カタロニアの美術家タピエスの版画工房の受け入れ許可書と一緒に文書でまとめ、窓口であった竹橋の国立近代美術館の窓口に提出した。

 

 

 

バルセロナ版画工房

 

ミロの版画

 

 

タピエスの版画

 

 

平行してスペイン語も学ばねばならない。審査は三次審査の面接まであるがなんとか突破して、翌年の1990年10月、遂に機上の人となり一路バルセロナへと翔んだ。(思い出せば、上野公園内の鴬亭で、さてどうしたものか……と思い詰めていた時が懐かしい。)留学の期間は1年間の長旅であるが、私は抱えて来た20近い主題をこなし、それは帰国してから著書にまとめ、『モナリザ・ミステリ―』(新潮社)と題して刊行され、美術書としては異例の増刷となり12000冊が読まれた。(本には、ダ・ヴィンチだけでなく、フェルメ―ル、ピカソ、ダリ、デュシャンが所収され、それは旅の課題(主題)の成果の一部である)。またその後に『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂)や第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』として、詰め込んだ実証はイメ―ジとなって変容し、今もその時の体験は活きている。……あの時に地下鉄の電車に乗っていなかったらと考えると、だから人生は面白い。

 

 

……さて、今までのブログでも折りにふれ書いて来たように、私は〈様々な時に起きた、その現場〉に立つ事が実に多い。アトリエで制作時は外界と隔てて籠っているが、興味があって現場に立ちたい時はそれを実行してやまない。

 

……バルセロナ大学ではガウディについて知るために関連書の翻訳作業をして各所の建造物を独自の視点で漁歩して巡り、パリでは当時は非公開であったメゾンアルフォ―ト獣医学校秘蔵の『フラゴナ―ルの婚約者』と呼ばれる脅威の剥皮標本を観る許可を得るために手紙を書いて校長宛に申請し、ようやく許可が下りて特別に観、イギリスではヴィクトリア期(1888年)に平行して起きた『切り裂きジャック』の五件の現場を訪れた後に、シャ―ロックホ―ムズの小説や映画で度々登場するスコットランドヤ―ド(ロンドン警視庁)に今も現存する切り裂きジャックの担当者を尋ね、またディヴィッド・リンチの映画で知られる『エレファントマン』の死体骨格標本が在るRoyal London Hospitalを訪れたりと、美術の領域を越境して歩き巡ったものである。

 

私はヨ―ロッパの各所を巡り、ド―バ―海峡を渡ってミステリ―の現場ロンドンで見聞きしたことが、今のオブジェのイメ―ジの立ち上げに実に有効に働いている事を実感している。持論であるが、作品とは一種の暗号であり、謎かけであり、つまりは過ぎ去った時間への郷愁―ノスタルジアであり、ポエジ―なのである。

 

 

 

『フラゴナ―ルの婚約者』

 

 

 

 

 

 

 

……留学を終えて日本に帰った後もこの「現場を視たい」という強度な好奇心―不穏なものを視たいという視覚の欲望は深化して川端康成の小説『片腕』ではないが、ますます強くなっている感がある。……20代の時に角川映画の関係で『八つ墓村』の著者・横溝正史氏と会食した事が奇縁となり、その小説のモデルとなった『津山三十人殺し』事件の現場の村(貝尾部落)に入って犯人の足跡を追い、また版画家、藤牧義夫が忽然とこの世から消えた原因(自殺か他殺か!)を追って、藤牧最後の一日の足跡を本人になぞって徒歩で辿り、制作の合間に時間を作って、消えた藤牧義夫の幽かな点を明確な線へと連ねる推理をしたり、また田端の芥川龍之介住居跡、鎌倉の中原中也の住居跡、本郷菊坂の樋口一葉の……と動き巡った事を書けばゆうに1冊の本になる。それもこれも、30代に松本清張の本を全て読破して、実際に現場に行く事の大事な妙を覚えた事が、思い返せば私の好奇心に赤い火が灯ってしまった全ての原因か。

 

 

 

……さて、今回のブログの本題である『1987年―阿部定が消えた夏』に入る前に、随分と遠回りをしたようであるが、以上の事は前振りとして必要であるように思われる。次回はいよいよ真打ちの阿部定の登場である。……絞殺され局部を切断された愛人の男・石田吉蔵は何故、阿部定に魅入られたように従容として死に就いたのか?それに絡めての、声を潜めて語るような逸話も続出予定。

…………またその後にはもう一人の毒婦と云われた高橋お伝と、谷崎潤一郎との知られざる関係についても実証を交えながら執筆する予定。秘蔵されている吉蔵の○○やお伝の○○を実際に視てしまった私ならではの異文を展開します。……後編に乞うご期待。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『近況―春から続く展覧会の中で……』

4月24日にアップしたブログで、詩人の高柳誠氏からは新刊の詩集が、そして同じく詩人の野村喜和夫氏からは対談集(私との対談も所収)が送られて来た事はご紹介したが、先日は、いまパリに滞在中の歌人の水原紫苑さんが1月の2冊同時刊行に続いて歌集『快楽』を、そして美学の谷川渥氏が『三島由紀夫/薔薇のバロキスム』を、ちくま学芸文庫から刊行し、先日、西麻布でその刊行記念講演が開催され、私も出席した。

 

……ことほどさように、我が文芸の友人諸氏は健筆を振るってますます盛んに表現領域の開拓に意欲的であるが、……ふとその眼差しを美術の分野に転じれば、私と同じ頃に登場した版画家や画家はことごとく、その存在が薄墨のように目立たなくなってしまって既に久しい。全く発表しなくなったか、発表しても、小林旭のヒット曲「昔の名前で出ています」ではないが、同じパタ―ンの繰返し、或いは旧作を弄くっているだけで、その作家における「現在」が無い。特に版画の分野はそのほとんどが死に体のごとく、沈んだ沼の底のごとくである。しかし、その理由は判然としている。未開の版画にしか出来ない表現というのが実は多々ある筈なのに、既存の版画概念の範疇内で作り、複眼性、客観性を欠いた、つまりは批評眼が全く欠けている事に気づいていないのである。

 

「私は版画家だけにはなりたくない」と日記に記したパウル・クレ―の、その文章の強い意思の箇所に、銅版画を作り始めたその初期に鉛筆で線を強く引いた事を私は今、思い出している。…………私は、美術の分野では15年前に、自分が銅版画でやるべき事は全て作り終えたという発展的な決断の元、次はオブジェ制作に専念すべく意識を切り替え、既に1000点以上のオブジェを作り、文芸の分野では、詩作や美術論考の執筆をやら、そして写真も……と、分野を越境して制作しているので、その比較が俯瞰的にありありと見えてしまうのである。

 

私個人の展覧会に話を移せば、4月は1ヶ月間にわたって個展を福井で開催し、5月24日から6月12日迄は西千葉の山口画廊で個展『Genovaに直線が引かれる前に』を開催。……そして今月の10日から24日迄、日本橋の不忍画廊が企画した『SECRET』と題したグル―プ展で、池田満寿夫さん他6名の作家の作品と共に、私のオブジェや版画が多数出品されている。本展では、私のオブジェの中では大作と云える、イギリス・ビクトリア期の大きな古い時計を真っ二つに切断したオブジェ(画像掲載)や、銅版画『回廊にて―Boy with a goose』(画像掲載)も出品しているので、是非ご覧頂きたい。また詩も作品に併せて各々に書いているので、こちらもお読み頂ければ有り難い。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、10月11日から10月30日迄の3週間にわたって、日本橋高島屋の美術画廊Xで個展を開催する予定で、現在アトリエにこもって制作が続いている日々である。その間にも充電と称して、ブログに度々登場する、不穏な怪しい場所、ミステリアスな場所へと探訪する日々が続いている。……こちらもまた追ってブログで書いて登場する予定であるので、乞うご期待である。

 

 

……さしあたっては湿気の多い病める梅雨なので、いっそそれに相応しい阿部定事件のあった荒川区尾久の現場跡にでも行ってみようかと思っている、最近の私なのである。

 

 

 

 

 

 

 

不忍画廊『SECRET』展

会期: 6月10日~24日 (休廊日:月曜・火曜)

時間:12時~18時

東京都中央区日本橋3丁目8―6 第二中央ビル4F

TEL03―3271―3810

東京メトロ銀座線・東西線・都営浅草線「日本橋駅」B1出口より徒歩1分

東京メトロ半蔵門線「三越前駅」B6出口より徒歩6分

http: //www.shinobazu.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: Event & News, Words | タグ: , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律