月別アーカイブ: 9月 2017

『鏡の皮膚』 

日本橋高島屋・美術画廊Xで開催される個展が少しずつ近づいてきた。今回の会期は11月8日(水)から27日(月)迄であるが、新しいアトリエでの制作はいま正に佳境に入っている。今年で連続9回目、高島屋のこの個展だけで制作した作品数は、延べおよそ600点以上。それ以外の画廊で発表した個展の新作を合わせればかなりの数になる。……そして、作り出して来た全ての作品がコレクタ―の人達の収蔵に入っている事を思えば、間違いなく私は表現者として幸運な人生を歩いていると思う。……24歳で作家としてデビュ―した時に、私の個展の総指揮を担当された池田満寿夫さんは、「これからはコレクタ―の人達と共に歩む事、作品は今後も発表する際には若い人にも購入可能な価格にする事、作品が優れていれば間違いなく自ずから評価され上がっていくから。」というアドバイスを頂き、私は池田さんを信じて先達としての言葉に従った。そして24歳時の第1回目の個展で発表した版画は1点2万円で発表されたが、出品点数25点、エディションは各20部、計500点が1週間の会期中にすべて完売となった。この記録は今も破られていないという。……ニュヨ―クの池田さんからは祝電が届き、私はプロでやっていく自信を固めたが、はたして池田さんの予言どおり、その時に発表した作品の評価価格は、現在は10倍から20倍以上となり、今もコレクタ―の人達の愛蔵するところとなって大切にされている。作品は私の手元を離れて、その人達の各々の人生の中に深く関わっていっているのである。……後年もこの池田さんのアドバイスを私は守り続け、自分が版元となって版画集を8年間で七作次々と精力的に刊行したが、いずれも刊行して3ヶ月間くらいで全作が完売となった。……何より一番大事な事は、作品がコレクタ―の人達にコレクションされる事。……そして、自らを模倣せずに次々と新たな可能性に挑戦していく事。……版画からオブジェに制作の主点は変わったが、先達が遺し伝えてくれたこの言葉を、今も私は金科玉条のごとく守り続けているのである。

 

さて、高島屋の個展であるが、今回の展覧会タイトルは『鏡の皮膚―サラ・ベルナ―ルの捕らわれた七月の感情』である。……私はいつも個展の制作に入る前に、先ずは展覧会のタイトルを決める事から入っていく。言葉とそれらが孕むイメ―ジのあれこれをまさぐりながら、現在形の自分が、今、何処に在り、未生の新たな「語り得ぬ」もののアニマと姿が何であるかを、あたかも気象観測のような視点で、あたかも稲妻捕りのような素早さで絡め捕る事から始まるのである。……そして、タイトルが決まるや、私の視線は集中し、一気に制作に入っていくのである。高島屋の個展案内状は制作の着手が早いので、8月の後半にはもう形が出来上がっているが、私は案内状のデザインにも深く関わっている。……展覧会の案内状とは、その展示内容の表象であり、また象徴性をも孕んでいる伝達交感の大事な関係だと思うからである。……天才舞踏家の土方巽が、「新作の案内状を送った時から舞踏はもう始まっている。」と何かに書いていたのを読んで、確かに!!……と私は蒙を拓かれたのであったが、以来、私は案内状にはこだわりを持ち続けている。……高島屋美術部も同じ理念を持っているので、レイアウト、印刷の校正は徹底して臨んでおり、今度10月3日は、その三回目のチェックが予定されている。……ただ、案内状を発送するのは、私は会期初日の4日ばかり前に届くように送っている。会期が三週間と長いので、そこを考えての事である。だから、このメッセージでの早い時点でのお知らせは、とても大切な意味を持っているのである。…………アトリエで出来上がっていく新作のオブジェを見ながら、私はそこに自分の新たな現在形の姿を、ある種の驚きを持って見つめている。………………さて、次回のメッセージは、強烈なインパクトを持った棟方志功さんが初登場する予定。乞うご期待。

 

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『白黒はハッキリと!!』 

今から27年前の1990年の晩秋のある日、私はスペイン・カタロ―ニャ自治区の北東部にあるフィゲラスのダリ劇場美術館にいた。前日にダリのアトリエ(通称―卵の家)のあるカダケスで過ごし、早朝のバスで、ダリの生地であるここフィゲラスに着いたのである。……奇想の画家・サルバド―ル・ダリの作品が数多く収蔵展示されているこの美術館は、元は朽ちた劇場であったのをダリ自らが設計改造して美術館に作り替えたものである。……部屋ごとに集められた数々の作品を観て行くと、突然、何も展示されていない全くの白くて広い部屋に行き当たった。(……ん、何だろう!?)。見ると、他の観客達はただの通路だと思ってみな足早に取り過ぎて行く。私はふと足下から強い気が来るのを感じて下を見た。……その床面には、「Salvador Dali 1904―1989』と銘が彫られており、私はそれが白い墓石であり、昨年亡くなったばかりのダリの遺体が、この足下の更に深くに眠っている事を知ったのであった。

 

……その墓が掘り起こされて、ダリの遺体がDNA鑑定されるという。……何とも穏やかでない話であるが、事の発端はダリの隠し子だと名乗る女性(マリア・ピラル・アベル・マルティアというタロットの占い師)が現れた事で、ダリの財産(約500億円……意外に安いのは、晩年に近親者たちが勝手に使い込んでいた為)を管理しているダリ財団と、この占い師をめぐって、遺産の相続に絡んだ権利問題に発展しかねない情況が出てきたからである。遺体をDNA鑑定する事を命じたのはマドリ―ドの裁判所である由。そして今年の7月に調査が始まり、先日、結果が出て白と判定され、この占い師には調査に要した多額の費用の賠償請求が近々に課せられるという。………………実は、結果が白である事は、私は当初から既に読んでいた。私事になるが、2004年に刊行した拙著『「モナリザ」ミステリ―』(新潮社刊)所収の「停止する永遠の正午―カダケス」で、ピカソ・ダリ・デュシャンを登場させたが、私はその執筆に際し、多くの資料や逸話までも動員して彼らの下半身事情―いわゆる性癖までも徹底して調べあげていた。その結果、確信を持ったのであるが、ダリは自らを蟷螂(雌に食べられる雄のカマキリに自身を同化する、男性性における性的な不能者)に見立て、ダリの頭上に君臨するガラの横暴に耐える事にのみ性的な恍惚を覚えるという、徹底した受動体であったのである。ダリの「隠し子」と名乗るその占い師が、ダリと自分の母親が関係したと主張する時期は、既にダリはガラの徹底した管理下にあったカダケス時代であり、精神的にも肉体的にもダリの実体の近似値を他に求めれば、浮かんでくるのは、あの谷崎潤一郎の『春琴抄』に登場する丁稚のマゾヒスト・佐助に限りなく近い。……ひたすら堪え忍ぶという忍従の徹底から放射する、独自で特異な美の結晶。谷崎は、マゾヒズムを極める事で、それを超越した耽美主義の誰にも真似の出来ない絢爛たる隱花を咲かせたが、ダリもまた独自な偏執抂の月下の美を顕した。ダリが美の規範(カノン)とした基準は〈可食的であるか否か〉であったが、自身の徹底した受動体の価値を、そこに合わせ見ていたように私には思われる。…………それはそうと、今回の、墓を掘り出してダリの遺体を調査するという話から思い出したのであるが、フランスでは数年前に、ジャンヌ・ダルクを火刑にしたその遺灰からDNA を調査する試みが実施されたというが、15世紀初頭の人物にまで調査する対象が向かうという、その白か黒かの徹底には、痒い所に手が届くという観があって私は好きである。……話を日本に変えれば、「坂本龍馬暗殺の真相」をめぐって何百冊もの本が書かれてきたが、その詰めになると皆一様ですっきりとしない。中岡慎太郎が最後に語り遺したという、死客達の斬り込み状況のみを信じて、それを鵜呑みにしているが、ズタズタに斬られて断末魔にある中岡慎太郎に、定番として語られているような暗殺時の状況を冷静に振り返って語れる筈がない。真相は、薩摩あるいは土佐の政治的な理由に拠って周到に隠蔽された観が強いのである。……いっそ、東山霊山に埋葬された龍馬、慎太郎、そしてその後に埋葬してある藤吉の遺骸(三人とも樽の中に座ったままの土葬)を掘り出して、その頭蓋骨や肩、背骨に残る刃傷痕の強弱、深浅を調べれば、より確実で具体的な惨事の状況と、新たなる真相が見えてくるのになぁ……と、京都に行って墓参の度に焦れったく思う私なのである。もっとも、調査を実践した場合、翌日の朝刊の一面を飾るトップニュ―スになる事は間違いないであろうが。……そして、その龍馬の墓の同じ場所から、三人以外の、(伏せられている)もう一人の人物の少量の骨が出てくる事は間違いない、云わば知る人ぞ知る……の真相であるが。その小さな骨が、龍馬の妻―明治39年に亡くなって、その遺言により、妹の光枝によって横須賀の信楽寺の墓以外に分骨されたお龍その人である事を知って、……これもまた話題になる事は間違いない事ではあるが。………………

 

 

 

 

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『狂った夏の終わりに』 

8月25日、東京芸術劇場に勅使川原三郎氏のダンス公演「月に吠える」を観に行く。以前に私はこのブログで、彼の表現に於ける実験性と完成度の高さが共存する事の稀有な素晴らしさについて言及したが、それに加えて、知的洗練と原初的な獣性が同居する事の凄みにもまた触れるべきかと思う。月に吠える―萩原朔太郎。このイメ―ジのネクロフィリアの詩は、梶井基次郎、川端康成に通ずるものがあり、その湿った鈍い光は、私の初期の銅版画のマチエ―ルに深く吸収されていったように思われる。……この日に観た勅使川原氏の多彩多層な変幻と対を成すかのように、佐東利穗子さんの綾なす〈イノセント〉が、この舞台に不思議な艶を醸し出していた。無垢から無限まで、佐東さんの表現領域もまた無尽へと射程の拡がりを見せている。……公演終了後、私は興奮の汗の生々しく残る楽屋に行き、氏に「芸術というものは、虚構が紡ぎ出す砂上楼閣―水晶伽藍だと思っていたが、こと勅使川原氏のダンスに於いては、それだけでは言い切れない別なものがあるように思う」と語った。別なもの、……全ての概念を捨て去った身体の、更なる否定と懐疑の後に初めて立ち上がる、それは特異な未だ名付けえぬ領域に棲まうものなのかもしれない。

 

9月1日。昨年の今日、私は撮影のために、パリとブリュッセルに向けて出発した日である。……その時の成果は、今年の5月、日本橋濱町のギャラリ―・サンカイビでの写真展「暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように」で発表した。……パリでは、ISが次にテロをやるとしたら何処を狙うか……という話を友人として、私は、「ル―ヴル美術館かノ―トルダム寺院が危ないな」と話をしていた、まさにその時、直前に未遂で捕まったものの四人の女性テロ集団が、私が正に言ったノートルダム寺院に向けて、爆弾を積んだ車で突進するという事件があった事を、深夜のニュースで知った時には驚いた。

 

9月2日、恵比須のギャラリ―・LIBRAIRIE6で、澁澤龍彦没後30年展の第Ⅰ部「石の夢」に展示してあったパエジナ・通称―「風景大理石」を予約していたのを引き取りに行く。この石はイタリアの或る山でしか採れない石で、砕くとその断面に、不思議な支那の寺院や、カタストロフの光景、或いはタ―ナ―が描いたような落日の光景……が浮き出ていて、私達の想像力を煽ってやまない石なのである。ゲーテやミケランジェロもこの石に魅了され、そのコレクションをしていた事は、よく知られている。以前に英文学者の高山宏氏からの依頼で私は丸善で刊行している冊子に、この石について書いた事があるが、澁澤龍彦氏や、ロジェ・カイヨワの著書にも度々登場するのでご一読をお勧めしたい不思議な石である。……「絵のある石」パエジナは、わがアトリエに来て、ルドンやジャコメッティ、ゴヤ、川田喜久治、ホックニ―、ベルメ―ルといった秀作の中に混じって、壁面の一角に掛けられた。……そしてその不思議な波動を受けながら、私は秋に迫った個展、11月8日から11月27日まで日本橋高島屋本店・美術画廊Xで開催される個展に向けて、いま制作の真っ只中にいるのである。アトリエに設置した巨大なテ―ブルの上には、微温を帯びた不思議な漂流物のように、新作の未だ名付けえぬ物たちが次々と並べられており、その出番を待っているのである。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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