月別アーカイブ: 1月 2021

『……みんな夢の中』

昨日の天気予報では関東も積雪か!?…という予報が出ていたので、雪が降ったら『コロナの上に雪ふりつむ』という抒情的なタイトルで今回のブログを書こうと考えていた。しかし雪は降らず、ひたすらに寒い雨が、今日は一日中降っている。……最近は寝床に入るのが早く、夜の10時頃にはもう夢の中である。夢の中はいい。亡くなった親しい人達も、未だ生ある親しい人達も、同じノスタルジアのあまやかな舞台の上でみな優しく、実に味のある微笑を私に返してくれる、共に活き活きとした謂わば望郷の住人達である。そして夢は毎夜、言葉では表せない不思議な空間に私を連れて行ってくれる移動サ―カスであり、果ての無い不思議な劇場なのである。だから毎夜、布団の中に入る瞬間が、夢の中に入っていく至福に満ちた至上の瞬間であり、その夢の中で出来るだけ愉しむ為に、昼の時間は、体力を温存している、そんな逆転した日々が最近は続いている。……そんな感じなのである。

 

……昨夜見た夢は、私の小学生時代(5年生の頃か)の夢であった。…クラスに目立って細く痩せた一人の病弱な少年がいた。その少年は気管支が弱く、朝も病院で毎朝診察してから登校するので、いつも遅刻ばかりしていた。その少年は授業中に時々教室からフッと消えるのであるが、先生も生徒もみな少年が何処に消えるのか知っていた。…少年は薬品の匂いがする白い部屋の保健室に自主的に行き眠っているのである。高窓から射してくる午前の光を浴びながら、少年は子供心に、自分の命がそう長くない事を予感していたらしい。だから保健室は少年にとって安らげる温室のようなぬくもりに充ちていた。……しかし、突然ある日から少年は、パッタリと保健室に来なくなった。……少年は光ある白い保健室から、別な場所に安息の場所を見つけたのであった。その少年がいる場所は、石炭やコ―クスを大量に仕舞っている暗い小屋―冬の厳しい降雪に備えて、雪国の学校の校舎の隅に在る、いわゆる炭小屋の、組んだ木々をよじ登った天井の高みに、安息の場所を見つけたのであった。まさに光から転じて、闇の中に少年は入っていったのである。暗い小屋の天井の隙間から微かに漏れてくる淡い光を見て、夢想に耽るのが、少年の唯一の愉しみとなっていった。

 

 

ある日、暗い炭小屋の天井そばの組んだ柱にもたれていると、突然ガタッという音がして一人の老人が入って来るのが上から見えた。……それは、学校で「小使い」と呼ばれていた、今でいう用務員をしている老人であった。その老人は普段は明るい顔で生徒に接していた為か「小使いさぁん」と慕われ、子供達を頬擦りしたりして人気がある老人であったが、炭小屋に入って来た老人は、別人のように暗い気配を漂わせていて、少年には少し不気味にさえ見えた。……その老人は、小屋の冷たい石上に座ったまま、まるで壊れた翁の人形のように動かない。老人は、まさか一人の小学生がこの暗い小屋の高みから、自分をじいっと観察している事など知る由もない。(少年と同じく、この冷たく暗い部屋が男にとっても安息の場所なのか?……それとも他に?)……普段と全く違う別な人格にさえ見える、眼下の老人を見て、小使いさぁんと呼ばれ、とりあえずは子供達から慕われているその男が、そう言えば、あまり人とは目線を合わせず、うつ向くのを癖にしているらしく、時おり虚ろな力の無い目を、何処を見るともなく浮かべる瞬間が度々あるのを少年は、ふと思い出した。………………………………その日からずいぶんの月日が流れた。そして、短い人生を送ると予感していた少年は早世する事なく、自分の小さい頃の記憶の一断片を夢見の中にふと浮かべる事となった。……そう、その少年とは私の事なのである。

 

……あれは確か小学5年生の頃であったか、確かに経験した校舎の隅に在った炭小屋でのその一景。その老人を見た天井高みからの記憶の断片。……どうして、そんな夢を見てしまったのかを考えていたら、直ぐに理由がわかった。その前日の夕方にテレビで観た菅総理の顔が、かつて遠い昔に見た小使いをしていた老人の記憶と、どうやら瓜二つに重なったらしいのである。菅(すが)かぁ……。菅、菅……、そう言えば昔にも同じ漢字の総理がいた事を思い出した。但し、すがではなく菅(かん)、確か菅直人……そういう名前であったかと記憶する。……今から10年前に起きた東北の大震災時の総理であったが、その時の国の対応もまた酷かった事を、この国の人々は決して忘れる事はない。先日のテレビ番組で、アメリカの新大統領となったバイデン氏が、東北の大震災時に早々と慰問の為に来日し、その親身に接する姿を見た東北の被災者達から今も熱い信頼をもって思われている事を知った。徒に支持するわけではないが、このバイデン氏は、リ―ダ―たる人物に必要な、人々の心の深部に届く、言葉(言霊)の強い力を持っている。……一方、当時、そのバイデン氏と同じ頃に東北の被災地を訪れた、当時の総理・菅直人という人に向けた被災地の人達の視線の冷たさ、鋭さは、当然とは言え記憶に強く残っている。「私が総理!!」とばかりに被災者達が沢山いる部屋に入った瞬間から、人々が彼に向けた無視の態度は徹底したものであった。さもありなん!とは言え、当の本人(菅直人)が、撮されているテレビカメラ越しに見せた顕な表情……「しまった、来るのではなかった!!」という、砂を噛むような、視線の定まらない表情を私は見て取り、この人のこの後の姿を直感的に予見して、10年前の当時のブログに早々と書いた。……昔からの読者の方は覚えておられるであろうか!?……その時に書いたブログのタイトルは『君は、お遍路に行くのか!』というタイトルであった。……私が予知、予見の直観が鋭く、それらがことごとく当たってしまう事は、このブログで度々書いているが、その時も、この砂を噛むような菅直人という、当時の総理の表情を見て、後日、この人は間違いなく頭を剃り、丸坊主になって「同行二人」と書いた笠と杖を持ち、四国の地を巡礼する姿がありありと浮かんだので、半ば予言断定的に私は書いたのである。あれはブログを発表した半年くらい後であったか、まさか私のブログを読んだ訳ではあるまいが、『君は、お遍路に行くのか!』のブログ通り、丸坊主になって四国へと旅立って行ったのであった。

 

 

 

 

……………………………………………閑話休題、……私がやむを得ずの外出時は、不織布のマスク2枚を重ねて出歩いている事は、以前のブログで書いたが、今朝のテレビで専門医が、それは大正解であり、出来ればそこまでの構えで考えてほしい旨を語っていた。そして、今回のコロナの完全な収束を本当に見るのは、ワクチンの可能性を入れても、まだ二年以上は先であるという旨を語っていた。私も同じ考えである。……この姿なき敵との不気味な戦いの本質は籠城戦である。読者の方々の必ずのご無事を、私は今日も念じている。

 

 

 

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『速度について今日は語ろうの巻』

菅という、うつむいて喋る人の覇気の無い顔を観ていたら、少しく想う事が湧いて来た。「先の総理に難題を丸投げされて巧みに去られ、この爺さん、さぞや大変だろうな…」「船頭多くして船山に登るか!」……「では他に、この国で差し迫ったコロナ禍の難題を迅速に乗り切れる人材は具体的に誰がいるのか?……答は…否!」「この後ろ向きで歩く亀のような、スピ―ドの無さは何なのか?」「小心とさえ映る論理性を欠いたこの喋りは何なのか?」……そして想う。歴代の総理の姿とは、つまりは私達自身の姿に他ならず、農耕民族特有の、曖昧さ、明確な主張を顕にしない喋り方、不徹底、明晰さの欠如、……それらを映したあからさまな姿なのだと。……こう書くとコロナ禍でピリピリされている何人かの読者は、或いは反発されるかもしれないが、近視眼でなく、この国の歴史を通史的、俯瞰的に視てみると、それがよくわかる筈である。猛烈な速度で従来の通念を断ち切り、革新的な事を断行出来た人材は、私の知る限り……二人しかいない。……それは中世の織田信長と、近世では江藤新平に指を折るだけである。剃刀と云われた大久保利通でさえ、江藤の頭の切れ味から見るとやや鈍い。この信長と江藤に共通するのは、珍しく、ほとんど奇跡的に西洋人に近いと言っていい合理主義的な資質であり、何より思考の在り方が論理的であった。

 

 

全てを西洋の方が良いとは言っていないが、やはり彼らはその意識の成熟度において、大人としての論理性を多くの人達が持っている。……わかりやすい例を挙げると、街頭でのインタビュ―の際、決まって彼、或いは彼女達は自分の言葉を持っており、安易に与しない独自の意見を語り、そこにエスプリさえ効かせたエレガントかつ粋な言葉を付け加えて、最後に自信に溢れた笑みを返す。そして、その返答の返しが早く、他者に通じる鍛えられた論理性を持っている。……これに比べて曖昧さを尊しとするわけでもあるまいが、日本でのインタビュ―の返しはどうか。…成人式の帰りらしい女子は語る「私的にはぁ、なんて言うか、そんなんありっかな、なんてちょっぴり思ったりしてぇ……」「あれぇ、質問何だったっけ?」……新橋の街頭で男性は語る「会社でみんな言ってるんですけど、今回の緊急事態宣言、あれちょっと遅すぎるんじゃないすかぁ、」そこへ訊いてもいないのに幾分酔った感じの別な男性が横から割って入り「テレワ―クになったら、あれよ、ずっと家にいるから、カミサンとしょっちゅう喧嘩だよ。どうしてくれるの、え?」……………………………………………………。

 

 

……しかし、信長も江藤新平もやり過ぎた。その迅速さ、その徹底ぶりが周囲から孤立化し、信長は本能寺で炎と化し、江藤は佐賀の乱で処刑、晒し首になって無惨な死を遂げた。西洋的な合理主義や、断行のやりすぎは、この国では自身の孤立化を産み、遂には馴染まず、悲惨なまでに浮いてしまうのである。……私達(いや私は別だ)が政治家に対し苛立つのは、何処かで期待しているのだと想う。歴史を通して視ると、期待が如何に虚しく、非常時に人材が出る筈もないという事を痛感し、今は確かな身の回りの防御を固める方が大事かと思う。マスク、手洗い、いろいろ皆がやっているが、そこの完全な徹底はしかし無理である。変種化したコロナウィルスは昨年の1.6倍の感染力で私達の身近に迫っているが、敵は想像を越えて、かなり強かで容赦がない。年末からの一気の感染増大は、変種化した感染力と比例しており、イギリスなどのロックダウンした国と同じ曲線を描いている点から考えると、未だ全く先が読めない。……私は先日、パルスオキシメ―ター(肺炎の早期発見と脈拍数を測定するのに有効)を購入し、加湿器も新たに備えた。しかし、心掛けても感染してしまったら、もはや運命として、かつてコロリで逝った広重や、スペイン風邪で逝ったクリムトやエゴン・シ―レに続くだけ、是非も無しである。……表現者として、自分の可能性の引き出しを全て開けてから死ぬ事、これは私が30代に自分に課した事である。……版画、オブジェ、コラ―ジュ、写真、美術評論の執筆……他いろいろとやって来たが、最後に未だ残っているのが、私の詩人としての可能性の開示である。その私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』が、先日印刷が終わり、今は製本の段階にあり、今月中に完成する予定である。……今回は、コロナ禍の話から転じて、表現者の創る、或いは描く速度について書く予定であった。ちなみに佐伯祐三が、20号のキャンバスで1枚の作品を仕上げるのに要する時間は僅かの40分であり、晩年のクレ―は1日に3~5点(しかも、いずれの作品も完成度が高い!!)仕上げている。いずれも脅威的であるが、私の場合は、閃いて瞬間的にそのインスピレ―ションを組み伏す時間はだいたい4秒くらいである。……その創造の原点と、閃きの速度についての舞台裏を書くつもりであったが、もはや紙数が尽きてしまったようである。……これについては、またいつか書く事にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『2021年―最初に想った事』

……何事も無いかのように、いつものように地球がゴロリと回り、当たり前のように2021年の年が明けた。日本海側は大雪だというのに、ここ横浜の空は風は強いが、しかし抜けるような青空である。……この、事も無しのような蒼い空を見ていると何かに似ているなと思い、すぐに気がついた。映画『男はつらいよ』シリ―ズのラスト場面に決まって出てくる青空を連想したのである。もしあのラストが、どんよりとした曇り空だったら、あの映画は全て台無しになる。大団円の為には、あの嘘のような青空と、畳み込むような音楽がいいのである。…………さて、元旦に相応しく、陽を浴びようと思って近くにある古刹・妙蓮寺の広い境内を歩いていると、たくさんの御神籤(おみくじ)が紐に結んであるのが目に入った。コロナ禍が影響しているらしく、いつもよりたくさん結んであるように思われる。そのたくさんのおみくじを見ていると、面白い言葉が目に入った。「医師をえらべ」、そう書いてあった。……おぉ確かにそうである。どの医師に出逢うか、或いは選ぶかで、生と死がアミダくじのように分かれ道に立っている。いざというときに悔いが残らない為、普段からの情報収集的なシミュレ―ションは大事な事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれは確か、昨年の1月末頃であったか、イギリスのクル―ズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』からコロナの患者が出た時は、未だ対岸の火事の様相であった。それがジワジワと感染が国内に拡がり、第1波、2波、そして年末から現在の第3波の加速的な感染爆発を見ていると、まるでコロナウィルスに不気味な殺意、さらには冴えた戦略的な意思が息づいているかのように見える時がある。……そして、その波状的な容赦のない攻撃性の様を想うと、以前に読んだ『戦艦大和ノ最期』(著者・吉田満)で書かれていた、米側がとった実に周到な戦略に重なるものを私は覚えた。

 

大和の世界最大という巨砲46センチ砲を誇る日本海軍は、アメリカの攻撃網の中にすっぽりと最早入っているというのに、大艦巨砲主義に依りながら進んで行った。時代は既に軍艦の大鑑主義から戦闘機による航空優位主義へと移っていたという自明の分析もなく。……そこに雲間から先ず現れたのが、米の戦闘機100機による攻撃であった。しかし、間もなくして敵機は去り、静けさが訪れる。これがいわゆる第一波。大和の乗組員達はまだ戦気があった。だが、対軍艦用の自慢の46センチ砲は全く役に立たず、戦闘機に対する対空射撃の威力は乏しかった。……直ぐに次は電撃機131機が雲間からどす黒い塊となって襲来、大和の左舷のみを集中的に破壊する作戦をとった。これが第2波。…………そして、一時間くらいの時が経ち、次に雲間から飛来したのは、予想を遥かに超える、合わせて386機(戦闘機180、電撃機131、爆撃機75)の襲来であった。……もはや容赦のない殺戮というよりも、それは屠殺に近い惨状であったという。かくして乗組員3332人のうち生存者は僅かに276人。……この時間差的に襲来する波状攻撃の様が、私にはコロナウィルスの様相とダブって見えるのである。

 

……そして、政府と東京都、さらには他の知事達との対立の様、つまりは同じ方向を共に視ていない統一感の無い様を想うと、かつてそうであった、海軍と陸軍との対立的構図がそこに重なり、ひいては白骨街道と云われ、戦死26.000人、戦病死30.000人以上の死者を出した、この国の無策の様を表す代名詞、インパ―ル作戦を思い浮かべるのである。……情けないまでにバラバラ、これではとうてい勝てる筈が無い。……以前に友人の一人が私に、「このコロナ禍は敵の姿が見えない、第三次世界大戦のようなものですよ」と語った事があった。私はその時はピンと来なかったが、或いはそれくらいの自覚と気構えで暫くはいた方が良いのかと、ふと思う。……しかし、こちらが出来るのは残念ながら攻めではなく、防備の徹底しかないのが現状である。

 

……ちなみにマスクと云えば、1枚を付けるという事を誰もが概念的、横並び的に連想し、ほとんどの人が1枚しか付けていない。マスク即ち1枚…という発想は、風邪やインフルエンザへの、あくまでも予防的な対処法である。しかし、コロナウィルスの大きさはそれより遥かに微小である。……よって私は、どうしても出掛ける用事のある場合、最近はマスクを2枚付けて出掛けている。……防御力の自主的な増強である。思っている程に息はそれほど苦しくはなく1枚の時と大差は無い。……昔は「袖振り合うも多生の縁」という、豊かな言葉があった。それが今や「袖振り合うも多少のウィルス」になってしまった。しかしシャレている場合ではない。人心が疑心暗鬼となり、孤立化する世の中になってしまった。……しばらくは、名実共に寒い冬が続きそうである。 (次回に続く)

 

 

 

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