月別アーカイブ: 6月 2012

『「十蘭錬金術」刊行さる』

私のオブジェ作品を表紙の装画に使った久生十蘭の「十蘭錬金術」が河出文庫から刊行された。「十蘭万華鏡」「パノラマニア十蘭」「十蘭レトリカ」に続いて四冊目であり、全て私のオブジェを表紙に採用して異例の売行きであるという。特に今回の表紙は、本が届いた時に見て、デザイナーの山元伸子さんのレイアウトセンスが実に良く、間違いなく人気が出ると直感した。はたして、今回の本は刊行直後にして、既に文庫本全体の中から売行きの良い本のベスト5にランキングされており、一ヶ月に出る文庫本の新刊総数が200冊から300冊ある事を思えば、作品を提供した者として嬉しい限りである。唯、本の表紙を御覧になった方から、その作品を入手したいという問い合わせを今回も数件頂いたが、上記の四冊に採用されたオブジェは全て、コレクターや画廊のオーナーの個人コレクションに既に入っている為にお渡し出来ないのは残念である。版画と違って一点しか存在しないオリジナル作品のため、残念ではあるが、いたしかたのない事である。

 

今月から来月にかけて、上記の本以外に私の作品を表紙の装画にした本が続けて刊行される。筑摩書房、東京創元社、国書刊行会の三冊である。稀代の言葉の錬金術師 – 久生十蘭、そして難解な数学書(ガウス数論論文集)、ミステリーなど各々の異なった表現世界の表紙になる事で、私の作品世界が今一つの別な装いになる事は、作者としての秘かな興味がある。そして、書店というマスメディアを媒体として、その角度から私の作品の存在を知る人が更に増えてもらえれば、イメージを共有し合える関係がより確立し、広がっていくという意味において、お互いにとって良い事なのだと思う。ぶれない確とした美意識を持った「確かな眼」の持主は、まだまだ現実に存在している筈であると、私は確信している。

 

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『死にかけた話』

 

文久三年に坂本龍馬が姉の乙女へあてた手紙の一文で「人間の一生は合点の行かぬは元よりの事、運の悪い者は風呂より出んとして、金玉をつめわりて死ぬる者もあり。それと比べて私などは運が良く、なにほど死ぬる場へ出ても死なず…云々」というのがある。結局その四年後に暗殺されるわけだが、まことに人の死といったものはいつ訪れるかわからない。昨今の通り魔殺人などをみても、隣りに死が居座った不条理に、この世は充ちている。

 

 

多いか少ないかはわからないが、自分の過去を振り返っても、死に隣した時が何回かあった。先ずは2歳の時に百日咳をこじらせて痙攣状態に陥り、現世と縁の薄かった私の為に、両親は棺の中に何を入れてやろうかと話し合ったという。この時は、最後の手段として、当時開発されて間もない高価な新薬を注射して何とか命を取り留めた。次は7歳の頃に福井城址の高い石垣を登っていて足を滑らせて落下。落ちて行く時にスローモーションになるのを初めて体験するが、もし下が草場ではなく、そこかしこに在った石垣の石であったら即死していたであろう。16歳の時には水に溺れて水死しかけ、ほとんど臨死体験に近い状態にまでいき、26際の時はアトリエ内のガス漏れ。27歳の時が東京芸大の写真センターで撮影をしていた時に、天井に掛けてあったスクリーンの布幕の芯であった鉄柱が落下して頭を直撃。頭部からの出血が激しく顔面が血だらけ。この時、私が考えたのは「熊」の事であった。熊は怪我をしても病院に行かず、何とか自分で治しているではないか・・・。ならば病院に行かなくても治るであろう。金が無かった事も関係しているが、当時は本気でそう思い高を括っていた。しかし翌日、次第に身体が寒気を覚え、吐き気が出始めた。見ると傷口はぐちゅぐちゅと妙な色を呈しており、元気になった熊のイメージとは程遠い。焦った私はタクシーで病院に駆け込んだ。

 

「バカ者!!」– 医者が私を見て一喝し、続けて「脳が腐りはじめているわい!!」と云われたのには驚いた。「私が腐っていく・・・!?」– そう云われて、私は自分が生き物と同時に生物(なまもの)でもある事を知ったのであった。生死には運も関わってくる。この時に見てもらったのが名医であったのか、ギリギリの所で私は救われた。もう少し来院が遅ければ、間違いなく手遅れであったと云う。私は頭髪を剃られ、ぐるぐるに包帯を巻かれ、まるで耳を切った後に描いたゴッホの自画像と同じであった。抗生物質で脳内に土手を作ったのが効を奏し吐き気は次第に治まった。病院を出た私に待っていたのは、通りの向こうから指を差して笑う子供の無邪気な残酷さであった。頭部を巻いた包帯の量がよほど多かったのか・・・。その子供を制して、連れの母親が「いけません!!」とたしなめる。それを見て私は「強く生きていこう!!」と心に誓ったのであった。数えてみると5回、死が隣りに座ったわけであるが、実は一昨日も危うい体験をし、今日へと生は続いている。

 

さて、このメッセージをアトリエの前の図書館で書いているのであるが、先程から上空をヘリコプターが飛んでいる。逃亡している高橋の事を市民に呼びかけ注意を促しているのであるが、今一つは、声による包囲網によって高橋自身にそれが伝わり、自首へと向かわせる作戦かと思われる。禁門の変の後、京都から逃げる長州藩士を追って幕府の徹底的な捜査が行われたが、その最大のターゲットであった桂小五郎は、捜査の裏をかいて京の中心、三条河原の橋の下で乞食姿に扮して遂に逃げ延びた。桂と高橋某(なにがし)。比べるにはあまりにも対極な、価値と無価値の比較で桂には申し訳ないが・・・・・まぁ、心理としては参考になる例である。おそらく高橋は事前に第二の潜伏先を神奈川近辺に確保しているか、或は報道写真とは一変してホームレスのような姿に扮している事も考えられる。最近購入したキャリーバックは、かなり目立つ青が入っており、ダミーの為かとも思われる。図書館の窓の外を続けて二台のパトカーが走って行き、不穏な気配が続いている。さぁ、私も早く体調を戻して作品に立ち向かおうと思う。

 

 

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『顔』

昨年末に福井県立美術館で開催された個展のために、私は20日間ばかり福井に滞在していた。その折、中学時代の同級生が発起人となり同窓会を開いてくれた。実に45年ぶりの再会である。生き方や性格によって歳のとり方もバラバラになるのか、すぐに思い出す顔もあれば、なかなか記憶と結び付かない顔もあってもどかしい。そのもどかしさの中で、記憶に直結しないまま酒をついでくれる一人の同級生の顔を観察していると、或る瞬間の記憶が立ち上がってきて、同時に名前もありありと思い出された。「○○君!!」- そう私が呼ぶと、彼も満面の笑みを浮かべて私の顔を直視した。判断の決め手は、やはり「眼」である。しわが寄り、顔の輪郭が変わっても、眼だけは変わらずにそのままである。「眼は嘘をつかない」- 長い間、そう思っていた。

 

地下鉄サリン事件から17年。逃亡犯の一人、菊地直子が逮捕されたというニュースが深夜に流れた。しかし、歳を経たその顔はまだ公にされぬまま翌日が待たれた。そしてTVで公開された現在の顔を見て驚いた。全くの別人と化し、眼までも一変していたのである。その顔相は菊地ではなく、変名としていた「櫻井千鶴子」になっていた。眼だけは、そう簡単に変わる事はない。そう思っていた云はば常識が崩れ去ったのである。

 

20年前に留学する時に習っていたスペイン語のクラスの人の妹さんも、サリン事件によって命を奪われた。13人が亡くなり、6000人近くが今も後遺症に苦しんでいるあの事件は記憶に生々しい。公開モンタージュ写真の昔の菊地の顔と共に17年後の推定される顔のイメージデッサンも公表されていたが実際の顔は全くの別人であった為に、私だけでなく世間もまた驚き、かつとまどったに相違ない、「菊地に似ている」という匿名者からの一本の電話が逮捕につながったと云うが、私はその通報者に疑問を抱いた。絶対に菊地の過去と現在の相違から「似ている」という着想は浮かばない筈である。(・・・・唯一人を除いては)。推察するにその通報者とは、犯人蔵匿の罪で逮捕された同居人の男であるだろう。

 

高村光太郎の詩の中に、粘土で父の肖像を作っていると、何かのはずみで粘土の表情が歪んで自分の顔に似てしまい、それに反発するという内容のものがある。又、寺田寅彦のエッセイの中にも、油彩画で自画像を描いていると、描画の途中にそれが父になり、母にも似てきて不思議な感覚を覚えたという内容のものがある。高村、寺田共に、遺伝子の不思議さとその呪縛的なものに言及しているのである。それ程までに、本来、顔相は決定的なものがあり、特に眼は刻印にも似て不変なものがあるのである。

 

しかし菊地の顔が、かくまで一変してしまった、その背景とは何なのか?犯した事への心の負い目がそうさせたのか!?発見された菊地のメモの中に「もう出たい」という、心の逡巡を記した内容の物があったが、さぁ、その真意は分からない。裁判をにらんでの刑の軽減の為の偽装とも、或は真意とも如何様にもとれるからである。・・・・ふと、私がアトリエ内を眺めて、「これだ!!」と思うものが目に入った。「コノハムシ」という、昆虫標本の擬態した姿である。目立たぬように個としての主張する特徴を消し去り、周囲の姿(木や葉っぱ)に同化するという、このひたむきな知恵と努力。逃亡犯も同じ心理であろう。群衆に溶け込み、雑踏に紛れ込んだ集団の中に自分を同化させたい。この願望を江戸川乱歩は「隠れ蓑願望」と表したが、この必死な思いの集中が、菊地をして、あのような一変へと化えたのであろう。捕まりたくないと云う願望に、過去に犯した取り返しのつかない事への鬱屈が加乗したその強度は、まことに遺伝の法則をも変える事を、私はこの度の事で知ったのであった。女性の本質には、男よりも強い変身願望がある。願望は能力とも言い換えが可能であり、事実、菊地は見事に別人と化した。残る最後の逃亡犯の高橋克也は、不器用なままにあの特徴的な眼を引きずって、川崎周辺の工場地帯辺りに息を潜めているのであろう・・・・か。それとも一変した顔相と共に何処かへ・・・・!?ともあれ、逮捕される日は間近であろう。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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