月別アーカイブ: 8月 2020

『人間―この未知なるもの』

……いよいよ明後日から9月である。しかしまだ暑い、暑すぎる。あまりの暑さで蝉も鳴かない。……さて、その明後日の9月1日と云えば、大正12年に起きた関東大震災があった日である。最近読んだサイデンステッカ―の『東京・下町山の手』に続き、田山花袋の『東京震災記』で関東大震災の実態の様を興味深く読んだ。51の章に分かれて、正にこの世の生き地獄と化した関東大震災の惨状を、生々しく活写した貴重な記録である。一瞬の運や判断の分かれ目で生死が左右される事が、実際に作者の花袋が歩き視たその描写からリアルに見て取れる。……圧死や焼死から幸い免れた人達もみな、その日の、灰塵と化した東京に沈む落日の不気味な様を見て「もはや、この世の終わりかと思った」という。関東大震災、そして連日の空襲……。それから比べたら、今回のコロナ禍などまだまだ比較にならない!という感がある。過去の大災害や毎日が死と向き合った戦禍を生き抜いた先人達の事を知ると、今のコロナ禍の程度が複眼的かつ俯瞰的に見えて来てメンタルにたいそう良い。……サイデンステッカ―、吉村昭の『関東大震災』、そして、田山花袋の『東京震災記』。興味のある方には、ぜひ読まれる事をお薦めしたい、この現状を達観へと導いてくれる著書である。

 

 

 

 

 

 

 

 

……今回、お薦めしたい本がもう1冊ある。今月、三笠書房から刊行された『人間 この未知なるもの』という本である。著者はアレキシス・カレル氏。フランスの高名な外科医で、1921年にノ―ベル生理学・医学賞を受賞した人物。18カ国で訳され、既に数百万部が読まれている名著の改訂新版である。ちなみに、この本の表紙に使われている装画は、私のオブジェ作品『ハンベルグの器楽的肖像』。……タイトルとピタリと合っていて、作品が持っている幅のあるイメ―ジの何かと通低して、編集者の読みの正確さが見て取れる。

 

 

私の作品は度々、本を飾る表紙の装画に使われており、既に50冊は越えたかもしれない。須賀敦子、久世光彦、池田満寿夫、岡田温司、etc……また海外のミステリ―、詩集・歌集等々であるが、あまりこのブログで、詳しく紹介した事はない。しかし、今回この本をお薦めしようと思ったのは、著者のアレキシス氏が、極めて理性的かつ高い知性の視点から、自然科学を超えた超常的な現象にも、肯定的な記述をしているからである。少し引用してみよう。

 

「……しかし、奇妙なことのようだが、透視力は全く科学と関係がないというわけではない。大発見は知能だけの産物ではないことは明らかだ。天才は観察力と理解力があるばかりでなく、直感力とか創造的な想像力のような資質をも備えている。この直感力によって、他の人々が気づかない現象と現象の関係を見抜いて、無意識のうちに物事の関係性を感じとるのである。偉大な人物はすべて直感力に恵まれている。…(略)…直感によって発見への道をたどるのだ。こういった現象は、インスピレ―ションと呼ばれてきた。……」

 

「科学的、美的、宗教的なインスピレ―ション、そしてテレパシ―の双方に同時に関連しているように思える。テレパシ―は死にそうな時や、大きな危機に直面した時に起こる事がある。死に瀕している人や事故の犠牲者が、肉親や友人のところに現れるのだが、それは姿だけで、たいてい話をしない。しかし、時に口を開いて自分の死を告げることもある。透視はまた、遠く離れたところにいる人や風景を感じとり、細かく正確に描写することができる。テレパシ―にはいろいろなかたちがあって、透視は出来なくとも、一生に一度か二度はテレパシ―を体験したことのある人は稀ではない。……」

 

「身体を超えたものを対象とする新しい科学に属するこれらの事実は、あるがままに受け入れなくてはならない。それは現実に存在しているものなのである。そこには、人間のほとんど知られていない面、ある種の人間だけに見られる神秘的な鋭さが現れているのであろう。」……………………著者のアレキシス氏に限らず、かつてノ―ベル賞を受賞した科学者や物理学者で、このような霊性を孕んだ超常現象に挑んだ研究者は実に多くいて、知られているだけでも40人近くいる。驚くべき数である。ずいぶん以前のブログでも、私はその事実を取り上げ、いわゆる霊的現象に挑んだノ―ベル賞受賞者達の事を書いた海外の著書がある事を紹介した事があった。彼ら、物理学や科学の頂点を極めた研究者が、その叡知を駆使して終に辿り着くのが、先日にも書いたアインシュタインが着眼した「時空間の歪み」をも含めた、霊的という言葉でしか表しようのない、この不可思議な現象学の髄なのである。

 

 

……振り返れば、私はこのブログの記述を始めて10年以上の年月が経っている。想えば、早いものである。……その中で私は自分の身に起きた、不思議としかいいようのない、実際に起きた予知や透視の体験をずいぶん書いてきた。私をよく知る人は、私を評して「美術家というよりは寧ろ陰陽師」と言っている。そして私は、人生に一度か二度ではなく、あまりに頻繁に起きる、この自分に備わった予知や透視能力を通じて、この「北川健次」なる者を、昨今はもはや〈客体〉として眺めているようにさえもなっている。

 

 

……①俳優の高島忠夫夫妻の長男(生後5ヶ月)が、住み込みの家政婦に浴室で絞殺された時、私は東京から遠く離れた北陸の福井にいて、未だ12才であったが、私は朝のニュ―スで第一発見者で涙ながらに語る家政婦を見て驚愕した。……僅か5時間ばかり前の深夜に、夢の中に、浴室で女がもの凄い形相で幼児を絞殺、溺死させている映像が、それまでの他の夢の膜を破るように突然映し出され、まるでカメラがランダムに撮っているように、時に浴室の天井が揺れ乱れて映り、また女の側から視た幼児の姿、また、次は幼児から視た、自分を必死で絞めてくる女の形相がバラバラに映り、夢は突然消えたのであるが、その時に見て、まだありありと覚えている女の顔が、5時間ばかり後のニュ―スに、第一発見者として映っていたのであった。……それが、頻繁に起こる不可思議な予知的体験のプロロ―グであったと今は思う。

 

②先日、TVの「クイズ王選手権」なる番組を観ていた時の事、問題を告げる女子アナの声が流れ、「次に書かれた文章(英語)は、はたして何について書いた文でしょうか?それが示す単語(英語)を答えなさい。」と話し始めた。そしてまだ問題の文章が出される一瞬前に、私の脳裏に下りて来たのは「knock」という言葉であった。別にその問題に食いついていたわけでなく、ただknockという言葉が自然にするっと下りて来たのである。その後で、灘高だったか学生が答えたのが「knock」であり、正解であった。……何万語とある単語の中から、何故その言葉が私の頭に下りて来たのかはわからないが、そのような事があまりに度々あり、その幾つかは以前のブログでも書いて来たので、読まれた方もおありかと思う。

 

③拙著に『「モナリザ」ミステリ―』という題名の、ダ・ヴィンチについ書いた長編がある。その最終章で私は彼の生地、ヴィンチ村について書かねばならなかったのであるが、そこに行く時間が旅程でどうしても取れず、やむなく泊まっていたフィレンツェの宿で執筆する事になった。……私は頭を切り換えスイッチを入れて、その村―ヴィンチ村を透視した。……すると次第に村の入り口や、風景の情景がありありと視えて来て、先ずは柳の木の描写から始まった。……そして2時間後に文章を書き終えて脱稿した。後日に本が新潮社から出版された時、ヴィンチ村を訪れた事があるという知人の読者数人から同じ感想を言われた。「いゃあ、あのヴィンチ村、懐かしかったですよ。あの白い柳、全くその通りで、村の中も全く同じで、久しぶりに、行った時の事を想い出しましたよ」と。……前述したアレキシス氏の著書を読むと、この直感力は美的なものに使われる場合があると書かれているが、確かに私の場合、この直感力はオブジェの制作時に全開されているように思える。以前に池田満寿夫さんは私を評して「異常な集中力」と語った事があるが、それは当たっていると思う。とにかくアトリエの中では、作品が次々に浮かび、短歌や俳句の言葉を紡ぐように、神経がふるに稼働して、作品を作るのではなく、〈ポエジ―を孕んだイメ―ジ〉は向こうから瞬時にやって来るのである。……クレ―は「表現者とは、未知の闇の中から、ポエジ―を掴み出し可視化する事の出来る者の謂である」という至言を書いているが、その実感はある。……付記すれば、近代の芸術家の中でこのような能力を持っていた人物は、ジャン・コクト―マックス・エルンストにその例を視る事が出来るかと思う。

 

 

昨今の表現の世界は、インスピレ―ションの閃きを想わせる作品を殆ど見かけなくなったが、何か美の本質から外れて、軌道無しの衰退の一途を辿っているような傾向が特にある。一言で云えば、幼稚な衰弱への一途、その感があるのである。

 

 

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『全生庵で幽霊画を観ながら考えた事』

私が親しくさせて頂いている富蔵さん(本名・田代冨夫さん)は、金属や硝子に関する技術に長けた超技巧の持ち主で、時にロマンティシズム漂う不思議なオブジェも作られる。最近作は写真家アジェが撮したパリの古い街角の建物を真鍮で立体化して再現し、その精密さと着想の妙に私は驚いた。

 

……先日、その富蔵さんと日暮里で待ち合わせ、共に谷中にある全生庵という古刹で展示開催中の幽霊画を観にいった。その日も蝉時雨の鳴く暑い午後であった。……全生庵は幕末の剣客・山岡鉄舟を開基とする臨済宗国泰寺派の寺で、幽霊噺を得意とした初代三遊亭円朝が生涯収集した100点以上の幽霊画を所蔵しており、夏の一時期に限って、円山応挙、河鍋暁斎、伊藤晴雨……などの作品を展示して一般に公開しているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……私は以前にも何回か来ているが、富蔵さんは意外にも、この寺は初めてだと言われ熱心に観ておられる。その富蔵さんを見て、今日一緒に来て良かったと私は思った。……今回、私が幽霊画の中で一番気に入っているのが展示されてなくて残念だったが、それは責め絵の画家で知られる伊藤晴雨の作品で、静まった草むらの中に朽ちた鎌が落ちていて、その錆びた刃先に女性の細い髪の毛が数本、妖しく絡まっている作品である。幽霊画は直喩よりも、むしろ気配などの暗示の方がはるかに怖い。……私はそう想うのである。…………そして私はふと思い出していた。今から30年ばかり前に実際に体験した、あの時の事を。…………

 

私の大学の先輩で石井健二さん(現・徳島大学名誉教授)という人がいる。当時は東京芸大美術学部の写真センタ―で、石井さんが助手をしている時であった。その頃、私は独自で日本ではまだ未知の銅版画写真製版技法であった「カ―ボンティッシュ」に一人で取り組んでいた。取り寄せた海外の技法書を訳しながら頑張っていたのであるが、真空密着の装置がないとこれ以上は出来ないという壁に突き当たっていた。窮したあげく石井先輩に電話をすると、その技法に興味を覚えた石井さんは「じゃ、芸大の写真センタ―にいるからおいでよ」と言われ、私は行き、それから二人の研究、試作の日々が始まった。さすが国立、私が必要としていた設備が揃っていて素晴らしい。……最初に行った日の夕方、奇妙な事に気がついた。学生達が帰って行く時、私達に「さようなら」ではなく「……お気をつけて」と言うのである。石井さんに訳を聴くと「まっ、いずれわかるよ。」と言って言葉を濁す。センタ―内をよく見ると、至る所にかなりの数で「お札」が貼ってある。石井さんは学究肌の人で、暗室に度々籠ってあまり出て来ない。その内、私は自分がする作業に熱中し、それは気にならなくなっていた。……何日目かの夜、試作が深夜に及び、徹夜をする事になった。試作はしかし、二時頃に終わったので、石井さんは研究室の寝床に行き、私は広い作業場の床に寝袋を借りて休み、……やがて眠りに落ちていった。

 

寝袋を被ったまま寝ているので真っ暗であるが、……先ほどから私の周りを歩くカツッ、カツッ、とした靴音の響きで目が醒めた。その靴音は今の時代の靴音の響きではなく、例えば軍人の履く、靴底に鋲を打ったあの革の硬い靴音の響きを直に想わせた。……誰だ!?先輩か?と不審に思い、手を内側のチャックのつまみに持っていき一気に開き、辺りを見回した。……しかし、広い室内(真っ暗な)に人影はなく、しんと静まりかえったままである。さすがに異変を感じた私は、石井さんの部屋を開け、寝ている石井さんを揺さぶって起こした。……「その靴音なら、知ってるよ。徹夜の時は毎晩だから、それより、まだ夜中だから北川もまた寝た方がいいよ!」。……しかし、寝れる筈もなく、私は先ほどの部屋に戻って灯りをつけ、朝まで目を光らせて何者かの再びの出現を待った。……朝になり、石井さんに話すと、面白い逸話(来歴)を話してくれた。それに拠ると、昔、このセンタ―付近は彰義隊と官軍との乱戦の場所であり、多くの死者が出た場所だという。「しかし、私が聴いたのはあきらかに軍人の靴音でしたよ」と言うと「戦争の終わり頃に、この芸大は確か陸軍の師団の宿舎であり、何人かが集団自決した場所だから、そっちの方が出たのかも知れないね。北川が聴いたその靴音は、僕も何回も聴いてるよ」と石井さん。……その日の昼前にセンタ―長のSさんが来られたので、昨夜の体験を話すと、Sさんはここの暗室で最近不気味な体験をしたと言う。古美術研究で奈良の仏像を撮影した学生達が暗室で現像をしていた。すると、その暗室から突然何人もの叫び声がしたので、Sさんが注意をしに入ると、学生達が恐怖に怯えながら、現像中のプリントを指差した。それを見て、Sさんは愕然とした。現像液の中に沈んでいるそのプリントには、確かに奈良の寺で撮した仏像が映っていた。しかし、その仏像と二重重ねになって人の顔が映っていた。その人物は最近亡くなったSさんの知人で、学長選に落ち、地方に赴任したその先で亡くなった人なのであった。

 

……そして2日後に、更なるもう一つの異変が起きた。その日は撮影の日であり、私は石井さんと一緒に広いスタジオの中で撮影の準備をしていた。石井さんはカメラの準備をし、私は被写体の花瓶を置くテ―ブルの床の位置を示す為、座り込んでチョ―クでその位置に印を付けていた。「頭、頭、気をつけて!」石井さんが言ったのか誰か?は知らないが、何処からか聞こえたその声に「大丈夫ですよ……」生半可な返事をした瞬間、頭に猛烈な激痛を覚え、私は倒れこんでしまった。……天井に吊ってあった撮影用の重い黒布を巻いた鉄の重いパイプが、正に私の頭上めがけて落下して来たのである。頭の後ろ側に当たったのでまだ良かったが、真上だったら即死だった可能性もある、それほどの重い鉄のパイプであった。……石井さんが慌てて私を抱き起こしたが、既に頭からは血が噴き出しており、側の洗面所で見ると顔までが真っ赤な鮮血に染まっていた。しかし私は馬鹿だった。何故か野生の熊に自分を重ね、そう言えば手負いの熊も病院に行って治したという話は聞かないし、治療費も無いし、病院に行かずとも、傷口はやがて塞ぐと思っていたのである。その日からどれくらいが経ったのか。アトリエで電話中に突然体がひんやりとし始め、急に悪寒が全身を襲った。私はさすがにまずいと思いタクシ―に乗って病院に駆けつけた。……医者は私の頭を見て、「馬鹿者!!なぜこうなるまで放っていたんだ!もうちょっと来るのが遅かったら腐敗した菌が脳に入り、お前さん死んでいたぞ!!!」と烈火の如く怒られ、緊急手術で、私の頭は包帯が何重にも巻かれ、あの『耳を切った自画像』のゴッホの絵のようになってしまった。……その後、芸大を出た人達に訊くと、みな一様に「あの写真センタ―だけは、度々、足音や人影、または怪奇としか云えない現象が頻繁に起こり、誰も近づかない有名な場所ですよ」と話してくれた。

 

上野戦争、更には敗戦時の集団自決……。しかしそれは遠い昔の悲劇だというのに、何故、彼らは私達の「今」と交差して、この三次元に現れるのであろうか。私の周りを苛立つように歩いた、あの靴音の主には、果たして私の存在が見えていたのか否か。時間は観念だけで、実際には存在しないという説もある。例えばここにA4大の紙が在るとして、その左端にA、右端にBという文字を書くと、そのAB間の距離は約30cm。この左右の距離を終戦時(1945年)と現在(2020年)の時間距離(つまり今昔)と考えると、その間75年。しかし、中心に折り目を付けて折ると、左右の間に距離は無くなり、AとBはピタリと重なって来る。……この左右を折るという一つのモメントのアクションが、アインシュタインが提唱した「時空間には捻れがある」という意味と重なって来るのでもあろうか。……さてその後、私には、1988年の春の花見時に京都の先斗町で遭遇した、いわゆる生霊体験と言うのがあり、これはなかなか無い体験であるが、もはや1回のブログの紙面が尽きたので、これはまたの機会に書くとしよう。

 

 

…………………… そんな昔の事をぼんやりと思いだしながら、富蔵さんと一緒に全生庵を後にして、根津の方角を目指して蛇道に行き、以前のブログで書いた太平洋美術会研究所の、最初に在った五軒長屋という場所を探した。……中村彜、松本竣介、長沼(高村)智恵子達、各々の時代を生きた、嘗ての日本美術史に意味あるその場所は、なかなか見つからなかったが、富蔵さんの粘りある情熱によって助けられ、遂に現場跡に辿り着けたのであった。その後、私は富蔵さんにかき氷をご馳走になった。……私は、これから日暮里に戻られるという富蔵さんと別れて、暑さで逃げ水さえ立つ弥生坂を上がり、東大の構内を抜けて本郷三丁目駅を目指して、なおも歩いた。そこに私を待つデザイナ―のK氏がいて、私に相談があるらしい。相談に乗るのは構わないが、その日の私は暑さでほとんど思考停止の状態であった。……コロナ禍に加えて今度は熱中症、更には地震や台風が私達を待っている。令和になってから何故か加速的に断末魔的な様相に世界がなっている。正に「地獄とは、この世の事と見つけたり」の感である。今日観た幽霊画は、そんな中での叙情的な懐かしい、一幅の涼にさえ、私には思われたのであった。

 

 

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『二つのコレクション展開催中』

現在、私の作品を含むコレクション展が、福島と東京で開催中である。1つは福島県立美術館で開催されている『もうひとつの日本美術史―近現代版画の名作2020』展(8月30日まで)。明治から平成にかけての版画の名作約300点を網羅した大規模な展示であるが、版画を文脈として、近現代日本美術史を編み直そうという試みの由。作品は複数の美術館のコレクションから成っている。……山本鼎、青木繁、岸田劉生、竹久夢二、田中恭吉、恩地孝四郎、長谷川潔、川瀬巴水、…そして、1月からブログでも連載した藤牧義夫、……谷中安規、棟方志功、浜口陽三、駒井哲郎、池田満寿夫、加納光於、……そして私ども現代に至る、正に俯瞰的な内容である。私の版画は『午後』が展示されている。この作品は22才の学生時に制作した作品で、制作時の事が思い出されて懐かしい。三島由紀夫の短編小説『真夏の死』の冒頭のエピグラフにあったボ―ドレ―ルの『人工楽園』の一節、「夏の豪華な真盛の間には、われらはより深く死に動かされる」という文章に触発され、ならば、自分なりの絶対の静寂の時間―停止した永遠の午後を立ち上げてみようと挑んだ作である。この作品は、現代日本美術展でブリヂストン美術館賞を受賞し、幾つかの美術館が収蔵しているが、今回は、和歌山県立近代美術館が収蔵している『午後』が展示されている。送られて来た図録を見ると、版画史に於ける自分の立ち位置が客観的に見れて面白い。本展は福島の後は、9月19日から11月23日まで、和歌山県立近代美術館で巡回展が開催される予定。

 

 

 

東京でのコレクション展は、千代田区麹町にある戸嶋靖昌記念館で2021年1月16日まで開催中の執行草舟コレクションによる『青き沙漠へ―新たなる出帆展』である。この館の館長でもある執行さんの膨大なコレクションは主に安田靫彦戸嶋靖昌の二軸から成っている観があるが、多方に渡るコレクションの全容は私も未だ掴みきれていない。……この展覧会では、私の版画『study of skin Rimbaud』と『バジリカの走る雨』以外に、執行さん所有の数多あるオブジェ収蔵作品の中から、本展の主題に合わせて選ばれた5点とコラ―ジュが展示されていて、他の作家の作品と共に、静謐な空間の中で、美しい調和を見せている。執行さんは、若冠10代の半ばにして三島由紀夫と出会い、その才を認められ、三島の死まで深い交流を交わした早熟の人であり、その直感力の鋭さは他に類が無い。私の個展時には、一陣の風のように突然現れて、忽ちの内に共振する作品を選別してコレクションしていかれるのであるが、「蒐集もまた創造行為である」という言葉を体現するかのように、私の作品を選別していく時の早さは実に速く、その時は会場内が張り詰めた緊張感に包まれる。その鋭さの感、春雷の如しである。川崎にある執行さんの事業の製造・研究部門の(株)日本菌学研究所には私のオブジェ作品が多数、常設展示されているが、本展と同じく事前の予約で見学可能。……詳しくは戸嶋靖昌記念館までお問い合わせ下さい。

 

 

 

 

 

 

 

戸嶋靖昌記念館

東京都千代田区麹町1丁目10番 バイオテックビル内

日・祝休み、平日11.00―18.00開館・ 要電話予約 TEL03―3511―8162(直)

 

 

 

……先日、人々が熱中症でバタバタと倒れていった猛暑の真昼時に、10代の時から強い影響を受けた二人の画家、佐伯祐三中村彜のアトリエを見に目白の下落合に行った。佐伯の突出した才については最早言わずもがなであるが、同じく結核で夭折した中村彜の恐ろしき天才性についてはあまり気づいた人は少ないか、或いは皆無かと思う。彼は、その初期にレンブラント、次にモネ、ルノワ―ル、セザンヌ……と、その画風の影響を直に受けて様々に変貌しているのであるが、その恐るべき点は、彼らの画風の影響をもろに受けながらも、彼らに近づきその模倣の域に淫するのではなく、忽ちの内に中村彜自身の内にそのエッセンスを取り込み、消化して完成度の高い中村の作品にしてしまっている点にあり、その消化力の見事さは日本の近代美術史上に殆ど類が無いと言っていいだろう。これに比べればシュルレアリズムの影響を受けたと意味付けされている福沢一郎、北脇昇達の未消化の様はあまりに表象のみに止まり、問題の多くを残している。……中村彜は、前前回のブログで書いた、私が或いは入っていたかもしれない太平洋洋画研究所で学んだ事もあり、アトリエ内にその頃に撮った写真も展示されていて面白かった。佐伯と中村のアトリエは近く、この下落合には当時多くの画家が住んでいて交流があったが、その点は忘却と化して既に久しい。佐伯、中村共に夭折はしたが、しかし作品は遺っている。私は久しぶりに佐伯、中村に近づいた事で、10代のひたすら描く事に集中して、その原初的な悦びの中にいた自分を思い出していた。……そして暫くいた後に横浜のアトリエに戻っていったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『谷中幻視行―part②』

蝉のかまびすしい鳴き声に、ようやく梅雨があけたかという感がある。しかし、七月の長雨にはもはや私達の知っている、あの梅雨の風情などはもはや無く、唯の異常な狂い雨である。テレビに映される最上川の凄まじい氾濫や、押し迫る濁流に退路を断たれて孤立する数軒の家の画像などを見ると、江戸期に詠まれた俳聖達の名作の句も、今読むと、緊迫した実況中継の一場面に見えて来るから恐ろしい。……「五月雨を/集めてはやし/最上川」(芭蕉) 「さみだれや/大河を前に/家二軒」(蕪村)。……蕪村にはまだある。 「春雨の/中を流るる/大河かな」  「さみだれや/名もなき川の/おそろしき」

 

……さて、前回の続きで墓地である。墓地はいい。生者と死者の魂の交感の場であり、やがて訪れる死への覚悟といったものが柔らかく固まってくる。……そして今日は前回の続きで、谷中の墓地に足を運んだ。この墓地は著名人の墓も多く、毒婦とよばれた高橋お伝、徳川慶喜、朝倉文夫、円地文子、鏑木清方、森繁久彌、立川談志、横山大観、長谷川一夫、渋沢栄一、色川武大…………と、きりがない。私の知っている人もこの墓地に四年前から眠っている。彫刻家朝倉文夫の次女で、舞台美術家の朝倉摂さんを姉に持つ、彫刻家の朝倉響子さんである。響子さんは、私が24才で開催した初めての個展に、関根伸夫さん達と共に来られ、その場で波長が合い、以来長いお付き合いをさせて頂いた年長の友であったが、今は朝倉文夫が夫妻で眠る大きな墓に姉の摂さんと一緒に眠っている。その一家を撮した趣のある写真があるので掲載しておこう。左が摂さん、真ん中が朝倉文夫、そして右が響子さんである。

 

 

 

 

……谷中の墓地は実に広い。私はずっと気になっていた、一警察官の過去に纏わる或る事を確認したい事があったので、高橋お伝の墓の側にある派出所を先ずは目指して行った。しかし、中に警察官がいなかったので、その前に、この墓地に眠っているという「島田一郎」という人物の墓を探したが、これがなかなかにわからない。墓の番号は事前に調べてわかっていたが、区域が甲乙丙各々に分かれている為に、これがなかなか見つからない。先ほど挙げた著名人と違い特殊な人物なので、もはやお手上げか……と思ったその時に、目の前に、墓の案内人とおぼしき年配の男性が、まるで待っていたかのように、すっと現れた。「おじさん、島田一郎の墓は知ってますか?」と問うと「あぁ、知ってるよ。じゃ案内するからついて来るかい?」と、私の先を歩き出した。……私が言う島田一郎とは、明治11年5月14日に大久保利通を紀尾井坂近くで暗殺した刺客六人の内の主犯で、西郷隆盛の心酔者である。……「俺もここで、墓を訪ねてくるいろんな人をずいぶん案内したが、島田一郎を訊いて来たのは、あんたが初めてだよ」と言い、「島田一郎は確か鳥取の藩士だったかな?……」と間違った事を言うので「いえ、彼は加賀藩士です」……と私。まだ墓は先らしく、「おたく、あれかい?……訳ありの人かい?」といささか伝法な口調で訊くので「いえいえ、ごく普通の一般人です!」と私。……目指す墓は、横山大観の墓の裏側の葉陰に、他の5人の実行犯と共にひっそりとあった。案内の人に礼を言って、私は暫し、ずらりと並ぶその六基の墓を見回し、紀尾井坂の変当時の光景を想像した。……以前に宮内庁内で、大久保利通が災難時に乗っていた実際の馬車が展示された時があったので見に行った事がある。島田達の暗殺計画は実に巧みで、先ず馬の脚を切り、次に馬車の馭者を刺殺してから、六人で大久保利通に斬りかかった。大久保の最期の言葉は「無礼者!!」であったという。……大久保が敷いたあまりに急速な欧化路線でなく、西郷が考えていた農本主義で、もしこの国が歩んでいたならば、全く別な、少なくとも精神的にはかなり豊かな日本があったかと私は思っているが、如何であろうか!?ともあれ、西郷と大久保という、この二人の巨人の相討ちによって、この国の歩みは歪みを呈していった事は間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

……次に派出所前に戻ると、やはり中に警察官はいなかった。……仕方がない。まぁ、詳しく訊くのはまたの後日として、私は広い墓地をひたすらに眺めた。………………話は変わって、今から30年ばかり前に鎌倉の海岸近くで交わされた、或る二人の人物たちの会話に話が移っていく。一人は絵画の修復の名人Tと、今一人は画家のKである。KがTの作業場を夕刻に訪れると、未だ弟子達が残っていた。先生!……とTはKの事をよぶ。Kはそう言われるのはあまり好きではなかったが弟子達への立場を知っているので、そう呼ばせていた。……弟子が帰っていくや、TはKの目を見詰め、一転して「Kちゃん!!」と親しく呼んだ。二人は古くからの友人だったのである。Tは他に誰もいないのにKに向かってひそひそ声で「Kちゃん、いい物を見せてあげる!」と言うや、二階から2冊のアルバムらしき物を抱えて持って来て、おもむろに開いた。「どうせ家族の成長記録だろう」……Kがそう思って見ると、それは全頁が、墓地の至る所で展開する、昔の男女カップルの隠し撮りの写真、写真……であった。「どうしてこれが!?」と問うと、Tはその訳を話し始めた。…………ある日、Tが銀座を歩いていると前方からヤクザらしき男が歩いて来た。Tはその男に古い見覚えがあって、「まずい!」と思った。Tは中学時代に番長で、眼前から来るそのヤクザの男は、今と違い病弱ないじめられっ子であった。男もまたTの事を覚えていて、「ようTじゃないかぁ、久しぶりだなぁ」と言い「昔はずいぶん世話になったから、今度、御礼を送るよ!」と言って、住所を訊いて来たので、Tはそのままに教えた。……別れた後から「しまった」と後悔した。いわゆる御礼参りという仕返しを内実怖れたのであった。……しかしそれはただの杞憂で、後日送られて来たのは2冊のアルバムであった。「それがこれ!!」と言い、話すTは嬉しそうにKの顔を見た。そして、アルバムと一緒に入っていたヤクザの男が記した、アルバム入手前の或る男(つまり、その写真の撮影者)について書いてあった手紙の内容を詳しくKに話した。……話に拠ると、その撮影者は、谷中の墓地を巡察して不審者を取り締まる警察官であったが、その警察官自身があろう事か、カップルの秘事を隠し撮りする人物であった由。つまり絶対に捕まらない構図なのである。派出所を移って出世の話が来ても、その警察官は「いやぁ、私はここで……いいですからぁ」と言い、出世の話も拒んで、平の一警察官として生涯を終えたらしく、その退官記念に自身の生きた証し(?)として、写真を焼き増しして何冊かのアルバムにして遺したのだという。……「それが、これ!!!」と言い、回りに誰もいないのにKの耳許に近付いて小声で「Kちゃんにあげるから、気に入ったのがあったら5枚だけ選んで!!」と言ったので、Kもまた折角の話と思い、厳選してアルバムから5枚だけ選んだ。……この少年同士の悪巧みのような会話、ちなみに言えば、この話に登場するKとは、私の事である。……かくして私のアトリエの中にその写真5枚が今もあるのである。

 

 

 

 

 

 

……北原白秋に「墓地」という詩がある。「墓地は嗟嘆(なげき)の、愛の園、また、思ひ出の樫の森。/墓地は現(うつつ)の露の原、また幽世(かくりょ)の苔の土。/ 墓地は童の草の庭、また、あひびきの青葉垣。/墓地はそよ風しめじめと、また、透き明る日のこぼれ。」

 

……「また、あひびきの青葉垣」の垣根越しに、この警察官は生涯、シャッタ―を切りまくった訳である。……では、この詩に登場する墓地とは何処なのか!?……実は北原白秋は前述した、谷中墓地間近にある朝倉文夫の家(現在の朝倉彫塑館)の隣に家があり、その朝倉文夫の家の向かい隣に幸田露伴が住んでいた。……つまり、この詩に登場する墓地は谷中墓地の事であり、撮された男女の服装から察して時代的、時系列的に見ると、この警察官と北原白秋はほぼ同時期に、この谷中墓地で同じ空気を吸っていた観があるのである。……そしていつしか、もちろん名も知らぬ、この警察官の一生に私は強い興味を懐いている。……「窃視症」なる者は、勿論この男に限らずたくさんいて、それは文学にも深い陰を落としている。……川端康成、永井荷風、江戸川乱歩、寺山修司……。特に荷風の場合はそれが高じて、自分で男女の待ち合いの建物を作り、また川端康成の場合は、更に高じて、視線のエロティシズムは『みずうみ』などの作品に見る、危ういネクロフィリアにまで達している事は周知の通りである。また海外ではデュシャンやコ―ネルにもその例はあり、詳しくは拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)を読んで頂けると有り難い。……とまれ、私はまた折りを見て谷中墓地に行き、派出所で警察官に幾つか問う事があるので、このコロナ禍の中ではあるが、出掛けてみようと思っている次第なのである。

 

 

 

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