前回のメッセージの反響は大きかった。その中でも、故・松田優作の最初の奥さんであった松田美智子という人が、その事件を詳しく調べて『大学助教授の不完全犯罪』という本を幻冬舎から出しているのを教えて頂き、私はさっそく読んでみた。実に面白く、私は事件の内容を立体的に更に詳しく知る事が出来た。
警察が捜査した別荘裏の範囲は五百メートル四方という広さにわたり、「砂浜でダイヤモンドを一つ見つけるような」と評された程に難行したものであった。私が別荘裏に死体が埋められていると断定し直行した時と、警察が断定して動き始めた時はほぼ同時期である事も本を読んでわかった。つまり、私は事件後まもなくに現場を訪れ、ふと目に付いた花畑に惹かれて、その上に(つまり死体の真上)で食事をしたわけであるが、数日して警察は、土の変化を知る為にことごとく雑草やその花々を、四日間を要して刈り取ってしまった。結果としてそれが死体発見を遅らせる事になってしまったのである。半年近く経ち、犯人のカバンの底からアメリカセンダン草の種が一つ付着しているのに気付き、そこから捜査はようやく〈花畑〉に絞られていくのであるが、本ではそのくだりが、このように書かれている。
「・・・・・そうか、あの時の花だ。森安警部は、九月十三日に、初めて別荘に入った時の記憶を蘇らせた。母屋から出発して別荘の裏側を歩いた時、雑草に混じって群れ咲いた黄色い小花を見た。鬱蒼と生い茂る斜面から集積場にかけての一帯だ。四日間にわたる草刈りで全て刈り取ってしまったが、日当りのいい場所に咲いていた記憶はない。犯人が事件当日にその付近を歩いた事は間違いない。別荘裏が怪しいという判断は正しかった。・・・・・」
しかし、私は何故その場所(花畑)に惹かれて、ピンポイントで、埋められている被害者の死体の上に座り得たのであろうか・・・・・?仏が呼んだと云えば、それまでであるが、思えば不思議な事ではある。そのような事はその後も度々あった。例えば、福井県立美術館でピカソについて講演をした帰途に、夕方の福井駅のホームのベンチに私は座って列車を待っていた。目線の先には駅裏のさびれた古いビルが見えた。それは一軒のホテルであった。・・・・・すると私の脳裏に、その時は未だ逃亡中であった殺人者の〈福田和子〉の事が何故か唐突に立ち上がったのであった。そのホテルを眺めながら私は思った。(・・・たぶんあのようなホテルに福田は潜伏しているのだろうな。)それから二ヶ月後、福田和子が捕まったという報道が流れ日本中が騒然とした。福田和子が潜伏していたのは福井であった。そしてその潜伏地は、私が駅裏から見て、何故かふと福田の事を思った、まさにそのホテルであった。
その後、スペインのセビリアでも不思議な事があった。セビリアの後、私はマドリッドに行く予定であった。その時はゴヤの版画を集めており、私はどうしても、その版画の原板が見たかった。しかし、その展示されている場所がわからずにいた。わからないままに、その事は頭から離れて、私はセビリアの一軒の古びた書店に入った。夥しい数の本が四方の本棚に並んでいる。私はその中から何故か青い背表紙の本が目に止まり、引き抜いて見た。本を開くと、そこにゴヤの原版の写真が載っており、マドリッドの王立アカデミーに隣接した建物にそれが展示されているのが、たちまちにわかったのであった。
又、同じ日に私はセビリアの修道院に行き、ムリリョの絵と共に展示されているバルデス・レアールという画家に興味を持った。澁澤龍彦も書いているが、カトリック信者のふりをして、反カトリック的な禁断のイメージをその中に密かに伏せている怪しい人物である。私は一目でバルレス・レアールにはまってしまい、その作品をまとめて見たいという衝動に駆られてしまった。しかしそれらはヨーロッパ各国の美術館や修道院にバラバラに展示されている為に、一堂にまとめて見るのは不可能な事である。
翌日の早朝、私はマドリッドのアトーチャ駅に下り立った。晩秋の霧深い日であった。私は重いトランクを下げながら、宿を見つける為に、プラド美術館の前を通過しようとして、何気なく、彼方の看板の展覧会の文字を見た。霧の中から浮かぶようにして次第に見えた来た文字・・・・・それは、まさに今、プラド美術館で開催中のバルデス・レアールの全回顧展を知らせるものであった。このような体験はその後も幾度とあった。予知もあれば、リアルタイムで体験する事もある。一種の理屈を越えた異常な交感能力というものが、この〈北川健次〉という生き物の中には確かに棲みついている事は間違いない事のように思われる。警視庁に〈陰陽師班〉というしゃれたものがあれば、面白いのであるが、その実現は無理である。
AとZという離れた関係項を強引に結びつけて〈不思議〉を立ち上げるという、この能力は、今、コラージュという方法論の中で全開しているといえるかもしれない。その立ち上げた〈不思議〉をもって、観者の中に潜在している想像力の不思議な機能を私はゆさぶっている。その意味では、私は間違いなく美術という狭い領域から離れたところで、自在に作り続けているようにも思われるのである。