月別アーカイブ: 12月 2022

『年末だから石川啄木について語ろうの巻』

①今から7年ばかり前の事、坂道を歩いていたら、一瞬パチッという音がして右膝に痛みが走った。どうやら一瞬捻ったらしい。しまった!と思ったがもう遅い。……運悪く明日は成田を発ち、ベルギ―とパリに、写真撮影とオブジェの材料探しを兼ねた旅に行くという、その前日のアクシデントであった。……ご存知のようにブルュッセルは坂の多い街である。痛みを堪えて歩くのは難儀したが、それなりに収穫の手応えはあった。

 

……以来、膝の痛みを我慢していたが、先日急に痛みが酷くなったので整形外科に行きMRIで膝の断層撮影をおこなった。……診断の結果、3ヶ所に異常が見つかり、〈膝蓋骨軟骨損傷〉〈骨挫傷〉〈内側半月板断裂〉が見つかった。3つの字面を視て、壊れたピノキオになった気分であった。……そして思った。病名や身体の部位というのは、どうしてこんなに痛々しい名前なのであろうかと。半月板などは、まるで老舗の煎餅屋で売っている京風の薄い煎餅のようで、いかにも割れそうではないか。そこで自分なりに楽しい病名を考えた。……〈膝わるさ〉〈骨のおむずがり〉〈骨ぐずり〉……そういう診断が出たら、「まぁ、しょうがないなぁ……」と、よほどメンタルに良いと思ってしまう、この年末である。

 

 

②前回のブログで、世田谷美術館で開催中の藤原新也展の事を書いたらすぐに反響があり、「観て来ました。良かったです」「実にタイムリ―な企画展で写真と言葉の力に圧倒されました」といった意見が多かったが、中にこんな問いのメールがあった。「あの時代、学生運動の騒乱と挫折の反動を受けてインドに行った人の多くが、ブログに登場したTさんのように、無気力な姿となって帰国したのに、なぜ藤原新也さんはそうならなかったのでしょうか?」という問いのメールである。……私はなにも藤原新也氏本人ではないので、そんな事はわからないが、1つだけ、自分も写真を撮っているという経験を踏まえて、ふと想い至る事はあった。

 

……あれは8年ばかり前であるが、1週間ばかり厳寒の冬のヴェネツィアで写真撮影に没頭していた時があった。そして日程をこなして、マルコポ―ロ空港から飛び立った。……すると、遠ざかる眼下のヴェネツィアの街を視ていて、ふと妙な感慨が立ち上がった。「自分は本当に眼下に視るヴェネツィアに、この1週間いたのだろうか?」という妙な感慨が沸き上がったのである。……1週間、ヴェネツィアで過ごしたという実感がまるで無いのである。……そしてその理由がすぐにわかった。普通の旅と違い、撮影が目的の時はカメラが媒体となって被写体を追い求める為に、自分の眼と合わせて、カメラレンズの単眼をも併せ視る為に写真家は自ずと「複眼」となり、被写体という獲物を狩る為の醒めた客観性が入って来るのである。……その点、撮影を目的としない所謂普通の旅は、云わば裸形の剥き出しの感性となり、衝撃も無防備な迄に諸に受けるのである。つまり、写真家は、あくまで攻めの姿勢を持った、視覚における狩人と化すのである。……それに加えて藤原新也氏は海峡ゆずりの太い気質が加味して、六道めぐりのような凄惨な場面をも、経文の声でなぞるようにフィルムに収め得たのではあるまいか、時に阿修羅界の眼で、時に餓鬼界の眼で、……と私は思うのである。

 

 

 

③……12月の冬枯れになると、毎年、神田神保町には救世軍の数人の吹奏楽者が奏でるサ―カスのジンタのような哀愁ある響きが流れ、まるで中原中也が急に背後から現れそうで面白い。「昔と変わってないなぁ」と想い美大の学生だった頃を思い出す。…………その頃は大学よりも、神保町の古本屋巡りに通っていた方が多かった。書店で買った本を持って決まって入るのは趣のある老舗の喫茶店『ラドリオ』であった。……ふと本を読むのをやめて、壁の薄暗い一隅を視ると、そこに額に入った色紙書きの短歌があり、私はそこにいつも眼をやって、二十歳頃の未だ定かではない自分のこの先を思いやった。

 

……「不来方の/お城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心」……作者は石川啄木である。不来方はこずかたと読む。意味は盛岡の事であるが、不来方と書くのが啄木の上手さ。……「盛岡のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」では抒情性もなにも立ち上がっては来ない。不来方の字面と響きから遠い浪漫性が立ち上がり、最後の〈十五の心〉へと体言止めの一気読みが貫いて、私達の内心が揺れるのである。

 

……………啄木の短歌はずっと惹かれているが、今、何故か気になっているのはこの一首、「函館の/青柳町こそ/かなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花」である。……安定した職を求めて盛岡から北海道へと流離する啄木を函館に迎えたのはこの地の短歌のグル―プであり、彼らは青柳町に住む場所さえも啄木に与えたのであった。……そのグル―プ達が歓迎の場で興に乗り、啄木に恋歌を披露する者までいた。矢車草は夏の季語。「かなしけれ」は、この場合、「心を強く惹かれる」として使われている。……だから意味は、函館の青柳町にこそ私は今、強く心惹かれている。恋歌まで披露する友もいるではないか。季節は夏、夏の真盛りなのである。……となるが、心惹かれるを〈かなしけれ〉と詠む事で、啄木の個人的体験を離れて、読む私達の内にある切なさを覚える感情が揺らいで、またしても一気に普遍へと一変するのである。

 

……この場合、活きているのが「函館」そしてそれに続く「青柳町」という響き(音・韻)である。函館で、何かが立ち上がり、青柳町という響きで、イメ―ジの舞台が読み手である私達の想像力を動員して鮮やかに、そして哀しく現れるのである。……つまり作品は私達の内で初めて完成するのであり、言葉の効用は、その為の装置なのである。この〈作品は観者や読み手の想像力を揺さぶって人々のイメ―ジを立ち上げる装置である〉という考えは、私自身の創作における考えと重なってくる。……試しに別な言葉を入れ換えてみよう。……「青森の五所川原こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花」。……青森より函館、五所川原より青柳町の響きが格段に佳く、哀しみも立ち上がって来るのである。

 

 

今、私はドナルド・キ―ン氏の『石川啄木』を読んでいるのであるが、この日本語が奏でる響きの美がもたらす効果が、果たして英訳すると、どれくらい伝わるのか、もっと云えば、本当に伝わっているのか?という疑問がどうしても湧いて来てしまうのである。

……特に翻訳が難しいと思うのは、言葉の前後がバッサリと無い俳句や短歌において、外国語という全く改変された音や響きで、意味や抒情の深度は本当に伝わるのであろうか……という疑問が、この年末の私を捕らえているのである。……逆に言えば、例えばランボ―の詩の翻訳が、小林秀雄中原中也堀口大學鈴村和成、……諸氏によって全く違うのも同様である。…………外国語の翻訳が上手い人は、つまりは日本語が上手いということになるが、……そのような事をつらつら思いながら、ドナルド・キ―ン氏の『石川啄木』を読んでいる、年の暮れの私なのである。

 

 

 

 

 

 

④……12月24日のイブの夕方に、実に美麗で重厚な嬉しい献呈本が送られて来た。……この国の短歌の分野を代表する歌人、水原紫苑さんの歌集『快楽Keraku』である。

 

本の表紙はご自身の撮影したパリのサントシャペル教会のステンドグラス。表紙全体から、タイトルの快楽に通じる薔薇の香りが放射するように漂って来るようである。

 

……水原さんは三年前にパリに行く予定であったが、コロナ感染の拡大の為に断念していたのが、ついにパリ行きを決行し、現地で詠んだ短歌を含めた第十歌集の刊行である。この水原さんの歌集については新年の最初のブログで詳しく書こうと思うが、幻視者にして魂の交感を綴る言霊の歌人による歌集を、これから読みこんで行くのが愉しみである。

 

……右に石川啄木歌集、左に水原紫苑歌集を抱えて、どうやら今年の暮れは、除夜の鐘を聴く事になりそうである。

 

 

 

 

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『レンズを持って旅をする男の話 (前回のつづき)』

……線状降水帯が、正に世田谷美術館の真上を通過しているという激しい豪雨の中、館内に入ると、『祈り・藤原新也』展は沢山の観客が詰めかけていたが、観る者をして沈黙へと促すような作品の為か、息をのんだように静かであった。

会場は作者の初期から現在に至る迄の写真作品が、まるで大河の流れのように巧みに構成されており、実に観やすかった。しかし初期の『メメント・モリ』の、記録性を越えた凄惨な写真と、作品中に配された文章の妙が持つ相乗したインパクトは、わけても圧巻であり、藤原新也はここに極まれりという感は、やはり強い。

 

 

 

 

 

ガンジス川の岸辺に転がる、膨らんだ白い死体の硬直した足先を喰らう黒犬、その左に立って虚ろな目を放つ茶色い犬、その足元に立っている烏の姿……。そこに添えられた一行のコピ―文。……「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」。……これを視た瞬間、人々の背筋に走るのは間違いなく冷たい戦慄であろう。しかし、意味を理解してのそれは戦慄ではない。……藤原新也が書いた文章の、意味がわかるようで掴み切れない謎かけの不可解さ故の戦慄であり、ここで使われた「自由」という言葉のあまりの多義性故に、人は戸惑いを覚え、自分の見えない背中の暗い部位を慌てて覗くように揺らぐのである。「自由」そして「正義」という言葉ほど多面性、多義性を帯びた言葉はないであろう。……また、文章の出だしを人間と書かず片仮名のニンゲンにする事によって、次に漢字で書かれた犬の字面がニンゲンより優位に立ち、そこから一気に「食われるほど」と来て、「自由だ。」で、読む人の背筋に揺らぎと戦慄を作り出す。写真と文章が相乗して実に上手い。藤原新也は殺し文句を知っている。…………いま私は、藤原新也の文章の実存的なくぐもった低い呟きと、その体温に近い人物が、確かもう一人いたな……とふと思い、しばらく考えてから、そうだ、自由律俳句の俳人・種田山頭火があるいは近いのではと、閃いたのであった。

 

山頭火の俳句、……「沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ」・「いさかえる夫婦に夜蜘蛛さがりけり」・「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」・「松はみな枝垂れて南無観世音」…………は、藤原新也が写真集『メメント・モリ』の作品中に入れた文章とかなり近似値的ではあるまいか。……藤原新也の「ありがたや、一皮残さず、骨の髓まで」・「契り一秒、離別一生。この世は誰もが不如帰(ほととぎす)。」・「人体はあらかじめ仏の象を内包している。」……。藤原新也の写真に、山頭火の俳句をそっとまぎれこませても面白い相乗が立ち上がる、……そんな事をふと想ったりもしたのであった。

 

 

 

とまれ、今回の世田谷美術館の『祈り・藤原新也展』は、ぜひご覧になる事をお薦めしたい必見の展覧会である。写真展であると同時に、視覚による現代の経文に触れるような、深い暗示性と示唆に充ちた内容である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……藤原新也の写真集『メメント・モリ』の中に、私が最も好きな頁がある。全編、死の気配と記録性に充ちた重い内容の中で、その頁だけがフッと息がつけそうな安らぎに充ちたその頁には、車窓から写した山河と農村の建物と畑と光の煌めき……が写っていて、左頁の端に「こんなところで死にたいと思わせる風景が、一瞬、目の前を過ることがある。」という文章が添えられている。

 

 

 

 

この頁の写真と文章を読んだ時に、すぐに想い浮かんだのは「確かに自分にもそう思う瞬間があった!」という同じ感慨であった。……バルセロナからグラナダへと向かう12時間の長い列車の旅の車窓から視た、或る瞬間の風景、……或いは、ヴェネツィアのジュデッカ運河で視た真夏の花火、または夜半のアドリア海で視た銀色に光る春雷、…………。想いは尽きないが、そのような永遠を想わせる絶体風景を暗箱の中に封印した魔術師のような人物が、今、京橋のギャラリ―椿で個展(12月24日まで)を開催中である。

 

……その人物の名は桑原弘明君。私が最もその才能を高く評価している、超絶技巧の持ち主にして視覚の錬金術師と評していい人物である。……桑原君の作品の緻密さの芯を画像でお見せする事は不可能に近い。0.2㍉、0.5㍉……大きくても僅か数㍉のサイズで作られた室内の木馬や、窓、中世オランダの室内、螺旋階段……といった物が、絶体静寂の韻を帯びて、永遠に停止したままに、精緻に作られた暗箱の中で謎めいた呼吸をし、それを視る人の内心の孤独と豊かな対峙をしているのである。

 

 

 

 

 

 

桑原君が今までで作った作品(scoPe)総数はおよそ160点、最初に作った2点以外は、全てコレクタ―諸氏の所有するところとなっている。その1点の制作に要する時間はおよそ2ヶ月以上。毎日、視神経を酷使する苦行にも似た制作スタイルのそれは、驚異の一語に尽きるものがある。……私も同じく、版画作品の刷った総数はおよそ5000枚以上になるが、全てコレクタ―諸氏や美術館の所有に入り、またオブジェも既に1000点以上を作ったが、アトリエに残っている僅かのオブジェ以外は全てコレクタ―諸氏や美術館の所有するところとなっている。

 

……先日、個展開催中の画廊を訪れ、久しぶりに桑原君と話をしたのであるが、手元に作品がほとんど残っていない事、そして作品が、それを愛してくれる熱心なコレクタ―の人達に大事にされ、その人達の夢想を紡ぐ人生の何物かになっているという事は、表現者として一番幸せな事なのではないか、……そして、私達が亡くなった後の遠い遥かな先において、もはや匿名と化した私達の作品の各々の有り様、そしてそれを視る全く私達の知らない人達の事を考える時、その時が最も夢想の高まる時であるという点で、私達は意見の一致をみたのであった。……桑原君の仕事は凄まじい迄の緻密さであるが、只の細密に堕する事なく、彼はリアリティというものが私達の脳内において初めて結晶化するという事を熟知している点が、彼の作品を他と差別する質の高さに繋がっているのであろうと思われる。

 

……藤原新也という、あくまでも現実に起きる万象に対象を絞りながら、レンズを持って旅をする男。……かたや、桑原弘明君のように錬金術師のごとく密室に隠って、視る事の逸楽や至福をスコ―プ内のレンズを通して立ち上げんとする、あたかも玩具考の如く空想の地を旅する男。……対照的な二人のレンズを持った旅人達の各々の個展であるが、いずれも見応えのある内容ゆえに、このブログでお薦めしたく筆をとった次第である。

 

 

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『12月のMemento-Mori』

①……最近、以前にも増して老人によるアクセルとブレ―キの踏み間違いによる悲惨な事故(年間で約3800件!)が起きていて後を絶たない。私は運転免許が無いので詳しくはわからないが知人に訊くと、アクセルとブレ―キのペダルの形が似ていて位置が近いのだという。それを聞いた時、〈それではまるで、…こまどり姉妹ではないか!!〉私はそう思ったものであった。双子の姉妹のように瓜二つでは駄目だろう。

……せめて、「早春賦」を唄う安田シスタ―ズ(由紀さおり・安田祥子)くらいに見分けがつかないと駄目だろう。……そう思ったものであった。最近、その構造の見直しや改良が行われているというが、本末転倒、車社会になる以前にもっと早くから改良すべき、これは自明の問題であろう。とまれ、私達はいつ暴走車の被害者になるかわからない。毎日がメメント・モリ(死を想え)の時代なのである。

 

 

 

②12月に入り、いきなりの寒波到来であるが、ふと、先月に開催していた個展の事を早くも幻のように思い出すことがある。たくさんの方が来られたので、毎日いろんな話が飛び交った。今日は、その中のある日の事を思い出しながら書いてみよう。

 

……その日の午後に来廊した最初の人は、友人の画家・彌月風太朗君であった。(みつきふたろう)と呼ぶらしいが、些か読みにくい。私は名前を訊いた時に、勝手に(やみつきふうたろう)君と覚えてしまったので、もうなおらない。茫洋とした雰囲気、話し方なので、話していて実にリラックス出来る人(画家)である。彼は、このブログに度々登場する、関東大震災で消滅した謎の高塔「浅草12階―通称・凌雲閣」が縁で、お付き合いが始まった人である。ちなみに彼は私が安価でお分けした凌雲閣の赤煉瓦の貴重な欠片(文化財クラス)を今も大切に持っている。

 

 

(……ふうたろう君は、今、どんな絵を描いていますか?)と訊くと、(今は松旭齊天勝の肖像を描いています)との返事。私も天勝が好きなので嬉しくなって来る。松旭齊天勝、……読者諸兄はご存じだと思うが、明治後~昭和前を生きた稀代の奇術師・魔術の女王。小説『仮面の告白』の中で、三島由紀夫は幼い時に観た天勝の事を書いている。実は個展の前の初夏の頃に、私はプロマイドの老舗・浅草のマルベル堂に行って、松井須磨子と松旭齊天勝のプロマイドを求め店の古い在庫ファイルを開いたが、(お客さん、すみませんが今は栗島すみ子からしかありません)といわれた事があった。…ふうたろう君は(天勝の肖像は来年に完成します)と言い残して帰っていった。

 

 

 

③彌月君の次に来られたのは美学の谷川渥さん。この国における美学の第一人者で、海外でもその評価は高く、私もお付き合いはかなり古い。拙作に関しても、優れたテクストの執筆があり、拙作への鋭い理解者の人である。昨年もロ―マの学会から招聘されてバロックと三島由紀夫についての講演を行い、今回はロ―マで三島由紀夫に関しての彼のテクストが出版されるので、まもなく出発との由。……常に考えているので、突然に何を切り出しても即答で返って来る手応えのある人である。

 

……さっそく、(三島由紀夫のあの事件と自刃の謎について、いろんな人が書いているが、結局一番読むに値するのは澁澤(龍彦)じゃないですか)と私。(いや、もちろん澁澤ですね。澁澤のが一番いい)と谷川氏。(他の人のは、自分の側に引き付けすぎて三島の事を書いている。つまりあえて言えば、自分のレンズで視た三島を卑小な色で染めているだけ)と私。(全く同感、つまり対象との距離の取り方でしょ、そこに尽きますよ)と谷川氏。……今回はこの種の会話が画廊の中で暫く続いた。……そう、澁澤龍彦の才能の最も優れた点は、各々の書く対象に応じた距離の取り方の明晰さに指を折る。……そして谷川さんも私も、三島由紀夫の存在が魔的なまでに、〈視え過ぎる人の謎〉として、ますます大きくなって来ているのである。

 

 

④……その日の夕方に、東京国立近代美術館副館長の大谷省吾さんが画廊に来られた。……以前に書いたが、澁澤龍彦の盟友であった独文学者の種村季弘さんは、私に「60年代について皆が騒ぐが、考える上で本当に面白く、また大事な事は、60年代前の黎明期の闇について考える事、その視点こそが一番大事だよ」と話してくれたが、大谷さんは正にそれを実践している人で、著作『激動期のアヴァンギャルド・シュルレアリスムと日本の絵画―一九二八―一九五三』(国書刊行会)は、その具体的な証しである。昨年に私は大谷さんと画家・靉光の代表作『眼のある風景』(私が密かに近代の呪縛と呼んでいる)について話をし、それまで懐いていたいろいろな疑問や推測について、実証的に教わる事が大きかった。…画廊から帰られる時に、今、近代美術館で開催中の大竹伸朗展の招待券を頂いた。……以前にこのブログで、三岸好太郎の雲の上を翔ぶ蝶の絵と、詩人安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」との関係についての推理を書いたが、収蔵品の質の高さとその数で群を抜いている東京国立近代美術館に行って、また何らかの発見があるのでは……と思い、個展が終了した後に行く事にした。

 

……1階の大竹伸朗展は圧倒的な作品の量に観客達は驚いたようである。描く事、造る事においては、我々表現者に始まりも無ければ終わりも無いのは当たり前(注・ピカソは七割の段階で止める事と言い残している)であるが、こと大竹伸朗においては、日々に直に実感している感覚の覚えかと思われる。……ジェ―ムス・ジョイスから青江三奈、果てはエノケンまで作者の攻めどころは際限がないが、同時代に生まれた私には、ホックニ―ラウシェンバ―グティンゲリー他の様々な表現者のスタイルがリアルに透かし見え、当時の受容の有り様が、今は懐かしささえも帯びて映ったのであった。しかしこの感想は、例えば観客で来ている修学旅行中の中学生達には、また違ったもの、……見た事がない表象、聴いた事がないノイズとしてどう映るのか、その感想を知りたいと思った。

 

……階上に行くと、件の靉光の『眼のある風景』と松本竣介の風景画が並んで展示してあり、また別な壁面には、親交があった浜田知明さんの『初年兵哀歌』があり懐かしかった。……私が今回、興味を持ったのは、ひっそりとした薄暗い壁面のガラスケ―スに展示してあった菱田春草の『四季山水』と題した閑静の気を究めたような見事な絵巻であった。咄嗟に、ライバルであった横山大観の『生々流転』、更には雪舟の『四季山水図』との関係を推理してみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑤……昔、美大にいた時に、私と同じ剣道部にTがいた。Tは確か染織の専攻だったと記憶するが、演劇の活動もするなど、社交的な明るい人物であった。剣道部でも度々私はTと打ち合ったが、Tの剣さばきには強い力があった。……そのTが夏休みにインドに行くと言って私達の前から姿を消した。……しかし、夏休みが終わり後期が始まってもTは大学に現れなかった。……秋が終る頃に、大学にようやくTの姿があった。私達はTの姿、その顔相、その喋りを視て驚いた。Tは魂が抜けたように一変していたのであった。……ただ喋る言葉は「……虚しい、空しい……」の繰返しで、その眼はまるで生気を失い、虚ろであった。……Tがインドに行って一変した事は間違いないが、そこで何を視て人が変わってしまったのかは、当時の私達には無論わかろう筈がなかった。

 

……Tはまもなく大学を去り、故郷の高松でなく、京都に行った事だけが風の便りに伝わって来た。清水で陶芸をやるらしい……という噂が流れたが、それも根拠がなく、Tは結局、私達の前から姿を消し、今もその行方は誰も知らない。……Tがインドで視たもの、それは、この世と彼の世が地続きである事、つまり地獄とは現世に他ならない事の証を視てしまったのだと私達は推理した。……そして、インドという響きは、あたかも禁忌的な響きを帯びて私達は語るようになった。未だ視ていない国、しかし、そこに行っては危うい国、私達の生の果てまでも視てしまう国……として。

 

…………1983年に写真家・藤原新也の写真集『メメント・モリ』が刊行された時は、大きな衝撃であった。そして、その写真を通して、私はTが一変したその背景をようやく、そして生々しく知る事になった。………………個展が終わって間もない或る日、世田谷美術館から招待状が届いた。『祈り・藤原新也』展である。……私が美術館に行ったその日は、まもなく激しい豪雨になりそうな、そんな不穏な日であった。……(次回に続く)

 

 

 

 

 

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