原発の再稼働の是非をめぐって様々な意見が入り乱れているが、どうもこの国の人々は、自明な大前提の事を忘れているように思われる。それは、この日本という国が、いざという時に逃げ場の無い極く小さな限られた〈島国〉であるという事である。
1986年4月に旧ソ連のウクライナ共和国の原発で起きたチェルノブイリ原発事故の事は記憶に生々しい。大気中に放射能が飛散した広域な現場は25年以上経った今も死の墓場であり、人々の影すらない。しかし、そこは地続きの大陸であり、被災者は遠方へと避難が可能であった。それにひきかえ、四囲を海に囲まれた我が国にはそれが出来ない。故にドイツ・フランス他の諸国と同一原理で語る以前に、もし地震が発生し、同様の事が生じた場合、もはやその時点で〈滅び〉しか目前にはない事を、SFの話ではなく、現実(事実、その第一波は起きた!!)の事として記憶するべきであろう。現在も、3.11の日に流れ出た大量の汚染水は海底の泥に混じり、小魚から回遊魚への汚染は確実に広がって、日本の近海をじわじわと封じ込んでいる。そして、それを除染する方法を私たちは持ち得てはいない。
私たちは地震による津波によって、原発が一瞬で砕けた様をありありと見た。そして今度は想定域が西へと下って関東・東海・そして関西へと、次なる悲劇の誕生が、具体的な〈今、そこにある危機〉として在る事を誰もが知っている。その渦中に在って、原発の再稼働は、人間がかくも愚かである事の実証でしかない。この記述すらも〈風評〉と断ずる者がいるとしたら、その御仁はよほど現実を直視する勇気と理性を持たない御仁であろう。隣国の主席はかつて日本を指して〈意識レベルがあまりにも低く、国家として体を成していない〉と酷評したが、精神の立脚点を自らに持たないこの国の民は皆、怒ることすら知らず、唯、他人事のように苦笑するだけであった。
周知のように、幕末から明治維新へと至る改革を可能にしたのは、言うまでもなく米・英・仏を中心とした外圧が発端にあったからである。今、この国に押し寄せている外圧と云えば、それは地震・原発によるオブセッショナルな感覚かもしれない。このまま行けば、逃げ場を持たない日本に待ち受けているのは、全面的な放射能被曝によって化した、住む場所を無くした焦土である事は、〈想定内〉の具体的な現実である。〈本当にエネルギーは不足しているのか!?〉という疑念がある中、今は代替エネルギーへの転化に専念すべきであろう。
さて、暗い話が続いたので、次は自分の事を明るく語ろう。先日刊行した拙著『絵画の迷宮』に続いて4月中旬には久世光彦氏との共著『死のある風景』が刊行予定である。明るくと言ったが、何とリアルなタイトルである事か!!先日出版社に行き、その本に載せる私の写真作品を選出する作業を行った(掲載した画像)。そしてその次には、詩人の野村喜和夫氏の詩集(ランボーを主題とした)に絡めて私の写真作品を載せるために、深夜にそのための写真撮影を行っている。〈この本は、今年中に思潮社より刊行予定〉。
最近の私は機会を見つけては津波の、あの怖るべき映像を見ながら、500年前にダ・ヴィンチが記した、大洪水によって人類が死滅していく叙景文の描写のそれとを比べている。そこから文章を立ち上げて、次なる書き下ろし執筆の、真近に迫った開始を計っているのである。ダ・ヴィンチの文は、私達の知るあの津波の映像と重なるように生々しく活写したものである。そのダ・ヴィンチは手稿の中で「間違いなく人類は水によって滅びる。」と予言している。現代の人々は中世よりも現代の方が文明において勝っていると思い上がっている。しかし現実は、人類が生んだ最大の知的怪物(ダ・ヴィンチ)の想像した予見の掌中に悲しくも、また愚かにも収まっていこうとしている。ダ・ヴィンチがその水による終末論を主題としたのが、彼の絶筆『洗礼者ヨハネ』なのである。