横浜の海岸通りにある老舗のホテル・ニューグランドで早めの夕食をとった後、どしゃ降りの雨の中を近くにある神奈川芸術劇場へと向かった。勅使川原三郎氏のダンス公演『ミズトイノリ〈water angel〉』が開催中なのである。場所は私が15年間住んだ建物の斜め前に在り、久しぶりで懐かしかった。会場に入ると満席の観客である。今日は長年の友人で土方巽の弟子でもあった浜口行雄氏と、平凡社の「太陽」の編集長をされていた清水壽明氏を、公演後に勅使川原氏に引き合わせる約束もしているのである。
勅使川原氏・佐東利穂子さん他二名による舞台はまたしても圧巻であり、私たちをして、水底に息づく生霊の不可思議なる「気」を鮮やかに映して、身体表現の妙へと誘ってくれた。私は拙著『美の侵犯』のエルンストの章の中に勅使川原三郎氏を登場させ、「…… 彼の作品が突出して艶があるのは、一つには近代美術の名作からもそのエッセンスを掌中に取り込んでいるからではあるまいか。— 私はこの天才が紡ぎだす巧みな作劇法ともいえるものの秘密の一端を、『百頭女』を通して透かし見た思いがしたのであった。」と記している。私は氏の事を躊躇することなく天才と断じているが、氏の舞台を見る度に、この考えはますます確かなものになっていっている。
公演後に控室で、私たちは円と垂直なる線と身体性との関係について少し話をしたが、浜口氏は氏の今日のダンスの中に、土方巽やマース・カニンガム・笠井叡ほか優れた身体による表現者のエッセンスがことごとく勅使川原氏のダンスの中に見られる事に感動し、熱くそれを氏に語っていた。…… しかし、勅使川原氏は彼らの表現を実際には見ていないのである。ではエッセンス(精髄・本質とでも訳そうか)とは何なのか!?
…… それについて語るには或る逸話が相応しい。今から70年以上も前の話であるが、パリのルーヴル美術館が或る日、一日をかけて休館となった日があった。画家のパヴロ・ピカソを招いてピカソが美の王のごとく、この美術館の中をゆっくりと見て巡ったのである。そしてピカソは或る画家の絵の前で歩を止め、たった一言「くそ、知ってやがる」と言ってニヤリと笑ったのであった。その画家の名はウジェーヌ・ドラクロワである。おそらくその作品は『ダンテの小舟』ではなかったか。とまれピカソが語ったこの言葉「くそ、知ってやがる」というのが、エッセンスなるものの原質であろうと私は思っている。これを勅使川原氏の存在に返せば、氏は生まれながらにして、このエッセンスなるものを生来つかんでいると思われるのである。それは生来の感性の核の中に既にして在り、磨く事によって、いよいよその存在と煌めきは突出してくるのである。それは例えば、三島由紀夫がそうであり、5才の時にオモチャを隣室に運ぶ間に曲を作ってしまったモーツァルトのごとくである。私が氏を評して天才と断じたのはそういう意味なのである。小林秀雄は「金閣寺」を書いた直後の三島由紀夫との対談で「あなたは才能だけの人だね」と語っているが、これは何ら否定語ではなく、〈才能〉という、魔的なるものへの至上の頌なのである。誠に〈才能〉とは怖ろしい。
勅使川原氏はこの後、海外公演があり、帰国した直後の10月2日から11日まで荻窪の「KARAS APPARATUS」で『ハムレット』のダンス公演があり、その後はパリのシャンゼリゼ劇場での振付けと公演があって休まる時がない。未見の方はぜひ10月からの『ハムレット』を御覧になる事を強くお薦めする次第である。
さて、10月28日(水)から11月16日(月)まで、日本橋高島屋の美術画廊Xで開催される個展のための制作が日々着々と進んでいる。今回の個展のタイトルは『午睡の庭 ― 繁茂する蕁麻の緑陰の下で』である。蕁麻はイラクサ。今回はオブジェの出品が30点以上あり、更に油彩画とコラージュが加わる形となる予定。個展の詳細については、また追ってこのメッセージ欄でお知らせしたいと思っている。