個展が終わり、アトリエに静かな制作の時間が戻って来た。……語り得ぬ物、立ち上がらんとする何物かを捕らえんとする、イメ―ジの狩人のようなもう一人の私に変わる事の、緊張と静寂に充ちた至福の時間。…このアトリエでは満ち足りたものと、逃がすまいとする焦燥が混在化して、何とも不思議な時間が流れていく。……………その制作の合間を縫って、二日間続けて、以前から楽しみにしていた写真展と公演を観に出かけた。写真の川田喜久治作品展「影のなかの陰」と、勅使川原三郎ソロ公演「青い記録」である。
……川田喜久治さんから個展の度に頂くオ―プニングパ―ティ―のお知らせは、いつも決まって実に昂るものがある。私はよほど本物の表現に接する事に飢えているのであろうか、美術家の個展などには全く見向きもしない私であるが、こと川田さんの場合だけは、暦にその日時を書き込み、逸る気持ちを抑えるようにして、その日を待つのである。 ……今回の個展のタイトルは「影のなかの陰」。実に上手いタイトルで、やられた!!と思った。英語ではshadowの一語しかないが、日本語だと書き分けによって、更に〈かげ〉〈蔭〉〈カゲ〉〈翳〉という文字までも孕んで自著のテクストの中に使い分け、そこに複雑な表情を持った陰影のマチエ―ルが立ち上がる。短い言葉の中に、川田さんが抱く「闇の多彩な透層」というものへの様々な拘りと凝視的な視座が伝わって来て、「タイトルとは、こうでなくてはならない」という感をあらためて持った。この短いタイトルだけで、既にして自らの川田喜久治論が饒舌に内包されているのである。……東麻布にある会場の「PGI」の壁面には、新作の写真作品が、やや間を詰めながら、通過する魔群のような表情を帯びて数多く展示されていた。……昨年辺りから、川田喜久治さんはインスタグラムを始められた由であるが、気軽に発信可能という、その意識のフットワ―クの良さを掌中の武器として、また新たな表現世界を顕在化したように思われる。昨年の高島屋の個展に川田さんが来られた際に、私はその被写体として撮られ、それは数日後には川田さんのサイトにたちまちアップされた次第であるが、私もまた、虚構と現実とのあわいに潜む実体不明な住人の一人と化したのであった。……会場で、黒い仮面を付けた、なんとも強い黒の深度を帯びた女性の写真があり、気になったので川田さんに伺うと、その黒い仮面は、ゴヤの版画『ロス・カプリチョス』中に描かれている仮面を実際に作って、妖しいモデルに付けさせた由。……あぁ、確かにあの作品の中にこの仮面があった……と思いが至ると、そこまでゴヤに入り込んでおられたのか!という、その徹底に驚嘆する。私はかつて「……かくして時を経て、ゴヤの遺伝子は間違いなく川田喜久治のそれへと受け継がれた。」という主旨の文を書いた事があったが、その想いをまた新たにしたのであった。……さて川田喜久治さんの写真であるが、そのほとんどがニュ―ヨ―ク近代美術館やテ―ト・モダン……また国内外の主要な美術館に収蔵されているので、なかなかに入手困難であるが、私のアトリエには奇跡的に、その川田さんの代表作二点(ボマルツォの怪獣庭園の巨大な怪物の顔と、日蝕の闇夜を飛ぶ奇怪極まる怪しいヘリコプタ―を撮した写真作品)が、ルドンやホックニ―、ヴォルスなどと共に掛けてあり、我がアトリエの空間をいよいよ緊張の高みへと誘って私を鼓舞してくれるという、コレクションの中でも、極めて重要な作品であり、その黒のメチエは群を抜いて深く、私に様々な示唆を与えてくれるのである。……さて、この個展は7月5日(金曜)まで。お問い合わせは会場PGIまで。入場無料にて開催されているので、ご覧になられる事を強くお薦めする次第である。
……川田喜久治さんの個展を拝見した翌日の6月1日の夕刻、私は荻窪にいた。この荻窪にあるスタジオ「アパラタス」を拠点として、まさしくアップデイト(更新)するように、公演の度に新たな身体表現の未踏の極へと迫って留まる事を知らない、勅使川原三郎氏のアップデイトダンス公演(62作目)『青い記録』のソロ公演の、その日は最終日なのである。いつもながら会場は既にして満員。公演は2部構成(「光の裏側」と「白い嘘」)から成る。……川田喜久治さんの闇の透層への拘りは、写真という2次元であるが、このダンス公演では、川田さんとはまた異なる勅使川原氏の拘りを見せて、3次元の舞台空間に妖しくも劇的に開示されていく。……始まりは闇。……そして薄い光が射すや、舞台空間はあたかも、かつて視た銀閣寺の白砂の枯山水の夜の面のような清浄とした表情が点り、その立ち上がりと共に、影から実体へと勅使川原氏の姿が顕と化していく。……そして様々な光のマチエ―ルの移りと共に、身体による様々な変幻が、不思議な時間感覚の中で揺れ動く。そして、一条の過剰な、刃の切っ先にも似た〈或る意思〉を帯びたかのような鋭い光が、勅使川原氏の身体上部(丸い頭部、肩、腕の直線、……指先の先端まで遍く)を貫いていく。……次に一転して、会場を切り裂くように響く、細い板木が執拗に何度も倒れる音。(これもまた聴覚から強引に入り込んで観者を揺さぶる一つのダンスか!!)…………倒れるようにして倒れる事、或いは絶対に倒れないようにして倒れる事。そのしなやかな背反の身体的トレモロ。……2部に移ると、私達の身体が、僅かな最少の骨と筋肉があれば、そこはもはや感情がかしぎこわれ、或いは逆巻く場としての異形な、形なき皮袋である事実を危ういまでに突きつけてくる。もはやこの段では、勅使川原氏は自らの身体にマネキンのごとき客体〈オブジェ〉性を課し、積算された緊張は、対極の緩やかな官能性の襞までも見せてくる。……極限まで引きつった顔の筋肉の戦慄は一転して、ダ・ヴィンチの描いた聖アンナのごとき慈愛の相へと落下するようにして転じ、その極から極への変容を支える、中空に浮くかのような(静の中に動を内包した)アルカイックな美しき身体は、あくまでも勅使川原氏のものであるが、そこに本作の主題である「身体の記録性―記憶の曖昧なる虚ろ性」が絡んで、つまりは、圧巻的に美しい。本作は、記憶の曖昧なる虚ろさよりも、身体に刻まれた記録こそ、或いは確かなのではないか!?……という設問が核にあるが、私は、勅使川原氏が常に自問していると想われる、イメ―ジと偏角性までも孕んだ〈距離の問題〉も、本作に観て取ったのであった。……かつて私は拙作の作品―或る版画集に『ロ―マにおける僅か七ミリの受難』というタイトルを付けた事があったが、本作を観ながら、私は『僅か七ミリの距離を52分をかけて渡りきる試み』という設問を勅使川原氏に伝えたいという、妙な閃きに捕らわれたのであった。……凡庸な表現者であるならば、「そんなのはダンスの主題ではない」「ダンスを知らない者の戯言」と言って、ダンスの狭い概念に汲々として安逸な顔を見せるであろうが、もはやダンスの概念を越境している勅使川原氏ならば、この七ミリの僅かな距離が、遠大にして不到達な距離としてイメ―ジされ、そこに多層的な解釈が加わって艶までも呈するに違いないと私は思うのである。……敏感な人ならば、私のこの設問が、ジャコメッティのオブセッションに繋がっている事に気づかれたかもしれない。……とまれ、次の勅使川原氏の公演へと、もはや私の関心は跳んでいるのであるが、それは間近の今月17日から~25日にわたって早くも開催される事が用意されている。驚異的な速度である。……『マネキン・人形論』(ブル―ノシュルツ原作)。……その案内の葉書には「無限なき物質的生命の陶酔」と記されている。……こちらも、ぜひご覧になられる事をお薦めする次第である。……お問い合わせはKARAS APPARATUSまで。
川田喜久治『影の中の陰』
会場:PGI
東京都港区東麻布2―3―4 TKBビル3F
TEL:03―5114―7935
時間:11―19時(月~金)11~18時(土)
(日・祝日/休館)
*入場無料
勅使川原三郎『マネキン・人形論』
(ブル―ノシュルツ原作)
日時: 6月17 ,18,19,20,日/24,25日 20:00
6月22,23日 16:00〜
*受付開始:30分前、客席開場:10分前
料金:一般 予約 3,000円 当日3,500円
学生 2,000円 *予約・当日共
場所:東京都杉並区荻窪5―11―15
カラス・アパラタスB2ホ―ル
TEL03―6276―9136