月別アーカイブ: 11月 2022

『晩秋に書くエトセトラ』

……11月中旬はコロナ感染者の急増に加え、寒暖が入れ変わる日が続き、人はみな心身ともに疲れる毎日であったが、下旬になってそれらが少し落ち着いてきたようである。

……家路へと続く石畳や、庭の光が障子を通して白壁に映す綾な模様には風情さえ感じられ、今、季節はひとときの寂聴の韻に充ちている。

 

……内覧会のご招待状を頂いていたが、自分の個展と重なったために行けなかった展覧会が二つあった。DIC川村記念美術館の『マン・レイのオブジェ』展と、ア―ティゾン美術館の『パリ・オペラ座―響き合う芸術の殿堂』である。……個展が終わり、ようやく時間が取れたので出掛ける事にした。今回のマン・レイ展は、オブジェをメインにした展示である。マン・レイは写真、絵画、オブジェ…と表現者として幅が広いが、写真が圧倒的に評価が高いのに比べ、オブジェの評価はいささか落ちるものがある。数少ない友人の一人であったマルセル・デュシャンはマン・レイの機知に富んだ諧謔精神の良き理解者であったが、それを直に映した彼のオブジェはいわゆる美のカノン的なものから逸脱するものが多分にあり、故に難しい。私見であるが、マン・レイのオブジェの中で最も優れている作品は何か?と訊かれたら、私はア―ティゾン美術館が収蔵している天球儀をモチ―フとしたオブジェであると即答するが、はたしてそのオブジェも展示されていて、展示会場で群を抜いた光彩を放っていた。

 

 

 

 

マン・レイの会場を出ると、別室でジョゼフ・コ―ネルの作品が一点新たに収蔵されたのを記念した特別展が開催されていた。……拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊行)の中で書いたコ―ネルの章を読まれた方の多くは、私の書いた内容に戦慄と更なるコ―ネルへの興味を懐いた方が多いと聞くが、確かにコ―ネルは唯のノスタルジアの角度だけでは捕らえられない危うい謎を多分に秘めた人物である。……あれは何年前になるであろうか、ある日、川村美術館の学芸課長の鈴木尊志さんから連絡があり、コ―ネルと私の二人展が企画された事があった。その展覧会の主題が芸術における危うい領域への照射というものであり、打ち合わせの時に私が発した言葉「危うさの角度」に鈴木さんが着目し、展覧会のタイトルに決まった。直後に鈴木さんの勤務先美術館の移動(現・諸橋美術館理事)が俄に決まった為に展覧会は企画の時点で止まったが、実現しておれば別相の角度からのコ―ネルのオブジェや私のオブジェが放つ、ノスタルジアの裏の危うさの相が浮かび上がって、面白い切り口の展覧会になっていた事は間違いない。

 

 

……コ―ネルに関してはもう1つ話がある。今から30年以上前になるが、竹芝の「横田茂ギャラリ―」でジョゼフ・コ―ネル展が開催された事があった。……横田茂氏は日本にコ―ネルを紹介した第一人者で、当時、多くの美術館に入る前のコ―ネルの秀作が数多く展示されていた。私はコラ―ジュ作家の野中ユリさんと連れだってギャラリ―に行き作品を観ていた。……会場の中の一点、カシオペアを主題にした、実にマチエ―ルの美しい作品を観ていた時、ふと(この作品、実にいいなぁ)と思った瞬間があった。すると気が伝わったのか、画廊主の横田さんが現れて、私にその作品の購入を勧められたのであった。価格は確か500万円であったと記憶する。横にいる野中さんは(500万なんて安いわよ!北川君、買いなさいよ)と高い声で気軽に言う。私の知人でコ―ネルのコラ―ジュを300万円で購入した人がいたが、それから比べたら、というよりも、遥かに今、目の前に在るカシオペアの作品はコ―ネルの作品中でも秀作である。…500万円……、清水の舞台からもう少しで飛び降りる気持ちになったが、やはりやめる事にした。……私はルドンジャコメッティヴォルス……といった作品は数多くコレクションしているが、コ―ネルは何故か持つべき作家ではないと直感したのであった。……その後で、コ―ネルの評価は天井知らずに上がり、今、メディチ家の少年をモチ―フにした代表作のオブジェは6億円以上に高騰しており、察するに私が500万円での購入を断念した、あのカシオペアの作品は1億以上はなっていると思われる。しかし、それで善かったのである。

 

 

……ア―ティゾン美術館の展覧会はオペラ座の豪奢な歴史を表・裏の両面から体感できる凝った展示であった。しかし私が特に惹かれたのはマルセル・プル―ストの『失われた時を求めて』の第三篇「ゲルマントのほう」の直筆原稿が観れた事であった。……銅版画で私はプル―ストのイメ―ジが紡がれる過程を視覚化した作品を作っているので、その原稿に修正の線が引かれた箇所を視た時はむしょうに嬉しかった。

……ドガのバレエを主題にした油彩画の筆さばきにはその才をあらためて確認したが、マティスの風景画『コリウ―ル』に視る色彩の魔術的な様は、特に私の気を惹いた。「豪奢.静謐.逸楽」はマティスの美に対する信条であるが、私がマティスから受けた影響の最たるものは、この言葉であり、私はその言葉を自分が作品を作る際に課している。……それに常なる完成度の高さと、微量の毒を帯びた危うさ、……これが私が自身の作品に注いでいる全てである。……更に加えれば、表現者たる者としての精神の貴族性、それが加わるであろうか。美術館の別なコ―ナ―では、デュシャンのグリーンボックスやコ―ネルの函の作品が展示されていて、密度の濃い展覧会になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……さて、まもなく12月である。高島屋の個展が終わってまだ間もないが、早くも私は次なる表現に向けて加速的に動き出している。オブジェの制作に加えて、新たな鉄の表現、全く別な文脈から立ち上がった新たなオブジェの表現、……加えて、第二詩集の執筆、……等々。今年の冬はいつもよりも熱くなりそうである。

 

 

 

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『冬のいそぎ/…個展を終えて』

個展が終わった翌日の夜、見事な皆既月食と天王星食を視た。この二つの現象が同時に起こるのは442年ぶりというから1580年・天正8年の安土桃山時代(本能寺の変の2年前)。この年の信長は、石山本願寺、加賀、能登攻略戦の真っ最中。しかし知的好奇心が強い信長の事、間違いなく安土城の天守閣か戦場の野にいて、この天上の月が消えて赤く染まるという異変に強い興味を示したであろう事は、想像に難くない。……太陽と地球と月が一直線に列び、地球の影が投影して月が翳るという事を知る、今日の夢なき知識だけの時代と違い、何を想うてか、ともかく鋭い眼をぎらぎらさせて刺すように確かに視ていたように思われる。その信長の肖像画は20近くあるが、その中で最も似ているといわれる、宣教師ジョバンニ・ニコラオが画いた写実的な肖像画(織田家の菩提寺・三宝寺所蔵)を掲載しておこう。……次にこの現象が起きるのは322年後の2344年との事。……かつて無かった規模の自然界の崩壊と、人類による大惨事の嵐が去った後の全くの静寂の夜に、天上を観る人の姿などはこの地球には存在せず、僅かに咲く野の花に、朧な月影は何かを落としてでもいるのであろうか。

 

 

 

 

 

 

……個展の間は懸念していた台風もなく、連日晴天の3週間が無事に過ぎた。昨年もそうであったが、個展が始まる1ヶ月前辺りからコロナの感染者が次第に減り始め、故に来廊される方は多く、個展は盛況の内に終わったのであるが、今回も個展が終わるや正にその翌日から、感染者の数が急上昇を見せ始め、今月の20日頃はかなりの数に達しているように思われる。……個展が無事に終わった今想うのは、確かに私の運気は強く、何かのバリアにいつも守られているように思われて仕方がない。……思い出すのは3年前の3月初旬の事。……1月にこの国にも最初のコロナ感染者が出て以来、もの凄い勢いで全国的に感染が拡がって来た時に、富山のぎゃらり―図南で私の個展が開催された事があった。ほとんどの県は感染者が続々と出ていたが、何故か富山や山形はその時はまだ感染者がゼロであった。しかし、全国的に感染の包囲網が加速的に拡がり、富山にも明日か明後日に……と迫っているように思われた。私は初日に画廊を訪れ、画廊のオ―ナ―である川端さんご夫妻と再会し、翌日の夕方に横浜に戻った。その日、富山駅で列車に乗る前に私は強く「2週間の会期中は絶体に富山に感染者は出るな!!」と念じて、富山を去った。……連日、全国的に感染者が更に続出しているという危機の中、しかし富山はゼロの日が続き、私の念は効いているように思われた。……そして、2週間の個展の会期中は感染者ゼロが続き、会期が終わったまさに翌日、「会期中は出るな!」という私の念の有効力が閉じるように、富山に最初の感染者が出た時は、さすがに自分の念の強さは正に「陰陽師」並みだと思ったのであった。……川端さんには私が富山を去る時に「個展開催中は絶体に出るな!」と念じていた事をメールで伝えてあったので、それが叶った事を電話でお話したら、興味深く笑っておられたのを、今も懐かしく覚えている。

 

 

個展会期中の10月29日に韓国・ソウルの繁華街、梨泰院で156人が圧死したというニュ―スはリアルな事故として伝わって来た。なぜリアルかというと、あの事故と似た経験を昔、私も体験しているからである。……中学時代、学校の講堂で全校生徒が集まって何かの式典をやっていた時と記憶する。……式典が終わり、1つの狭い出口から生徒が次々と出る時に、前方と後ろから生徒が倒れでもしたのか、突然ねじれた人のうねる波が一斉に襲って来て、何層にも重なった耐えられない程の重さの生徒の山が出来、息が詰まる苦しさと痛さと叫び声の中、正に阿鼻叫喚と化したのであった。他人の体が予期しない凶器となり、叫びがいっそうのパニックと化すのである。……私が体験したそれは、韓国の事故の規模からすれば人数は遥かに少ないが、それでもその時の「死」を一瞬垣間見た恐怖は、今もトラウマとして残っているから、韓国のその現場の地獄絵図と化した様はリアルに想像出来るのである。……事故後、兎の長い耳を付けた数人が「押せ」「押せ」と言っていたのを聞いたという目撃談らしき話が出たが、政府と警察が事故の責任を散らす為の作られた談話とも思われる。ともあれ日常の中に「死」は、影を隠して潜んでいるのである。

 

 

……73点の新作オブジェの個展が終了した翌朝、私の頭の中は早くも切り替わって、次なる言葉による美の顕在化、……すなわち詩集の制作へと向かっているようである。……個展の最終日に画廊から戻った夜は、たまっていた疲れもあり、さすがに早く寝た。しかし、その翌朝、目覚めの時に、頭の中はひんやりとしていて、いつの間にか寝ている間に「水を包む話―ブル―ジュ」という言葉が立ち上がっていて、起きた時に、自分が既に詩集へと意識が向かっているのを実感した。……個展の会期中に出版者の人と画廊で詩集の打ち合わせをしたが、今はそこに集中する時である。第二詩集『自動人形の夜に』、言葉による新しい試みと挑戦が待っているのである。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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