月別アーカイブ: 12月 2019

「さらば2019年」

鹿児島の個展から戻ると何かと忙しい日々が待っていた。……しかし充電は必要と思い、今月の14日は三島由紀夫の代表作『サド侯爵夫人』(演出・鈴木忠志)を観に吉祥寺シアタ―を訪れた。この観劇に誘って頂いたのは日本語教育研究所の理事をされている春原憲一郎さんである。春原さんと初めてお会いしてから、もう何年が経つであろうか。……はじめは確か森岡書店での私の個展か、伴田良輔氏(作家・写真家)との二人展の時だったかと思うが、初めてお会いして直ぐに私は春原さんに対して、「旧知の懐かしい人にようやく出逢えた!」というなんとも熱い不思議な印象を抱き、以来その感覚は変わらずに、豊かなお付き合いは今も続いている。その春原さんは、演出家の鈴木忠志氏の作品をまだ20代の頃から観続けておられ、満を持しての今回の三島由紀夫『サド侯爵夫人』にお誘い頂いたのである。……三島由紀夫の才能の真骨頂は戯曲に尽きるのはもはや自明であるが、その中でも頂点を極めた『サド侯爵夫人』の台詞が持つ「言外の言」の心理描写とその鋭さは圧巻であり、あらためて、戯曲は目で読むものではなく、目と耳(聴覚)で生々しく体感するものである事を実感する。

 

 

 

 

……私たち表現者と、その作品というものが持つ宿命、すなわち淘汰について考えていた。すると私的な感想かもしれないが、私には20世紀の前半を牽引したピカソにもはやかつてのような鮮度や驚きを覚える事はなく、マチス、ダリ、エルンスト……、あのデュシャンさえも、時の経過と共にその澱に包まれ始めているような、そういう印象をふと抱いたのであった。まぁ、言い換えればそれが古典に入っていくという意味なのかもしれないが、否、しかし、という閃きが跳ねるように立って来た。いつまでもその作品群が褪せないばかりか、逆に今日に対して、鮮やかな深いポエジ―を放射している画家が一人だけいる事に気づいたのである。……それがポ―ル・クレーなのであった。クレーの作品は何回観ても、また画集を開いても、そこには初見の驚きと眼の至福感、そして懐かしい既視感があり、そしてそこには、他の画家には比べようもない馥郁たるポエジ―が私達をして、記憶の原初へと誘っていくのである。その秘密に迫るべく彼が遺した書簡集『クレーの手紙』を読んでいると、ある日、公演の開催を告げる1通の案内状がアトリエに届いた。両国シアタ―X公演 勅使川原三郎『忘れっぽい天使 ポ―ル・クレーの手』である。クレーが最晩年に到達した主題は「天使」であったが、その時、クレーの手は筋肉が硬直化して自由な線が描けないという状態にあった。またそこに追い打ちをかけるナチスの迫害。しかしクレーはそれを才能と意志の力を持って凌駕し、「線」というものが持ちうる最高な表現の高みへと飛翔し、奇跡的な達成をなし得たのであった。……勅使川原氏は、クレーの線が持つ生命力に背反をも含む二言論的なベクトルの妙を覚え、自らのダンスメソッドをそこに重ね見たものと思われる。私はさっそく勅使川原氏が主宰しているKARASの橋本さんに連絡して、指定の予約日を早々と入れていた。……それが三島由紀夫『サド侯爵夫人』を観た翌日、15日の公演の最終日であった。会場のシアタ―Xはかつての吉良邸の在った場所、しかもその日は吉良邸襲撃の悲願達成の翌日。会場内に入ると客席は満員、しかも熱心な若い世代の男女が目立つ。私の席は嬉しくも最前列のど真ん中である。……私は拝見していて、クレーの晩年に入り込んだというよりは、クレーを自らの方へ、勅使川原氏は逆に引き込んでいるな、という印象を強く持った。そこに勅使川原氏とクレ―との妙味ある合一を、重ね見た想いがしたのであった。…………美術史の近代の中で例を見れば、ゴヤは聴覚を失う事で、あの暗黒の「妄」が地獄の釜が開くように開示し、マチスは晩年に手の自由がきかなくなってから「切り絵」による更なる開眼を果たし、そしてクレーにも、あの平明にして、その実は悪魔的な両義性を孕んだ、逡巡と強い意志の力が瞬間で揉み合い、一気に迷路の中を疾走していく、あの独自な線への到達がある。…………。さてもアクシデントは時として、不思議としか言い様のない恩寵をもたらすのであろうか。

 

 

 

 

「亡妻よ聴け観世音寺の除夜の鐘」「時計みな合わせて除夜の鐘を待つ」「近づいてはるかなりけり除夜の鐘」………… ちなみに「除夜の鐘」を詠んだ俳句をタブレットで調べてみたら、予想を越えて数千以上の句が出て来て驚いた。いにしえより、この除夜の鐘を聴きながら、今年逝った近しき人を偲び、遠い昔日の両親や先祖を想い、来る年に切なくも小さな夢を託して来たのであろう。……とまれ、風の流れによる鐘の響きの違いで、私達の心情も揺れながら、生の哀しみや尊さをしみじみと除夜の鐘のあの響きは教えてくれるのである。……中国の宋の時代を起源とし、鎌倉時代の禅寺から始まったという、この深淵な除夜の鐘に対して、昨今俄に〈騒音〉と言い始めた近隣の住人が寺を相手に、除夜の鐘を止めるように裁判を起こし、裁判所は「防音装置を付けるように」と判決を下したものの、費用をどちらが負担するかということで、問題は白紙に戻っているという。馬鹿馬鹿しい限りである。また、実質は僅かな数に過ぎない「除夜の鐘を止めろ!」という連中の抗議をマスコミがまた馬鹿馬鹿しくも取り上げるから世間は拡がっていく社会現象のように錯覚し、つまらない広がりを見せている。……私に言わせれば、この裁判長はかなり頭が悪いと思えて仕方がない。防音装置などという馬鹿な出費を労さずとも、100円ショップで売っている「耳栓」を、その神経過敏な、風情、情緒、伝統の奥深さを解せない連中に渡し、そんなに耐えられないならば(しかし、何ゆえ今、突然言い出したのか!?)、鐘が鳴り終わるまでの、たった二時間くらい耳栓を突っ込んで布団を被って寝ていろ!!と判決を下す方が具体的に理にかなっていよう。……私は以前にスペインのバルセロナに留学した際に、恐らく深夜も騒音が凄いだろうと読んで、日本から「耳栓」を持って行ったのであるが、この読みがピタリと当たり、バルセロナの、日本人だけを留まらせるホテルで、私だけが安眠快適に毎晩過ごし、他の泊まり客から羨ましがられたのを今、懐かしく思い出している。……その、「除夜の鐘を廃止しろ!」と訴えた連中とピタリと重なる俳句があるので、ここに書こう。

 

「おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘」 山口青邨

 

 

……ことほど左様に、昨今の日本は、自我の確立が未熟なままに「個人情報」云々という張りぼてがヨロヨロと横行した辺りから、妙にギスギスした窮屈な国へと更に劣化の道をひた走っているように思われる。……今年の9月に列島を襲った猛烈な台風(もはやハリケ―ン)が残した爪痕の深さが癒えぬまま、おそらく来年は更なる凄みを増した台風や、或いはいよいよの地震が、この国を容赦なく砕き始める、そんな事態が待ち受けているように思われる。この事は実は誰もが感じている事ではあるが、そのような時に始まるオリンピックは、もはや幕末の「ええじゃないか」と同じ不気味な狂態の再来である。……ともあれ、かく言う私の言葉が杞憂に終わる事を今は乞い願うのみである。大晦日の夜は私が住んでいる横浜は、除夜の鐘と共に横浜港に停泊中の船が年越しの前後に一斉に汽笛を鳴らして誠に情緒深いものがあり、年越しのそれは、またとない楽しみなのである。…………1年間のご愛読に感謝しつつ、今年のメッセ―ジはひとまず今回で終わります。……年明けの2020年1月に、またお会いしましょう。どうぞ、よいお年をお迎え下さい。

 

 

 

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『桜島を見ながら考えた事』

個展で滞在中の鹿児島のホテルで、夜中にテレビを観ていたら、オリンピックというものに対する欧米人の生な意見が紹介されていて、なるほど!と思った。……彼等の意見の主たるものは「自分の知らない人間が自分より高く跳んでも、早く走っても、それについての関心はほとんど無い。それがどうした!?」というのである。個人の自覚が成熟している故のこの醒めた意見、ちなみに私も全く同感である。海外のオリンピック関連報道で熱く流されるのは、実は番組成立の為に一部の人間を誇張し構成して流しているにすぎず、その実質は冷やかに醒めているのが実態であり、オリンピックよりも、むしろ普段のサッカーや野球の方がまだ熱いらしい。……大河ドラマの『いだてん』が全く人気がなく、悲惨な低視聴率に陥っているのをみると、昔の東京オリンピック時と違い、この国の民もオリンピックなるものの裏の実態が浸透して見えて来て、「スポ―ツ」という名の裏側に貼り付く、ごく一部の企業や人間に利権が集中していくという金まみれの汚れ具合に辟易として来ているのかと思われる。……先だっての台風の被害に遭われた長野、福島……の未だ絶望的な状況にある人達、また地震の被災の爪痕が未だに残っている人達への復興支援金に、オリンピックや桜うんぬんの結局は膨大な湯水と変してしまう膨大な予算を使う方が、税金がまだいくらかは活かされるというものである。

 

 

 

 

……さて、鹿児島のレトロフトMuseoでの個展であるが、1週間の滞在中、画廊には、まるで会社の面接試験のように次々と人が来られて、かなり忙しい日々であった。私の名前は知っていても、遠方ゆえに作品を実際に観るのは初めてという方がけっこうおられて、2回目(3年ぶり)の今回の個展、実現して本当に良かったと思う。画廊の永井さんご夫妻も会場におられる事が多く、ご夫妻を通じて私はこの短い期間に、個性的な、いろいろな方と知り合う事が出来た。その中でも印象深いのは、編集者のH氏である。氏は、文芸誌『新潮』にかつて掲載された私の『停止する永遠の正午―カダケス』という、ダリ・ピカソ・デュシャンに纏わる、謎の多いカダケスという土地を主題にした美術紀行文を読んでいらい私に興味があったらしく、私の個展が地元の鹿児島で開催されるというのを知って楽しみに来られた由。さすがにH氏は編集者である。実に博識であり、私もまた話をしていて面白く、三時間ばかりを氏との尽きない話題の展開に終始した。……沢尻エリカがスペイン滞在時にカダケスにいたとやらで、カダケスの名を久しぶりにテレビで聴いたが、H氏にぜひそのカダケスに行かれる事をお薦めして私達は別れた。……また調香師のYさんという方が来られたので、私は、その香を炊いて嗅ぐと、死者が現れるという『反魂香』を実は長年探していると言うと、Yさんの眼が一瞬鋭く光った。「お主、反魂香の事を知っているのか!!」という、まるで京の朱雀門辺りで陰陽師同士が出逢ったような印象を私は持った。Yさんの言に拠ると『反魂香』は確かに実在するし、調合の秘伝の割合も知っているが、反魂香だけは、絶対に手を出してはいけない、云わば禁忌の香であるという。……私はますます興味が湧いて来たのであった。会いたい死者が現れるという、その『反魂香』。もし樋口一葉が現れるならば、私はぜひ、この禁忌なる香を入手したいものである。

 

……画廊のレトロフトは11時に開くので、その前の時間をみて、鹿児島市美術館に行き、念願だった香月泰男の名作『桜島』を観た。香月は実に絵が上手い。上手いという字より、巧いの方がむしろ合っていようか。(画像を掲載したのでご覧頂きたい)。……桜島を描いた画家は多いが、わけても黒田清輝の『噴火する桜島』のリアルな描写は秀逸であるが、香月泰男の『桜島』は、モダニズムの視点から見てもその上を行っていると私は思う。桜島に、今一つの象徴性が加わって、絵は観照としての深みを帯びて観る人に迫ってくるのである。「油彩画で画かれた水墨画」という形容をこの絵に賛した人がいるが、まぁ当たっているかと思う。画面下段、右側の桜島の煙の描写は嫌らしいまでに巧みであり、表現としての「殺し文句」を帯びてなおも深い。……また、画面左下の黒の描写と、描かない余白の釣り合いが絶妙で、私は他に観客のいない午前の部屋で、香月の画面と対峙しながら、その余白の幾つかの位置に指を重ねて、描いている時の香月の心境を重ね視た。それから画面上部の実に美しいマチエ―ルに、例えばゴヤの、砂に埋もれる犬を描いた名作『犬』の上部空間の実に密度の深いマチエ―ルを重ね視た。……ダリやルドンなどの西洋の作品も観ながら、およそ一時間ばかりを美術館で過ごし、隣接して在る「かごしま文学館」で開催中の向田邦子展を観た。以前のブログでも書いたが、或る深夜に、演出家で作家の盟友・久世光彦さんと向田さんは、この世に在る様々な死に方の名前をつらつらと思い浮かべて挙げるという言葉遊びにふけっていた。……最後に久世さんが向田さんに、「では君の望む死に方は何か!?」と問うと、向田さんはすかさず「爆死!!」と即答した。果たしてその通りに、数年後、直木賞受賞後の絶頂期に、台湾上空で、飛行機は原因不明の爆発を起こし、向田さんは7000m上空で一瞬で散った。……恐ろしくも、実に見事な予言である。……個展が終了した翌日、飛行機は夕方の便なので、朝早くにホテルからタクシ―に乗り、西南の役で西郷隆盛が入っていたという城山に現存する洞窟を見に行き、政府軍の総攻撃が始まった時にその洞窟を出て、更に下り、腹部に被弾した現場、西郷自刃の現場を経て、更に歩き、西郷隆盛ほか、薩摩軍の兵士達が眠る南洲墓地、そして、西南の役の資料が展示されている記念館を訪れた。……館長としばらくお話をして、疑問に思っている幾つかの歴史的な闇の不明点を尋ね、知りたかった疑問は氷解したのであった。……かくして8日間に渡る鹿児島の滞在は終わり、永井さんご夫妻をはじめ、様々な方とお会いした思い出を胸に、私は機上の人となり一路、東京へと帰ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『鹿児島―素晴らしきレトロフト』

……前回のブログで忠臣蔵(赤穂事件)の大石内蔵助について書いたが、先日その勢いで泉岳寺駅近くに住む友人宅を訪ねた折りに、近くにある、赤穂浪士47人の墓がある泉岳寺を訪れた。門を入った先にある墓は、沢山の参拝者が捧げる線香でもうもうと煙っている。しかしそれにしても沢山の参拝者の数である。だが、彼らの多くは墓参りだけを済ませて帰るが、実は泉岳寺の出口近くにある横道を入り、歩く事およそ5分。高松宮邸に沿って入り、左手にある公園の脇を入ると、そこが「大石良雄他十六人忠烈の碑」すなわち、47士が討ち入り後に四家の大名屋敷に分けられて身柄預かりとなり、その内、大石内蔵助(良雄)達16人が預けられた細川藩邸跡がそこであり、また、その場所で大石達が切腹した現場跡なのである。……先日、私は初めてその場所まで行く事にしたが、おそらく行っても、コンクリ―トの上に石の台座があり、そこにかつての「切腹現場跡」を示すプレ―トが彫られているくらいに思っており、まぁついでくらいのつもりで足を運んだのであるが行ってみて驚いた。……公園(かつての細川藩邸跡)内の一画にある、大石内蔵助達が切腹した場所は、彼らの背後に小さな池があり、その前で次々と十六人が切腹したのであるが、鉄柵で仕切られた20畳ばかりのその現場は、水こそ枯れているが、池跡や幾つかの巨石がそのままにあり、そこに湿った葉が繁茂していて、まさに彼らが数日前に目前で切腹したかのような凄惨な余韻を漂わせながら、武士道の鑑として細川藩が大事に(藩の誉れとして)現場跡をそのままに遺して320年もの間、時を潜りねけてなおも、彼らが確かに存在していた!という事実を今に遺しているのであった。曇り空の下、そこだけが更に暗く、赤穂事件と、吉良邸討ち入り、そして本懐の後の切腹斬首があったという事実を生々しく伝えており、私はそこにしばし釘付けになってしまったのであった。……泉岳寺を訪れたならば、そこから僅か5分で行ける大石内蔵助達の切腹した現場にも、ぜひ足を運ばれる事をお薦めしたいのである。

 

 

5日の午前10時に羽田を発ち、12時に鹿児島空港に着く。……空港で出迎えて頂いた永井明弘さんと3年ぶりの再会を果たす。永井さんは、鹿児島の個展会場であるレトロフトMuseoを奥様の永井友美恵さんと共同で運営されているオ―ナ―である。空港から車で鹿児島市内へと向かう。……永井さんによると、桜島はここ最近、度々噴火を繰り返しており、窓ガラスがかなり激しく揺れるのだという。その桜島が錦江湾の彼方に雄大な姿を見せて出迎えてくれる。車はやがて市内へ入り、市の中心地に在るレトロフトに着いた。画廊オ―ナ―の永井友美恵さんと再会を果たし、そのまま展示作業に入った。……展示は二時間くらいで終わり、その後で新聞社の文化部の方が来られて取材があったが、その頃には、まだ個展が始まる前日だというのに、個展の情報を知った人達が早くも画廊に入って来られたのは嬉しい手応えである。会場内で作品の写真を撮ると、窓の向こうにまた別なレトロな建物が映って、気配は1930年代のあたかも魔都上海を想わせる。それが私の作品世界の虚構性とリンクして夢の中に入っていくようで実に嬉しい。……さて私は、久しぶりに念願であったこのレトロフト内の探検に入った。築50年以上が経つレトロフトという、バリのモンパルナス辺りの気配にも似た、このまさにレトロモダンな建物の中は、あたかもピラネ―ジの描いた「牢獄」や、エッシャ―の迷宮的な建物に似て、掴みにくい複雑な構造をした建物で、その中に古書店やカフェ、また自然食の店、また別なカフェが複雑に店舗を構えており、その2階にギャラリ―が在り、その上の階からは40室ばかりが在り、イギリスで学んだという皮製品のデザイナ―のスタジオや、何故か烏賊の絵ばかりを描く女流画家……といった一部屋ごとに様々な人達が住んでいる、……不思議な建物なのである。さっそく、私は古書店で永井荷風の『断腸亭日乗・上下』(磯田光一編と、イギリスで刊行されたブリュ―ゲルの美しい画集を購入した。

 

 

 

 

さて、今回のレトロフトでの個展のタイトルは、『〈盗まれた会話―エステ荘の七つの秘密〉』であるが、このタイトルにはいつもとは異なる秘めた想いが在る。……オ―ナ―の永井明弘さんはミラノで庭園の設計を学ばれていた時に、やはりミラノでテキスタイルの勉強をされていた永井友美恵さんと出逢われたのであるが、昔、縁があって永井さんご夫妻とお会いした時に、私はその出逢いの運命的な話に惹かれ、そこに私のイタリア旅行時の様々な体験を重ねた重層的なイメ―ジが閃き、その舞台をあの謎めいた『エステ荘』に設定して、3年前に鹿児島での個展を開催したのであるが、今回の個展はその更なる展開であり、また永井さんご夫妻に献じたオマ―ジュ展の意味も強くあるのである。現実と虚構がかなり意識的に組み込まれた個展というのは私には珍しいものがあるが、その着想の独自性は、やはり、私の表現世界と入れ子状に交差する、このレトロフトの魅惑的な構造がかなり影響しているように思われる。……今日は個展の初日であるが、早くも多くの方が次々と来られ、また私の作品を以前から気になりながら、なかなか実際に観る機会のなかった人達が来られて、じっくりと熱心に観られているのを実際に見るというのは、作者冥利につきるものがあり、直に自信と確信に繋がっていくものがある。

 

……個展は11日で終わり、今年の作品発表は終了である。その今年最後のレトロフトでの個展。様々な想いを胸に、私の鹿児島での滞在はしばらく続くのである。

 

 

北川健次展

〈盗まれた会話―エステ荘の七つの秘密〉

会期: 12月6日~11日

時間:11時~19時(会期中無休)

場所:レトロフトMuseo

TEL:099―223―5066

〒892―0821 鹿児島市名山町2―1 レトロフト千歳ビル2F

(会期中・作家在廊)

 

 

 

 

 

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『老婆に生々しさを覚えた夜』

……今から数年前の或る夜の事。私はアトリエの近くにある図書館で『豊田佐吉』の伝記本を読んでいた。20時を過ぎていたので人の姿もまばらであった。…………豊田佐吉の挫けない、豊田式木製人力織機開発へのめげない努力。この根性、私も学ばねば……と胸に誓ったその時、いつから私の背後の席にいたのか、まるでゴヤの黒い絵の『妄』のシリ―ズにでも出て来そうな3人の老婆達の会話が突然聞こえて来た。いずれもダミ声の、何かが喉の奧に詰まったような低い声である。「気候が年々おかしくなり、人間同士の関係も何だか殺伐だよ~」「昔が良かった、ホント昔が良かったよ!!」……と会話が続いたその後であった。「こうなったら、あれだね。いっそ早く逝った方が逃げ得かもよ~」と1人の老婆が喋ったのと同時に、別の2人の老婆が「確かにね~!」と強く賛同し、その直後に弾けたようなダミ声の高笑いとなり、それが図書館の床を伝い這って、私の足下から背中に廻り、一気に首筋に回って、ぞぞ~っとした生々しい寒気を覚えたのであった。私が驚いたのは、老婆というものに抱いていたイメ―ジが、その時に崩れたからであった。老いの為に、この世を視る眼ももっとぼんやりと霞んでおり、世時の事も何もかも関心が薄くなり、ひたすら昔の懐古の事にばかり行っているものと思っていたのが、さにあらず、当然と言えば当然なまでに、老婆達もまた「今」を生々しく直視していたのであった。「逃げ得かぁ、まぁ確かにそういう見方もあり得るな」。……その時から数年が更に経ち、老婆達が語っていた気象は更に狂いを呈し、もはや愛でる四季の風情も私達の前から消え去ってしまった。恐らく、その時の老婆達も、あれから願い通りに逝ってしまったかと思われる。……「逃げ得」、……私の頭の中にその言葉だけが今もしっかりと残っているのである。

 

 

 

 

……少し遅きに失した感があるが、最近、スマホの危険性が漸く指摘されるようになって来た。確かに、電車に乗るとほとんどの乗客が、まるで位牌を手に持つようにスマホに眼がくぎ付けである。そのスマホへの異常とも映る画一的な熱中の様は明らかに異常な姿であり、それは脳の病める依存症の不気味な映しであるが、次々に飛び込んでくる情報(その殆んどが実は全く知る価値の無い)に遅れまいと、若者達は総じて、自分に似た、ボンヤリとした幻想の友をそこに求めて、切実なまでに繋がっていたいのであろう。ONを押せば、便利で、すぐに現れる内実の虚しい幻を求めて。更にはゲ―ムに没頭し、肩や眉間を歪ませてカチカチと指先を突き刺すその様は明らかに歪んだ神経症のそれである。……しかし若者の世代はもはや処置無しであり、パチンコや喫煙の底無しの沼と同じく、また環境破壊による自然界の容赦なき猛威が呼び起こす終末感とリンクして、ますますパラレルに重症化していくのは必至であるが、問題は、情けなくも若者達と同じようにスマホに集中している、頭が白くなり加齢臭さえ漂っているオヤジ達である。その姿は情けなさの窮まりであるが、私はこのオヤジ達が繋がろうと必死に指を突っついている、その先が何であるのかを、……ふと想う。……若者達が追うのは、合わせ鏡の所詮は覇気なき自分のコピ―のような映しであるが、問題はオヤジ達の繋がろうとしている、その先である。彼等が繋がろうとしているその先は、……ひょっとして、………………あの世か!????

 

 

晩秋になると、薄墨色で刷られた「喪中につき……」の葉書が届くこの頃は、夕暮れに閉ざされた哀しみの季節である。今年もまた私の大切な友が逝き、肉親も逝った。しかし、彼の世とこの世は一本の地続きと考えている私は、住所録や携帯電話に在る、彼ら逝った人達の名前も電話番号も消さないでいる。ふと何かの間違いでかかって来るのではないか、或いは試しに電話をすると、何かの弾みで彼らと声が繋がるのではないか……そういう想いが私にはあるのである。……だからその内、私の携帯電話の記録は、生者の数を越えて、死者達の名前でいっぱいになるであろう。

 

 

死を目前に迎えた時、殆んどの人が恐怖や絶望感、或いは不条理感を覚えるのは致し方のない事かと思われる。そして死には、晩秋の風が落葉を吹き散らしていくような哀しみが付きまとう。……さて、では、死を目前に迎えて、そこに凛と飛び込んで哀しみの欠片もなく、堂々と逝った人物はいなかったかと、歴史の中に追ってみると何人かの名前が浮かんで来た。……その筆頭に先ず浮かんだのは、光秀の謀叛にあって本能寺で死んだ織田信長である。予期しなかった光秀の謀叛に遭い、天下統一を目前にしてさぞや無念……と想うのは凡人のひ弱な想像であり、この非凡にして、中世の扉を押し開いた稀人は、「是非も無し!!」の言葉を残して燃え盛る炎の中に鮮やかに消えた。この信長は、来世や輪廻など無く、生は一回限りであると断じ、無神論そのままに激烈に生きた男である。……そして今一人は、ご存じ大石内蔵助である。「あら楽(たのし)や/思いは果つる/身は捨つる/浮世の月に/かかる雲なし」……吉良の首を討って本懐を遂げ、真の目的である幕府に刃の切っ先を突き付けて判断の窮地に追い込んだ大石が詠んだ辞世の句は、後世への意地もあるかと思うが、その表に於いて実に清々しいものがある。……そして幕末から明治にかけて大業を果たした勝麟太郎。この鋭い慧眼の男が、死の床において語った人生最後の言葉をご存知であろうか?……驚くなかれ、「これで、おしまい!」がそれであり、最後まで人をくっていて面白い。勝は十代の若年時から向島の寺で禅の修行に入り、自分という存在に対する執着を脱け出し、来るべき死に対して超然とする腹が座っていた。……織田信長、大石内蔵助、そして勝麟太郎(海舟)。……この三人に共通するのは、自分が運命として与えられた、苛烈にして非凡な人生に於いて果たし得た達成感が、それであるかと思う。達成感、……人生の最期に於いて、その心境に入れる者はまさに稀人である。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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