月別アーカイブ: 7月 2013

『プラトリーノの遠い夏』

曇っているが蒸し暑い。じめじめした不快な夏が続いている。こういう時は、カラッと晴れた事を書こう。イタリアの七月の遠い日の事を書こう。

 

澁澤龍彦の『滞欧日記』(河出書房)を開くと、1981年7月15日の日付のある日には次のような一文がある。「・・・プラトリーノ荘の場所を万知子に聞いてもらったら、直ぐわかったので、さっそく車で行く。ボローニャ方面へ行く道で、山道にさしかかる。いい所だ。道にPratolinoの標識あり。道の右側に大きな門。運転手が番人を呼んで説明するが駄目らしい。チップを渡そうとしたが受け取らない。どうにも仕方がない。門だけ開けてくれて、ここから500メートルほど行ったところに巨像があるという。塀のくずれたところから広大な庭を覗き込むが、巨像らしきものは見えない。おそらく鬱蒼たる杉の林の中に隠れているのであろう。坂斉君の望遠レンズでのぞいてみたが、やはり見えない。・・・・・」

 

ここで澁澤が書いているプラトリーノ荘とは、フィレンツェの北方12キロほどにある旧メディチ家の別荘の一つ(20近くあった内の)である。そこに在る巨像とは「アベニンの巨人像」の事であり、イタリア半島の脊梁ともいうべきアベニン山脈を巨人に見立てたもの。ちなみにかのミケランジェロのイメージの中に巨人幻想のイメージがあるが、それはこの像を彼が見た事に拠るという。おそらく澁澤が訪れた日は閉園日であったのであろう。

 

私がそこを訪れたのは、澁澤の時から丁度10年後の奇しくも同じ7月15日の午後であった。広大な庭の中にメディチ家の壮麗な館が在り、杉林の中を行くと、やがて、とてつもなく大きな巨人像が見えて来た。しかし途中から立入り禁止の不粋な柵があり、2、30人ほどの観光客がうらめしげに巨人像を遠望している。見ると、巡察のパトカーが近くにあり、銃を持った二人の警官がまさに乗り込むところであった。ものものしい雰囲気の中、パトカーがゆっくりと動き始めた。人々がそれを目で追っている。私は柵の所から人々と同じように巨人像を眺めていたが、頭にふと閃くものがあった。(・・・今、パトカーが去って行ったという事は、・・・おそらくは30分間くらいはこの広大な敷地の中を巡るのであろう。・・・と、すれば、今こそはまさに好機ではあるまいか!!)

 

私は意を決して柵を乗り越え、その巨人像を目指して歩き始めた。背後に人々の驚きの声が聞こえるが、もはやそれは私の意の外である。真下に来て像を仰ぎ見ると、思った以上の大きさ、身震いする程の威圧感が私に降り注いでくる。500年以上前に作られたこの強度なイマジネーション。像の台座となっている巨岩の背後に廻ると、そこに小さな洞があった。察するに、かつてその暗がりの中に小舟を浮かべたルネサンスの貴婦人たちが恋人たちと共にそこから眼前の大きな池へと、優雅に滑り出して行ったのであろう。私はその暗い洞へと入った。するとひんやりとした冷気が私を包み、私は彼らと同化するようにして、ルネサンスの時の中へと遊ぶ想いがしたのであった。そこには不思議な気をもった風が吹いていた。

 

館の中を巡り、私は杉の林立する庭を歩いた。すると草むらの中に一枚のカードが落ちているのが目に入った。拾い上げると、真っ赤な色でAの文字が刷られている。その瞬間、まさに一瞬で作品のインスピレーションが立ち上がった。そして私は、その作品(オブジェ)に、その時から400年以上も前にこの場所を初めて訪れた日本人ー 天正遺欧使節と呼ばれた四人の少年たちのイメージを注ぎ入れようと思った。少年たちの名は、伊東マンショ千々石ミゲル中浦ジュリアン原マルチノ。そう、後に悲劇が彼らに待ち受けている事も知らずに、かつてこの地の全ての光景に目を輝かせた無垢な魂にフォルムを与えようと思った。そして、そこに今一人の少年である私を加え、その時間の時の長さの中にポエジーを入れようと、その場でたちまち閃いたのであった。タイトルは『プラトリーノの計測される幼年』にしよう。そしてイメージの立ち上げの初めに先ずは、このAの文字の記されたカードを、そのオブジェに入れようと思った。その夏の日から半年後に私は帰国して、その時の閃きのままにオブジェを作った。その作品は、今は福井県立美術館の収蔵となっている。

 

暑い夏が訪れる度に、私はそのプラトリーノの夏を思い出す。そして、まるで導きの恩寵のように、何故か場違いな場所に落ちていたAの文字の記されたカードの不思議について、私は遠い感慨に耽るのである。

 

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『中延の消える家』

以前のメッセージでも書いた事があるが、〈浅草仁丹塔〉の話や、映画「ツィゴイネルワイゼン」の舞台となった、鎌倉と逗子の間にあった〈湘南サナトリウム〉での不思議な幻視体験など、私は〈建物〉にまつわる奇妙な体験が何故か多い。最近もそれに続く出来事があったので、それについて書こうと思う。

 

話は一年ばかり前になるが、夏の夕刻に東京の大井町線の電車に乗って、私は或る画廊に行く用があり、中延という駅で乗り変えるために降りる準備をしていた。すると駅の手前に差し掛かった時に、車窓の彼方に、何とも云い難い趣をした建物が、他の家々よりも一層の高みをもって突然現れたのであった。それは東京の下町にはおよそ不釣り合いな、例えるならば大正ロマン期の高楼、いやそれよりはプラハの裏町にでもありそうな、つまりはあまりに場違いな造りで、電車の向こう、1kmくらいの先に見えたのである。私は強い好奇心を覚え、中延の駅の改札を出ると、その家の在る方向へと見当をつけて歩きはじめた。商店街を抜けて、さらに家の方へと向かう。しかし、不思議な事に歩き始めて10分以上が経っているというのに、その家の姿は全く見えず、唯ただ、ごくありふれた家々の並びだけが先まで続いているのであった。他よりも高い建物だから当然もう視野に入るべき距離に来ているというのに、その建物は煙にかき消えたように、一切の視野から消え去ってしまったのである。幻覚でも見たのか!?・・・しかし納得のいかないままに、私はしぶしぶ来た道を戻り駅に引き返した。

 

それから数ヶ月が経ち、私はまったく同じ体験をする事となった。私は友人が個展をしているその画廊へと向かう時、やはり中延駅の手前で、再びその家が忽然と現れ、私は先と同じ事となる羽目となった。つまり、その家はまたしても姿を消してしまったのである。まるで追えば消える逃げ水のように、あるいは蜃気楼のように、さらに云えば好奇心の強い私を嘲笑うかのように建物は私を翻弄するのである。「・・・疲れているのかな」そう思いながら私は再び駅へと戻った。しかしその日は先のような夕刻と違い、真昼時であった。私は画廊の帰りに逆コースを取り確認のために中延駅から電車に乗った。しかし、不思議な事が起きた。私は車窓からその家を求めたが、そこに在るべき家などは全く何も無く、唯ありふれた街並が見えるだけで風景は流れていった。・・・まるでカフカの小説「城」のようだな。私はそう思いながら家路へと着いた。そして大井町線を使う機会のないままに1年が過ぎた。

 

梅雨が去って猛暑の夏が到来した或る日の夕刻に東京の下町で事件が発生し、それはニュースとなってテレビで中継された。私はそれを友人宅でたまたま見ていた。JR西大井駅から西へ500mばかり先にあるメッキ工場の社長が泥棒と鉢合わせして刃物で刺され重傷を負ったらしい。テレビには、現場に駆けつけた警官や住民たちの姿が映り騒然となった光景がリアルタイムで映し出されている。その画面を見るともなく見ていた私は、或る物を見て思わず声を上げてしまった。それと同時に、一緒に見ていた友人もまた、「・・・何だ!?あの奇妙な建物は・・・」という声を発したのであった。私たちが注視したのは、画面手前の警官や人々ではなく、その背景の家々の向こうに映った或る建物であった。それこそはまさしく、かつて私を誘いながらも煙のように掻き消えたあの建物と同じ姿なのであった。しかし半信半疑のままにいる私をよそに、テレビは次の報道へと変わってしまった。私は正直少し怖くなってきた。「・・・何をしているんだ!!何故、私を探しに来ないのだ・・・!!」あの建物がまるで意思を持った何ものかのように、私をさらに誘いこんでいる。しかも、今度は車窓からではなく、テレビの電波を通してまで・・・。しかし、それが幻覚でない事は、一緒に見た友人が今確かにおり、しかも彼自身もまた、その建物の異様な造りに興味を覚えているのである。私はその場で友人にかつての体験を手短かに話した。しかし、はたして本当に同じ建物であるのか!?私と友人はパソコンに地図を映し出し、詰めを行った。JR西大井駅から西へと順に流していくと、すぐに中延駅が現れた。やはり間違いない。かつて私をして翻弄した、あの建物である事に間違いない。

 

私はその場で、友人のパソコンのグーグルマップで上空から家々をなぞっていき、その家を追った。・・・しかし不思議としか云いようのない体験を私たちはする事になる。つまり、私たちはそれほど高くない視点から、それこそしらみつぶしに家々をなぞっていったのであるが、遂にあの、現代からタイムスリップしたような異形な高楼の建物は、パソコン上にその姿を現す事は無かったのである。

 

同じ建物内で、時を経て殺人事件が再び起きる事があるという話を聞いた事があるが、建物にもやはり「気」と云おうか、「意思」と云おうか、・・・つまりは有機的な何ものかの宿りとでもいうものがあるのであろうか。ならばあの建物が私に対してみせる執拗なアピールは果たして何であるのだろうか。そしてそれを確かに受け取ってしまう私のその心の映しとは・・・何なのであろうか!?ともあれ私は未だ・・・大井町線に乗ってはいない。しかし、近々に再び乗って、「中延駅」へと向かう事だけは確かなようである。

 

 

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『福井へ ー 貴重な体験の旅』

2011年の秋に福井県立美術館で開催した個展以来、1年半ぶりに福井を訪れた。福井から車で40分ばかり行くと、昔日の良き面影を残す勝山市がある。そこに住まわれているコレクターの荒井由泰さん宅を訪れて、荒井さんが所有されている700点近い膨大な数の版画コレクションの中から、現在企画が進んでいる或る展覧会の為にお借りする作品を選ぶのが、今回の旅の目的なのである。荒井さんは数多くいるコレクターの中でも突出した鋭い感性を持つ炯眼(けいがん)の人である。そのコレクションはそのまま日本版画史にとどまらず、近代の西洋版画史の正統を映している。私の作品も50点以上持っておられるから、身近な心強い存在でもある。ちなみに画家のバルチュスとも親交があり、バルチュスも来日した際に勝山の荒井さん宅を訪れている。

 

私はコレクションの中から、じっくりと時間をかけて、ルドン駒井哲郎・サルタン他を選んだ。又、今回訪れた成果として、私の恩地孝四郎への認識が高まった事は、望外の収穫であった。恩地は版画に留まらず、美術における実験的なパイオニア精神の先駆者である。版画・詩・写真・評論と云った多角的な表現活動、・・・・思えばいま私が挑んでいる姿勢を、恩地は先人として生きたのであった。荒井さんの、それも実に深い恩地に対する眼差しから収集されたコレクションの膨大な作品を見て、私は教わる事が大であった。

 

夕刻に荒井さんのご好意で福井県立美術館まで車で送って頂いた。現在開催中の『ミケランジェロ』展(8月25日まで)を見るためである。この展覧会はこの後、上野の西洋美術館へと巡回するが、私はこれを見るのを楽しみにしていたのである。それが幸運にも時期が重なったのであった。昨年の秋に日本橋の高島屋で個展を開催していた折、芹川貞夫さん(当時・福井県立美術館館長)が来られた。『ミケランジェロ』展の開催の為に、フィレンツェにあるカーサ・ブオナローティ(ミケランジェロの館)を訪れ、ここに保存されている作品を選別して戻って来られる途次あった。芹川さんの選別ならば、かなり良質の展覧会になるであろう事を予感していた。

 

しかし会場に入って私は驚いた。普通、昨今の美術館の展示では、目玉作品を数点だけ集中して展示し、残りは同時代の画家の凡作を並べるのが多い。フェルメール展、ダ・ヴィンチ展しかり。しかし、会場に展示されている作品のことごとくが、ミケランジェロの作であり、わけても驚いたのは、カーサ・ブオナローティの秘宝であり、ルネサンスの一つの極でもある『レダの頭部の習作』が展示されていた事であった。私の予想を超える充実した内容である。私はかつて大英博物館の「素描研究室」に研究員の名目で入れてもらった折、ミケランジェロの素描を百点近く、直接見せてもらった体験があるが、ミケランジェロの素描の頂点と云っていい『レダの頭部の習作』は見れなかったが、遂にそれが果たせたのである。又、14歳頃に彫った『階段の聖母』、そして『天地創造』『最後の審判』他の凄まじい構想を示す数多の素描が展示されていて私を驚かせた。そして最後に、ほとんどの画集に載っていない、ミケランジェロ晩年の実に小さな木彫が展示されており、私の目を惹いた。この展示を見た後で、私の意見を聞くために待っていた新聞社のA氏と、学芸員室でその作品の主題について、興味深いミステリアスな推理をし合った。大阪の大学の研究者は、「奴隷」ではないかと云うが、私はそれが晩年の作であるところから、「磔刑」か「ピエタ」の説を語った。頭部のずり落ちたような傾きは、死によって筋肉を支える力を失くした様態のそれである。「奴隷」のような力はもはやここにはない。晩年に彼が執着した未完成作「ロンダニーニのピエタ」への伏線を私はそこに見る。しかし、それにしてもこの木彫は、今後もっと研究されるに値する質の物であると思った。ともあれ、現在、日本の美術館で開催されている展覧会としては最高にレベルの高いのがこの「ミケランジェロ」展であると思う。この質の内容は今後、実現がおそらく不可能なものであろう。美術ファンの方は必見の見応えのある展覧会である事を、私は確信を持って申し添えておこう。

 

夜、足羽川河畔にある常宿の旅館に泊まった。最上階の温泉の窓からは、秀吉が柴田勝家を攻める時に陣を張った、小高い足羽山が見える。その中腹には私の遠い親戚にあたるらしい橘曙覧(江戸末期の歌人)の資料館があり、麓には、女装して女風呂に入って捕まってしまった中学時代の友人Fの家が見える。デュシャンに心酔していたというFは、今どうしているのだろうか・・・・。目を左に転ずると幕末の横井小楠や由利公正の旧居跡があり、暗殺される10日前にこの足羽川を舟で渡った坂本龍馬の面影が立ち上がる。そして何より、自分の子供の頃からの様々な思い出が蘇る。さぁ、明日は東京の美術館の学芸員の方と合流して再び荒井さん宅を訪れるのである。秀れた先達の作家の作品を直接見れるという体験は、貴重な何よりの充電なのである。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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