月別アーカイブ: 6月 2022

『オ―ラは存在しない!…の巻』

……俳聖の松尾芭蕉と、俳人にして優れた画家でもあった与謝蕪村。この両者の違いをわかりやすく喩えると、蕪村は宝くじ(当時は富くじ)を買うが、芭蕉はおよそ買いそうにない、……そんなイメ―ジの別け方もざっくりだが出来るかと思う。

蕪村の弟子の記録によると、実際、蕪村は富くじを度々買っていたようである。別に蕪村のひそみに倣うわけではないが、私も時々宝くじを買っている。昔のブログに書いたが、ある時は10万円が当たって喜んだが、その後は晩秋に吹く木枯しの如し。まぁ遊び半分であったが、ある時、どうにも切羽詰まって買わざるをえない時があった。……美術作品の制作を止めて、10ケ月近くをモナリザに関する原稿執筆に専念した為に、収入がゼロ。背水の陣で書いていた時に、「JR浅草橋駅」高架下の宝くじ売り場(実際の画像掲載)、あすこの老人夫婦が販売している売り場が何故かよく当たる!と友人に勧められ、半信半疑ながら何かを託すような気持ちでわざわざ買いに行った事があった。

 

 

その宝くじ売り場の前に立って、私は自分の目を疑った。中にいる福々しい笑顔をした老人夫婦から、いわゆるオ―ラのような放射する光が出ており、あたかも恵比寿天と弁財天の化身のようにも見え、私は「どうしてもっと早くこの売り場に来なかったのか」と悔いたのであった。そして宝くじを買った。

 

……この段で、読者諸兄が予想された通り、宝くじはしばらくして只の紙屑と消えた。……数ヵ月が経ったある日、たまたま浅草橋に用事があり、件の宝くじ売り場の前を通った。すると、見覚えのある、あの時の老夫婦が夕暮れの中を帰っていくところに出くわしたのであった。……見て驚いた。かつて覚えた七福神の如き華やいだ面影はまるでなく、喩えると、サ―カスの老いた道化師、いや、酒場を渡りいく売れない流しの老夫婦のような哀愁を帯びてさえ見えたのであった。

 

 

……その瞬間、私は気がついた。……あの時に見たオ―ラは、彼等が現象として放っていたのではなく、私の願望や欲、強い想いが彼等をして、眩しいばかりの光となって見えたにすぎないのだと。もし彼等がオ―ラなる艶々しい光を現象的に、蛍火のように放っていたならば、あの浅草橋の高架下にいた人々全員にそう見えた筈である。しかし、あの時に覚えた七福神の如きオ―ラは、私以外誰にも見えなかったに違いない、完全なる私の主観の一人称的な映り、私の期待が放って反って来た、脳内にしか映らない光(要するに高揚感)だったのだと。………………

 

 

およそ1年を要して書いたモナリザに関する原稿は、以前に文芸誌の『新潮』に掲載された2編と共に1冊の本になり、新潮社から刊行された。美術書としては異例の増刷となり、私は墜落を免れて再び離陸する想いで美術の制作に戻っていった。……このような事は、そう云えば以前にもあった事を私は今、このブログを書いていて思い出した。……あれはまだ私が美大の学生の頃であった。東京・自由が丘の中華飯店で食事をしている時、背後から聴いた事のあるかん高い声が聞こえて来た。「ひょっとして……長嶋か!?」そう思って振り向くと、果たして長嶋、王、張本……といった巨人軍の主力メンバ―が会食の最中であった。……かつて野球少年であった私の募った想いが蘇りのように映されて、長嶋、王の二人がありありと光って見えたのを今、思い出した。

 

 

……かくして私は思う。私達が見ている三次元のこの空間に映る万象も、誰にとっても絶対的に同じ映りではなく、私達の主観、資質、その時の心情……といった内面の相違によって、実は様々に違って見えているのだと。それがある人には高揚して映り、関心のない人には褪せた凡庸な物として映る。……観劇もしかり、映画鑑賞、絵画鑑賞もまたしかり。ゴッホの絵を例に引けば、ゴッホの作品と人生に関心のある人には『向日葵』に様々な深い見立てさえ映り、ゴッホに関心のない人には、強すぎる主張の強い絵として辟易として映り、また絵画を投資の対象、マネ―ゲ―ムにしか見えない連中には、変動する株価のように金の代替物にしか見えないのと同じ理窟である。

 

 

……私達が共有感覚として持っていると思っている世界とは、つまりは各々が紡いだ異なる映しであり、結論を急げば、私達は遂には、内なる感性から一歩も皮膚の外に出る事は出来ないのである。……万象は幻の如しと書いて、次回は、浅草凌雲閣へと舞台が移ります。……乞うご期待。

 

 

 

 

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『なぜツルゲ―ネフでなければならないのか』

6月に入ると梅雨があるのでアトリエに籠りがちになるせいか、制作の速度が一気に加速するようだ。『サディの薔薇』、『NANCYの小さな矢印のある二つの門』……といったふうにタイトルが次々に浮かび、イメ―ジが日々新たに浮かんでくるのに、その実作の物理的な速度がそれに追いつかない…といった感じで、ともかく新しいオブジェが次々に誕生している。……しかしそんな中、では出歩かないかというと、けっこう出掛けてもいる。最近は毎週、多摩美大に行って喋っている。

 

喋りといえば、美術大学や美術館でけっこう連続的に喋っていた時期があった。……思い出すままに書くと、多摩美大・武蔵野美大・女子美大・名古屋芸大・立命館大学・京都精華大・國學院大・玉川大・北海道教育大・福島大……、美術館では横浜市美術館・福井県立美術館・宮城県立美術館・福山美術館・高崎市美術館……etc。また与謝蕪村の研究セミナ―から喚ばれて宇都宮で研究者達を相手に講演をした事もあった。……作品から作者もまた寡黙に思われがちらしいが、本人は真逆で、常々考えている事を確認する意味もあってか、よく喋る方だと思う。

 

今、喋っているのは多摩美大の演劇舞踊デザイン学科。……数年前に話が来た時は遠くの八王子校舎だと思い断っていたが、よく訊いてみると世田谷の上野毛校舎だという。上野毛ならアトリエから近いので引き受けた次第。……特別講義の題が必要だというので『二次元における身体論』という題にした。二次元における身体論、……いささか捻っているみたいだが、要は文芸に力点を置いた、イメ―ジの装置としての「言葉」の効用の事である。……学生相手に喋る面白さもあるが、「当世書生気質」ならぬ「当世若年者気質」、つまりネット社会の落とし子達の実態が肌でわかるので、近未来の姿がうっすらと、いや、ありありと見えて来て、その縮図がリアルに視えてくる。……喋る前日に講義の事前準備は一切しない。また参考書や資料なども持っていかず、いつも手ぶらの軽装で行く。講義時間は約三時間半。

 

私の話は学生に「未だ足らざる」を実感で伝える事。だから、例えば先日やった内容は、短歌の春日井建、寺山修司、石川啄木、そして源実朝の和歌から実作を選び出し、その文中の一番要の言葉を○○○にして隠し、学生達に作者になったつもりで言葉を捻り出させるという内容である。かくして、その日の講義のタイトルは題して『なぜツルゲ―ネフでなければならないのか』。美大の助手の方から、その時の問題用紙をサイトに送って頂いたので、参考までに以下に掲載しよう。

 

 

 

令和4年5月19日 北川健次先生 特別講義

『第一回『なぜツルゲーネフでなければならないのか』

 

●春日井建 歌集『未青年』より

・大空の斬首ののちの静もりか没ちし〇〇がのこすむらさき

・われよりも熱き血の子は許しがたく〇〇〇を妬みて見おり

・両の眼に針刺して◯を放ちやるきみを受刑に送るかたみに

 

 

●寺山修司 歌集『田園に死す』より

・新しき〇〇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥

・売りにゆく〇〇〇がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

・たった一つの嫁入道具の仏壇を〇〇のうつるまで磨くなり

 

 

●石川啄木の歌集より

・そのむかし秀才の名の高かりし友◯にあり秋風の吹く

・死にたくはないかと言へばこれ見よと〇〇の◯を見せし女かな

・〇〇の夜のにぎはひにまぎれ入りまぎれ出で来しさびしき心

 

 

●源実朝の和歌より

・大海の磯もとどろに寄する波わけてくだけて〇〇〇〇〇〇〇

 

 

読者諸氏は、空白の○○○にどういう言葉を入れられたであろうか。
とりあえず正解は…………………………↓

 

 

春日井建

1.大空の/斬首ののちの/静もりか/没ちし日輪が/のこすむらさき

2.われよりも/熱き血の子は/許しがたく/少年院を/妬みて見おり

3.両の眼に/針刺して/魚を放ちやる/きみを受刑に/送るかたみに

 

寺山修司

1. 新しき/仏壇買ひに/行きしまま/行方不明の/おとうとと鳥

2.売りにゆく/柱時計が/ふいに鳴る/横抱きにして/枯野ゆくとき

3. たった一つの/嫁入道具の/仏壇を/義眼のうつるまで/磨くなり

 

石川啄木

1.そのむかし/秀才の名の/高かりし/友牢にあり/秋風の吹く

2.死にたくは/ないかと言へば/これ見よと/喉の疵を/見せし女かな

3.浅草の/夜のにぎはひに/まぎれ入り/まぎれ出で来し/さびしき心

 

源実朝

1.大海の/磯もとどろに/寄する波/わけてくだけて/さけて散るかも

 

 

 

…………………………以上である。
時代を越えて、名作とは、単に言葉が美しいだけでなく、実にイマジネ―ションに毒があり、危うさがあり、一言で言えば美とは形而上的犯罪と言っていいものがある事に、あらためて気づかされる。想像が紡いだ犯罪遺文、そう言ってもいいかもしれない。……俳句は、禅的な視点で世界を、宇宙を凝縮してつかみとって詠む為に、もっと大きいものがあるが、短歌や和歌の31文字は凝縮と拡散の相反するベクトルがミステリアスなまでに重なってあるので、そのままに二次元の身体学という話に使いやすいのである。

 

……しかし、最近つくづく思う事は、スマホなどの出現で、年々、若い世代の人達の語彙が少なくなって来ている事である。言葉を知らない事を恥じるでもなく、スマホがそこにあれば、彼、彼女達の脳もまた頭を離れてそこ➡スマホの中に在るので心配はご無用、そういった傾向(もはや症状)が加速的に蔓延している感がある。……言葉を知らない、故に思いを伝えられない。喋れない、……だから黙る、だから未熟なままに年を経る。

 

 

……言葉を知らない人間が増えている原因は幾つかあるが、辞書や教科書からルビ(振り仮名)が消えた事は大きい。……芥川龍之介三島由紀夫には一つの面白い共通点があった。それは幼い時の愛読書が辞書であった事である。しかもルビ付きの善き時代。もともと知能が研ぎ澄ましたように高いところに、辞書で毎日のように語彙が増えていき、悪魔的なまでに彼らは言葉の魔術師となっていった。……言葉だけに限らず、昨今の世の便利さはますます退化を促し、情緒は言霊から離れてカサカサの空無と化し、そのとどまるところを知らない。…………アトリエを出て時々外で喋っていると、その事を強く感じる事が本当に多くなった。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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