月別アーカイブ: 8月 2017

『ジャコメッティVS切り裂きジャック』PART③ 

前回の続き。……ロンドンのイ―ストエンド地区は、旅行ガイドブックには載っていない、今もなお不穏な気配のする危険区域である。ロンドン塔からさらに東に行ったその先が、5件の売春婦連続殺人事件の5つの現場がある地域―ホワイトチャペル界隈である。犯人の切り裂きジャックの事件と同時期に、デビット・リンチの映画『エレファントマン』の実際のモデルとなった人物―ジョゼフ・メリックもまた、このホワイトチャペルにある興行小屋で異形な見せ物として、観衆の好奇な視線に晒されていた。……つまり、そのエレファントマンを観る観衆の中に、切り裂きジャックが紛れ込んで観ていた可能性は充分にあるのである。……さて、事件から103年が経った1991年の夏の或る昼下がり、私は仁賀克雄氏の著書『ロンドンの恐怖・切り裂きジャックとその時代』(早川書房刊)1冊を持って、5件の現場全てを見て回っていた。最後の犠牲者となった売春婦メアリー・ジェ―ンは、「間違いなく次は私の番だわ!」と言い残してパブを出て数時間後に予言どおりに殺された。その彼女が最後に入ったパブに入り、私もまた喉を潤したが、出されたビ―ルは生温く、半分だけ飲んで、最後の現場―彼女の自宅跡のあるミラ―ズコ―トへと歩を進めたのであった。

 

〈切り裂きジャック〉という名前は、犯人が自らつけた名前である。びっくり箱の事をJack in the boxと言うが、深夜に闇の中からまさに突然ナイフを持って躍り出てくる犯人には、まさしくピッタリのネ―ミングかと思われる。……さて、ジャコメッティに話を戻すと、ここに、売春婦の喉を切り裂く犯人〈切り裂きジャック〉の行為と重なる異形なオブジェがジャコメッティに在るから面白い。『Woman with Her Throat Cut』(喉を切り裂かれた女)。画像を掲載したが、極めておぞましい戦慄きわまりない、この作品。見た瞬間に、喉を掻き切られたような触覚的な恐怖感覚に誰しもが襲われる。……このような加虐的なオブジェを作っていた前期は、父親の死を契機にピタリと終わり、一転して私達の知る、あの細く長い彫像へと一変する。……多くの論者は、ジャコメッティの前期と後期を分けて語る向きがあるが、私は前期、後期は表象の違いを越えて、その本質は変わらずに繋がっていると考えている。……その変わらない低奏音に流れているのは、彼に固有の呪われたオブセッション(固定された脅迫観念)とフェティシズム(性的倒錯・呪物崇拝)であろうかと思われる。その資質、感性の澱みの奥から突き上げて来る破壊衝動は、彼にあっては芸術という形而上学の衣裳を帯びた、しかし、その本質は犯罪者のそれ(破壊衝動)である。……今、私は自分がコレクションしているジャコメッティの銅版画『アトリエの光景』を前にして、この文章を書いている。アトリエの中の二点の彫像を表したその作品から静かに伝わってくるのは、3次元の空間への像(イマ―ジュ)の顕在化よりは、消し去りたいという、像の抹殺的な破壊衝動の方が、そのベクトルの引き合いに於て勝っているように思われる。

 

……オブセッションとフェティシズム。私はジャコメッティに沿って書いているが、しかしこの2つの云わば病める病巣は、突き詰めれば、実は芸術に関わる者には必須の資質であると思っている。……例を挙げれば、ゴッホ、ムンク、ベ―コン、ダリ、キリコ、ス―チン、クリムト、シ―レ……などと次々と浮かんで枚挙に暇がない。その過剰で強度な感性の突き上げの果てに、芸術という美の毒杯、ポエジ―という能う限りの危うい華が顕在化するのである。(この稿・終わり)

 

 

 

 

 

 

 

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『ジャコメッティVS切り裂きジャック』PART②

前回の続き。……さて、ジャコメッティ展の会場の中は、前期のシュルレアリスムに接点を持つと見ていいオブジェの展示から始まっていた。拙著『美の侵犯―蕪村X西洋美術』(求龍堂刊)でも言及しているが、殺意に充ちた白日夢のようなヴィジョンの開示に、会場の観客は息を潜めている感がある。更には僅か数センチの高さしかない女の全身像に観客は一瞬、息を呑む。人々はそこに実存主義的な概念を、或いはオブセッション(強迫観念)的な感覚の放射を絡め見るかもしれないが、これらの表現のオリジンは、顕かにエジプト美術に見る極小の呪詛的彫刻を範としたモダニスム的な変容である。…周知のように、ジャコメッティの着想の源は、フラ・アンジェリコやデュ―ラ―などの古典絵画から得ている事が多いが、そのオリジンを読み解く事もジャコメッティ展の1つの楽しみであろう。……さて、私は本展で気になる作品に出会った。それは折れたスプーンの先端を巨大化したブロンズの作品で、タイトルは女性の像とある。スプーンの反りが、見立てとして、つまりは女性の内臓を根こそぎえぐりとったイメ―ジと重ねているわけで、彼の内なる御し難い加虐的なサディズムの映しを、私は、前期のシュルレアリスム的傾向の強い時期のオブジェ群から変わらずに在るものとして、そこに見て取った。僅かな距離の絶対視、存在、出現、消滅……といった正面性(フロンタリティ―)からの論点のみジャコメッティは語られる観があるが、かつてピカソがジャコメッティ論の白眉として高く評価した、ジャン・ジュネの著した『ジャコメッティのアトリエ』の中の1節「ジャコメッティは同時代の人々のために仕事をするのでもなければ、来たるべき世代のためでもない。彼は死者たちをついに恍惚たらしめる立像を作るのだ。」という記述にもっと注視すべきであろう。……〈死者たちをついに恍惚たらしめる立像〉。この一行の中に、あまりに美しい表現としてのエロスとタナトスが孕まれているのである。……そう、彼の内なるエロスへの傾きは、顕かに至近的にタナトス(死神、死への誘惑)へと直結しており、その強度な濁りの内から、彼の特異なヴィジョンは立ち上がっているのである。……その知られざる一例として、彼は「売春婦」という言葉と存在に病的なまでの拘りと執着があり、そこに過剰な破壊的衝動、つまりは死に至らしめたいという、自身の闇のフェティシズムについて、密かに告白してもいるのである。逸話を話そう。……ジャコメッティの妻はアネットであるが、カロリ―ヌという名の愛人がいた。彼女の職業は高級娼婦である。ジャコメッティは、前回のブログでも記したが、自身は清貧に甘んじながら、愛人の娼婦には莫大な金を与え、その娼婦は真っ赤な巨大な外車を乗り回して、深夜のパリを絶叫しながら走り回っていたという。この話から私が連想するのは、パリを巨大な鳥籠に見立て、その中で羽ばたく下品な声を放つ真っ赤な鳥のイメ―ジである。その鳥は自由に放たれて見えるが、パリという巨大な鳥籠の檻から遂に逃れる事は出来ない、詰まりは飼い殺しの、ジャコメッティの視線の内に常に在る。……閑話休題、そのような事を想いながら、更に展示会場を進むと、ジャコメッティのアトリエを中心とした付近の地図が掲示してあった。……それを見て、私の中に推理の閃きが走った。ジャコメッティのアトリエの近くに娼婦街がある事を知ったのである。……ジャコメッティが、ここモンパルナスのその地にアトリエを構えた、もうひとつの秘めた意味が、夜のパリの闇のイメ―ジの内にうっすらと見えて来たのである。……誰も書かない、もうひとつのジャコメッティの病巣、そこからインスパイア(つまりはインスピレ―ションの動詞形)する強度なまでの彼の表現。……私はそんな事を想いながら再び地図を眺め見た。先ほど記したジャコメッティの娼婦への拘り、そして、内臓を根こそぎえぐり取ったその加虐的なイメ―ジの女の彫像。…………するとパリのその地図は一転して、ロンドン・イ―ストエンド地区、ホワイトチャペル界隈の地図と重なって見えて来た。…………1991年の7月の或る日、私は、そのホワイトチャペル・バックスロ―界隈の中にいて、ヴィクトリア時代の霧の中に消えた一人の男の影を追っていた。……1888年の春から晩秋にかけて、この界隈で一人の男が疾風の如く駆け抜けて五人の娼婦を殺害した。世にいう〈切り裂きジャック〉である。……そしてその被害者の内臓は鮮やかな刄の捌きによって、全てえぐり取られていた。……あろうことか、ジャコメッティと切り裂きジャックの二人の暗いシルエットが、私の内で最も近似的な存在として重なって来たのであった。 (……続く)

 

 

 

 

 

 

 


 


 

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『ジャコメッティVS切り裂きジャック』PART①

 

先日、制作の合間を縫って国立新美術館で開催中のジャコメッティ展を観に行った。……以前にパリに撮影で出向いた際に、たまたまポンピドゥ―センタ―で開催中の大規模なジャコメッティ展に出くわした事があったが、ここの展示は見事であった。キュレ―タ―の質が高く、知性とハイセンスが相乗して現在形の1つの優れたジャコメッティ論考の豊かな高みにまで達していたのである。興味深い展示資料も多く、実際に解体保存してあったアトリエまでも再現して会場で見せているのであるが、その徹底には感心させられた。やはり作者が生きていた本場ならではの強みなのであろう。……さて今回の会場には、ジャコメッティが通ったモンパルナスのカフェ・ドフロ―ルで寛ぐジャコメッティの珍しい映像が上映されており私の気を引いた。そして、私は面白い逸話があったのを思い出した。……ジャコメッティは早朝まで制作に没頭し、ようやく終わるや、近くのモンパルナスのカフェに来て、朝食のパンと茹で卵を食べるのが日課であるが、しかし制作の余熱が残っている時には、カフェの伝票や新聞に、先ほどまで取り組んでいた肖像の残余の面影をボ―ルペンで描くのである。会場には、その時に描いた作品が数点展示されていたが、これにはちょっとした挿話がある。……ジャコメッティは、その描いた紙を描き終えるや、テ―ブル下の床に執着なく次々と落としていく。……下世話な事を書くが、その価値や1枚が数千万円。……それが何枚も床に残されたままにジャコメッティはアトリエへと帰って行く、それが早朝の彼の日課なのである。…………さて、ここに一人のギャルソン(カフェの給仕)が登場する。この男は目敏く、床に落ちている作品を日々集め続け、相当な数に達していたという。またもや下世話な事を書くと、既にして数億の財産を彼は手にしているのである。誰が見ても優れた作品であり、それだけで明らかにジャコメッティ作とわかるのであるが、この男は価値の倍増を思いつき、ある日、あろうことかジャコメッティ宅を訪問し、ジャコメッティに各々の作品にサインを要望したのである。……当然な事であるが、持ち込んだそれらの作品は全てジャコメッティに没収され、それらの作品は契約先のマ―グ画廊の収蔵と化した。この話、私は大好きな話でたいそう気に入っている。……肩を落として去っていくギャルソンの後ろ姿に、晩秋に散るマロニエの葉が重なって、その日のパリはたいそう哀しいのである。……さてこの逸話と対照的な話が1つある。……それはダリとガラの話であるが、ダリは閃きの画家なので、ジャコメッティと同じく、カフェの伝票などに奇想的な絵を描き、また同じく床へと次々に落としていく。しかし、ダリのマネ―ジメントを(ダリの人格権までも!!)管理していたガラは徹底していた。ガラは、床に落ちるその作品をその場で徹底的に回収し、残す事なくその場から全て持ち帰っていたという。ダリの価値が下がる事に対する病的なまでの過剰な神経を注いでいたのである。…………逸話には、その人間像の知られざる側面がもうひとつ見えてくるものがあって、なかなかに面白いものがあるのである。(続く)

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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