コロナウィルス

『さりながら、死ぬのはいつも他人なり』

①……8月17日、午後2時すぎ、小雨。……アトリエで制作していると、蝉の鳴き声が近くに聞こえ、遠くを、悪い夢を運んでいくように救急車のサイレンの音がかしましい。最近、この音をよく耳にするようになった。何かがじわじわと迫って来ている感じである。

 

……昨日は、感染の事態が悪化して画材店なども一斉に休業になるといけないので、万が一の先を考えて横浜駅近くにある店に画材を買いに行った。イメ―ジの閃きは尽きなくても、絵具が無いとさすがに手足がもがれたようなものなので、やむ無くの久しぶりの外出である。しかし、駅の通路は相変わらずの人、人、人で、「緊急事態宣言が追加されました」というアナウンスが流れても誰も全く耳に入っていない様子。有効な唯一の手段のロックダウンも、この国はやる気無し。しかし、先日、現場で奮戦している医師がテレビで「全く打つ手無しのままこの状況が続けば、これからは間違いなく地獄の様相を呈して来る事は必至!策が必要なのに、何も具体的にやらないならば、もはやこの先は人災です」と言っていた言葉が、当然すぎてリアルに気にかかる。……20世紀美術をピカソと共に牽引した男、マルセル・デュシャンの墓碑銘にある言葉「さりながら、死ぬのはいつも他人なり」ではないが、おそらく自分だけは、コロナで死ぬ事はないであろうと、誰もが漠然と思っている節がある。そして相変わらず人の出が絶えない、この光景。駅の構内を、仲良く笑いながら平時と変わらないように行く人々の姿。ひょっとして、ここは異界か?

 

……感染が危ないので早く用事を済ませて帰ろうと思いながらも、歩きながら、……ではどうすれば人流が減るか、と考えてふと、以下のような考えが浮かんだ。(私は度々このように唐突に妄想する癖がある)…………頻繁にテレビで映される重症の患者の姿や医療現場の光景。戦場と変わらない、もはやそこは凄まじい現場。そこに聴こえる患者の苦しそうな咳き、かすれた声で切れ切れに語る、この変異株の想像を絶する猛威の告白……等々を実際に幾つも録音して、政府が断行してBGMのように、駅の構内、電車の中、エレベ―タ―など、人々が行き交ういたる所で執拗に流し続けるのである。けっして役者が演じた嘘の声ではなく、実録の生々しい音に限り、そこに医療現場の切迫感の状況を伝える音も加え、毎日の死者の数も日々更新して流すのである。……そして繰り返される、肺の瀕死の様が伝わってくるような乾いた、あの咳きの音。…………如何であろう、イマジン、……想像して頂きたい、その様を。行く先々どこでも聴こえて来る、今、この私達にとって一番聴きたくないリアルな音を日常空間に流すというアイデア。突飛なようであるが、もはや策はこれしか無いのではあるまいか。……ふざけているのではない。真顔で閃いたこの戦略を前にすれば、外出すれば必ず背後から追ってくるような、つまり視角ではなく、聴覚を通して心の深部にコロナの恐怖が個人個人に伝わって来て、人はむやみに外出する気も失せて、結果としてのロックダウンに似た効果に繋がるのではあるまいか。……政府の「どうかお願いします。外出は控えて下さい。」ではなく、外出が即ち嫌悪に繋がるような策が案外有効なのでは……あるまいか。ジャン・コクト―は『音楽には気をつけろ!』と云ったが、云わんとする事は、聴覚は視角よりも人の心の深部まで一瞬で入り込み、琴線を激しく揺らすという意味である。だから音はゲリラ的に危ういものがある。………………と、ここまで書いて、結局は私個人の妄想に過ぎない事にふと気づき、ブログの書き込みも、……指が止まる。……とまれ、このまま結局は、この国は流れに任せてさ迷う、沈みかかった泥の舟よろしく、「緊急事態宣言」「まん防」しか言葉を知らない無策のままに、無明長夜―けっして明ける事のない長い夜を延々と耐え忍んで行くのであろうか。(下の②に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②追記・ファイザ―のワクチン接種を完了して日が経つが、別に痛みも発熱も全く無い。ただ倦怠感だけはあるが、これは子供の時からのもので、人生に対してずっとある。……抗体が出来ない人は、接種完了者の4パ―セント近くいるというが、多分それか。

 

……閑話休題。さて、以下は気紛れに書いた短い小話のようなもの。ブラッドベリの短編を読むように気軽にお読み頂けると有り難い。

 

 

 

 

 

 

「……西暦2225年(今から204年後)に、ニュージーランドのアビル・タスマン国立公園の近く(場所の詳細は不明)の遺跡から、偶然その場所で遊んでいた二人の少年(パトリック・マクグ―ハン少年とアンジェロ・マスカット少年)によって、約200年前の歴史録の断片が見つかった。タイトルは『ゲノム戦記・第七章』とある。僅かな記述のみの切れ切れの断片には、次のような記述があった。〈2020年頃に中国の武漢から発症したコロナウィルスは、イギリス株、デルタ株等と変異を繰り返しながら猛威を奮っていた。しかし当時の人々は安易に考え、そのデルタ株をもって収束に向かうと楽観視していた。しかし、それは実は初期の序章に過ぎず、ウィルスはその後も何度も変異を繰り返しては強力さをいや増し、容赦なく波状攻撃的に人々を襲い、もはやワクチンすら既に効力は無くなっていた。特に何の策も打たなかった日本とブラジルの民が先ず死に絶えた。(ここから紙の破損が目立ち、しばらく判読不明の箇所多し。)…………と来て、その後、欧州や中近東、ロシア、中国、アメリカ……の順に多くの民がその被害者となり、その多くの民が流民となった。(ここから更に3頁ほど紛失あり。)

 

……そこで、流民となり、死骸の山と化したロンドンからの脱出に成功したキャサリン・ベ―カ―(ロンドン北西部・フィンチリ―コ―ト在住)は馭者に助けられ、ウェ―ルズのポ―トメイリオンから舟で海路をとり、マルセイユからカルカソンヌを経て、更に南下。一路、ニュージーランドを目指した。今では語り草となっている話であるが、信じがたい事に、ニュージーランドだけはコロナウィルスでの被害を免れた唯一の国であった。勿論最初は感染者が出たが、その度に徹底したロックダウン政策を施行し、一人の感染者が出てもロックダウンを行うという賢明な政策のお陰で、奇跡的にこの国だけが国民を被害から守り、他国からの流民の多くを迎え入れた。……ロンドンから脱出に成功したキャサリン・ベ―カ―(つまり、私の曾祖母)は、その後の余生をこの国で平和に過ごした。……しかし、私の母の代になって、〉………………………… 以下は、記述した断片が完全に紛失している為に、話の断片はここで突然終わっている。

 

 

 

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『…………面影や』

私は今、静かに思い出している事がある。……あれは確か30年ばかり前であったか。鏑木清方の文庫本『こしかたの記』を携え、遠い明治の面影を探して、かつての築地明石町界隈をぷらぷらと散策していた事があった。午後になりたまには寿司でも食べようと思い、築地市場では美味で知られる「寿司清」に向かった。暖簾をくぐろうとした時、中から小柄な女性客が出て来て危うくぶつかりそうになった。……瞬間、その人は私を見てにっこり微笑み、続いて番組の制作スタッフらしき重い器材を持った数人が後に続いて、慌ただしく去っていった。刹那に見たその女性は明るい華を持った美しい人であったが、何より頭の回転の良さがその顔に出ている、気取りのない、気さくな善き人として記憶に長く残った。

 

……先日、コロナウィルスで亡くなられた、女優の岡江久美子さんの30年前の姿がそこにあった。

 

 

 

 

あの時の、あの人が……と想うと、この世もまた無常の彼岸のように想われて来て、全てはなにやら幻のように映ってくる。……人は、どういう亡くなり方をするかは誰も自分で決められるものではないが、少なくともこういう亡くなり方は最も似合わない人であったかと思う。そしてその不条理な残酷さを前にして、いま私達の眼前に蔓延っている、このコロナウィルスが、私達の想像を遥かに越えて、不気味でかつ手強い相手であるかを私は改めて痛感したのであった。……そして、岡江久美子さんや志村けんさんの死へと至った経過を詳しく知るにつれ、体調に違和感を感じたその初期こそが既に生死の分かれ目であると強く思った。「しばらく様子を見ましょうか。」……たいていの医者は決まり文句のようにそう言うが、国がその方針として重要なPCR検査に重きを置いていなかった事にそれは起因している。国は、過去の教訓を活かして患者の段階別に手際よく捌いていったドイツの賢い知恵と、その実行力を謙虚に學べと言いたいのである。以前に私の作品のコレクタ―でもある医者の方から伺った話であるが、「病院」の看板を掲げていても、そのかなりの数の医者は誤った判断を下しがちなので、あくまでも自分の運命は自分が決める覚悟で、けっして医者の判断に対して受け身にならず、事前から確かな情報を集めていた方が良いですよ、とアドバイスされた事があった。今回の場合のように、もし様子を見ずに、その場で強引にPCR検査とCTスキャンでの肺炎のチエックをして事態に処していたら或いは……と考えると悔いが残るが、私達は亡くなられた人達が身を挺して伝えてくれた貴重な教訓として、これを活かしていかなければならない。岡江さんが亡くなられた直後辺りから、国も方向を変えて、漸くドライブスルーや歯医者も検査が出来るという風にその可能な検査数が増して来ている事は良い事である。……とは言え、あまりにこの国は動きが遅く、その不徹底さは目に余るものがある。ともあれ、このコロナウィルス、短絡的に甘く捉えるのではなく、長期戦覚悟で処していった方が確かかと思われるのである。

 

 

「面影」と題して


面影の  日向に咲きし  沈丁花


振り向けば  過去みな全て  彼岸かな

 

 

 

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『高村光太郎の、……その前に』

前回のブログの反響はかなり大きく、たくさんの読者の方から「面白かった!!……もっと続きが読みたい!」といった内容のメールが続々と届いて嬉しかった。自分でも久しぶりに書いた連載であったが、まぁあれで、あの実録に基づいたミステリ―は書き尽くしたかなという感がある。書けばもっと続くのであるが、そうしていては切りがない。何しろ書きたい話が他にもたくさんあるのである。……想えば、このブログも10年以上書き続けて来たが、幾つか思い出すブログとしては、……砧の撮影所でふとした成り行きで出会い、最後には私を役者志望の貧乏学生と勘違いして延々と役者の心得を熱く説教してくれた名優・勝新太郎との数奇な出会いを書いた『勝新太郎登場』、また、未亡人下宿で聴いた森進一の歌「襟裳岬」から始まり、次第に新古今和歌集の藤原定家へと話が移っていった『未亡人下宿で学んだ事』の2話に続く渾身の作であったかと思う。……さて今回は、予告では『もう1つの智恵子抄』であったが、不気味なコロナウィルスについて、先にちょっと書こうと思う。

 

 

 

……先日、体が少し鈍って来たのでジムに行こうと思ったが、ふと「密閉してあるジムこそ危ないな!」と、頭のセンサ―が作動したので行くのを止めた。するとさっそく翌日の午後に「千葉のジムからコロナウィルスの患者が連鎖発症」の報道がありホッとした。世はあげてコロナウィルスで、もはや世界がパニックである。今までにない不気味な猛威を見せているというが、はたしてそうか!?…………調べてみるとかなり上手の先輩がいた。1918年から1919年にかけて世界的に流行したご存知の「スペイン風邪」がそれである。なんと感染者5憶人、死者5000万~1憶という桁違いの猛威であり、当時は第一次世界大戦の最中であったが、徴兵できる成人男性が減った為に、世界大戦の終結が早まったというから凄まじい。日本だけでも死者は39万人、アメリカで50万人以上が亡くなっている。このスペイン風邪は約1年間の長期に渡り世界的に猛威を振るったというから、今回のコロナウィルスの終息もまだまだ先が読めないのが現状である。……このスペイン風邪で、画家のエゴン・シ―レやクリムト、またアポリネ―ル、日本では劇作家の島村抱月、画家の村山塊多などが亡くなっている。(ちなみに、私が好きな松井須磨子は島村抱月の後を追って自殺)。………………

スペイン風邪以前の日本の話では、1858年(安政5年)に流行ったコレラ(短期間でアッという間に逝くので別名コロリと言われた)も凄まじく、江戸だけでも死者が10万人(一説によると23万人ともいう)を越え、浮世絵師の歌川広重はこれで亡くなっている。その後にもコレラは度々流行ったのであるが、歴史の逸話としては、もし文久2年(1862年)に第3期のコレラが流行らなかったら、かの「新撰組」は生まれなかった可能性が高いという説がある。……江戸の試衛館(天然理心流の剣術道場で道場主は近藤勇、他に食客で土方歳三・沖田総司・永倉新八・斎籐一・藤堂平助……たち猛者がいた)が、流行りのコレラで入門者が激減し、今回と似た黒字倒産の危機に瀕していた。そこに同じ食客の山南敬助が、幕府の官費による浪士組設立の話を持って来た。江戸で浪士を募り、彼らを使って不穏な京都の治安を守るのが目的という。……この案を幕閣に仕掛けたのは庄内藩の志士・清河八郎。しかし清河は稀代の仕掛人、……実は幕府の官費で集めた浪士をもって幕府を倒す浪士隊を作るというのが、その考えの底にあった。浪士は300名ばかり集まり京都に行くのであるが、近藤勇達はこの話に応じて道場を閉鎖し、第2の転職人生を託す事になる。文久2年のコレラの流行が無ければ、近藤達は江戸と多摩の道場暮らしで平凡に人生を終えた可能性が高いから人生は面白い。彼等に元々の政治的な思想などは無く、まぁ時代の流れに後ろからやむなく押されたにすぎない。……清河八郎のような山師は私は好きであるが、少しやり過ぎた感がある。……京都に着くや、壬生の宿舎で本来の目論見を演説でぶちまけたのであるが、同席した幕府の役人や浪士の殆どがパニックのまま解散して江戸に戻る。そして近藤勇たち試衛館の連中と、何故か芹沢鴨の一派だけが京に残り、会津藩から資金を得て、京の治安を守る新撰組が俄に少人数から誕生した次第。……一方の清河は江戸に戻るが、佐々木只三郎(後の龍馬暗殺の実行犯)によって、赤羽橋近くの路上で白昼に暗殺されてしまう。……(ふと気がつくと、私はコロナの話から幕末の逸話に話が移ってしまっているので、軌道を戻そう。)……つまり、コロナウィルスはスペイン風邪に比べると規模は全く小さいのに、世はあげて人類死滅のごとき騒ぎであるが、この原因は、ネットやSNSの普及、そして世界経済の連鎖性により、明らかに世界が狭くなっている事、また同じ情報の反復受信や、様々な意見の洪水で、脳がそのCapacityを越えて、情報パニックともいうべき一種の集団ヒステリーが連鎖的に起きているのは明らかである。……全く知らないという事もある意味恐いものがあるが、映像を通して見えすぎてしまう……というのも、実体の原寸を越えて投影された暗すぎる巨大な幻想を生んでしまう。……とまれ、もしこのブログが前置きなく突然発信が途絶えた時は、私が不運にもコロナウィルスに罹ってしまったと思って頂けると有り難い。……無事な場合、次のブログは『もう1つの智恵子抄』、更には『阿部定異聞』etcなどと続く予定です。……引き続き乞うご期待。

 

 

 

 

 

 

 

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