与謝野晶子

『巴里に命を刻む二人の話』

前回のブログの舞台は京都であったが、今回は一転してパリである。……年末、そして先日に歌人の水原紫苑さんから、パリでの現地詠を含んだ歌集『快楽Keraku』(短歌研究社刊行)と、昨年過ごしたパリ滞在の日々を短歌、写真と共に綴ったエッセイ集『巴里うたものがたり』(春陽堂書店刊行)が送られて来た。……最近、私は森有正の『遠ざかるノ―トル・ダム』を読んだばかりで、今はモンマルトルの坂道を主題にした鉄の立体も作っている折であり、正にパリづくしである。

 

水原さんはわが国の現代短歌の紛れもない第一人者である。30年以上前に比較文化学者で評論家の四方田犬彦氏宅の何かの集まりの時にお会いしたのが始まりと記憶しているので、お付き合いはかなり古い。自宅が近いという事もあり、才ある表現者として身近に感じる存在である。ご本人は柔にして自然体の人であるが、次々と刊行される短歌に綴られた表現世界は、美しい日本語で開示された幻視の領土が拡がり、光と底無しの闇が交差する危うさがある。そして何れの作品もその完成度はきわめて高い。

 

 

「シャルトルの/薔薇窓母と/見まほしを/共に狂女と/なりてかへらむ」

「彫刻と/オブジェのあはひ/ゆく蝶を/ひたにおそれき/ことのは以前」……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何れの作品にも、鋭く研がれたナイフの切っ先のような鋭さと、時に美しい狂気すらある。新刊『巴里うたものがたり』のエッセイの本は、私がかつて1年近く住んでいたパリが舞台なので、実に愉しく懐かしく一気に読んでしまった。水原さんが滞在したホテル・カルチェラタンは、私がいたサン・ジェルマン・デ・プレ界隈にも近く、記憶が重なって、自分が旅人であるような錯覚すら覚えてしまった。……文中、オペラ座に和装で行くのを願うが、狙われる事は必至なので友人に忠告されて断念する下りは、与謝野晶子のパリ滞在(明治45年)、林芙美子がパリに滞在した(昭和六年)時とは隔世の感がある。しかし晶子や芙美子にとってパリが一過性の街であったのと違い、この人は、また3月からパリに行くが、パリでの客死すら厭わない覚悟が透かし見えて来て引き込まれる。……滞在中はソルボンヌに学び、日々のエッセイを書きながら、写真家が被写体を狩るように、又は鋭く呼吸するようにして集中して一気に短歌を詠んでいく。……なるほど、この人はこのようにして歌を詠んでいるのかというのが垣間見えて面白い。

 

先日、私はヴェネツィア行もお薦めしたが、既にそれもこの春からの予定に入っているという。……限り無く美しい日本の言の葉によって紡がれる、西洋の硬く乾いた硬質なマチエ―ルとの対峙がどのようなイメ―ジの化学反応を産んで、更なる深化へと、この人を導いて行くのか見届けたいものである。……以前からの私の願望であるが、ヴェネツィアを舞台にした壮麗な歌集の出現を、水原紫苑女史に期待しているのである。……そして、この度刊行されたこの二冊をぜひ読まれる事を、このブログの読者諸氏にお薦めする次第である。……さて次は、パリで客死した画家・佐伯祐三の話。

 

 

 

……先日、東京ステ―ションギャラリ―で開催中の佐伯祐三展を観た。10代の中学生の時に画集で出会って以来、佐伯祐三は今もって一番好きな画家である。……佐伯の集中力(一点を仕上げるのに要した時間は僅かに30分から2時間)は神憑り的で、しかも完成度も高い。パリに行き、佐伯がフォ―ヴィスムの画家ヴラマンクに油絵の作品を見せた時に、「このアカデミック!」と一蹴され、強いショックを受けたという逸話は有名であるが、実はこの逸話には先に続きがあって、ヴラマンクは「しかし、色彩感覚は良いものを持っている!」と佐伯を誉めているのである。……佐伯の作品を観ると、確かに優れた色彩感覚がそこに視てとれるのと同時に、彼の作品の骨となっているのは、作品の奥に透かし見える幾何学的な秩序感覚の先鋭な才気であり、また硬質さに対するオブセッションとフェティシズムである。

 

佐伯はゴッホに傾倒していた事もあって、その死もゴッホと重ね合わせるように、神経衰弱、肺炎の悪化による自殺未遂、そして狂死という事で、何れの佐伯祐三伝説も同じように書かれているが、しかし、私には以前から引っ掛かっている〈或る事〉があった。それは現存する数葉の写真の中にある。……寒風の中、街頭に出てひたむきに描く佐伯祐三の姿。しかし、その横に佐伯の幼い娘(彌智子)が写っているのであるが、ずいぶん以前から私はそこに違和感を覚えていたのである。……集中して挑むように画布に向かう佐伯祐三。……何故その真剣勝負の時に、気が散る存在の幼い娘がいるのか?

 

 

 

 

……常識的に視て、佐伯が絵に集中する時には常に妻の米子が娘の面倒を見る筈である。……佐伯は午前早くから写生に出て、暗くなるまで描く事に没頭していた筈。……その長い時間、では米子は何処で何をしていたのであろうか……。佐伯祐三の死因については諸説ある。……中には事件性すら思わせる説もあるが、私の推理は、……佐伯がある時を契機にして何かに憑かれたように作画に集中して神経を磨り減らして行くのであるが、それは何もゴッホへの傾斜、自己の完成度への焦り……といった伝説的なものではなく、原因は、もっと身近なパリの日常生活の〈或る時〉にあったと私は視ている。……或る事実を知ってしまった佐伯が、その怒りを他者でなく、自らへ向けた自傷行為の果てに墜ちていった、詰まりは緩慢なる自殺行為の果ての客死であったと私は推理しているのである。……この推理と近いものを、例えば美術史の裏面までも詳しい山田五郎氏(評論家・編集者・コラムニスト)なども考えているように思われる。

 

 

 

荻須高徳

 

 

 

薩摩治郎八

 

薩摩千代

 

里見勝蔵

 

藤田嗣治

 

 

 

……とまれ、これは推理するに足るドラマ性を多分に含んでいるのであるが、そこに登場する人物達の画像をここに掲載するに留めて、ひとまず今回のブログの筆を置く事にしよう。……年表の表に書かれた物語はあくまでも表皮に過ぎない。「事実は小説よりも奇なり」という言葉をここに残して。

 

 

 

佐伯祐三「カフェのテラス」

 

 

佐伯祐三「ガス灯と広告」

 

 

佐伯祐三「広告貼り」

 

 

 

……さて、今月は11日に歌舞伎座の二月大歌舞伎『女車引』と『船弁慶』を観劇予定。……翌12日は荻窪のカラスアパラタスで、勅使川原三郎佐東利穂子両氏による今年初のアップデイトダンス公演『月に憑かれたピエロ』(2月14日迄、公演開催中)、……そして翌13日は、先月の寒波で延期されていた名古屋に行き、俳人の馬場駿吉さん、名古屋画廊の中山真一さんとの打ち合わせで、俳句と私の作品との接点の可能性について語り合って来る予定。……異なる優れたジャンルに積極的に触れる事が、自身の表現に善き展開をもたらして来る。……絶え間無い充電と、制作の日々が今月も続くのである。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『あの芥川龍之介も感染していた!』

……今月の20日から11月8日まで開催される、日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』の作品制作も、新作オブジェ74点の全容が見えて来て、いよいよ最終段階に入って来た。個展の案内状も、そろそろ発送しなければならない。……朝は8時くらいからアトリエに入り12時間制作をして、後は寝る前に読書という日々が最近続いている。……そんな中で、最近面白い本を見つけたので今はその本を読んでいる。題して『文豪と感染症(100年前のスペイン風邪はどう書かれたのか)』(朝日文庫)。

 

 

その本を読むと当時の文豪の芥川龍之介、斎藤茂吉、志賀直哉、菊池寛……を始め、たくさんの人が感染していた事が、彼らの手紙や小説からわかって来て実に参考になって良い。芥川は父親がスペイン風邪で亡くなり、自身も感染してかなり苦しんだ事が、随筆家の薄田泣菫宛の手紙から見えてくる。

 

時代は大正七年(1918年)~大正九年(1920年)頃で、ちなみにスペイン風邪は第2波まであり、芥川は2回とも感染して苦しんでいる。1918年の三月にアメリカで最初の患者があらわれ、あっというまに世界中に広がった。世界では4000万人が亡くなり、日本国内でも38万人~45万人が亡くなった由。この度のコロナでの日本での死者は現時点で17500人くらいであるから、スペイン風邪の猛威が今とは比べ物にならないくらいに凄かった事が見えてくる。……さてその芥川の手紙から。

 

「僕は今スペイン風邪でねています。うつるといけないから来ちゃ駄目です。熱があって咳が出て甚だ苦しい。」また別な日には「スペイン風邪でねています。熱が高くって甚だよわった。病中彷彿として夢あり退屈だから句にしてお目にかけます。……凩(こがらし)や大葬ひの町を練る」……いたるところから葬式の列が出て、その中を木枯らしが吹いている……といった凄まじい当時の光景が透かし見えてくるようである。

 

また面白いのは、与謝野晶子の『感冒の床から』と『死の恐怖』と題する二作の文章で、「今は死が私達を包囲しています。東京と横浜とだけでも日毎に四百人の死者を出しています。……盗人を見てから繩を綯うというような日本人の便宜主義がこういう場合にも目に附きます。……」と書いて、当時の政府の後手後手の無策に与謝野晶子は怒っているのであるが、それを読むと当時と今と全く変わっていない事が見えてくる。

 

その100年前のスペイン風邪で最も悲劇的で有名な話は、女優の松井須磨子と恋愛関係にあった妻子ある島村抱月(劇作家で演出家)の死であろう。最初にスペイン風邪にかかったのは松井須磨子であるが、それが島村抱月に感染し、抱月はあっけなく亡くなった。

 

抱月の弟子の秋田雨雀の日記にはある。「大正七年、十月三十日。ぼくは風邪(スペイン風邪)はなおったが、島村先生は須磨子と共に流行性感冒に苦しめられている。すこし心臓が弱いので、島村先生は呼吸困難を感じていられる由だ。須磨子はかなりよくなったようだ。」

 

「十一月五日。今暁二時七分前、師島村抱月は芸術倶楽部の一室で死んだ。みんな明治座の舞台から帰った時はまったく絶命していた。小林氏(須磨子の兄)もまさか死ぬとは思わなかったらしい。実にひじょうな損失だ。須磨子は泣いてやまない。……」

 

「大正八年・一月五日。昨夜、島村先生のマスクの破れた夢をみた。朝、起きてまもなく島村先生の墓地へゆこうとすると、芸術座から電報がきた。〈マツイシススグコイ〉。ひじょうなショックを感じて、思わず立ち上がった。自殺!という連想がすぐ頭を襲うた。

……芸術倶楽部へいった。道具部屋の物置で、正装して縊死を遂げたのであった。半面紫色になっていた。顔が整っている。無量の感慨に打たれた。……」

 

 

……この本には菊池寛の「マスク」、谷崎潤一郎の「途上」、志賀直哉の「流行感冒」、永井荷風の「断腸亭日乗」、斎藤茂吉の「つゆじもより」……など、作家達のスペイン風邪感染の実体験と奮戦記が載っていて実に参考になり、感染症に対する視野が複眼的になってくる。この本から学んだ第一の事は、100年前のスペイン風邪の凄さに比べると、今日のコロナ禍なるものは、甚だ軽いという事であり、しかも今、感染しても死亡率が格段に下がって来ている事は、先に漸くの明るい兆しが見えてきた感がある。……第6波の感染拡大の可能性も未だ多分にあり、迂闊に軽視する事は禁物であるが、しかし、そろそろの感がある。かつてのコロリ(コレラ)も、スペイン風邪の猛威も不思議な事に、だいたい二年で消えていった。……そして、今日のコロナも、まもなくその二年目を迎えようとしている。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律