『ニッポン・キトク』 

数年前の、このメッセージ欄で、「人類は間違いなく水で滅びる」と断言したレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引いて、温暖化現象による水の被害は年々加速的に甚大となり、もはや打つ手が無く、 唯々受け身でこの崩壊現象に流されていくしかないであろうと書いたが、この度の西日本ほぼ全域にわたる、かつて無い被害の大きさを見ると、どうやら予見は当たっていたように思われる。加速的に、つまり、釣瓶落とし的な速さで私達の現実に危機的な状況が迫っているのである。……ダ・ヴィンチは、最初は「人類は火で滅びる」と予見したが、途中で火を水へと、その考えを書き変えている。彼の明晰な頭脳の中で、火がなぜ水に変わったのか、その根拠は書いてないが、その沈黙が却って不気味である。ともあれ、背後の裏山を背負って生きている人は、年々増している降水量の増加が間違いなく山崩れへと繋がっていくわけだから、本気で何らかの決断をしなくてはならない時期に否応なく来ていると思われた方が良いであろう……自分だけは大丈夫。……今まで何も起きなかった。……ご先祖様が守ってくれているから……は、命取りになってしまうのである。

 

……ところで、もはや好き嫌いではなく、エアコンがなくては夏を乗り切れない時代になってしまったが、そもそも最初にエアコンを考えた、人類にとって感謝すべき人は、はたして誰だろうか!?……私の素朴な問いに、「それは1758年にベンジャミン・フランクリンと、ケンブリッジ大学で化学の教授をしていたジョン・ハドリ―が蒸発の原理を使って物体を急速冷却する実験をしたのが、すなわちエアコンの始まりである」と、ケペル先生のように忽ち導いてくれた物知りな友人の言に沿って調べて行くと、彼らの後にウィルス・キャリア(1876~1950)という人物が現れ、1902年に噴霧式空調装置(すなわちエアコン)を作った事、そしてその後の1930年にフロンガスの開発……を経て今日に至っているという経緯をはじめて知った。もし今、エアコンがなかったら……と考えるとゾッとする。間違いなく毎日、とてつもない数の死者が出て、世界は断末魔的な末期を呈していたであろう事は間違いない。……しかし、現在のこのエアコンの機能。間違いなく来るであろう更なる高温の時に備えて、今よりももっと冷却の温度設定を低くする改良が確実に要求されて来るであろう事は想像に難くない。

 

以前に週刊新潮の連載『死のある風景』で一緒に組んでいた久世光彦さんの著書に『ニホンゴキトク』という本がある。美しい響き、奥深い翳りの韻と色気のある日本語が次々と死語となって消えていく事への久世さんなりの警鐘であったが、私はそれを越えて、もはや昨今の日本が面し呈している様を見て「ニッポン・キトク」と言いたい衝動に駆られている。……あまりに殺伐とした感がますます日本全体を不気味に覆っているが、……その最たるものが、先日逮捕された大口病院の看護師・久保木愛弓が起こした事件であろう。……現在で20人くらいの殺害を自供しているが、まだ20人くらいの不審な急死をとげた患者がこの病院にはいるので、調べが進んでいくと、ひょっとすると合わせて40人くらいが殺害されたという前代未聞の数に達する可能性も多分にある。……この大口病院、アトリエからかなり近い所にその病院(事件の現場)があり、私も以前に何回か診てもらった事がある。その時、或いは後に犯人となるこの看護師が傍にいたかもしれないと想うだけで、もはや真夏の怪談よりも背筋の寒いものがある。……話はかわって、アトリエのある妙蓮寺駅前に面して「妙蓮寺」という名の古刹があり、毎日のように葬儀があり、「メメント・モリ(死を想え)」を私に思わせる場となっている。……昨日は、近くに住んでいた歌丸師匠の葬儀が行われていた。参列者2500人くらいの人が、晩年になるにつれて更に深まっていった、この名人の芸と人柄を惜しんで見送っていた。……私は中学時代、何故か落語が好きで、学校から帰るとテレビの前に座り、5代目志ん生、8代目文楽、6代目圓生……といった、今では伝説的な名人の芸を、それとは知らず、ごく普通の気楽な気持ちで味わっていた。……しかし、何故か正座をして聴いていたのは自分でも妙ではある。その後で、ベルクソンの『笑い』という著書を読み、「笑い」なるものの、複雑な感覚の生理を知る事になった。笑い、その本質を深めていくと間違いなく狂気の域に近づく、それは恐ろしい領域なのだと思う。…………さて、次回は一転して、〈大久保利通〉という計り知れない野心家・鉄人の暗い内面にわけいった、題して『紀尾井坂の変』を書く予定。……次もまた乞うご期待である。

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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