マックス・エルンスト

『五月の雨』

5月20日。今日は、午前の早い刻から強い雨が降っていて、アトリエの窓外に見る庭の葉群らの緑がいっそう美しい。その濡れた雨音を聞きながら、私は6月3日から東京・日本橋の不忍画廊で開催される『名作のアニマ ー 駒井哲郎池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴』のためのコラージュ作品を作っている。近代からの美術史やエスプリを解さない人には理解出来ないかもしれないが、コラージュは〈速度〉である。神経をギリギリにまで絞り、多層なイメージの混沌としたアニマを沸々とたぎらせ、制作までの時間をギリギリにまで追い込んで一気に作品を〈結晶化〉へと向かわせる。それが私の流儀であるが、それは何も私だけに限らない。例えば、マックス・エルンストが、シュルレアリスムにおける一つの金字塔とも云えるコラージュ・ロマン『百頭女』を制作したのは、ローマを旅行中の時であったが、突然の啓示を受けた旅先の宿で、あの膨大なコラージュの連作を僅か数日間で仕上げたという。繰り返して言うが、コラージュは〈速度〉である。故にそれは美術の領域にありながら、むしろ寸秒夢の刻印という意味では詩法に近く、ふと、あのランボーを想わせる。そういえば、エルンストも常に〈見者的存在〉としてランボーを意識し、彼の作った『Hommage a Rimbaud』は、現代版画における頂点といっていい作品であるが、かつてシャルルヴィルを訪れた際に、ランボーミュージアムで、その作品と私の版画二点が並べて展示されているのを見た時には、さすがに私は或る感慨を覚えたものであった。・・・・・そういえば、そのシャルルヴィルを訪れた時も確か今日のような寒い日で、時折気まぐれのように小雨が降り、このランボーの生地をうっすらと濡らしていたのを覚えている。

 

一昨日に開催された、詩人・野村喜和夫氏との対談は定員を超える人が集まり盛況であった。二時間という時間は短かったが、私達は、各々にランボーについての想いや制作法について語り、この対談を聴きに来られた方々も満足されたようであった。昨今、詩と美術との交感というのは絶えて久しいが、私たちのような切り結ぶ関わり合いはもっと出てきてもいいのではないかと思う。実際には役者がいないと云えばそれまでであるが、こういう試みへの知的好奇心と気概は、表現者として大事な事であるだろう。対談の後で野村氏が自らの詩の朗読を行った。シャルルヴィルのランボーミュージアムを訪れた時を回想した詩であったが、氏がそこを訪れた時も、雨が静かにこの街を濡らしていたという。

 

5月1日に刊行された詩画集『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間」は、主としてランボーがモチーフであるが、低奏音のように、もう一人の人物がその陰に隠れている。それは、ダンテである。ダンテの『神曲 – 地獄編』とランボーの『地獄の季節』が重なって、この詩画集は成り立っている。この着想はもちろん野村氏に拠るが、同時に野村氏は次なる私の方向性もこの詩画集の中で予見するように暗示している。私が今後の大いなる主題としてダンテを考えている事は実は、誰にも語っていない事であるが、氏の直観はそこまでも見通したかのように、秘めやかにそこに言い及んでいる。まことに〈本物〉の詩人の直観は、かくも怖ろしい。

 

17歳のランボー

 

詩作を放棄した10年後・29歳のランボー

 

マックス・エルンスト『Hommage a Rimbaud』

 

ジム・ダイン『Rimbaud wounded in Brussels』


ロバート・メイプルソープ『ランボーへのオマージュ』を主題とした写真

 

 

北川健次「肖像考-Face of Rimbaud」

 

 

北川健次 「STUDY OF SKIN - RIMBAUD」

 

 

 

 

 

 

 

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『個展始まる。』

日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xで私の個展『密室論 – ブレンタ運河沿いの鳥籠の見える部屋で』が始まった(11月19日まで)。美術画廊Xでの個展は今回で四回目。作品総数80点以上から成る大規模な個展である。この画廊は広いので、毎回、入り口にテーマに沿ったディスプレーの展示をする。今回は掲載したとおり白木の窓の中に、石にプリントしたダ・ヴィンチの衣装のデッサン、定規などを構成した。

 

展示の中心は、コラージュ作品である。このコラージュという方法論の祖はシュルレアリスムの画家マックス・エルンストをその始まりに見る人は多いが、さにあらず、実はわが国の扇面図屏風に既にその祖が見てとれる。しかし、コラージュという技法は美術の分野に在って、妙にその立ち位置が定かではない。今まで、野中ユリさんをはじめとして試みる人は多かったが、澁澤龍彦のテクストなど・・文学者の文章に共存する形が多かった。つまり一点で自立した完成度を持つコラージュ作品がほとんどわが国では皆無であったのである。今回、気概のある私は真正面から御するようにして、この技法に挑んだ。その結果はご覧になって判断して頂くしかないが、評判は上々で、展覧会としての手応えはかなり強く伝わってくる。その手応えの例として、たとえば初日に御一人で6点の作品(コラージュ・オブジェ・版画など)をコレクションとして求められた方がおられ、私を驚かせた。前回この画廊で作品をご覧になられた方々は、一変して全く別なイメージ空間が広がっている事に驚かれているが、展覧会を、或る期間に限定して開示された解体劇と考えている私にとっては当然の事である。そして、作家の多くの個展が、前回と同じワンパターンと堕していることへの私なりの批判もある。やはり表現者は常に変化し、更なる新たなイメージの領土を深めながら次々と開拓していくべきではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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