フェリ-ニの映画

『あぁ杉田くん、君は…』

 

…今年は、日本海側を中心に大雪を報せる映像が次々と入って来ている。例年の約二倍の降雪量というから凄まじい。…私は北陸の福井で育ったから雪の執拗な襲いかかり方は経験がある。…汗を流して雪掻きをしても、翌朝は嘲笑うようにまた繰り返し積もっていてきりがない。屋根に積もっている何トンもの雪を道に落とす為に、未だ小学生の頃から大屋根に登り、汗だくになって手伝ったものである。

 

 

 

 

…大屋根から落ちたら死ぬ危険性が高い為に本当は命綱が必要な作業だったが、子供だったので不安感はなく、今想えば、恐ろしい事を平気でやっていたものである。…今は雪も少なくなったが、昔は3メト-ル以上降った事もあり、家の2階の窓から出入りして、積もった雪の高みの上をまるで空中散歩のようにして歩いたものである。

 

 

 

 

…集団登校はホワイトアウトの中、凍った田んぼの上を進み、学校の姿が全く見えない為に、勘で方向を定め無言で何かに耐えるようにして歩く姿は、将兵199名を雪中遭難で死なせた映画『八甲田山』の映像とリアルに重なって来る。

 

氷が割れて田んぼの冷たい水の中に集団登校の児童の誰かがはまっても、まわりが無言で担ぎ上げ、何事もなかったようにまた無言で私たちは歩いて行くのである。

 

………今だったら、児童の死者が出ると誰が責任を…という事で早々と休校になるが、当時は吹雪の中を登校するのが当たり前で、誰も文句を言わず、それが当たり前であった。

 

 

 

…1991年の2月、私はパリのリヨン駅から夜行列車に乗り厳寒のヴェネツィアに向かった事があった。ヴェネツィアはつごう5回行っているが、その時が最初であった。…その年の冬はアドリア海が90年ぶりに凍るという酷しい寒さであった事は後で知った。

 

 

 

 

…滞在して3日目頃であったか、サンマルコ広場の老舗カフェ・フロ-リアンで夕方に休んでいて外に出ると、先ほどまであった人影が全く無く、店の灯りが次第に消えていき、まるでフェリ-ニの映画『カサノバ』の場面のように静かな不気味さが伝わって来た。…すると急に粉雪が吹き始め、たちまち呼吸すら出来ない白い吹雪のホワイトアウトに襲われたのであった。

 

…宿に向かって歩くが、何回試みても同じ場所に戻って来てしまい、無人の迷宮の中で焦りが次第につのって来た。…その時、八甲田山の死者達の死因を私は思い出した。…彼らは前進していたつもりで歩いていたが、実は同じ円の中をぐるぐる回っていて最期は亡くなったのであった。脳が覚えてしまう不気味なその錯覚の怖さを思い出した私は、今度は自分が良いと思う方向の真逆を進む事にした。すると次第に見覚えのある景色が現れて来て、…ようやく宿に帰る事が出来たのであった。ことほどさように雪は怖く、その白い衣裳の中には確かに魔物が棲んでいるのである。

 

 

…さて、今日は高校の同級生であった杉田君の事を書こうと思う。…この杉田君はずいぶん昔のブログで1度登場していて、今回が2回目になる。…1回目は修学旅行で阿蘇の草千里に行った時の事。…草千里には放牧中の牛や馬がいて、今は知らないが当時は係員の指導で希望者は乗馬が出来た。…杉田君、女子に良いところを見せようとでも思ったらしく、勇んで馬に乗ってみせた。…まぁそこまでは良かったのだが、どうやら雄馬のデリケートゾ-ン近くを彼の靴が弾みで当たったらしく、馬は突然悲鳴をあげるや、脚を高らかに上げ、杉田君を乗せてもの凄い速さで草千里の彼方へと駆けて行ったのであった。〈手綱を引いて姿勢を低くして下さい!!〉…焦った係員がマイクで必死に叫ぶのも空しく、杉田君を乗せた暴れ馬は、草千里のなだらかな斜面を一気に下り、いつしか私達の視界から消えていったのであった。

 

 

………今回はその数ヵ月が経った或る冬の日の話である。…校舎を改装する為に、私達は臨時に仮設したプレハブの校舎に一時的に移って授業をしていた。…昨夜から降った雪がかなり積もっていて、教室の窓を積もった雪が突き破りそうな程であった。…見かねた教師が(誰か雪掻きに行ってくれないか‼)と言った。…(…僕が行きます‼)といち早く挙手したのが件の杉田君であった。…授業をサボれる、…動機はそんなところであったかと思う。…しばらくして、窓硝子の向こうに長靴に履き替えスコップを持った杉田君が現れた。嬉しそうに、こちらに手を振っている。笑って応える生徒もいた。……そして私達は授業を受け、窓の外では杉田君がサクッサクッと真面目に雪を掻き除ける音がしていた。

 

 

 

……その日は前夜に降った大雪が嘘のように晴れた暖かい日であった。…………すると突然、私達の頭上で何かが纏まって滑り落ちていくもの凄い音がした。…明らかにプレハブの屋根に積もった雪が一斉に雪崩れて落ちていく音であった。

 

…教室の誰もが反射的に窓側を視た。そして視た‼…というよりは視てしまった。…杉田君が、さっきの笑顔とは一転して忽ち悲しい顔になり、両手を空しく上げ、自身に落ちてくる雪の量に耐えきれず、次第に積もった雪面の上にうつ伏せになって倒れこみ、やがて目を閉じて全く動かなくなり、その上を60センチほど積もった雪が完全に覆ってしまったその様を、私達は視てしまったのであった。その悲しい姿が窓ガラス越しに、ありありと見えるのである。

 

 

……その様を例えるならば、私たちが子供の頃に黒紙で覆ったビンの中に、二日程で出来たトンネルのような蟻の巣の作りがビンの外から丸見えに見えるのを想像してもらえたらわかりやすいかと思う。

 

…………(雪崩れで死ぬ人はあぁやって死んでいくんだなぁ)……(杉田、息をしてないんじゃないかな)……(まるで悟った仏みたいに杉田が見えるよ)……中には面白くて笑いを抑えている者もいた。

 

…あまりの異常なハプニングに最初笑っていた教師が、急に真顔になり(今からみんなで杉田を掘り出そう‼)と言ったので、私達は教室を駆け出して行ったのであった。

 

 

 

 

……それから時が流れていった。…2011年の秋に私の個展が福井県立美術館で開催される事になり、その記事が新聞に載った事があった。…それを読んだ元同級生の女子が発起人となり、同窓会が開かれる事になった。…同窓会というのは絶対に出ない私であるが、開催の主旨に私が絡んでいるのだから仕方がない。…というわけで出席したのであるが、座の途中で私は杉田君の事を思い出し、すっかり変わった杉田君を見つけたので近づいていって話をした。…確かに杉田君は生きていた。…そして、日本の近い将来の姿を考えて会社員を止め、一念発起して今は安定した職業の整体師になっているのだよ、…と言って、笑いながら私に「杉田整体医院」と印刷した名刺をくれたのであった。

 

 

 

 

追記。…しかし私には長い間、1つの疑問といえるものがあった。…それは、杉田君が雪崩れに襲われた時に簡単に失神してしまったのを目撃したのであるが、人はなぜ簡単に失神してしまうのであろうか?、もちろん雪崩れの雪の量にも拠るだろうが、意識の抵抗はかくも脆いのであろうか?…という疑問であった。

…しかし先日たまたまテレビを観ていたら、雪崩れの凄さを試す実験をやっていて成程と首肯するものがあった。

 

…地表に木製の硬い箱を置き、その上の屋根から雪崩れを落とす実験であった。…観て唖然とした。雪崩れの直撃を受けた箱は一瞬で木っ端みじんに砕け散ってしまったのであった。…重さ100Kg以上の直撃が次々と身体を襲えば、意識などは一瞬で停まってしまう。…先日も40代の女性が街中の通りの屋根からの雪崩れを受けて亡くなったという事故があったが、成程…と疑問が解けたのであった。…あの時、杉田君を助けに行くのがもう少し遅かったら…と思うと、今になってゾッとしたのであった。

 

 

 

 

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『2024年が自転車に乗って去っていく…』

アトリエの片づけを3日間続けてやったら、引っ越して来た時に失くしたものと諦めていた手紙がまとめて出て来たのには驚いた。掃除はするものであるとつくづく思った。……作家の森まゆみさん、写真の分野を革新して芸術の高みへと押し上げたツァイト・フォト・サロン石原悦郎さん、私が最も影響を受けた比較文学者の芳賀徹さん、作家の松永伍一さん、…同じく作家の矢川澄子さん、版画家の浜田知明さん、加納光於さん、…他。大事と思って手紙をまとめてアトリエの奥の奥に仕舞っていたのがよくなかったのである。

 

 

…『週刊ポスト』で、私と久世光彦さんの共著『死のある風景』(新潮社刊)の書評を書いてもらったご縁で知り合った作家の倉本四郎さんのご自宅に喚ばれた時に、森まゆみさんとお会いしてご一緒に流し素麺を食べたのが出会いである。

 

…当時刊行したばかりの拙著『「モナリザ」ミステリ-』(新潮社刊)を森さんにお送りしたら、後日に読まれた感想を記したお手紙が届いた。…その末尾には(絵描きにこんな素晴らしい文章を書かれたら困る‼)…という強烈なお褒めの言葉が書いてあって私を喜ばせてくれた。……今、私の書斎には森まゆみさんの著書が20冊以上あり、中でもお互いが好きな樋口一葉に関する著書が最も多い。私が昨今とみに探訪している谷中に関しては、その多くを森さんの著書を導きの杖としているのである。

 

 

 

………芳賀徹さんの『與謝蕪村の小さな世界』から比較文化論的に思考する事の蒙を拓かれた私は、拙著『美の侵犯-蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)と『「モナリザ」ミステリ-』を芳賀さんにお送りしたら後日にご丁寧なお手紙が届き、(『美の侵犯』は、小生も一度はこういう自由自在でまた的確な画文交響を演じてみたいと願っていたような面白さ。

 

…(中略)…モナリザミステリ-は、特にモナリザと漱石を小生論じつつありますので大いに使わせて頂きます。云々)という内容が綴られており、私はこれらの本を書いた事の手応えを芳賀さんのお手紙から最も強く覚えたのであった。

 

……またこの『美の侵犯-蕪村×西洋美術』を刊行してすぐの事であるが、この国の西洋美術史研究の礎を築かれた高階秀爾さんが、高島屋の個展初日に会場に来られ、私に、(新聞の書評で読んだ『美の侵犯…』の事が気になって買いに来ました。)と言われて驚いた。…高階さんは蕪村にかんする造詣も深いのであるが、専門の西洋美術史と蕪村は、高階さんの中ではあくまで別物であった。…それを私が一本の線で結びつけて論じてしまった事に驚かれたというのである。……これも芳賀徹さんからの比較文化論的な影響が奇想の着想を成したのであった。………加納さん、森さん以外は既に逝かれてしまったが、この手紙は私の大事な生きた証しとして大切に持っていようと、あらためて思った。

 

 

さて話は変わって、今度はカニの話を。……先日、私の故郷の福井から越前がにが沢山届いた。送ってくれたのは、高校の美術部の後輩だった小川正隆君である。(…小川君、こんなに沢山送ってくれたら、日本海からカニが絶滅しちゃうではないですかぁ…)と、バカな独り言を言いながら木箱を開け、…そして食べた。……カニの味噌や脚を裂きながらひたすらに食べた。

 

 

 

 

…そして、おもむろにカニの顔を視て恐怖した。三島由紀夫がカニが苦手でカニを出すと卒倒したという話も頷けるという、…何とも怨みがましい顔つき。…いずれの顔も渋い表情でいかにも無念げである。…ふと昔、家に出入りしていた大工の棟梁の留さんの顔を思い出した。頑固一徹の職人に、こういう顔つきの人が時々いる、そう思った。

 

 

………そして、カニと蜘蛛が先祖は同じだという説があるのを思い出し、タブレットで両者の顔を比較した。蜘蛛の顔を初めて視たが、こちらもゾッとする。

しかしよく調べたら同じ節足動物で、分類学上では鋏角亜門に入り、蜘蛛とカブトガニ、サソリは近いが、大別的には先祖はだいぶ離れているというので、少し納得をした。

 

 

 

 

…先ほど書いた、見つかった手紙の束の中に30年前に亡くなった父親からの手紙もあった。久しぶりに読み返すといろんな事が思い出されて来た。……その中にこんな事があった。…私が未だ小学生の頃、町内の家の並びの中で、何故か一軒だけ3メ-トルばかり奥に引っ込んでいる家があった。その空いた空間も私たちの善き遊び場であったが、しかしその家が放つ佇まいが子供心にも暗く不穏であったのを今も覚えている。……確か岩堀、そういう苗字であった。(…どうして、あの岩堀の家だけが奥に引っ込んでいるの?)…ある時に父親に訊いたら、笑いながらこう言った。(あの岩堀の家は稼業が泥棒なんだよ。だけど、市内の遠くで泥棒をしているが、この近所では絶体にやらないので、みんなが大目に見ているんだよ)…笑いながらそう言った。…奥に引っ込んでいるのは、そういう近所への頭を下げた感謝と遠慮を現しているのだというのである。…今では信じ難い話であるが、本当の話である。その頃は、そんなゆるい話がまかり通っていた、そんな時代だったのである。

 

 

前回のブログで盲目の按摩の話を書いたが、その後で旧知の友のMYさん(福岡市在住)と話をしたら、MYさんは面白い話をしてくれた。…昔、子供の頃の話であるが、MYさん宅で按摩にマッサ-ジを頼む為に電話をすると、盲目の按摩の人が自転車に乗ってやって来るのだという(しかももの凄い早さで正確に)。…私は闇夜に笛の音を頼りに按摩を探したが、未だそれは抒情的な方で、MYさんのこの話は、イタリアのフェリ-ニの映画や、唐十郎の舞台を想わせるものがあって面白い。…ベ-ト-ヴェンゴヤは聴覚を失ってから、更にその表現世界は深化したというが、人間がもつ代替の潜在能力たるや恐るべきものがあるのである。……そして、あらためて、自転車で疾走して来る盲目の按摩の姿を想像すると、その身体が一種の「闇だまり」(舞踏家・土方巽の造語)に見えて来た。

 

 

 

……思えばこの一年はろくな事がなかった。…世界はますます狭くなり、一触即発の気配が増す中で、人類はますます滅亡へのカウントダウンを早めているように思われる。…だから、ろくな事がなかったこの闇だまりのような2024年を、自転車に乗せて何処か遠くへと走り去らせたい、今は気分なのである。

 

…では来年は⁉…………その答えは誰もが直観の内に感じとっている事であろう。…決して口には出さないが、その次に来るであろうもっと巨大な「闇だまり」が、チリンチリン…と不気味なベルを鳴らしながら近づいて来ている事を。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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