月別アーカイブ: 1月 2025

『雨のメリーゴーランド in Paris』

 

…先日の事である。アトリエで制作している時に、ふと本棚にあるジョゼフ・コ-ネルの画集に目が行き、久しぶりに手に持ってみた。すると本からパラリと落ちる物があったので見ると、それは写真家ロベ-ル・ドアノ-がパリの寂れた「メリーゴーランド」を撮した1枚の絵葉書であった。

 

…パリには珍しい土砂降りの雨の中、無人のメリーゴーランドが雨に打たれて哀しい姿で写っている。絶妙に切り取られた構図の中に凝縮された郷愁が宿り、私の記憶の中の〈何か〉と共振したらしく、たまらない切なさが充ちて来た。………しかし葉書故に細部が見えず、私はもっと大きく撮したこのメリーゴーランドの写真画像が載っている写真集をいつかぜひ欲しいと強く思った。…………

 

 

…その翌日、私はJR日暮里駅で降りて、谷中銀座へと向かう御殿坂を上がっていった。…度々このブログに登場する田代富蔵さんが6月に個展を開催するので、その個展の為に書いたテクスト文を渡すのと新年の打ち合わせがその日の目的であった。……私はこの御殿坂を上がる度にいつも(一体何処に在ったのだろう!?)と思っている或る事があった。

 

…私が高校の時から好きで影響を受けていた画家の中村彝(つね)が未だ19才の頃に住んでいた家が、確かにこの坂の何処かにあった筈であるが、その住所が資料を調べても全く載っていないので、…ここ数年、私はこの100メ-トル近くある坂を上る度に、その場所を探すのであるが、煙に消えたように、それはようとしてわからないままであった。……一本道の坂の途中に在るのは、2つの寺(本行寺経王寺)と、老舗蕎麦屋の「川むら」、…そして数軒の食べ物屋くらいである。…

 

……坂の上の蕎麦屋「川むら」で、富蔵さんと好物の「牡蠣せいろ」を食べ終えて、真向かいのカフェで打ち合わせをしようと店の暖簾を上げた時に、一瞬、横の露地へ消えようとする人が目に入った。…見ると、その人は以前にこのブログに登場した、露地奥で、坂本龍馬等を撮した幕末期の湿板寫眞機にこだわり、寫眞館を経営している写真術師の和田高広さんであった。

 

……奇遇とばかりに立ち話が始まり、和田さんのご高説が始まった。…今日は谷中の寺と借地権の話である。和田さんは話し出すと立て板に水とばかりに止まらない。話は廃れ行く谷中銀座の話になったが、何故か風の向きが瞬間変わったように……

 

(…………だから、彝もその家に昔いたんだから‼……)と突然、川むらから入る露地向かいの一軒の家を指差した。…?!!!

 

 

…(和田さん、今、彝と言いましたが、ひょっとして画家の中村彝の事ですか…⁉)と、私が問うと(そうだよ、中村彝はこの店にいたんだから…‼)と、もう1回指を差した。…(彝がいたのは確か下宿屋ですが…)と私が問うと(そうだよ、このあづま家という家は昔、下宿屋だったんだよ)と言う。

 

予想だにしなかった物がポトリと落ちてくるように、ここ数年来懐いていた疑問が一瞬で解けてしまった事に唖然とした。…何の事はない。…いつも出入りしていた蕎麦屋の隣が、ずっと探していた彝の家だったのであった。

 

 

…彝は実に絵が巧い。そして天性の色彩画家であった。ここに掲載したエロシェンコの肖像画は、僅かに4色で描いているが、そこに気づいている人は案外少ないのではあるまいか。

 

…彝がここにいたのは19才の頃で明治38年、…つまり1905年だから、今から120年前の話になる。…それを何故、和田さんは知っていたのか⁉…そして私が訊いてもいないのに、和田さんの話が急転するように、何故、中村彝の話になったのか、わからないままに私達は和田さんと別れて、カフェに入った。

 

 

カフェで富蔵さんとお茶を飲み、執筆を約束していた個展のテクスト文をお渡しした後、私は駒込駅へと向かった。…その日は駒込のギャラリ-『ときの忘れもの』松本竣介の素描展が開催されており、竣介のご子息の松本莞さんの『父、松本竣介』の刊行記念の対談の日なのである。松本竣介は中村彝、佐伯祐三と並んで、特に私が気になっている画家。…この日は元・池田満寿夫美術館の主任学芸員をされていた中尾美穂さんに連絡して、中尾さんから指定された東洋文庫ミュ-ジアム横のカフェ「オリエントカフェ」で待ち合わせをしていたのである。せっかくなので、池田満寿夫、松本竣介の作品に造詣が深い中尾さんにお会いして、二人の作家像をどう捉えているのかを伺うのも、今日駒込に来た目的なのであった。

 

…私は中尾さんから指定された東洋文庫を目指したのであるが、駒込はあまり来ないので地理に疎い。………迷いながら歩いていると、佇まいが気になる一軒の古書店が目に入った。…表の安売り本に『北原白秋歌集』があったので手に持って入ると、おぉ‼…この店はいいのが揃っている!と直感する。………………ふと、(写真関係の本はありますか⁉)と店主に何気なく問うと(その下の段に少しですがあります)との返事。確かに評論集のようなのが5~6冊しかないが、1冊だけ薄い写真集らしいのがあったので(!?)と思いながら引き出して見ると、『ROBERT DOISNEAU』と書いてあった。…ロベ-ル・ドアノ-の写真集である!!

 

…もうここで私の直感はマックスに達し、(有る、有る!…間違いなく昨日、大きく見たいと思っていたメリーゴーランドの作品が有る筈)と思って頁を捲っていくと、果たしてその写真が強い黒の綺麗な印刷で見つかったのであった。…それにしても昨日の今日とはあまりに展開が早い。…かくして、この日は、欲しかったドアノ-のメリーゴーランドの写真集と、長年不明であった中村彝の家の在所跡がまとめて見つかったのであった。

 

 

…このブログの連載が始まって既に15年以上の時が経つ。…その折々の話題の中で、私は自分が頻繁に体験している予知的な現象についても記録するように書いて来た。…その中で書いて来たものをここで少し挙げてみよう。

 

 

①ある日の昼前に、ふと、江戸東京の魅力を毎回特集している月刊誌『東京人』に何か書くのも面白いな、と漠然と思っていたら、その日の午後に『東京人』編集部から電話が入り、私は翌月に岸田劉生の描いた代表作『切通之写生』の現場について書いた事があった。

 

 

 

 

 

 

②以前に、報道ステーションという番組を観ていたら、番組とは全く関係なく何故か突然、以前に行った太宰治の生家への旅行の事を思い出した。

 

…私は太宰が東京へと旅立った生家近くにある津軽鉄道の金木駅を見たかったのであるが、その時は、知人が数人同行していて急ぐ旅だったので遠慮して行かず仕舞いのままだったのを後になって悔やんだ事を、何故か漠然と思い出したのであった。…すると、アナウンサ-が(ではここで、ちょっと気分を変えて、こちらの映像をご覧下さい)と話すや、テレビの画面からは、私が今、思っていた正にその駅、満開の夜桜の中を最終列車が入って来る、津軽鉄道の金木駅の情景が映し出されたのであった。

 

③熊本の個展の帰り、ANAに乗って東京に向かう機内の中で、機内誌『翼の王国』を読んでいた。…誰かが書いた海外の取材文であるが、文章に艶がなく、有体に言ってかなり硬い。(自分だったらもっと巧く書けるのになぁ……)と思っているうちに、飛行機は羽田に着いた。…その翌朝、1本の電話が入った。ANAの『翼の王国』編集部からであった。…私の好きな海外の場所に行って取材文を書いて来て欲しいという依頼であった。実に昨日の今日である。

 

…恵比寿のカフェで打ち合わせに行ってわかったのであるが、私が機上にいて(自分だったらもっと巧く書けるのになぁ)と思った正にその時に、私を取材に行かせたいという事が決まっていたのであった。…2ヶ月後に私はパリのパサ-ジュに取材に行き、その時に制作していた版画集の個展も併せてやって来たのであった。

 

 

…こういった現象は、その度に今までのブログに書いて来たので、以前から読まれている方は、既にご存知の事と思う。…今回はその内の3例を挙げたが、覚えているだけでも40以上は書いて来たと記憶する。…人生でこういう事を経験する方がいても、その回数が希であり、又は深入りしたくないという常識が働いて、偶然、或いはたまたま…という言葉で済ませてしまうかと思うが、私のように異常に回数が多いのは、何と云えば良いのであろうか?

 

…しばらくしてから現れる事象を先に視てしまう、或いは直観してしまう事の不思議を身をもって生きているわけであるが、…… 私は自分の経験を通して思う事がある。… この宇宙はわかっているだけでも11次元はあるという。しかし私たちはその内の僅かに1つの次元、すなわち3次元しか知覚出来ないでいる。… だが私の場合のようなこの現象を思うと、時にこの3次元の壁を瞬間的に突破して、別な次元との往還をしているのではあるまいか、そんなふうにも実感をこめて思うのである。

 

 

……このドアノ-の美しい写真集を刊行したのは、京都の祇園に在る何必館(かひつかん)である。7年ばかり前にこの美術館でドアノ-の写真展を開催した事があり、写真集はその時に刊行したのであった。…幾つか伺いたい事があったので、先日、何必館に電話をすると、3月30日頃までドアノ-の写真展を正に開催中との事。何という絶妙なタイミングであろうか。私が願うとそれは向こうからやって来るようで面白い。

 

…記念のポスタ-もありますとの事で、訊くと、メリーゴーランドのその写真もポスタ-になっている由。ならばと、私はそのポスタ-が欲しくなった。………そして、私の個展をプロデュ-スして頂いている福田朋秋さんが、現在、京都の高島屋美術部におられて来月に上京の折りに会食をする約束があるので、そのポスタ-を代わりに買って来て頂く約束を福田さんにお願いしたのであった。

 

……しかし、福田さんはかなり忙しい人であり、ふとそのポスタ-の在庫が何故か気になったので、今日の昼に何必館に電話をして、(京都高島屋美術部の福田さんがちかじか来られるので、そのポスタ-を取り置きしておいて、来られたら渡して頂きたい)旨を連絡して電話を切った。…その直後、入れ替わるように1本の電話が入った。…福田さんからであった。…今、丁度その何必館にいて、学芸員の方に私からポスタ-を取り置きして欲しい旨の電話があった事を知らされたとのお電話である。…福田さんいわく、あまりにジャストタイミングだったので、まるで私に見張られているようで驚いた‼…という。

 

 

…………………ずいぶん前になるが、私が未だ学生だった頃、横浜のマリンタワーでバイトをしていた事があった。…ある日、バイトに行くとマリンタワーの2階でかなりの人だかりがしている。…訊くと、よく当たるという評判の人相占い師がイベントに来ていて、その順番を沢山の人が待っているという。…その占い師に興味が湧いて来て、私は離れた所からその人を視ていた。…すると、私の存在に気がついたその占い師が、私をじっと凝視して、私に手招きをしたのであった。…何だろう!?と思いながら、その占い師の前に立つと、なおもその占い師は私の眼を鋭く凝視しながら、はっきりとこう言ったのであった。…(あなた、…いったい何者‼?)…と。

 

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『勅使川原三郎xジョン ケイジを踊る』

 

先日の19日に荻窪の劇場カラスアパラタスに行き、勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんによるダンス公演『ケイジの夢』を観た。…真っ暗な会場の舞台の上に垂直に朧な光が射しこむと左右にマヌカンのような気配を持った演者である二人が立っている。完璧なその美しい立ち位置の配置に先ず息をのむ。…そこから既に立ち上がっている緊張感は、かつてマルセル・デュシャンが(名人が配したチェス盤上の駒の配置は実に美しい)と語った、その美しさを想起する。

 

…また、満席で埋まった観客席に鋭く突き刺してくるその緊張感は、詩人・日夏耿之介の(己が頭脳は千百の思考の銀線で悉く/張り裂けさうであるところへ/水晶体は多彩多淫の光塵にて/……)という詩行の、正にそれである。…勅使川原さんの、時に犯意を多分に帯びたグロテスク、時にロマネスク、時にアルカイック…と妖しい身体表現の多彩な様が展開し、それに対演するように佐東利穂子さんの優美にして妖しい身体の動きが相乗して、ますますの膨らみを呈する中、そこにケイジの「夢」の緩やかにして眠るように虚ろな幻聴のような音が聴覚から忍び入って来て、私達はかつて覚えた事のない体感を各々の感性のまま各々の孤独の内に享受するのである。

 

……一瞬の隙もないこの緊張感の持続はおよそ一時間続き、最後の正に最後の暗転直前に、勅使川原さんが光の中で見せた〈一瞬の振り返り〉という所作によって、その一瞬後に美しい幻の残像となって、この作品は完成度の高さを極めるように、鮮やかに紡ぎ終えるのである。

 

 

 

………話を一変して物騒な事を書こう。…かつて三島由紀夫は、切腹する時の刃の様をこう語った事がある。…〈刀が体内に入るのではなく、体内にそれは出るのである〉と。…私がこの〈出るのである!〉と書かれた文章を読んだ時に覚えた戦慄は今も生々しく覚えている。…マゾヒズムの極地、被虐的なエロティシズムと狂気の混合、或いはやがて本人が突き刺す時の気合いの映しか⁉…三島が現代の定家と評した天才歌人の春日井建の歌にも、さすがにここまでのイメ-ジの言及は無い。

 

……それともう一つ。…周知のように、この宇宙はわかっているだけでも11次元あるというが、私達が感覚として実感出来るのは僅かにこの3次元だけである。身体内部もまた広大無辺な宇宙として捕らえ、そこに11次元的な考察をする事から見えてくる事の可能性の数々。……また、A4用紙の両端の左右に点を打つと、各々の点は左右に離れているが2つ折りにすると、この2点は一瞬で重なって最短の関係となる。

 

…………私は勅使川原三郎という稀人が全く独自に編み出したダンスメソッドについて時に好奇心を持って想像するのであるが、それをダンスではなく詩法の一つの可能性として考えている。…今述べた、三島の特異な身体感覚、宇宙の11次元的構造、紙上の2つの点の重なり……等々。これらも含めて様々な角度からの詩的イメ-ジの出現として捕らえ、その想像の権能から身体感覚へと移し変えているのではあるまいか、…そんな想像さえも、自分の制作の合間に想像してみるのである。そしてそれは自分の作品制作にも及んで来て、実に有益な時間でもあるのである。

 

………荻窪の劇場カラスアパラタスに行くと地階が公演会場であるが、私は1階の奥に展示してある勅使川原さんの毎回の新作素描を先ずじっくりと拝見するのを楽しみにしている。…来場した観客達は地階へと急いで、その素描の存在には気付いていないようであるが、私は実に興味津々に新作の素描に見入るのである。…世界素描大全という画集がもしあるとしたら、その全集に収まる事のない危ういまでに逸脱したその素描は必見である。

 

…あえて近似値を探すとしたら、人間の人体構造の仕組みを冷徹な迄に追及して描写したダ・ヴィンチが近いか、…或いは少女の腕の傷口に偏執したヴォルスのそれか。…とまれ勅使川原さんの素描を例えるならば、手術用の薄いゴム手袋を裏返した、その生々しさに或いは近いかもしれない。…それまで裏側の日影的な存在だったゴムの皮膚が急に表にされた事で、恥じらうように熱や匂いを放射して、腐臭さえも伝わって来るような、…そして腑分けされた肉の積み重ねられた素描の中に出現する幼児、時に胎児のままの姿と化した彼自身の肖像を前にする時、あたかもダンスという美的犯意の現場に遺された、犯人の姿を垣間見れるヒントのようで実に興味深いのである。

 

そして、真に彼は中原中也が記した、物が名辞される以前の感覚を温存したままに感性が息づいている稀人(つまりは本当の詩人)なのだと思うのである。

………『失踪したフィレンツェの或る屠殺執行人が遺した犯罪忘備録』…私は勝手にそう呼んで拝見している、この膨大な素描の山は、天才勅使川原三郎を知る、興味深いヒントなのである。

 

 

………ヴェネツィア・ビエンナ-レで金獅子功労賞を授賞して以降、更に海外からの公演依頼が殺到し、2月からは、プラハ・そしてミラノなどのイタリア三都市・ロンドン・セルビア・オランダと公演が続くので、次回の日本での公演は4月26日からである。

 

 

………アトリエには知人や未知の美術家からの個展案内状が届くが、申し訳ないが私は殆ど観に行かない。人生という短い時間の中で、無駄には過ごしたくないからである。…しかし、この荻窪にある劇場カラスアパラタスには余程の事がない限り私は通いつめ、既に10年以上の時が経つ。早いものである。…何故行くのか⁉…理由は簡単で、それが至純に美しく、紛れもなく本物の芸術だからである。

 

 

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『あぁ杉田くん、君は…』

 

…今年は、日本海側を中心に大雪を報せる映像が次々と入って来ている。例年の約二倍の降雪量というから凄まじい。…私は北陸の福井で育ったから雪の執拗な襲いかかり方は経験がある。…汗を流して雪掻きをしても、翌朝は嘲笑うようにまた繰り返し積もっていてきりがない。屋根に積もっている何トンもの雪を道に落とす為に、未だ小学生の頃から大屋根に登り、汗だくになって手伝ったものである。

 

 

 

 

…大屋根から落ちたら死ぬ危険性が高い為に本当は命綱が必要な作業だったが、子供だったので不安感はなく、今想えば、恐ろしい事を平気でやっていたものである。…今は雪も少なくなったが、昔は3メト-ル以上降った事もあり、家の2階の窓から出入りして、積もった雪の高みの上をまるで空中散歩のようにして歩いたものである。

 

 

 

 

…集団登校はホワイトアウトの中、凍った田んぼの上を進み、学校の姿が全く見えない為に、勘で方向を定め無言で何かに耐えるようにして歩く姿は、将兵199名を雪中遭難で死なせた映画『八甲田山』の映像とリアルに重なって来る。

 

氷が割れて田んぼの冷たい水の中に集団登校の児童の誰かがはまっても、まわりが無言で担ぎ上げ、何事もなかったようにまた無言で私たちは歩いて行くのである。

 

………今だったら、児童の死者が出ると誰が責任を…という事で早々と休校になるが、当時は吹雪の中を登校するのが当たり前で、誰も文句を言わず、それが当たり前であった。

 

 

…1991年の2月、私はパリのリヨン駅から夜行列車に乗り厳寒のヴェネツィアに向かった事があった。ヴェネツィアはつごう5回行っているが、その時が最初であった。…その年の冬はアドリア海が90年ぶりに凍るという酷しい寒さであった事は後で知った。

 

 

 

 

…滞在して3日目頃であったか、サンマルコ広場の老舗カフェ・フロ-リアンで夕方に休んでいて外に出ると、先ほどまであった人影が全く無く、店の灯りが次第に消えていき、まるでフェリ-ニの映画『カサノバ』の場面のように静かな不気味さが伝わって来た。…すると急に粉雪が吹き始め、たちまち呼吸すら出来ない白い吹雪のホワイトアウトに襲われたのであった。

 

…宿に向かって歩くが、何回試みても同じ場所に戻って来てしまい、無人の迷宮の中で焦りが次第につのって来た。…その時、八甲田山の死者達の死因を私は思い出した。…彼らは前進していたつもりで歩いていたが、実は同じ円の中をぐるぐる回っていて最期は亡くなったのであった。脳が覚えてしまう不気味なその錯覚の怖さを思い出した私は、今度は自分が良いと思う方向の真逆を進む事にした。すると次第に見覚えのある景色が現れて来て、…ようやく宿に帰る事が出来たのであった。ことほどさように雪は怖く、その白い衣裳の中には確かに魔物が棲んでいるのである。

 

 

…さて、今日は高校の同級生であった杉田君の事を書こうと思う。…この杉田君はずいぶん昔のブログで1度登場していて、今回が2回目になる。…1回目は修学旅行で阿蘇の草千里に行った時の事。…草千里には放牧中の牛や馬がいて、今は知らないが当時は係員の指導で希望者は乗馬が出来た。…杉田君、女子に良いところを見せようとでも思ったらしく、勇んで馬に乗ってみせた。…まぁそこまでは良かったのだが、どうやら雄馬のデリケートゾ-ン近くを彼の靴が弾みで当たったらしく、馬は突然悲鳴をあげるや、脚を高らかに上げ、杉田君を乗せてもの凄い速さで草千里の彼方へと駆けて行ったのであった。〈手綱を引いて姿勢を低くして下さい!!〉…焦った係員がマイクで必死に叫ぶのも空しく、杉田君を乗せた暴れ馬は、草千里のなだらかな斜面を一気に下り、いつしか私達の視界から消えていったのであった。

 

 

………今回はその数ヵ月が経った或る冬の日の話である。…校舎を改装する為に、私達は臨時に仮設したプレハブの校舎に一時的に移って授業をしていた。…昨夜から降った雪がかなり積もっていて、教室の窓を積もった雪が突き破りそうな程であった。…見かねた教師が(誰か雪掻きに行ってくれないか‼)と言った。…(…僕が行きます‼)といち早く挙手したのが件の杉田君であった。…授業をサボれる、…動機はそんなところであったかと思う。…しばらくして、窓硝子の向こうに長靴に履き替えスコップを持った杉田君が現れた。嬉しそうに、こちらに手を振っている。笑って応える生徒もいた。……そして私達は授業を受け、窓の外では杉田君がサクッサクッと真面目に雪を掻き除ける音がしていた。

 

 

 

……その日は前夜に降った大雪が嘘のように晴れた暖かい日であった。…………すると突然、私達の頭上で何かが纏まって滑り落ちていくもの凄い音がした。…明らかにプレハブの屋根に積もった雪が一斉に雪崩れて落ちていく音であった。

 

…教室の誰もが反射的に窓側を視た。そして視た‼…というよりは視てしまった。…杉田君が、さっきの笑顔とは一転して忽ち悲しい顔になり、両手を空しく上げ、自身に落ちてくる雪の量に耐えきれず、次第に積もった雪面の上にうつ伏せになって倒れこみ、やがて目を閉じて全く動かなくなり、その上を60センチほど積もった雪が完全に覆ってしまったその様を、私達は視てしまったのであった。その悲しい姿が窓ガラス越しに、ありありと見えるのである。

 

 

……その様を例えるならば、私たちが子供の頃に黒紙で覆ったビンの中に、二日程で出来たトンネルのような蟻の巣の作りがビンの外から丸見えに見えるのを想像してもらえたらわかりやすいかと思う。

 

…………(雪崩れで死ぬ人はあぁやって死んでいくんだなぁ)……(杉田、息をしてないんじゃないかな)……(まるで悟った仏みたいに杉田が見えるよ)……中には面白くて笑いを抑えている者もいた。

 

…あまりの異常なハプニングに最初笑っていた教師が、急に真顔になり(今からみんなで杉田を掘り出そう‼)と言ったので、私達は教室を駆け出して行ったのであった。

 

 

 

 

……それから時が流れていった。…2011年の秋に私の個展が福井県立美術館で開催される事になり、その記事が新聞に載った事があった。…それを読んだ元同級生の女子が発起人となり、同窓会が開かれる事になった。…同窓会というのは絶対に出ない私であるが、開催の主旨に私が絡んでいるのだから仕方がない。…というわけで出席したのであるが、座の途中で私は杉田君の事を思い出し、すっかり変わった杉田君を見つけたので近づいていって話をした。…確かに杉田君は生きていた。…そして、日本の近い将来の姿を考えて会社員を止め、一念発起して今は安定した職業の整体師になっているのだよ、…と言って、笑いながら私に「杉田整体医院」と印刷した名刺をくれたのであった。

 

 

 

 

追記。…しかし私には長い間、1つの疑問といえるものがあった。…それは、杉田君が雪崩れに襲われた時に簡単に失神してしまったのを目撃したのであるが、人はなぜ簡単に失神してしまうのであろうか?、もちろん雪崩れの雪の量にも拠るだろうが、意識の抵抗はかくも脆いのであろうか?…という疑問であった。

…しかし先日たまたまテレビを観ていたら、雪崩れの凄さを試す実験をやっていて成程と首肯するものがあった。

 

…地表に木製の硬い箱を置き、その上の屋根から雪崩れを落とす実験であった。…観て唖然とした。雪崩れの直撃を受けた箱は一瞬で木っ端みじんに砕け散ってしまったのであった。…重さ100Kg以上の直撃が次々と身体を襲えば、意識などは一瞬で停まってしまう。…先日も40代の女性が街中の通りの屋根からの雪崩れを受けて亡くなったという事故があったが、成程…と疑問が解けたのであった。…あの時、杉田君を助けに行くのがもう少し遅かったら…と思うと、今になってゾッとしたのであった。

 

 

 

 

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『2025年初春…それでも地球は回っている。』 

 

…今年最初のブログは、先ずは私からの年賀状です。

 

 

 

螺旋の永久運動を真似て蛇がうねる。
その蛇を真似て硝子がうねる。
遠い冬のラ.セ-ヌの上で、2025粒の光を浴びた…世界がうねる。

 

 

 

…今年から基本、郵便としての年賀状を書く事をやめているので、ブログを介しての年賀状とあいなった次第。しかし考えてみると、これはあまねく伝わるので、未だ直接お会いしてはいないが、しかしこのブログの善き読者である方々にも年頭のご挨拶が伝わるので良い試みではないかと思う、1月4日現在の私である。

 

…新年早々に、私の大切な才能ある友人のTが亡くなった一報が入って来た。…私は度々予知夢を視るし、最近妙に気にはなっていたので、やはり…という思いのまま、通りに出て茫然とするところで、………パチンと夢が弾けた。今年の初夢はそういう夢から始まった。皆さんの初夢は果してどのような宝船に乗った夢をご覧になったのであろうか。

 

 

 

……3日にアトリエ近くにある古刹の妙蓮寺に初詣に行き御神籤を引いたら、昨年と同じで「大吉」が出て、あぁ…という感じで溜め息をついた。昨年の大吉は、大事な個展直前に突然襲われた椎間板ヘルニアの発症で車椅子、松葉杖の生活をする羽目をもたらしてくれたが、さあ今年の大吉は何が来るのであろうか?…痛い目に遭ったのでつい身構えてしまう「大吉」である。

 

…今、人類がおかれている現状や近未来の姿を思うと、御神籤が入っている箱の中には気休めの大吉でなく、人びとに警告を発する全部「大凶」こそ相応しいのではあるまいか。私が神主ならそうするだろうし、結果、その神社や寺には人は寄りつかなくなってやがて、荒寺になっていくのであろう。

 

 

 

…実は、私は新年を迎えたという実感が無いままに、今、今年初のブログを書いている。昨年の大晦日の夜は10時過ぎに早々と寝床に入り、『詩の誕生』(大岡信・谷川俊太郎共著・岩波文庫)という対談本を読んでいて、そのまま寝落ちしてしまい、目が覚めたら、既に太陽が空の高みにあって眩しかった。…なので除夜の鐘も、横浜港から一斉に聞こえてくる、新年を祝う船の汽笛も聞いていないので、年が開けた瞬間の、あの大急ぎで頁をめくって新年にジャンプするような心の慌ただしい切り替えがないまま、今は2025年の1月4日なのである。

 

 

………俳人・高浜虚子の作に「去年今年貫く棒の如きもの」(去年の読みはこぞ)という俳句があるが、確かにあの、年を越していくという瞬間は気持ち的に重いものがある。…観念が唯一、生々しく肉体性を帯びた瞬間、そう言えるかもしれない。……だから、眠ったまま年を越した私には地球が新たに一周回っただけ、そんな感じなのである。…そもそも新年というものは何故必要なのであろうか?…答えは簡単で、新年というめり張りの効いた太い節がもし無かったら、人々は唯だらだらと呆けたように生きていく事になるからだと私は思う。

 

 

 

 

 

 

………さてここから話題が少し変わっていく。…人は、それが当たり前と思っているが実はそうではないという事がある。

 

…例えば今言った地球一周の話であるが、その時間はと問えば、人は当然のように24時間と答える。…では地球創成期においては地球は一周するのにどれくらいであったか、ご存知であろうか?

 

 

 

…実は、地球が誕生したばかりの頃(46億年前)は地球が一周するのに要したのは僅かに5時間であった。何という急速回転‼…18億年前は18時間、……そして今は24時間…と、駒の回転が次第にゆるくなっていくようにして、やがては…………。原因は、月が次第に地球から遠ざかって行く(月は地球から年3.82cm、離れていっている)事と、それによる潮の満ち引きによる摩擦が関係しているようである。何とも壮大な現象で、想像してみると巨大な玩具のようで面白い。

 

 

 

 

…続きの話として、…人は誰もがみんな西郷隆盛の名前を知っているが、実は、彼は西郷隆盛ではなく西郷隆永(たかなが)で、幼名は小吉、そして吉之助。

…隆盛というのは彼の父親の名前で、岩倉具視に宛てた手紙には西郷隆永と記されている。…だから龍馬高杉晋作たちは、西郷隆永という認識はあったが、西郷隆盛という名前の認識は全く無いままに付き合っていた事になる。

 

 

……間違って隆盛になったのは明治維新の後で、明治天皇から位階を授かる事になり、政府に本名を届ける時に、西郷がたまたま不在。役人が西郷の知人に尋ねたところ、間違って父親隆盛の名前を告げてしまった為に、そのまま戸籍まで西郷隆盛になってしまったという次第。…しかし西郷はその間違いを全く気にしなかったというからやはり大きい。……しかし思うのであるが、この間違い、西郷隆永よりは遥かに隆盛の方が響きが善い。…伝説になる下地はこの間違いが幸いしている感もなきにしもである。(名前は大事である。…例えば、天才舞踏家の土方巽(ひじかたたつみ)の本名は、米山久日夫(よねやまくにお)というが、まぁそういう事である。…

 

 

 

さて、ともかく新しい年が開けた。私は元旦からアトリエに入り、新作を二点仕上げた。…この勢いでまた新たな未知の領域に入っていくのであるが、そこにどのような表現が立ち現れるのか、…また今年は平行して詩も書いていこうと思っているが、その二本立てで突き進む気概である。…この連載ブログもまた、引き続きのご愛読を乞い願う次第である。…皆さま方の今年のますますのご多幸を祈念しつつ…今回はここまで。

 

 

 

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