サルーテ聖堂、ヴェネツィア

『個展 – 中長小西』

中長小西(NAKACHO KONISHI ARTS)での個展が、20日からいよいよスタートした。前日の飾り付けは、オーナーの小西哲哉氏のミリ単位での作品展示の位置、照明へのこだわりが徹底されて夜半過ぎまでかかったが、それを反映して洗練された完成度の高い展示となり、作品が更に映えて密度の濃い会場空間が立ち上がった。

 

 

初日の開場と共に、先ず最初に入ってこられたのは日本経済新聞社のK氏であった。会場内をゆっくりと一巡して再び『パスカルの耳』と題したオブジェの前に立ち、即決したようにコレクションとしての購入を決められた。この早い決断は私を驚かせたが、そういう決断はその後も続き、予想以上の作品が、初日からたちまち私の手元を離れていく事となった。もとより作者とは、作品がこの世に形を成すための客体的存在であり、作品からイメージを夢見のように紡いでいくのは、作品を所有する人の主体的な特権である。その意味でコレクションという行為もまた、作者とは異なるヴェクトルを持った豊かな創造行為であるという持論が私にはある。

 

二日目の来場者の中に美術雑誌の編集者のB氏がいた。B氏は今回の作品を見て「今年に入って五百以上の展覧会を見て来た中で、最高にレベルの高い内容だと思う!!」と、私に感想を告げてくれた。いろいろな方が個展の感想を語ってくれるが、B氏のように仕事上も含めて数多くの展示を見ている人はいない。その意味でより客観性を持ったB氏の言葉は、私の現在形に対する自信と確信を強度に抱かせてくれるものがあった。今後仕事に対峙していく上で、このB氏の言葉はひとつの強い追い風となっていくであろう。

 

さて、今回の個展は『立体の詩学 – 光降るフリュステンベルグの日時計の庭で』という題を付けている。少しそれについて語れば、フリュステンベルグとは、パリ・六区に現存するフランス浪曼派の巨匠- ウジェーヌ・ドラクロワの館がある所の番地名である。その館には美しい庭が在り、私はその場所を、今回の個展で発表する作品のイメージを紡ぐ場所として想定した。ご存知のように昨今の美術作品の多くは、色彩各々が本来持っているドラマやアニマを失って、薄く脆弱なものと化している。しかし本来、芸術とは強度であり、危うく、かつ毒があり、ゆえに深く美しいものであるべきであろう。私はその批評的考えをベースとして「色彩のアニマの復権」をテーマとして立ち上げ、タイトルにそっと、その意図を伏せた。ドラクロワは、その象徴として登場しているのである。「立体の詩学」は、詩の分野だけでなく、芸術創造の最終行為においてポエジーを孕ませることは必須であり、私の作品は美術という分野を超えて、〈詩〉の領域に在るものでありたいという想いから付けたものである。現代の美術の傾向は、ますます無機質な不毛なものへと行きつつあるが、私は、それとは真逆の、有機的な韻を帯びた馥郁として名付けえぬ危うい作品を作っていきたいと思っているのである。

 

 

「立体の詩学 - 光降るフリュステンベルグの日時計の庭で」BOXオブジェ(部分)

 

「千年の愉楽 - サルーテ聖堂の見えるヴェネツィアの残照 」BOXオブジェ(部分)

 

 

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