スペイン風邪

『あの芥川龍之介も感染していた!』

……今月の20日から11月8日まで開催される、日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展『迷宮譚―幻のブロメ通り14番地・Paris』の作品制作も、新作オブジェ74点の全容が見えて来て、いよいよ最終段階に入って来た。個展の案内状も、そろそろ発送しなければならない。……朝は8時くらいからアトリエに入り12時間制作をして、後は寝る前に読書という日々が最近続いている。……そんな中で、最近面白い本を見つけたので今はその本を読んでいる。題して『文豪と感染症(100年前のスペイン風邪はどう書かれたのか)』(朝日文庫)。

 

 

その本を読むと当時の文豪の芥川龍之介、斎藤茂吉、志賀直哉、菊池寛……を始め、たくさんの人が感染していた事が、彼らの手紙や小説からわかって来て実に参考になって良い。芥川は父親がスペイン風邪で亡くなり、自身も感染してかなり苦しんだ事が、随筆家の薄田泣菫宛の手紙から見えてくる。

 

時代は大正七年(1918年)~大正九年(1920年)頃で、ちなみにスペイン風邪は第2波まであり、芥川は2回とも感染して苦しんでいる。1918年の三月にアメリカで最初の患者があらわれ、あっというまに世界中に広がった。世界では4000万人が亡くなり、日本国内でも38万人~45万人が亡くなった由。この度のコロナでの日本での死者は現時点で17500人くらいであるから、スペイン風邪の猛威が今とは比べ物にならないくらいに凄かった事が見えてくる。……さてその芥川の手紙から。

 

「僕は今スペイン風邪でねています。うつるといけないから来ちゃ駄目です。熱があって咳が出て甚だ苦しい。」また別な日には「スペイン風邪でねています。熱が高くって甚だよわった。病中彷彿として夢あり退屈だから句にしてお目にかけます。……凩(こがらし)や大葬ひの町を練る」……いたるところから葬式の列が出て、その中を木枯らしが吹いている……といった凄まじい当時の光景が透かし見えてくるようである。

 

また面白いのは、与謝野晶子の『感冒の床から』と『死の恐怖』と題する二作の文章で、「今は死が私達を包囲しています。東京と横浜とだけでも日毎に四百人の死者を出しています。……盗人を見てから繩を綯うというような日本人の便宜主義がこういう場合にも目に附きます。……」と書いて、当時の政府の後手後手の無策に与謝野晶子は怒っているのであるが、それを読むと当時と今と全く変わっていない事が見えてくる。

 

その100年前のスペイン風邪で最も悲劇的で有名な話は、女優の松井須磨子と恋愛関係にあった妻子ある島村抱月(劇作家で演出家)の死であろう。最初にスペイン風邪にかかったのは松井須磨子であるが、それが島村抱月に感染し、抱月はあっけなく亡くなった。

 

抱月の弟子の秋田雨雀の日記にはある。「大正七年、十月三十日。ぼくは風邪(スペイン風邪)はなおったが、島村先生は須磨子と共に流行性感冒に苦しめられている。すこし心臓が弱いので、島村先生は呼吸困難を感じていられる由だ。須磨子はかなりよくなったようだ。」

 

「十一月五日。今暁二時七分前、師島村抱月は芸術倶楽部の一室で死んだ。みんな明治座の舞台から帰った時はまったく絶命していた。小林氏(須磨子の兄)もまさか死ぬとは思わなかったらしい。実にひじょうな損失だ。須磨子は泣いてやまない。……」

 

「大正八年・一月五日。昨夜、島村先生のマスクの破れた夢をみた。朝、起きてまもなく島村先生の墓地へゆこうとすると、芸術座から電報がきた。〈マツイシススグコイ〉。ひじょうなショックを感じて、思わず立ち上がった。自殺!という連想がすぐ頭を襲うた。

……芸術倶楽部へいった。道具部屋の物置で、正装して縊死を遂げたのであった。半面紫色になっていた。顔が整っている。無量の感慨に打たれた。……」

 

 

……この本には菊池寛の「マスク」、谷崎潤一郎の「途上」、志賀直哉の「流行感冒」、永井荷風の「断腸亭日乗」、斎藤茂吉の「つゆじもより」……など、作家達のスペイン風邪感染の実体験と奮戦記が載っていて実に参考になり、感染症に対する視野が複眼的になってくる。この本から学んだ第一の事は、100年前のスペイン風邪の凄さに比べると、今日のコロナ禍なるものは、甚だ軽いという事であり、しかも今、感染しても死亡率が格段に下がって来ている事は、先に漸くの明るい兆しが見えてきた感がある。……第6波の感染拡大の可能性も未だ多分にあり、迂闊に軽視する事は禁物であるが、しかし、そろそろの感がある。かつてのコロリ(コレラ)も、スペイン風邪の猛威も不思議な事に、だいたい二年で消えていった。……そして、今日のコロナも、まもなくその二年目を迎えようとしている。

 

 

 

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『高村光太郎の、……その前に』

前回のブログの反響はかなり大きく、たくさんの読者の方から「面白かった!!……もっと続きが読みたい!」といった内容のメールが続々と届いて嬉しかった。自分でも久しぶりに書いた連載であったが、まぁあれで、あの実録に基づいたミステリ―は書き尽くしたかなという感がある。書けばもっと続くのであるが、そうしていては切りがない。何しろ書きたい話が他にもたくさんあるのである。……想えば、このブログも10年以上書き続けて来たが、幾つか思い出すブログとしては、……砧の撮影所でふとした成り行きで出会い、最後には私を役者志望の貧乏学生と勘違いして延々と役者の心得を熱く説教してくれた名優・勝新太郎との数奇な出会いを書いた『勝新太郎登場』、また、未亡人下宿で聴いた森進一の歌「襟裳岬」から始まり、次第に新古今和歌集の藤原定家へと話が移っていった『未亡人下宿で学んだ事』の2話に続く渾身の作であったかと思う。……さて今回は、予告では『もう1つの智恵子抄』であったが、不気味なコロナウィルスについて、先にちょっと書こうと思う。

 

 

 

……先日、体が少し鈍って来たのでジムに行こうと思ったが、ふと「密閉してあるジムこそ危ないな!」と、頭のセンサ―が作動したので行くのを止めた。するとさっそく翌日の午後に「千葉のジムからコロナウィルスの患者が連鎖発症」の報道がありホッとした。世はあげてコロナウィルスで、もはや世界がパニックである。今までにない不気味な猛威を見せているというが、はたしてそうか!?…………調べてみるとかなり上手の先輩がいた。1918年から1919年にかけて世界的に流行したご存知の「スペイン風邪」がそれである。なんと感染者5憶人、死者5000万~1憶という桁違いの猛威であり、当時は第一次世界大戦の最中であったが、徴兵できる成人男性が減った為に、世界大戦の終結が早まったというから凄まじい。日本だけでも死者は39万人、アメリカで50万人以上が亡くなっている。このスペイン風邪は約1年間の長期に渡り世界的に猛威を振るったというから、今回のコロナウィルスの終息もまだまだ先が読めないのが現状である。……このスペイン風邪で、画家のエゴン・シ―レやクリムト、またアポリネ―ル、日本では劇作家の島村抱月、画家の村山塊多などが亡くなっている。(ちなみに、私が好きな松井須磨子は島村抱月の後を追って自殺)。………………

スペイン風邪以前の日本の話では、1858年(安政5年)に流行ったコレラ(短期間でアッという間に逝くので別名コロリと言われた)も凄まじく、江戸だけでも死者が10万人(一説によると23万人ともいう)を越え、浮世絵師の歌川広重はこれで亡くなっている。その後にもコレラは度々流行ったのであるが、歴史の逸話としては、もし文久2年(1862年)に第3期のコレラが流行らなかったら、かの「新撰組」は生まれなかった可能性が高いという説がある。……江戸の試衛館(天然理心流の剣術道場で道場主は近藤勇、他に食客で土方歳三・沖田総司・永倉新八・斎籐一・藤堂平助……たち猛者がいた)が、流行りのコレラで入門者が激減し、今回と似た黒字倒産の危機に瀕していた。そこに同じ食客の山南敬助が、幕府の官費による浪士組設立の話を持って来た。江戸で浪士を募り、彼らを使って不穏な京都の治安を守るのが目的という。……この案を幕閣に仕掛けたのは庄内藩の志士・清河八郎。しかし清河は稀代の仕掛人、……実は幕府の官費で集めた浪士をもって幕府を倒す浪士隊を作るというのが、その考えの底にあった。浪士は300名ばかり集まり京都に行くのであるが、近藤勇達はこの話に応じて道場を閉鎖し、第2の転職人生を託す事になる。文久2年のコレラの流行が無ければ、近藤達は江戸と多摩の道場暮らしで平凡に人生を終えた可能性が高いから人生は面白い。彼等に元々の政治的な思想などは無く、まぁ時代の流れに後ろからやむなく押されたにすぎない。……清河八郎のような山師は私は好きであるが、少しやり過ぎた感がある。……京都に着くや、壬生の宿舎で本来の目論見を演説でぶちまけたのであるが、同席した幕府の役人や浪士の殆どがパニックのまま解散して江戸に戻る。そして近藤勇たち試衛館の連中と、何故か芹沢鴨の一派だけが京に残り、会津藩から資金を得て、京の治安を守る新撰組が俄に少人数から誕生した次第。……一方の清河は江戸に戻るが、佐々木只三郎(後の龍馬暗殺の実行犯)によって、赤羽橋近くの路上で白昼に暗殺されてしまう。……(ふと気がつくと、私はコロナの話から幕末の逸話に話が移ってしまっているので、軌道を戻そう。)……つまり、コロナウィルスはスペイン風邪に比べると規模は全く小さいのに、世はあげて人類死滅のごとき騒ぎであるが、この原因は、ネットやSNSの普及、そして世界経済の連鎖性により、明らかに世界が狭くなっている事、また同じ情報の反復受信や、様々な意見の洪水で、脳がそのCapacityを越えて、情報パニックともいうべき一種の集団ヒステリーが連鎖的に起きているのは明らかである。……全く知らないという事もある意味恐いものがあるが、映像を通して見えすぎてしまう……というのも、実体の原寸を越えて投影された暗すぎる巨大な幻想を生んでしまう。……とまれ、もしこのブログが前置きなく突然発信が途絶えた時は、私が不運にもコロナウィルスに罹ってしまったと思って頂けると有り難い。……無事な場合、次のブログは『もう1つの智恵子抄』、更には『阿部定異聞』etcなどと続く予定です。……引き続き乞うご期待。

 

 

 

 

 

 

 

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