タイムスリップ

『前回のつづき』

28日まで個展を開催している東京茅場町にある井上ビルは、昭和2年の建立。つまり85年前の建物である。たしか阿部定事件が昭和11年だったから、それよりも古く、イメージを辿っていくと、掲載した写真のような頃であろうか?ビルを入って3階の個展会場-森岡書店へと上っていくと、階段辺りが時間の澱にたっぷりと包まれていて、何とも懐かしい気持ちが立ち上って心地良い。このビルはその頃の「気」を孕んで静かに呼吸しているのである。このビルに初めて来た人に聞くと、誰もが不思議なタイムスリップの気分になるというのも頷ける。

 

生き急いでいるわけでもないが、ここ数年来、私は集中的に個展を開催している。しかし必ず前回とは異なる新たな試みを行っている。だから毎回見に来られるコレクターの方々はそれが面白く、また驚きであると云う。唯、新しい試みだけではなく、更に完成度が高まっている事にも挑戦の意識を持っている。これはプロの表現者としての矜持であり、自分に対する批評でもある。その新しい試みの作品を、初日に来られたN氏が早々と評価してコレクションに加えられた。N氏とは旧知の間柄である。私の多くの作品を所有しておられるが、しかし氏の眼力の鋭さを私もまた認めており、その関係には心地良い緊張がある。この緊張は、作家活動にとても大切な波動を与えてくれている。つまりN氏のような存在は、私にとって今の自分を直に映し出す鏡のようなものである。現在形の仕事への、ありのままの直な批評がそこには在るのである。

 

 

 

 

会期中、ほとんど私は毎日(前述した二日間を除いて)森岡書店に行き、午後の1時すぎ頃から夜の7時すぎ頃までは在廊している。そして食事をして帰った後、今一つの事が待っている。詩人の野村喜和夫氏の詩と、私の作品を一冊の詩集に絡めた本が、企画で思潮社から刊行されるために、新たな〈ランボーの肖像〉に挑んでいるのである。詩人の野村氏は、現代詩における最も先鋭な表現者の一人である。氏の表現も常に新たなイメージの領土を求めるように、停まることをしらない。野村氏の生きざまに応えるべく、ハイセンスにして、しかも底光りのするような作品を作りたいと思う。

 

 

 

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