マルセル・プル―スト

『晩秋に書くエトセトラ』

……11月中旬はコロナ感染者の急増に加え、寒暖が入れ変わる日が続き、人はみな心身ともに疲れる毎日であったが、下旬になってそれらが少し落ち着いてきたようである。

……家路へと続く石畳や、庭の光が障子を通して白壁に映す綾な模様には風情さえ感じられ、今、季節はひとときの寂聴の韻に充ちている。

 

……内覧会のご招待状を頂いていたが、自分の個展と重なったために行けなかった展覧会が二つあった。DIC川村記念美術館の『マン・レイのオブジェ』展と、ア―ティゾン美術館の『パリ・オペラ座―響き合う芸術の殿堂』である。……個展が終わり、ようやく時間が取れたので出掛ける事にした。今回のマン・レイ展は、オブジェをメインにした展示である。マン・レイは写真、絵画、オブジェ…と表現者として幅が広いが、写真が圧倒的に評価が高いのに比べ、オブジェの評価はいささか落ちるものがある。数少ない友人の一人であったマルセル・デュシャンはマン・レイの機知に富んだ諧謔精神の良き理解者であったが、それを直に映した彼のオブジェはいわゆる美のカノン的なものから逸脱するものが多分にあり、故に難しい。私見であるが、マン・レイのオブジェの中で最も優れている作品は何か?と訊かれたら、私はア―ティゾン美術館が収蔵している天球儀をモチ―フとしたオブジェであると即答するが、はたしてそのオブジェも展示されていて、展示会場で群を抜いた光彩を放っていた。

 

 

 

 

マン・レイの会場を出ると、別室でジョゼフ・コ―ネルの作品が一点新たに収蔵されたのを記念した特別展が開催されていた。……拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊行)の中で書いたコ―ネルの章を読まれた方の多くは、私の書いた内容に戦慄と更なるコ―ネルへの興味を懐いた方が多いと聞くが、確かにコ―ネルは唯のノスタルジアの角度だけでは捕らえられない危うい謎を多分に秘めた人物である。……あれは何年前になるであろうか、ある日、川村美術館の学芸課長の鈴木尊志さんから連絡があり、コ―ネルと私の二人展が企画された事があった。その展覧会の主題が芸術における危うい領域への照射というものであり、打ち合わせの時に私が発した言葉「危うさの角度」に鈴木さんが着目し、展覧会のタイトルに決まった。直後に鈴木さんの勤務先美術館の移動(現・諸橋美術館理事)が俄に決まった為に展覧会は企画の時点で止まったが、実現しておれば別相の角度からのコ―ネルのオブジェや私のオブジェが放つ、ノスタルジアの裏の危うさの相が浮かび上がって、面白い切り口の展覧会になっていた事は間違いない。

 

 

……コ―ネルに関してはもう1つ話がある。今から30年以上前になるが、竹芝の「横田茂ギャラリ―」でジョゼフ・コ―ネル展が開催された事があった。……横田茂氏は日本にコ―ネルを紹介した第一人者で、当時、多くの美術館に入る前のコ―ネルの秀作が数多く展示されていた。私はコラ―ジュ作家の野中ユリさんと連れだってギャラリ―に行き作品を観ていた。……会場の中の一点、カシオペアを主題にした、実にマチエ―ルの美しい作品を観ていた時、ふと(この作品、実にいいなぁ)と思った瞬間があった。すると気が伝わったのか、画廊主の横田さんが現れて、私にその作品の購入を勧められたのであった。価格は確か500万円であったと記憶する。横にいる野中さんは(500万なんて安いわよ!北川君、買いなさいよ)と高い声で気軽に言う。私の知人でコ―ネルのコラ―ジュを300万円で購入した人がいたが、それから比べたら、というよりも、遥かに今、目の前に在るカシオペアの作品はコ―ネルの作品中でも秀作である。…500万円……、清水の舞台からもう少しで飛び降りる気持ちになったが、やはりやめる事にした。……私はルドンジャコメッティヴォルス……といった作品は数多くコレクションしているが、コ―ネルは何故か持つべき作家ではないと直感したのであった。……その後で、コ―ネルの評価は天井知らずに上がり、今、メディチ家の少年をモチ―フにした代表作のオブジェは6億円以上に高騰しており、察するに私が500万円での購入を断念した、あのカシオペアの作品は1億以上はなっていると思われる。しかし、それで善かったのである。

 

 

……ア―ティゾン美術館の展覧会はオペラ座の豪奢な歴史を表・裏の両面から体感できる凝った展示であった。しかし私が特に惹かれたのはマルセル・プル―ストの『失われた時を求めて』の第三篇「ゲルマントのほう」の直筆原稿が観れた事であった。……銅版画で私はプル―ストのイメ―ジが紡がれる過程を視覚化した作品を作っているので、その原稿に修正の線が引かれた箇所を視た時はむしょうに嬉しかった。

……ドガのバレエを主題にした油彩画の筆さばきにはその才をあらためて確認したが、マティスの風景画『コリウ―ル』に視る色彩の魔術的な様は、特に私の気を惹いた。「豪奢.静謐.逸楽」はマティスの美に対する信条であるが、私がマティスから受けた影響の最たるものは、この言葉であり、私はその言葉を自分が作品を作る際に課している。……それに常なる完成度の高さと、微量の毒を帯びた危うさ、……これが私が自身の作品に注いでいる全てである。……更に加えれば、表現者たる者としての精神の貴族性、それが加わるであろうか。美術館の別なコ―ナ―では、デュシャンのグリーンボックスやコ―ネルの函の作品が展示されていて、密度の濃い展覧会になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……さて、まもなく12月である。高島屋の個展が終わってまだ間もないが、早くも私は次なる表現に向けて加速的に動き出している。オブジェの制作に加えて、新たな鉄の表現、全く別な文脈から立ち上がった新たなオブジェの表現、……加えて、第二詩集の執筆、……等々。今年の冬はいつもよりも熱くなりそうである。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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