佐伯祐三、松本竣介、靉光

『私にとって今、なぜ恩地孝四郎であるのか。』

最近のブログで度々書いているが、つくづく思うに、今日の文化で美術の分野が最も堕落しているという観がある。堕落というよりは腐敗しているという方が、より正しいか。先の贋作事件などはそのほんの一例にすぎず、作品の価値の俄製造と大衆への巧みな仕掛けで、作品は仕手株と化し、金はあっても真贋を見分ける眼識を全く持たない多くの連中が、易々と引っ掛かって拝金主義にひれ伏し、もはやマネ―ゲ―ムのうす汚れた現場と化している。不毛という言葉の具体的なこれは実例であろう。

 

……作品それ自体は、まるで地方の高校の文化祭のポスタ―程度にすぎないバンクシ―という画家が演ずる、神出鬼没という戦略と、とって付けたような意味付けが、あたかも現代を突くかのごとく巧みに効を奏して、何でもいいから面白い話題が欲しいメディアがそれに乗り、作品の実質とは別な付加価値で、作品は信じがたい価格に化けていく。……以前に観たテレビの漫才で、お笑い芸人が、オ―クションの時に額に仕掛けたシュレッタ―でバンクシ―自らの仕掛けで自分の作品を切り裂く(低迷しているオ―クション会社と作者によるあざとい戦略)という、ネタがバレバレのその行為を冷笑的に茶化し、客も爆笑していたが、この爆笑した感覚は、まだ理性的と云っていい。……有り体に言えば、賽銭箱を担いで三途の川を渡れると本気で信じている連中が百鬼夜行する、この美術という分野は、ある意味で、もはや焦土と化していると断じていいものがある。実はこの現象の歴史は古く、1920年辺りから始まった雪崩れ現象で、今やそれが極まったという感じである。……それを醒めた眼で冷静に見ていたのは、実にデュシャンくらいであろうか。

 

 

……だから、そんな中で年明けに読んだ池内紀氏の著書『恩地孝四郎一つの伝記』は、表現者たるものが、その生を燃焼するには如何に黎明期(注・夜明けにあたる時期。新しい文化・時代などが始まろうとする時期。)こそが実は豊かな時代であり、その不足感や精神の飢餓こそが、実は表現に豊饒をもたらすかという真実が伝わって来て、夢中で読むと共に、最後に出たのは「あぁ、遅く生まれすぎた!」という溜め息であった。

『恩地孝四郎 一つの伝記』……著者の池内紀さんはカフカの名訳で知られるが、その執筆範囲の幅は実に広く、かつ深い。……私事になるが、以前に開催した個展に池内さんが私の不在時に来られ、版画『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』を求めて購入され、書斎に掛けてカフカ他の多岐にわたる執筆をされておられたと聞くが、生前、残念ながら私はお会いする機会がなかった。しかし、その著書からは実に沢山の教わるものがあり、お会いしたかった人である。

 

その池内さんの視点は一言で言えば性善説である。だから、本の中で書かれた恩地孝四郎像は内面の生々しい暗部には安易に斬り込んでいない。それでも、この国における創作版画の立ち上げと、日本人で初めて抽象絵画を表現した人、この恩地孝四郎という人が、何よりも先ず優れた詩人であったという事、そして、萩原朔太郎、北原白秋等の詩人達との交流など、大正前から昭和三十年の死去までの多岐な歩みが実にしっかりと描かれているので、私は現代前の近代版画の歩みがこの本によって整理された思いである。

 

……また才能豊かな田中恭吉(結核)や谷中安規(餓死)などの壮絶な非業の死、たくさんの文芸や音楽家との交流など黎明期にしかあり得ない豊かな日々の生きざまが伝わって来て、その交感、ぶつかり合いの熱い様が肌を通して伝わって来た。そして恩地作品の底に流れる鮮やかな感性の映りの背景が見えて来たのであった。整理してみると、恩地孝四郎に端を発した創作版画は、その後で数多登場した版画家の中から才能ある突出した人材を池内さんは絞っていき、棟方志功、駒井哲郎、……そして、池田満寿夫の三人に指を折り、彼らの表現を持ってこの国に認知、定着を見たと観ている。……

 

 

 

 

 

 

 

最近の私は、その近代から現代に至る、数多いる群像の十字路に、では誰を置くかと自問した結果が、この恩地孝四郎なのである。駒井さんから直で度々聴いた名前が恩地孝四郎であったが、今、駒井さんが恩地孝四郎に見ていたものもまた漸くにして見えて来たのである。……言葉で書く詩人だけが詩人ではない。むしろ美術の分野にこそ実質的な詩人がいた!という分析から見ると、近代詩における天才・萩原朔太郎と詩のありようと意味においてぶつかった恩地孝四郎(彼は実にたくさんの詩を書き残している)の詩を読むと、抑制された幾何学的とも云える感性の内に、萩原より先んじて近代を呼吸し、それを多岐にわたる版画の実作においても表しているのが見てとれる。……そして、その遺伝子とも云える駒井や池田の感性の内にもリリックなるものが豊かに息づいているのである。(勿論彼らにおいても、その作品は絞られていくが)

 

しかし、昨今の版画の分野に眼をやると、このリリックが消え失せ、批評眼、果敢な実験への意志……も消え失せ、個々人の表現が閉ざされた内向的なものや、いたずらにささくれた流行りのものに変わり、一言で言えば、一点が孕む自立性、象徴性、強度、……が消え失せ、名作と自他共に認めるような作品が出て来なくなった事は問題であろう。私個人を言えば、版画集を七作刊行し終えた後、ピタリと版画をやめてオブジェ、写真、詩、執筆へと転換したのが13年前の事。分析すると丁度その頃から、版画の傾向が変わり、舞台が動くように版画は内向的な、一人称の呟きのようなものへと転じて来たのであるが、私が視るその映りは、今の版画家達にはおそらく見えていない分析の視点かと思われる。……次第に死に体へと変わりつつある昨今の版画の傾向を見て、恩地孝四郎ならば如何に叱咤するであろうか。それとも……時代だよ、仕方がないと少し笑うか、はたまた別な表情を見せるのかは私は知らない。

 

彼らの生きた時代は、版画で食べられる事など想像外の事であった。ただひたすらに版画を通して自分の存在の意味を模索し、自分の存在した何か刻印のような物を、時代に向けて突き刺すような熱意で、その1回きりの生を生き急ぐように駆け抜けたのであった。その足りないという飢餓感覚の中からしか実験は生まれ出ないのである。……版画だけでなく、私が常に引かれている佐伯祐三松本竣介靉光、……達もまた、今のマネーゲ―ムと化した不毛な美術の分野とは別な豊かな次元で、その一回だけの人生を生ききって逝ったのである。

 

……松本竣介は絶筆「建物」(東京国立近代美術館蔵)を死の直前まで描いて逝ったが、幾つか遺された竣介の言葉に「たとえば空襲でやられた断片だけが残ったとしても、その断片から美しい全体を想像してもらいたい」というのがある。……この短い言葉は、しかし私ども表現者が常に作品に向けるべき緊張と美の理想を表して充分なものがあり、……けだし名言であると思う。

 

 

 

 

 

最後になるが、私は今回のタイトル『私にとって今、なぜ恩地孝四郎であるのか』について、危うく書き忘れるところであった。それを書こう。恩地孝四郎は版画を作ったが、同時に先駆的なオブジェを作り、写真も撮り、詩も書き、批評も書き、文芸の人達とも交流が深かった。……ふとそれを我が身に重ねると、私は版画を作り、美術家よりも寧ろ文芸の人達との交流が深く、オブジェを作り、写真も撮り、詩集を出し、評論の本も書き……と、恩地孝四郎の生き方と面白いまでに酷似している事に、最近ふと気付いたのである。

 

先達としては、池田満寿夫さんもいろいろな分野に多才さを発揮し、その身近に私はいたが、今の私の実感としては、恩地孝四郎の方により近い親近性を覚えるのは何故であろう。私の中で何かが変わったのであろうか?…………駒井哲郎さんから直に恩地孝四郎の事をいろいろと伺った時は、私はまだ美大の学生で、二十歳そこそこの若僧であった。正直、その頃は恩地孝四郎はまだ私の関心の外にあったと云えよう。しかし人生はどうなるかわからない。……長い時を経て、恩地孝四郎の生きざま、生き方が一つの強い範となって、私の前に、或る示唆的な意味を持って来ようとは……。だからこそ人生は面白い。……恩地孝四郎、……今、私の前に彼の存在が静かに、しかし確かな意味を持って佇んでいるのである。………………了。

 

 

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