徳田秋声、檀一雄、太宰治、高村光太郎、武田麟太郎、サトウハチロ―、尾崎士郎、高見順

『もう1つの智恵子抄』

 

 

前々回に連載したブログを書く際に、私は向島に4回ばかり取材をしているが、その延長先にある玉ノ井(私娼街)の現在を見るべく足を延ばして訪れてみた事があった。ご存じ永井荷風の名作『墨東綺潭』の舞台になった所である。現在は、その時代の面影は気配としてしか残っていないが、迷宮のように狭く入り込んだその残夢の中に入りながら荷風の後ろ姿を追っていくと、そこに混じって玉の井を訪れた何人かの作家や芸術家の姿も透かし見えて来て面白い。その人物達の名前をあげると以下の通り。……徳田秋声、檀一雄、太宰治、高村光太郎、武田麟太郎、サトウハチロ―、尾崎士郎、高見順……と賑やかである。……これらの名前を見て、一瞬(!?)と意外さを感じる人物は、おそらく高村光太郎ではないだろうか。あの、運命的な愛と別れを切実と詠んだ智恵子抄の作者と玉の井は、いかにも似つかわしくないように思われる。……しかし光太郎は来た。それも頻繁に、詩までも残して。詩の題は、そのものズバリ『けもの』である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

けもののをんなよ/限りのない渇望に落ちふけるをんなよ/盲人のしつこさを以てのしかかるをんなよ/海蛇のやうにきたならしく/ぬかるみのようにいまはしいをんなよ/けれど、かなしや/お前をまたも見にゆくのは/さばかりお前がけものなるゆえ/いまはしいゆえ/  「けもの」

 

……この淫蕩な感覚は、留学先のパリで覚えたデカダンス故と光太郎は云うが、果たして……。

 

そんなにもあなたはレモンを待っていた/かなしく白くあかるい死の床で/わたしの手からとった一つのレモンを/あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ/トパァズいろの香気が立つ/その数滴の天のものなるレモンの汁は/ぱっとあなたの意識を正常にした/あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ/わたしの手を握るあなたの力の健康さよ/あなたの咽喉に嵐はあるが/かういふ命の瀬戸ぎはに/智恵子はもとの智恵子となり/生涯の愛を一瞬にかたむけた/それからひと時/昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして/あなたの機関はそれなり止まった/写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう/  「レモン哀歌・智恵子抄より」

 

 

……以前から気になっている事があった。それは智恵子が狂いへと至る原因である。資料や文献を読むとみな判で押したように、その原因が実家の破産と貧困がそれであると云う。そして、光太郎の淫蕩な生活ぶりが智恵子との出逢いでピタリと止んだと、これもまた判で押したように書いてある。しかしある時、智恵子が狂った大きな原因は光太郎のあいも変わらぬ女性遍歴にあるという話を聞いた事があった。また、光太郎の意のままに智恵子は型に嵌められていき、智恵子は自らが「人形」と化す事でそれに応えた観があるという興味深い話を先日、伺った。……女性の権利獲得を主張した「青鞜」の中心人物、平塚らいてうとの関わりも深かった高村智恵子と、もう一人の異なる智恵子の間に亀裂へと至る相克がここにある。……そうしてみると、「智恵子抄」は愛の刻印と喪失の絶唱から、悔恨、懺悔の唄へと一変して変貌を見せてくる。……光太郎の晩年は岩手の山口村に独居して、蛔虫と極寒の過酷な生活に入るが、「掘立小屋を作って住んだのは、自分が悪いことをしたから水牢に入るような気持ちであった」と告白している事をそこに重ねれば、私の疑問も解けてくる。……人はイメ―ジで一面的に他人を括りがちであるが、なかなかに複雑な屈折がそこに在り、本人ですら自らを御せないものがある。高村光太郎とは、その代表のような人物であるかと思われる。

 

福永武彦の『高村さんのこと』というエッセーに「……高村さんが彫刻家を以て任じておられるのは明らかだった。ロダンのことが話に出るたびに、日本の芸術家は伝統がないために、三十年は遅れている……と言はれた。」とある。また壺井繁治は「彼(光太郎)の魂を、パリは近代的な魂に入れかえてくれたのである。彼がロダンに傾倒し、ロダンを通じて彫刻の真髄を悟ったというのもパリであり、……」という一文があるように、高村光太郎はロダンに心酔し、会う為に父親の高村光雲が旅費を出し、パリへと留学させている。……しかし光太郎は、ロダンに会うのを目的としながら、何故かロダンに会っていないのが気にかかる。……光太郎はしかし詩の中で「やがてロダンは静かに言った、カリエエルさん、あそこにいる娘さんのうなじはまるでマリアのやうですね」と。……また後庭のロダンをしのんで作った詩句として「悪魔に盗まれさうなこの幸福を/明日の朝まで何処に埋めて置こう。」……といった言葉の刻みがあるなど、まるでロダンに会ったかのやうで紛らわしい。ロダンに会ったのは、その時にパリに留学していた、夭折した友人の彫刻家・荻原守衛だけである。……光太郎はロダンの後ろにあるルネサンス、ゴシック、近代の法則を洪水のように一気に受容する事で、自分の背後にあった日本の彫刻の伝統が一度に瓦解する恐れを抱いて臆したのであろうか?……ともあれ、ブロンズにおいては光太郎以後もこの国に傑作が登場する事は遂に無く、光太郎に於いての傑作は木彫の小品「蝉」「蓮根」「白文鳥」「鯰」「桃」であり、ブロンズの「手」はロダンに遠く及ばず、ロダン以後の正統は残念ながらブランク―シに指を折る。……高村光太郎がもしロダンに会っていたなら、以後のこの国の分野に面白い可能性もあったかと思われるが、光太郎という分水嶺、或いは胚種は、成果をあげる事なく奇妙な立ち位置のまま、囚われたイメ―ジのままの一面性を背負っているのである。

 

……さて、玉ノ井を一巡した後、私は文人達が愛でた向島の百花園、白髭神社を経て、玉ノ井から私娼街が移った「鳩の街」(120軒以上の娼家があった)を訪れた。ここの一廓はまだ建物にその名残があるが、開発の為に正に壊されて消えていく直前に私は出くわした。……何と、私の目の前に在るその貴重な時代の証言とも云える建物のタイルが職人達によって運ばれていく現場に遭遇したのである。……以前のブログで浅草十二階の煉瓦(画像掲載)を入手した時は現場工事の親方に「すいません、文化財の仕事に関わっている者ですが!」と言って、十二階の遺構の前に立ち、大きな煉瓦の塊を二つ入手したが、今回は、「すいませんが、昭和史の建築を研究している者ですが!」というと、解体工事の、一見こわもての監督はあっさり「あぁ、いいよ持っていっても」と言ってくれたので、永井荷風『春情鳩の街』や吉行淳之介『原色の街』の舞台となった私娼館のタイルの貴重な塊をまたしても入手出来たのであった。言ってみるものである。……浅草十二階の煉瓦は、江戸川乱歩ファンや十二階の建築愛好家にとって垂涎の遺物であるが、早晩、この私娼館のタイルは昭和史を語る遺物として価値が上がるのは必至かと思われる。……かくして、美術家にして時空探偵でもある私のアトリエに、またしても不思議な「物」が加わったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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