月岡芳年

『五月、狂った季節に私は金沢を歩く…の巻』

…別に生き急いでいるわけではないが、この5月は、私の作品を展示する展覧会が4ヶ所で企画されて開催中、または開催予定である。順に挙げれば、①金沢の画廊『ア-ト玄羅』で個展が5月9日から6月2日まで開催中。②本郷の画廊・ア-トギャラリ-884で、5月11日から19日まで、コレクタ-の大湯祥蔵さんのコレクションの中から私の作品だけを選んだ展覧会を開催中。③半蔵門にある執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館で4月30日から8月31日まで「砂の時間」展と題して執行草舟さんの膨大なコレクションの中から、本展のテ-マに沿って選ばれた作品を展示中。私の作品も7点ばかり展示されている。④千葉の山口画廊で今月の22日から6月10日まで個展「直線で描かれたブレヒトの犬」を開催予定。……以上、この全てについて書くと長い文章になってしまうので、③④は次回のブログで集中的に書く事にして、今回は①と②の展覧会に絡めて書くとしよう。

 

 

昨日の9日(個展初日)の昼過ぎに、金沢の画廊「ア-ト玄羅」に行き、オ-ナ-の黒谷誠仁さんに一年ぶりに再会する。また、私の個展を度々開催して頂いている富山の画廊「ぎゃらり-図南」の元代表の川端秀明さん・悦子さんご夫妻が黒部から、そして今回の個展開催に尽力して頂いた今村雅江さんが高岡から各々来られて、久しぶりの嬉しい再会が実現した。川端さんご夫妻、そして今村さんはもはや私にとって大事な親友のような人達である。…画廊の展示は黒谷さんのセンスが光り、作品が緊張感を放っていて見応えのある個展会場になっている。…会場には案内状をご覧になった方が早々と来られ、黒谷さんの話を聞きながら暫し選択に迷われた後で、一点のオブジェ作品を選ばれて行かれた。…その後で新聞社の方が取材に来られたので少しばかり自説を語った。…夜は黒谷さんが旧知の香林坊の東南アジア系のお店で、食事をしながら様々な話を交わした後で散会。……店を出ると5月にしては異様な寒さである。世界の狂いが、いよいよその顔を顕にし始めた観がある。

 

……私はホテルに一泊した後、翌日は短い時間であるが、風情ある浅野川河畔に焦点を絞って歩いた。先ずは「泉鏡花記念館」に行く。会場内のビデオで、独文学者の種村季弘さんの、水を主題とした泉鏡花論を聞く。見事な論でさすがである。

…種村さんが亡くなられてから久しいが、久しぶりに再会した気分がして懐かしかった。他に、川村二郎さん、坂東玉三郎さんの話も聴いた。各々の話に鮮やかな切り口があって実に面白い。……泉鏡花に関しては、以前から樋口一葉との関連で気になる点があるので、掲載されている年譜の明治28年の或る時(それは春)に絞ってそれを推察する。…私が秘かに抱いているこの或る設問は、数多の泉鏡花研究家が見落としている、心理の深奥に焦点をあてたミステリアスな件なので、いずれまとめて書く事になるであろう。

 

 

…記念館を出て、次は江戸時代からの男女の秘め事を演出した石段の隠れ道で、鏡花も幼少時に歩いたという昼なお暗い「暗がり坂」を下りて、光り降る浅野川河畔に出た。

 

 

 

 

 

 

 

…次に向かったのは、明治の末期から残る西洋レストラン『自由軒』である。…開店前に既に行列。…この店のお薦めはオムライスであるが、私は海老フライと焼き飯を注文した。実に美味でありお薦めである。

 

…夕方に横浜のアトリエに戻る用事があるので、浅野川の橋上でタクシーを拾って金沢駅へと向かった。…私はタクシーに乗ると、運転手の人によく話しかけるタイプである。…地方の美味しい店などは訊かない。…私が訊ねるのは決まって歴史の闇や不穏な話題である。…(金沢はどうして戦災にあわなかったのでしょうか?)から始まり、お決まりのタクシー強盗の話題になった。…こういう話は、意外と運転手さんはのって来る人が多い。身近でリアルだからであろう。…(犯人は実行するか否かを決める時に、運転手さんの首の太さで決めるようですよ)という、以前に向田邦子さんがエッセイに書いていた話をすると、真剣な反応が返って来る事が多い。

 

今回の運転手さんは当たりであった。…何と2年前にそのタクシー強盗に遭遇したと言う。…私は思わず身を乗り出して話の続きを訊いた。(いきなり、針金を首に巻かれましたよ‼)と運転手。…(犯人の共通した点は何だと思いますか?)という私の問いにその人は(先ずは、一人で乗る、かなり遠方の地に行ってくれ…という、そして、途中で不自然にコンビニに立ち寄る)らしい。…(なるほど、タイミングを謀っているわけですね)と私。(えぇ、そうです、そうです‼)と言っている間に、金沢駅に着いた。(有難う、勉強になりました。)と私。……一体それが何の勉強かは、誰も知らない。

 

 

 

【ア-ト玄羅】

北川健次展「ヴェネツィアの春雷」

5月9日(木)~6月2日(日)

13時~17時30分 (定休-月・火・水)

〒920-0853
金沢市本町2丁目15-1  ポルテ金沢3F

TEL076-255-0988

 

 

 

…さて次は、個展ではなく、コレクタ-の大湯祥蔵さんの『コレクタ-による北川健次展-まなざしの断片-「身体」「詩学」「記憶」』である。…大湯さんが収集したコレクション数は実に800点以上を越えるというから驚きであるが、その中でも私の作品数が一番多く、100点以上の作品がコレクションに入っているという。…2年ばかり前であったか、その大湯さんからコレクション展の構想を伺った時は非常な興味に駆られたのであった。…この寡黙にして間違いなく慧眼な感性を持った人の美の基準なるものを以前から具体的に知りたいという興味があったが、それが漸く垣間見れる事になるからである。…しかし、金沢から戻って来て、今このブログを書きながら、近々に訪れて観る事を予定している大湯さんの展覧会に意識が集中しているようで、どうも落ち着かないのは何故であろう?。…大湯さんのコレクションは私の初期から現在に到る迄の広範囲なものであるが、それは私が既に閉じたと思っている極めて私的な日記をゆっくりと開くようで、或いは開かれるようで何とも不思議な感覚なのである。……とまれ、今回の展覧会に寄せて素直な気持ちで文章を書いたので、それをこのブログの最後に掲載しておこう。…願わくば、コレクタ-によるコレクション展という、美術館の個展以外ではなかなか実現しないこの稀有な展覧会を、この機会に一人でも多くの方に御覧頂けたら幸甚である。

 

 

 

冷静なる熱狂ー大湯祥蔵氏のコレクション展に寄せて

北川 健次(美術家)

 

 

私のアトリエの壁には所狭しと多くの作品が掛かっている。それらは縁あって入手した不思議な漂流物のようである。例をあげれば、ルドンジャコメッティヤンセンホックニーゴヤレンブラントヴォルス・・・等の西洋版画の類、更には川田喜久冶榎村綾子の写真作品、或いは駒井哲郎月岡芳年広重などの日本の版画などである。時に作品を掛け変えるが、全く飽きる事はなく、それらの美の結晶は制作者としての私を励まし、より高みへと誘なうように鼓舞してもくれる貴重な存在なのである。

 

私は美術家という作り手の側からの、それらはコレクションであるが、一方で、生涯を賭けて照準を絞るように集中的にコレクション収集を行っている人達がいる事を私は知っている。その人達は作品を作るのではなく、収集するという行為を貫ぬいて、その総体をもって自らの独自な肖像を立ち上げるという、強度にして冷静な熱狂に生きる人達である。「収集するという行為もまた創造行為である」という言葉があるが、それを身を持って実践している高い純度を持って生きている人達である。その代表的な一人に大湯祥蔵氏がいる。氏の存在を知るようになったのは、はたしていつ頃からであろうか。それが不思議と思い出せないでいる。既に初めからこの人を知っていたようにも思われる、寡黙にして内に熱狂を秘めた大湯氏は実に不思議な存在感を持った人である。

 

先日、機会があって氏のコレクションについて詳しく伺った事があった。荒川修作フォートリエタピエスメリヨン池田満寿夫ベルメール他・・・そのコレクションは既に800点以上を超えているというから、コレクターとしても稀な驚異的な数字である。そのコレクションの中では私の作品が最も多く、ゆうに100点以上は超えているという。

 

その大湯氏がこの度、私の作品のみを選んでコレクション展を開催するという。私の手元にはもはや残っていない初期の版画からオブジェの近作まで厳選されたおよそ30数点になるというが、どういう展示になるのか私には全く想像がつかないでいる。何故ならそれらは間違いなく私の作品でありながら、大湯氏独自の感性や美意識によって、時を経ての重なりを帯びたもう一つの何ものかに変容してもいるからである。私は作品を立ち上げた作者であるが、作品は、それをコレクションしている人が日々の観照を通して交感を交わして来た結果、云はばもう一人の作者が存在するという二重の相を奏でてもいるからである。個人的に云えば、失われた秘めた日記との私的な再会のようなものでもあるが、大湯氏、そして来場された人々にとっては、新たな発見がそこに息づいているに相違ない。このコレクション展は、その意味でも特別に希有な展覧会なのである。

 

 

 

【ア-トギャラリ-884】

『コレクタ-による北川健次展-まなざしの断片-「身体」「詩学」「記憶」』

5月11日(土)~5月19日(日) 〈定休-月〉

11時~6時 〈最終日は4時に閉廊〉

〒113-0033東京都文京区本郷3-4-3

ヒルズ884お茶の水ビル1F

TEL-03-5615-8843

 

 

 

 

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『個展の前の静けさ』

……今月の28日から、日本橋高島屋本館の6階・美術画廊Xで始まる個展を前にして、ふと今年の年頭の時を振り返ってみた。想えば、最寄りの寺で戯れに久しぶりに引いた御神籤は「大吉」であった。その時に小吉の人もいたであろうし、凶の人もいたであろう。しかし、皆が揃って今年は大禍も大禍、「大凶」であった。そう想うと御神籤などは、グリコのオマケのようなものかと思う。

 

……話は先月に遡るが、原宿にある太田記念美術館で開催していた『月岡芳年―血と妖艶』展を観に行った。幕末から明治前半に活躍し、やがて狂いを呈した月岡芳年という鬼才に30代の頃にはまり、彼の作品(代表作である「英名二十八衆句」のシリ―ズ)を求めて、神保町の浮世絵専門店に度々出入りした事があった。しかし芳年の他の作品は何点かはすぐに見つかるが、一番人気の高い、我が国の残酷絵の最高峰「英名二十八衆句」だけはなかなか見つからず、果てはロンドンに住んでいた時も、この芳年を求めて歩き回った事がある。意外に映るかもしれないが、この芳年は特にイギリスにおいて人気が高く、愛好家が多いと聞いていたからである。さて、この芳年、……私の前にも「英名二十八衆句」のシリ―ズを求めて熱狂的に探し回っていた先達の人達がいた。芥川龍之介江戸川乱歩三島由紀夫、……そして澁澤龍彦といった、如何にも相応しい面々である。何故この芳年に、それも揃って「英名二十八衆句」に絞って惹かれるのには訳がある。このシリ―ズが持つ過剰さの中に、ロマネスクやバロック、そして物語が成立する為に必要なイメ―ジの突き上げを揺さぶってくる強度なオブセッションといったものが多分にあり、私達をして激しく想像力を煽ってくるからである。要するに、芸術に必要な〈強度〉を濃密に孕んでいるのである。…三島由紀夫は『デカダンス美術』と題する中で「大蘇(月岡)芳年の飽くなき血の嗜欲は、有名な英名二十八衆句」の血みどろ絵において絶頂に達する」と絶讚し、江戸川乱歩は「芳年の無残絵は、優れたものほど、その人物の姿態はあり得べからざる姿態である。写実ではない。写実ではないからレアルである。ほんとうの恐怖が、そして美がある」と記している。…………長年をかけた苦労の末に、私は二点の作品『福岡貢』と『直助権兵衛』を入手した時は嬉しかった。『直助権兵衛』は骨董市で(破格に安い掘り出し物として)見つけだし、『福岡貢』は、私が芳年を探している事を知った知り合いの画商の人からタダで譲り受けたものである。ちなみに、北鎌倉にある澁澤龍彦氏のお宅に伺った時には『稲田久蔵新助』という、いかにも氏に相応しい選択眼で収集した作品が書斎に掛けてあり、思わず「なるほど!」と得心したものである。……その「英名二十八衆句」と晩年の秀作「月百姿」、「風俗三十二相」、そして、後の縛り絵の大家・伊藤晴雨に影響を与えた代表作「奥州安達がはらひとつ家の図」といった、素晴らしいセレクション眼による展示が行われていると知っては、無理をおしてでも行かない理由は無い。会場は熱心な芳年のファンでかなりの入りであった。…今日のぼんやりとした貧血性気味の美術界からは絶えて久しい「血」「妖艶」「闇」が満載の、久しぶりに高まりを覚える充実感のある展覧会であった。

 

 

 

 

 

 

……さて、コロナ禍に話を移そう。実はずっと以前から疑問に思っている事があった。それは、何故新型コロナやインフルエンザ、かつてのコレラや凄まじいまでに猛威をふるったスペイン風邪といった、これ等のウィルスは、時が経つと自然に消滅するのか?といった素朴な疑問である。単純に言えば、ねずみ算式に拡がって行くこのウィルス、その行く手に待つのは人類皆の死滅の筈である。昔は今のようにワクチンなど全く無かった時代に、しかしコレラはやがて消滅し、スペイン風邪はおよそ8000万人以上の死者を出したが、三年の月日が経つと自然に消滅して大人しくなった。何故なのか?……「抗体が皆に出来るからだよ」としたり顔で言う人もいるが、納得するにはやはり疑問が残る。……先日その事を知り合いの美容師のA君と話した事があった。ちなみにA君の口癖は「……ほんと、そうですよね!」が実に多いので、話に発展性は期待出来ない。結局二人で出した結論は「ウィルスの方が、しゃかりきに暴れている事に飽きてしまうのかね」という、秋風がヒューと寒々しく吹くような結論であった。とまれ、今年の1年は異様に短い1年であったような気がする。皆が総じて悪い夢―まるでSFの中のあり得ない世界に入りこんでしまったような非現実的な感覚の中を生きているような感じがするのは、私だけだろうか。

 

 

 

 

 

 

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