道鏡

『ラスプ―チンの忘れ物』

……先日、谷崎の『細雪』や、川端の『雪国』などの翻訳で知られるサイデンステッカ―の著書『東京下町山の手』を読んでいたら面白い事を知った。幕末の1858年頃から感染が広まったコレラ(通称コロリ)は、当時、長崎港に停泊していたイギリスの船から広まった由。今年2月に新型コロナウィルスの感染者を多数乗せて、さ迷える幽霊船のように横浜港に長期停泊していたクル―ズ船と同じパタ―ンであり、やはりイギリスの船であった。まさに歴史は繰り返すを地で行く話である。……さて、その幕末のコロリの流行であるが、当時「試衛館」という剣術道場を経営していた道場主の近藤勇はハタと困ってしまった。コロリの為に入門者が途絶えてしまい経営が行き詰まってしまったのである。周りは次々と感染者が出て、死者が絶えないのであるが、不思議な事に、この道場の食客としてごろごろしていた、土方歳三、沖田総司、永倉新八、山南敬助……達、天然理心流の凄腕の連中(後に新撰組の原型となる)は全く感染する気配もなく、ただ、この後、どうやって食べていくか?……だけを憂いていた。あくの強い連中には、コロリ菌の方から避けていたような節がある。そして彼らは、徳川家茂の上洛警護をする幕府の「浪士組」募集に応募し、活路を求めて京都へと向かった。……やがて、京都でこの連中から暗殺される運命にあった、あくの強さと強烈なキャラを兼ね備えていた芹沢鴨(水戸藩浪士・後に新撰組初代筆頭局長)もまた活路を求めて運命の転げ坂を辿って、地獄へ引き寄せられるように京都へと向かった。……その後の顛末は読者諸兄のご存じの通りである。

 

…私は覚えている。……あれは私が18の暑い夏であった。美大に入った私は、ふと西陣織の職人にでもなろうかと思って大学の夏休み時に京都へと向かった。……しかし、駅に着いて私が直ぐに向かったのは何故か西陣ではなく、壬生であった。この地に残る新撰組発祥の地、彼らの宿舎(屯所)が今もそのままに遺る八木源之丞邸を見に行ったのである。その当時は今のような新撰組ブ―ムは未だ無く、訪れる人もさほど無く、また屋敷は非公開の為に門が閉まったままであった。……歴史好きな私は熱い感動のままに大きな屋敷の周りをぐるぐる廻っていた。……すると、門が突然開き、中から八木家の子孫とおぼしき初老の方が出てくるところに偶然遭遇した。一瞬閃くものがあり、「……私はまだ学生ですが、大学で幕末の歴史を頑張って研究しています!」と言った。(もちろん、美大に幕末史の講座などはない)……すると温厚そうなその方は「もしよろしおしたら中に入りませんか?」と気軽に言ってくれて、私を八木邸の中へと導いてくれた。〈私は肝心な時に、こういう人との導きのような出会いが実に多い〉……100年以上もずっと非公開の為ゆえか、広くて薄暗い屋敷の中は幕末の頃の空気がそのままに残っているような張りつめたリアルな気配に充ちていた。……「そこの火鉢、土方はんや沖田はん達が、寒い冬の日に囲んでいたそのまんまや言うてました」……幾部屋かを巡って離れに行くと「ここで、この文机に芹沢はんが躓いたとこを斬られたんですわ」。「この鴨居にも、こんな深う刀傷が付いてますやろ」……私は「…確か、お梅(芹沢の愛妾)も一緒でしたね」と言うと、ご当主の八木さんは手応えを覚えて熱が入ったらしく「可哀想にお梅さんは、たぶん沖田はんや思いますけど首をはねられましてな、昔はこの天井にそのお梅さんの血が噴き上げて、えろうぎょうさんかかってしもうて、まぁその後もずっとそんままでしたが、来た嫁がえろう気持ち悪がって、仕方おへんから弁柄(べんがら)で塗ってしもたんどす」。……「一緒にいた芹沢の仲間の平山(五郎・通称めっかちの平山)はんは斬られましたが、まぁ運が良かった言うんでしょうなぁ、野口、平間いう人は真夜中に芸妓と一緒にここから走って、畑の向こうに消えていったと聞いてます」。……私は深夜に畑の向こうに必死で逃げていく野口健司(のちに切腹)、平間重助、そして災難に巻き込まれた芸妓の必死な姿がリアルに透かし見えるようであった。…………さて芹沢鴨、この京都で暴れまくった性豪列伝に載るような男の名を聞くと、私はそのあくの強さから、したたかな免疫力のごときものを持ったタフな男の名をそれ以前の歴史の中に想い浮かべるのである。……奈良時代の女性の天皇「孝謙天皇」。その孝謙天皇が病に臥せっていた時に加持祈祷を行って接近し、その寵愛を受け、ついには「法王」の座にまで出世した男である。道鏡は女帝をたぶらかして皇位を狙った「日本三悪人」として平将門・足利尊氏と同列に並ぶが、いわゆる性豪列伝を代表する人物として今にその名を残している。

 

……しかし、道鏡の上を行く人物がロシアにいた。……ご存じ、帝政ロシア末期の祈祷僧……ラスプ―チンである。ラスプ―チンの生涯は前述した道鏡に似ている。ニコライ2世の皇后アレクサンドラと血友病の皇太子の治療と称して宮廷に入り込み、アレクサンドラの寵愛(愛人説が高い)を受けて、ロマノフ朝を影で操る怪僧となり帝政は乱れ、後に二月革命が起きて第二次ロシア革命へと至るのである。……退廃するロマノフ朝の皇族三人がラスプ―チンの暗殺を謀り、私邸に招き入れ、青酸カリ入りのケ―キを食べさせ、毒入りのワインも飲ませたがラスプ―チンが平然としているので、次にピストルで何発も撃ち込んだ。……ようやくぐったりとなったラスプ―チンを、近くの運河(氷が張って冷たい)に投げ入れた。やがて死体が上がって来て検死をして、再び驚いた。……なんと、ラスプ―チンの死因は意外にも溺死であった。…という事は、数発の銃弾を被弾してもまだ彼は死んでおらず、運河の冷たい水底でようやく溺れ死んだというわけである。……毒でも死なず、被弾しても死なない驚異的な抗体の持ち主ラスプ―チン。今のコロナ渦の時代に生きていたら、どのような姿がそこにあるのであろうか!?……突出した強力な抗体を持った人間の遺伝子を大量に殖やして新型コロナウィルスに対抗するという研究が進んでいると聞くが、もしラスプ―チンが今いれば、この化け物のような驚異的な生命力はかなり世界に貢献する事、大だと思うが如何であろうか。……今回は、現在サンクトペテルブルグの博物館に保管され一般にも公開されているラスプ―チンの性器のご紹介を持って、このコロナ渦関連のブログを終わろうと思う。……ちなみに女性たちが楽しそうに見学しているのが気にかかるが、もう1つ、ちなみにラスプ―チンの娘マリ―が父親の遺物のそれを返すよう博物館側に求めているという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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