金子国義

『澁澤龍彦』

28日の夕方に北鎌倉で美術評論家の中村隆夫氏と同行の方々と待ち合わせて澁澤龍彦邸を訪うた。20数年前に初めてお伺いしてからおよそ5回目くらいの訪問になろうか。既に澁澤氏はおられぬが、奥様の龍子さんの美味しい手料理とワインを頂き、尽きない会話が続いて、けっきょく辞去したのは夜半であった。

 

かつて一度だけ澁澤氏とは銀座のバルハラデンというお店でお会いしているが、その時に見たダンディズムの極の姿は私の目に焼き付いていて離れない。二人だけの至福の時を邪魔するように入って来たのは岡本太郎であった。澁澤氏は全く岡本太郎を無視して悠然とパイプの煙をくゆらしていたが、無視された方の岡本太郎の虚ろな姿は、この男特有の自意識を根こそぎ折られたようで、彼の仮面の奥の脆い素顔を見た思いがした。内実、最も認めて欲しい人物から完全に拒否された時、人は時として、そのような表情を不覚にも露呈してしまう。

 

私が20年前に1年間ヨーロッパを廻っている時に携えていたカバンの中には、いつも澁澤氏の著書『ヨーロッパの乳房』が入っていた。そして氏が訪れたスペインのグラナダやセビリヤ・・・・、イタリアのローマや、ミラノの北にあるイゾラ・ベッラ島などに行った折りには、氏の本を開いてその描写を読み、眼前の実景と比べては、氏のエッセンスを我が物とすべく、それなりの修行のような事をした事があった。私はそれを通して眼前の奥にある「今一つの物」をつかみとる術を、それなりに掌中に収めていったように思われる。

 

夥しい数の書物に囲まれた澁澤氏の書斎は、今も研ぎ澄まされたような気韻を放って、あくまでも静かである。机上の鉛筆削り器には、削られた木屑がびっしりと詰まったままであるのを私も中村氏も共に気付いたが、そこから龍子さんの澁澤氏への想いが伝わってきて胸を打つ。この空間は今でもふらりと澁澤氏が現れて執筆をはじめても自然なくらいに、時間が永遠に止まったままなのである。かくも超然とした絶対空間。高い知性と鋭い眼識によって万象を巨視と微視との複眼で捉え得た稀人の牙城。ここにはサドの直筆の手紙や、外国で求めた硬質なオブジェ、それに危うい種々の物と共に、四谷シモン、加納光於、金子国義中西夏之池田満寿夫加山又造たちの版画がある。若輩ながら私の版画もここには在るが、それらを眺めていると、澁澤氏は版画の中でもよほど銅版画が好きであった事が見てとれる。明晰さと硬質さは氏の資質を映したものであるが、それは銅版画の本質と相通じるものがあるように私には思われる。

 

昨今の文学者や美術家はプロとして食べていくのが難しい為に、大学教授などに安定の道を求め、結局時間に追われ(たという理由で)感性の鋭さを失っている。しかし、この館の主である澁澤氏は見事に筆一本で人生を全うし、その死後には珠玉のような全集が残り、今もそしてこれからも若い世代たちにも影響を与え続けながら読み継がれている。私も何とか筆一本で今まで生きて来たが、氏の生き様は誠に範であり、力強い精神的な支柱である。かつて澁澤氏は自分の性格の最も好きな部分は何かと問われた際に、「自信」と答えている。私の答もまた同じである。「自信」ー これなくして芸術の闇に入っていく事などおよそ不可能な事であろう。夜半になり、書斎から庭を見ると、この高台からはその向こうに鵺(ぬえ)が横行しているような闇が広がり、彼方の山すそには澁澤氏が眠っている浄智寺の墓所が遠望できる。それらの全てに真っ暗な夜の帳りが下りて、いつしか鎌倉の夜は深い静まりの中にあった。

 

 

 

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