#ヴェネツィア

『クレ-・ゴッホ、そして…平賀源内登場』

…少し遡るが、先月の25日に名古屋に行ってきた。…名古屋の馬場駿吉さんとのヴェネツィアを主題とした二人展を、老舗の画廊の名古屋画廊で5月9日から開催するので、その打ち合わせが4時から予定されているのである。

 

…せっかくの名古屋行なので、着いて早々に先ずは愛知県美術館で開催中の『パウル・クレ-創造をめぐる星座』展を観る事にした。 広い会場には老若男女の沢山の人が熱心に観ている中、質の高いクレ-の作品が数多く展示されていて、高まって来るものがある。

 

クレ-はいい。作品とタイトルとの関係もまた絶妙である。…近・現代の美術作品が、各々の時代が放つ澱のようなものを帯びはじめていく中、時代の淘汰を凌駕して、ますますクレ-は、クレ-だけはその深い詩情を観者に放って、常に褪せぬ鮮度があり、かつ深い。会場で私はいろいろな事を考える事が出来て収穫の多い展覧会であった。…会期が3月16日迄なので、機会があればぜひご覧になる事をお薦めしたい展覧会である。

 

 

 

午後4時少し前に名古屋画廊に着く。25日に打ち合わせ日をお願いしたのは私の方で、画廊で開催中の『ファン・ゴッホと日本近現代ア-ト展』という実に興味深い展覧会の、この日が最終日なのである。

 

 

 

ゴッホの初期の油彩画の農夫の手を描いた作品が展示されているが、それはゴッホの初期を代表する名作『馬鈴薯を食べる人々』の習作で描かれた作品だと思うが、…小品ながらゴッホ研究の第一に来るべき名品かと思われる。

 

…農民の拳の盛り上がった肉の厚みを観ると、ゴッホの絵画の本質にあるミレ-の系譜に繋がる祈祷性を持った、ある意味の宗教画である事が実感として伝わって来る。……そのゴッホの作品の左右に坂本繁二郎白髪一雄中西夏之三木冨雄…達の作品が並んでいて不思議なバランスを奏でながら展示されているが、なかなか工夫された試みかと思う。…

 

しばらくして馬場駿吉さんが来られたので、画廊の社長の中山真一さん、画廊の桑原光司さんと一緒に打ち合わせが始まる。…近くの老舗鰻屋で名古屋名物のひつまぶしの会食を頂きながら、話が順調に進んでいった。…帰路の新幹線の中で、ヴェネツィアを訪れた時の事を思い出していた。…それをどう虚構に転じて詩情性を放つか、…新しい展開が少しずつ透かし見えてきたようである。

 

 

 

…美大の学生の頃に、…人は必ず死ぬ、ならばこの1回しかない人生をどう生きるか⁉…つらつらそんな事を考えていた時に、一つの指針となったのは、27才で亡くなった高杉晋作の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」であった。

 

 

 

 

 

 

…その次に飛び込んで来たのは平賀源内であった。…私の著書『美の侵犯-蕪村x西洋美術』(求龍堂刊)を絶讚して頂いた芳賀徹さんの名著『平賀源内』を読んだ影響もあると思うが、高杉晋作と共に風狂なまま自在に生きた源内は、ともかく自分の才を多彩に存分に出しきって生きた先達として私の心をとらえたのであった。

 

…(自分とは何者なのか!?)、(自分の才の様々な引き出しは果たしてどれだけあるのか!?)…ともあれ出しきって、死ぬ時に自足して死のう‼…そう思っていた。

 

 

 

……今まで引っ越しは8回ばかりしており、その度に部屋の作りも変わったが、変わらないのが一つだけあった。…平賀源内のあの肖像画だけは常に変わらず、部屋に貼っていたのである。…源内のように、一つだけの分野に収まらず、放射的に様々な分野に挑戦して生きてみたい、…いつしかそう考えるようになっていった。

 

…源内は発明、戯作、博覧会を開催、本草学者、画家、作家、銅版画の先駆者、コピ-ライタ-…などの分野で生きた。…では私はどうなのか?…銅版画、オブジェ、写真、美術評論の執筆、詩集の執筆刊行、版画集の版元かつ作者、コピ-ライタ-(これは電通からの依頼でやっている)

…では発明は?…と問われたら、実はしっかり或る物を発明して商品化に成功しているのである。

 

 

…あれは版画集を版画工房で制作している時であった。刷師のK君が、ある水溶性の版画溶剤を見せてくれた事があった。…その後で、私は窓の外を眺めていた時にふと透かし見えて来る光景があった。……銅版画は薄い銅板に油性のグランドという黒い液体を流して乾燥させ、その上から針で引っ掻いて絵を描き、それを硝酸液に浸すと、引っ掻いて銅の面が現れた箇所だけ腐食が入り、その腐食された溝に硬いインクを詰めて、紙に刷ると銅版画が完成する。

 

…しかし、その液体のグランドという薄膜は油性でなければ腐食の際に硝酸液の中で溶けてしまう。…それを、先ほど見せてくれた水溶性の版画溶剤を工夫すれば、硝酸液の中でしっかり腐食し、その後で水で流せばすぐに代用で塗ったグランドが水で流せるのではないか‼という……魔法のような商品の姿が見えて来たのであった。…そればかりか、神田の文房堂という老舗画材店の棚に、私が考案した物が画材商品として並んでいる姿が透かし見えて来たのであった。

 

…(どうだろう?)…刷師のK君に話すと理論的には絶対に不可能ですと言われてしまった。(いや、必ず出来る‼…なぜなら私には完成した姿が見えているのだから!)と言って、K君を励ました。…そう、私は閃くだけで、取り組むのはK君なのである。そこがずるい。…2年が経ったある日、(…出来たよ‼!)というK君からの吉報の電話が入って来た。…すぐに新日本造型という美術の画材会社に持ち込み、それは『ウォ-タ-グランド』と私が名付けて、ラベルにレンブラントの銅版画の絵を貼って店頭販売となり、2年前に私が予知的に透かし見てしまった、神田の老舗文房具店の棚にもそれは並び、美大からも注文が入って来た。

 

…この商品はそれなりに売れ、海外からの注文の話が入って来たりもした。…しかし、私は頭に閃いたのが実現した時点で、それで儲けていくという話には全く興味がなく、興味は失せて、新たな次なる作品の制作や執筆に関心が向かってしまうのである。…明日は何が待っているのか⁉…その見えない先に好奇心がいつも向かっていくのである。

 

 

………さて源内であるが、彼は或る事件で幕府の役人を殺め、獄中で亡くなってしまうのである。…(あぁ非常の人、非常を好み、行いこれ非常、何ぞ非常の死なる)…源内の墓に刻まれた親友杉田玄白の言葉がある。…台東区橋場の住宅街の一画に、それはひっそりと在る。

 

 

………さて私の最期はどんな結末が待ち受けているのであろうか?次第にその時が近づいている事は間違いないのであるが。……ともあれつらつら考えてみると、私という人間は、分裂気質で、何より安定してしまう事を嫌う資質だという事だけは間違いのないようである。

 

 

 

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『あぁ杉田くん、君は…』

 

…今年は、日本海側を中心に大雪を報せる映像が次々と入って来ている。例年の約二倍の降雪量というから凄まじい。…私は北陸の福井で育ったから雪の執拗な襲いかかり方は経験がある。…汗を流して雪掻きをしても、翌朝は嘲笑うようにまた繰り返し積もっていてきりがない。屋根に積もっている何トンもの雪を道に落とす為に、未だ小学生の頃から大屋根に登り、汗だくになって手伝ったものである。

 

 

 

 

…大屋根から落ちたら死ぬ危険性が高い為に本当は命綱が必要な作業だったが、子供だったので不安感はなく、今想えば、恐ろしい事を平気でやっていたものである。…今は雪も少なくなったが、昔は3メト-ル以上降った事もあり、家の2階の窓から出入りして、積もった雪の高みの上をまるで空中散歩のようにして歩いたものである。

 

 

 

 

…集団登校はホワイトアウトの中、凍った田んぼの上を進み、学校の姿が全く見えない為に、勘で方向を定め無言で何かに耐えるようにして歩く姿は、将兵199名を雪中遭難で死なせた映画『八甲田山』の映像とリアルに重なって来る。

 

氷が割れて田んぼの冷たい水の中に集団登校の児童の誰かがはまっても、まわりが無言で担ぎ上げ、何事もなかったようにまた無言で私たちは歩いて行くのである。

 

………今だったら、児童の死者が出ると誰が責任を…という事で早々と休校になるが、当時は吹雪の中を登校するのが当たり前で、誰も文句を言わず、それが当たり前であった。

 

 

…1991年の2月、私はパリのリヨン駅から夜行列車に乗り厳寒のヴェネツィアに向かった事があった。ヴェネツィアはつごう5回行っているが、その時が最初であった。…その年の冬はアドリア海が90年ぶりに凍るという酷しい寒さであった事は後で知った。

 

 

 

 

…滞在して3日目頃であったか、サンマルコ広場の老舗カフェ・フロ-リアンで夕方に休んでいて外に出ると、先ほどまであった人影が全く無く、店の灯りが次第に消えていき、まるでフェリ-ニの映画『カサノバ』の場面のように静かな不気味さが伝わって来た。…すると急に粉雪が吹き始め、たちまち呼吸すら出来ない白い吹雪のホワイトアウトに襲われたのであった。

 

…宿に向かって歩くが、何回試みても同じ場所に戻って来てしまい、無人の迷宮の中で焦りが次第につのって来た。…その時、八甲田山の死者達の死因を私は思い出した。…彼らは前進していたつもりで歩いていたが、実は同じ円の中をぐるぐる回っていて最期は亡くなったのであった。脳が覚えてしまう不気味なその錯覚の怖さを思い出した私は、今度は自分が良いと思う方向の真逆を進む事にした。すると次第に見覚えのある景色が現れて来て、…ようやく宿に帰る事が出来たのであった。ことほどさように雪は怖く、その白い衣裳の中には確かに魔物が棲んでいるのである。

 

 

…さて、今日は高校の同級生であった杉田君の事を書こうと思う。…この杉田君はずいぶん昔のブログで1度登場していて、今回が2回目になる。…1回目は修学旅行で阿蘇の草千里に行った時の事。…草千里には放牧中の牛や馬がいて、今は知らないが当時は係員の指導で希望者は乗馬が出来た。…杉田君、女子に良いところを見せようとでも思ったらしく、勇んで馬に乗ってみせた。…まぁそこまでは良かったのだが、どうやら雄馬のデリケートゾ-ン近くを彼の靴が弾みで当たったらしく、馬は突然悲鳴をあげるや、脚を高らかに上げ、杉田君を乗せてもの凄い速さで草千里の彼方へと駆けて行ったのであった。〈手綱を引いて姿勢を低くして下さい!!〉…焦った係員がマイクで必死に叫ぶのも空しく、杉田君を乗せた暴れ馬は、草千里のなだらかな斜面を一気に下り、いつしか私達の視界から消えていったのであった。

 

 

………今回はその数ヵ月が経った或る冬の日の話である。…校舎を改装する為に、私達は臨時に仮設したプレハブの校舎に一時的に移って授業をしていた。…昨夜から降った雪がかなり積もっていて、教室の窓を積もった雪が突き破りそうな程であった。…見かねた教師が(誰か雪掻きに行ってくれないか‼)と言った。…(…僕が行きます‼)といち早く挙手したのが件の杉田君であった。…授業をサボれる、…動機はそんなところであったかと思う。…しばらくして、窓硝子の向こうに長靴に履き替えスコップを持った杉田君が現れた。嬉しそうに、こちらに手を振っている。笑って応える生徒もいた。……そして私達は授業を受け、窓の外では杉田君がサクッサクッと真面目に雪を掻き除ける音がしていた。

 

 

 

……その日は前夜に降った大雪が嘘のように晴れた暖かい日であった。…………すると突然、私達の頭上で何かが纏まって滑り落ちていくもの凄い音がした。…明らかにプレハブの屋根に積もった雪が一斉に雪崩れて落ちていく音であった。

 

…教室の誰もが反射的に窓側を視た。そして視た‼…というよりは視てしまった。…杉田君が、さっきの笑顔とは一転して忽ち悲しい顔になり、両手を空しく上げ、自身に落ちてくる雪の量に耐えきれず、次第に積もった雪面の上にうつ伏せになって倒れこみ、やがて目を閉じて全く動かなくなり、その上を60センチほど積もった雪が完全に覆ってしまったその様を、私達は視てしまったのであった。その悲しい姿が窓ガラス越しに、ありありと見えるのである。

 

 

……その様を例えるならば、私たちが子供の頃に黒紙で覆ったビンの中に、二日程で出来たトンネルのような蟻の巣の作りがビンの外から丸見えに見えるのを想像してもらえたらわかりやすいかと思う。

 

…………(雪崩れで死ぬ人はあぁやって死んでいくんだなぁ)……(杉田、息をしてないんじゃないかな)……(まるで悟った仏みたいに杉田が見えるよ)……中には面白くて笑いを抑えている者もいた。

 

…あまりの異常なハプニングに最初笑っていた教師が、急に真顔になり(今からみんなで杉田を掘り出そう‼)と言ったので、私達は教室を駆け出して行ったのであった。

 

 

 

 

……それから時が流れていった。…2011年の秋に私の個展が福井県立美術館で開催される事になり、その記事が新聞に載った事があった。…それを読んだ元同級生の女子が発起人となり、同窓会が開かれる事になった。…同窓会というのは絶対に出ない私であるが、開催の主旨に私が絡んでいるのだから仕方がない。…というわけで出席したのであるが、座の途中で私は杉田君の事を思い出し、すっかり変わった杉田君を見つけたので近づいていって話をした。…確かに杉田君は生きていた。…そして、日本の近い将来の姿を考えて会社員を止め、一念発起して今は安定した職業の整体師になっているのだよ、…と言って、笑いながら私に「杉田整体医院」と印刷した名刺をくれたのであった。

 

 

 

 

追記。…しかし私には長い間、1つの疑問といえるものがあった。…それは、杉田君が雪崩れに襲われた時に簡単に失神してしまったのを目撃したのであるが、人はなぜ簡単に失神してしまうのであろうか?、もちろん雪崩れの雪の量にも拠るだろうが、意識の抵抗はかくも脆いのであろうか?…という疑問であった。

…しかし先日たまたまテレビを観ていたら、雪崩れの凄さを試す実験をやっていて成程と首肯するものがあった。

 

…地表に木製の硬い箱を置き、その上の屋根から雪崩れを落とす実験であった。…観て唖然とした。雪崩れの直撃を受けた箱は一瞬で木っ端みじんに砕け散ってしまったのであった。…重さ100Kg以上の直撃が次々と身体を襲えば、意識などは一瞬で停まってしまう。…先日も40代の女性が街中の通りの屋根からの雪崩れを受けて亡くなったという事故があったが、成程…と疑問が解けたのであった。…あの時、杉田君を助けに行くのがもう少し遅かったら…と思うと、今になってゾッとしたのであった。

 

 

 

 

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「狂った空の下で書く徒然日記-2024年・狂夏」

災害級の猛暑に、ゲリラ雷雨…。そんな中を先日、馬場駿吉さん(元・名古屋ボストン美術館館長・俳人・美術評論家)と11月29日-12月14日まで開催予定の二人展の打ち合わせの為に、名古屋画廊に行って来た。ヴェネツィアを主題に、馬場さんの俳句と私のビジュアルで切り結ぶ迷宮の幻視行の為の打ち合わせである。馬場さん、画廊の中山真一さんとの久しぶりの再会。打ち合わせは皆さんプロなので、短時間でほぼ形が見えて来た。…後は、私のヴェネツィアを主題にした作品制作が待っている。

 

その前の10月2日-21日まで、日本橋高島屋の美術画廊Xで私の個展「狂った方位-レディ・パスカルの螺旋の庭へ」を開催する予定。今年の2月から新作オブジェの制作を開始して7月末でほぼ70点以上が完成した。6ケ月で70点以上という数は、1ヶ月で約12点作って来た計算になるが、その実感はまるで無い。私は作り出すと一気に集中し、没頭してしまうのである。…2.5日で1点作った計算だが、しかし上には上がいる。ゴッホは2日で1点、佐伯祐三は1日で2点から3点描いていたという証言がある。…二人とも狂死に近いが、私の場合はさて何だろう。

 
…そんな慌ただしい中を先日、月刊美術の編集部から電話があり、横須賀美術館で9月から開催する画家・瑛九展があるので、この機会に瑛九について書いてほしいという原稿依頼があった。…さすがに忙しくてとても無理である。…何故、瑛九論を私に依頼したのか?と訊いたら、私と同じく、画家、写真家、詩人、美術評論…と多面的に彼が先駆者として生きた事、そして瑛九と関係が深かった池田満寿夫さんと、私との関係からであるという。

 

…以前に私の写真集刊行の時に、版元の沖積舎の社主・沖山隆久さんが、印刷に入る3日前に、写真80点に各々80点の詩を入れる事を閃いたので、急きょ書いて欲しいという注文依頼があった。時間的に普通なら無理な話であるが、私は不可能といわれると燃える質である。3日で80点の詩を書き上げた。…その詩を沖山さんが気にいって私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』の刊行へと続き、また詩の分野の歴程特別賞まで受賞したのだから人生は面白い。

 

………(とても無理ですね)と最初はお断りしたのだが、今回も瑛九に関して次第に興味が湧いて来て、結局原稿を引き受ける事になり、一気に書き上げた。短い枚数なので逆に難しいのだが、誰も書き得なかった瑛九小論になったという自信はある。

 

 

…しかしそう多忙、多忙と言っていても人生はつまらない。忙中閑ありを信条とする私は、先日久しぶりに骨董市に行って来た。…今回はスコ-プ少年の異名を持つ、細密な作品を作り、このブログでも時々登場する桑原弘明君の為に行って来たのである。

 

…明治23年に建てられた異形の塔・浅草十二階の内部の部屋を、彼は細密な細工で作品として作りたいらしいのだが、外観の浅草十二階の写真は余多あるのに何故か、その塔の内部を撮した写真が一枚も存在しないのである。…先日は、その幻の写真を私が彼の為に見つけんとして出掛けていったのである。(彼とは今月末に、その浅草十二階について語り合う予定)。

 

 

………昔の家族や無名の人物写真、出征前に撮した、間もなくそれが遺影となったであろう、頭が丸刈りの青年の写真などが段ボールの中に何百、何千枚と入っている。…しかし、件の浅草十二階の内部を撮した写真など、見つかりそうな気配は全くない。

 

 

 

 

…私は、次から次と現れる知らない人達の写真を見ていて(…考えてみると、これは全部死者の肖像なのだな)…という自明の事に気づくと、炎天下ながら、背中にひんやりと来るものがあった。……そしてふと想った。…もしこの中に、紛れもない私の母親の、未だ見たことのない若い頃の写真が二枚続きで突然出て来たら、どうだろう。…そしてその横に私の全く知らない男性が仲好く笑顔で、…そしてもう1枚は、二人とも生真面目な顔で写っていたとしたら、さぁどうだろう⁉…と、まるで松本清張の小説のような事を想像したのであった。

 

 

…考えてみると、両親の歩んで来た物語りなど、実は殆んど知らないままに両親は逝き、今の私が連面と続く先祖達のあまたの物語りの偶然の一滴としてたまたま存在しているにすぎないのである。

 

 

 

 

 

 

…ここまで書いて、初めてアトリエの外で油蝉がかまびすしい声で鳴いているのに気がついた。………今は外は炎天下であるが、やがて日が落ちる頃に俄に空が暗転し、また容赦の無い雨が激しく降って来るのであろう。…

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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