#勝新太郎

『記憶の中の夕暮れに属する部分』

 

…異常気象のために春や秋がその姿を消して久しい、2024年の12月はじめ。…(これぞ秋の姿!!)という風景が、一瞬目の前に恩寵のように現れた。場所は日暮里御殿坂に沿った谷中墓地。…銀杏の大樹から綺麗な黄葉が落ちて地表に充ちたその様が、記憶の中の或る絵画と重なったのであった。…パリ近郊の村グレーを描いた浅井忠の名作『グレーの秋』である。

 

『グレーの秋』

 

 

 

 

 

…最近の私は、木下杢太郎の詩をよく読んでいる。同時代の北原白秋と比べると、詩の才は虚構の美文へと高める白秋に指を折るが、杢太郎は画家を志望しただけに、その詩から当時の風景が生に立ち上がって来て、白秋とは異なる不穏な郷愁を喚んで、私の記憶の中の夕暮れに属する部分を少し揺らすのである。

……『玻璃問屋』という詩をここに挙げよう。玻璃は「はり」と読むが、ここでは「がらす」。また、盲目は「めくら」。

 

 

……………「空気銀緑にしていと冷き/五月の薄暮、ぎやまんの/数数ならぶ横町の玻璃問屋の店先に/盲目が来りて笛を吹く。その笛のとろり、ひやらと鳴りゆけば、/青き玉、水色の玉、珊瑚珠、/管の先より吹き出づる水のいろいろ/一瞬の胸より胸の情緒。…………(以下は略)。

 

 

 

この詩の(盲目が来りて笛を吹く。)という部分から、推理作家の横溝正史の名前を連想した方もおられるであろう。…そう、横溝正史は間違いなく、木下杢太郎のこの詩を読んで、彼の代表作『悪魔が来りて笛を吹く』という題名を着想した事は間違いないのである。

 

…私が未だ20代の頃に、その横溝正史と出会った事がある。昔々、都内の某ホテルで角川映画の完成記念パ-ティに招かれたので行くと、沢山の映画人、文化人がおり、通された席の白い円卓に私の名前があり、同じ席にデビュ-直後の薬師丸ひろ子と、横溝正史夫妻の名もあったのである。…(この人が、江戸川乱歩と交わりがあり、あの『八つ墓村』を書いた人なのか‼)…じっくり眺めたその顔を私は今でも覚えている。

 

 

…後年、私は彼が『八つ墓村』を書く切っ掛けとなった実際に起きた凄惨な事件『津山三十人殺し』の現場となった、岡山県の西加茂村にある貝尾部落を訪れた事があるが、横溝正史は事件発生直後に、この三十人殺しの余韻が生々しく残る現場を訪れて、後に『八つ墓村』を書いたのである。…同席した時に、もしその事を先に知っていたなら、私は横溝正史に直接訊く事が山ほどあったのにと悔やまれる。

 

 

…木下杢太郎の詩に戻ろう。…この詩に登場する盲目の男の姿は直に虚無僧や、めくらの按摩師を想わせる暗い気配がある。…歌舞伎の『東海道四谷怪談』に登場する按摩・宅悦(仏壇返しという不気味な場面は見どころ)や、勝新太郎『座頭市』演ずるところの、その按摩(現在のマッサ-ジ師)である。…昨今は見かけなくなったが、昔は地方の町にはいたものである。…朝は豆腐売り、昼は金魚売り、…そして黄昏後から深夜にかけて哀しい笛を吹きながら、町の辻々を流していた昔日に視た一編の風物詩であろう。

 

…私は覚えている。子供の頃に父に頼まれて、笛の音を頼りに按摩を探しに行った事があった事を。…子供心に盲目の按摩は不気味であったが、親の頼みだから仕方がない。…夜の闇へ、さらに深い闇へと探しながら私は歩いた記憶がある。…そして子供心に想ったものである。(…ここは、江戸か…⁉)と。

 

 

…按摩と言えば、やはり勝新太郎の座頭市であろう。その勝新と三島由紀夫が面白い会話をした事がある。映画『人斬り』で薩摩の田中新兵衛役を演じた三島が、土佐の岡田以蔵役を演じた勝新に(勝さんの居合い斬りは、実に見事ですが、何処で学ばれましたか?)と剣の流派を問うと、勝新いわく(俺かい?…俺は杉山流だよ)と答えると、三島いわく(なるほど、道理で‼)と、さも納得したように頷いたという。

 

 

 

 

 

 

…この話には落ちがある。勝新は或る人にその話をして(杉山流と言うのはな、…あれは按摩の流儀なんだよ)と言って豪快に笑った。…絶対に、〈私はそれを知らない〉と言うのが嫌いな三島由紀夫の負けず嫌いな面が表れた面白い逸話である。

 

 

 

 

……さて、2024年も間もなく終わりであるが、このブログは、今年は今回で終わりになるのであろうか。…何だかもう1回だけはありそうな。…ともかく、今は昼は木下杢太郎や室生犀星を読みながら、夜は詩を書いている、年の暮れの私なのである。

 

 

 

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『昔日の撮影所・あの日あの時』

…ある日、福井県立美術館の当時の学芸員だった野田訓生さんから電話が入った。(…ちかじか世田谷美術館のYさんから連絡が行くと思いますので、よろしくお願いします)との事。…はて?何だろうと思って野田さんに訊くと(世田谷美術館の仕事で世田谷区の文化に関する資料を作っているので、その件だと思いますよ。…北川さんは、昔学生の頃に世田谷の砧にある東宝撮影所でバイトしていたでしょ?)…(やってましたが、どうして知っているのですか?)。… (いろいろと伝わってくるものです)と野田さんが笑いながら言う。…(話して参考になる事など全く無いと思いますが、まぁ、その時はその時で)…数日してYさんから連絡が入り、ともかくもアトリエから近い田園調布駅で待ち合わせの約束をした。…………… (砧の東宝撮影所かぁ、懐かしいなぁ… 。)思い出していくと走馬灯のようにその時の事が蘇って来た。

 

… 20歳の頃は、バイトに明け暮れる毎日であった。昼、バイトをして夕方から世田谷の多摩美大に行き、銅版画を夜半まで制作する日々。…しかし撮影所のバイトはなかなか面白く、テレビや映画の虚構の裏側が生に直で視れて、日々がワンダーランドであった。版画の前は、以前にも書いたが三島由紀夫に熱い気持ちの手紙を出す程に舞台美術を志向していただけに、ア-ティフィシャル(虚構美・人工美)な空間への傾きが私は強いのである。(これは現在のオブジェの人工美を強調した表現へと繋がっているようである)

 

…最初の仕事は『ウルトラマンタロウ』のセットのビルを造る仕事。しかし後日に定食屋などでその放送を観ていると、一生懸命に造ったビルが怪獣に一瞬で壊されていくのである。…(これではたまらん、私に適した仕事をぜひ)と責任者に話して、ウルトラマンタロウの撮影現場に栄転した。(美大の友人何人かが一緒であった。) …ある日、現場に行くと監督が困った顔をしている。…最終回の大事な撮影だというのに怪獣役の男性が無断欠勤との事。…スタッフ連中が、ふと私の友人の安部ちゃんに目を止めた。長身の彼はその代役にピッタリだったのである。

 

(安部ちゃん、凄いじゃないか、故郷の母さんや親戚に自慢出来るぞ)と私が言うと、安部ちゃんもまんざらではない表情。…重くて汗臭い怪獣のぬいぐるみを被った安部ちゃんはうまく動けない。…点滴した患者に連れ添った看護師のように私が怪獣役の安部ちゃんを連れてスタジオの扉を開いた瞬間、私も怪獣になった安部ちゃんにも同時に走ったのは戦慄であった。

 

…今日は最終回。セットの薄暗い平野に自衛隊の戦車が10台ばかり半円状に整然と並び、怪獣は一斉射撃を浴びて今日は瀕死でのたうち回る場面撮りなのであった。(勿論その内容の説明など全く聞かされてはいなかった。)「本番スタート!!」。監督の声に呼応して戦車砲が一斉に火を吹き、リアルなロケット弾が何発も怪獣にぶち当たっていく。…安部ちゃんは、なかなかの迫真の演技。…「素晴らしい!実にいい!」監督の喜声が響くと同時に助監督が「監督!変ですよ‼」との声が。

 

撮影を中断してスタッフが怪獣に駆け寄り、背中のジッパーを外すと、もの凄い黒煙と、くすぶった火の粉が…スタッフがぐったりした安部ちゃんを引っ張り出すと、目を閉じたかなり危険な状態であった。…何発かのロケット弾がもろに突き刺さり、中でまさかの火災が始まっていたのである。…怪獣役の男が無断欠勤した理由が、その時に漸くわかった。…そして安部ちゃんはスタッフに抱えられて保健室へと消えていったのであった。

 

…撮影所の中は実に広い。俳優達も役に扮した姿で自転車で移動する。…撮影所の果てに学校の校舎風の建物があり、窓から覗くと、中にはゴジラモスラカネゴン…等のぬいぐるみがズラリと勢揃いしていて懐かしい。小さなプ-ルは、それが特撮カメラの魔術を受けると一変して『日本海海戦』の広大な太平洋に。…食堂に行くと、映画やテレビで馴染みの俳優、女優が鯖の味噌煮定食やパスタを食べている光景が。…(正に笑って動く一種のマダムタッソ-の館なのかここは。)………次に来た仕事は映画のセットに付く事。コロコロ変わる私の仕事。…果たして栄転なのか左遷なのかはわからない。

 

…仕事は原田芳雄の当たり役『無宿人御子神の丈吉』の撮影現場。しかしその日は、確か女郎役の宮下順子との濡れ場シ-ンで、監督ほか数人以外は外で待機するようにとの事。…ならばと思って撮影所の中をふらふらしていると、「これから大物の俳優が来られるので、手透きの人は全員集合して下さい」との連絡が入った。「大物?…関係者一堂がやけに緊張しているが、はて誰だろう」

 

…暫く待っていると、黒塗りのばかでかい外車が停まり、中から座頭市などで聴いた事のあるドスの効いた低い声で、パナマ帽、全身白のス-ツ姿の勝新太郎が出て来た。次に中村玉緒が…。一斉に歓迎の拍手が鳴り響く。…勝新は沢山の出迎えを受けて上機嫌で若い付き人(後の松平健)らと共に何処かへと消えていった。…なる程、大物俳優への対応はさすがに違うな…と思い、その風習の面白さに感心した。勝新か、なかなか見れない俳優を観たな、そう思った私は次の面白い現場はないかと、またふらふらと歩き、と或るスタジオの扉を開いて中へ入った。

 

… 奥で鮮やかな照明に照らされて、一人の未だ若い女優が何かのセリフを明るい笑顔で喋っている。… よく見るとその女優は吉永小百合であった。確かハウス食品のCM撮りだったと記憶する。…  (原田芳雄、吉永小百合、勝新太郎…か) … 今日は何故か盛り沢山だなと思って、ベンチに腰掛け、図々しくもその撮影を見続けた。しかし誰も私を注意しない。……私の特技の1つは、擬態ではないがどんな場面でも、その空間に溶け込んでしまう事である。突然セットの照明が消え、件の吉永小百合がこちらに歩いて来るのが見えた。(ん?…何か私に話したいのかな…)いや違うようだ。ベンチで座っている私の横に座り、読書を始めたのであった。…そうか、このベンチは吉永小百合の為の休憩ベンチだと暫くして気づいた。…申し訳ないなと思いながらも、そのまま私は座って、昭和を代表する美女の一人と云われたその美しい横顔を、後学の勉強の為に見入ったのであった。

 

…そのスタジオを出ると、同じ美大生で流行りのコンセプチュアルア-トにかぶれている慎ちゃん(苗字が思い出せない)に出会った。慎ちゃんは未だ特撮の現場でバイトをしているが、私と同じで隙をみてサボタ-ジュとの由。…ならば一緒に歩こう!…そういって暫く行くと、大きなスタジオが目に入った。…興味が湧き中へ入ると、私達は幻かと思って唖然とした。…まるで大正時代の関西風の豪奢な料亭の和室がそこにタイムスリップしたように現れたのであった。(ここは何だろう!?)…何かの大きなセットらしいが、不思議だったのは、まるで神隠しのように辺りは全くの無人。…見ると、私達の眼前には見事な将棋盤と立派な駒が。……(こんな好機はない、慎ちゃん将棋やろうぜ!)…そう言って私達は、重い将棋盤と駒を抱えて、セットの奥へ、人に気づかれない奥へと行き、まるで名人戦のような高揚した気分で、へぼ将棋を指し始めたのであった。

 

… よほど高価な将棋盤なのかパチンパチンという響きはまるで風格が違う。4.6の角、2.7の銀 … パチンパチンとなおも指す。… すると遠くの板囲いの向こうから、何やらビルマの密林をさ迷い歩く飢えた虎のような地響きのする低い響きで(何処だぁ、何処にあるんだぁ-‼)という声が伝わって来た。耳の錯覚か?… 私は気にせず(慎ちゃんは詰めが甘いですなぁ)と言うと、慎ちゃんの反応が無い。ん?…と思って慎ちゃんを見ると、血の気が引いて恐怖に歪んだ顔が。…その顔が、私でなく私の背後を見て真っ青に硬直しているのである。… 私はゆっくり振り返った。そしてそこに見たのは、これ以上はない怒りに怒髪天を衝くと化した、勝新太郎の怒りに狂い殺気を帯びたもの凄い形相であった。しかも私の顔面の僅か10センチ先にその顔が‼  私はその時の言葉を今もありありと覚えている。

 

……… (てめぇかぁ!この若僧、ふざけた真似をしやがって‼ … 俺にとって一番大事な将棋盤を持ってずらかるとはとんでもねぇふてぇ野郎だ‼ …) … 怒りで勝新の肩が震えている。… 思えば、最初に見たのは撮影所に入って来た上機嫌の勝新であったが、いま眼前にいるのは、兄貴の若山富三郎と並んで、映画界で最も凄みのある恐ろしい男と云われた勝新の一変した姿であった。…勢いよく喋べる為か勝新の唾が私の顔に容赦なくかかってくる …しかし不思議と殴っては来ない。…それどころか、途中から私に(いいかぁ、覚えておけよ、てめぇも役者を考えているんだったら、役者っつうのはな、一瞬一秒に命を賭けているんだ!わかったか若僧‼)と調子が説教調に変化している。…この撮影所の世界でバイトしているのは役者志望が多い。私は、この人はなんか勘違いしているなと思ったが、心底申し訳なかったと反省もした。

 

……眼前にいる勝新の顔を見た私は、勝新の顔左奥に、この成り行きに血の雨が降るのではないかと心配顔で見ている、もう一人の俳優がいる事を知った。…やはり切れ味のある演技で知られる名優の仲代達矢であった。…何故ここに?…と思ったが、心配顔の仲代達矢は緊張しながらこの成り行きを見守っている。そして思った。勝新太郎、仲代達矢、この二人の芯の素顔は実に優しい人達なのだなと私は思った。

 


……ともかく漸く事が納まり、役者達が撮影に戻るべく去って行くと、監督とおぼしき人とスタッフがやって来て、私と慎ちゃんに(お前たち、本当殺されなくてよかったな。勝さんは、神経を集中して仲代さんと現場に入って直ぐに本番一発撮りだが、座った瞬間に大事な将棋盤と駒が無いとわかり、もの凄い怒りで現場は荒れたんだぞ、今日は『王将』の一番大事な名人戦の撮影。役に成りきって集中して本番の撮影に入ったのに、大事な小道具が無いとわかり、そりゃあ、荒れるのはわかるよ‼…しかしまぁ無事でよかった。)

 

……『王将』…と云えば、勝新のあのメ-クは坂田三吉、仲代達矢の役は名人の関根金次郎か。私は未だその映画『王将』を観ていないが、機会をみて観ようと思っている。最後のクライマックスの名人戦の勝負の場面が出て来たら、(あぁ、あれから気を取り直して撮影したのだな、)と思うであろう。………………………………………  野田さんからかかって来た1本の電話から、砧の東宝撮影所のあの日、あの時の事を走馬灯のように思い出したのであった。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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