#永井荷風

何故、川端康成はそれについて黙っていたのか…!?Part1』

①前回のブログで、私の旧知の画商の時津さんが登場したが、ブログをアップした後でいろいろな事が思い出されて来た。……今から20年以上前になるが、時津さんの企画で丸亀の画廊で私の版画集を中心に個展が開催された事があった。四国在住のコレクタ-の人達が沢山来られ、会は盛況であった。…その夜に、私達は何台かの車を連ねて海辺へと向かった。時津さんが中心になって私の歓迎会を開いてくれたのである。

 

…海潮音が聴こえる漁師小屋の店で栄螺(さざえ)のつぼ焼きを中心に海の幸の料理が次々と出てくる。…つい先ほどまで生きていた取れ立ての栄螺が沢山火に炙られ、私には栄螺が何かにじっと耐えているように見えた。(…今しがたまで海の底にいたこの栄螺達は今、何事かを間違いなく考えている)。……と、その時であった。(北川さん、今から面白いのが見れますよ‼)と誰かが嬉しそうに言ったその瞬間、勢いよく各々の栄螺のあの尖った貝の中から、螺旋形の捻れた身が、熱さに耐えきれずいっせいにポンポンと飛び出して来たのであった‼

 

 

…それは実に初めて視る光景で、かつセクシ-なものがあり、例えるならば、火が出た銭湯の女風呂から、いっせいにタオルで裸身を隠しながら必死の形相で(死んでたまるか‼)と飛び出して来た吉野良子さんや佐藤麻美さんのようであった。

 

…私はあの時に食した栄螺の壺焼きの美味さを今も鮮明に覚えている。

 

 

 

 

……さて、その夜の事。写真家のMさん夫妻の自宅の古民家で、私と時津さんは泊まる事になった。寛ぎながらMさんの写真作品について感想を話していると、突然、二階でギシツ、ギシツと軋む音がして、確かに体重の重い人が歩いている気配がした。…(あれ、上に誰かいるの?)と私が問うと、Mさんは当然のように(あぁ、います、私のお祖父さんですよ。………3年前に亡くなりましたけどね…)と日常的な顔をして当然のように言った。見るとMさんの夫人も明るく笑っている。彼ら夫妻にとっては、そのお祖父さんの気配がむしろこの古い民家の守り神のように映っているようであった。……すると、二階の先ほどとは離れた場所で、またミシッという音が今一度して…消えた。私と時津さんは顔を見合わせながら唖然とした。…しかし不思議と怖いという感覚はなく、その音をMさん夫妻と同じく懐かしいものとして受け入れる、むしろそういう現象も在って然るべきだろうという、そういう感じを私達は共に懐いた。

 

 

…以前のブログで書いたが、私が東京芸大の写真センタ-で深夜に寝袋で寝ていた時に私の周囲をカツッカツッと硬い靴音を立てて廻る、明らかな昭和初期とおぼしき軍人の靴音を聴いた事があったが、その時とはまた違うものであった。……しかし私は想った。軍人の靴音や、その時のミシッミシッ…という足音。…霊魂という〈気〉にそれだけの重さは果たしてあるのか⁉……重さとは三次元における存在にかなり関わっている代物ではないのか⁉…という当然の疑問を私は懐いた。…その夜、私と時津さんは、その亡くなった祖父さんだという遺影がある仏壇の前に敷かれた蒲団の中で、その事について話し合ったのであった。

 

 

 

②…上野公園の動物園と芸大がクロスする所に、江戸川乱歩の小説『青銅の魔人』や『一寸法師』『何者』…の舞台に相応しい廃墟とおぼしき建物があるのをご存知だろうか。…戦前に開通して今は廃線となって久しい京成電鉄の「旧博物館動物園駅」である。

 

 

…夜にもなると、人影が絶えた公園のこの廃墟の闇の中から何物かがその鋭い眼を醒まして、深夜の公園をさ迷い出すような、そういう建物の…京成線に、最近何故か私は惹かれている。…この京成線に乗って上野から浅草を経て玉の井へと向かった永井荷風の存在もあるのだろうが、私はこの京成線に今、関心を持っている。哀愁だけでなく、何か濁りを帯びた魔所へと、この鉄路は私をして運んで行ってもくれそうな、そんな期待をこの線はいだかせるのである…………。

 

 

その京成線が通っている沿線に在るのが市川駅の隣の本八幡駅である。…先日のある日、11月だというのに狂ったように暑いある日、私のオブジェ作品を沢山コレクションされているKさんと、或る用事があってその本八幡駅のカフェで話をしていた。…そして話は永井荷風に及び、荷風が晩年を過ごし、そこで亡くなった家の話になった。そう永井荷風はこの本八幡で亡くなっているのであるが、その事は荷風の日記の名著『断腸亭日乗』に詳しい。

 

……さてそのKさんから『八幡の藪知らず』という言葉が突然出た。…八幡の藪知らず…という言葉は〈そこに入ったら二度と出てくる事は出来ない〉という意味である事は知っていたが、それは何かの故事伝説であり実在しないものと思っていた。…しかし今、Kさんの口からその言葉が出て、それがこの本八幡に実在して、禁足地として遺っているのだという。…私は俄然興味を持ちKさんの案内で、その魔所へと向かった。

 

…八幡の藪知らず‼…確かにそれはそこに在った。…不気味なまでに竹藪が拡がって暗い闇を作り、その奥はようとして見えない暗所である。

 

…朽ち欠けたような古い説明文を読むと、平将門絡みの凄惨な殺戮のあった場所で、江戸時代から既にそこは禁足地であったが、好奇心の強い水戸光國(黄門)は、家来が止めるのも聞かず、その竹藪に入ったところ、感覚が鈍ったばかりか、妙な幻覚症状に襲われてしまったという。………(私は入りませんが…)とKさんは言うが、暗に私に入ってみたら!と勧めているようである。…正面には高い石の柵があるので入りにくいが、次回ここに来たら、私は裏側からこの竹藪の中に入ってみよう‼…そう決めて、本八幡駅から横浜へと向かったのであった。

 

 

 

③…「二階から聞こえて来た足音」、「八幡の藪知らず」と2章に渡って書いて来たが、実はそれは、この世とかの世とは地続きである事を話す為の云わば伏線のようなものである。「仏界入り易く、魔界入り難し」……一休宗純のこの言葉を最も好み、書に数多く書いたのは、今回と次回に渡って登場するブログの真打ち、川端康成である。………周知のように、自身が生と死のあわいを旅人のように、かつフェティッシュなまでに往還した彼の代表作は『雪国』であるが、この抒情性に充ちた小説が、実は生者と死者の交感の不気味な話である事を知る人は案外少ないのではないだろうか。…川端はこの小説の真意について次のように語っている。……(あの小説の中で生きているのは主人公だけで、後はみな死者なのですよ)と。

 

 

………「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。…………」

 

次回のpart2では、…この雪国で、川端が語らなかった或る秘めた謎について、その内心の闇に迫ろうと思っている。…それは日本の文学界において今なお論争にもなっている事とも重なってくる。………次回のブログに乞うご期待を。

 

 

 

 

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『日暮里に流れている不思議な時間…』

…今年は展覧会が5ヵ所で予定されている。…5月は金沢のアート幻羅(5月9日~6月2日)と千葉の山口画廊(5月22日~6月10日)での個展。金沢は初めてなので、私の今迄の全仕事総覧。千葉の山口画廊は全く新しい試みと挑戦による鉄の新作オブジェを中心とした展示。10月9日~14日は横浜の高島屋で、これは個展でなく、宮沢賢治の世界を主題としたグル-プ展。…10月2日~21日は日本橋高島屋ギャラリーXでの大きな個展。11月29日~12月14日は名古屋画廊で、ヴェネツィアを主題とした、俳人の馬場駿吉さんとの二人展である…。今はアトリエで制作の日々であるが、それでも忙中閑ありで、時間を見つけては度々の外出の日々であり、数多くの人と会っている。

 

…その中でも一番多くお会いしているのは、このブログでも度々登場して頂いている、真鍮細工などの超絶技巧の持ち主である富蔵さん(本名、田代冨夫さん)である。富蔵さんは、パリで昔建っていて今は無い建物とその一郭をアジェの古写真を元に精密に真鍮で再現し、その時に流れていた時間や気配までもそこに立ち上げるという、不思議なオブジェを最近は集中的に作っていて、作品のファンが多い。…富蔵さんとは初めてお会いした時から波長が合い、前世からのお付き合いが現世でもなお続いているような、懐かしの人である。昨年からは特に制作の具体的な話から、文芸の話、幼年時代の記憶までも含めて幅広い内容でお会いする事があり、私には気分転換と充電を兼ねた密にして大切な時間がそこに流れているのである。…待ち合わせ場所は決まって日暮里の御殿坂の上、谷中墓地の前にある老舗の蕎麦屋『川むら』であり、その前にあるカフェでさまざまな事を語り合っているのである。

 

3月のある日、その日も富蔵さんとの約束の日で、私は日暮里駅を降りて、御殿坂を上がっていったが、未だ約束の時間には早すぎたので、坂の途中にある古刹・本行寺の境内に入った。…この寺は江戸時代からの風光明媚な寺として知られ、小林一茶種田山頭火も俳句を詠んでいる。また寺の奥には徳川幕府きっての切れ者、永井尚志の墓があるので、それを見に行った。…坂本龍馬が暗殺の危機にあり、周りから土佐藩邸に入るように勧められた時に、龍馬が「自分は永井と会津に面会して、命の保障をされているんだ」と言った、その永井である。結局、龍馬は中岡慎太郎と共に見廻り組によって斬殺されてしまったのは周知の通り。……ちなみに文豪の永井荷風三島由紀夫の先祖である。

 

…墓参して引き返す時に、面白い光景が目に入った。…寺の塀に沿って夥しい数の卒塔婆がズラリと立ち並んでいるのである。その向かい側にはすぐに家々が建っていて、明らかに、その部屋から見える朝からの光景は、障子や窓越しに並んで立っている、卒塔婆、卒塔婆…のシルエットなのである。私はそれを見て思った。「…こういう眺めが平気で住んでいる人というのは、一体どういう人たちなのだろうか?」と。映画『眺めのいい部屋』の裏ヴァ-ジョンである。

 

 

…私は卒塔婆の傍に立って、様々な人物像や、その生活の様を、オムニバスの短編小説を書くようにして想像(妄想)した。…すると、何よりも好奇を好む私のセンサ-が強く反応して「いや、きっと面白い人物が住んでいるに違いない」、そう思い、私は待ち合わせ場所の『川むら』の横にある露地へと入っていった。

 

…昭和然とした家々がひっそりと建っている、その先に、はたして一軒の家が目に入った。

 

 

『湿板冩眞館』と書かれた白い看板。そして見ると、この家を訪れて撮影したとおぼしき、女優の杏さんや北野武、草彅剛の写真がその下にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そして、坂本龍馬を撮影した幕末期の写真機を使って、現在も活動中である由が書かれた看板も目に入った。…入ってみたい衝動に駈られたが富蔵さんとの約束の時間である。いったん戻り、再び私達はその家の前に立って、呼び鈴を押した。

 

 

 

中から出て来られたのは、写真家(写真術師の方が相応しい)の和田高広さん。…玄関壁には今まで撮影された人達の硝子湿板写真(その誰もが現代と昔日のあわいの不思議な時間の中で生きているようだ)。

そして、和田さんに案内されてスタジオの中に入るや、そこは、現代の喧騒とは無縁の、まるで時間を自在に操る光の錬金術師の秘密の部屋に入ったような感慨を覚えた。

 

 

…それから、和田さん、富蔵さん、そして私の、表現創造の世界に人生の生き甲斐を見いだしてしまった、云わば尽きない物狂いに突き動かされている私達三人の熱い話が、堰を切ったように、およそ二時間始まった。…話を伺うほど、和田さんが独学で究めてきた、写真術が未だ魔法の領域に属していた頃の世界に私達は引き込まれていった。

 

 

…私は以前のブログで書いた或る疑問を和田さんに問うてみた。…幕末の頃は写真機の前でポ-ズする時間がおよそ30分位は必要と言われているが、私には1つの疑問がある、それは龍馬と一緒に暗殺された中岡慎太郎が笑って写っている写真があるが、…30分くらい、人は可笑しくもないのに笑っていられるのか?…という疑問であった。…長年懐いていたこの疑問を和田さんは一言で解決してくれた。…(30分くらい必要というのは間違いで、実際は20秒あれば写ります!と。

 

 

…また樋口一葉が手を袖の中に入れて写っているが、その訳は何故か?…その答えは樋口一葉研究者達を一蹴するような、古写真撮影の現場を実際に知っている人にしかわからない話で、私は長年の疑問の幾つかが、忽ち氷解して勉強になったのであった。

 

…富蔵さんの話も面白かった。話が進んでいくと、富蔵さんと和田さんに共通の知人がいる事がわかってくる。私達はアンテナが何処かで間違いなくつながっている、そう思った。…二時間ばかりがすぎて私たちは写真館を出てカフェに行き、余韻の中で更なる会話がなおも続いたのであった。

 

 

2日後の22日に、東京国立近代美術館で4月7日まで開催中の写真展-『中平卓馬 火/氾濫』展を観る前に、私は今少し和田さんにお訊きしたい事があったので、事前に連絡を入れて、再び日暮里の写真館を訪れた。…すると嬉しい事が待っていた。午後から写真を撮られに来る人がいるので、その撮影の為に感光液を新たに作ったので、(その液の試験に)と、私を撮影する準備が出来ていたのであった。いつか私も生きた証しとなるような記念写真を和田さんに撮影してもらいたいと考えていたのであるが、まさか今日!とは嬉しい限りである。…しかも坂本龍馬を撮したのと同じ写真機で。

 

 

 

……思えばつい先日、本行寺に寄って龍馬と関わりがあった永井尚志の墓を見た帰りに、ふと見た卒塔婆に導かれて、細い露地へと入っていったその先に、このような出会いが待っていようとは、だから人生は面白い。…和田さんの二階から見えた本行寺の墓地は実に明るい眺めで、彼岸の陽射しを浴びて墓参に来られた人達もまた穏やかな会話を交わしている。…最初に予想していた逆で、この部屋こそ正に『眺めのいい部屋』なのであった。…ちなみに、私が撮ってもらった写真の仕上がりは、龍馬というよりは、高杉晋作、或いは石川啄木の姿に近いものであった。

 

 

 

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『第10回菊池ビエンナ―レ展 現代陶芸の〈今〉を観る』

昨日の午後、アトリエでオブジェの制作と平行して詩を書いていたら携帯電話が鳴った。誰かからのEメールである。開いて見たら「三田文学に詩を書いています。お読み頂ければ有り難いです」とだけの短文で、全く知らない人の名前が……。現代詩手帖ならばいざ知らず、森鴎外永井荷風等の流れを汲んだ歴史ある「三田文学」での詩ならば面白いかも…と興味が湧き開いて見たら、忽ち〈悪質メール注意〉の警告が!……直ぐに消したが、その後で笑ってしまった。怪しい連中が「三田文学」の角度からも詐欺をやっている、その着想の幅の広さに半ば呆れて笑ってしまったのである。「三田文学」を知っている詐欺師とは、なかなかの知識があるようで面白い。……そして「そうか、この連中は私を詩人としてリストに入れているのか」と思うと、妙に励まされたような笑える気分であった。そして思った。(そうだ頑張って、遅れている第二詩集の為に詩作を急がねば)と。

 

……さてこの度の能登半島大地震であるが、惨事は他人事でなく、いつ私達を襲ってくるかはわからない。正に一寸先の事は誰も知らず、突然ガタガタッと窓ガラスが激しく揺れた時が、この世との訣別の瞬間かとも思われる。……もの凄い揺れに襲われ、玄関の扉も開かなくなったその瞬間、パニックになったあなたはどうするか?……先ず閃くのはテ―ブルの下への避難であるが、しかし大量の二階からの落下物がのし掛かってテ―ブルの脚も折れ曲がり、意に反して脱出が困難になる場合が多分にある。……ここで、先人が助かった例として提案したい場所がある。それは……「トイレ」である。構造が狭い分、重い落下物が周囲に分散し、またトイレは外に隣接しているので、脱出或いは発見される可能性が高い。そしてそこで大事な事は日頃から「笛」・ホイッスル(緊急用救助笛―ちなみに楽天で171円他)をトイレに予め用意しておく事である。……怪我をして次第に脱水症状が出て来ると、救助の呼び声に言葉で返す力も無くなってくる。そうした時に笛は僅かな息だけで遠方に音が響き、発見される可能性がきわめて高い。自力の微かな声よりも、遠くまで響く他力の音が遥かに実際的である。……一例として、阪神淡路大震災の時に自宅が全壊した俳人の永田耕衣さん(1900~1997)は、丁度使用中だったトイレに閉じ込められたが、たまたまそこにあった茶碗を箸で叩いて助かった事がある。とまれ参考にして頂きたく、一例としてこのブログで提案した次第である。

 

 

先日の快晴日に、東京の日比谷線の神谷町駅で下り、大倉集古館のそばに在る菊池寛美記念・智美術館で3月17日迄開催中の『第10回菊池ビエンナ―レ展』現代陶芸の〈今〉』を観に行った。…場所は虎ノ門に在りながら、都会の喧騒とは無縁の静謐な空間を帯びたこの美術館が好きで、私は度々訪れるのであるが、この菊池ビエンナ―レ展は、特に審査のレベルが高く、土でしか出来ないオブジェの可能性を追っている点からも、素材の妙を知る上で、特に私の興味をひいている展覧会である。

 

 

 

 

しかも今回は、女性初の受賞者である若林和恵さんが大賞受賞者であるが、その若林さんは私のアトリエの在る建物の階上に住んでおられ、地下の工房で日夜、磁器の制作に励んでおられるのを長年知っているだけに、感慨もまた深いのである。(私はつごう7回の引っ越しを経て、導かれるように現在のアトリエで制作しているが、世間が静まった夜半に階下から聴こえて来る、若林さんが作陶に挑んでいる土や水の響きが時おり伝わって来て、自分も頑張らねばと、一人の表現者として私は自ずと鼓舞されるのである。)………………

 

美術館の螺旋階段を降りて行くと広い会場である。若林さんの大賞受賞作品『色絵銀彩陶筥「さやけし」』(画像掲載)が先ず展示されている。古典の雅とモダニズムの華やぎとの共存を帯びた圧巻の存在感を放って尚も優美。…観る人をして鑑賞でなく、観照の深みへと引き込む存在の強さがある。…この存在感は、若林さんが芸大を卒業後にピカソの作陶でも知られるイタリア・ファエンツァの国立陶芸美術学校に留学して学んだマヨリカ陶の技術研鑽と共に、体感として享受したアドリア海の硬質な強い光が、感性の中に豊饒なままに息づいており、それが日本古来からの美の湿潤さと静けさの豊かな混淆の放射として産まれた、若林さんの作品だけに固有な独自の存在感のように思われた。

 

……実に照明の配慮が行き届いた館内には、今回の応募総数359点の中から第二審査迄を経て選出された53点の入選作品が展示されていて、各人の技術研鑽の苦労と作品への想いが伝わって来る。しかし、私にはあくまでも既存の「工芸」の領域に作者達の意識が総じて向かっているような一元性を感じさせて映った事は正直な感想である。優れた作品が他を排して存在するのは、作品が孕んでいるもう一つのイメ―ジの揺らぎ、西脇順三郎的に言えば「諧謔」的なものが在るか否かなのである。そして、私が作者を知っているからという単純な身贔屓でなく、私が審査員であったとしたら、やはり今回の大賞は若林さんに一票を投じたに違いないであろう、作品・色絵銀彩陶筥『さやけし』は、そのような作品なのである。………………いろいろと考える切っ掛けになったこの展覧会は、ジャンルを越えて得るところのあった経験であった。今年は元旦から不穏な事が続き、私達の気持ちが日々荒れている感がある。もし時間的に余裕があるならば、喧騒から離れた静かなこの美術館を訪れて、作品の数々に接して自身と向かい合う観照の場にされては如何であろうか。

 

 

 

 

 

 

…………さて、美術館を出ると、なおも日射しは真冬だというのに、夏のような烈々とした強い光である。神谷町駅から日比谷は近い。私は久しぶりのこの快晴の光をもっと浴びたくなり、日比谷公園に行き松本楼で昼食をとった。……そしてフットワ―クの良い私はその足で銀座線に乗って浅草寺に行き、珍しく御神籤をひいた。……「大吉」であった。

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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