#西郷隆盛

『2025年初春…それでも地球は回っている。』 

 

…今年最初のブログは、先ずは私からの年賀状です。

 

 

 

螺旋の永久運動を真似て蛇がうねる。
その蛇を真似て硝子がうねる。
遠い冬のラ.セ-ヌの上で、2025粒の光を浴びた…世界がうねる。

 

 

 

…今年から基本、郵便としての年賀状を書く事をやめているので、ブログを介しての年賀状とあいなった次第。しかし考えてみると、これはあまねく伝わるので、未だ直接お会いしてはいないが、しかしこのブログの善き読者である方々にも年頭のご挨拶が伝わるので良い試みではないかと思う、1月4日現在の私である。

 

…新年早々に、私の大切な才能ある友人のTが亡くなった一報が入って来た。…私は度々予知夢を視るし、最近妙に気にはなっていたので、やはり…という思いのまま、通りに出て茫然とするところで、………パチンと夢が弾けた。今年の初夢はそういう夢から始まった。皆さんの初夢は果してどのような宝船に乗った夢をご覧になったのであろうか。

 

 

 

……3日にアトリエ近くにある古刹の妙蓮寺に初詣に行き御神籤を引いたら、昨年と同じで「大吉」が出て、あぁ…という感じで溜め息をついた。昨年の大吉は、大事な個展直前に突然襲われた椎間板ヘルニアの発症で車椅子、松葉杖の生活をする羽目をもたらしてくれたが、さあ今年の大吉は何が来るのであろうか?…痛い目に遭ったのでつい身構えてしまう「大吉」である。

 

…今、人類がおかれている現状や近未来の姿を思うと、御神籤が入っている箱の中には気休めの大吉でなく、人びとに警告を発する全部「大凶」こそ相応しいのではあるまいか。私が神主ならそうするだろうし、結果、その神社や寺には人は寄りつかなくなってやがて、荒寺になっていくのであろう。

 

 

 

…実は、私は新年を迎えたという実感が無いままに、今、今年初のブログを書いている。昨年の大晦日の夜は10時過ぎに早々と寝床に入り、『詩の誕生』(大岡信・谷川俊太郎共著・岩波文庫)という対談本を読んでいて、そのまま寝落ちしてしまい、目が覚めたら、既に太陽が空の高みにあって眩しかった。…なので除夜の鐘も、横浜港から一斉に聞こえてくる、新年を祝う船の汽笛も聞いていないので、年が開けた瞬間の、あの大急ぎで頁をめくって新年にジャンプするような心の慌ただしい切り替えがないまま、今は2025年の1月4日なのである。

 

 

………俳人・高浜虚子の作に「去年今年貫く棒の如きもの」(去年の読みはこぞ)という俳句があるが、確かにあの、年を越していくという瞬間は気持ち的に重いものがある。…観念が唯一、生々しく肉体性を帯びた瞬間、そう言えるかもしれない。……だから、眠ったまま年を越した私には地球が新たに一周回っただけ、そんな感じなのである。…そもそも新年というものは何故必要なのであろうか?…答えは簡単で、新年というめり張りの効いた太い節がもし無かったら、人々は唯だらだらと呆けたように生きていく事になるからだと私は思う。

 

 

 

 

 

 

………さてここから話題が少し変わっていく。…人は、それが当たり前と思っているが実はそうではないという事がある。

 

…例えば今言った地球一周の話であるが、その時間はと問えば、人は当然のように24時間と答える。…では地球創成期においては地球は一周するのにどれくらいであったか、ご存知であろうか?

 

 

 

…実は、地球が誕生したばかりの頃(46億年前)は地球が一周するのに要したのは僅かに5時間であった。何という急速回転‼…18億年前は18時間、……そして今は24時間…と、駒の回転が次第にゆるくなっていくようにして、やがては…………。原因は、月が次第に地球から遠ざかって行く(月は地球から年3.82cm、離れていっている)事と、それによる潮の満ち引きによる摩擦が関係しているようである。何とも壮大な現象で、想像してみると巨大な玩具のようで面白い。

 

 

 

 

…続きの話として、…人は誰もがみんな西郷隆盛の名前を知っているが、実は、彼は西郷隆盛ではなく西郷隆永(たかなが)で、幼名は小吉、そして吉之助。

…隆盛というのは彼の父親の名前で、岩倉具視に宛てた手紙には西郷隆永と記されている。…だから龍馬高杉晋作たちは、西郷隆永という認識はあったが、西郷隆盛という名前の認識は全く無いままに付き合っていた事になる。

 

 

……間違って隆盛になったのは明治維新の後で、明治天皇から位階を授かる事になり、政府に本名を届ける時に、西郷がたまたま不在。役人が西郷の知人に尋ねたところ、間違って父親隆盛の名前を告げてしまった為に、そのまま戸籍まで西郷隆盛になってしまったという次第。…しかし西郷はその間違いを全く気にしなかったというからやはり大きい。……しかし思うのであるが、この間違い、西郷隆永よりは遥かに隆盛の方が響きが善い。…伝説になる下地はこの間違いが幸いしている感もなきにしもである。(名前は大事である。…例えば、天才舞踏家の土方巽(ひじかたたつみ)の本名は、米山久日夫(よねやまくにお)というが、まぁそういう事である。…

 

 

 

さて、ともかく新しい年が開けた。私は元旦からアトリエに入り、新作を二点仕上げた。…この勢いでまた新たな未知の領域に入っていくのであるが、そこにどのような表現が立ち現れるのか、…また今年は平行して詩も書いていこうと思っているが、その二本立てで突き進む気概である。…この連載ブログもまた、引き続きのご愛読を乞い願う次第である。…皆さま方の今年のますますのご多幸を祈念しつつ…今回はここまで。

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

『実は、…私はよく知らないんですと、その男は言った!』

先日、知り合いの女性から(横浜の催場で、函館から来た画商という人が閉店セ-ルで3日間だけ西洋版画を商っていて、レンブラントの風景版画が45万円で売っているので、その版画を買おうかと思っているのですが、すみませんが、もし出来たら見に行ってもらえますか?催日は明後日迄です…)という連絡が入った。…打てば響くを信条としている私は、興味もあって直ぐ見に行った。…催場で一目見て思った。「こりゃあいけない、贋作だ!」と。…一見、誰もが知るレンブラントである。インクも強弱があるし、古色も帯びている。…しかし間違いなく贋作である、そう確信して見ていると、店の中から紳士然とした風格のある男が微笑を浮かべながら近づいて来て、こう言った。(このレンブラント、なかなかの掘り出し物だと思いますよ、如何ですか?)と。

 

…私は男に問うてみた。…(版画の左下にエディション(限定)番号48/100と書いてありますが、これは誰が書いたのですか?)と訊くと、男は平然と(レンブラントの当時の画商です)と答え、意味不明なまばたきを2回した。(……その時の心理を映すこの男の癖なのか?)………確かに画商の始まりはレンブラントが亡くなった頃のオランダを祖とする17世紀後半からであるが、しかし私はこう言った。(あれですよね。このエディションという制度は、確かピカソの画商だったヴォラ-ルあたりが始めた制度で、間違いなく20世紀初頭が始まりですよね)と。…一瞬、男の目が泳いだ。私は続けて(昔、オランダのレンブラントの家を美術館にした所で、本物の版画から撮影してカ-ボンティッシュというドイツの写真製版技法で完全に再現した版画を、確か1枚5000円くらいで売店で売っていて、私も数点買って持っていますよ!)と言うと、男は静かに(……実は私は、よく知らないんですよ)と言って、静かに店の奥へと消えていった。

 

………版画に古い年月を感じさせる古色であるが、以前に澁澤龍彦のエッセイを読んでいて感心した事があった。…それは浮世絵の贋作に古色をつけるテクニックであるが、何と、昔の汲み取り式トイレ、通称「ぼっとんトイレ」の真上の天井に吊るしておくと、自然な古色を次第に帯びてくるのだという。…しかも、年中湿気の多い北陸地方(おぉ私の故郷!)が、実にリアルな古色を出してくるのだという。…ここまで追究して贋作を作っている連中は、ある意味たいしたものだと、思ってしまう。

 

昔、ロンドンに住んでいた時に、テムズ川に架かるタワ-ブリッジ傍で朝早くから開催している骨董市(通称、泥棒市)に出掛けた事があった。…そして朝未だ来の薄暗い中で、手紙の束と一緒に在ったレンブラントの風景を画いた銅版画を4000円で入手した事があった。店主はレンブラントの事など知らないらしく(兄さん、これ昔のペン画だよ!)と言う。…後でサザビ-ズの知人に無料で鑑定してもらったら、初刷りの掘り出し物であり、今もアトリエの中に大切に仕舞ってある。

 

…日本の骨董市も玉石混交の現場である。…以前に三島由紀夫の直筆原稿という触れ込みで店頭にそれが堂々と出してあった。一目見て三島のあの流麗な筆致から遠い贋作であるが、先のレンブラントの時と同じくリアルさを出す為に、この時は編集者が書き直しで入れた朱の文字が何ヵ所かに入っていた。これで贋作者は墓穴を掘っているのであるが、知らない人は、その朱色に興奮してしまうのであろう。…断言するが、完璧な三島由紀夫の文章に、朱の文字で編集者が文字を入れる事などあり得ない。…その贋の原稿は確か28万円(考えぬかれた数字!)だったが、その次に来たら無かったので、どなたかが買ってしまったのであろう。(…合掌)  昨日画いたばかりの、色が綺麗な、しかし高価なアニメ-ションフィルムも要注意である。…店頭に出る事は稀であるが、フィルムの裏を見て、彩色された絵に亀裂が入っていないのはかなり怪しい。

 

 

ワンランク上になると高価な書画骨董の類である。人気のある西郷隆盛の書は、特に贋作が多い。…見分け方の一つであるが、西郷の癖でチョンと跳ねる箇所を、西郷は決まってボトンと野太く書く。しかし、そこが危ない。

…贋作者は、西郷のファンがそこを注視するのを熟知しているので、あえて目立つようにボットンと太い点を黒々と置く。こうなると、生半可な知識と悪知恵の化かし合いである。

 

 

……30年ばかり前の話であるが、パリで一番大きな骨董市で知られる「クリニャンク-ルの蚤の市」を歩いていた時の事。20世紀後半の代表的な美術家で、妖しい球体関節の人形の作者でも知られるハンス・ベルメ-ルの版画の明らかな贋作が、その日はやたらと随所の店で目立ち、不審に思った事があった。…しかも何より不可解なのは、そのサインが明らかに本物だったからである。…私のアトリエにもベルメ-ルの代表的な銅版画が何点か在るので、その特徴的なサインの筆跡は記憶に入っており、間違いのない本物のサインだと私は断定出来る確信があるのである。…贋の版画に記された、しかしサインだけは本物とは…?その正体や如何にである。

 

 

……こういう時には、パリの裏も表も熟知している友人の到津伸子女史に訊くにしくはない。彼女は30年以上パリに住み、様々な人物との交流が深い。…その日の夕刻にサンミッシェルのカフェに呼び出して、真相を知っているか?と訊いてみた。…彼女は即答で知っている!と答えた。…それかあらぬか、生前(晩年)のベルメ-ルの家も彼女は訪れていたのであった。

 

(まるで彼は逃亡者のように荒んでいたわ。麻薬の中毒で廃人に近くなっていた彼につけこんで、悪い画商がベルメ-ルの贋作を量産し、金と引き換えに、ベルメ-ルに本物のサインを書かせていたわけよ)。…なるほど、それで昼見た謎がたちまち解けたのであった。……その真相を知った後に感じたのは、しかし苦い感慨であった。…ベルメ-ルは好きな作家だっただけに、やりきれないものが残ったのであった。……………次回は、『人魂に魂を入れてしまった男の話』を書く予定です。乞うご期待。

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律