荒俣宏

『2023年夏―ホルマリンが少し揺れた話・後編』

①……前回のブログで、谷崎潤一郎が高橋お伝の陰部の標本と、横長の額に入ったお伝の全身に彫られた刺青の標本を観て、あの近代文学の金字塔『刺青』の構想が瞬時に閃いた!と断定して書いたが、それは私の直感が言わしめたものであり、どの研究書にもそのような大胆にして密な言及は書かれていない。しかし、オブセッション(妄想、強迫観念)とフェティシズム(物神崇拝)を資質の奥に持っていない人物は表現者たりえないと考えている私には、谷崎潤一郎のその時の昂りがリアルに見えてくるようなのである。

 

谷崎潤一郎は、高橋お伝という伝説の姉御肌の美女と遭遇した事で、泉鏡花が『高野聖』の中で登場させた、あの妖艶で煙るように薄い存在感の美女とは明らかに別種で存在感のある、想像力の原点に棲まう、残忍にして破滅的な女人の原形を獲得したように私には思われる。

 

……例えば周知のように、川端康成が永遠の処女性への不気味なまでの執着と、ネクロフィリア(死体性愛)的な本物の資質をもって日本の抒情を綴ったのに対し、谷崎潤一郎のマゾヒズム(被虐性愛)はその対極と考えられがちであるが、実は谷崎のそれは醒めた演技が根本にあった事に注意すべきであろう。

 

慧眼な洞察力を持った三島由紀夫は「……谷崎は大きな政治的状況を、エロティックな、苛酷な、望ましい寓話に変えてしまうのであり、俗世間をも、政治をも、いやこの世界全体をも、刺青を施した女の背中以上のものとは見なかったと語り、……… (今、三島の原文が見つからないので、この先は私の記憶だけで書くが、)……… 被虐的なマゾヒズム行為の深みに入れば入るほど、その対象者たるサディスティックな女性に対しての、冷徹なまでに醒めた蔑視の眼が氷のように注がれている事を見落としてはならない。……… 確かその意味の事を三島は書いているのである。

 

 

 

②……あれは何の雑誌であったか?…博物学者の荒俣宏が、「東京で一番怖い場所」と書いていた東京大学医学部解剖学標本室で、……あれはまた何年前であったか?…季節は確か初夏であったが、外の暑さに対して、その標本室の奥の部屋は、確か3階であったが、まるで地下室のようにひんやりとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オランウ―タンの死体標本を抱えながらT教授は私にこう語った。

「君はパリのあの学校で、本当に非公開のオノ―レ・フラゴナ―ルのエコルシェ(剥皮標本)を観れたのか!?」と。(ええ、観ましたよ、)と私。「たぶん君より数年前だったと思うが私は大学からの紹介状を持って学校に見学の許可を願い出たが、駄目だった。一体どういうやり方で君は入れたのかね」

 

…… (別に、秘策なんて無いですよ。従兄の画家のフラゴナ―ルとの共通点の、手技の早さの異常さへの私の関心、フランシス・ベ―コンの皮膚への破壊的な情動とオブセッションとの類似点への簡単な考察。その他を、便箋5枚ばかり書いて、私のオブジェ作品の写真画像数点を添えて、友人のパイプオルガニスト奏者に仏語に訳してもらい提出したら、暫くして許可されましたよ。

 

友人5人を連れて指定された日時に学校に行くと、校長は上機嫌で歓迎してくれて、エコルシェ全ての撮影も構わないと言って、貴重な図録と、畳くらいの大きさの『フラゴナ―ルの花嫁』のポスタ―もくれましたよ。私の人柄が通じたんでしょうかね)。

 

……するとT教授は真顔で「今、私はこのオランウ―タンの剥皮標本を作っているのだが、ここまでで3ヶ月もかかっている。それをあのフラゴナ―ルは、僅か3日で作り上げてしまうんだよ」……(ええ知っていますよ)と私。するとT教授は鋭い眼をしてこう言った。「…………奴(フラゴナ―ル)は、怪物だよ」。  ……. それからT教授が急死されたのは間もなくであった。私は思い出しながらふと思う。パリの学校も非公開だったが、この解剖学標本室も非公開。……そこにいる自分が可笑しかった。私はよほど非公開の場所に入るのが好きなのだなぁと。

 

 

 

③……そもそも、東京大学医学部内に、「解剖学標本室」なる物が存在する事を知ったきっかけは、推理小説家・高木彬光(1920~1995)のデビュ―作『刺青殺人事件』であった。

 

江戸川乱歩が絶賛したこの小説は実に面白く、夢中で読んでいると、件のその標本室の事が突然出て来て、一気に私を引き込んだ。

 

……その標本室には夏目漱石斎藤茂吉横山大観浜口雄幸円地文子…等の脳みそが傑出脳…として、ガラス陳列室の中に保管されている事を知ったのである。……以前にも書いたが、私は動くと光速よりも早い。……『刺青殺人事件』を置いて、私は読んでいたその場で東大に電話した。

 

 

「はい、東大五月祭本部です」。私は電話した主旨を述べ見学を申し入れた。……すると大学祭で浮かれている学生達がざわつき(何か変な人から、変な電話~)という声が聞こえて来たので、私は別な角度から後日電話する事にして切った。…………それから1か月後、見学を許された私は本郷の校舎内を歩いていたのであった。

 

高木彬光の小説の『刺青殺人事件』に、谷崎の『刺青』も登場し、導かれるように高橋お伝、また阿部定が切断した件の吉蔵のホルマリン漬けの局部標本までも偶然目撃する事になり、再び谷崎潤一郎の『刺青』のインスピレ―ションも、この薄暗い標本室から立ち上がった事も知った。……そして、この標本室での体験は、その後で作品にも生かされ、「イメ―ジを皮膚化する試み」として、数多くの作品が銅版画とオブジェの両面から産まれていったのであった。

 

 

④さて、実は4日前に不覚にもコロナに感染してしまい、今回のブログは初めて病床の中で書いている次第とあい成った。……シャ―ロック・ホ―ムズとワトスン両人に登場してもらい、阿部定が吉蔵を絞殺し、局部を切断して持って逃げた心理を、愛情の形と単に納める事なく、阿部定自身も気づかなかった潜在意識、無意識の領域へと掘り下げて彼らに推理してもらう予定でしたが、いかんせん書き手の私自身がもはや青息吐息。この辺りで筆を置きたいと思います。

 

 

 

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『浅草の幻影』

1994年の5月に刊行した月刊誌『太陽』は江戸川乱歩の特集であった。この時の切り口はなかなか面白く、怪人二十面相に合わせて二十名の作家が探偵よろしく各々のテーマで乱歩の迷宮に挑んでいる。荒俣宏(窃視症)、高山宏(暗号)、赤瀬川原平(レンズ嗜好症)、団鬼六(ユートピア)、久世光彦(洋館)、鹿島茂(サド・マゾ)・・・・etc。そして私も原稿を依頼されて〈蜃気楼〉を主題に書いている。最初電話が編集部から入った時、私に与えられた主題は、実は〈洞窟〉であった。〈洞窟〉ならば『パノラマ島奇譚』になってしまう。私はその主題をお断りして、「蜃気楼だったら書きますよ」と提案した。〈蜃気楼〉を主題に乱歩の代表作『押絵と旅する男』について書いてみたかったのである。

 

『押絵と旅する男』の舞台は明治23年に浅草に建立され、大正12年の関東大震災で崩壊した浅草凌雲閣(通称十二階)である。高さは67メートルあり、その屋上からの眺めは絶景であったらしい。幻惑を求める人々は帝都にいながらにして乳色の官能に霞む、さながら白昼夢のような光景を堪能していたようである。乱歩はその小説の中で記している。

 

「あなたは十二階へお登りなすったことがおありですか?ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ」と。

 

美術大学の学生として私が上京したのは昭和45年。浅草十二階が崩れ去って半世紀近い年月が流れていた。しかし・・・浅草には、その残夢のような奇妙な建物が立っていた。昭和三十二年に十二階を模して建てられた浅草仁丹塔である。画像を御覧頂きたい。この写真はちくま文庫の「ぼくの浅草案内」からの引用であるが、撮影したのは著者である小沢昭一氏である。今は消えた都電を前景に、その背景にそびえ立つ建物が仁丹塔である。白く彩色されたその高塔はまさにキッチュなもので、浅草の雰囲気と奇妙に馴染んでいた。しかし、今日のスカイツリーのような話題性も当然無く、それを見上げて眺めやる人もおらず、時間の隙間にそれは消えていきそうであった。そして・・・事実、時の忘れ物として取り壊されるという噂も立ち上っていた。—–或る日、その仁丹塔をしげしげと眺めている男がいた。男は思った。「あの建物の中は果たして・・・・どうなっているのだろうか」と。—–そして男は思い立ったように、その塔へと向かった。その男とは・・・・私である。

 

塔の入口手前には、奇妙な世界への関門のように、〈蛇屋〉が店を開いており、ガラスケースの中には、数匹の蝮(まむし)が黒々ととぐろを巻いていた。入口から中へと入っていくと全くの無人で螺旋状に階段が上へと続いていた。構造的には配線盤が在るだけの、印象としては巨大なテーマパークの残骸のようである。更に上へと登る。すると・・・上の方からパタパタという奇妙な音が落ちて来た。真白い空間の中を上っていくと、そこに見たのはいささか現実離れのした光景であった。二羽の白い鳩がパタパタと羽撃きながら、出口を求めて空(くう)を彷徨っているのであった。真白い建物の中の真白い二羽の鳩。何故このような所に!?入口から何かに誘われるように迷い込んだのであろうが、まるでそれは〈浅草〉が持っているからくりめいた妖しい気が、私にふと見せた幻惑のように、その時は映ったのであった。まっさらな白い幻影のような、しかし眼前に今在る現実の光景。しかし、それから先の記憶がまるで無く、唯その時の光景だけが、乾いたパタパタという羽音と共に今も記憶の内にありありと在る。

 

記憶は時を経て、今ようやく作品という形で、それは形象化されようとしている。真白い張りぼてのような仁丹塔の中で見た真白い鳩の光景・・・。そして時を経て訪れたヴィチェンツア、パドヴァ・ヴェネツィア・・・の冬の旅の記憶。それらが絡まって秋の個展の為のオブジェやコラージュに今、変容しているのである。幾つか用意されている個展の中の或るタイトルは『密室論  - ブレンタ運河沿いの鳥籠の見える部屋で』である。私は記憶の中から今しあの二羽の鳩を空へと解き放つような想いで制作に没頭しているのである。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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