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『回想・浜田知明さん』

……先月の16日、午後から私の作品集の色校正に向かう前に少し時間があったので、引き出しを開けてオブジェの断片に使うコンパスを探していた。その引き出しは工具以外は入っていない筈なのに、何故か1枚の葉書がそこに紛れこんでいた。……妙だなと思って手に取ると、それは以前に版画家の浜田知明さんから頂いた年賀状であった。自筆の青いインクで「これからも良い作品を作り続けていって下さい。浜田知明」と書かれた、私への励ましの文が記されていた。……一瞬ヒヤリとする予感が背筋を走った。以前に、佐谷和彦さん(画廊の立場から日本の現代の美術界を強力に牽引された)が亡くなられる数日前に、夢の中で、背中に眩しい光を放ちながら、私に満面の笑みを送ってくる佐谷さんの夢をみた、その2日後に佐谷さんは急死されたのであるが、それに似た感覚がその時に卒然と立ったのであった。……果たしてその翌日の17日に浜田さんは逝去された。享年100才。その報は、いま私の個展を開催中のCCGA現代グラフィックア―トセンタ―館長の神山俊一さんから頂いた。

 

私が独学で銅版画を始めたのは19才の時であった。当時は版画が活況で、『季刊版画』という密度の濃い季刊誌を読みながら、その中に登場する、駒井哲郎、棟方志功、池田満寿夫……といった人達の記事を読みながら、自分も版画史の中に入っていくような作品を作りたいという熱い想いに没頭するような日々を送っていた。その後、幸運にも駒井哲郎、棟方志功、池田満寿夫といった先達に評価されて、版画家としてスタ―トしたのであるが、若年の私には、いま一人の意識する先達がいた。それが浜田知明さんである。浜田さんと同じ壁面に作品が飾られるという体験をしたのは、私が30才の時、東京都美術館が企画した『日本銅版画史展』であった。そして、実際に浜田知明さんに出会えたのは翌年に開催された『東京セントラル美術館版画大賞展』の受賞式の時であった。この展覧会で私は大賞を受賞したのであるが、その選考委員の一人に浜田さんがおられたのであった。式の時に、やはり選考委員であった池田満寿夫さん達と話をしていると、会場の奥から浜田さんが、私を鋭くじっと見ながら近づいて来られた。版画の分野を越えて、戦後の日本美術史にその名を刻む人を前に、まだ若僧の私はいささか緊張した。しかし、浜田さんは開口一番、笑みを浮かべて「あなたの今回の受賞作『アンデスマ氏の午後』を大分の美術館に入れたいのですが、まだ在庫はありますか?」と云われたのであった。その作品は、この展覧会の直前に番町画廊で開催した個展で完売してしまっていたのであるが、私は自分用に取ってあるAP版ならありますと答えたのであった。……それから浜田さんはご自分で開発された秘伝の技法というべき貴重な隠しテクニックをその時に詳しく教えてくれたのであった。……私にとって必要な、しかし前に進むには未だ知らない技術を、浜田さんは拙作を観て鋭く感じとられていたのである。……しかし、その後、浜田さんは熊本に住まわれていてなかなかお会い出来ず、年賀状のやり取りが続いたのであるが、後に版画集の個展を熊本の画廊で開催した時に、浜田さんは二日続けて画廊に来られ、長い時間、じっくりと私は浜田さんとお話しをする幸運な機会を持てたのは、今思い返しても貴重な体験であり、表現者としての財産となっている。「私はあなたの作品が大好きなんですよ」と何度も云われた浜田さんに、私の作品のどういった面が好きなのですか!?」という大事な、当然聞いておくべき事を聞いておかなかったのは不覚であるが、それが何であるかは、実は私は想像がついている。後日、私が熊本の個展を開催した画廊の人が運転する車で空港へと向かって行く時に、浜田さんと偶然、道で再会したのであるが、その時に私に向かって強く手を振っておられた光景は、何故か駒井哲郎さんのありし日の姿と重なって今もありありと眼に浮かぶ。駒井哲郎、浜田知明。このお二人は精神が無垢なままに通じ合う、戦後のある時代を共有するパイオニアであった。……そして版画の黎明期を支えるべく、真摯に版画と向かい合った先駆者であった。私は彼らから銅版画のみに潜むエッセンスを吸収したが、それは通史としての版画史の核に通じるものでもある。……浜田知明。この澄んだ魂と、反骨にして深く人間の不条理を凝視し続けた人の事は、私は年賀状に青いインクで書かれた励ましの言葉と共に決して忘れないであろう。

 

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『紀尾井坂の変』

前回のメッセ―ジは、もはや凶器と化した水の脅威について書いたが、加えて夏は酷暑がそこに追い討ちをかけている。一昨年より去年、去年より今年の夏が明らかに異常な猛暑が過酷化し、遂に気象庁が「今日は命にかかわる危険な暑さ」という表現を普通に使い始めた。来年の夏からは、猛暑が「酷暑」「炎暑」という表現に変わるらしい。太平洋高気圧とチベット高気圧。この二つが日本の上に居座るというかつて無い異常な事態。2年後の夏のオリンピック、特にマラソンは猛烈な炎暑の中での凄惨な光景がデスゲ―ムのように魔口を開けて待っているに違いない。…………ところで、あの女性は何という名前だったか?……ミランダ・カ―?……いや違う。ケイト・ブルンネン!?……いやかなり違う。あぁ、そうであった、滝川クリステルであった。そのクリステルがしたり顔で言った「お・も・て・な・し」とは、祇園や柳橋の料亭、御茶屋の女将の手慣れた接遇や気配りをイメ―ジするのは間違いで、来るべき更なる炎暑のアスリ―ト達への洗礼こそが、すなわち「お・も・て・な・し」の秘めた真意だったように、今となっては思われてくる。おもてなしとは、表無し。……つまりは、もう一つの裏の意味の響きがあったように思われて来るのである。 ……さて、このあたりで話題を変えて、少しひんやりとした話に移ろう。

 

地下鉄の赤坂見附駅を下りて弁慶橋という橋を渡り、紀尾井町方面を目指して行くと、左手にホテルニューオータニが見えてくる。そこに至って真向かいに目を遣ると、鬱蒼と木々が繁り、何やらひんやりとした冷気さえ漂う公園がある。今は「清水谷公園」と呼ばれるそこは、明治11年5月14日の早朝に馬車に乗って赤坂仮皇居へと向かう、時の内務卿・大久保利道が不平士族六名によって暗殺された現場で、今はそこに巨大な石碑が建っている。……前年の9月に西南の役で自刃した西郷隆盛。その半年後に暗殺された大久保利通の事実上の相討ちであった観がある。この二人は正に薩摩を代表する両頭として語られるが、実際の人物の格は少し違う。或る人物が両者を評してこう言った。すなわち「大久保は完璧な銀の玉である。一方の西郷はキズのある金の玉である」と。けだし名言、至言であるが、この言葉の意味は、大久保は目的遂行の為には容赦のない鉄の心を持った完璧な人物であるが、しかし、どうあがいても、金の玉の西郷には及ばない、という事である。二人は誰よりも固い友情で結ばれていたと多くの歴史小説はドラマチックに書くが、友情という概念は明治以降に入ったもので、もっとリアルな心情を探ってその時代を凝視していくと、自尊心が異常に高かった大久保の内面から見えてくるのは、西郷に対する秘めた嫉妬、更には大久保自身の凄まじい野心を実現する為には如何に西郷の求心力が〈今は〉必要であるかという、強かな計算が見えてくる。……この辺りの二人の微妙にして特異な関係は、日本ではなく、むしろキュ―バ革命を成功させたチェ・ゲバラとフィデル・カストロの関係が、或いは類として近いかと思われる。勿論、高潔にして革命に理想の詩を見たゲバラが西郷であり、根っからの政治家であり、八方の心を掴む事に長けていたカストロが、大久保のそれと重なる。また、倒幕への目的遂行の為に実質的にタッグを組んだ相手は、西郷は家老の小松帯刀であり、大久保は公家の岩倉具視が最も近い。……明治9年に西郷が最も心を許した桂久武という人物に宛てた、大久保政権を激しく批判した書簡(近年に公にされた)で、西郷は「自分の志が伸びないのは大久保一蔵〈利通〉あるを以て也。大久保は人のする処を拒み自ら功を貪り、……陰に私意を逞しくしている」と記し、最後に「彼の肉を食うも飽かざるなり」と激烈な批判を浴びせている。……一方、大久保は暗殺される直前に馬車の中で読んでいたのは、自分宛ての西郷からの古い手紙であったという。……西郷を死へ追いやった事への悔恨であろうが、この辺りもゲバラを結局は死へ追いやったカストロの心情と、私にはだぶって見えてくるのであるが、如何であろうか。

 

……私は、4月辺りから度々この大久保利通暗殺現場の前を通り、紀尾井町に至る近道がある清水谷公園内の石段を登っていく日々が続いている。紀尾井町の文藝春秋ビル内にある、美術と文芸に関わる老舗の出版社「求龍堂」から8月初旬に刊行予定の私の作品集『危うさの角度』の為の打ち合わせや色校正のチェックが厳しく続いているのである。オブジェ、コラ―ジュ、版画、写真、そして詩を収めた、美術書としては類例のない作品集にすべく、質的に高い内容にするために妥協のないチェックが続き、普通の作家ならせいぜい2回で終わる色校正のチェックが、先日5回目の校正で、私はようやくOKを出した。来週はいよいよ印刷の本番が埼玉の印刷所で行われるのであるが、私は担当の編集者の人と一緒に印刷所に行き、2日間の通しで立ち会う事になっている。……9月9日まで、福島のCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催中の個展。8月22日~9月8日まで東京の不忍画廊で開催予定の『現代日本銅版画史展』。……10月10日から日本橋高島屋・美術画廊Xで開催予定の個展と、予定はびっしりと詰まっているが、拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』に続いて求龍堂から刊行される作品集は、また別な神経が使われるので、完成の日までは気持ちが休まらない、この夏である。……ともあれ考えている事は、妥協のない制作であり、また新たなる領域への挑戦である。外も暑いが、私の内面もまだまだ熱い夏が、今しばらく続くのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『ニッポン・キトク』 

数年前の、このメッセージ欄で、「人類は間違いなく水で滅びる」と断言したレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引いて、温暖化現象による水の被害は年々加速的に甚大となり、もはや打つ手が無く、 唯々受け身でこの崩壊現象に流されていくしかないであろうと書いたが、この度の西日本ほぼ全域にわたる、かつて無い被害の大きさを見ると、どうやら予見は当たっていたように思われる。加速的に、つまり、釣瓶落とし的な速さで私達の現実に危機的な状況が迫っているのである。……ダ・ヴィンチは、最初は「人類は火で滅びる」と予見したが、途中で火を水へと、その考えを書き変えている。彼の明晰な頭脳の中で、火がなぜ水に変わったのか、その根拠は書いてないが、その沈黙が却って不気味である。ともあれ、背後の裏山を背負って生きている人は、年々増している降水量の増加が間違いなく山崩れへと繋がっていくわけだから、本気で何らかの決断をしなくてはならない時期に否応なく来ていると思われた方が良いであろう……自分だけは大丈夫。……今まで何も起きなかった。……ご先祖様が守ってくれているから……は、命取りになってしまうのである。

 

……ところで、もはや好き嫌いではなく、エアコンがなくては夏を乗り切れない時代になってしまったが、そもそも最初にエアコンを考えた、人類にとって感謝すべき人は、はたして誰だろうか!?……私の素朴な問いに、「それは1758年にベンジャミン・フランクリンと、ケンブリッジ大学で化学の教授をしていたジョン・ハドリ―が蒸発の原理を使って物体を急速冷却する実験をしたのが、すなわちエアコンの始まりである」と、ケペル先生のように忽ち導いてくれた物知りな友人の言に沿って調べて行くと、彼らの後にウィルス・キャリア(1876~1950)という人物が現れ、1902年に噴霧式空調装置(すなわちエアコン)を作った事、そしてその後の1930年にフロンガスの開発……を経て今日に至っているという経緯をはじめて知った。もし今、エアコンがなかったら……と考えるとゾッとする。間違いなく毎日、とてつもない数の死者が出て、世界は断末魔的な末期を呈していたであろう事は間違いない。……しかし、現在のこのエアコンの機能。間違いなく来るであろう更なる高温の時に備えて、今よりももっと冷却の温度設定を低くする改良が確実に要求されて来るであろう事は想像に難くない。

 

以前に週刊新潮の連載『死のある風景』で一緒に組んでいた久世光彦さんの著書に『ニホンゴキトク』という本がある。美しい響き、奥深い翳りの韻と色気のある日本語が次々と死語となって消えていく事への久世さんなりの警鐘であったが、私はそれを越えて、もはや昨今の日本が面し呈している様を見て「ニッポン・キトク」と言いたい衝動に駆られている。……あまりに殺伐とした感がますます日本全体を不気味に覆っているが、……その最たるものが、先日逮捕された大口病院の看護師・久保木愛弓が起こした事件であろう。……現在で20人くらいの殺害を自供しているが、まだ20人くらいの不審な急死をとげた患者がこの病院にはいるので、調べが進んでいくと、ひょっとすると合わせて40人くらいが殺害されたという前代未聞の数に達する可能性も多分にある。……この大口病院、アトリエからかなり近い所にその病院(事件の現場)があり、私も以前に何回か診てもらった事がある。その時、或いは後に犯人となるこの看護師が傍にいたかもしれないと想うだけで、もはや真夏の怪談よりも背筋の寒いものがある。……話はかわって、アトリエのある妙蓮寺駅前に面して「妙蓮寺」という名の古刹があり、毎日のように葬儀があり、「メメント・モリ(死を想え)」を私に思わせる場となっている。……昨日は、近くに住んでいた歌丸師匠の葬儀が行われていた。参列者2500人くらいの人が、晩年になるにつれて更に深まっていった、この名人の芸と人柄を惜しんで見送っていた。……私は中学時代、何故か落語が好きで、学校から帰るとテレビの前に座り、5代目志ん生、8代目文楽、6代目圓生……といった、今では伝説的な名人の芸を、それとは知らず、ごく普通の気楽な気持ちで味わっていた。……しかし、何故か正座をして聴いていたのは自分でも妙ではある。その後で、ベルクソンの『笑い』という著書を読み、「笑い」なるものの、複雑な感覚の生理を知る事になった。笑い、その本質を深めていくと間違いなく狂気の域に近づく、それは恐ろしい領域なのだと思う。…………さて、次回は一転して、〈大久保利通〉という計り知れない野心家・鉄人の暗い内面にわけいった、題して『紀尾井坂の変』を書く予定。……次もまた乞うご期待である。

 

 

 

 

 

 

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『個展―②』

福島県須賀川市にあるCCGA現代グラフィックア―トセンタ―は、アメリカの現代版画の発展に大きく関わった版画工房・タイラ―グラフィック社の現代版画ア―カイヴコレクション(ジョセフ・アルバ―ス、ホックニ―他)を中心に数多くの版画の秀作を収蔵している美術館である。……先日の16日は、この美術館での私の個展の初日であったが、前日に降ったあいにくの雨の影響でかなり寒い日となった。初日はレセプションと私のト―クが予定されていたが、この寒空の下、はたして何人の人達が来られるのか朝から気になっていた。……まぁ、5,6人だったら、かえって気軽に話そうか……などと弛んだ事を思っていたのが、送迎バスが美術館の入り口に着くや、たくさんの方々が、まるでマジカルミステリ―ツァ―のごとく次々と降りて来られたので、私は慌てて頭のネジを巻き直した。……名古屋ボストン美術館館長の馬場駿吉さん、詩人の野村喜和夫さん、この4月に個展を開催した画廊香月の香月人美さん、友人、また、私の版画やオブジェのコレクタ―の知己の人達と共に、熱心な版画愛好家の方々など5.60人が来られたのは、本当に有り難く、また嬉しかった。……来客の人達が全員会場に入るや、美術館館長の神山俊一さんの挨拶から始まり、神山さんの進行に合わせて、私が処女作から、版画集の作品、またオブジェへと、作った時の逸話、また駒井哲郎さんや棟方志功さん、そして池田満寿夫さんとの運命的な出会い、版画集の舞台となった海外での体験などを話題にして話し、予定していた時間はあっという間に過ぎてしまった。……しかし、40年以上前からの旧作について語るのは、正直なところ、いささか躊躇うものがある。まるで古い日記(封印した筈の)を今再び開いて見せるようなもので、昔日の想いや迷い、各々の作品に絡まる私の物語、その作品に託した熱いもの、……そういった私小説的な遠い日々の事が話していると生に甦ってきて、熱くなってしまうのである。しかし、そう思いながらも、また自作について語る事の面白味も同時に私は味わった。……会場には、版画集の実際の原版や、制作段階でのメモなども展示されていて、皆さん、私の創造の舞台裏を垣間見るように熱心にご覧になっているのが印象的であった。また、全ての版画集を揃って一堂に観れたのは私も初めてであり、なかなか観れない貴重な体験となった。……二次会が済んで帰られる方々を郡山駅まで見送った後で、まだ話足りないものがあり、前館長の木戸英行さん、館長の神山さん、そして昨年までDIC川村記念美術館の学芸課長をされていた鈴木尊志さん(現・諸橋近代美術館副館長)との4人で三次会になり、サイ.トゥオンブリなどの興味ある尽きない話になって、ホテルに帰ったのは深夜であった。もっと話していたいのは山々であるが、翌日は日曜でありながら、東京に戻ると、その足で紀尾井町の出版社(求龍堂)に直行して、刊行迫った私の作品集の詰めの打ち合わせが、休み返上で待っているのである。……さて、今回の展覧会でどうしても書いておくべき事がある。それは、本展のポスタ―や図録の作製で、その高い感性をもって挑んで頂いた、デザイナ―の亀井伸二さん、原純子さん(STORK)の存在である。4月中旬頃に神山さんから、展覧会のポスタ―がアトリエに届いた。荷を開けて見た瞬間に、その見事なセンスをすぐに直感し、壁に貼って、その細やかな感覚の配りと、センスの高さにじっくりと触れて、私はこの展覧会の成功を確信した。展覧会直前に完成した図録もまた見応えのある出来映えで、私は本当に気に入っている。昨今なかなか展覧会のポスタ―でハイセンスな強い引力を感じる物はないが、亀井さん、原さんの力量は群を抜いたものがある。……ポスタ―と図録。……このお二人に仕事をして頂いた事は間違いなく私の幸運である。……その展覧会図録に収められた、木戸英行さん、神山俊一さんのテクストも各々に深い点に鋭く言及した力作で私は何回も読み込んだ。……また詩人の野村喜和夫さんが書かれた詩的断章「まず顔貌、つぎに幾何、と辿るうち、……北川健次への詩的アブロ―チ」は、現代の詩の分野を牽引する氏の多面体的な秀でた才能を鋭く開示したものであり、テクストの領域を越えた見事な詩作品になっている。……さて、この展覧会図録は、遠方の方など、なかなか観に来られない方の為に直接の通信販売にても入手可能なので、ご興味のある方は美術館の方に問い合わせをして下さい。……今回の展覧会の事は7月1日(日)の、朝9時と夜8時からの「日曜美術館」のア―トシ―ンで放映されるので、ご覧頂けると有り難いです。

 

CCGA現代グラフィックア―トセンタ―

TEL:0248―79―4811。

10時~17時開館。

月曜・祝日の翌日(休館日)

 

 

 

 

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『個展、始まる』 

15日の午前9時、私は、福島の須賀川市にあるCCGA現代グラフィックア―トセンタ―で、明日から9月9日まで開催される私の個展『黒の装置―記憶のディスタンス』の展示作業の最終チェックに立ち会うために新幹線に乗った。新幹線、……どうしても、先日発生した無惨な事件の事がリアルに頭に浮かんでくる。思うのだが、最近、新幹線の安全神話が雪崩のように崩れて来ている感がある。……台車の亀裂、車内での焼身自殺にまきこまれた婦人の焼死、そして今回の悲惨な事件。椅子が取り外せて万が一の際に防御の働きが出来るようになっていますとJRの職員は、ごく当然のようにTVで話していたが、そんな事、知っている一般人など一人もいない!!。また防御一方で、犯人に対して攻撃が出来ない場合、いつか殺られる。……巻き添えにならない為には、我々も何らかの武器を携帯しなければ、明日は我が身の、何とも危機迫る時代となったものである。……今まで何度かこのメッセージ欄で書いた事があるが、昔、ロ―マのコロッセオの近くでフェンス越しに、フォロロマ―ノ(ロ―マ帝国時代の遺跡)の発掘光景を見ていた事があった。ふと風が吹いて来たので振り返ると、いつしか、横並びで私にじわじわと迫ってくる40人ばかりのジプシ―の集団がいた。背後はフェンスの高い金網で、もはや私に逃げ場は無い。……おぉ、そうだ!……「被害者にならない為には、そう、こちらが加害者になるしかない!!」……戦闘モ―ドに切り換えた私は、不気味な昂りを覚えつつ、敵の集団の中にこちらから突っ込んで行った。……ふだん襲ってばかりいる連中は、逆に、襲われている事に馴れていない。……突っ込んでいったその先は、まるで千手観音の中での砂煙舞う乱闘であるが、これが実に面白く、そして、敵が怯んだ一瞬の隙をみて、私は乱闘の砂煙舞う中を抜け出て、人々のいる場へと走りさって難から逃れ出た事がある。しかし、今回のように犯人が鉈や庖丁を持っている場合はそうとうに難しい。……この場合は、こちらに運よく傘を持っている場合は、相手の凶器を持った手や腕でなく、ひたすら相手の「眼」を刺すように攻めて、相手に恐怖を与えるしか策はない。より狂った方が勝ちなのは喧嘩の定理であるが、まぁ、たいていは手ぶらであり、ひたすら性善説を信じるしか策はない。……この問題は、また近々に考えて、このメッセージ欄で書くとしよう。

 

さて、話を展覧会の事に戻すとしよう。……美術館に着くと館長の神山俊一さんが出て来られて、さっそく会場の中に入った。   ヤマトの美術品担当の方々がまさに展示作業の真っ最中である。……緻密で行き届いた展示内容。本展では銅版画の原版も多数展示してあり、観に来られた方々は、創造の舞台裏も見れるので、間違いなく興味を持たれるに違いない。……また主要な版画と共に近作のオブジェも展示してあり、ひたすら圧巻の感がある。……このメッセージ欄で、展示作業中の光景であるが、幾つかの画像をアップするので、ご覧頂けると有り難い。……展覧会初日は私の講演があり、レセプションがあり、……そして翌日は、郡山から東京駅に着いたその足で紀尾井町の文藝春秋ビルに行き、求龍堂から近々に刊行される、オブジェを主とした作品集の構成チェックの為に、休日の休み返上で打ち合わせが待っている。併せて、10月から高島屋で開催される個展の為の制作が、そろそろ加速しつつある。……暫くは、この三つを併せた内容のメッセージを書いていくように思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『……どんでん返しは無いのか!?』

ある日、TVの画面に映った歌手の平井堅の顔を観ていたら、ふと画家の中村彝(なかむらつね)が描いた、ロシアの盲目の詩人・エロシェンコ氏に似ていると思い気になって調べてみたら、実際のところあまり似ていなかったのは意外であった。また、昨日、TVの画面に映る自称「紀州のドンファン」こと野崎幸助氏の顔を観ていたら、今度はふと、ジャパネットたかたの前社長の顔とダブったので画像を比べてみたら、またしても似ていなかった。二連敗である。……どうもその事が気にかかり、何人かの友人に電話で聞いてみると、やはり彼らも、言われてみると確かに、この組み合わせは似ているという。……しかし、実際はかなり違っている。脳の記憶力などは、ことほどさようにいい加減で記号的なもので、あまり当てにはならないものだと実感した。そこから浮かぶのは、マジックミラー越しに、複数の人間の中から、目撃者が犯人を指し示す「目撃者証言」の捜査方法の怖さである。……目撃証言者のその日の気分や体調、はたまた単にその面(つら)が気にくわないという気紛れな主観や無意識が作用して誤認逮捕、冤罪の可能性すら見えてくる。……とまれ、「紀州のドンファン」から話がずれて、最初に考えていた内容を少し逸脱してしまったようである。…………さて、「紀州のドンファン」。おぉ、遂に出た御三家の登場であるが、拝顔したところ、故人には失礼ながら身の丈が合わず、せいぜい「和歌山のドンファン」あたりが相応しい。この人物はドンファンを自称するには残念ながら大きな艶ある華がない。ドンファンとは、周知のようにスペインの伝説上の放蕩者であるが、色事師かつ美男子であり、実力を持って恋の駆け引きを楽しんでいる。私は思うのだが、ドンファンよりもむしろ、井原西鶴の『好色一代男』の主人公こと世之助に故人は近いように思われる。しかし「紀州の世之助」という言葉の響きは、全く紀州と世之助の釣り合いが合うようで合わず、まぁここはドンファンに指を折るのか。……さて、人生第一義の拝金主義に染まった氏の映像を観て、その人生に羨ましさよりも、何やら薄ら寒い孤独な寂しい影を覚えたのは私だけではないだろう。確かに、有り余る使いきれない金は、その実無きに等しいという言葉は至言である。……さて、今回のこの事件、絵に描いたように構図がはっきりしていて、脚本家がこういうミステリ―の案を出したら即却下されるような単純さであるが、この先にアッと驚くようなどんでん返しは仕掛けられてないのであろうか!!。もしそうでなかったら、あまりにもこの事件は実がなく、底の浅い顛末に終わってしまって、あまりにも哀しい。………………さて、毎日様々な事件が起きて、世相は本当にかしましい。そのメディアの喧騒、人々の関心の移り、……その推移が目まぐるしく移っていくのを、藪の中の暗がりのような心中を持って、じいっと待ち望んでいる人物が、少なくとも、そして確かに二人(もちろん男性!!)いる、という事を私達は忘れてはならない。……藪の中に潜み、隙あらば更に奥の葉群らの闇に、自身のその存在を消し去ろうと目論んでいる人物が、少なくとも二人いる事を私達は忘れてはならない。

 

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『日本語の不毛なる行方』

私はいちおう美術家であるから、毎回書くこのメッセージ欄は、どうしても美術、あるいは芸術全般について書く事が多い。しかし、時としてどうしてもこの人間は如何かな!?……と思う場合は、時事的な内容についても書いている。近い記憶にあるのでは、かつて元総理だった菅直人について書いたことがあった。この男もまた「権力は内から腐る」の言葉通り情けなくも変わっていったのを目の当たりにして、またこの男の零落ぶりに唖然として、私は冷ややかな視点で書いたのであった。そして実のない、ただパフォーマンス好きなこの男が、人目を引くために、おそらくは後にやるであろう〈お遍路姿〉がふと目に浮かび、私は予言的に『君はお遍路に行くのか!?』というタイトルで書いたら、それから半年もしない内に、菅直人は頭を剃り、私の予言通りに、杖を持ってお遍路に出掛けた時は笑ってしまった。

 

さて今回は、日大アメフト部の前監督と、前コ―チについてさすがに若干言及したいと思う。……〈責任は私がすべて負う〉という発言とは裏腹に〈私は何も指示していない〉という矛盾した発言を繰り返す前監督。また日大の人事権を握るその男の傍で監督の伝令役として生きる前コ―チ。……先日この二人は、自らを火に油を注ぐような明らかな虚偽に充ちた記者会見をして更に世論の反感をかい墓穴を掘ったが、今朝、実にタイミンゲよく公表された文春デジタルの、前監督の生々しい肉声を捕らえた音声記録は、刑事告訴された場合に動かざる証拠になる事は必至であるが、しかし、さすがにここに至って文科省がやるべき事はあるであろう。前監督は理事として大学の人事権を握っているというが、監督は辞任しても人事権を握るこの理事という要職には頑なに固執している観がある。しかし、世論の怒りが収まるのは、この前監督が自らの意思で大学を去るという最終章を見ない限りは、おそらく鎮まらないであろう。日大の広報課の、まるで子供の使いのような話し方には失笑を禁じえないが、いまここに来て、実質的に問われているのは日大の教職員諸氏の変革への動きであろう。もし、ここで彼らによる何らかの動きが無い場合は、この日大という教育機関(?)は、根底からその存在の意味を失墜するであろう。「国家の根幹は教育である」と語った初代文部大臣の森有礼の言葉から、もはやかなり遠い所に日大の現在は来てしまったように思われるが如何であろうか。

 

話は変わるが、「責任を取る!!」……この言葉からどうしても思い出してしまうのは、1968年に京都国立近代美術館でロ―トレック展の開催中に起きた、名作『マルセル』盗難事件である。日本で起きた史上最大の名作盗難事件というのもショッキングであったが、何よりショッキングであったのは、その責任が事件発覚前夜から当直であった守衛に向けられ、追い込まれたその守衛が割腹自殺して果てた事である。……何もそこまでやる事はないであろうと、当時の私は思ったものであるが、その直後に痛々しい戦慄が日本中に駆け巡ったのを今もありありと覚えている。……この守衛の人生について思う時、真逆の連想として浮かぶのは、戦時中に多くの前途ある若者を「特攻隊」として無惨に死地に送り込み、特攻の日にその若者達に向かって「後ですぐに俺も行くから!!」と言いながら、自らは決して飛び立つ事なく終戦を迎え、なおも戦後を生き延びた上官達の事である。……彼らの姑息な振る舞いを主題にして追い詰めたドキュメンタリーが放送されたのをテレビで観た事があるが、年老いた、かつてのその上官は「顔だけはどうか映さないで下さい」と震えるように懇願しながら、演技か本心か定かではないが、忸怩(じくじ)たる想いを語りながら、声を震わせていたのであった。これも一つの人生とはいえ、観ていて何とも後味の悪い番組であったのを、これまたありありと覚えている。……とまれ、昨今の世情(特に政界)に多分に見られるのは、凛とした責任を取らずに詭弁を弄してなんとか逃げようとする傾向である。英文は構造が論理的に緻密な為に意味の方向性に拡大解釈が作用する事はないが、この点、日本語は曖昧で、解釈に主観という幅が入り、何とも絞り込めないものがある。文芸の分野ではそこに可能性があるのであるが、こと現実に於ては、その逃げが、その人間の人生を寂しく、ひたすら寒いものに染め上げていく。……なんだか昨今の日本は、そして日本語は、豊かだった嘗ての抒情からは遠く、無機的な不毛な方向に堕ちていっているように感じるのは、私だけなのであろうか。

 

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『おぉ、レトロフト』

3年前の秋に私の個展を開催された、鹿児島のギャラリ―「レトロフト」のオ―ナ―の永井友美恵さんからお便りが届いた。……開けてみると、朗読会のお知らせと一緒にお手紙が添えられていた。レトロフトでは、今年の2月から朗読会「朗読と音」を開始し、最初が梶井基次郎の短篇『闇の絵巻』で、続く第2弾〈5月19日に開催予定〉が、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』で、それに併せて、以前にこのメッセージ欄で私が熱く書いた『128年の時空を越えて』を紹介したいとの由である。むろん私に異存はなく、むしろ内容が内容だけに、鹿児島に私も行って参加したいくらいであるが、病み上がりで仕事がたまっているこの身としては、遠くから会の成功を見守るしかないのが残念である。しかし、浅草十二階―凌雲閣という、明治・大正を象徴するこのイコンに寄せる我が想い。もの狂い……とまで言っていい、浅草十二階への熱い想いは、現代の人たちに、ましてや、浅草の現場から遠い、鹿児島の若い人達に、果たしてどれくらいリアリティ―が伝わるのか、実際に立ち会ってみたいものである。出来るならば、私が入手した浅草十二階の遺構、赤煉瓦を見せて直に手で触れて頂ぎ、時空を繋げる旅を触覚的に体験して頂きたいくらいである。……正に、眼を閉じて直に触れてみる事で初めてありありと見えてくる、浅草十二階のざらついた生々しい触感、今一つの『押絵と旅する男』になり得るかと思うのである。

 

 

鹿児島の中心地にあるギャラリ―「レトロフト」は、その設立理念が高く、また実際に文化の発信地として活動を活発に行っている画廊として、出色の存在である。そしてその建物の実際の構造も、夢見の中の、例えばピラネ―ジの『牢獄シリ―ズ』や、30年代の魔都上海の巣窟の場面にでも登場しそうな謎めいた気配を帯びていて、今もって懐かしく、まさにレトロフト自体が、江戸川乱歩の小説の舞台として相応しい造りを成している。……3年前の個展の折りは、ご主人の永井明弘さんが、午前中は「城山」の西南の役の現場を中心に毎日、幕末史の私の疑問を解く逍遙にご同行頂き、午後はレトロフトの個展会場にて、来訪する人達との出逢いの場を作って頂いたりと、懐かしい思い出に充ちているのである。……まさか、そのレトロフトで、浅草十二階の事が朗読会として話題になろうとは、予期してなかっただけに面白く、また考えてみると、レトロフトほど、それに相応しい場はないようにも思われるのである。……

 

 

会期: 5月19日(土曜) 開場19時15分

開演19時30分

会場:レトロフトチトセリゼット広場

参加費1800円(お茶付)・要予約

 

お申込・お問合せ:email:info@retroftmuseo.com

電話099―223―5066

 

主催レトロフト

 

 

 

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『インフルエンザA型に』

3月の富山の画廊・ぎゃらり―図南(川端秀明さん)、……そして4月の東京の画廊・ギャラリ―香月(香月人美さん)での各々の個展が成功のうちに終了した。新しいコレクタ―の方々が各々の画廊で共に増え、個展はやはり「継続こそ力」である事をあらためて実感する。そして、常に実験性を絶やすべきではない事を実感する。……先ずは、個展を成功へと導かれた川端秀明さん、香月人美さんにあらためて御礼を申し上げたいと思う。……そして、遠方からも含めて、個展にいらして頂いた全ての方々に。また、私の作品を昔から変わらず愛しておられるコレクタ―の方々。そして、今回の個展を出会いとして、新たに私の作品をコレクションされた方々に、感謝の気持ちを捧げたいと思う。……皆さん、本当に有難うございました。

 

……個展とは、しかし様々な意味でかなり体力を消耗するという事を、個展終了後に今回は身をもって知らされた。……個展が終わりホッとする間もなく、深夜に急に悪寒と40度より確実に高い熱に突然襲われてしまったのである。翌日、病院で検診すると、インフルエンザA型との由で1週間くらいは安静に……と言われて、久しぶりの床に伏せる日々が続いた。しかし、のんびりと休みたい気持ちもあるが、迫っている〈やるべき事〉を前にすると、グルグルと頭が回る。

 

前回のメッセージでも少し触れたが、先ずは6月から9月まで福島の美術館―CCGA現代グラフィックセンタ―で開催される大規模な私の版画の個展。……求龍堂から刊行される私のオブジェ作品集の様々な打ち合わせと、詰めの進行。……以前に求龍堂から拙著『美の侵犯―蕪村vs西洋美術』が刊行された直後から、オブジェの作品集刊行の企画は立ち上がっていたが、担当編集者の方と私のスケジュ―ルがなかなか合わず、漸く、満を持しての具体化を見たのである。……また今年の10月からは、都内でも最も大きな空間である、日本橋高島屋・美術画廊Xでの個展(今回で毎年連続通算10回目となる)の為の制作が待っている。毎回、少しずつ新たな試みをしながら歩んで来た、美術画廊Xでの個展。継続は力なりで、この個展を楽しみにしている人達が年ごとに増え、私も制作に力が入るというもの。…………さてさて、今回は珍しく病床からのメッセージ記述となってしまい、正岡子規や宮沢賢治の晩年の姿が枕元に浮かんで仕方がないが、次回は全快した脳みそで頑張って書きますので、乞うご期待なのであります。

 

 

 

 

 

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『銀座・画廊香月個展PART②』

ずいぶん昔、まだ20代の頃に、犬山市にある「明治村」を訪れた事があった。広大な敷地の中に、移築した実際の漱石の家や帝国ホテルなどの貴重な遺構が数多く点在し、まさにタイムスリップの醍醐味があって、一日中、嬉々としながら過ごしたのであった。夕刻、明治村の閉門の時が来て出る時に、「もし、この広大な敷地の中の貴重な建物の中に、そっと人が潜んでしまったらどうなるか!」……その点の警備の事に興味が湧いて、係員に訊ねた事があった。係員の答は素晴らしかった。「閉門30分後になるといっせいに犬を放して潜伏者を見つけ出します」。

 

刑務所から逃走して向島の中に10日以上潜んでいるという男の話は、辞職に追い込まれた財務省の男や新潟県知事の弛んだ話よりもよほど面白く、私は興味を持って注視している。逃走者1名VS警官2000名。……品川区ほどの広さがあるという向島。その中で今もなお(尾道に泳ぎ渡ってしまった可能性もあるが)逃走劇は続いているのである。……未だ捕まらないという今回の報道を見て、私が思い出したのは、先ほど記した明治村の犬を放つという話であった。島民を向島の一ヶ所に集めて、性格の荒いド―ベルマンをいっせいに八方から放つと、さてどうなるか!?……それを私はいま想像しているのである。この向島には20年ばかり前に訪れた事があるから、この想像は1種のリアルさを帯びて浮かんでくる。

 

この向島には1000軒以上の空き家があり、その家々をチェックしている警官は、家のチェックが終わるとその家の目立つ場所に〈チェック済み〉の緑のシ―ルを貼って次の捜査に向かうという。……しかし、その緑のシ―ルを貼ってある家(既に捜査済み)に、そのチェック法を知ってか知らずか、逃走者が夜陰に乗じて密かに入ってしまったら、事は厄介である。……この逃走している孤独な男の、追い詰められた「眼差し」に、光眩しい西海道、春ことほぎの向島の空や海や緑陰は、はたしてどのように映っているのであろうか。……この男の脅える視線がそのままにカメラのレンズとなって風景を撮したら、その写真は犯意を映した陰りのマチエ―ルを帯びて、なかなかに面白い写真が出来そうな気もする。あぁ、そのような犯意を帯びた視線のままに、また撮影の旅に出たいと思う、春四月末の私なのである。

 

―さて、24日まで開催中の銀座・画廊香月での個展も後半に入った。連日、遠方からも個展を観にはるばる来られる方が多く、私の現在の表現世界をゆっくりと時間をかけて鑑賞されている。私が造り出すオブジェの表現世界。個々がこの世に一点しかないオリジナル故に、各々の作品をどなたがコレクションされていくのかを見届ける事は、私の表現行為における、ある意味での最終行為である。私は、その作品をこの世に立ち上げた。……そして、コレクションされた方は、これから後、その作品と長い時をかけて対話を交わし、様々なイメ―ジを紡いでいく、もう一人の紛れもない作者なのである。その意味で、個展の最終日まで、私の表現活動は続いているのである。……この個展の後は、6月から開催される郡山のCCGA現代グラフィックセンタ―での、版画を主とした大規模な個展。……また求龍堂から刊行される、私のオブジェ(近作を主とした)の作品集の打ち合わせ……と、多忙な日々が待っているのである。

 

 

 

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