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『詩人・ランボオと共に』

本郷の画廊・ア―トギャラリ―884での、作品集刊行記念展も盛況のうちに無事に終わり、また新しいコレクタ―の方々が出来て、実りの多い個展であった。この地は、樋口一葉、石川啄木、宮沢賢治などが住み、また谷崎潤一郎・竹久夢二・坂口安吾、大杉栄……達が数多く住んだ伝説の宿―本郷菊富士ホテル跡も近く、午前中は画廊の近辺を廻って古の文芸の生まれた背景を確認する面白い時間が持てる有意義な2週間でもあった。

 

その個展の合間に一日だけ画廊の休みの日があったので、横浜美術館で開催中の駒井哲郎展を観に行った。……先に観た友人達から、横浜美術館の展示の下手さ、ルドン・ミロ等のオリジナル作品が駒井哲郎の作品と直に並んで展示されている為に、駒井哲郎の作品が弱く見えてしまった……などという厳しいメールが届いていたので気になっていたが、ようやく観に行けたのであった。そして、友人達からの指摘がまぁ一面では当たっている事に頷きながらも、少し想うところがあった。……駒井さんがルドンやミロ、またクレ―などの作品に出会った時は、今ほどに彼らの作品情報も豊富な時でなく、また画集の印刷も鮮明でない時代であった。その時に駒井さんが見て直感した感動の純度の高さはいかばかりであったかと想う。この、内に荒ぶるものと無垢の精神を宿した、本質的に詩人の感性を多分に持った人は、憧れに似た想いで、彼ら西洋の芸術家の作品を前にして、熱く拝するような想いで接し、またそのエッセンスを得んとして、しかし憧れのままにその域を出る事なく試作したかと思われる。情報もまた黎明期の少ない中で、この不足は多分に表現者として豊かな揺れや解釈の誤解を生んで、駒井さん独歩の物語や表現の独自性を紡いでいき、例えば代表作『束の間の幻影』に結実していったのである。このような、不足な時代の情報への飢餓感は、他には、デュ―ラ―やゴッホに憧れながらも、しかしデュ―ラ―やゴッホには劣るとも、後に切通しの坂の玄妙な幻視を結晶化した岸田劉生に例を見ると同じく、現場主義的な推察がまた比較論的に必要なのである。それを一言で云えば、西洋の精神や感性の強度な硬質さに対し、岸田劉生や駒井さん、また諸々のこの国の表現者の感性はあまりに抒情的であり、ずばり駒井さんの感性の近似値を云えば、美術よりもむしろ文芸の方に近く、福永武彦あたりに着地するかと思われる。

 

……会場を廻って行くと、駒井さんの遺品が幾つか展示されていた。その中に駒井さん愛用の白い帽子があり、私は、あぁ、あの時に駒井さんの横にこの帽子があったというのを鮮明に想いだし懐かしかった。……あの時、それは確か7月の初夏の頃であった。美術館が作成した私の作品図録を開くと、『姉妹』という作品を作ったのは1973年、私が21才の未だ美大の学生の時であった。版画科の作品批評会なるものがあり、助手が「今日は駒井先生はお休みです」と言った。言った瞬間に私は(最早この場にいる意味無し)とばかりに席を立ち、教室から出ていった。残った学生達は唖然とし、他の2名の教授達は私の態度に憮然としたようであった。私は出来上がったばかりの『姉妹』を駒井さんはどう見て、どういう言葉が返ってくるのか、ただそれだけに関心があり、数日後に電話で駒井さんにその旨を話すと、その1時間後に世田谷の自宅から、私が待つ美大の教室に来てくれた。……駒井さんは作品を見て一目で気にいってくれて、手応えのある言葉を話してくれた。……しかしタイトルの話になって意見が別れた。「北川君、この作品のタイトルは何と言うのですか?」と尋ねられたので、私は「『姉妹』と付けようと思います」と話すと、駒井さんは「『姉妹』をやめて『双生児』にしなさい」と言う。「いや、もう決めていますから」と話すと、珍しく駒井さんはニヤリと唇を歪めて「北川君、私はタイトルは上手いのですよ」と、珍しく上からの目線で言ったので、私は「駒井さん、せっかくのお言葉ですが、タイトルなら私も少しばかり自信があります。やはり『姉妹』にします』!!」と、我が考えを通した。……その場所の、暗くて硝酸の臭いがする教室の駒井さんの横に、この帽子があったな……と懐かしく私はそれを眺めた。…………私が拒んだ『双生児』と、私が付けた『姉妹』には似て非なる距離がある。駒井さんの言語感覚が持っている、湿潤な、暗くて重い、つまりは日本の風土にそくした抒情性に対し、私の『姉妹』は非対称的な幾何学的配置で、硬質である事をオブセッションのように要する私の資質の映しであり、何よりも、この『姉妹』は三島由紀夫の小説『偉大なる姉妹』への挑戦として、異様なグロテスクさを孕みながらも、秘めた暗示性の刻印を意図した作品なのである。〈駒井先生!〉……といって、まるでカルガモの子供のように追随する学生や助手が、当時は数多くいたが、数十年とはいえ、生まれた時代が違う人に追随し、その影響下に沈むと、次なる時代に於ける表現者としてのリアリティ―が立たなくなる事を私は知っていた。そして自らを弟子と称する者達に「師を越えられぬ者は愚か者である」と手稿に厳しく記した、ダ・ヴィンチの洞察した言葉が在る事も既に私は知っていた。……私が銅版画の自作に「Comedie-de-soif」という文字(「渇きの喜劇」の意味)を稚拙なフランス語でギザギザと苛立つように刻んだ時に、駒井さんは「君はランボオを読んでいるのですか!?」と、すかさず静かに語りだして来たのも、また心の深部に響く手応えがあったが、しかし、表現者の先人ではあっても譲れないものは譲れない。駒井さんは、私の版画制作時の初期に於ける手応えのある人であったが、私は表現者の一人として醒めた距離を置いていた。駒井先生とは決して語らず、「駒井さん」という呼称を本人の前でも通し続け、駒井さん自身もそれを喜んでいた。……しかし、駒井さんよりも、またこのすぐ後に出会った棟方志功さんや池田満寿夫さんよりも、私は強く意識する人物がいた。銅版画史に残る世界的水準の名作と云っていい、天才詩人アルチュ―ル・ランボオをモチ―フとしたランボオの連作を版画集で刻んだジム・ダインという存在が私に於ける手強い牙城であり、遥かなる高みであった。私はジム・ダインのランボオの版画のポスタ―を室内に貼り、画集がインクで黒ずむ迄に読み返し、このジム・ダインなる天才の表現のエッセンスに迫るべく格闘する日々であった。そして、ランボオは私の表現者としての初期から近年に至る迄、その対象に迫る視点と技法は変わりながらも、長年にかけて挑むに足る牙城であった。

 

2008年の冬に、私のサイトに、フランスから突然のコンタクトが入った。Claude Jeancolasという人からである。……日本でも翻訳本が出ている、アルチュ―ル・ランボオ研究の第一人者で、20冊以上の著作が出ている人である。氏からのメール文には「ランボオをモチ―フとした美術作品を一堂に集めたアンソロジ―の美術書にあなたの作品も載せて、更に生地のシャルルヴィルに在るアルチュ―ル・ランボオ記念館で作品展を開催したいので、ぜひ出品して頂きたい。ちなみに東洋からの選出作品はあなただけであり、出品作家は他に、ピカソ、ジャコメッティ、クレ―、エルンスト、ミロ、メ―プルソ―プ、ジャン・コクト―、ジム・ダイン……である。」と書いてある。最後の方に書かれていたジム・ダインの名を見た時、私は重なるように意識していたランボオとジム・ダインが浮かび「もちろん、喜んで!」という返事を返した。その後に送られて来た、彼がテクストを書くための質問の数々は実に手応えのある文で、日本の美術評論家とは格段にレベルの異なる成熟した知性とセンスの高さを刻んだものであった。……私は各々の質問に丁寧に答え、最後に「アルチュ―ル・ランボオは私において既に客体である」と締めくくって返した。後日、パリのFVW EDITION社から刊行されたClaude Jeancolas氏著作の『LE REGARD BLEU D”ARTHUR RIMBAUD』には前述した作家達の作品と共に私の二点の作品も見開きで掲載され、実に緻密なテクストが各々に配されている。私について書かれたテクストの冒頭は「〈ランボオを理解出来るのは、私たち西洋人だけである〉といった思いを我々ヨ―ロッパ人はひそかに抱いていたが、北川健次の強度な作品は、その考えを覆してしまった」という記述から始まっている。私は永年共に歩いて来たランボオの生地シャルルヴィルの記念館を展覧会に合わせて訪れ、ランボオの生原稿の詩、そして、私が通り抜けて来た20世紀の美の先達の作品が掛けられている館内を学芸員の人に案内されて廻り、牙城として来たジム・ダインのランボオの版画の前を通り、私の二点のランボオの版画作品の前に来た。……メ―プルソ―プ、そしてマックス・エルンストの作品がその近くで展示されていた。

 

……その2年後の2010年、やはりClaude Jeancolas氏の企画で、今度は『RIMBAUD MANIA』と題した展覧会が、パリのマレー地区にある16世紀の遺構、パリ市立歴史図書館で開催された時に選出された美術家は、ピカソ、ジャコメッティ、ジム・ダイン、ジャンコクト―、そして私であり、各々のランボオ作品が展示され、パリの出版社「Paris bibliotheques」から作品集が刊行された。…………ランボオとの長い旅がこれで終わるかと思っていたら、その数年後に、20代からの牙城であったジム・ダインと対面するという機会が突然やって来た。名古屋ボストン美術館で開催されたジム・ダイン展に合わせて来日した本人に、館長をされていた馬場駿吉さんが引き合わせてくれたのである。私はランボオの作品ほか数点を持って会う事となった。ジム・ダインは、ランボオミュ―ジアムで展示されていた私の作品をよく覚えていると語り、私の肩に手をかけて「俺は、パリのセ―ヌ河沿いにある古書店で、この小僧(ランボオの事)の生意気な面構えを見て、作品で抹殺する事にしたのだ!天才詩人ランボオというよりも前に、この顔、この面の皮の厚い顔にたちまち触発されたのだ!!」と語ってくれた。20代の前半に、ジム・ダインのランボオ作品と出会い、そのポスタ―を壁に貼り、何とかその高みに上がりたいと希求して来た人物が、正に今、しかも近代の版画史に残る作品の制作時の秘話を直接本人から語られる日がやって来ようとは……。だから人生は面白い。私が、ランボオはもはや客体であると考え、イメ―ジを皮膚化する試みとしてランボオの顔の皮膜を突き破ったのと同じく、ジム・ダインはランボオの顔を抹殺する事にした。考えてみると、ランボオへの眼差しに於ける視点には近いものがある事を、私は彼自身の生な言葉から知ったのであった。ランボオへのオマ―ジュ、そして彼の詩のイメ―ジの中に溺れるようにして刻んだ版画、そして最後に至った客体としての皮膚化されたランボオの表象の顔。……ランボオとの旅は果たしてこれで終わりを遂げたのか!? ……しかし、私と同じく、ランボオに挑み、ランボオを捕らえんとして、表現者としての初期から意識して来た人物がまだ他に二人いる事を私は知っている。詩人の野村喜和夫氏と、ダンスの勅使川原三郎氏である。野村氏とは、共著での詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』で共にランボオに迫り、勅使川原氏の場合は、『イリュミナシオン・ランボ―の瞬き』の公演の文章を今年の1月に書いた。自作とは別に今少し、ランボオとは歩みを共にする事になるかも知れないという予感がある。……さてもランボオとは一枚の鏡。私の折々の変遷を映し出す危うくも鋭い一枚の鏡なのかもしれない……と、今ようやくにして思うのである。

 

 

 

(左)北川健次 (右)ピカソ

 

 

(左)ジム・ダイン (右)ジャコメッティ

 

 

 

 

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『今年最後の個展を開催中』

……前回のメッセ―ジを読まれて、上野のデュシャン展に行かれた方がかなりおられたらしく、〈確かに『大ガラス』(この作品のみ和製)の、マチエ―ルへの配慮を欠いた作品のみが、著しく劣って見えた〉という感想が何通か届いた。やはり、表象に宿るマチエ―ルは重要であり、ある意味でそれが全てなのである事をあらためて痛感した次第である。

 

さて、そのマチエ―ルであるが、それの豊かな宿りを持った作品について具体的に考えていくと、幾つかの作品に思い至るのであるが、そこには「霊妙」といっていい境地に達した作品が幾つか浮かんで来て、陶然とした感慨に包まれる事がある。

 

……例えばダ・ヴィンチの『モナ・リザ』、宗達の『牛図』、劉生の『切通し』の絵や、菱田春草の『菊慈童』などがそれであるが、しかし今、脳裡に先ず鮮やかに浮かぶのは、それらを排して松本竣介のニコライ堂を描いた作品である(掲載画像参照)。竣介絶筆の『建物』は絵画の不思議さを映す一つの極であるが、『ニコライ堂』の持つマチエ―ルの権能が霊妙へと私達をして導く危うさはまた別格なものがある。……夢の中のノスタルジックな懐かしさと、見てはいけないものを見せられたような禁忌の韻の混交は、この絵画をして竣介の才能の高みを証して余りあるものがあるのである。

 

前回のメッセ―ジでお伝えした通り、12月1日まで、本郷の画廊・ア―トギャラリ―884で作品集刊行記念の個展『狂った方位―幾何学の庭へ』を開催中なので、日々画廊に通っているが、ある朝早めに御茶ノ水駅に着いたので、松本竣介の描いたニコライ堂の現場を探してみる事にした。基点は聖橋である。かつて中原中也が「去らば東京、おぉ我が青春」と橋上で叫び、また竣介がモチ―フを求めてさすらった聖橋は、まだその面影を色濃く残して、そのままにある。ただ、竣介のいた当時の静かな情緒はさすがに薄れ、彼が描いた地点に立つと、車に跳ねられてしまうのが少し辛い。湯島聖堂周辺は、竣介の眼差しをなぞるほどに気配は残っているが、彼の手法は、幾つかの視点を組み合わせたモンタ―ジュなので、ピタリと重なる地点はない。しかし、彼の生きた残余の韻は今も伝わって来て、暫しの感慨に私は包まれた。今日の美術界はご存じのように拝金主義に堕ちて久しい。竣介の生前は殆ど評価されない無名の人であったが、死後に、画家の岡鹿之助や評論家の土方定一らが寄せた評価によって、忽ちその才能が評価されるようになった。竣介の生涯などを見ると、やはり表現者は、その分野が未成熟な黎明期に生きるのが幸せであって、飽和期に生きるものではないなと、ふと思う。……その日の午前、私は竣介の生に己が身を重ねる試みをして暫しの時を過ごし、昼前に、我が個展の会場へと入ったのであった。……今年は例年になく多忙な一年であったが、今年最後の個展も12月1日に終わり、暫くの充電へと私は入る予定である。……しかし、このメッセ―ジはまだまだ続く。次回も乞うご期待である。

 

 

作品集刊行記念展『狂った方位―幾何学の庭へ』

ア―トギャラリ―884

東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884お茶の水ビル1F

TEL03―5615―8843 11時―18間30分 月曜休み

最寄り駅・JR御茶ノ水駅

千代田線・丸の内線 新御茶ノ水駅より徒歩5分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『湯島詣と、マルセル・デュシャン』

今夏の8月に求龍堂から刊行された私の作品集『危うさの角度』の特装本(限定100部)が完成し、それを記念した個展『狂った方位―幾何学の庭へ』が、東京の「ア―トギャラリ―884」で今日から12月1日(月曜のみ休み)まで開催中である。画廊の住所は、文京区本郷3―4―3 ヒルズ884お茶の水ビル1F TEL03―5615―8843。11時~18時30分・最終日は16時まで。ここは旧湯島で、近くには、湯島聖堂や神田明神などがあり、昔日の江戸の風情が透かし見える良き場所である。高島屋の個展が終わって、急きょ組まれた、いわば休む間もない個展であるが、作品集の刊行記念展ならば頑張らねばならない。……しかし、この地は東京でも私が最も好きな場所であり、あたかも湯島詣でのような気持ちで、会期中は通う日々が続きそうである。……アトリエに秘かに仕舞ってある、なかなかご覧になっていない珍しい作品も出品しているので、ご高覧頂けると有り難いです。

 

……さて先日、高島屋の個展が終了した数日後に、上野の国立博物館で開催中のマルセル・デュシャン展に行った事は書いたが、その後でまた観たくなり、もう一度行ってみた。行って改めて感心した事は、この展覧会の実に神経の行き届いた照明の見事さである。以前に観た運慶展でも感心したが、その照明の巧みさは、運慶解釈の、またデュシャン解釈の1つの提示と言っていいまでに巧みで行き届いた配慮があり、私をして酔わせるものが多分にあった。また、掲載した画像をご覧頂けるとお分かりかと思うが、作品の壁面に掛けられた高さの位置の絶妙さである。私も作品を高めに展示するが、その高さは、作品本来が持っている深部を把握している事であり、目線と水平に作品の中心が合えば、視覚から脳髄に直に伝わるものがあり、故に作品の深部と、観る側の感性が結び付く。しかるに、この国の大多数の画廊や作家は、その自明な重要点に配慮が至らず、結果いたずらに作品が低く掛けてあり、あたかも紐が緩んでずり落ちたパンツのごとき、だらしのない展示が実に多い。何故にあまりに低く掛けているのか?……その理由を実際に聴くと、(……皆さんそうですから)、(……最近は低いのが流行りですから)といった、素人ばりの返答に呆れるばかりである。二次元の作品は当然ながら正面性を併せ持つ。……故にもっと神経を使って、展示には細心の注意をするべきであろう。本展を観て、彼らが学ぶべき事、大である。……さて、今回のデュシャン展で最も大きな出品作品は、デュシャンが作ったオリジナルではなく、彼の死後に日本で制作された『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも』(通称―大ガラス)という巨大なガラス作品であり、他は全てフィラデルフィア美術館から持って来た作品であるが、この大ガラス作品が、見た瞬間にわかるほど、アニマがなく貧弱な事は歴然としている事に多くの人が気づかれたかと思う。理由ははっきりしていて、デュシャンの大ガラスのレプリカであり、制作に当たったのは、瀧口修造監修、多摩美大の東野ゼミの学生に拠るものであり、その先頭に立って制作に燃えたのが、私の同級生のS君であった。(……Sよ、意味がないから止めておけ、あの大ガラスを意味ある物にしているのは、あのガラスに偶発的なアクシデントで入った扇情的な亀裂だよ!……その亀裂を欠いたレプリカは意味がなく、絶対に底浅い物になるから、Sよ止めておけ!!)と、当時、大学院生であった私は忠告したが、Sは耳を貸す事なく、東野芳明の間違った解釈をなぞるように没頭し、今、その結果が私の眼の前にあからさまに在る。芭蕉の俳句の言葉ではないが(……無惨やな!)である。「網膜の美より、観念の美の方に意味がある」と提唱したデュシャンであったが、彼はマチエ―ルの重要性を実質的に知っていた。だから、本展に於ける他の出品作品には巧みなマチエ―ルが配されていて観る者を惹き付けている。しかし眼前にある和製の大ガラスにはマチエ―ルの富が無く、まるで表象のペラペラなのを見て、学生時にSに語った自分の先見性が間違っていなかった事を私はあらためて確認したのであった。(表象の皮膚こそが最も重要であり、最も意味がある。……そう、誰もが知るように、表こそが最も深い。)という言葉があるように、網膜の美、観念の美の是非云々を問う以前に、マチエ―ルは表現の核にある必須である事をデュシャンは知っていた!!……それだけであり、私が先に書いたデュシャンのパラドックスの妙もそこに尽きるのである。……デュシャン展、そして私の個展。ぜひのご高覧をここにお薦めする次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『市ヶ谷は、意外にも華やかだった』

……先日の10日の6時から、市ヶ谷アルカディア(私学会館)で、第五十六回歴程賞の受賞式があり出席した。……2011年に宇宙飛行士の毛利衛さん・山中勉さんが宇宙ステ―ションから『宇宙連詩』を発信したのが評価されて歴程特別賞を受賞して以来、私は七年目・2回目の受賞となる由。受賞した理由は、私の全業績に対してとの事で、作品が持っているポエジ―の具現化がその理由であるらしい。「自作を、人々の想像力を煽り、ポエジ―を立ち上げる為の詩的な装置」と昨今、特に強く意識しはじめているだけに、確かな後押しとなるタイムリ―な時期での受賞だったかと思われる。……歴程同人が内輪で集まった渋くて地味な式かと思って会場に入ると、意外にも実に華やかな雰囲気の中、100名以上が入る大きな室内のメインテ―ブルに、私や他の受賞者の名前が大きく記されていて、大切な友人・知人の方々が次々にたくさん来られたので、私は嬉しさと驚きでテンションが上がってしまった。予想よりも遥かに大きな、まるで結婚式か出所祝いのような賑やかな式だったのである。……私を含む三人の受賞者各々に、その人物について語るスピ―チの人が付き、私の場合は、美学の第一人者である谷川渥氏が、表現者としての私の像について実に雄弁に語られて、会場にピンと張り詰めた心地好い緊張感が漂った。谷川渥氏、さすがの役者であり、これ以上の人物は他にいない。氏の明晰な分析によって語られていく私の像について聴きながら、まるで名医の執刀によってさばかれる病める患者のような気持ちで、実に興味深く拝聴した。なるほどという部分と、そうか、そういうふうに映っているのか……という箇所が交錯して実に面白かった。……谷川氏に続いて、私は自作とポエジ―について語り、ランボ―にのめり込んだ20才の頃の話、駒井哲郎さんとの出会い、瀧口修造・西脇順三郎・吉岡実……といった今では伝説の中に入りつつある人との幸運な出会い、……また天才詩人アルチュ―ル・ランボ―の肖像をモチ―フとした拙作が、ジャコメッティ、ピカソ、ミロ、クレ―、エルンスト、ジム・ダイン……といった20世紀を代表する美術家達と共に選ばれて、ランボ―の生地のフランス・シャルルヴィルのランボ―ミュ―ジアムで展示された事や、その2年後にもパリ市立歴史図書館で展示された時の手応えある展示の事などを話した。そして、私は既に美術という狭い分野を越境して、今は独自なところから制作をしているという、自負にも似た認識を語って、スピ―チを終えた。……私は賞というものに、権威や名誉や、また徒な意味を抱いてしまうような凡夫ではないが、ポエジ―の可能性を、言葉による詩表現だけにとどまらず、各分野にもその対象者を探して顕彰するという高い理念を持っているのは、この国に於いては歴程賞だけであるので、私はその純度の高さに於て、快く今回の受賞を快諾した次第なのである。……さぁ、明日からはその事も忘れて、新たな表現の場へと進んで行こう。……次回は、再び観た『デュシャン展』について、新たに気付いた事などを書く予定。……乞うご期待!!

 

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『次なる未踏の表現の場へ』

高島屋美術画廊Xでの個展『吊り下げられた衣裳哲学』が盛況の内に終了した。最初は人の入りもやや緩やかであったが、会期後半に入り、特に残り1週間になると沢山の方が入れ替わるように次々と来られ、最終的には前年の数を更に越える作品数が、人々のコレクションになっていき、またも記録を更新する事になった。そして、来年の10月中旬からの次なる個展(来年は連続11回目)の企画が早々と決まった。来年はかなり一新した展示内容を既に私は構想しているが、この画廊Xの大規模にして魅力ある空間を劇場に見立て、如何に変容させるかの様々な切り口が浮かんで来て、様々な意味で実に生産的な個展となったのであった。個展の度に更にハ―ドルの高さを上げていき、未開の内なる表現の引き出しを半ば強引にこじ開けていく。そして、実験性と完成度の高さを併せ持ち、現在と普遍に向けて作品を立ち上げていく。……プロフェッショナルの矜持とは、そこに尽きると私は思っている。全くぶれない作家と云われて久しいが、今回の個展で得た更なる自信は、これからの作品に艶の光彩を放っていくように思われる。

 

今回の個展では、旧知の親しいコレクタ―の方々に加えて、私の作品を愛する新たなコレクタ―の人達に出会えた事も大きな収穫であった。……例えば、コ―ネルの作品を日本人で最も多く個人所有し、また私の作品を高く評価したクリストとも親しいコレクタ―の人(この方は、今回の個展で私の作品を六点まとめて購入されたが、私とコ―ネルの作品の違い〈コ―ネルは一人称であるが、私の作品は各々に巧みな虚構の華がある事〉を実に的確な言葉で指摘された。また別な方は、クレーの水彩画やジャコメッティの彫刻・素描を所有し、また別な方は、広重のほぼ全作を持ち、次なる方は、やはりコ―ネルや北斎をコレクションし、仕事ではアングルの油彩画などを広く商うプロのディラ―の方であったりと、美の核心を見抜く確かな眼識を持つ慧眼の方々に作品がコレクションされていったのは大きな手応えであった。〈コレクタ―〉という言葉で一口に括っても、表現者と同じで様々な質の違いがある。今回の個展で、私の作品を評価する人達は、各々に自分の確かな眼と美意識を持つ最高な(ゆえに厳しい)人達であるというのを実感し、故に次回はもっと上をと、感性の熱い高まりを覚えるのである。

 

さて、今回の個展の半ば頃に、ミラノのデザイナ―で写真家のセルジオ・マリア・カラトロ―ニさんが、ギャラリ―サンカイビの平田さんと共に会場に来られた。平田さんは私が写真家としても表現していく契機をプロデュ―スされた恩人である。セルジオさんとは初めての出会いであった(ギャラリ―サンカイビの個展で写真の仕事は既に拝見済み)が、直ぐに親しくなり、私の作品への感想を実に詩的な美しい表現で語り、たちまち私を魅了した。……画廊が終了する時間に、私達三人は再び高島屋のレストランで待ち合わせて、食事をしながら今後の打ち合わせに入った。平田さんの企画で、私とセルジオさんとによる、写真を主とした、かつてないような知的感興とエスプリ、そして写真による光の魔性を刻印するような展覧会を、平田さんは構想しているのである。今後二回目の打ち合わせは、近々に、セルジオさんが住まれる、鎌倉建長寺内のご自宅でする事になっているが、生き急ぐ私達の打ち合わせは順調に進み、どうやら来年の早々に私はパリに撮影の為に行く事になるかと思われる。……他の写真家や美術家には絶対に出来ない私だけのメソッド―写真とオブジェの硬質な融合に拠る作品の顕在化。その実現の為に私はあえて待っていたのであるが、堅くて薄い凹凸のある石面に鮮明に画像を焼き付ける高い技術が、私の読みに合わせるように、今年に入って完成したのである。実にタイムリ―なこの切り口、ここ数年、私の写真発表は控えなものであったが、いよいよ動き出す時期が来ているように思われる。

 

個展が終わった二日後の午後、秋晴れの中、上野の博物館で開催中の『マルセル・デュシャンと日本美術』を観た。フィラデルフィア美術館から、『遺作』を除く主要な作品を持ってきただけに、なかなかに充実した見応えのある、近年稀な展覧会であった。マルセル・デュシャン。……日本では美術評論家の東野芳明が専売特許のようにデュシャンについて語り、多くの美大生がその明かに歪んだ解釈に乗せられて、浅いままに墜ちていった。まだ美大生であった私は東野のゼミに顔を出していたが、まだ作家としては卵でありながらも、東野の語るデュシャン像は〈絶対に違う!!〉と直感し、私はすぐに東野のゼミに見切りをつけて去った。……将来、自分の表現者としてのスタンスが確かなものになった時、デュシャンは知的に遊ぶものとして当時20才であった私は、関心の脇に置く事にしたのである。それから20年の時を経て、私は『停止する永遠の正午―カダケス』を文芸誌「新潮」に書き下ろしで発表し、その中でデュシャンとカダケスの関係について熱く語った。……「デュシャンの遺作は、カダケスのあの光から来ていると思う。」……デュシャン存命中にテ―トギャラリ―で実に見事なデュシャン展を企画開催した美術家のリチャ―ドハミルトンは、私と同じ視点で、『遺作』誕生の出自について語ったが、対談相手の東野芳明は、デュシャンの本質を突いたハミルトンのこの鋭い指摘に注視せず、話は別な方向に流れてしまった。ハミルトン、東野ではなく、私はここに、表現の舞台裏に終には入って来れない、評論家というものの総じての限界を観てとったのであった。……私は更に拙著『美の侵犯』の一章で再びデュシャンの謎多き『遺作』について言及しているが、とまれデュシャンの知的なパラドックスに充ちた作品は観ていて、今、最も面白いもののひとつである。かくして、私はこの展覧会場の中でかなりの時間を過ごしたのであった。まだ未見の方には、ぜひお薦めしたい見応えのある展覧会である。

 

……と、ここまで書いて今回のメッセ―ジを終えようとしたら、実にタイミングよく、個展の疲れを癒やしてくれる嬉しいメールが入って来た。……私の親しい知人に歌舞伎の関係者がおられるが、その方から、11月初旬に歌舞伎座のご招待を頂いたのである。毎年、季節の折々にご招待を頂いており、勉強と充電を兼ねて、歌舞伎は出来るだけ観る事にしているが、さて、さてその歌舞伎である。……デュシャンと日本美術に通低するものを一つだけ挙げれと問われたならば、それは「結果としての、見立ての美学」という表現に尽きるかと思うが、歌舞伎の場合はやはり形、つまりフォームの問題に指を折る。何れの表現にしてもその核にフォームが無ければ、そこに美は存在しないが、歌舞伎はその極に当たるかと思われる。…………ご招待頂いたのは夜の部で、『桜門五三桐』吉右衛門・菊五郎ほか、『文売り』雀右衛門、『隅田川続俤』は、珍しくも猿之助の法界坊である。今から楽しみである。……とまれ、個展が成功の内に無事終わり、今は達成感と同時に、少しだけ休みたいという想いがある。今年は、2月の雪の降る珍しい日に、工事現場からタイムスリップのように現れ出た浅草十二階の遺構との不思議な時間の交感を経て、十二階の赤煉瓦(完全な形のまま)の原物を奇跡的に入手した事から始まり、福島の美術館(CCGA現代グラフィックア―トセンタ―)での大きな版画の個展、そして作品集『危うさの角度』(求龍堂)の出版、歴程特別賞受賞(11月10日に授賞式)、そして、高島屋美術画廊Xでの個展……と、かなり多忙な日々が続いた一年である。……今少しで今年も終わるが、既に来年の個展企画も5つばかり既に入っている。…………やはり、今は暫しの休みの中に微睡んでいようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『個展開催中。―先ずは地面師の話から』

大学の後輩に佐藤弘之君という美術家がいる。知り合ってから40年くらいの旧友であるが、ベルギ―象徴派の影響を受けたその技術は細密を極め、特に天使像を描く事に於いては第一人者であるかと思われる。その佐藤君が五反田の画廊で個展を開催しているというので観に行った事がある。時期は、昨年の5月の連休の頃の夕方であったろうか……五反田駅を出てしばらく行くと大きな河畔へと出た。その川筋に沿って行くと、彼方に佐藤君がいて、画廊はここだよとばかりに手を振っているのが見えた。と同時に、視界の左側に鬱蒼とした木々に囲まれた古い屋敷が目にとまった。……まるで横溝正史の、怨念の血に彩られたような、見るからに怪しい気配を、その建物は放っており、好奇な興味を覚えた私は、向こうで待っている佐藤君に会う前に、高い塀を逆戻りして玄関へと廻った。……敷地に囲いはなく、見ると旅館の看板があり、玄関には、薄ぼんやりとした灯りだけがともっており、周りの庭は暗く深閑としていた。……誰かが建物の中からじっと私の動向を監視してでもいるような怪しい気配。……事件の匂い。…………

 

事件の匂い、……そう感じた私の予感は、一年後に現実のものとなった。地面師と呼ばれる土地や物件の所有者に成りすまして詐偽を働く集団が、積水ハウスを相手に55億円をせしめた物件、……その物件こそが、五反田にある件の建物と土地であり、私が関心を持った正にその頃に、私と入れ替わるようにして、地面師達もまたあの怪しい気配を放つ建物に寄ってきていたのであった。……昔、美大の大学院の時に、立教大学女子大生行方不明事件がおき、マスコミを騒がした事があったが、私は女子大生の死体は教授の所有する別荘裏に埋められていると推理して現場に赴いたが、現場に着くと、警視庁がやはり別荘裏が怪しいと分析して裏庭にたくさんの警察官が入って来たのであった。後で、この事件を書いたノンフィクション小説を読んで知ったのだが、私と警視庁が事件現場に入ったのは正に同日のほぼ同時刻なのであった。……ともあれ、私は実際の犯罪現場に度々入り込んでいく。事件のアニマが私を喚ぶのか、それとも私のセンサ―が不穏な気配を先に察知するのか、ともあれ、私はひたすらに「事実は小説よりも奇なり」を好んでやまない人間であるようである。

 

……さて、個展も中盤を少し過ぎる頃となった。たくさんの方々が来られるが、まだ尾道の三宅俊夫さんをはじめ、普段なかなかお会い出来ない方がいるので、個展のこの機会にぜひお会いしたいと思っている。三宅さんの事は以前にも書いたが、私の版画やオブジェを中心に個人のギャラリ―を開設して、優れた企画展示を開催している慧眼の人である。……今回の個展では、クレーやジャコメッティをコレクションしている人、或いはコ―ネルや北斎を所有している人などが新たに私の作品をコレクションに加えるなど、コレクタ―の人達の確かな眼力を日々確認出来て、毎日が多彩である。今回の個展は暗示や象徴性が最も深い作品群がたくさん展示してあり、作者の私は静かな手応えを覚える日々である。2回、3回と続けて来られる方もいて、盛況は最後まで続くように思われる。まだご覧になっておられない方は、ぜひこの機会にご高覧をお薦めしたい、自信のある個展になっている。

 

 

 

 

北川健次『吊り下げられた衣装哲学』展

日本橋・高島屋本館6階美術画廊X

10月10日(水)→29日(火)

 

 

 

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『個展―「吊り下げられた衣裳哲学」展・開催中』

日本橋・高島屋本館6階美術画廊Xで29日まで開催中の個展が盛況のうちに進んでいる。90点近いオブジェ、コラ―ジュ、版画、写真といったジャンルを異にする表現が一堂に並んだ個展である。……普段なかなかお会い出来ない知人の方が、北海道、九州などの遠方からも来られ、また昨日はドイツからも知人が遙々駆けつけてくれて、私を驚かせてくれた。本当に有り難いことだと思う。またこれからも遠方の方が来られる予定が入っているので、会期の最後の29日まで毎日が実に楽しみである。……個展を観られたコレクタ―の人達の意見は一致して、今回の個展の密度が今までで最も深く、完成度の高い作品が並んでいる事に総じて驚かれているが、長い時間をかけて制作に没頭してきただけに、今回の一致した高い評価には強い手応えを覚えている。しかし、会場に展示されている完成したばかりの作品群の多くがコレクタ―の人達のコレクションに入っていく為に、作者である私は、現在形の自作を分析しながら、同時にその作品群との訣別の時間をも会場で過ごしている。……確かに私の作品群は年毎に密度を増し、暗示や象徴性もより濃密になっている事は事実であるが、さらにそこから、次なる未知への探求へと歩を進めなくてはならない。常に、ここから先が難しく、故にまた研鑽のしがいもあるのである。……個展会場の中にいると、自分の現在のありようが非常に鮮明に見えて来て、実に意義のある空間が私の前に具体的に拡がって見え、その先に新たなる「語り得ぬ領域」が、私をして待っているのである。薄氷を踏むような危うさと愉楽。……この個展の空間と、各々の作品の中には、未知なる手がかりが実に沢山詰まっているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「個展『吊り下げられた衣裳哲学』展、始まる。」

今月の2日の朝、私の歴程特別賞授賞を祝うたくさんの方からのメールがいっせいに届いた。……何故みんな知っているのだろうと思い、数人の人に電話をして訊くと、今朝の読売、毎日新聞ほか地方の新聞にも記事が載っているという。私は新聞をとっていないので、逆に、昨日の1日に正式な発表があったのを知った次第なのである。とまれ、たくさんの方からのメールは有り難く、その一人一人に御礼のメールを返したのであった。美術の分野を越境して、かなり意識的にポエジ―を絡めとり、ノスタルジアを立ち上げる装置を作っているという意識で近年は作品を作っているので、この度の賞は、それを諒とするに足る絶妙なタイミングであったように思われるのである。

 

……さて、前回のメッセ―ジでお話したように、10日から日本橋高島屋本館6階の美術画廊Xで、個展『吊り下げられた衣裳哲学』展が始まった(29日まで)。作品総数90点近い新作が一堂に並び、今回の個展はかなり壮観な手応えを覚えている。先月に高島屋の新館がオ―プンした事もあり、初日から、かなり来廊される方が多いように思われる。……これからの3週間の期間にわたって、美術画廊Xを舞台とした、イメ―ジの交感、危うさを帯びた幻視のエクリチュ―ルが展開するのである。……今回の個展は前評判も高く、自信作がズラリと並んだ個展になっているので、是非のご高覧を、ここにお願いする次第である。

 

 

 

 

「LUCREZIA」

 

 

吊り下げられた衣装哲学

 

 

エウローペの黒い地図

 

巴里の時間

 

 

Angesの計測された衣装哲学

 

 

 

 

 

 

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『 お知らせ 』  

この国の各分野には様々な賞があるが、わけても特異な意味合いを持っている賞と云えば、例えば詩の分野における「歴程賞」がそうであろうかと思われる。この賞は、詩誌『歴程』が島崎藤村を記念して創設された賞であるが、この文学賞の他と違う点は、受賞対象が詩人だけに限らず、その表現がポエジ―を中核としたものであるならば絵画、建築、音楽、映画……もその対象になるという点が特徴的であり、他に比べてある意味、純度が高いように思われる。……私がこの賞の存在を知ったのは、1984年にマッキンリ―で遭難した登山家の植村直巳さんに対して、生前の1975年に〈未知の世界の探求〉という受賞理由で歴程賞が贈られる事になった時に、なかなか理念の高い評価をする良い賞だと思った事が始まりであった。とは云っても、金子光晴大岡信・吉岡実高槁睦郎吉増剛造……といったこの国の代表的な詩人諸氏の受賞者が名を連ねているが、それでも時として、1993年には画家の岡本太郎の全業績に対して歴程賞が贈られ、また宇宙飛行士で日本科学未来館館長の毛利衛さんが、日本宇宙フォ―ラム主任研究員の山中勉さんとの共同プロジェクトで行った「宇宙連詩」で、2011年に歴程特別賞を受賞するなど、選考基準は相変わらず開明的で幅が広く、なかなかに面白い。そして、その毛利衛さん達以来、7年ぶりとなる歴程特別賞が、先日開かれた選考会で、私が受賞する事が決まり、選考委員を代表して、詩人の野村喜和夫さんから審査経過と、私が賞を受けるか否かの確認も含めた連絡が入り、私は喜んで受諾する事にした。受賞理由は、私の表現者としての全業績に対してであるという。しかし、私はどんなに折々の作品が評価されたとしても、全て次なる作品の習作と切り換えて考えているので、全業績という言葉にピンと来ないのが、正直な実感である。……ただ最近の私は、もはや美術という狭い概念を離れて、ポエジ―を立ち上げる〈装置〉を作っているという強い想いを持って制作に臨んでいるので、ある意味、今までに受賞した美術の分野での賞より、遥かに手応えを感じているのは事実である。そして、更に突き進んで行こうとする気持ちに良い糧となった点では、今回の受賞は意義が深いと思っている。……私は油彩画に始まり、版画、オブジェ、コラ―ジュ、写真、美術評論と幅広く挑んでいるが、これを機に、かなり腰を据えて、詩作、そして一冊の言葉の磁場を秘めた不思議な『詩集』を刊行したいという想いが、ここに来て、かなり具体的な熱を帯びて来ているのである。

 

……さて、10月10日から日本橋の高島屋本店6階の美術画廊Xで始まる個展『吊り下げられた衣裳哲学』。制作は熱を帯びて次々に構想が膨らんで、遂に作品数が今までで最多となった。これからは、作品を額装したり、タイトルを付けていく次なる大事な作業へと今は移り始めている。……アトリエから会場の画廊へと移り、会期三週間という時間の中で、云わば虚構が現実を勝って展開する危うさの劇場がまもなく始まろうとしている。……重ねて乞うご期待という言葉を、ここに自信を持って申し上げる次第である。

 

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『作品集刊行の反響』

求龍堂の企画出版で私の作品集『危うさの角度』が刊行されて半月が過ぎた。本を入手された方々からメールやお手紙、また直接の感想なりを頂き、出版したことの手応えを覚えている。……感想の主たるものは先ず、印刷の仕上がりの強度にして、作品各々のイメ―ジが印刷を通して直に伝わってくる事への驚きの賛である。……私は色校正の段階で五回、ほぼ全体に渡って修正の徹底を要求し、また本番の印刷の時にも、二日間、埼玉の大日本印刷会社まで通って、担当編集者の深谷路子さんと共に立ち会って、刷りの濃度のチェックに神経を使った。私の要求は、職人が持っている経験の極を揺さぶるまでの難題なものであったが、それに響いた職人が、また見事にその難題に応えてくれた。昨今の出版本はインクが速乾性の簡易なもので刷られているが、私の作品集は、刷ってから乾燥までに最短でも三日はかかるという油性の強くて濃いインクで刷られている。私の作品(オブジェを中心とする)の持っているイメ―ジの強度が必然として、そこまでの強い刷りを要求しているのである。……しかし、当然と思われるこのこだわりであるが、驚いた事に、自分の作品集でありながら、最近の傾向なのか、色校正をする作家はほとんどおらず、また印刷所に出向いて、刷りに立ち会う作家など皆無だという。信じがたい話であるが、つまり、出版社と印刷所にお任せという作家がほとんどなのである。……、昔は、作家も徹底して校正をやり、また印刷所にも名人と呼ばれる凄腕の職人がいて、故に相乗して、強度な印刷が仕上がり、後に出版物でも、例えば、写真家の細江英公氏の土方巽を撮した『鎌鼬』や、川田喜久治氏の『地図』(我が国における写真集の最高傑作として評価が高い)のように、後に数百万で評価される本が出来上がるのであるが、今日の作家の薄い感性は、唯の作品の記録程度にしか自分の作品集を考えていないようで、私にはそのこだわりの無さが不可解でならない。だから、今回、その川田喜久治氏から感想のお手紙を頂き、「写真では写せない深奥の幾何学的リアル」という過分な感想を頂いた事は大きな喜びであった。また、美学の谷川渥氏からも賞賛のメールが入り、比較文化論や映像などの分野で優れた評論を執筆している四方田犬彦氏からは、賛の返礼を兼ねて、氏の著書『神聖なる怪物』が送られて来て、私を嬉しく刺激してくれた。また、作品集に掲載している作品を所有されているコレクタ―の方々からも、驚きと喜びを交えたメールやお手紙を頂き、私は、春の数ヵ月間、徹底してこの作品集に関わった事の労が癒されてくるのを、いま覚えている。

 

私のこの徹底した拘(こだわ)りは、しかし今回が初めてではなかった。……以前に、週刊新潮に池田満寿夫さんが連載していたカラ―グラビアの見開き二面の頁があったが、池田さんが急逝されたのを継いで、急きょ、久世光彦さんと『死のある風景』(文・久世光彦/ヴィジュアル・北川健次)という役割で連載のタッグを組んで担当する事になり、その後、二年近く続いたものが一冊の本になる際に、新潮社の当時の出版部長から、印刷の現場にぜひ立ち会ってほしいと依頼された事があった。これぞという出版本の時だけ印刷を依頼している、最も技術力の高い印刷所にその出版部長と行き、早朝から夜半まで立ち会った事の経験があり、それが今回役立ったのである。……久世光彦さんとの場合も、久世さんの耽美な文章に対峙し、食い殺すつもりで、私は自分のヴィジュアルの作品を強度に立たせるべく刷りに拘った。結果、久世さんの美文と、私の作品が共に艶と毒の香る本『死のある風景』が仕上がった。……表現の髄を熟知している名人・久世光彦の美意識は、私のその拘りの徹底を見抜いて、刊行後すぐに、手応えのある嬉しい感想を電話で頂いた。共著とは云え、コラボなどという馴れ合いではなく、殺し合いの殺気こそが伝わる「撃てば響く」の関係なのである。……今はそれも懐かしい思い出であるが、ともかく、それが今回役立ったのである。だから職人の人も、印刷の術と許容範囲の限界を私が知っている事にすぐに気づき、その限界の極とまで云っていい美麗な刷りが出来上がったのである。この本には能う限りでの、私の全てが詰まっている。…………まだご覧になっておられない方は、ぜひ実際に手に取って直にご覧頂きたい作品集である。

 

……さて、6月から3ヶ月間の長きに渡って福島の美術館―CCGA現代グラフィックア―トセンタ―で開催されていた個展『黒の装置―記憶のディスタンス』が今月の9日で終了し、8月末には作品集『危うさの角度』も刊行された。(『危うさの角度』の特装本100部限定版は、9月末~10月初旬に求龍堂より刊行予定)……そして今の私は、10月10日から29日まで、東京日本橋にある高島屋本店の美術画廊Xで開催される個展『吊り下げられた衣裳哲学』の作品制作に、今は没頭の日々を送っている。今回は新作80点以上を展示予定。東京で最も広く、故に新たな展開に挑むには、厳しくも最高にスリリングな空間が、私を待っているのである。今年で連続10回、毎年続いている個展であるが、年々、オブジェが深化を増し、もはや美術の域を越境して、私自身が自在で他に類の無い表現の領域に入ってきている事を、自分の内なる醒めた批評眼を持って分析している。「観者も実は創造に関わっている重要な存在であり、私の作品は、その観者の想像力を揺さぶり、未知とノスタルジアに充ちた世界へと誘う名状し難い装置である」。これは私独自の云わば創造理念であるが、私の作品は、今後ますます不思議な予測のつかない領域に入りつつあるようである。……その意味でも、10月から始まる個展には、乞うご期待という事を自信を持って、ここに記したいと思う。

 

 

 

 

 

 

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