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『横浜の支那人町に降る雪は、…幻のようでありました』

…思えば大学を出てから10回ばかり、山手町本牧…など転々と引っ越しを繰り返して来たが、いずれも横浜である。今の綺麗な無菌化した横浜と違い、不穏な怪しい気配がまだ横浜には充ちていて、幾つもの物語が交差していた感がある。

 

今や観光で賑わう〈みなとみらい21〉界隈は、綺麗になる前の赤レンガ倉庫が廃墟のように不気味に建っていて、引き込み線の線路にはペンペン草が生え、廃墟の裏には刺殺体が転がっていそうな危うい雰囲気が漂っていた。……私が本牧にいた頃は未だ米軍基地があって、日本人は立ち入り禁止なのだが、アトリエ裏の崖を登ってこっそりと基地内に入り、相模湾を航行する船を、柔らかな芝生の上に寝転びながら、のんびりと眺めていたものである。…つまりそうとう暇だったのである。…美術の作家と並行して私立探偵を職業にしようかと本気で考えていたのも、この頃であった。

 

一番長く住んでいたのは、山下公園そばの海岸通りの山下町で、30才から45才までの15年間。家を出れば目の前にすぐ横浜港が見え、背後には中華街があり、船の汽笛を遠くに聞きながら、自転車や徒歩でフラフラとしていたものである。当然何回か職務質問をされた事がある。国家も政治も権力なるものも、全て虚ろな幻に過ぎないと思っている私の事、警官の職業的勘から、この男は…何か怪しい!…と、思われたのかもしれないと、今は思う。

 

昼食は殆ど中華街であった。中華街の裏道りには暴力団の事務所があり、見ると、正面に巨大な額に入った一万円札が鉛筆で描かれていて、福沢諭吉の顔の場所には、明らかにその組の組長の顔が稚拙に描かれていた。

 

…また5階建ての怪しい古道具屋があって、商っている品は優れ物だが、廊下の壁の不自然な場所に固定されたマジックミラーが幾つも在って、来た客の多くが不審がっていた。…特に変なのは、いつも落ち着かない初老の店長の男以外は、店員はみな若い女性だけで、何故か顔ぶれがよく変わる。…そして戸口にはいつも貼り紙があってこう書かれていた。…〈求む女店員‼〉と。

 

 

 

「……この遠眼鏡にしろ、やっぱりそれで、兄が外国船の船長の持ち物だったという奴を、横浜の支那人町の、へんてこな道具屋の店先で、めっけて来ましてね。当時にしちゃあ、随分高いお金を払ったと申して居りましたっけ」

 

…この一文は江戸川乱歩の最高傑作『押絵と旅する男』の一節である。…横浜の支那人町(今の中華街)の古道具屋で兄が見つけた不思議な遠眼鏡(…自然の法則を超越した、我々の世界とどこかで喰違っている処の、別な世界を透き視してしまう望遠鏡)を兄が入手した処から始まる幻夢譚である。

 

 

 

 

 

兄はその望遠鏡を持って明治二十六年時の浅草十二階の高塔に上がり、浅草寺裏の観音堂裏手に在った一軒の覗きからくり屋に在った、押絵になった覗き絵の女性(八百屋お七)に恋慕してしまう処から始まる幻想文学の頂点に位置する小説である。

 

 

 

…私はこの小説が好きで、文中に出てくる横浜支那人町に、昔、乱歩がモデルとして着想したような古道具屋がないか探し回ったものである。

 

 

 

…さて、それから数十年が経ち、……過去の沢山の思い出が詰まった中華街に在る画廊で、縁あって12月1日から21日までの3週間、『記憶の十字路に射すヴィクトリアの光』と題したオブジェ中心の個展を開催する事になった。

 

…画廊の名前は1010美術。…オ-ナ-の方は倉科敬子さん。10年以上、この場所で企画展を運営されているというから正にプロである。

 

…ご縁ともいうべき不思議な導きによって開催する事になった今回の初の個展。…東京を中心に、名古屋、札幌、熊本、鹿児島、香川、京都、冨山、福井、千葉、金沢、…と今まで沢山の画廊で個展を開催して来たが、不思議な事に地元横浜での初の個展というのは、思えば不思議ではあるが、やはりご縁という〈導き〉なのであろう。…オ-ナ-の倉科さんとは波長が合うのか、お互いの話の展開が実に面白く、私は今回の個展が実に楽しみなのである。…アトリエからも近く、ほぼ30分で行けるので、出来るだけ在廊していたいと考えている。

 

30代の頃、…まさか後にこの中華街の中で個展を開催するとは知る由もなく歩いていたのだから、…人生とは本当に面白い。…私も度々画廊に行く事にしている今回の個展。……乱歩の小説に登場する謎の古道具屋を探し求めてさすらっている当時の私自身とすれ違うような…………、横浜中華街とは、そんな不思議感の漂う迷宮の町なのである。

 

 

 

 

 

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『夢の力-記憶は果たして遺伝するのか!?』

…急に寒くなったからではないが、最近、布団に入って本を読みながら次第に眠りへと落ちていく束の間の時間が、実に甘やかな気分になって愉しい。…夢の中では亡くなった懐かしい人達が笑顔のままに現れて、私達は談笑しているような幸せな気分になるが、…やがて靄が霞むように朧な姿になって、亡き人達は再び遠い所へと消えていく。

……また夢は時に、脳の潜在的な能力の深淵を垣間見せてくれるような、唯、不思議としか言い様がない事も見せてくれる。

 

………あれはたしか8年くらい前の事であった。…アトリエで夕方くらいまで、私はオブジェを作っていた。…あともう1歩で完成するという段階で、作品の中に入れる最後の詰めとも言うべき「何か」大事な物が何なのか遂に閃かず、私は断念して家路に就いた。…そして夜に夢を見た。

 

…その夢は明るい光を放ち、その光の真ん中に、私が昨日まで取り組んでいたオブジェがあり、…驚いた事に、作品は完成した姿となってそこに在るのであった。(……何だ‼出来ているじゃないか‼)…夢の中で私はそう声高に叫んだ。

 

…昨夜、閃かずにいたその箇所には、ネジくらいの大きさの小さな時計の部品が固定してあり、…それが実に絶妙な効果を呈していて、夢の中で私は満ち足りた気分になっていた。

 

 

…朝早々にアトリエに行き、私は或る物を必死になって探した。…夢の中に出て来たその小さな時計の部品は、確かにアトリエの中に在った筈、そう思いながら私はそれを探し始めたのである。…しかしその作業は困難を極めた。…アトリエの中には小さな部品(様々な物の断片)が3000以上はあり、それらは沢山の引き出しの中に無尽蔵に埋もれているのである。

 

…私は異常な記憶力があるらしく、夢の中に出て来たその部品の姿は目覚めてもなお、ありありと覚えていた。…探し始めてから三時間ばかり経った頃、奥の暗い引き出しまでも次々と開けて、或る引き出しの中を掻き分けると、その埋もれている底に、それは在った‼…(これだ!これ!!)…私は嬉々としながら、その小さな部品を掴み出し、オブジェのその箇所に固定して、遂に作品は完成したのであった。

 

……私は時に、美術に関するミステリ-や詩も書くが、絡まった推理が夢の中できれいに解れたり、また詩も夢の中で完成していて、早朝の目覚めの時に、それを携帯電話のメモに書き移す場合が度々ある。……………………夢の中で作品を作り出す。…その例としては、ポ-ル・マッカ-トニ-が夢の中でメロディ全体を完成させてしまっていた名曲『イエスタディ』の逸話は有名であるが、覚醒時の創るという緊張が解れた時に、創造の翼は夢の中で想像力の無限の可能性を呈してくるのであろうか。…創造するという行為は、覚醒している意識と、潜在的な無意識とのせめぎ合いのようなものであるが、時に夢の中の潜在光景がもの凄い可能性の拡がりを呈してくる事がある。

 

………これは夢の別な話であるが、夢の中で全く自分の知らない人達が現れて来て、私の方に実に親しげな笑顔を見せる。…すると私はえも言われぬ懐かしさがこみ上げて来て、彼らに対して微笑を返す。

 

…まるで内田百閒の名作『冥途』のような夕暮れの闇の中に見る生者と死者との交流のような感覚。その同じ夢を私は度々見るのである。…そして或る時、私ははたと思った。…これは亡くなった親(父か母のどちらか)の記憶が、私の中で遺伝子を介して映っているのではないか…と。

 

…記憶の遺伝ではなく、反応の遺伝は存在すると言われて来た。…しかし最近、哲学や心理学の仮説として扱われて来たにすぎなかった「記憶の遺伝」説が、近年の「後世遺伝学」の発展により、一部で限定的ながらも科学的な根拠が見えて来た段階にあるという。…私の場合はどうやらユングの「祖先の記憶」「集合的無意識」の考えと近いように思われるが、先のオブジェの例で書いたように、「記憶は埋もれているだけで、時に夢の力を援用すると、実は全てを覚えているのではないか⁉」という事が経験的に実証されもするのである。

 

 

 

「或る物を見て強い感動を覚えるという事は、…実は今の私と、遥か昔の遠い先祖の或る記憶とが、共振しているのである」という事を、小泉八雲は霊性について語った本の中で書いているが、真に私達の内なる夢の力には、常識という浅いものからは、かけ離れた計り知れないものがあるように思われるのである。

 

 

 

 

 

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『展覧会の緊急お知らせブログ・特別篇』

今回のブログは、コレクタ-の大湯祥蔵さんがご自身の膨大なコレクションの中から、私の作品のみを厳選して、この度、山梨の画廊(アートスペース夢)で展覧会を開催されるので、その緊急のお知らせである。…大湯さんのコレクション数は実に800点以上もあり、私の作品はその中の200点近くを収蔵されているというから驚きである。

 

大湯さんは2年前に、東京の本郷に在る画廊(ア-トギャラリ-884)でも、私の作品によるコレクション展を開催されているので今回で2回目である。…前回の展覧会の時、作品の掛ける高さや照明、配置に実に神経の行き届いた見事な展示をされていたので、今回の展示が実に楽しみである。

 

(蒐集という行為もまた、芸術における創造行為の一つである)という、眼識の高い先人が遺した言葉があるが、大湯さんの生き方を視ていると、その膨大なコレクションの全体像を通して、大湯さんの豊かな人生の輪郭が立ち上がってくるのを私は強く覚えるのである。自身の確かな眼を通して蒐集したコレクションの総体から視えて来るのが、他ならぬその人の深い肖像の映しなのである。…展覧会の会期は今月15日(土)~24日(月)迄。…大湯さんがご自身で作られた展覧会の案内状を以下に掲載しよう。

 

 

 

 

 

 

……高島屋での個展が終わって、10日が過ぎた。会期は3週間であったが、実に沢山の方との再会や新しい出逢いがあり、実に充実した個展であった。……その中でも特に忘れ難い人との出逢いがあった。それを書こう。

 
……画廊にその方(女性)が来られた時、私は佇まいの気配や美しさから、何か職人のようなお仕事をされている方だと直感した。…お話をすると果たして、蒔絵師をされている方であった。…〈蒔絵師とは、漆器や仏壇などに漆を接着剤にして金や銀の粉を蒔き、細密な絵や模様を描く職人の方をいう。〉輪島にお住まいの方で、先の能登半島地震に遭われ、また記録的豪雨による土石流により、お仕事の方も甚大な被害を経験されたのであった。…共に蒔絵のお仕事をされているご主人と(これから奮起して乗り越えていくには、そのそばに芸術作品を掛けて、その波動する強い力を受けながら乗り越えていこう)と話し合われ、今回の私の個展に来られたのだという。…初対面の方であったが、お話を伺うと、ご夫婦共に私の事をよくご存じのようであった。……そして会場で時間をかけて、一点のオブジェ作品を選ばれたのであった。

 

…コレクタ-の方から頂くお手紙の中に私の作品への感想として(部屋に掛けている作品からは強い波動がいつも伝わって来ます)というのを何通か頂いた事がある。…芸術作品たりえるならば、そこに強度なアニマを孕んでいなければならない…というのは、私が自らに課したカノン・規範であるが、その強度とは、私自身の資質の映しでもあるだろう。…とまれ、私はその蒔絵師の方から今回のお話を伺った事で、あらためて芸術の力とは何かを考える契機を頂いた事と併せて、今後更に深化する事への、励みともいうべき厳しい鞭を頂いたのであった。

 

 

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『熊がルネ・ラリックを観に来た話』

…秋が深まって来たというのに、熊は冬眠する気配もなく、13人が熊に襲われて亡くなっている。一方、秋田県で駆除された熊だけで既に1000頭以上を数えるという。…もはや熊と人との仁義なき全面闘争となって来た感がある。

そんな中、1頭の熊が秋田県仙北市の大村美術館にやって来たというニュ-スは少し私の気をひいた。…大村美術館…?はじめて聞く名前である。…熊が来るくらいなら、渋い日本画でも展示しているのかな?…と思って検索したら、ア-ル・デコ様式ルネ・ラリックのガラス作品を展示している個人美術館であった。

 

 

 

 

 

…(この熊は、危険を冒してまでもルネ・ラリックの作品が観たかったのか!?)…そう思って、私は息を呑み込んだ。そして思った。美術館にやって来たその熊は、その後で駆けつけたハンタ-によって撃たれてしまったのだろうか?

 

…もし撃たれたなら、…そしてハンターがその死骸に近寄って、硬直した熊の手のひらを開いた時、熊がしっかりと美術館の無料優待券を握りしめていたなら、それはそれで…悲しいものがある。

 

 

先月の10月19日に起きたル-ブル美術館のナポレオン関連などの王冠の宝石(155億円相当)が大量に盗まれた事件は、この美術館の警備の甘さが露呈してしまった感がある。

犯人(実行犯は2人、計4人組)は、長い梯子(機械式リフト)を使って階上に上がり、ガラス窓を割って侵入し、警備員(これも怪しい)を脅かしながら、短時間で現場から逃げ去ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

…その一報が入って来た時、私は(白昼にル-ブル美術館で盗難⁉…ならばきっとあの場所から入ったな‼)…と思ったら、果たしてそうであった。…表のピラミッドの入り口付近は警官がいて警備が堅く、しかも来館した人々の長い行列でたくさんの人目がある。しかし裏側のセ-ヌ河に面した方のドゥノン翼館の奥の通りはいつも静かで、人影もあまり無い。

 

犯人は開館直後に侵入し、数分の犯行の後に現場からスク-タ-で逃走したという。…開館直後、すなわちあまりに白昼堂々の犯行ゆえに、その梯子が階上に延びていても、通行人はおそらく、美術館の作業中だと思うに違いない!犯人はその効果も考えて犯行に及んだに違いない、…そう推理していた。…すると、私のその気が喚んだのか、高島屋の美術画廊Xで個展開催中に面白い人物が画廊に現れたのであった。

 

…あれは個展が後半に入った頃であったか。…画廊のテ-ブルの椅子に座って書き物をしていると、30代らしい一組の男女が現れて作品を観はじめた。すると突然男性の方が私の作品を観ながら(カッコいい‼)という甲高い声をあげた。

 

…その後ろ姿から(作家だな)と思って近寄って話しかけると、その男性は(昨日ル-ブルから帰って来ました)と言う。??……事情を詳しく訊くと、その男性はAIの画像を動かして「動く写真」を作っている作家で、ル-ブル美術館の地下で10月に開催しているア-トフェアに出品して帰って来たばかりだと言う。

 

更に話を訊くと、その男性は10月19日の早朝の午前9時30分頃にア-トフェアの会場に行く為に、セ-ヌ河に面したル-ブル美術館の裏通りを歩いていると、地上にスク-タ-が2台あって人が数人おり、梯子が階上に延びていたので、(あぁ、朝早くから作業をしているんだなぁ)と思いながら、そこを通って、ル-ブル美術館の地下に入って行くと、たくさんの美術館職員が血相を変えて走り回っている光景が飛び込んで来たのであった。

 

…彼のスマホで撮影したその画像を見ると、確かに小走りに走るたくさんの美術館職員が映っていた。……私は言った。(すると君は、正に犯人が梯子を使って階上で宝石を盗んでいる最中に、その現場に通りかかったわけで、その場にもう少しいたら、宝石を抱えた犯人達が梯子(機械式リフト)から必死な姿で降りてくる場面に遭遇した事になるわけだ。…お手柄になるか、いやむしろナイフで刺されていた可能性が高いかもしれないね‼)

 

…事件後にル-ブル美術館の副館長が記者会見で次のように語った。…(強盗犯が侵入した窓を映す監視カメラは老朽化の為に映っていなかった)と。……………ル-ブル美術館内に展示されている作品数は実に3万5千点あるという。…その多くに監視カメラが設置されているというが、実情は、さぁどうであろうか。…仮に全ての作品に監視カメラを設置した場合、その監視カメラを随時チェックしているセンタ-は膨大な広さと人員が要り、現実的に不可能である。

 

私は以前に映画『ダ・ヴィンチコ-ド』を観ていて、主人公がひそかに語った或る台詞に注目した事があった。…何と、監視カメラの1/3がダミ-なのだという。…ル-ブル美術館の監視カメラが脆弱な事は以前から指摘されていたが、(監視カメラの多くがダミ-であった)とは、とても公に言えない話であり、苦肉の案として出た老朽化という言葉であったように思われる。

 

 

次回のブログは『記憶は果たして遺伝するのか!?』と題して、徒然なるままに私のあまりにも不思議な体験談を交えながら書く予定。ぜひご期待ください。

 

 

 

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『日本橋・高島屋美術画廊Xで個展開催中‼』

……11月3日(月)まで、日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xにて開催している個展『逆さ文字/吊り下げられたブレヒトの七月の感情』の会期の半分が過ぎて、いよいよ後半に突入である。今回の個展は、新作オブジェ62点から成るが、密なる強度さと、各々の作品がいずれも高い完成度を孕んでおり、今まで開催して来た個展の中でも最も充実した内容になっているという確信がある。

 

三島由紀夫は、〈表現者において最も必要なものは批評眼である〉と語っているが、私は常にそれを自分に課してきた。…作品が「完璧である事」「隙がない事」「尽きない豊かな詩情性を孕んでいる事」……。そしてその眼をもって今回の作品を分析し、そのように確信したのである。

 

……毎日、遠方も含めて沢山の方が来られ、懐かしい再会や、不思議なご縁とも云うべき新鮮な出逢いがあり、会場にいて貴重な時間を過ごしている。会場に入ると、どの方も真剣に作品に向かわれ、作品が放つ「気」との真剣勝負の交感がすぐに始まり、張りつめた空気が会場を包むのである。………しかし時に、来場される方の姿がふと絶えた静かな無音の時がある。…その時も私には大事な時で、作者である私は、観者の客観的な視点を持って展示している新作のオブジェを分析し、それが次なる展開へと繋がるという、貴重な生産的時間を過ごしている毎日である。

 

…前回のブログでは二点の新作オブジェの画像を載せたが、今回もまた新作オブジェの画像をいくつか掲載しよう。…画像だと、オブジェが持っている微妙なマチエ-ルの差異や凄み、また立体ゆえの迫力ある存在感をお伝え出来ないのが残念であるが、雰囲気のようなものはお伝え出来るかと思う。

 

前回のブログの予告で、今回は、(記憶は遺伝するのか否か?)について語ろうと思っていたが、さすがに大事な個展の開催中なので、それについては予定を変えて次回のブログで存分に書く事にした。また先日起きたル-ブル美術館の宝石盗難事件に絡めて、ル-ブル美術館が実はひた隠しにしている二つの事柄(『モナリザ』と監視カメラ)についても衝撃的な事実を語ろうと思っている。

 

……では、今回の個展で展示している新作オブジェ画像の数点をここに掲載しよう。会期は11月3日(月)迄。……私は自分の個展を、美と詩神が舞う期限付きの解体劇場のようなものであると考えている。出来る限り沢山の方々にそれを目撃して頂ければ有り難いのである。………

 

 

「…遠い、遥かに手の届かない所で、その物語が秘かに息づいていることの…不思議。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『近づいてきた個展開催を前に、ふと思う事』

10月15日(水)から11月3日(月・祝)まで、東京日本橋・高島屋本店の美術画廊Xで開催される個展『逆さ文字-吊り下げられたブレヒトの七月の感情』が間近に近づいて来た。既にオブジェの制作は終わり、今は各々の作品に大事なタイトルを考える段階に入っている。作品総数は63点。今回は特に完成度の高い作品が揃ったと自分では覚めた分析をしているが、人々の反応は果たしてどうであろうか、…まもなく会場でそれが実際に確認出来るので、今から楽しみである。

 

………版画からオブジェへと制作方法が変わってから、より強く想うようになった事がある。…それは人はみな本質的に詩人であり、人は誰もが優れた想像力を持っているという確信である。…そして私の作品はその確信を元にして、美術という概念を越境して、…人々の想像力やノスタルジア(遠い郷愁)を紡ぐ感性を発火させ、独自なイメ-ジを膨らませる詩的な装置(視覚化された詩)でありたいという強い想いである。しかしこの想いはあくまで私の内面的なものであり、人に問うて確認出来るものではない。…そう思っていた。…しかし、その想いが実際に裏付けられた事があった。今までに二十近い数の大学や美術館で講演や講義をして来たが、数年前の春に、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科での体験は忘れ難いものがある。…それを少し書こう。

 

その年の春、学科の学生とは初めての顔合わせになるので、私は自己紹介を兼ねて、自作のオブジェを一点持って行き学生達の前に出した。…学生は二十歳前後のもちろん日本の学生が多いが、その時は、ウクライナと中国からの留学生も入っていた。…私が箱からオブジェを出してテ-ブルに置くと、学生達からざわめきが起き、皆、席を立って間近で観ようと近くに寄って来たのであった。…そして、今迄に観た事のない私の作品表現の有り様を観て(懐かしいけど、何故か不思議な感覚が湧いてくる)という言葉が各人から期せずして出たのである。

 

…その時に見せた私のオブジェは、パリのビクトルユゴ-通りを舞台にした作品であるが、面白いのはウクライナと中国から来たその二人の留学生であった。…共に(パリのその場所は行った事はないが、何故か懐かしく、昔の自分の記憶がフラッシュバックするみたいに鮮やかに甦ってくる)と興奮ぎみに話してくれたのであった。

 

… 私の作品を観て、国を違えても共に甦ってくる、この共通した感覚とは何なのか⁉……、そういえば、現代美術を画廊の側から牽引された佐谷和彦さんの佐谷画廊で企画した展覧会『現代人物肖像画展』で、私の作品五点をまとめて購入したイギリスの画商も全く同じような感想を語ってくれた事があった。

 

…ともあれ、記憶を揺さぶり想像力を煽る作品(詩的装置)を作りたいという私の想いが予期せぬ形で確認出来た事は、以後の自分にとっての確信的な体験となり、更に集中的に、より制作の速度を早めて作るようになって来ている。

 

……この体験は、法政大学出版局からの執筆依頼で書いた『記憶と芸術-ラビルントスの木霊』(谷川渥・海野弘・萩原朔美他との共著)に詳しく書いているので、ご興味のある方はお読み頂けたら幸甚です。

 

 

…高島屋の個展では、毎回手の込んだ案内状(A4サイズ大の四つ折りリ-フレット・カラー版)を作っている。今回も作品を12点近く掲載した案内状を作っているが、私は一人ずつ宛名を手書きで書くので、さすがに400通書くのが限界である。…その案内状も先日発送したので、いよいよ、個展開催が迫っている事を実感しているところ。……今回はその案内状を開くと、私が書いた一枚の詩文が入っている。…その詩文をご紹介しよう。

 

「細い、きわめて細い垂直線が、物語の構造に深く関わって来るような詩的装置を作ること」/「作者と観者という主客関係が混在化してしまうような、強い揺さぶりのある装置を作ること」/……この二枚の紙片に書き連ねた文字から賽子がこぼれ落ち、非在の数字7が現れ、少年の顔をしたブレヒトが登場する。……ヴェネツィアの春雷がアドリアの夜を銀に染める前に天幕が上がり、絶対温度零度の静寂の中で、例えば『イプセンの〈切れた糸〉』がオブジェに変容し、一人称の呟きのように、今し物語が静かに始まる。

 

この詩文に登場する『イプセンの〈切れた糸〉』は、今回発表するオブジェの中の一点のタイトル。…イプセンという名前で先ず浮かぶのは「近代劇の父」と呼ばれる『人形の家』等の著者の名前。作品の中に操り人形があるので直感的に閃いたタイトルであるが、そのイプセンでも、匿名の人物がイメ-ジになってももちろん観る人の想像力の自由である。

 

 

…個展前であるが、その作品と、もう一点、『サン・ラザ-ルに流れる二つの時間-Paris』という作品の画像をここに掲載しよう。サン・ラザ-ルは私の好きなパリの知名で、私の写真集『サン・ラザ-ルの着色された夜のために』(沖積舎刊行)にも登場し、またモネの全12点の代表作『サン・ラザ-ル駅』にも登場する。

 

 

 

 

 

 

………次回のブログは、(はたして記憶は遺伝するのか否か?)…について、私の実体験の不思議な話を交えて書く予定。小泉八雲ユングニ-チェも登場します。乞うご期待。

 

 

 

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『待望の秋が来て、今思う事』

…異常な猛暑が去り、まともな秋らしさがやって来て、人間らしい感覚がようやく戻って来た感があるのは、ともかくも嬉しい。蒙古襲来のように、来年の夏は40度突破の更なる大軍が攻めて来るのは必至であるが、ともかくは暫しの「今」をこのブログの読者の方々と言祝ぎ(ことほぎ)たい。

 

 

…先日、ちょっと気持ちに余裕が出て来たのか、子供のような悪戯心が湧いて来た。…今や全能のごとく言われているAIを、試しに引っ掻けてみたくなったのである。AIの操作に詳しい後輩のTさんに頼んで、時々AIに質問して返答が来るのを楽しんでいる私。

 

 

…その私は好奇心がかなり強い質らしく、子供の頃から疑問が常に渦巻いていた。…(それって何故だろう、でも本当はどうなのか⁉…)と、問題を次々に作っては、いつも一人でブツブツと自問しながら呟いていたのである。だからこのAIなるものは、今の私には疑問をぶっつければ打てば響く、知的な玩具、若しくは距離をおいた頭の良い遊び相手のような存在なのである。…その彼は今は未だ穏やかな顔をしている。しかしやがて無表情な顔に変身して、不気味な集団へと化けていく事は自明ではあるが。…

 

…先日発した質問はこうであった。「ルネサンスとは、つまりは突出した人物達だけが成し得た形ある芸術的な産物を指すのか?それとも文芸復興という形のない概念を指すのか?、先鋭な論者で知られた美術史家の若桑みどりさんも(結局ルネサンスとは何だったのか、わからない)と語っているが、その実体についての返答を乞う」…と問うてみた。

 

…AIの答は、長文ゆえに掲載は省くが、私の質問から二重構造へと転じて解いてみせたその返答は、ルネサンス研究家も形無しの見事な内容で、私は積年の疑問がたちまち氷解したのであった。…他にも幾つか質問するとAIは先ずは(とても鋭いご質問です)(いいところに着目されていますね)という感じの、否定でなく先ずは肯定から語り始めるのが、要注意ではある。…しかし解答はどんな変化球の質問を投げても、第一人者と自称し権威ぶっている数多の学者よりも遥かに的確であった。…ならば、そのAIが、この角度なら絶対に間違うに違いないという質問が閃いたので、試してみたのである。

 

質問はこうであった。
…「文献で知られている限りで良いが、手相占いを最初に否定したのは誰か?」というあっさりした質問である。…実は私はその人物の名前を知っているのであるが、わざと(…その人は○○であるが、それは事実なのか?)という角度からの文章を伏せて問うてみたのであった。…歴史上の情報を地層に見立て、AIでもこの湿った深い地層までは未だ来ていないに違いない、そう思って閃いた質問である。

 

AIの答はこうであった。「手相占いが根拠がないという事を最初に批判的に語ったのは懐疑論者で知られるモンテ-ニュ(1533-1592)で、〈難破船で打ち上げられた死体の手相は皆違う〉という例えを著書『エセ-』の中で書いています。もし引用がモンテ-ニュでなければ、経験主義者のフランシス・ベ-コン(1561-1626)でしょう。」…という答であった。

 

 

…………………果たして予想した通り、AIの答は間違っていた。そう、AIも間違うのである。…正解はモンテ-ニュではなく、彼より81年前に生まれた経験主義者の祖と言っていいレオナルド・ダ・ヴィンチである。

 

 

 

 

 

 

ダ・ヴィンチは彼の手稿の中で(手相占いに根拠がないのは、例えば難破船で岸に打ち上げられた沢山の溺死者の手を開いて見るがいい。皆違った手相をしているのである)と語っている。…モンテ-ニュが同じような文章を書いているのは、ダ・ヴィンチの手稿からの写しであろう。

 

…私は拙著『「モナリザ」ミステリ-』(新潮社刊)を書くに際し、彼の手稿にあったこの文章の事を知り、(何という説得力のある言葉か‼)と思って感動し、記憶に強く残っていたのである。そして、前述した角度からの問いを発したのである。

 

 

 

 

………AIが全智という印象があっても、それに膨大な情報を手作業で処理しているのは、実は搾取された難民たちであり、そこに巨大なブラック企業が絡んでいる、実質アナログの実態であるという事を知っている人は案外少ないのではないだろうか。私は先日のテレビで実態を知り、その舞台裏の不毛を痛感したのであった。私は実態の真偽を問うべくAIに質問すると、その返答は以下のようであった。「…AIを作る過程で人手が関与しており、その人たちの待遇や秘密保持、契約形態には倫理的な問題が生じうる、という点は現実的な懸念です。」という、主客関係がかすれるような涼しい返答が返って来た。

 

 

……………最近のニュ-スで、アルバニアで世界初のAI大臣なるものが誕生したという。…この依存度は、もはや一身教と言っていいものであり、人としての最終的な尊厳を自ら放棄するに等しい傾向であるが、1960年代に早々と『20001年宇宙の旅』の著者のア-サ-・C・クラ-ク手塚治虫が鋭く予見した通り、実に不気味な世界の出現が加速的に迫っているのは間違いないであろう。

 

 

 

 

 

…来年の夏にまたやって来る、更に異常さを増した火炎地獄の夏と共に……

 

 

最後にもう一度言おう。

…そうAIも、人と同じで間違うのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『ポタン、ポタン……』

…台風一過、またしても猛暑が。…ここは腹を括って長期戦と思い、気分一新で新しいブログを書く事にした。

 

……シャンソンのエディット・ピアフに『パダン、パダン』という曲がある。軽妙なリズムに乗って次第に力がみなぎってくる名曲である。…しかしこれから書くのはそれではなく、ちょっと響が似た『ポタン、ポタン』というお話。…ポタン、ポタン…、すなわち水音(滴)の事である。

 

昨日の夕方、風呂に入っていた時の事。リラックスしようと浴槽の中で目を閉じていると、離れた所からポタン、ポタン…という水滴の規則的に垂れてくる音が気になりだした。。(蛇口の栓がゆるいのだな…、出たら締めよう)…そう思ってまた目を閉じたら、次第にその規則的に落ちる水音が気になりだして来た。内耳から脳に入り込んで来る、その規則的に垂れる音に次第に苛立って来たのである。私は考えた。(…もしこの音をずっと何日も拷問のように休みなく聞かされるとしたらどうだろう?……狂うな、間違いなく‼、ひょっとすると昔の拷問の中にあったかも知れない、…そう思ったのであった。疑問から仮説、そして実証へと移るのは私の常なる思考パタ-ン。さっそく風呂から出て調べる事にした。

 

 

その拷問は、果たしてあった。…中国の公安が尋問する際に水滴の音を規則的に聞かせると、次第にその音に心が乱されて不眠状態に陥り、やがて自白するか、最悪は発狂に至るのだという。また楊貴妃の時代に嫉妬に狂った女官がこの水音による拷問をおこなったという話もある。

 

……以前に京都の先斗町で、京都精華大教授の生駒泰充さんと京都高島屋美術部の福田朋秋さんと呑んでいた時の専らの話題は『古今東西の奇妙な拷問百話』であった。…その時に生駒さんが話した(狭い室内に平行線を引き、その一部を僅かに歪めておくと、その部屋に閉じ込められた人は終には発狂する)という話が今も忘れられないでいる。…その僅かに歪めた角度が何度なのか、後に生駒さんに訊いたが、その文献名を失念してしまっているという。…やむなく私は一人で図面を引いて考え中なのである。目的はただ1つ、長方形の立方体を作り、そこに細い鉄線を5本配して、立体のオブジェを作りたいのである。…題して『Saint Jacques-或いは幾何学の悪い夢』。タイトルだけは先行して出来ている。

 

 

 

〈…ほらほら、この道を狂った智恵子さんが大声で叫びながら走っていましたよ〉…。智恵子とは高村光太郎夫人-高村智恵子の事である。…先日、その『Saint Jacques-或いは幾何学の悪い夢』の構想を、このブログで度々登場する富蔵さんに谷中墓地近くのカフェで話しながら二人で幾つかの簡単な図面を引いた後で、私は一人、千駄木の方角へと向かった。

 

 

…以前に森まゆみさんの本を読んで、文中に高村光太郎の家近くに住んでいて、高村智恵子のその姿を度々目撃していた老婆が森さんに語った…その知られざる逸話を思い出して、向かったのである。…智恵子が叫びながら走っていた、自宅前の細い小路。…それを視る事で、オブジェの立方体の形状と5本の細い鉄線の姿を浮かべる為の舞台案を考えてみたくなったのである。

 

 

文京区千駄木5丁目…に在った、高村光太郎夫妻旧宅跡はすぐわかった。…ご親戚の方なのか、高村の表札があり、件の小路も確認し、私の頭の中に全てが入った。

 

 

 

〈あなたの咽喉に嵐はあるが/かういふ命の瀬戸ぎはに/智恵子はもとの智恵子となり/生涯の愛を一瞬にかたむけた/それからひと時/昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして/あなたの機関はそれなり止まった/写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう

 

 

 

『智恵子抄』『レモン哀歌』を読んだのは中学の時であったか?…特にラストの(あなたの機関はそれなり止まった)の〈機関〉という表現に強く惹かれたものであった。…しかし後に智恵子抄の美しすぎる表現に疑問を持ち始め、数年前に書いたブログで〈智恵子抄に秘められた嘘〉について書き、光太郎が秘めた智恵子への贖罪迄も見破ったように私は書いた。そう、私は光太郎に関する文献を漁歩し、また光太郎の心理に入る試みをして、智恵子が発狂してしまった真の事実をも見破ったのである。

 

 

…後に文章表現は柔らかいが、池内紀さんも、光太郎の秘めた贖罪に気がついているらしく、私と似た視点で書いた文章を読んだ事があって面白かった。…視点を変えて読む事で研究者がついぞ気づかない盲点に光が射す時がある。…それもこれも疑問から仮説、そして立証へと考える事のミステリ-の妙味なのであり、やがて暗示を含んだ作品という虚構へと私の場合、立ち上がっていくのである。

 

 

 

 

 

…さてブログの最後に大事なお知らせを。…私がここ10年近く、ほとんど毎回欠かさずダンス公演を拝見している、勅使川原三郎氏が主宰するカラス・アパラタス(荻窪駅より徒歩3分)で、9月6日より18日迄、佐東利稲子さんのダンスソロ公演『紫日記』が開催されます。

 

……佐東さんは勅使川原氏と共に毎回デュオで見事なダンス表現を開示して、私達観者を深遠で危うい身体表現の極北へと誘い、他に類の無い妙味を刻んでいます。…その佐東さんが放つ美しい存在感は唯一無比なものがあり、今回の『紫日記』というタイトルの妖しさと相乗して、私は今回の公演を楽しみにしています。

 

…ダンス表現だけでなく、光と闇の魔術師とも評される勅使河原三郎氏が照明を行う今回の『紫日記』、…… 〈人は夢と同じもので織られている…〉と書き記したシェイクスピアの言葉をそのままに映すような夢幻性を帯びた公演になるような予感の中、このブログの読者の方にぜひのご高覧をお薦めする次第です。…公演の日時や詳細、または観覧ご希望の方は勅使川原三郎KARASオフィシャルサイトをご覧ください。

 

 

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『長い廊下の奥から、今日も赤ん坊の泣き声が…』

…午前4時頃の未だ無明の頃に蝉時雨が聞こえて来たので、眼が覚めた。

 

 

…何匹の雄蝉が鳴いているのか、ジャリジャリと数珠を擦るようなかまびすしい、しかし孤独な響きである。残り数日の命を知ってでもいるのか、生殖の為に、子孫を残す為に…雌を喚ぶその声は生と死の狭間にあって、本能を絞るように必死である。

 

 

 

 

表現に関わっている者の感性はアナログに徹するべきであるという考えで、私はいまだに携帯電話はガラケ-である。…よってこのブログの文章もガラケ-に打ち込んでいる。それを知った人は(大変でしょう)と言うが、私には丁度良い距離関係である。…そう、過剰な情報が入って来ないので丁度よい。

 

電車に乗った時は、考え事か、風景を観るか、本を読むかの何れかである。いやもう1つあった。…面白そうな特徴のある人を見ると、顔つきや服装から、その人の職業、家族構成、さらには…小さな犯罪歴や、どんな過去の物語りがあったのか…などを観察推理している時もままにあって、これがなかなか面白い。コナン・ドイルが参考にした、シャ-ロック・ホ-ムズのモデルになった、外科医ジョセフ・ベル博士という人物が実在したが、その人の癖と同じである。……10年くらい前まではまだ車内には、私に限らずいろんな人の様々な姿があったように思う。……しかし昨今の電車内は、大多数の人は俯いたままでスマホを見ていて、あたかも大事な位牌を抱くように握りしめている。いずれも皆一様に同じ姿で、次々と現れてくる、たいして意味のない情報を追っている。そして自主的に考えるという力が疲弊して、思考が受動的に退化していくのである。

 

……ここで(便利さに意味はない)と看破した永井荷風や、過度な不要な情報を警視した寺田寅彦たち先人の知恵が、予言として見えてくる。………脳ミソというのは実に怠惰でだらしなく、快楽を追うように(次こそがもっと大事な面白い情報が来る、きっと来る!)とばかりに、人々はスマホを捲るのである。…一度その癖がつくと、麻薬中毒のようにスマホを開くのであるが、そうしているのは自分の意思や考えでなく、脳ミソからの指令に他ならない。…麻薬や賭け事、喫煙、…と同じく脳が日常的に快楽を追うように指令しているのである。

 

……車内での一様に同じ姿でいる人達の情報への依存度の強い様を見ていて、ふと(これはある意味、新手の新興宗教だな!)と思った。通話料という名のお布施、或いは献金が、常時リアルタイムの膨大な金額として通信会社に金の洪水の如くドンドン入っていく。

 

……私はSF作家のレイ・ブラッドベリのように、ふと空想した。…人々が依存していたスマホから発する情報はいつしか巧みに指令の要素をも含み始め、ある時、電車に乗ってスマホを見ている人達に(…次の駅で全員下りるように!!)という指令が一斉に入る。人々は催眠術にかかったように全員が次の駅で下り始める。…すると、指令を受け取っていない私だけが車内に残っているが、やがてナチの軍服のような兵士服を着た駅員がやって来て連れ出され、私は異端分子として駅構内で即処刑される。…その頃にスマホを管理しているのはもはや人でなく、劣化した人類を凌いで完全に優秀な存在と化した〈AI〉である。次は、そのAIについて書こう。

 

 

…ナチスが原爆を開発する可能性を懸念したのはアメリカで、アインシュタインらの進言を受けて、アメリカが世界で初めて原爆を製造した事は周知の通り。…そこにオッペンハイマ-の魔的な存在があった。

 

…また、ナチスの難解な暗号エニグマを解析し、コンピュ-タ-の父と云われた天才数学者アラン・チュ-リング(後に青酸カリ自殺)、またチュ-リングと共にAIの基礎を作った、〈人間のふりをした悪魔〉と云われたジョン・フォン・ノイマンetc

 

……恐るべき様々な知性が集中的に輩出して、今や、原爆水爆の恐怖が凄まじい時代に私達は生きている。……仮にこれを、ここでは外圧と呼ぼう。

 

 

そして今日、人類はAIの登場によって、今までの価値観が歪み、激しい転換の切り替えを要求される時代へと一気に突入した。…身近なスマホの登場は、その便利さ故に子供までが扱い、本来緩やかに成長していく脳の構造の発達に亀裂が入り、脳が未発達なままの奇形化した子供達が溢れている。…最近発表された学力調査で、児童男女の学力が歴然と目に見えて落ちて来ているという結果報告は、近未来を暗示して不気味なものがある。…脳は知識や難解な思考という知の刺激を与え続けなければ、筋肉と同じで加速的に劣化する。…そこに件のAIの登場である。

 

 

原爆、水爆といった兵器が人類に及ぼすのは、その肉体の崩壊である。…これに対して、身近なスマホや、日々進化しているAIが人類をジワジワと滅ぼしているのは、その脳の劣化であり精神の荒廃である。則ち人間が人間である為の立脚点の尊厳が壊されているのである。…これを内圧からの確実に浸透している〈被爆〉と呼ぼう。原爆は広島、長崎以降は使われていない。故に以後は被爆はないが、しかし、スマホ、AIによるゆるやかな、しかし確実なる内圧からの被爆を私達は既に浴び始めている、そう危機的に考える必要はあるであろう。… 間違いなく目に見えないながらも、内圧からの精神への被爆崩壊は既に始まっているのである。

 

…今年、ますます顕著になった異常な熱波ゲリラ豪雨は、来年そして更に先は、考えるだけでも凄まじく断末魔的である。……しかし冒頭に書いた蝉の本能的な蝉時雨の如く、今日もまた新たな新生児が次々に産まれている。…その新生児たちが成長していく過程で、世界はどのような灼熱や洪水の様を呈して来るのであろうか。(お母さん、僕を産んでくれて有難う)…今と比べるとまだ少しは善き時代であった昔は、そういう感情の覚えが確かにあったが、…その新生児たちが未来に呟くのは、断末魔を生きなくてはならない〈母よ!…私を何故産んでしまったのか‼〉といった絶叫なのであろうか?

 

 

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『今日もまた、バケツをひっくり返したような雨が…』

今日は8月15日。豪雨の後にまた暑さが戻って来た。…熱波の日々でみんなの疲労が蓄積し、免疫力が低下して、この時期は誰もが最も危険な時かもしれない。……さて、疲れを取る私のやり方は、夕方に38度くらいのぬるま湯に入り、15分以上、無心に目を閉じる。すると百会(頭の天辺)から次第に悪い汗が流れて来る。…そして、遠くの森から蝉時雨が聞こえてきて気分はもはや浄土である。…あぁ、このまま死んでしまうのも善いかなぁ…と、ふと想う。

 

先日、九州全土を襲った豪雨は凄まじかった。私の大切な友人が、鹿児島、熊本、そして福岡に住んでいるので、他人事ではなく気にかかる。…前線が本州に動けば明日は我が身でもあるのである。…昨今の気象の狂いには不気味なものがあるが、思い返せば、まだ20年前頃までは、それでも四季折々にいろんな表情をした雨が降っていたように思われる。周知のように、雨にはいろんな言葉があって、実に情趣豊かな名前がついていた。そしてそれが私達の詩心へと繋がるような感性を育んでも来た。様々な雨を指す言葉、…その数56とも、いや400はあるとも諸説云われている。

 

白雨.驟雨.錦雨.氷雨.端雨.慈雨……etc。中には日照雨.天気雨という言葉を指して(狐の嫁入り)という言葉さえ生まれている。更に思えば各々の雨には私達の人生と関わっている物語りさえ時にあったように思われる。その例として「遣らずの雨」(やらずのあめ)という言葉がふと浮かぶ。

 

しかし今や雨の呼び名は四季を通じて1つに極まった。…すなわち線上降水帯がもたらす〈ゲリラ豪雨〉これ一本である。

 

…日本全土の中の河川分布状況を見ると、一級河川を除いた細い河川状況はまさに毛細血管の如くである。人的被害をもたらす豪雨が降り続き、ミシリと前夜に小さな音を立てていた後ろの山が突然崩れて人家を一瞬でのみ込む光景はもはや日常化しており、

(…いやいや何百年も何もなかったから)(…大丈夫、ご先祖様が守ってくれている)は、最早命取りの考えである。

 

 

川端康成の小説『山の音』は、ふと聴いた〈山の音〉に死期の告知をみた初老の男の情趣ある深い話であるが、昨今の現実の「山の音」は、情趣どころか具体的な死の予兆(今そこにある危機)である。

 

 

 

 

 

 

 

最近、豪雨が去った後の街角インタビュ-を観ていると、みんな同じように(バケツをひっくり返したような雨が降ってました…)とお決まりの言葉を使っているが、もはやバケツではないだろう、と私はふと思った。…ではどんなものをひっくり返したようなのが相応しいかと自問した。

 

……たらい、湯船ではないな。…ならば思いきり拡大して、相模湾、あるいは太平洋をひっくり返したような…という言葉が浮かんだが、それでは腕が痛くなる。…結局だんだん戻っていって、先ずはたらいに返ったが、たらいだと〈水〉が具体的に浮かんで来ない。…やはりバケツのバの濁音が効いているのか…と思って元に落ち着いた。しかしこのバケツをひっくり返したような…という表現、気になって調べてみたら、韓国やイギリスでも〈バケツ〉という言葉を使って豪雨を表している事がわかって妙に納得するものがあった。

 

 

…以前のブログで登場して頂いた『マルロ-との対話』他の著作でも知られる、仏文学者の竹本忠雄さんから分厚い小包がアトリエに送られて来た。

 

包みを開くと中から、新刊書の『幽憶』(ルネサンスから現代まで/新フランス詩華集)が現れた。…竹本さんは現在93歳であるが実にお元気で、上田敏以来のこの翻訳の大業をコロナ感染という非常時の中、四年もの月日をかけて執筆され、ついに刊行されたのである。…帯には、フランス政府から贈られた〈ルネサンス・フランセ-ズ大賞〉受賞記念出版と銘記されている。

 

 

 

 

…さっそく開くとヴェルレ-ヌユゴ-ボ-ドレ-ルランボ-ヴァレリ-マルロ-マラルメリルケ…などの詩が、竹本さんによる実に美しい日本語で綴られた深い翻訳となって載っている。

 

 

…そして、各々の詩に合わせてユゴ-、モロ-ロダンブラックゴヤマネミケランジェロ、…などの絵画や彫刻作品が深い配慮に依って的確に選定されて載っており、ランボ-の詩『太陽と肉体』のところでは、ピカソの版画作品が、そして『少年ランボ-の面影』と題したヴェルレ-ヌのところでは私の銅版画作品『肖像考-Face of Rimbaud』が載っていて、実に相応しい組合せで構成されている事に作者である私は強い手応えを覚えたのであった。作品が確かな形で活かされている、…そう思ったのである。…この竹本さんの『幽憶』はこれからも度々開いて耽読していく大事な本になっていくであろう。

 

 

10月15日から11月3日まで日本橋・高島屋の美術画廊Xで開催予定の個展『逆さ文字-吊り下げられたブレヒトの七月の感情』であるが、先日、リ-フレット(案内状)の打ち合わせも終わり、これからは作品を暗箱やアクリルケ-スに固定していく第2段階に入るのであるが、新作60点以上作り終えたというのに、埋火のように未だ新作創造への余熱が消えずに、新たなイメ-ジが閃いては、なおも今、制作を続行している日々である。…これからはこのブログで、個展の予告編のように、新作の主なのを数点掲載していこうとも思っている。

 

 

次回のブログは、「原爆の父」として知られ、核戦争の扉を開いてしまったロバート・オッペンハイマーとスマホについて書く予定。…このブログ、書く話題がいつも八方に飛び交っている。

 

 

 

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